五等分の園児   作:まんまる小生

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五等分の園児最終話 きつく握った手には

 必要とされる人間になる。

 

 ただの憧れでは終わらない。そう教えてくれたんだ。

 

 あれから目的の為に努力してきた。

 

 取捨選択は得意だった。いらないものを捨て、必要なものだけを選び、費やした。

 

 自分は前の自分ではない。変わっているんだという自負があった。

 

 俺は、上杉風太郎はあの時から変わったんだ。

 

 先生と会う前にはなかった自信があった。胸を張れたんだ。

 

 そう思っていた。あの人と再会するまでは。

 

 間違っていたんだ。

 

 間違っていると気づかされた。

 

 今でもその答えは分からないでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「焼肉定食、焼肉抜きで」

 

 

 

 いつもと変わらない日常。目的の為に着々と一歩を歩むだけの日常の一片でしかない。

 

 学校の昼休み。午後の授業を万全な状態で取り組む為に昼食は欠かせない。

 

 この食堂での最安値はライス200円と思いがちだが実は違う。

 

 焼肉定食400円から焼肉皿200円を引くと同じ値段で味噌汁とお新香が付くのだ。

 

 貧乏な家庭の身に節約は当然。削れるものは削り利益を増やす。起床して3時間の労働にはこれで十分だ。

 

 夕方のバイトが辛くなるが甘えてなどいられない。日々200円、300円節約すれば毎月1万は浮くのだ。

 

 いつもの席に着くと、また煩わしい声を耳にしてしまった。

 

 

 

「上杉君また一人だぜ」

 

「やべぇ、マジで友達いねえの」

 

 

 

 おまえらに他人を見下す暇があるのか。そうやって時間を無駄に過ごす様は滑稽でこっちが笑ってしまうわ。

 

 ここは努力の価値を知らない奴が多すぎる。時間は有限だというのに暢気なものだ。

 

 席に着いて黙々と食事を胃に詰める。それに並行してテストの復習に取り組む。

 

 上杉風太郎。その横には100点と記されている。

 

 聞けばこのテストの満点は自分一人らしい。自分の後に一点逃しの生徒が並んでいるそうだ。

 

 大して意地の悪い問題はなかったはずだ。クラスの連中はその一点逃しの生徒を褒めていたがそうじゃないだろう。

 

 全て正解しなければ意味などない。

 

 間違えたんだろ。分からなかったんだろ。こんな問題で躓く自体0点と変わらない。悔やむ姿は彼らになかった。

 

 その時点で意識に差が出ている。惰性でやるぐらいなら0点でいいだろう。進路を考えるなら真面目に取り組め。

 

 考えるだけで苛立ってくる。他人が心底疎ましい。集中させろ。

 

 過去を振り返るだけで煩わしい。他人が嫌いだった。

 

 食事に復習を兼ねるより先に食べてしまったほうが早そうだ。

 

 テストの用紙を置いて食事に専念しよう。

 

 一度テストの用紙をテーブルに置こうとして、向かいの椅子の傍に黒いスーツが見えた。

 

 

 

「相席、よろしいですか」

 

「あ?…と、失礼しました」

 

 

 

 顔を上げると向かいに立っていたのは教師だった。態度を改める。

 

 見たことない顔だ。2年の教師ではないか。

 

 教師の手には食堂で注文したのだろう、トレイの上にうどんが乗っかっていた。

 

 相席だと。この場所はいつも自分がキープして利用している。

 

 

 

「…他、空いてないんですか」

 

「はい」

 

「んなわけ…」

 

 

 

 周りを見ると確かにほとんどの椅子が埋まっているそうだ。

 

 なぜだ。と疑問に思っていると、見ない顔が多いことに気づいた。新入生か。

 

 今は4月の半ば。新入生が学食を利用し始めて椅子が埋まったようだ。学年が上がってから食堂を利用する生徒もいるだろう。

 

 食堂を利用する生徒はだいたい各学年で固まるものだ。新人の1年はその点テリトリーを見分けられないだろう。

 

 各学年が混同して教師のスペースも無くなったのだろうか。迷惑な話だ。

 

 しかし、ある意味この教師は好都合。

 

 

 

「どうぞ」

 

「ありがとうございます」

 

 

 

 向かいに生徒が座るよりはマシだ。このままだと知らぬ生徒が座りかねないしな。

 

 相席を了承すると教師は会釈をして座った。

 

 

 

「…勉強中でしたか」

 

「ええ…まあ」

 

「席を譲っていただいたお礼ではありませんが

 分からないところがあればお教えしましょう」

 

「ありがとうございます

 だが結構です」

 

「そうですか」

 

 

 

 礼儀正しいがお節介な教師だ。そう思ったが案外潔く身を引いてくれた。

 

 向かいに人がいようが関係ないが、話しづらい相手だった。早く食ってしまおう。

 

 黙々と食べ、自分が完食したところでまた声をかけられた。

 

 あんたも早く食えよ、麺伸びるぞ。

 

 

 

「2年生でしょうか」

 

「?

 はい」

 

「その歴史の小テスト、随分と難しかったと聞きました

 何でも満点を取る生徒に対抗して作ったとか」

 

「…それが何ですか」

 

「いえ、ただ恥ずかしく思うことはありません

 貴方のように真面目に勉強に取り組もうとする生徒に少しでも役立つのが教師の仕事です

 高いお金を払ってきているのです、利用できるものは利用するべきでしょう」

 

 

 

 真面目な人だな。確かにその通りだ。高い金を払っているのだから生徒は真面目に勉学に取り組むべきだ。

 

 自身ではなく親が払っていることで自覚が薄いのだ。何百万もかけて通っているのに無駄な時間を過ごす奴が多すぎる。

 

 謙虚な振る舞いを見せ、生徒に手を差し伸べてくるこの教師には悪い気はしなかった。

 

 優しさと義務、なんらおかしいものはないと正当性を述べている。意地を張る生徒に歩み寄ろうとしている。

 

 だが、余計なお世話だ。

 

 

 

「…ん」

 

「…何でしょうか」

 

「100点だ」

 

「…拝見します」

 

 

 

 テスト用紙を見せると教師は手に取った。

 

 教えてもらうことは今のところない。間違っていたら教えてもらっていたかもしれないが、生憎そんなミスは犯さない。

 

 …

 

 すぐに返されると思ったが、この教師は用紙を見つめたままだった。

 

 

 

「上杉風太郎君」

 

「…何ですか」

 

「…

 覚えてないでしょうか」

 

「あ?」

 

 

 

 覚えてって、何を言っているんだこの教師。

 

 テスト用紙を返してもらう。覚えるも何も初対面だろう。

 

 2年の教師でないのは確かだ。去年顔を合わせた覚えもない。見たかもしれないが自分の授業の教師でなければ忘れる。

 

 他人に興味はないが、目の前の女教師は美人なほうだ。一つでも接点があれば忘れるようなことはないだろう。

 

 …しかし、この能面のように顔色を全く変えない人には懐かしさがあった。

 

 誰かに似ている。何かを思い出そうと、少しだけ屈んで、その顔を見上げてみる。

 

 

 

「…」

 

「…」

 

「…いや、流石に…」

 

「京都でお会いしましたよね、風太郎君」

 

「…

 えっ

 本当に、あんたなのか

 中野先生、か…」

 

「はい」

 

 

 

 静かに肯定された。嘘だろ。

 

 なぜ、忘れていたのだろうか。なぜわからなかったのだろうか。少し後悔していた。

 

 まさか高校で会うとは思わなかった。それ以前に再会できると思わなかった。

 

 会えた喜びもある。5年前の憧れの人が目の前にいるんだ。

 

 たった一日しか会えなかった人なんだ。思い出の時間があまりにも少なすぎる。何度も惜しんだ。

 

 だが、なぜ忘れてしまったのか。この人の顔を見てすぐに気づけなかった。

 

 俺の目標は、この人に近づくことだったのに。

 

 

 

「髪、黒く戻したのですね」

 

「えっ!?

 ま…まあ…はい、染めてたしなッ」

 

「流石に気づきませんでした」

 

「だ、だろうな…」

 

 

 

 いかん。何を話したらいいのか分からない。めちゃくちゃ意識してしまっている。

 

 何から話せばいいんだ。聞いてみたいことは沢山あったのに、上手くまとまらない。

 

 

 

「せ、先生って…今年からここに?」

 

「いいえ、少なくとも貴方が入学する前から赴任しておりました」

 

「ま…マジかよ…」

 

 

 

 1年間同じ場所にいたってのに気づけなかったのかよ…

 

 そもそも家は近いのか? この五年間もしかしたらどこかで会っていたかもしれない。

 

 不要な他人を無視してばかりだった自分に、こんな落とし穴があったとは。

 

 

 

「100点は一人だけと聞きました

 風太郎君でしたか」

 

「ま、まあな…」

 

「…その生徒が入学以来ずっと満点を取っていると聞きました

 素晴らしいですね…努力したからって、容易にできるものではありません」

 

「…」

 

 

 

 顔が赤くなるのが嫌でも分かる。

 

 褒められたことなど、今までに数え切れないほどあった。慣れたものだ。

 

 なのに、今は上手く言葉が返せなくなってしまった。

 

 

 

「中野先生と上杉君が一緒とか説教されてんのか?」

 

「なんか上杉君嬉しそうでウケる、勘違いすんじゃね」

 

「先生優しいもんね、上杉君でも見捨てないとかやさしー」

 

 

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

「…まあ、そういうことだ」

 

「いいのですか」

 

「俺があんな奴らの言葉に落ち込むと思ったか

 全く気にしてないぞ、下にいる奴らに構ってたら首が疲れるぜ」

 

 

 

 忘れていた。ここは食堂だ。さっきまで煩い奴らがいたじゃねえか。

 

 さっきまで見せた穏やかなものが消えてしまった先生に笑ってみせたが。

 

 どうやら外野の陰口が気に入らないようだ。先生は眉を吊り上げていた。少し怖かった。いや怖すぎる。

 

 先生は立ち上がりそうになっていた。

 

 待ってくれと先生のスーツの袖を掴んだ。あんた飯まだ残ってるし。

 

 先生はこちらの意思を汲み、矛を収めるように座ってくれた。

 

 

 

「先生」

 

「…なぜ、笑うのですか」

 

「…いや…やっぱ、先生は先生だな

 また会えてよかった」

 

 

 

 優しい人だ。

 

 だけどそれはやめてほしい。気持ちだけ受け取っておく。

 

 俺は全く気にしていない。本当だ。

 

 それに自業自得でもある。

 

 俺は友達など求めていない。入学してから全て断ってきたんだ。

 

 流石に陰口を叩かれるのは癪に障るが、厚かましく声をかけられるよりマシだ。

 

 努力の価値も知らず、贅沢に生きる奴らと一緒に生きられるものか。

 

 

 

「…以前、1年生で孤立してしまっている生徒がいると

 相談を受けることがありましたが…まさか、風太郎君でしたか」

 

「…先生、それもやめたほうがいい

 俺は上杉ですよ」

 

「…わかりました」

 

「あまりのんびりしてると昼休みがなくなる

 麺伸びてるしよ」

 

「…」

 

 

 

 長話をさせて悪かった。既に先生のうどんは伸びてしまっている。

 

 席を立つと先生は振り返った。いいから食べてくれ。

 

 

 

「上杉君」

 

「ここはうるさいんで、放課後にでも少し話をしませんか」

 

「…わかりました

 職員室に来ていただいてもよろしいですか?」

 

「はい」

 

 

 

 思い出を穢されているようで嫌だった。早くこの場を去ろう。

 

 先生と話している間、ずっと周りの目が疎ましかった。

 

 分かっているさ。今の自分はまだこの人には程遠い。隣に立つことも憚られる遠い人だ。

 

 おまえらも先生を知っているんだろう。分かってるから黙ってろ。

 

 他人なんて目的の妨げにしかならないが、先生は違う。

 

 まさかだ。再会できたんだ。先生から逃げる理由はない。

 

 まだ至らない点は多いが、今の自分を見てほしい気持ちもある。

 

 褒められた時、嬉しかった。先生にその気はなかっただろうが認められたようで、馬鹿みたいに嬉しかった。

 

 それも他人の目があっては台無しだ。

 

 

「クソ…」

 

 

 

 今の顔はとても先生に見せられそうにない。通り過ぎる奴らが揃って嫌そうな顔をして退いていく。

 

 煩わしい。他人など目的の妨げにしかならない。

 

 全てにおいて邪魔なものでしかない。消えてしまえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 他人を拒絶して何かを成すなんて珍しい話じゃないだろう。

 

 研究者だったり、スポーツマンだったり、何かを極めようとすれば、それなりの時間を要する。他人と遊ぶ暇があるか?

 

 自分が特別な事をしているとは思っていない。必要なことをしているだけだ。不要なことはしないだけだ。

 

 テレビや新聞でもよく見るだろう。世界新記録を超えたスポーツ選手だったり、最年少でプロ入りした子供だったり。

 

 偉人の成した功績に喜んだり賑わったり、祭りのような空気を見せる人間には疑問を抱く。何を理解して騒いでいるんだ。

 

 偉人の功績は確かに凄い。無関係の人間でも声高々に喜んでしまうそんな影響力がある。だが周りが騒いでいるから騒ぐ連中が多すぎる。

 

 上辺だけ見て満足するだけだ。もっと調べれば分かる。その中にはその人の欲望と時間を犠牲にし、犠牲の下に費やした努力が詰まっている。

 

 それを見て…自分も努力しようと思わないのか? 自分はなぜああなれないのか疑問に思わないのか。方法を知れば同じ高みに上がれるんだぞ。

 

 今の自分に満足しているのならいい。

 

 だが、俺が見てきた奴らの中に、胸を張って生きているような人間は少なかった。学生はほぼ全員だ。

 

 今が努力するべき時なのに、目を逸らしてつまらないことばかりに意識を傾けている。馬鹿だろう。

 

 

 

「ここでいいんだよな…」

 

 

 

 職員室はそんな連中が好んでこない場所だろう。何が後ろめたいんだか。

 

 中に入ると近くの教師が用件を聞いてきた。中野先生に用があると伝えるとまだ本人はいないそうだ。

 

 自分の科目の教師、学年主任なこともあって少し話を聞いた。というか対抗してテストを作ったと言っていたあの歴史の教師だ。

 

 

 

「指導、ですか」

 

「もう受験だってのに遊んでる生徒がいるんだ

 指導顧問ではないが、中野先生なら大人しく言う事を聞く生徒が多くてな」

 

「人の顔見て反省するような奴、放っておけばいいんじゃないすかね」

 

「教師はそうはいかないんだ、進学したいのならケツを叩いてでもやらせるからな

 上杉も来年は受験から逃げたくなるかもしれないぞ」

 

「受験から逃げたら何のために高校入ったんですか…」

 

「…おまえも指導してやりたいもんだ」

 

 

 

 何でだ。俺は品行方正。至って真面目な生徒だろう。成績も一位だし指導される理由がない。

 

 しかし中野先生…随分と面倒なものを任されているようだ。不良生徒など見捨てればいいってのに。

 

 他人の中でも特に価値のない輩だ。自分の欲を満たすために時間を浪費し、親でも他人でも金を貪るだけの――

 

 

 

「上杉君」

 

「う、おっ!?」

 

「おお、中野先生

 上杉が先生に話があるそうです」

 

「私が呼んだのです、ありがとうございます」

 

 

 

 いつの間にか背後に先生がいたようで驚いてしまった。振り向けば能面のような顔があってさらに驚いた。

 

 中野先生は学年主任に頭を下げた。こちらで話しましょう、と職員室を出ることになった。さっき来たばかりなのに忙しい人だな。

 

 向かった先は屋上だった。座るベンチも眺める花壇もない屋上は全く人気の無い場所だった。調度良かった。

 

 

 

「お待たせしてすみません」

 

「…指導、大変そうですね」

 

「そうですね、一人一人、一筋縄ではいかない生徒ばかりです」

 

 

 

 教師は大変だな。仕事とはいえ厄介な生徒に放課後振り回されるなんて。

 

 やはり価値などないだろう。一匹狼を飾ったりする奴がいるが他人に甘えている幼稚な子供にしか見えない。

 

 

 

「あの時の上杉君は勉強が苦手だと記憶していますが

 …頑張ってこられたのですね」

 

「そこまで話した覚えはないんだが…

 金髪だったからって決めつけてないか」

 

「いいえ、貴方からちゃんと聞いたものです」

 

「覚えてねえ…」

 

 

 

 京都の観光地を歩き回っていた時に何かボロが出たのだろうか。そんな自己紹介するはずがない。

 

 

 

「ま、まあ昔は頭悪かったが

 今じゃ学年一位よ」

 

「そのようですね」

 

「まあ一位なんてどうだっていいがな

 問題を間違えなければ誰だって一位だ

 他が頭悪いだけって話」

 

「…」

 

 

 

 先生に誤解されたくない。こんなもので満足しているわけじゃない。

 

 競う相手がいない、上限がここまでしかないから燻っているだけだ。世には飛び級の子供だっているだろう、流石にそんな天才には敵わない。

 

 学年一位を連覇していることを褒める奴はいるが、解ける問題を解いただけだ。不可能を可能にしたわけでもない。

 

 やればできることなのだ。誰でもできるとは思っていないがな。

 

 努力できない人間はいる。集中することも、日課を継続させることができない人間はいる。

 

 そんな人間ではない。それだけだ。同じような人と競うことができれば良い刺激になるのだが…2年にはいないようだ。

 

 先生の顔は相変わらず無表情だった。

 

 

 

「上杉君は教師を目指すのでしょうか」

 

「決めてないな

 今でも先生のようになりたいと思っているが…

 とりあえず、それなりに金を稼げる職に就きたい」

 

「そうですか」

 

「学業が全てじゃないが、大学には問題なくいけそうだ

 先生のお陰で俺は変われたんだ

 あのままじゃ、大学どころか高校も危うかったからな」

 

「…ですが

 あの頃に比べて…友達は減っているのではありませんか」

 

「友達って…はっ」

 

 

 

 頭が痛くなる。先生までそんなこと言うのか。

 

 今までによく言われてきたことだ。友達を作れと、もっと社交的になれと。

 

 意義が分からない。社交的ではないと言われているがバイトで特別問題を起こしてはいないはずだ。

 

 接客業をしたことだってある。先輩や上司に指導されたことだってない。公私は区別している。

 

 教師だって同じだろうが。仕事だから生徒に接しているだけで、プライベートで幼稚な生徒と親しくしたいと思うか?

 

 学校は友達を作る場所ではない。なのに先生まで…

 

 

 

「不必要だ

 必要な時はそれなりに合わせているつもりだ

 それで十分だろう」

 

「…

 あの時、私と会ったからそのような考え方になってしまったのでしょうか」

 

「…なあ…先生

 俺が間違ってるって言うのか」

 

「人は、一人では生きていけませんよ」

 

「…それは人間社会の話ですか

 言っただろ、必要な時は合わせるって

 大人になって一人で働いて生活している人間が大勢いるだろ

 それって社会性を訴えているが、現実的じゃねえ」

 

「…上杉君、私の思い込みだとしたら心から謝罪致します

 周りの生徒を下に見ている自覚はありますか?」

 

 

 

 人を見下しているか。疑問を問う先生の目は無機質で冷たかった。

 

 嘘を許さない目だった。偽りと虚勢は見抜かれると思い知らされるようだった。

 

 その目は…煩わしいものだった。

 

 

 

「…成績だけ勝って、視野が狭いって言いたいんだろうな」

 

「さあ、どうでしょう」

 

「もう答えは出てるんだ

 成績じゃなくていいんだぜ

 部活でも、他の事でも、努力して結果を出してる奴を見下すつもりはない

 だけどな、ない奴らが大勢いる

 食堂で俺に文句を言っていた奴らもそうだ

 何もせずに、妬んで口だけの奴らに何の価値もないだろ」

 

「上杉君

 貴方が悪いわけではありませんが、その捉え方は間違っています

 人の価値は、貴方が決め付けていいものではありません

 貴方も、同じような事をされたら納得しないでしょう」

 

「いいや、それなりのものを示せば構わない

 学年一位とかそんなものどうでもいい

 将来性があって、自分にとって誇れるものがあるのならな

 奴らはそれもねえってのに、うるさいだけだ」

 

「…上杉君」

 

 

 

 何も感じないかのような先生の表情が少し曇ったように見えた。

 

 何なんだ。先生は何が言いたい。

 

 間違っていると言うのか。

 

 確かに自分の考えは攻撃的、社会には似つかわしくないかもしれない。

 

 だが、事実そうじゃないか。

 

 助け合いだとか協力とか言って誤魔化しているが、ここは弱肉強食だろう。

 

 何も力も才能もない人間は将来何になれる? 大成することなんてない。運に左右される人生だ。

 

 運が悪ければ死ねというのか。大切な家族がいながら生きる理由が存在してもダメだったじゃないか。あの時散々呪ったんだ。

 

 泣いても誰も助けてくれない。理不尽に嘆いたって不憫に思われるだけだ。自分がそうじゃなくて良かったと見下されるだけだ。

 

 家族の為に努力しようとすれば嘲笑うのが他人だ。不出来を凶弾し自己満足に利用するのが他人だろう!

 

 何で思い遣る必要があるんだ…俺は先生のように優しくない。

 

 

 

「人の価値は、何を身に付けるかで判断するものではありません

 たとえ全く同じような人間に見えても

 その人にはその人の個性があります

 今の貴方は間違っています」

 

「…」

 

「貴方もまた、貴方が見下す人たちと同じ人間なのですよ」

 

「お、なじ…」

 

 

 

 同じって、誰と誰がだ。

 

 俺が、あんな…人の陰口で心から笑うような人間と同じだと言うのか。

 

 先生からそう見えるのか。

 

 ふざけるな。

 

 

 

「何で同じなんだ…

 俺は、俺は結果を残している

 努力した結果を出しているんだ!

 誰だってできることだ、そんなの分かっている!

 だが…できない奴だっているだろ!」

 

 

 

 誰だってできることだ。可能性は誰にだってある。

 

 一人ができることは、誰だって、全員ができる。

 

 誰だってテストで100点を取る潜在能力を持っている。

 

 俺は特別じゃない、天才じゃない。

 

 だが、できないことをせず落ちていく人間とは違う。

 

 できることをできない人間はいる。努力できない人間はいるんだ。

 

 そいつらと同じだと言うのか、あんたは。

 

 

 

「俺は違う…!

 特別なことはしていない

 だけど、俺はできない奴とは違うだろ!

 俺は変わっただろ、先生ッ!

 俺は、必要とされる人間にッ」

 

「…

 ええ、確かにできない人はいます

 貴方は変わったのでしょうね

 貴方の努力は素晴らしく、何も間違ってはいません」

 

「だったら何でだ!?」

 

「貴方は特別ではない人を否定した

 特別ではない人間などいません

 …貴方も、昔の貴方も

 特別な人間です」

 

「…」

 

「結果も大切です

 ですが、過程も大事でしょう

 誰かの為に努力をする人は、その誰かに必要とされるはずです」

 

「必…要…」

 

「それだけでは、ダメですか?」

 

 

 

 必要とされる人間になる。

 

 あの時、先生に言われたものは曖昧なものだと思って…深く考えていなかった。忘れてしまっていた。

 

 思い出した。先生はちゃんと答えてくれていた。

 

 こんな簡単な答えが分からなかったのか。

 

 必要とされる人間になりたかった。

 

 だから頭が良くて、お金持ちで、頼りになる人間になろうとした。家族を支えたかった。

 

 俺は答えを間違っていたのか。自分は大層な人間じゃない。多くを望めば失敗すると思っていた。

 

 だから…捨てられるものは捨てて専念しようとしたんだ。

 

 なのに、答えはあまりにも…単純で優しすぎた。

 

 何なんだ。こんなことでいいのか? 違うだろ。

 

 そんな生易しいものじゃ、他人に利用されるだけだ。

 

 あいつらは、それを嘲笑ったんだぞ。

 

 

 

「もう…遅い…」

 

「…」

 

「…わかった…

 でも…今更、変えられるかよ」

 

「いいえ、変えられます」

 

「間違っていたと…思う

 俺は先生みたいになりたかった…だから

 先生がそう言うのなら…って、それだけしか、わかんねえけど」

 

「…」

 

「だが、俺はまだ目標に達していない

 先生みたいに、器用じゃねえんだ

 他人なんかに…構ってられるかよ」

 

「間違っているのなら正しなさい」

 

「全部が全部、間違っているとは思えねえ

 努力しない人間…いや、昔の俺もそうだ

 今の俺のほうがマシ――」

 

「やめなさい」

 

 

 

 思いっきり頭にゲンコツを食らった。

 

 喋ってる最中はやめろ! 舌を噛むだろうが!

 

 あまりにも痛くて涙目になってしまう。上の学年に鬼教師がいるとか聞いたことがあるか、まさかこの人じゃねえだろうな。まさか女とは思わなかった。

 

 叩いてきた先生を恨めしく思いながら見上げる。相変わらずの無表情。鉄仮面でも被ってるのか。

 

 

 

「…すみません

 子供たちを迎えに行かなくてはいけません」

 

「…」

 

「貴方は人の上に立っていると思っているでしょう

 そのような考えをされているのなら…未熟者だと言わざるをえません」

 

 

 

 話はこれまでと告げるように先生は真横を過ぎていった。

 

 先生が通り過ぎた時、虚しさが襲ってきた。

 

 思えば、自分は何をしにこの人と屋上にやってきたのだ。

 

 再会を祝して? 今のこの状況を見れば冗談でも笑えない。

 

 再会した憧れの人は、自分を認めてくれなかった。殴られた頭より胸が痛む。

 

 先生は一度だけこちらを振り向き、何も言わず去っていった。

 

 静かな屋上でたった一人取り残されてしまった。

 

 他人は消え、一人になった。

 

 

 

「…」

 

 

 

 分かっていたさ。分かっていたんだ。先生に言われるまでもねえ。

 

 自分は変わった。だが…だんだん壊れてしまっていたと思う。

 

 憧れの人を思い出せなくなってしまった頃だろうか。

 

 何か一つでも思い出せるものがあればよかったのかもしれない。

 

 写真でも、あの時先生にお守りを買って貰って…振り返ることができれば違っていたのかもしれない。

 

 顔も、声も、何もかも思い出せない程、埋め尽くされてしまった。

 

 支えがなければ、壊れた足では真っ直ぐ歩けない。遠くて、疲れてしまって、壊れることを望んだのかもしれない。

 

 感覚が薄れていく足でフェンスへ近づき、もたれかかった。がしゃがしゃと鉄が重なり揺れる音が疎ましかった。

 

 胸に穴が開いたように何も考えられない。考えても抜けていってしまう。

 

 何で間違ってしまったんだ。

 

 ただただ、その原因を考えては、虚しく抜けていってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「風太郎どうした!

 何だ、まさか、とうとう虐めを受けちまったのか!

 言え! 言ってみろ! 父さんはおまえの味方だぞ!」

 

「絶対からかってるだろ…」

 

「お、お兄ちゃん虐められてるの?」

 

「ちげえよ、いつもと変わらねえよ」

 

「…お兄ちゃん、今日はご飯いっぱいあるからね」

 

「…本当に大丈夫だ」

 

 

 

 あの後、帰ってからの夕食は親父もらいはも騒がしかった。

 

 先生に否定されたことが思ったよりショックだったようで、あの後のバイトの記憶も抜けてしまっている。

 

 定時で上がったから問題はないと思うが不安である。自分の変わり様に親父が驚いているあたり次の出勤日に何か言われそうだ。

 

 親父が大げさなことを言っているが…妹の前だ。空気が悪くならないように声を上げてくれたのかもしれない。

 

 悪いが…今は感謝も、それに応えるのも難しい。

 

 

 

「お兄ちゃん…」

 

「…安心しろらいは

 こいつはな、小学校で虐められた時はそいつをコテンパンに見返してやったからな」

 

「え…ガリ勉のお兄ちゃんが?」

 

「見返したっつっても喧嘩じゃないぞ?

 勉強して、言い返してやったんだ」

 

「あー、お兄ちゃんならありそう」

 

 

 

 そういえば、そんなこともあったな。

 

 親父は笑って妹に教えているが実際そんな誇れるようなものじゃない。

 

 あの時はその喧嘩した相手が憎くて、必死に勉強したものだ。

 

 思えばあの時から何かおかしかったのかもしれない。

 

 あの時は先生と京都で出会って、勉強に取り組もうと決めた頃だ。

 

 髪を意味もなく金髪に染めていた当時だ。頭は悪いし下手したら前学年の勉強も抜けていた。

 

 それでも決めたからにはやろうと必死に勉強した。

 

 したのだが、できなかったんだ。

 

 結果は芳しくなく、息巻いていた割には悲惨な結果にクラスの頭の良い連中に馬鹿にされたんだ。

 

 一応勉強したんだ。点数は上がったのだが、クラスで一位を取ってやるとか言っていたものだから散々からかわれた。

 

 その中には自分より点数の低い奴らもいた。あの時は子供ながらキレていたと思う。

 

 上からも下からも見下されて。

 

 

 

 

「…馬鹿だよなぁ…」

 

 

 

 ああ、あの時は完全に忘れてしまっていた。何のために勉強するのか。理由が変わってしまっていた。

 

 やってやる。嘗めやがって。引きずり降ろしてやる。蹴落としてやる。俺を馬鹿にした奴らを全員潰してやる。

 

 先生の顔も思い出せなくなっていた。周りがうるさくて先生の声も忘れてしまっていた。

 

 

 

「お兄ちゃんって子供の頃から勉強好きだったんだね…

 それで勝負って何か変な感じ」

 

「…楽しいぞ

 勉強はわかりやすいからな

 諦めず続けることで報われるもんだ」

 

「そうかなぁ…

 昔のお兄ちゃん、あんまり楽しそうじゃなかったと思う」

 

「昔の風太郎か…らいははあまり知らねえもんな」

 

 

 

 何にでも言えることだが、人の差というものは残酷だ。

 

 開いた差が大きければ絶望的だ。埋めるためには何倍もの努力が求められる。

 

 自分が勉強する間、相手もまた同じようにやっているのだ。

 

 同じペースでは足りない。圧倒的に足りない。それを承知で一時間、一分でも差を埋めようと毎日齧りつくしかないのだ。

 

 時間では勝てないのならやり方で勝つしかない。効率よく一日でも得られる物を増やそうと必死だった。

 

 悔しいが追いつくのはまだ先になる。そう思っていたのに。

 

 次のテストでは自分が一位になった。周りは一回だけで偉そうにと言っていたが確かにその通りだ。

 

 だから次も負けないようにとやってきた。なのに呆気ないものだった。

 

 あいつらが追いついたことは一度もなかった。あれだけ言っていたくせに。

 

 つまらなかった。その程度しかできないのか。離れていく一方じゃねえか。

 

 他人と競うのも、向き合うのも疲れてしまったんだと思う。

 

 前に進みたいってのに。いちいち後ろを振り返るはめになって、付き合いきれなかった。

 

 

 

「…親父はどっちが良かったんだ」

 

「あ?」

 

「昔の俺と、今の俺

 友達がいて勉強ができねえ奴と

 友達がいなくて勉強ができる奴」

 

「そりゃあ友達がいて勉強ができる奴だろ」

 

「…」

 

「何でその二つしかないんだ

 これから、それがあるんじゃないのか」

 

「その予定はない」

 

「まあどっちでもいいがな!」

 

 

 

 やっぱり変われそうにない。

 

 先生の言うとおり、俺は他人を見下している。

 

 口だけの奴らを許せそうにない。

 

 今度こそ先生に見限られちまうかもな。

 

 もう会わないようにしよう。再会したこと自体嬉しいんだ。

 

 先生を憎みたくない。そんな恩知らずな人間にはなりたくない。

 

 無理なんだ先生。俺には何よりこの家族が大切だ。

 

 あんな凡人に戻ってしまったら俺は家族を守れる人間になれない。

 

 このまま進む上で、今更あんな奴らを許す気持ちもない。

 

 無理して笑うより、自分を殺すぐらいなら、このまま壊れていたほうが楽なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その…悪かった」

 

「上杉、すまん」

 

 

 

 いつも通り食堂で飯を食べようとしていたところで頭を下げられた。二人の男子生徒だ。

 

 その顔には見覚えがある。昨日…いや、自分のことをよく影からこそこそ悪口を言っていた奴らだ。

 

 頭を下げる二人のせいで食堂の連中に見られまくっている。

 

 気でも狂ったのかと思ってしまう。だが一つ思い当たるものがある。

 

 先生め…余計なことしやがって。

 

 

 

「気にしてねえよ

 知ってんだろ、お前らみたいな奴は山ほどいる

 おまえら二人からどうこう言われたって屁でもねえよ」

 

「…」

 

「もういいだろ、頭を下げてくれただけで十分だ」

 

 

 

 都合の良いことをされても困る。

 

 謝ったところで、やった事実は消えない。過去は変わらない。

 

 喧嘩していたわけではないんだ。おまえらが勝手に話の種にしていただけだろうが。

 

 二人は神妙な顔をして去っていった。許されると思っていたのだろうか。そんな関係じゃないだろう。

 

 …やはり、こう考えてしまっている時点でおかしいのだろうか。

 

 過去は変えられない。他人もまた変えられない。変えられるのは自分だけだ。

 

 

 

「相席、よろしいでしょうか」

 

 

 

 もうその声を忘れることはないだろう。

 

 顔を上げると中野先生が立っていた。トレイにはサンドイッチと野菜ジュースが乗っていた。

 

 昨日と比べると随分とボリュームが減っている。お腹減らないのだろうか。

 

 

 

「いいですよ

 俺はもう行きますし」

 

 

 

 もうこれ以上会わないと決めたんだ。過度な接触はしない。

 

 いつもの食事を胃に詰めて立ち上がった。

 

 先生は何も言わずこちらを見ていた。

 

 見るのはいいが…その目は苦手だ。トレイを返却する最中、みっともなくその視線に怖気づいて何度も振り返ってしまった。

 

 一つだけ確認しておこう。

 

 

 

「さっき謝られたんだが

 先生の差し金か」

 

「注意だけさせていただきました

 人の陰口など誰にとっても耳障りでしょう」

 

「…さあ、この食堂にいる奴らの何割かは…楽しんでるんじゃねえの

 興味ないけど」

 

「…」

 

「…もう関わらないでくれないか

 俺が惨めになるだけだ」

 

「上杉君、辛くはありませんか」

 

「なんだ、あんたに泣きつけってか?

 子供じゃねえんだから」

 

 

 

 やめだ。確認だけしようとしたのに…つい口が動く。

 

 認められないことに不服な証拠だ。先生に構ってほしいような弱い性根がバレてしまいそうだ。馬鹿馬鹿しい。

 

 今度こそ、未練を断とう。

 

 吐き捨てるようにその場を去る。

 

 今この人から得られるものなんてない。他人と同じなんだ。早く忘れてしまえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「上杉君いらっしゃいますか」

 

 

 

 この人も相当意地が悪い。透き通った声が教室に響いた。

 

 先生と再会して1週間程経つ。あれから何かと顔を合わせてしまっていた。

 

 望んでもないのに声をかけてきて話を振ってくるのだ。食堂でも、廊下でも。適当な相槌を打って交わしていた。逃げているわけではない…

 

 だが、まさか教室にまで来るようになるとは思わなかったが。

 

 支度をしてバイトへ向かおうとすると、教室の出口に中野先生がいて180度方向転換した。

 

 3年のクラス担任のはずだ。HRを終えてすぐにこちらに来たのだろうか。自分も早く帰れば良かった。

 

 色々と引き摺っていると行動が遅くなる。すぐさま背中を向けたが先生にはバレてしまったようだ。

 

 クラスメイトに指差され、先生が教室に入ってきた。クラスの全員から見られてしまっている。この人は俺をとことん惨めにさせるな。

 

 先生と向かい合って抵抗ぐらいさせてもらう。

 

 

 

「中野先生、俺この後用事が」

 

「すぐ済みます」

 

「いや、それでも」

 

「なら一緒に帰りましょうか」

 

「わ、わかりましたっ!?

 話を聞きますので、離れて下さいッ

 …何度も、何度も…暇なのか」

 

「失礼ですね」

 

 

 

 今回は逃げられそうにない。あんた3年の教師だろうが。少し自重してほしい。

 

 返答の度に寄ってくる教師が恐ろしい。こんな人に指導されたら頷く他ないだろう。不良生徒が恐れるのも当然だ。この人何したって無表情なのだから。

 

 先生に連れられ教室を出る。バイトはあるが時間にはまだ余裕がある。あるせいでこうして押し切られてしまうのだ。

 

 こちらの都合を配慮して一緒に帰ることになった。目立つのだけは避けたい。誰にも見られたくないものだ。

 

 校門の前で合流することになって、一度別れた。

 

 

 

「説教か…」

 

 

 

 あの後中途半端で別れてしまってから逃げているのだ。絶対言われる。嫌な予感しかしない。

 

 どうやらあの中野先生、3年の間では鬼教師、鉄化面だの恐れられているらしい。学年主任と同じくらい権力がありそうだ。

 

 

 

「3年の生徒に集中すればいいってのに」

 

「おまたせしました」

 

「うおおお!?」

 

「驚かせてしまいましたか」

 

 

 

 だからその無表情はやめてほしい。声をきいて振り返れば真横にいて驚いた。慣れるのに時間がかかりそうだ。

 

 行きましょう、と先生は前を歩く。確か子供がいるんだったか。昨日は迎えとか言っていたし忙しそうだ。

 

 

 

「…何の用があって呼んだんですか」

 

「あの日、私のせいで半端なまま終わってしまいましたから」

 

「…もう答えは出たじゃねえか、流石にしつこいぞ」

 

「…上杉君」

 

「はい」

 

「不貞腐れてる場合ではありません」

 

 

 

 幼稚だと指摘されて言葉が出なくなる。分かっていたが真正面から言われると恥ずかしくなる。

 

 どうしろってんだ。変われというのか。それはあまりにも身勝手だ先生。

 

 

 

「今の俺に価値はないっていうのか」

 

「そうは言っていません」

 

「そうなるじゃねえか

 先生は人の価値を決めつけるなって言ったよな

 改めろってそういう意味じゃないのか

 矛盾してるんだよ」

 

「…」

 

「もう、この話に触れないでくれないか

 あれだけで十分だ…

 …先生まで、憎みたくねえ…」

 

「上杉君…

 …よかったら、話してくれませんか」

 

「…断る

 そんなことしたって意味ないだろ」

 

 

 

 もう暴かないでくれないか。あんたが昔会った子供より、今の俺は酷い人間だ。

 

 他人を見下してばかりだ。優しさなんてない。

 

 しばし沈黙に包まれてしまった。

 

 先生の歩み寄りが煩わしい。優しくても何も解決しないだろう。

 

 先生が俺の手を取った。

 

 次は何だ。そんな投げやりな思考が吹き飛ばされた。

 

 頭にまたゲンコツが…

 

 

 

「あんた、かなり酷いことして――」

 

「あれから何があったのか知りません

 貴方の価値は私もわかりません

 ですが、私は上杉風太郎君は魅力的な人だと知っています

 貴方の優しさはあの時と変わっていません」

 

「何を言ってるんだあんた…人を見下す奴が優しいって」

 

「努力してきたのでしょう」

 

「間違ってたがな…」

 

「…家族を守るためでしょう?

 妹を守るためでしょう?

 忘れてしまいましたか」

 

「そんなわけない」

 

「なら、変わっていません

 貴方はあの時の優しい風太郎君のままです」

 

 

 

 先生は向かい合って、俺の目を真っ直ぐ見て教えてくれた。

 

 何でこの人は、こんなにも真っ直ぐ人と向き合えるんだ。

 

 やはり、自分とは全く異なる人間だ。俺はそんなに人と向き合えるものはない。

 

 先生は俯く自分の手を取ってくれた。

 

 

 

「上杉君

 努力に泥を塗ってはいけません

 家族を思う気持ちを蔑ろにしてはいけません」

 

「…」

 

「…一度で構いません

 一度、きつく握った手を離してみなさい」

 

 

 

 諭されたような思いだった。久しく忘れていた。

 

 なぜか、母親を思い出した。

 

 先生は俺の手を取って待っていた。

 

 握っているわけでもない。力ないこの手を取って待っていた。

 

 手の平を向けた。その手に先生のもう片方の手も添えられた。

 

 

 

「…

 馬鹿、だよな…」

 

「…」

 

「凡人が嫌だからって…

 人を見下して

 …凡人以下だってのによ…」

 

 

 

 手の平を開いて、零れるものはない。

 

 最初からなかった。

 

 そこに守りたいものはなかった。

 

 馬鹿にされて、見下されて。

 

 家族と自分を傷つけられるのが嫌だった。家族を支えたい憧れを壊されたくなかった。

 

 家族を思う気持ちを見失っていたんだ。自分を守ることに精一杯で手放してしまった。

 

 先生はきっと、ここにあると思っていただろうが、なかったんだ。

 

 どこかに落としてしまった。俺に家族を守る資格なんてなかった。

 

 家族の為と豪語しておきながら、その家族を見ていなかった。

 

 見ていたのは自分を蔑む目ばかりだった。

 

 俺は何のために努力をしてきたんだ。

 

 大事なものなのに、何で…落としちまったんだよ。

 

 落とさずに大事に持っていれば、こんな馬鹿なことしていなかったはずだ。

 

 ちゃんと持っていれば、今ここで立ち直れたはずなのに。真っ当な自分に変わろうと決心できたはずだ。

 

 

 

「上杉君

 成功は失敗の先にあります」

 

「先生…」

 

「諦めないで下さい」

 

「…ああ…」

 

 

 

 涙を見せないようにするだけで精一杯だ。

 

 今は他人の温もりが嬉しかった。あれだけ見下したものに縋っている。

 

 一人じゃない。それだけで十分だ。きっと一人じゃ無理だった。

 

 先生がいてくれたから、教えてくれたから、やり直そうと思えたんだ。

 

 

 

 

「ありがとう、ございます…先生…」

 

 

 

 こんなこと思うのはおかしいだろう。

 

 先生に知られたら、怒られるだろうな。

 

 失敗したけれど、初めて報われた気がしたんだ。

 

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