「みんな、おまたせー」
「お姉ちゃん、遅ーい」
「仕方ないですよ、お姉ちゃんは六時間目まであるから…」
「授業多いのはやだな…」
小学校の昇降口に五つ子が集まっていた。
五人共新しいランドセルを背負って姉を待ってくれていた。
小学一年生は五時間目で授業が終わっている。一時間程待ってもらっていたのだ。
慣れるまで一緒に帰ろう。心配性な母親がらいはに頼んだお願いだった。
「お姉ちゃん…」
「なに?」
「…上杉さん、元気ですか?」
「バイトと勉強しかしてないけど、元気だよ!」
「変わってないじゃん」
「そんな簡単にお兄ちゃんは変わらないよー」
子供たちは小学校に入学し、らいはと風太郎は学年が一つ上がった。
新学期。子供たちの環境は新しくなったが他の者は特別変わっていない。
入学してから二週間程経つが、子供たちも少しずつ学校に慣れてきたようだ。
一方で、子供たちの表情は晴れないでいる。特に四葉は入学してから暗い顔をしている。
まだ母親とは話ができていないでいる。そもそも子供たちと母親が接する時間が減ってしまっている。
幼稚園の送り迎えもないのだ。母親が接していた時間をらいはが代わってしまっている形にある。
中野家で食事を一緒にすることが多くなったらいはだったが、部外者がいては顔を合わせても話などできないだろう。
生活を支える一方で、家庭を支えているとは思えなかった。
「お兄ちゃんはズバズバやるんだろうなぁ…
見習ったほうがいいのかな」
「お姉ちゃんがフータロー君みたいになったら…」
「やめて、癒しがなくなるわ…」
「…フータローに会いたいなぁ」
「三玖、迷惑になるからやめてよ?」
「…四葉、最近うるさい」
「う…ほ、本当のことじゃん」
「よ、四葉も三玖も喧嘩しないでください」
「三玖が甘ったれなのは昔からじゃん
四葉がしつこいのよ」
「…甘ったれてない」
「何言ってんのよ、断られたのにフータローと結婚するーとか言って
本当に嫌われるわよ」
「二乃に関係ない」
「本当に嫌われても知らないわよ」
「二乃が喧嘩してどうするのさー」
「…お兄ちゃんだったら一回怒って落ち着くんだよねぇ…
…やっぱり姉として、零奈さんみたいに叩いた方が…」
「…」
優しくて頼りになる姉が徐々に厳しくなっていく。五つ子は揃って渋い顔をした。
少しギクシャクしている五つ子の関係。姉の存在は温かい緩和剤になっていた。
この帰り道、家の中でらいはの存在は大きかった。姉妹喧嘩が絶えずらいはの仲裁が必要だった。
なぜここまでぎこちないものになってしまったのか。
昔からの仲裁役の四葉が問題を起こしているからだった。姉妹に対する言葉が本人の自覚なく失辣なものを含んでいるからだった。
母を泣かした一花。母の大切な物を壊した二乃。風太郎に甘える三玖。母に怒り甘えている五月。
そして、その家族全員に迷惑をかけ、改めようとする四葉。
その心中は認められないもの、認めてもらえないもの、その区別をつけるのに苛まれていた。
「四葉ちゃん」
「な、なに?」
「えいっ」
「わっ
ど、どうしたのお姉ちゃん?
は、恥ずかしいよっ」
俯き、自身の言葉に後悔している四葉はらいはに抱きしめられた。
四葉としては嬉しいようで、やめてほしかった。
姉妹に見られている。恥ずかしさもあるが、甘えてしまっているところを見られるのが嫌だった。
甘えは許されない。姉妹を貶めてまで言ったことを自分で破ってしまっている。
ただ怖いと思っていた。
「お母さんに話さないのかな?」
「…」
「大丈夫だよ、四葉ちゃん」
「…うん」
風太郎から、四葉を看てやってくれと頼まれている。
兄も、父も、全部教えてくれないのに酷い。
それでも任されたことが嬉しかった。でもこの子を助けられそうにない。
話を聞こうと何度も声をかけた。だが母親に話せない事を聞けそうになかった。
「…それとも、もしかして…
テストの成績が悪いの気にしてるのかな?」
「ギクリ」
「うちのお父さんは何も言わないから…よくわからないけど
やっぱり、先生だし、零奈さん厳しいかもね
でも大丈夫だよ、悪いのは五人全員だから!」
「余計に悪いじゃん」
「フータローの凄さ、分かった気がする」
「つまらないんだもん…ねえ、五月ちゃん
お腹減ると集中できないもんね」
「わ、私は集中してますっ!」
授業も始まって少し経つ。小テストがあったのだが結果を見たらいはは苦笑いするしかなかった。
0点とはいかないが30を越えそうなものが少ない。優秀な母親の子の初のテストに期待していたが難しいようだ。
そもそも勉強をしていないんじゃないかと疑ってしまう。授業中は分からないが家では自習に取り組む姿は見たことない。宿題を終えれば終了だ。
帰った後は家事の手伝いをしてくれる子供たちだ。家事の大変さを知る自分には責められない。
「…お母さん、悲しむかな
私達、こんなに馬鹿だったら…先生なのに」
「零奈さん、そういうの気にしないと思うけど
怠けてたら怒るね!私も怒るよ!」
「さ、サボってはないんだけどなー」
「あんた、今日の国語、寝てたじゃん」
「だ、だって…読んでると眠くなるんだもん…
二乃だって話してばっかりじゃん、先生に怒られてたでしょ」
「うぅ…午後の授業はできるのに」
「私は逆にお腹いっぱいで眠くなる
五月だけだよ」
「わ、私は…ちゃんとやってるよ」
「やってもダメって、一番まずいわよ」
「遊んでる人に言われたくありませーん」
「…四葉、最近あんた生意気よ
あんただけよ、こんなリボンしてるの」
「二乃だってしてるくせに
あ、ひっぱらないでぇ、取れる、取れちゃうからっ」
自発的に勉強に取り組むのは難しいようだ。らいはは悩んだ。母親になんと説明しよう。
できれば自分の手で解決したい。教えられるものは教えたいが中野家の家事を手伝っていると難しい。
中野家の家事を終えれば、我が家のこともあるのだ。ここ最近の放課後は充実しているが忙しいものだった。
バイトを二つ掛け持ちして、毎日21時まで働く兄がいる。疲れを見せずに帰っても勉強しているが、心配で仕方なかった。
自分の不出来に子供たちは母親に後ろめたさがある。その擦り付けをしてしまっているが子供たちも軽視しているわけではない。
兼ねてより考えていたものを実行するべきだろうか。それには兄と先生を巻き込んでしまう。
姉なのだから。妹を守る為なら怒られても構わない。私はお姉ちゃんなんだから。
「ね、みんな
お話があるの」
「?」
「このままじゃお母さんをまた不安にさせちゃうもんね
…皆が一緒にやれば、きっと聞いてくれると思うの」
お願いには弱い人だと、昔から知ってる。
毎日忙しくて、新しいバイトも入れている、きっと凄く困らせてしまう。
でもお兄ちゃんは本当に困ったり、悲しんでる時、辛い時いつも助けてくれた。優しい人なんだ。皆よりもっと知ってるんだからね。
子供たちに教えてあげると、それぞれ神妙な顔をしてしまった。迷っちゃうよね。
「大丈夫だよ
でも、その前に…皆はお母さんと仲直りしないとね
もう、五月ちゃん一人のせいじゃないけど
喧嘩してからもう何日経ってるの、一ヶ月は経ってるんだよ
おかしいでしょ」
「ご、ごめんなさい」
「みんな、お母さんが大好きなんでしょ?
喧嘩してる場合じゃないでしょ!
今日、ぜっっったいに、仲直りすること!
いい? お兄ちゃんに嫌われても知らないんだからね! 報告しちゃうからね!」
妹たちの背中を叩いてでも押してあげないといけない。
似顔絵を作ってくれる優しい子なのに。何で上手くいかないのかな。
あの似顔絵。私も、お父さんも、お兄ちゃんも大切にしまってあるんだよ。
お母さんにも作ってあげたんでしょ。あの時の気持ちを思い出せば簡単なはずだよ。
子供たちは揃って俯いて、姉妹の表情を窺っていた。
二乃と三玖は母親と揉めているわけではない。自分たちだけ母親に付くわけにはいかなかった。
残った3人を置いてなどいけない。優しい姉と、目が離せない妹なのだから。
一花と五月は機会を探っているのだろう。風太郎に言われた事を守ろうとしている。
問題なのは四葉。いつの間にかこの子が孤立気味になっていた。
仕方のない妹だ。らいはは可愛くて仕方ない妹と手を繋いで歩く。
困った時助けてくれるのは家族なんだ。
その中でもいつも傍にいてくれて、守ってくれる家族がある。
ちゃんと見ないとダメだよ。手を繋ぐだけでいいんだよ。何も怖いことないんだよ。
そっと握り返す子にただ祈るしかない。助けてくれる人がいることは幸せなんだと早く知ってほしいと、切に願うばかりだった。
「お母さんと仲直りしよ」
もはや温かい家族となった姉がやる事を終えて、去った後のこと。
五つ子は輪になるように集まっていた。
「…あんたがやれば、四葉も五月もやると思ってたんだけど
遅すぎ」
「一花は悪くないよ
…四葉はどうなの
最近、怒ってばっかりだから
嫌いになっちゃったの?」
「お、怒ってなんか…
…五月が怒ってたんでしょ」
「…」
「だから、もうそういうのやめよ?
もうお母さんにも、お姉ちゃんにも迷惑かけられないよ…」
いつもにこやかに笑ってくれるが、そんな人の笑顔も曇らせてしまっている。
もう甘えてなどいられない。
それにこのままでは姉は厳しくなり、会いたいと焦がれる人に報告されてしまう。明白な危機が迫っているのだ。
「…四葉
私達に言いたいこと、あるでしょ」
「え?」
「みんな、気づいてるんだからね
三玖に八つ当たりして…三玖、ずっと我慢してるんだよ」
「そんなことない、怒ってる」
「み、三玖…」
「気にしなくていいよ、四葉
いつものことだよ、二乃もうるさいし」
「…」
三玖の優しさに甘えていると知らないだろう。一花の注意に四葉は慌てだした。
三玖は本当に優しかった。風太郎と離れて不満を募らせていても我慢している。
つい口から漏れてしまうことは許してほしかった。二乃が指摘することなんてなかったんだ。
咎めたのは四葉。三玖も睨むことはあるが、その心は傷ついている。
「言うべきだよ
このままじゃ、お母さんと仲直りしたって、また喧嘩するだけだよ」
今日、家に帰った後にらいはから言われたのだ。
四葉ちゃんを助けてあげて、お姉ちゃん。
きっとお兄ちゃんにも、私にも、お母さんにもできない。お姉ちゃんにしかできないことがあると思う。
ごめんね、と謝っていたんだ。もう大好きなお姉ちゃんを悲しませたくない。
姉として、妹を助けないと。でもお姉ちゃんにできなかったことができるか、自信はなかった。
四葉は唇を引き締めて俯きながら床を睨んでいた。やっぱり怒ってる…
「…皆、私のこと嫌い…でしょ
知ってるんだから
だから、私ね、お兄ちゃんのところ行ったの
私だけ、助けてって、悪い?」
「よ、四葉…何で?」
「何でって、皆が私から離れていったんじゃんっ!
遊んでくれなくなったし、嫌がるし!
嫌われたままなら、お兄ちゃんのとこ行って悪い!?」
「嫌ってなんかないよ」
「何でそう思うのよっ」
「わ、私はね…お兄ちゃん好きだけど…みんなも好きだったんだよ!?
我慢してたのに、皆お兄ちゃんばっかり…私のこと置いてくじゃん!
みんなが離れていったんだよ! 私は悪くないよ!
置いてかれるなら…もう知らないよ…っ」
子供ながら心当たりはあった。遊ぼうと誘ってもつまらなさそうにやめてしまった時があった。
それからずっと、そんな風に思われていたのかと知って、驚き、悲しかった。
いつも優しくて、明るくて、励ましてくれる子を傷つけていた。一度仲直りしても何も解決していなかった。
あの時も四葉は辛くても笑って姉妹を許していたのだろうか。
一花は四葉の傍へ歩み、抱きしめた。
「一花…?」
「…」
「…一、花…
ごめんね……ごめんねぇっ…」
一花は何も言えなかった。風太郎ばかり見ていたのだ。姉として見ていたのは五月ばかりだった。
優しくて頼りになるからって四葉を放ってしまっていた。こんな風に思われていたなんて知らなかった。
許してほしい。でも言えない。ダメなお姉ちゃんにそんな資格ないと思った。
置いてかない、傍にいる。それだけは知ってほしかった。
「み、みんな…
やめてよ」
二乃、三玖、五月も四葉を抱きしめた。
今までごめんなさい。
お姉ちゃんだから、母親と風太郎に認めてもらいたくて子供みたいに遊ぶのを避けたい気持ちがあった。
お菓子作りがしたいから、手を汚したくなくて、それに夢中になってしまって断ってばかりだった。
好きな人がいるから、その人とずっと一緒にいたかった、上手く走れないから嫌がっていた。
母親といたいから、もしかしたらと、そんな怖さを拭いたくて母親と離れたくなかった。
楽しい思い出の中で、一人だけ傷つけてしまった。
笑っているからって考えてあげられなかった。
「私が一番、悪くて…」
酷い事を言ってしまった、謝っても許されない。
姉妹は懺悔など聞いてくれなかった。
抱きしめて、一緒に泣いてくれるだけだった。
いつもそうだ。泣いている時助けてくれるのは皆だった。
誰も来てくれない、見てくれない。
そんな悲しみを隠さずに泣いていたらどうなっていたんだろう。
一花も、二乃も、三玖も、五月も。代わりに泣いてくれるのに。
どうしてこうなっちゃったんだろう。後悔しても、やったことは消えない。
酷いことをしてしまった、悔やんでも許されない。
でも今はここにいたい。
お兄ちゃんは…一人が嫌なら皆を捕まえろって、助けてって言えって、教えてくれたけど。
皆、きてくれたよ…泣かせちゃったけど、助けてくれた
この姉妹と、五人で一緒にいられることが、こんなにも救われるんだと知った四葉は静かに泣き続けた。
「お兄ちゃん、早くしないと学校遅れるよ!」
「あと5分…あと5分だけ復習させてくれ
これを逃したら後がない…」
「もう!遅刻するほうが大変でしょ!」
模試当日。朝かららいはに叩き出されてしまう出発となった。
あれほど苛ませていた約束の4月が過ぎ、次の約束の日となってしまった。
3月をもって子供たちと会う機会はなくなり、ひたすら勉強、バイトの日々だった。
この模試の為に少ない勉強時間で可能な限り尽くしてきたつもりだ。
登校中に単語帳に目を通して記憶を一新させたかったが、やめておいた。疲れてしまって転びそうだ。
少しでも貯金しようとバイトを二つ掛け持ちにしたのはいいが、休みがなく勉強漬けの生活には堪える。
極端なものだ。何かに徹しようとすれば他がおざなりになる。あの時学習したはずなのに忘れてしまったようだ。
「…あいつらも、頑張ってるんだ
結果を出さないとな」
らいはから子供たちのことを聞かされている。
落ち込んでいると聞いた。勉強が著しくないとも聞いた。まだ母親と打ち解けていないと聞いて、話をしに行くべきか迷った。
あれから一月は経っている。先生も何をしているんだ。
心配が尽きなくて、またもや勉強の妨げになっていた。
負けてなどいられない。こんなもの後のものを考えれば軽いものだ。
乗り越えてしまえばいい。重荷ではないと知らしめなければ。
教室に辿り着き、残った時間を試験の準備に費やす。何一つミスは許されない。全て満点で乗り切ってみせる。
約束は言葉にするのは簡単だ。
嘘もまた簡単なものだ。
口にした後にその重みを知ることになる。先生の為にとはいえ、やはり苦しいものだった。
これほど費やしても結果は分からない。これから試される。
成功したとして、得るものは恐ろしく少ない。また次の機会を得るためのものなのだから。
繋いでみせる。他人の目などもう気にしない。くだらないと笑われても構わない。
試験が始まった。
「お疲れ様、ギリギリまで悪いね」
時刻は21時前。自分の就業時間は過ぎ、高校生の労働時間の限界が近かった。
ケーキ屋のバイトが終わり、今日一日も終わった。後は帰って寝てしまおう。
店長から上がりを認めてもらい、早々に更衣室へ向かい着替えてる。
去年はバイトの掛け持ちなど何も苦はなかったが、流石に疲れが抜けていないようだ。
全国模試を終えて数日が経った。
一度休息が必要だと思い、自宅での勉強時間を減らしたが、日中の集中力が落ちてきている。バイトに支障が出ては後が大変だ。
今日大人しく休もうと思っていたところに、らいはからメールが来ていた。予想はつく。
らいはは中野家で夕食を取ったそうだ。それは構わないが、中野家に行って、自宅に帰って食事を作って、また中野家へ行って…俺より大変じゃないか?
すっかり馴染んでやがる。お陰でメール一つで、中野家とまだ繋がりが保たれているように思えてしまう。
バイト先のケーキ屋から出てからの帰り道、メールの返信を打つと電話がかかってきた。
「どうした」
「あ、お兄ちゃん?
もうご飯食べた?」
「まだだけど」
「今から帰るの?」
「今帰ってる最中」
「そっか…わかった、ゆっくり帰ってね」
「?
ああ」
電話を切る。家に夕飯が作ってあるのだろうか。わざわざ電話をかけてくるなんて、少し疑問に思った。
以前はこの遅い時間に妹が外出していれば迎えに行ったが、4月からは先生が迎えに来てくれている。
先生とは学校でも顔を合わせる機会はあるが、挨拶程度のものだ。
子供の迎えに行かなくなれば、必然的に会う機会も話す機会もない。これが本来の日常なんだ。
しかし、模試の結果が出たのだ。近々顔を見せに行かないといけない。
どのタイミングで声をかけるべきか、悩みながらの帰り道は時間がかかってしまった。
鉄仮面のような顔。
仕事場でもないのに姿勢は真っ直ぐで、堅苦しい雰囲気を纏った人は遠目でもよく分かる。
自宅の前に先生が立っていた。しかも親父と話をしていた。
「珍しいな」
「う、上杉君…」
「おう、おかえり
おまえを待ってたそうだぞ」
声をかけることを躊躇ったが、嫌でもそこを通らなければならない。
親父の前だと少し気恥ずかしかった。何を話していたんだか。
「娘がお世話になってばかりだ
良かったらうちにも来てくれよ
子供五人じゃ狭いだろうけどな、ガハハハ!」
「ありがとうございます」
この家じゃ子供が五人も来たら床が抜けるんじゃないか。
ろくなもてなしもできないのに。親父は笑って家へ戻っていった。
二人だけが取り残される。別に会っていなかったわけではないのに、緊張してしまい気まずい。
「上杉君、試験お疲れ様でした」
「前にも聞きましたけど」
「…改めて、と付け加えておいてください
結果が出たでしょう」
「はい」
「…少し、話をしませんか」
このタイミング、らいはが何か教えたのか。ゆっくり帰ってとか言っていたし。
そこまでしなくても明日話せたのに。だが良い機会だ。
家の前で立ち話も落ち着かない。歩きながら話すことにした。ついでにらいはの迎えも済ませよう。
月に一回ぐらいと言ったしな。あいつらに会うのもいいだろう。先生が認めるかは分からないが。
許可を貰おうじゃないか。模試の結果を教えてやるべく用紙を渡した。
「…
一位、おめでとうございます」
「…」
「満点ですか…一位より素晴らしい功績ではありませんか」
結果を見れば分かる。一位は全国に二人いる。満点を取らなければ一位はあり得なかった。
特別性はあっても特別ではない。
あれだけ努力しても、こんな紙一枚の結果しか得られないのだ。複雑だ。
先生から褒めてもらうのは嬉しいが、これは通過点だ。満足はできないし、やはり思ったより達成感はなかった。
「体、大丈夫なんですか」
「…開口一番その話題ですか」
「病人の自覚あるのか」
「…
らいはちゃんのお陰です、あの子には助けられてばかりいます
小学校に入って子供たちは上手くやっていけるが心配していましたが
らいはちゃんが相談に乗ってくれたのです…あの子には感謝してもしきれません」
不安も多かったのだろうが、らいはから聞けば子供たちは楽しんでいると聞いた。
友達もできた。そもそもあいつらが五つ子だ。クラスは別とはいえ有名人になっているようだ。
まだ不安は残っているだろう。それでも支障を来たすようなものはないようだ。
「上杉君はいかがですか
図書室で人気があるそうですが」
「何のことだ」
「夏にも耳にしましたが、下級生に勉強を教えているそうではありませんか
珍しいと思って」
「教えてくれって言われたから、仕方なく教えたんだ
…忘れたわけじゃないだろ、あんたから何度も鉄拳をくらったせいで断れなかったんだからな」
去年、先生と再会し、過ちからやり直そうと決めた後。
この人に認められようと、見直してもらおうとリベンジに燃えていた。
放課後は職員室を訪れて先生の手伝いをしていた。その成り行きで1年生に勉強を教える機会があった。
先生からの頼み事でもあったが、俺が渋ったらこの人、その1年の前で思いっきり鉄拳を振るってきたからな。
嫌々でも教えるはめになったわ。そいつが未だに教えを請うから付き合ってやっているんだ。なぜか教える相手が増えてきてるがな。
「人気者ですね」
「どうでもいい」
「またそう言って…前にも言った事ですが
高校生での出会いは大事ですよ
女子とも親しくなれたでしょう、その出会いを大切にしなさい」
「…意地悪で言っているのか」
やはり全く意識されてないんじゃないか? 流石に虚しくなるわ。
以前もキスの話題を振られたことがある。このギリ20代、男子生徒の純情を弄んでないか。その上迫ったら逃げるんだぞ。無責任な奴だな。振るなら振りやがれ。
振られるのはいいが…勘違いされることに抵抗がある。
「俺には前から好きな人いますんで」
言わせるな恥ずかしい。言わなくてもいいことを言わせないでほしい。結果など分かっている。
二回も断られているんだ。遠くへ追いやろうと、見送ろうとして、断られているんだ。
先生と目を合わせられないでいたが、ヒールの音がこちらに寄ってくるのを教えてくれた。
何だ、と思った時には手を取られていた。
「手、つなぎませんか」
「…頭打ったか
…いや、やっぱり、体調悪いんすか」
「怒りますよ」
「もう怒ってますよね…」
この人、手繋ぐの好きだな。
子ども扱いされてるんじゃないか。自分もまた子供たちと手を繋ぐことは好きだ。好きになってしまった。
手を繋ぐ。それだけで、一人だった人が一人じゃなくなったんだと、教えてくれる。
余計に顔が見れなくなった。
「上杉君」
「…はい」
「上杉君
一つ、一つ、目標を成せば…必ず大成すると信じています」
曖昧な答えだった。
それは、今回の模試のことを言っているのか。それとも見送るための賛辞か。
悩んだ。迷った。どっちだ!?
自分はこんな曖昧な答えを間違ってしまったんだ。京都でその答えを見出せなかったがために偉い失敗をしてしまった。
一つ真意を確認するのに苦労するのだ。憧れの人なんだ。緊張するし下手なことは言いたくない。
「上杉君、以前伝えたいことがあると
話したのを覚えていますか?」
「伝えたいこと?」
先生の伝えたいこと…あの時、屋上で言っていたことだろうか。
正直あの時の先生の言葉を一言一句覚えてなどいない。思い起こそうと振り返るが…それらしいものはなかったような気がする。
「焼き芋です」
「…
あ、あんたな…それで通じると思うなよ」
「分かったでしょう」
「俺にとってはコスモスの日だ」
「ロマンチックですね」
「あんたのせいだろっ」
確か、焼き芋を奢ってもらった時にそんなことを言われた。
あの時は、先生との約束に対してあまりにも悲観的だった。
あの頃から変わらないでいる。あの約束を過ぎてしまったのに、今こうして先生と話している。
つい…先生の手を握ってしまった。先生が握ってきたのかは分からなかった。同時だったと思う。
「ずっと愚かな事を考えていました
このような愚かな考え、一度ですが…みっともなく相談してしまったこともあります
…答えが分かりませんでした
お医者様も、先生も…励ましていただきましたが
私も答えを知りたかった」
「…答え、ですか」
「上杉君が求める答えは見つかりましたか?」
「…あんたが逃げるからまだだな」
「そうですか…でしたら、お先に…」
先生は俺の手を握り、両手で包んだ。
真夜中で、誰もいないからって…この人は臆することなく教えてくれた。
「貴方は子供たちに、良い形で去ると言いましたね。
あの子達を泣かせずに、母親らしく、思い出になれる方法がわからないのです」
「…」
「こんなことを考えているのです
笑ってしまいますか」
冗談でも笑えない。
あんたに、思い出してほしいと言われてから考えていたんだ
泣かずに思い出せるとは到底思えない。
「あんたは立派な母親だ
嘘つきだけどな
俺も親父に嘘をつかれたから…子供の立場として言ってやれる
あんたは立派だ、否定は許さない」
「…はい、貴方のお父様は立派な方ですから…」
親父を理由に使ってしまった。悪い。
でも手伝ってくれ。俺はあんたを見て育ったから分かるんだ。
嘘をついてでも家族を守るあんたは…最高の父親だ。
「先生がこれから…何したって子供たちは泣く
泣かないでほしいなんて、死んだ奴の勝手な言い分だ
置いてかれた奴は…ずっと忘れない
写真でも何でも…残ったものにあんたの面影を重ねて泣いちまう
子供たちを思うなら…笑っていてほしい
子供たちと幸せな思い出を築いてくれ」
「…より…傷つけてしまうと…思います」
「…いつか、笑ってくれる日がくるんだ
…あんたの我侭は、俺が片付けてやる」
何度も言わせるこの人は本当に意地が悪い。
ただ無責任に励ますつもりなんてない。
両手で包んでくれる先生の手に、自分も手を重ねた。
冷たい手だ。こっちは火が出るほど暑苦しいのに。恨めしい。
「先生には…バレてんだろ」
「…物好きですね」
「物好きっつっても…この世にはあんたを好きになった人間が二人はいるんだろ
俺の一位ってのは…特別じゃねえ」
「…」
「そいつと同列でも、それ以下なんてお断りだ
だからもう一つ上に上がりたいんだ
俺はあんたに必要とされる人間になりたい
必ずなってみせる。時間をくれないか」
今はあんたを支えられるだけの人間を目指すのが精一杯だ。
それに至るまでに、まだ時間がかかる。かかってしまうんだ。
先生には辛い思いをさせてしまうのは分かっている。
俺を選んでくれたら…応えてみせる。子供の願望で終わらせない。
努力すればなれると先生は教えてくれたが、足りないことなんて分かっている。
人を救うこと、人に好かれること、恋愛には気持ちだけでは足りないことなんて分かっている。
恋愛なんて…したくなかった。憧れのまま先生を救おうとしたほうが楽だ。
恋愛など愚かなものでしかない。不要なものだ。この人にとっても、自分にとっても。
「…やはり」
「…?」
「手を、繋ぎませんか」
「…」
「こうすると安心しませんか」
手などもう繋いでいる。だから緊張もするし不安になる。
この手を離された時、結果が分かるんだ。
力ない手を、先生は落ちないように支えてくれている。優しく包んでくれている。
「また子供扱いしてないか」
「…ふふ
そのような意味では…」
先生は笑った。何がおかしいのか、クスリと笑った。暗くてよく見えなかった。
「…そうですね」
この顔、また意地の悪いことを考えていそうだ。もう分かってきた。
遊ばないでくれ。こっちは真剣なのに。そうやってはぐらかすのだろうか。
先生は空を見上げる。月が出ている。小さくて、明かりには乏しいそんな月。
先生は月明かりから逃げるように、そちらへ引っ張ってきた。
そのまま腕に手を添えられた。
「死んでもいいわ」
先生はまた笑った。
「…笑ってしまいますか」
冗談です、と言いたいのだろう。先生は笑っていた。
無表情で告げるものとは違うそれに、目を逸らしてしまった。
思い出になる、そう言って離れようとしたこの人の手を、握り返すことしかできなかった。