子供の約束とはどこから真に受けていいのだろうか。風太郎は大いに悩んでいた。
戯言と本音。その境界線が分からない風太郎にとって二乃と交わした最後のお別れを受け入れるべきか見極められずにいた。
あれから一週間。中野家の五つ子とは一度も会っていない。後腐れないようにと心がけたはずができていないのだ。土下座もしてない。
風太郎の事を忘れて姉妹で仲睦まじくやっているのならいい。思い浮かぶのは最後に会った日、風太郎に飛びついてきた三玖だ。
お別れの発端となった二乃と喧嘩してなければいいのだが。あの日の二人は仲直りして終わったがどうも衝突しやすい。不安だ。
中野先生が教え子に子供の送迎を頼む訳もなく出会う機会がなかった。中野先生に助け舟を期待しているわけではないが。
結局自分で考え答えを導き出し行動するしかない。考えるのはいいが実質博打に近いものであり。
恩師の娘に対して失礼極まりないと感じて身動きが取れなかったのだった。
「上杉君、今日もやるのかい」
「え?」
「ケーキ作りだよ
上手くなりたいって言ってたじゃないか」
ケーキ作り?そう耳にしてから、やばいと急いで頭を切り替えた。
危うく拭いていた食器を落とすところだった…店長にはバレてないだろうな…
バイト中にまで考えてしまうなんて重症だ。しっかりしなくては。皿を割ったら当然罰金、減給されかねんのだ。
今はケーキ屋でバイト中だ。ピークが過ぎた16時頃、上がり時間も近いことでぼーっとしてしまっていた。
「上がった後なら構わないよ
最近は良い出来栄えのものを作れるようになったし、店で出せるか検討したい」
「マジっすか!?」
店長から珍しくお褒めの言葉を頂けた。最初は厨房の手伝いは当分先だと言われていたから嬉しいものだ。吐き気催す生っぽいタルトが懐かしい。
ケーキ作りの指南は風太郎の自給を上げてもらうためと、あの五つ子に何か作ってやれるかもと考えて頼み込んだ事だ。
妹のらいはも喜ばせようと試みたが、返答は風太郎の熱意に反して冷たかった。
オーブン付きのレンジないし光熱費がもったいないと渋い顔を見せられた。確かに…ブレーカー落ちるかも。
バイトを終えてからもケーキ屋に残り続けた甲斐が現れたところだが、現状五つ子に会える見込みは薄い。
給料を上げることに専念するか。店長に指南を頼んだところでホールのドアベルが鳴った。客が来店したようだ。
終業までしっかり働かなくては。気を改めて対応すると珍しい客に目を見張った。風太郎の気分一新の熱意と反して冷たい視線に射抜かれる。
「中野先生!?」
「六人です」
「あ、はい
いらっしゃい…ませ…」
相変わらずの鉄仮面だ。とても洋菓子を嬉しそうに食べる人ではない。ケーキ屋に来るなんてドラマにあるような待ち合わせの場に使う時ぐらいだろう。かっこいいな。
風太郎が受付の横に置かれたメニュー表を取ろうとすると、そのカウンターに六つの手が現れた。悪目立ちしたリボンとアホ毛も一緒に。
親がいれば当然一緒なわけである。顔を合わせても良いか悩んでいたところなのに…子供は無邪気だ、風太郎の悩みなどお構いなしである。
「ふーたろーくん! げんきにしてた!?」
「うえすぎさんケーキやさんだったんだ!?」
「ケーキ!!」
「危ないからやめなさい」
一花、四葉、五月が飛び跳ねて顔を覗かせていた。おい怒られてるぞいいのか。しかし五月の目が今までにないほど輝いている…いっぱい食べてけよ。
中野先生が注意するが三人は聞いていない。ゲンコツをくらわせるのも可哀想だから早く案内しようとする風太郎にカウンターの通り口から何かがひっついてきた。
「フータロー…ッ!
ふーたろぉ…どこいってたの!」
「三玖…
ああもう、また泣いてるのかおまえ」
飛びついてきたのは目に涙を溜めた三玖だった。側にいたはずの三玖がいなくなったことに中野先生が珍しく驚いている。きょろきょろするだけで顔色は変わってないが。
風太郎のエプロンを引っ張って泣きつかれる。しっかり結んであるが取れるんじゃないかと思うほど三玖に握り締められる。大泣きされる前に膝をつくと我武者羅に首にしがみつかれた。
三玖がしがみつくと子供には不相応なヘッドホンが当たって痛いのだが泣いている子には勝てない。泣きじゃくる子の背中を優しく撫でてやった。
一週間程会わなかっただけで泣いてくれるのか。嬉しい反面不安が的中したようでもう一人の子が心配になった。
「ごめんなさい上杉君、三玖はずっとあなたに会いたがってたので…
三玖、こっちにいらっしゃい」
「ひぐ…や、やだ…
フータローまたどこかいっちゃうもん…!」
「どこも行かねえよ、ほら、もう泣くな
構いませんよ先生、案内します」
店員としてどうかと思うが三玖の手を引いてテーブル席へ案内する。手放したくない怖さがあるのか三玖は慌てて両手で風太郎の指を掴んできた。泣き虫は必死である。
寂しい思いをさせたのなら悪かったが、せっかくケーキを食べにきたんだ。能天気に笑ってほしいものだ。
風太郎の顔を見上げ、窺っていた三玖の泣き顔がふと笑った。なんでだ…クソ、調子が狂う。
中野先生の後ろで居心地悪そうにしている二乃を発見した。不機嫌そうだが元気そうで安心した。
目が合うと慌てて逸らされる。安心はしたがどうしたものか。
「ふっふっふ、てんいんさん、いつもの」
「みかんでも食ってろ」
「ふーたろーくん、あとでわけてあげるね!」
「客から貰ったらクビにされる」
「これとこれと…これがいいです!」
「一人一個までよ」
テーブルにつくとさっそく三人がはしゃぎだした。
普段ケーキ食えないもんな、と中野家の狭い部屋を思い浮かべて感慨深くなるものがあった。今日はらいはにプリンやろう。
二乃は母親と並んで奥に座り風太郎と目を合わせようとしない。風太郎が居続けると家族との会話に混ざれそうになく、終業も近いし早々に退散しておこう。
「では、お決まりになりましたらそちらのボタンで――おい四葉」
「はい! きまってます!」
「決まってない奴がいるだろうが
おい三玖、そろそろ行くから手を離してくれ」
「やだ」
無駄にテンションたけえ。四葉が即効で呼び鈴のボタンを鳴らしたのでチョップをくらわしてやる。母親のゲンコツじゃないことを有難く思え。
テーブルに座っても風太郎のエプロンを掴んで離さない三玖にも困ったものだ。エプロンを取って逃げたら絶対に泣かれるのは分かり切っている。逃げられん…
また会えるから、とは言えないのが情けない。二乃との約束の真偽を確かめようとしているのに、三玖を騙しては元も子もない。
結局三玖を宥める言葉が見つからず中野先生に助けられることになる。申し訳ない。
「上杉君、何があったのかまでは聞かないけれど
またうちに遊びにきなさい」
「先生…」
眉一つ動かさないその顔だと分かりづらいが、気にかけてくれていたのだろうか。まさかそれを伝えるためにわざわざ来てくれたのだろうか。
「…決まったら呼んでください」
「待ちなさい、まだ終わっていません」
「な、なんですか」
恩師の気遣いに風太郎は頭の下がる思いだった。今日はケーキ作りは中止して二乃と話そう、これ以上後回しにしてはいけない。
約束の真偽を問おう。そう決意しこの場を下がろうとすると中野先生から睨まれた。
風太郎の背筋に悪寒が走る。心当たりは二乃の件以外はないのだが…非常に嫌な予感がする。
「こちらのREVIVALというお店でのアルバイト
学校に申請をしていないようですが?」
「…申請ですか…?
…げっ!?」
「今日は上杉君とお話したくお家のほうを訪ねたのですが
妹のらいはちゃんからここに勤めているとお聞きしました」
「いや、そのですね!
一応うちには借金が…」
「…
上杉君」
そういえば中野先生にはバイトの話はしていなかった。する必要もないと思っていたし労働を見せびらかすなんて叱られる元になりかねない。本業は学業だし。
必要とされる手続きをするものだと怒られた。借金という理由があるのなら尚更だと。
その上、無理はしていませんかと心配された。最後に優しさを見せられると…抗議の言葉は出せなかった。
「兄と父に代わり家事を担う妹もいるし、少しでも余裕が持てるよう働くのは当然です」
「…上杉君」
「…な、何ですか…何を言われようと辞めませんよッ
少しでも金を稼がないと――」
「…後ろめたく思っていませんか
家族の為なら、自信を持って然るべきでしょう」
「…」
借金返済の為にアルバイトをすることが当然だと思っていた。それを咎められるとは心外だった。見透かされていたことに視線を逸らすしかなかった。
これは強いられた当然ではなく、思い遣りだと説教をされたんだ。立派な理由があるのならその旨を持って申請すればいい。
申請の件は…当初はしようと思っていたのだが、申請書の労働の理由の欄を書くことになり…やめたのだ。
借金という単語に形容しがたい劣等感があった。後ろめたさはあった…結局そのまま学校に隠してバイトしている。
不手際を咎められているのに、なぜだろうか。
そう多くない言葉の中に真剣さが伝わってくる。厄介な教師だ。怒られているのに妙な気持ちになる。
「…失礼します」
「…」
「…後日書きます
受け取ってくれませんか」
「はい」
本当に客が少ない時間でよかった。決して周りに他人がいないわけではないのだが。他のスタッフが何事かと遠巻きに見ていて恥ずかしい。
教師に怒られ、その子供に労わられ慰められる。風太郎個人に悪評が広まるのは構わないが店に迷惑をかけてしまった。こればかりは先生には手加減してほしかった。
店長に謝らなくては。ケーキ作りの中止の件も話さないといけない。テーブルを後にして店長を探すと野次馬のスタッフの中に紛れていた。
「なるほど、女ッ気がないと思っていたけど君はロリコンだったのか」
「なわけあるか!!」
「いやだってね…ほらあの子」
「は?
ってこら三玖!?」
店長に汚名を着せられ、指指すほうへ風太郎は振り向くと三玖が母親の目を忍んでこっちに来ようとしていた。すぐに母に捕まり連行されてしまった。
怒られた風太郎を心配して追いかけようとしたのだろうか。気持ちはとても嬉しい。でもロリコンではないしそれどころじゃないんだ。
背後から感じるスタッフの冷ややかなで温かい視線に文句を言いたい。なんなんだおまえら働け。
風太郎はしばらくこのケーキ屋でロリコンの疑惑をかけられ続けることになり、店長から残ったケーキを五つ頂けるようになった。あんたがロリコンじゃねえか。
アルバイトを終えた風太郎は中野先生たちが帰る頃を見計らって合流した。たまにテーブルのほうを窺っていたが五つ子は和気藹々とケーキを堪能していて安堵した。
懸念していた二乃も風太郎が離れて強張っていた表情が緩んでいた。五月ほどではなかったがな。あの子の食いしん坊には弱いのか先生の分含めて二つ食べていた。
「先生、これ」
「…
叱った生徒から頂いてしまうというのもおかしな話ですね」
「ただのプリンですよ」
らいはの分と一緒に買った320円のプリンだ。あまりじろじろ見られると恥ずかしいから早く受け取ってほしかった。
ただ先生だけ食べてなかったから、子供たちが変に気を遣うのも嫌だろうと思っただけだ。それだけだ。これまで五月に食われたらそれまでだが。
風太郎が差し出す袋を先生は黙って受け取った。教師と生徒だからって渋られるかと思っていた。
途中まで一緒に帰ることになり中野一家の帰宅風景を後ろから眺める。
母親の両手には五月と四葉が。母を慕う子と手のかかる子だ。ケーキを食べれたことに満足したのか四葉は先ほどからケーキの感想を母親に身体全体で表現している。
それを無表情で聞いている母親は異様な光景にも見えるがもう慣れた。四葉のまた連れて行ってという遠まわしな願望を母親は見抜いている。残念だったな四葉。
母親の後ろで一花と二乃が横に並んで歩く。一花は妹を後ろから見守っていたいのだろう。隣の二乃にも立ち並ぶ店を見ては声をかけている。
一方の二乃はさっきから黙りこくってしまっている。声をかけても気のない返事ばかりで、だんだんと一花が困ったような顔をしてこちらを振り向き見るようになる。誰のせいなのかは理解しているようだな…
隣で手を握って一緒に歩く三玖には悪いが、後でちゃんと一緒にいられるためには二乃との対話は欠かせない。我慢してもらう。
「三玖、交代だ」
「………」
「交代」
「……」
「三玖」
「…
ぅ、わかった」
手を握る力を強めて抵抗すること数秒。むくれた顔を見せて抗議すること数秒。
風太郎の心中を悟ったようで三玖は手を離した。この子も頑固になりつつある。
しかし手を離す三玖の表情は今にも泣き崩れそうだ。店で泣きついてきた顔より一層涙を溜めて嗚咽を堪えている。
「でもフータロー…
…わたしのこと、きらいになった…?」
「…嫌いな奴とは手を繋がんぞ」
「―」
「…え」
正直に伝える恥ずかしさもあって遠まわしな返答で申し訳ないが、なぜ絶望したかのような顔をするのだこの子は。非常に焦る風太郎だった。
会う度いつも手を繋ぐ三玖を嫌っていないと伝えたはずが、三玖は違う捉え方をしたのか。話を聞いていた一花も不思議そうに首をかしげていた。
二乃はため息を吐いて風太郎の足をげしげしと蹴った。いきなり何なんだ。
「それってきらいだから、もうてをつながないってことじゃん」
「はっ!?
違うぞ三玖! おまえとは毎回手を繋いでるじゃないか!」
「もうて、つながないって…」
「今だけだからな! ちょっと二乃に用があってな!
さっきのはな、俺は三玖が…だ、だ…だ、大好きってことだ!
つーか前にも言っただろうが!?」
「ほんとう…?
いつもフータローにめいわくかけてるのに」
「嫌いになるかよ
大好きだぞ三玖、はっはっは…!」
「なにやってんのよばーか」
二乃が教えてくれたから良かった。幼稚園児がそう捉えるのかと三玖の性格を甘くみていた。少し卑屈なところがあるようだ。迷惑をかけている自覚もあるのか。
前を歩く先生にも何事かと振り向かれてこちらを見ていた。本当にすみません。こっちを見ないでもらいたい。
頭をこれでもかと撫でてやって三玖を一花に預ける。一花もよしよしと頭を撫でて三玖の手を握り慰めていた。この子にはいつも世話になっているな。
二乃と話をつける前に風太郎の精神は消耗してしまった。何かと五つ子と相性が悪い風太郎である。友好的な三玖でもこういった問題が起きるのだから疲れる。
「…はなしってなによ」
「前話した最後のことだ」
「…」
真偽を問うと言ったがまだまだ子供の二乃に対して問い詰めるなど大人のすることじゃない。
風太郎にとってそのさじ加減が難しく前回は地雷を踏んだわけだが。
そもそもこの場で話をすること事態間違っているのではないか。見るからに二乃は俯いてしまい歩くペースも遅くなっている。母親からだんだん離れている。
中野先生が振り向いて様子を見ているが大丈夫だと視線を送っておく。果たして何が大丈夫なんだろうか自分でも分からない。俺のほうが子供だなと風太郎の額に汗が滲んできた。
前回の失敗から何も得ていない風太郎には虚勢を張るしかなかった。これで失敗すれば本当に土下座して全て終わりかもしれないぞ。
「…離れてるぞ二乃」
「う、うっさい」
「…あ、待て二乃、信号だ」
「あっ」
タイミング悪く横断歩道の信号が変わり母親たちと別れてしまった。走って渡ったら絶対に怒られるしな。中野先生は二人に気づいて足を止めて待ってくれた。四葉はのんきに手を振っている。
この信号は普段の帰り道のものとは違って待つ時間が長い。少しすると信号待ちで歩行者が集まる。二乃は見慣れない場所で、周りに人が集まりだして戸惑っている。
目を離さないように気を遣っていると、ふと二乃の目が怖がっているように見えた。子供なら親と離れたら当然だ。だんだんと毛嫌いしている風太郎に寄ってくる時点で相当怖いのだろう。
余計なお節介だと怒られ、今ここにいる歩行者から冷たい目で見られるかもしれないが、放っておけるわけがなかった。
さまよう二乃の手を優しく掴み傍に寄らせた。
「掴んでろ」
「…」
「あともうちょっとだな」
「…うえすぎのくせに…」
減らず口が叩けるのなら大丈夫かと思い込んだ風太郎だったが、二乃は両手で手を握ってきた。
風太郎は空いた片方の手で二乃の頭を撫でて傍に寄せた。子供はされるがままくっついてきた。
普段強がっている二乃が一番繊細で臆病なのは知っている。風太郎に対して弱みを見せたくない気持ちも知っている。難儀な子だ。
こういう時は楽しい話をしたほうが気休めになる。
「ケーキどうだった」
「…おいしかったけど」
「そうか、近いうちに俺が作ったケーキが店に並ぶかもしれん
そのうち食いにこいよ」
「うえすぎつくれるの?」
「おう…ケーキなんて似合わねえって言いたそうだな」
「わかってんじゃん、ちょーにあわない」
さっきまで不安そうに強張っていた顔が少し柔らかくなった。手を握る力も弱まって片手で手を繋いでいる。二度目だがやはり嬉しく思ってしまう。
思ったよりも簡単に二乃と会話ができて安心した。遠くから教師の監視の目もあって緊張していたが失敗せずに済んで溜め息が漏れた。
「うえすぎ」
「なんだ」
「…」
「…?
信号変わる、いくぞ」
「うえすぎっ!」
信号が変わり二乃の手を引いたが逆に風太郎が引っ張られた。立ち止まると後ろの歩行者の邪魔になるぞ。子供には分からないのだろう。
振り向くと二乃の顔は真っ赤になっていた。何を言いたいんだこいつは。二乃の後ろで立ち止まった歩行者に頭を下げて二乃の言葉を聞くことにした。
「ケーキつくるの…おしえて……ください…」
バイトのない休日は一日中勉学に没頭できるが今日は午前から忙しなかった。自転車もないのに大荷物を持って町を歩き回るのは疲れるに決まってる。
らいはからも出不精なのに珍しいと褒められた。素直で泣けてくるぜ。素直すぎて中野先生にもバイト先をすんなり教えたんだろう。
「うえすぎおそい!」
「待ち焦がれていたようで嬉しいぜ二乃…」
汗だくの風太郎に対して厳しい一言だ。待たせたといっても五分か十分の範囲なのにご立腹のようだ。遅刻した時点でアウトか。
今日は中野先生とその五つ子が住むアパートにお邪魔している。何度か来ている身だが台所に立つのは初めてだ。
台所前で子供用の踏み台に立って風太郎を睨む二乃だが、怒っているのに可愛さが勝って笑ってしまった。おかげで背が高くなった二乃にひっかかれそうになった。
「今日作るのはプリンな」
「えー!
ショートケーキとかタルトがいい!」
「んなガキのくせに上等なもん早いわ
こういうのはだんだんとレベルアップしていくもんなんだよ」
火を使っていいのか中野先生に許可もらってないしな。先から先生と子供たちは台所で画策する風太郎たちを遠巻きに眺めていた。ただのプリン作りなのにギャラリーが多い。
プリンを作ることは事前に話したが鉄化面の視線で監視されると寒気がするものだ。悪いことはしていないのに。二乃もその視線を感じて怒りを収めた。冷却効果が凄まじいな。
「プリンつっても焼きプリンだ
それにデコレーションは好きにしていい
果物とか生クリームとか買ってきたからよ」
「…それならいい」
市販のプリンミクスじゃなくて牛乳と卵から作るのだから上等だと思っていたが、お子様には物足りないらしい。一応トッピングも買ってよかった。散財が痛い。
プリンを入れる容器は店長から一日だけ借していいと持ってきたものがある。中野家に調理器具が揃っているか分からず借りたほうが無難だった。ケーキ屋がバックにいると有難いものだった。
「四葉もしたいです!」
「プリン!」
「だってよ二乃、いいのか」
「ダメ」
一刀両断である。期待の眼差しを向ける妹二人に母親に似た冷たい視線で返り討ちにした。戦意喪失した二人は母親の下へ撤退した。
「フータロー…きょうはあそばないの?」
「ちょっと三玖!
いまはわたしなの!」
「…
む~!!」
母親に泣きつく二人を眺めていた風太郎の傍にいつの間にか三玖がしがみついていた。前日泣かせてしまった罪悪感から少し優しく抱きしめてやった。
しかし続け様に邪魔者が現れて、二乃は踏み台から降りて三玖を引き剥がそうとする。
風太郎も今日は二乃との約束で来たため三玖を離そうとしたが、思ったより三玖の抗議の声が大きかった。剣呑な空気が露わになっている。三玖は徹底抗戦のようだ。
三玖の反応に二乃はたじろぐが引けないのはお互い様。必死に引き剥がしにかかった。
「うえすぎ!
三玖がじゃま!」
「あー…三玖、今日は二乃と約束してるんだ
後でな、プリンできたら一緒に食おうぜ」
「プリン…
…そんなのいいから、フータローはこっちなの」
「あんたがあっちいくの!」
「なんで二乃がフータローとるの!
けんかしてたくせに!」
「それはもうおわったの!」
「終わったのか!?」
一週間ほど悩んでいたものを木っ端微塵にした二乃の返答に風太郎が驚愕する。本当なのかと二乃に問い質したいがそれどころではないようだ。
姉妹喧嘩を見かねたのか、二人の姉である一花が割り込んできた。
「こら三玖
ふーたろーくんこまってるよ」
「う…一花まで…
一花にはかんけいない」
「きょうはがまんするんだよーってはなしたじゃん
三玖もわかったっていってたよね」
「…」
「四葉」
「三玖、やりすぎるとおかあさんにもおこられるよ!」
「四葉にいわれたくないもん…
!
や、やだっフータロー!
フータロー!!」
三玖は最後まで抵抗したが一花と四葉に連行されていった。
悲痛な叫びから泣き声に変わってしまい、母親が慰めていた。なんか…すみません。
後で甘やかしてやるから許せ。風太郎は不憫に思いつつ機嫌を損ねた二乃に集中することにした。
「わぁ…きれい! できた!」
「ほー、うまくできたじゃねーか
俺が」
「なんでよ! わたしをほめなさいよ!」
どうやらこのプリン作り、最初は嫌そうにしていたが真剣に取り組んでくれたようだ。一つ一つの工程を丁寧にやろうとする二乃から意気込みを感じられた。
牛乳やら砂糖がこぼれて少し台所を汚してしまったが子供にしては上出来だ。子供のくせにそれに気づいて落ち込むのも美点だろう。将来料理上手になるかもしれないな。
焦がす時にムラが出たり、使い慣れないオーブンだと温度調節が面倒だが良い出来栄えだった。二乃を褒めてやりたいがこの絶妙な調節具合に自分自身を褒めてやりたいぜ。
「あとは冷やすだけだ
その間に生クリームとかトッピングの果物切るぞ」
「…」
「なんだよ」
「よそみするなし」
「…」
このプリン作りの最中、風太郎は先ほど泣き叫んで退場した三玖が心配で何度か目で追ってしまった。振り向けば母親の膝の上でこっちを睨む三玖がいる。怖いぞおまえ。
二乃にとっては真面目に取り組んでいるのに肝心の教師役の風太郎が集中していなくて腹が立つのだろう。ご機嫌を取らねば。少し違う角度から切り出してみる。
かしゃかしゃと、汗をかきながらホイッパーで生クリームをかき混ぜている二乃に聞いてみたいことがあった。ボウルは抑えながら風太郎は切り出した。
「随分と真剣じゃないか
なんだ、将来はケーキ屋さんか?
店長になって五つ星の有名レストランとか」
「…
わるい!?」
遠回りをしたら地雷原に突入してしまったようだ。頭が痛くなる風太郎だった。望んでやったことではないのにドンピシャだったようだ。
がしゃがしゃとかき混ぜ方が乱暴になる。頼むから跳ねるからやめてくれ。下の氷水がこぼれて冷てえよ。もうこのぐらいでいいぞ。
「なるほどな、道理で真面目にやってたわけだ
いいんじゃねーの、その年でここまでできりゃあ大したもんだ」
「うるさい!
うえからめせんうざい!」
「ケーキ屋の店員からしたら今のおまえは下っ端よ」
「うえすぎのくせにぃ!」
「まあ、気に食わないなら俺なんか追い越せるぐらい上手くなるんだな
教えられることは教えるぜ」
「…
…ほんと?」
「おう、夢があるなんていいじゃねーか
俺はないからな! 応援してやるぞ二乃」
目標はあるが具体的になりたい職などは決めていない。その点風太郎は子供の二乃に劣っていると言えるかもしれない。子供の戯言となるか将来の武勇伝となるか分からないが。
応援されるとは思ってなかったのだろうか、二乃は怒りを収めて恐る恐る聞いてきた。よほどプリン作りが楽しかったようだ。生クリームも上手くできたし上出来だ。
素直に褒めてやる前に後ろから睨んでいた三玖がここぞとばかりに攻めてきた。
「おみせのひとなら、ことばづかいなおすべき」
「三玖うるさい!」
「くれーむのもと、ほしひとつでかんこどり」
「それはあるな」
「な…なによ
…
…なんですか」
「言い直しても遅いからな」
しかし言葉遣いを直すのなら大歓迎で、三玖からの横槍は二乃に効いたようだった。可愛く言い直したところで最初からダメだがな。
包丁を取り出したところで中野先生が生クリームの出来を見にきた。果物のカットは風太郎がするつもりだったが二乃にやらせると思われたのだろうか。冷や汗が流れる風太郎だった。
果物を切り出した風太郎を見て中野先生は二乃の頭を撫でた。どうやら疑われていたようだった。子供に怪我させるぐらいなら自分が怪我したほうがマシなレベルだ。
「初めてなのによくできましたね二乃
よかったですね」
「ま、ママ…
あ、お、おかあさん!」
「それも言い直さなくていいからな、知ってるし」
「うるさい!」
「…後ろから見ていましたが、まるで兄妹のようでした
二乃も教えてもらえる人がいることに感謝するのですよ」
「は、はーい…」
「…」
「…え、えっと
…
~!」
二乃、悪いが恐らく中野先生はきちんとお礼を言えって言ってるぞ、言ってないが。
風太郎は母親からの無言の訴えに恥ずかしそうにもがく二乃を見て不憫に思った。自分が親にされたら恥ずかしくて死ぬ。
果物を切るといっても桃缶の桃を一口サイズに切るだけですぐに終わった。生クリームにさくらんぼ、みかんなどでごてごてしたプリンになるが子供には豪華で喜ばれるだろう。
「おかあさんまで二乃にみかたするの!」
「三玖も上杉君と兄妹に見える時が沢山ありますよ」
「フータローとなかよくなったの、わたしがさいしょなのに!」
「あれ、そうだっけ?
三玖、さいしょ、うえすぎさんいやがってたような」
「四葉っ しーっ!」
「てつないだのいちばんだよ!」
我慢の限界だったようで三玖が再び風太郎にしがみつく。母親の目の前でこんなことをするような子じゃなかったはずだ。中野先生も驚いている。
確かに手を繋いだのは三玖が初めてだった。だが一番最初に仲良くなったと言われたら一花や四葉、五月となる。風太郎は最初怖がられていたのだから。
しかし実際の順番など癇癪を起こす三玖には関係ないだろう。どうも今日は最初から機嫌が悪い。プリンを後で食べるって話をしても聞いてないようだ。
「三玖、もうこっちは終わったからな
喧嘩はやめろ、後でプリン食おうぜ」
「…プリンなんていい」
「…プリンもダメだったのかおまえ」
「カラメルと混ぜたら食べれる程度です」
「申し訳ないがカラメルはないんで…」
それなら最初から機嫌悪いのも頷けた。三玖がより一層しがみついてくるご立腹具合に溜め息をもらす風太郎。こいつら喧嘩してばかりだな。
「二乃はフータローとっちゃだめ」
「いらないし!」
「とってた」
「ようじがあっただけ!」
「それもだめ
あとからきてずるい」
「あんたもあとからじゃん!
うそつくな!」
「うそついてない!」
「二乃、やめなさい」
「三玖もやめとけ、約束があったって言っただろ」
言い合いから掴み合いになりかけて風太郎と中野先生が止めに入る。ヒートアップする前に距離を置いたほうが良いと考えたが少し遅かった。
お互いに服を掴んで取っ組み合いになっている。引き剥がそうと抱えれば足が出る。面倒臭さが倍増である。奥にいる姉妹三人は母に任せるようで諦観している。賢い。
中野先生は日頃これの相手をしているのかとげんなりする風太郎だった。事の発端は風太郎なのだが勘弁してほしい。
そんなことを考え、足が出て暴れる三玖を降ろすと向かいの二乃の足がテーブルに置いた生クリームのボウルを蹴ってしまった。
「あっ」
「あぶねっ」
三玖に当たりそうになったところで引っ張って避けた。
ボウルを掴むことはできたが三玖を引っ張ることに体が動いていた。
床に落ちて中身の生クリームが台無しになるが三玖が怪我するよりマシだろう。二乃にとっても。
「ていやぁ!」
カーンッ!と台所に甲高い音が響いた。
風太郎の視界が急に真っ暗になるが、瞬時に何が起きたのかはしっかりと見ていた。
落ちるはずのボウルを向かいにいた四葉がなぜか走り出して蹴り上げたのだ。
蹴り上げた後にキャッチするつもりだったのか。風太郎には剛速球をキャッチすることなんて無理だ。
蹴り飛ばしたボウルは風太郎の顔面に直撃。痛みは中身の生クリームの嫌な感触で防いでくれたが、あまりの勢いに仰け反って、後ろの冷蔵庫に当たって甲高い音が響いた。
生クリームが飛び散り風太郎だけでなく、床や冷蔵庫を汚すはめになった。
「…」
「…」
視界を覆うボウルと生クリームを取るとそれぞれ面白い顔をしていた。
顔面蒼白でしがみつく三玖。母親の脇に抱えられている二乃も顔が青い。
一花は風太郎ではなく母親を見て青ざめている。四葉もボウルを蹴った足を上げたまま母親を見て固まっている。
鉄仮面の母親の手が四葉に迫る。顔は無表情なのに怒気のボルテージが上がっていくのが見て分かる。
徐々に迫るプレッシャーに四葉が滝の汗を流して震えている。今にも泣きそうなほどに。
「プリンがー!!」
五月のよく分からない悲痛な叫びを合図に、四葉が逃げ出そうとしたが母親の手が早かった。
二乃を抱えているのに凄まじい速さだ。姉妹喧嘩なんて簡単に制圧できるわけだ。母は強かった。
頭から生クリームを被って汚れてしまった風太郎に中野先生はシャワーを貸した。汚れたのは頭とシャツだけで、上だけ脱いで風呂場を借りた。
災難に合った風太郎だが三玖と二乃の喧嘩の元は風太郎にあって怒りなどは感じていなかった。むしろとばっちりを受けた四葉が不憫だった。罰は受けてもらうがな!
髪を洗っていると背後から気配を感じて振り返る。
「なんだ三玖か、おまえも汚れちまったか?」
「ううん、フータローがたすけてくれたから
…ごめんなさい」
膝に手をついて三玖は頭を下げた。流石に濡れた手で頭を撫でることはできず、言葉で慰めるのは苦手でどうしたものか迷った。
最近になって目立ってきたが三玖は風太郎に甘えすぎなところがある。慕ってくれるのは嬉しいが現実的ではない。
風太郎が毎回三玖に構ってやることはできないし、少し会わなかったぐらいで泣かれては中野先生を困らせてしまう。
甘やかすのは簡単だがそれが三玖の為になるとは思えない。誰だって自立の為に両親や姉妹から離れるものだ。どう声をかけるべきか。
「三玖はやりすぎたってわかってるんだな
ならいい」
「…」
「三玖、俺は他所の人間だ
他人だとはもうこの際言わないがな
でも家族じゃないし、ずっと一緒にいる人間じゃないんだ」
「フータロー…」
「泣くな、お別れじゃねえんだから
おまえが寂しいのは分かってるぞ
前は最後とか言って悪かったな、もうそれはいいみたいだ
怖いことなんてねえよ」
「でも…フータローは二乃といっしょだった」
「二乃も心配だからな
でも三玖と一緒の時は思いっきり遊んでやるぞ
おまえを置いてったりしねーよ」
「…でも、やだよ…」
「ほんと、甘えん坊だなおまえ
後で一緒に食おうぜ、おまえにはいいもん作ってあるんだ」
「?」
「冷蔵庫のプリンの横にあるから一緒に出しとけ」
「?
わかった」
午前中に苦労した甲斐があって良かった。もしかしたらと思って風太郎はケーキ屋の厨房を借りて予備を作っておいたのだ。
よくわかってないようだが、三玖は頷いて脱衣所を出て行った。冷蔵庫を見に行ったようだ。
まだベタつく髪を洗い流し風呂場を出ると脱衣所のドアから顔を覗かせている二乃がいた。
その位置だと三玖と顔を合わせているはずだが、また仲直りできたのだろうか。まさか喧嘩して仲直りしてまた喧嘩してのエンドレスなのか。
「だいじょうぶなの?」
「おまえがしっかり混ぜて柔らかくしたおかげだな」
「はい」
二乃は風太郎の返事を無視してタオルを差し出す。前みたいに風太郎を疎み拒絶することはもうなさそうだった。
プリン作りはハプニングに襲われたが成功したようだ。こうして二乃と話すことができる。
「三玖とは仲悪いのか?」
「は?
なんで」
「俺は毎回おまえらが口喧嘩してるのを見てるんだが」
「…あんたのせいよ」
前より関係が改善されたと思った直後にこれである。薮蛇だったか。
確かに二乃と三玖が喧嘩している時は風太郎が絡んでいる。心当たりがありすぎて笑えなかった。
二乃は風太郎から背を向けてぼそぼそと呟いた。
「わたしがあんたをいじめるから」
「…で?」
「三玖がそれみて、おこったんでしょ」
「悪かったな」
「うえすぎは、なんでうちにくるの」
不満に思われても、幼稚園の子供にそこまで聞かれるとは思っていなかった。
ただ、ふと気になったから。そんな理由で聞いているわけではない。
二乃は家に出入りする部外者の男を問い質そうとしている。まだガキのくせに恐れ入る。同時に中野先生の子供だなと感心もする。
なら正直に話したほうがいいのだろう。しかしこれは中野先生にも教えてないことだ。そこは風太郎にとってどこか癪だった。
「俺は母親いねーんだけどな」
「え?」
「もう死んでるんだよ
だからなんとなく…おまえらが幼稚園で遅くまで先生を待ってる寂しさは分かる」
「さ、さびしくない!
ママはいきてるもん」
「そうだな
俺も寂しいとは思ってない、じゃないと母さん安心できないからな
けどな、やっぱいてほしいと思う時はあるんだよ」
「いてほしいとき?」
「俺と一緒にいる時なんかそう思ってるだろおまえ」
「…うるさい」
「そういう時は思いっきり甘えればいいぜ
母親にな」
「…よけいなおせわ」
「あとは…俺でもいいしな
そのために余計なお世話をしてる」
「…」
「後は秘密だ」
「まだあるの?」
「そりゃそうだ、俺はそんなお人好しじゃねーよ」
どこか悔しそうに睨んでくる二乃に風太郎は不敵に笑った。中野先生にまで言えないことを子供に言えるわけがない。
この話も先生には知られていないことだがサービスだ。そう教えると二乃は押し黙った。絶対に言うなよ。
そろそろ本題に入ろう。風太郎は少し汚れた上着を着て二乃に声をかける。
「で、最後って話どうすんだよ」
「さいご?
…あ」
「おまえ終わったとか言ってたけど」
「…すきにしたらいいじゃん」
「おまえが決めろ
いいか、俺はな
おまえが部外者の俺に怒ったことは良い事だと思ってる」
「え、なんで?」
「他人なんて受け入れて良い事なんてねえ
だからいいんだよ、周りがどうのこうのってのは
三玖や先生は関係ない」
「…
いいことないっていったけど…あるし!」
「ほー?」
二乃は風太郎を睨みつけて、打ち明けた。
徐々にこの子の気持ちを汲み取る術がわかってきた。
この子は一生懸命なだけなんだ。口は悪いけどな。
そんな二乃が、愛らしく見えるのは気が狂ってるとしか思えず、笑ってしまう。
「教えてくれるならいい!」
「…ケーキ作りか?」
「う、うん」
「じゃあ次は何がいいんだ」
「…ぱ、パンケーキ、とか」
「おまえ好きだもんな、いいぞ」
「ほんと?
うそついたらぜっこうだからね!」
「はいよ」
ゆびきりしなさい!と指を掴まれ結ばれた。破ったら本気で針を飲まされそうだ。
この後も二乃とは…何かと怒られたり、機嫌を損ねることはあるだろう。
だがその度に必ず、正面から真摯に受け止め話そう。そう風太郎は心に決めた。それが正解だと思った。
随分と時間はかかったが、ようやくこの子に認められた。そう実感できる瞬間だった。ギブアンドテイクの関係かもしれないが調度良いのかもしれない。
今日一日疲れたが実りのある一日だった。あとはプリン食って帰らせてもらおう。らいはへの土産も忘れずに。
指切りで手を結んだまま二乃と一緒に台所に向かうと、さっきまで二乃とゆったりした空気とは違ったものを感じた。いやさっき感じたぞこれは。
「フータローがくれたのにっ…!
う、うぅ…っ…ひぐ…っ…!」
「すみません上杉君、気を利かせてくれたのに
…まったくこの子たちは」
先生は膝をついて、泣きじゃくる三玖をあやしていた。
慰めるのは立派ですが、その醸し出す怒気は抑えてもらえないだろうか。
おまえは今日何回泣くつもりだ三玖。二乃はまた怒られるのではと思ったのか風太郎の後ろに隠れた。仲直りして早々盾に使うのか。手を両手でがっちり掴まれてしまっている。
よく見ると三玖が大事そうに両手に持つカップは先ほど三玖に伝えたものだ。
三玖用に、午前中にケーキ屋で作ってきた抹茶のムースだ。ちゃんと手作りだ。三玖が悲しまないようにと思って。
それなら食べられることはケーキ屋で抹茶の洋菓子を食べているのを見てわかっていた。
失敗のないように風太郎なりに入念に計画したのだこのプリン作りは。なのになぜ三玖が泣いている。
なぜかそのムースが半分減っているように見える。誰かが食ったんだろうか。
冷蔵庫の前で泣く子を見れば一目瞭然だった。いや泣いているのは二人いるが…予想はつく。困った末っ子だ。
「だってっ
プリン、わたしのプリン…うえぇええええんっ!
ごめんなさいぃいいいい!」
「ひぐ…うぅ…」
生クリームが台無しになって叫んでいた五月が食べてしまったようだ。まさか自分のプリンもダメになったと思って三玖のを食べてしまったのだろうか。
隣で四葉が泣いているのは先ほどボウルを蹴ったせいか。頭を抑えてむせび泣いている。ゲンコツはもらったようだ。
その二人の後ろで頭を抑えて膝をついている一花がいる。まさかおまえもゲンコツをもらったのか。風太郎には予想外だった。
何事かと五つ子の母親に説明を求めると、本人は溜め息をついた。
「冷蔵庫を漁るには背が届かないでしょう?」
「?
椅子とか使って…」
「椅子を使うと時間がかかるし、引き摺った音ですぐに分かります
肩車したほうが早いそうです
できるのは四葉と一花です、そうですね一花」
「…だって、五月ちゃんがなきそうだからぁああっ!
あぁあああああっ!」
どうやら三玖のムースを盗み食いした共犯者がいたようだ。やってくれるじゃないか一花。できるお姉さんのイメージが一気に崩れた風太郎だった。
なんなんだこれは。せっかく作ったプリンだが楽しく頂ける空気ではない。せっかく二乃と仲直りして一段落かと思ったら他の四人は大泣きしてそれどころではなさそうだ。
二乃も戸惑っているようでさっきから手を離さず風太郎を見上げている。
やることなんてもう一つしかないぞ。
「先に食うか」
「う、うん」
果実を盛り付けたプリンを食べる前に、一向に手を離さない二乃に理由を問い詰めると生意気に笑いやがった。
嫌いになった? と笑顔で返されて訳が分からなかったが、それが前に三玖に勘違いされたことだと思い出した。
どうやら意地悪はやめてくれないようだ。
美味しいでしょ?と楽しそうにプリンを掬ってこちらに向ける二乃に、新たな悩みを抱えることを悟った。
味なんて後ろの泣き声が気まずくて分からねえよ。風太郎は子供の我侭に苦笑して返した。