五等分の園児   作:まんまる小生

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後の後その2 転入生とお金事情

「焼肉定食、焼肉抜きで」

 

「焼肉定食お願いします」

 

 

 

 いつもと変わらない日常。目的の為に着々と一歩を歩むだけの日常の一片を続けていく。

 

 学校の昼休み。4時間近く授業に取り組んだ生徒と教師が昼食を取るべく食堂に集っている。

 

 この食堂での最安値はライス200円。しかしお得な裏メニューを知る風太郎はいつもの品を注文した。

 

 百円玉2枚と引き換えにトレイに並ぶ三つの品。ライスと味噌汁、そしてお新香。いつ見ても質素な食事である。

 

 それを手にお気に入りの席に着くと、向かいの椅子に平然と女子高生が座り込んだ。

 

 …繰り返してきた日常と違うのは、クラスメイトが相席する珍事に見舞われていることだ。

 

 

 

「相変わらずお家大変そうだね、風太郎

 定食400円からいくら安くなるの?」

 

「200円引かれる」

 

「…それ買うならおにぎり握って、お味噌汁買ったほうがコスパ良くない?」

 

「家で作ったら親父と妹に飯代ケチってるのがバレる」

 

「バレたらまずいの?」

 

「…小学生の妹が早起きして弁当を作りかねない」

 

「それは心が悼む」

 

 

 

 悪そびれもせず他人のプライベートに踏み込んでくる無作法者だが、その仕草には自然と愛嬌が垣間見える。

 

 異性に興味を示せない風太郎でも、その女生徒の容姿が男の目を引くことを察している。

 

 

 

「う、上杉君に彼女か…!?」

 

「転校生? 上杉君が案内してるのかな」

 

「学級長だからって昼飯同席かよ、役得じゃねーか」

 

 

 

 こいつ目立つな。いや、俺が陰口叩かれるのは今に始まったことじゃないが…久方ぶりに外野が喧しい。

 

 今日転校してきた女生徒と仲良くなれる程人付き合いが良いわけでも、まして女子から好まれる男ではない。

 

 なぜかと問われれば、答えは至って単純。

 

 幼なじみ。そう彼女が…竹林が口にしたのは今朝のこと。

 

 教室内で堂々と公言したものだから、転校生だけでなく俺までも奇異の目で見られるはめになった。

 

 その結果、朝のHRは非常に面白くない話題に発展した。

 

 

 

「旧知の仲なのでしたら気軽に相談できるでしょう

 竹林さんが困っていたら積極的に助けてあげてください、上杉君」

 

「え…いや、面倒くさ――」

 

「学級長ですし」

 

「そういうのは同じ女子――」

 

「幼なじみのようですし」

 

「あ、あの、先生? もっと合理的な――」

 

「お願いしますね、上杉君」

 

「はい」

 

 

 

 あの鉄仮面の鬼教師は涼しげにのたまっていた。生徒を虐めるなとクレームを叩きつけたい。

 

 恩師と敬う相手であるが、空気を読まず脅迫してくるものだから睨んでやりたかった。鉄仮面には通用しなかったがな。

 

 幼なじみ、と竹林は好意的な表現で例えたが、5年近く顔を合わせていないビミョーな関係でもあるのだ。

 

 そう思っていた。だから気乗りしなかった。

 

 ふと対面のトレイを見ると皿に盛られた肉は箸を付けられてなく。竹林は相変わらずな態度を見せてきた。

 

 

 

「ちゃんと食べないと体調崩すよ

 放課後、転入生の道先案内役を努めてくれるのならお肉を恵んであげましょう」

 

「いらないと言ったら?」

 

「断られたって、中野先生から苦情を入れてもらいます」

 

「…」

 

「さあ、その貧相なお茶碗をよこしなさい」

 

 

 

 何かと上から物を言いたがる癖は存命のようだ。生意気な幼馴染に茶碗をぶん盗られた。

 

 断れば担任からの鉄拳が飛んできそうだ。反抗できず、肉が乗っけられた茶碗を受け取って口に運ぶ。

 

 

 

「うま

 流石200円の肉、タレが米に染みてるぜ…」

 

「あげといてなんだけど…放課後本当にいいの?

 忙しかったらフっていいよ」

 

「何を今更」

 

「風太郎ってクラスの学級長なんでしょ

 忙しい? 部活は? バイトもしてるの? 友達できた?」

 

「謙虚かと思ったら厚かましいな」

 

「…

 風太郎は変わったみたいだね、クラス委員なんて罰ゲームとしか思ってなかったくせに

 …それとも、その学級長は強制だった?」

 

「…いいや

 話は後にしてとっとと食おうぜ」

 

 

 

 風太郎らしくない。幼なじみからの指摘はごもっとも。我ながら図星であった。

 

 高校2年までは帰宅部で、何にも属さずに勉学に費やしてきた。しかし高3の節目から多少変わってきた。

 

 クラスの担任がよく知る女教師に変わり、そして誰も立候補しなかった学級長に俺が手を挙げた。

 

 誰もやりたがらない雑用な訳で、先生が担任でなければ…誰が率先して無駄な労働など引き受けようとするものか。

 

 五人の娘を抱えて働く恩師の負担を、少しでも減らせる絶好のポジションだから率先して立候補しただけだ。

 

 竹林に説明すると余計に疑問を突きつけられそうだから話題を変えてみた。

 

 

 

「俺の事よりも

 竹林、おまえはどうなんだ」

 

「私?」

 

「何でこの時期に転校してきたんだ

 もう3年で、新年度の4月も過ぎている

 間の悪いタイミングだと思ってな」

 

「あー うん…」

 

 

 

 5年ぶりに再会した男子生徒相手にも軽快に声を弾ませていた彼女が、急に歯切れが悪くなる。

 

 話すべきか躊躇している。手を止めた竹林からそんな迷いが窺える。

 

 

 

「話したくなければ言わなくていい」

 

「追々話すよ

 でも良かった、風太郎の言う通り…もう3年生だからさ、私たち

 残りの一年楽しめるか不安だったんだけど…まさか風太郎がいるなんてね」

 

「…」

 

「…放課後、待ってていい?」

 

「待つも何も…隣だろ、席」

 

 

 

 人の顔色を窺ってくる目だった。お節介で恩着せがましいことを言って世話を焼きたがる竹林には珍しく弱気な発言だ。

 

 卒業まで残り1年。入学してからの2年間を共に過ごしてきた知人友人と離れ、新たな学校生活を送ることに不安はあったのだろう。

 

 蜘蛛の糸というわけではないが、竹林にとっては…廃れていた幼なじみの間柄は安心できる居場所だったのかもしれない。

 

 それに、幼なじみって便利だよな。なぜか竹林の席は予定を変更して俺の隣になりやがった。鬼教師の命令には誰一人逆らえなかったのだ。

 

 

 

「手短に案内してやるよ」

 

「うん ありがとう、風太郎

 というかお肉恵んであげたんだから、仕事はしてもらわないとね」

 

「こんな低賃金の仕事、一日で辞めるわ」

 

「じゃあ今日だけお願いしようかな」

 

 

 

 曇っていた竹林の表情が晴れて、生意気そうな態度が息を吹き返したことにげんなりする。

 

 所詮は小学生の馴れ合いの延長線でしかなく。以前から馬鹿やっていると貶していた生徒と同じことをしている。

 

 5年前の京都、自分から距離を置いて疎遠になった友達だ。

 

 再会など想像したことがなく、望んでもいなかった。突然振られた難問に答えを出せないでいる。

 

 悩み、迷い、急かされると…過去に間違えた回答を迂闊にも口走りそうだ。

 

 

 

「…変わってねーな、竹林

 全然雰囲気変わったのにな」

 

「あー それ風太郎が言う?

 金髪から黒髪に戻してたら普通気づかないよ」

 

「ならどうやって気づいたんだ

 直行で俺のとこまで来てビビったし」

 

「今日の占いのラッキカラーはゴールドだったから」

 

「黒、俺の髪、黒色だから

 金色要素ないから」

 

「お金もないもんね」

 

「何一つ上手くないわ」

 

 

 

 昔、気になっていた女の子との再会は。

 

 やや早まっている胸の鼓動は、恋愛などと愚かなものとは全く違う。

 

 拙い子供が見せる虚栄のような気まずさと、不明瞭な違和感が生む焦りが付いて離れず…やはりこいつが苦手だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつになくリッチな昼食を終えた後、竹林と別れて職員室へ向かった。

 

 食堂でそれとなく窺っていたのだが…担任の中野先生が見当たらなかったのだ。

 

 幾つか気にかかる点が思い浮かび、声をかけようと職員室の中を覗き見る。

 

 見慣れた場所には相も変わらず顔色一つ変えない女教師が机に向かって職務に励んでいた。

 

 ファンクラブが数年間存続されている程、美人で人気な人だ。風太郎と同じく窓から視線を向ける男子生徒がいた。

 

 ミーハーな輩と同列になりたくはなく、そのドアを開いて堂々と足を運んだ。

 

 

 

「先生」

 

「上杉君…

 どうしましたか、職員室まで来られて」

 

「幾つか聞きたいことがあります」

 

「? 窺います」

 

 

 

 先生、という固有名詞を損した声かけに、すぐさま反応した中野先生は仕事の手を止めて振り返った。

 

 視線は机の書類に向いていたのに、やはり侮れない教師だ。この人を出し抜いたり、虚言を吐いたら鉄拳制裁が飛んできたものだ。

 

 安易に声をかければ廊下から見ている男子生徒から反感を買いかねない。生徒複数からの視線を知った先生はやや困った顔をした。

 

 プライベートでは身内同士で関わりを持つ仲でも、学校内での雑談など必要最低限なのだ。手短に済ませよう。

 

 

 

「竹林

 あいつが先生のクラスに転入したのは偶然ですか?」

 

「…と、言いますと…何か問題が?」

 

「いえ、何か作為を感じまして…あいつとは小学校以来なんだ」

 

「貴方が幼なじみとの再会に疑いを持つのは分からなくもありませんが…

 私が意図したものではありませんよ、信用ありませんか?」

 

「いえ…そもそも、腑に落ちないことがあって

 3年に進級して…俺が先生のクラスに編入されたのも妙だと思っていました」

 

「…私こそ、君が竹林さんと旧知の仲だったなんて今朝初めて知りました

 愛くるしいといいますか、可愛らしい方ですよね、竹林さん

 珍しく動揺されて、恥ずかしかったのかしら」

 

「なんか疑われてる!?」

 

 

 

 事前に教えてくれ、と先生は机に向き直った。理不尽な咎めの視線を横目で向けながら。

 

 ええい、何で俺が非難される側になるんだ。竹林の話は前置きでしかなく、本題は別にあるんだぞ。

 

 教師の資料を盗み見るのは良くないと察して、先生とは反対側の窓際のほうへ姿勢を変える。

 

 やや刺々しいその眼差しを、同じく訝しむように横目で見やってお返しする。

 

 

 

「第一先生は去年、3年の担任していたじゃないですか

 なら1年のほうに回されるはずじゃ…」

 

「今年で転勤する方がいらっしゃったので、その穴埋めですよ

 …竹林さんにつきましては推薦をいただきました

 他の担任は部活の顧問を担っている方ばかりなので、私が受け持つことになりました」

 

「…また進んで面倒事引き受けたんですか、あんた」

 

「…君に睨まれる謂れはないわ」

 

「俺と目を合わせてから言ってほしいものです

 …今年からはあまり残業しないと思ってたのに」

 

「…来年からは変わってくるわ」

 

「来年ですか、二学期からでも遅いくらいだ」

 

「今年度は忙しいわ」

 

「真面目すぎ」

 

 

 

 疑問を解消するはずが、もっと別の不安が増えてきてしまった。教師って本当にブラックなんだな。

 

 げんなりする風太郎の横で、今年も忙しいと労働を強いられた先生の表情は…なぜかにこやかで、やる気に満ちていた。

 

 

 

「…話は以上です

 仕事中、失礼しました」

 

「はい」

 

 

 

 生徒だけでなく他教師からも厚い信頼を向けられる鬼教師なだけある。弱音など吐かず責務を全うするつもりらしい。

 

 仕事に有意義さを見出している社会人に子供がとやかく言う資格などなく。目的を果たしたことで風太郎は職員室から退室した。

 

 

 

「…」

 

 

 

 疑問は解消はしたが…懸念点が一つ、胸の中で行き場を失って騒いでいた。

 

 先まで机に向かっていた恩師は、再び仕事に取り掛かっている。

 

 背筋を伸ばして、他人の視線があろうとなかろうと…凛々しく、強い女性だと認識させられる。

 

 

 

「ちゃんと飯食べたのか…あの人」

 

 

 

 そんな気遣う言葉を口にすることできなかったのは同情なのか、愚直たるその気持ちを汲む意図があったのか。

 

 他人を心配する言葉を吐けなかったことにもやもやしながら、風太郎は恩師へ背を向けて去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 職員室から教室へ戻れば、ここ最近にはない賑やかさが目に付いた。

 

 他人との関わりには消極的、強いていえば疎ましさすら覚えている風太郎なら喧騒はスルーが安定だった。

 

 しかし、事なかれといったように接触を避けられないのは、狭い空間でコミュニティが形成される学生にはさもありなんだ。

 

 加えて渦中の人が助け舟を寄越せとこちらをチラチラと見ている始末。風太郎は声をかけるか迷った。

 

 

 

「竹林さんってどこ校だったの?」

 

「親睦会とかしない? 放課後空いてる?」

 

「黒薔薇出身って聞いたんだけどホント?

 あそこって合コン来てくれそうな子いる?」

 

「ちょ、そんな話題振るなし

 というか、まず目の前に竹林さんいるのに誘わないとか失礼すぎ」

 

「その前に放課後に親睦会? するんじゃないの」

 

「俺たちも行っていいやつ? それ」

 

「いや合コン会場じゃないから」

 

 

 

 面倒臭そうな集団に絡まれている竹林を哀れに思う…なぜ本人の回答なく親睦会に行く前提で話が進んでいるしよ。

 

 女子だけでなく男子も竹林に声をかけていて、転校生というだけで一躍有名人になってしまった竹林は困惑していた。

 

 つーか、俺の席占領してるし。椅子にも机にも座られてて邪魔くせぇ…

 

 いつもなら割り込んで退かしていただろうが、知人の友達作りの場でもあって迂闊に手を出せそうになかった。

 

 

 

「ね、ねぇ――ぁ」

 

「? どうしたの竹林さん」

 

「う、ううん 何でもない」

 

 

 

 俺が座れないことに竹林は男子に声をかけようとして、竹林が口を開く前に手で静止のジェスチャーを送った。

 

 幼馴染と赤裸々に暴露した後だ。からかわれていらぬ噂を立てられるのは非常に面倒だしマイナス要素でしかなかった。

 

 5限目まで自習できると思ったのに。仕方なく時間を潰そうと教室を出ようとしたところで、誰かとすれ違った。

 

 

 

「おいコラ

 そこ上杉の席だろ、退いてやれよ

 つーか、ちったぁ静かにしろよ、廊下まで響いてたぞ」

 

 

 

 一人の男子生徒の声に、徐々に教室が静まる。

 

 文句を言えないでいたクラスメイトに代わって声をあげたのは、前髪を後ろへすきあげた髪型が特徴的な男だった

 

 名前は前田…だったな。意外な横槍に面食らって足を止めた。

 

 気配ってもらっておいて言いづらいのだが、盛り上がっていた空気に水を差す発言は反感を買いやすい。

 

 

 

「何よ、転入生と友好を深めるのがそんな悪いわけ?

 大事でしょ、こういうの」

 

「今日ぐらい見逃してくれたっていいじゃん、ねー」

 

「前田も竹林さんが気になってんのかー?」

 

「…ちげーよ、馬鹿言ってんじゃねー」

 

「というか今ぐらい空気読みなよ」

 

 

 

 これはまずい。善意で矢面に立ってくれた前田が批判を受け始めた。

 

 柄じゃないとか言っている場合ではない。場を治めようと前田の肩を掴んで後ろに退かせようとした。

 

 

 

「みんなやめよう、ね?」

 

「!」

 

 

 

 その声に集団の目が一斉に向けられる。

 

 また男子生徒が一人、前田と竹林を取り囲む連中の間に入ってきた。爽やかさを余計に振りまきながら。

 

 そいつは大仰に両手を広げて、この事態に心痛めているといった主張を大げさに表現し始めた。

 

 

 

「今日転入してきた竹林さんを温かく迎え入れたい気持ちは素晴らしいよ

 なかなか発言しづらいしね、友達になろうなんて

 皆の気持ちに前田君が水を差したかもしれない」

 

「武田君!」

 

「そうそう、やっぱ武田君は言う事的を射ているぜ」

 

「だからこそ、上杉君を助けようとする前田君の気持ちも見落としちゃいけない、ね?

 彼は友達思いの優しい心を持っているんだ」

 

「あ? いや、んなもんじゃねーし」

 

「どちらもクラスメイトを思い遣って生まれた衝突だ

 これ以上悲しいことなんて…あるかい?」

 

「た、武田君…そ、そうだよね…

 というか…普通にうるさかったよね」

 

「隣の奴の席に座ってたし…わ、悪かった」

 

 

 

 何だおまえら、前田の発言にはやたら噛み付いていたくせに手の平返しやがって。これには前田も気に食わない様子だった。

 

 星が煌めく瞳で観衆は乱入者の武田を仰ぎ見ている。彼は注目を浴びることに慣れているようで、観衆の声を堂々と集めていた。

 

 その背景を前に前田が困惑した顔をして俺を見やる。こっち見るな、俺だって圧倒されるわ。

 

 過大評価が過ぎるというか、美化が酷いというか。頭が痛くなったが問題解決になったらしい。

 

 先程の人の集まりが一本の道筋を作っている。

 

 俺にあの席まで歩み、座れと強制する空気でしかない。正直気色悪い。

 

 

 

「悪かったね、上杉君、前田君も」

 

「おまえが謝ることか?」

 

「君の貴重な時間を割いてしまった、詫びるには十分な理由さ」

 

「…

 前田、さっきはすまん」

 

「お、おう…いや、おまえが謝ることかよ」

 

「我慢すれば良かっただけだしな」

 

 

 

 喧嘩にならず穏やかな流れになっていたはずが、風太郎の最後の一言に再び静まってしまった。

 

 余計な一言ではあったが、意図して向けた発言だった。

 

 逆に当事者が俺でなかったら、気弱で主張できない人間だったら、その誰かが割を食っていた。

 

 しかし風太郎が退いたのには別の理由があったからだ。竹林に友達ができるのは良いことだ。

 

 その目的が果たされないのでは困る。風太郎はらしくない二の句を繋げた。

 

 

 

「…竹林は小学校では学級委員をやっていたな」

 

「え?」

 

「真面目で面倒見の良い奴だが、仕切りたがりな性分が玉に瑕なんだ

 今日の昼休みなんか、俺がいなかったらこの一年不安に押し潰されてたって泣きついてきたし」

 

「そこまで言ってないからね!」

 

「仲良くしてやってくれるのなら、今日ぐらい構わないさ

 授業前には座らせてくれ」

 

「こらこら、どっちが仕切りたがりだー 私のお母さんか!

 風太郎もこっち来なよ」

 

 

 

 風太郎の意図を察した竹林が乗ってくれた。お陰で多少は張り詰めそうになった空気が緩やかになった。

 

 竹林からの誘いは手を振ってお断りした。その輪には加わる気はない。それなら勉強したいのが本音だ。

 

 前田と武田には気を遣っておいてもらって悪いが、教室から出ることにした。前田の奴は竹林に声をかえられて輪に引きこまれていったようだ。

 

 

 

「やれやれ」

 

「そういえば…学年一位って…」

 

「あ、武田君よりも上なんだっけ、試験の順位」

 

「武田よりもすげえってやべーな、学級長」

 

 

 

 背中に視線が突き刺さる…結局目立ってるじゃねえか。

 

 それは背後だけでなく前からも。喧騒から離れた教室のドアの近くで、女子生徒が立っていた。

 

 

 

「…何だ?」

 

「ううん、お気の毒にと思ってね」

 

「あ?」

 

「嫌味じゃないよ

 過程を見ず結果だけに賞賛を向けられるのは気分良くないでしょ?」

 

「…」

 

「努力は賞賛されるべきだ、正当にね

 さらに、周りが無神経に邪魔していいものじゃない」

 

 

 

 誰だこいつ。と思ったら、確か陸上部の部長だったか。

 

 名前は江場、か。まだ夏でもないのに少し日焼けした肌にポニーテールが目立つ女生徒だった。

 

 昼休みなのにジャージを着ていて、胸元に名前が記されていた。まさか昼も走ってたのか、陸上部。

 

 大会で成績が振るわないと聞いている。が、しかし…図書室の窓から覗く光景に、こいつが走っている姿をよく見かけた。 

 

 江場が言いたいことは風太郎にも頷けるものだった。しかし。

 

 

 

「他人に評価されるための過程なんぞ、誰も見やしないだろ」

 

「…」

 

 

 

 一度失敗した身としては、その言葉に奢ってはいられないと知っている。

 

 言葉遊びがしたいわけでもなく、適当に返してクラスメイト共から背を向ける。

 

 廊下に出て振り返る。開いたドアからその様子を最後に一目見る。

 

 竹林を取り囲む人だかりは減らず。武田が加わったことで諦観していた生徒までも加わったようだ。

 

 

 

「あいつ…」

 

 

 

 武田のような他人の善意に頼るやり方も、コロコロと意見を変える輩も…嫌いだ。

 

 答えが明確にない人間はよく分からない。そんな連中にも魅入られる武田はよほどの人格者なのだろう。

 

 手法は違えど、根本的な考えは中野先生に似ているのかもしれない。

 

 理解はしていても…きっと、酷く冷めた目で見ていたと思う。

 

 

 

「…」

 

 

 

 失敗した。風太郎は踵を返す。

 

 こちらの視線に気づいて…一瞬だけでも顔を強張らせて、脅えた目を隠す彼女から背けた。

 

 昔、孤立した人間に声をかけてくれた子と似ていた。

 

 その言葉は胸の中に残っている。

 

 

 

「風太郎、一緒に帰るよ」

 

 

 

 陰口だろうと、虐めだろうと。

 

 そんなもの平気だから、頼ってほしいと…笑って手を差し出してくれた女の子がいた。

 

 

 

「ふ、風太郎…?」

 

 

 

 その手を振り払った時と…同じような顔をしていた。

 

 やはり再会などしなければ良かったんだ。不必要でしかない。

 

 俺は俺のやりたいようにやる。

 

 それ以外眼中にねえ。目的の為なら不要な物は捨てる。

 

 友達を思い遣れないのが、今も昔も変わらない…風太郎の短所だった。

 

 そして、結局は。

 

 放課後の竹林の案内は新しく出来た友達がすることになった。

 

 言葉だけの関係にしかない俺は一早く帰らせてもらった。浅ましくも肩の荷が下りた思いで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「学校楽しくない…」

 

「奇遇だな、俺も楽しくなくなってきた

 たまにおまえらの能天気な顔を拝みたくなるぜ」

 

「ほんとに!? わ、私もフータローと会いたかった」

 

「顔を見たいとは言ったがくっつきたいとは言ってない

 いや三玖、座ってくれ、勉強しろ、寄るな」

 

「もう一緒にいようよ

 泊まってって

 ずっと」

 

「俺が泊まったとしても学校が楽しくは…入学早々不登校になる気か

 ちょ、こっち来るな、倒れ――あいたっ」

 

「! チャンス」

 

 

 

 同じ悩みを抱えたネガティブな小学生が取り憑かんばかりにしがみついてきた。

 

 会いたかったと聞いて喜ばせてしまった三玖にくっつかれて、突っ伏したちゃぶ台から転げ落とされた。

 

 何がチャンスだ。仰向けに倒れた俺に三玖が両手を伸ばして飛びついてきた。スライディングして首元にしがみつかれる。

 

 幼稚園の頃より幾分も大きくなった三玖を引き剥がそうと転んだりもがいたり。端から見ればでかい猫が喧嘩しているようなもの。

 

 この日は報酬のない家庭教師をするべく五つ子の家に招かれていた。生徒の学校の宿題を先に済ませてから授業を始めるつもりでいた。

 

 ちゃんと監視してやらないとサボる子供たちは、俺と三玖が遊んでいることを好機に手を止めて雑談を始めてしまった。

 

 

 

「うーん、フータロー君も三玖も地味だもんね…もっと自分から攻めなきゃ」

 

「…人気者の一花には私とフータローの辛さは分からない」

 

「上杉君に会いたいってずっと言ってましたもん、三玖」

 

「三玖もお外で遊べば絶対に楽しいよ

 鬼ごっことか、サッカーとか」

 

「あんた分かって誘ってるの?

 体育で嫌な思いしてるから学校楽しくないんでしょうが」

 

 

 

 小学生になったというのに、三玖は幼稚園児の頃と同じように甘えん坊に戻り始めた。ストレス抱えてるのか、こいつ。

 

 仕方なく適当に髪を撫でて鎮めてやると、三玖は胸の中で脱力して大人しくなった。段々と大きく、重たくなってきても小心者から脱せないようだ。

 

 五人の生徒がいるってのに先生を独り占めできてご満悦のようだった。あのね、あのね、と無邪気に学校での話を聞かせてくれた。

 

 ふと、インターホンが鳴り響く。

 

 そしてドア越しに聞こえた声に五つ子たちは顔を見合わせて微笑み、急ぎ玄関へ向かった。

 

 

 

「お邪魔しまーす」

 

「らいはお姉ちゃん!」

 

「いらっしゃいお姉ちゃん!」

 

 

 

 親が不在の中野家への来客は、上杉家の娘のらいはだった。

 

 中野家と上杉家は家族くるみで仲の良い関係にあり、妹の来訪に五人は揃って手厚く歓迎してくれた。

 

 らいはにとって可愛らしい妹分の襲来に…なぜか姉貴分は身を翻して悲鳴を上げた。

 

 

 

「うわー! 今はお鍋持ってるからダメー!」

 

「おなべ?」

 

「いや、なんで鍋…」

 

「あ、お兄ちゃん来てたんだ

 うんとね、零奈さんに教わった肉じゃが、昨日作ったの」

 

「作ってたな、そういえば」

 

「会心の出来だから、零奈さんに感想聞くんだ

 というわけで、今夜のお夕飯は肉じゃがだー!」

 

「まさか家から持って来たのか、両手に持って、ここまで」

 

「うん、ものすっごく奇異の目で見られて帰りかけたけど…頑張った!」

 

「素直に帰って良かったんだぞ…

 せめてご近所限定でやってくれ」

 

「わーい お鍋いっぱいの肉じゃがです!」

 

 

 

 小学校から下校し一度帰宅したようで、らいははランドセルは持参していなかった。

 

 代わりに両手に抱えた鍋が一つ。おかずのお裾分けでタッパーに入れるような話は聞くが、鍋ごと持って来たようだ。

 

 上杉家から中野家まで数十分かけて。健気と言えば美談になるが、外で見かけたら変質者にしか見えん。

 

 されど、頭痛がする兄の横で五つ子は大喜び。腹を空かせた仔猫のようにキッチンに置かれた鍋に集合していた。

 

 

 

「お姉ちゃんのご飯ってお母さんのと味が違うんだけど…

 良いよね、上手く言葉にできないんだけどさ

 ママの料理も覚えたいけど、らいはお姉ちゃんの料理も知りたいわ」

 

「二乃ちゃん…うん、いつでも教えるよ!

 ってこらこら、五月ちゃん蓋開けちゃダメだって」

 

「お、おいしそうでつい…ごめんなさい」

 

「仕方ないなー い、一杯だけなら…」

 

「いいの!? ありがとうございますっ!」

 

「らいは

 俺はこの前肉まん一つ奢ったら先生に叱られた」

 

「五月ちゃん、そこから離れよっか」

 

「え!? さっき食べていいって…

 う、上杉君!! 酷いです! 肉じゃがぁ…っ!」

 

「はいはい、宿題再開だ」

 

 

 

 勉強から脇道に逸れようとしている五月たちをちゃぶ台の前まで誘導する。間食して宿題やり忘れたら二倍怒られるぞ。

 

 五月だけは意固地に踏ん張るものだから、ずるずると背を押して台所から撤退させた。涙目で腰にしがみついてきたが容赦なく座らせる。

 

 らいはが来たことで淡々と質素な空気があった中野家が、活気と共に色味が付いた気がする。

 

 夕食が楽しみというだけで、貧乏な家庭にとってその日の幸福の度合いが違う。先まで気落ちしていた三玖も前向きに宿題に取り組んでいた。

 

 

 

「…お兄ちゃん、ちょっといい?」

 

「ん?」

 

「ちょっと、ここだとあれだから…」

 

 

 

 洗面所を借りて手を洗い終えたらいはに手招きされ、居間でノートに張り付いている五つ子から一旦離れる。

 

 洗面所を通り過ぎて風呂場へ。なぜ風呂場に。

 

 他人の家の風呂場に躊躇なく足を踏み入れる上杉家の常識が狂ってきたようにも思えて、深く考えないようにした。

 

 

 

「怒られたのってほんと?」

 

「あ?

 あ、ああ…五月の腹が泣いてたからつい奢っちまってな」

 

「そっか…うーん…」

 

「…どうした?」

 

「その…他所のお家の人が言うのも失礼なんだけどさ

 五人が小学生になって、ランドセルとか勉強道具とか、体操服とかスクール水着とか

 学校に通うお洋服とか…給食とか…お金かかるじゃん?」

 

「…

 やはり金銭面辛いのか、中野家」

 

「だと思う…

 零奈さんから直接聞いたわけじゃないけど」

 

「聞けるわけないよな、そもそも」

 

 

 

 らいはの表情は、口にするのも恐れ多いと言った…貶したくなくても、そう聞き取れてしまうことに苦悶するものだった。

 

 いくら懸命に働こうと、どれほど立派な目的を持って働こうと、他人が慮っても、厳しい現実には非力だ。

 

 娘にかける出費の額も馬鹿にならない、五人もいては。器用にやりくりして無事に入学できはしたが、反動が大きいのだろう。

 

 

 

「最近、少しずつお夕飯にかけられるお金が減ってきてる気がして

 幸い子供たちは気づいてないかな…まだ小学生だし」

 

「おまえも小学生だろうが、6年生

 …俺たちが金を出すことに過敏になってるんだな、あの人

 おまえが持ってきた肉じゃが、返品されるぞ」

 

「え"

 あ、あれ持って往復はしたくないよっ!? 絶対食べてもらうからね!

 でも、零奈さんド真面目だもんね…たまに文句言いたくなる」

 

「砕けすぎ」

 

「お兄ちゃんも大概じゃん…

 零奈さん、もっと私を頼ってほしいのに

 というかお夕飯奢って貰ってるし…皆のあの目を見ると断れないし」

 

「明らか迷惑かけてるな、金銭的に」

 

「だ、だからお返しに…」

 

 

 

 その為の肉じゃがか。まだ小学6年生の妹は、他人の家庭事情を自分なりに考えていたようだ。

 

 謝礼の贈り物というわけか。わざわざ家からここまで持ち運んだ理由が、少しでも先生の助けになることを思ってのことか。

 

 だとすると、また一つ先生からお叱りを受けることになりそうだ。

 

 状況確認したところで重苦しい問題に打つ手はなく。風呂場での会議を終えて居間に戻る。

 

 戻った直後、俺とらいはは揃って顔を顰めることに。一度目を離した台所では事件が勃発していた。

 

 

 

「五月ちゃん! 肉じゃがは零奈さん帰ってきてからでしょ!」

 

「あ、バレちゃったね五月ちゃん 逃げずに怒られてくるように」

 

「一花が盗み食いしちゃえって言ったんですよっ!?

 や、やぁー! ごめんなさいぃ!」

 

「謝っても許しませーん! 四葉ちゃん捕まえて!」

 

「はいっ しゅたたたー!」

 

「ねえお姉ちゃん、肉じゃがはいいけど他のおかずは何作るの?」

 

「え? うーんとね、和食だから焼き魚と冷奴かな」

 

「へぇ…こういうのってやっぱり…お金かからなくて済む?」

 

「うん? 二乃ちゃん?」

 

「な、何でもないの

 私お魚切りたい、いい?」

 

「切り身だし、切らなくて大丈夫だよー」

 

 

 

 コンロの前に椅子を置いて肉じゃがを強奪しようとした五月が四葉に追い掛け回される。自業自得だ。

 

 悪魔の囁きで五月を誘導した一花も宿題に取り組んでいるフリをしてこっそり逃げていた。後で五月から泣きつかれても知らんぞ。

 

 子守と夕食作りは妹にバトンタッチして、途中までの宿題の経過を見ようとしたところで…三玖の不在に気づいた。

 

 三玖は部屋の隅っこで座り込んで、ランドセルを漁っているようだった。

 

 教材でも探しているのだろうかと思って背後から見下ろすと、手に持っていたのはそんな無機物ではなかった。

 

 

 

「…パン?」

 

「うん、今日の給食の」

 

 

 

 袋に包まれたそれは懐かしさがあった。学生なら子供の頃に体験し、口にしただろう。

 

 三玖が手に持っているのはミルクパンだ。

 

 

 

「後で食べる為に持ち帰ったのか」

 

「ううん…お母さんにあげる」

 

「?」

 

「お母さん、夜ご飯あんまり食べないから」

 

 

 

 振り向いて風太郎を見上げる三玖は悲しんでいるわけではなく、やや淡白な声音だった。

 

 三玖は感情表現が他の五つ子よりも乏しい。一部例外はあれど。淡々と呟く姿は一見、暗い子だと見えがちだ。

 

 しかし母にあげるといったそのパンを、大事に、誰にも取られないように胸に抱えている。

 

 それと一緒に三玖が心の内に抱く、子供が親にしてあげたい気持ちは貧乏人には嫌でも分かってしまう。

 

 

 

「パン、美味しいからお母さんにも食べてほしい」

 

「…三玖、給食ちゃんと食べたか?

 おまえが食べなかったら、今度はおまえがお腹減るんじゃないか?」

 

「大丈夫」

 

「三玖、授業中何度もお腹鳴ってたんだよ」

 

「…一花」

 

「お腹叩いたって減るもんは減るのよ、見てらんないから絶対にやめなさい」

 

「…二乃、うるさい

 いいもん、あげるんだもん」

 

「…」

 

 

 

 同じ教室に通う一花と二乃は事の経緯を知っていたようで、姉に告げ口された三玖は打って変わって不機嫌になった。

 

 お腹が空いていたのは間違いないようで、お腹が鳴っては叩いて黙らせようとしたらしい。

 

 …数日前は腹が泣いていた五月に肉まんを奢ってやった。今日に至っては肉じゃがに手を出そうとした末っ子はとても気まずそうにしていた。

 

 一花と二乃、四葉と五月が助けを求めるように風太郎へ視線を送る。四人はこの優しさがどのような結果を招くか薄々察しているのだろう。

 

 母親は良い顔しない。食べてほしいと切に願う三玖はそれを予期していないのか。それとも考えないようにしているのか。

 

 風太郎は三玖に手を差し出す。

 

 …三玖は静かに、胸に抱えていたパンを手渡した。

 

 

 

「三玖、おまえの優しさは先生も嬉しく思うだろうな」

 

「…」

 

「だが…そうだな」

 

 

 

 難しいよな。自分が我慢すればいい。それだけの簡単な話なのに。

 

 ちゃんと飯を食えなど、余計なお世話だと突っぱねたい。食べる時は食べる、倒れる程自己管理ができない人間だと見くびらないでほしい。

 

 それでも、他人は憐れみを込めてお世話を焼くのだ。

 

 咎められると予知した三玖は唇をきつく結んで俯いていく。

 

 子供が何かしてあげたいという衝動から、無我夢中で考え導き出した答えだ。正解か過ちか教えるのが年長者の役目だ。

 

 

 

「三玖、もしお母さんがおまえ達の為にお昼ご飯を食べていなかったらどう思う?」

 

「え? だ、ダメだよ、ご飯は食べないと」

 

「そうだ、心配に思うよな

 それと同じなんだ

 お母さんも三玖が給食をちゃんと食べていなかったら心配する」

 

「…」

 

「お腹空かせて帰ってきて、自分の為にパンを我慢していたと知ったら

 嬉しいが…三玖にはちゃんと食べて、帰ってきてほしいと思うはずだ」

 

 

 

 想像すれば上手くいきそうにないことが分かったのだろう。三玖は風太郎の言葉から逃げるように姿勢を逸らした。

 

 理解はできても、譲れない思いがあるのだろう。

 

 風太郎を慕ってくれているはずの三玖は素直に頷いてはくれなかった。

 

 この姿を見て風太郎は苦笑する。恐らく、あの人に真正面から文句を言えばこんな顔をされる。 

 

 

 

「ダメ…かな」

 

「駄目ではない…が

 まあ…半分こなら良いかもな」

 

「半分こ?」

 

「ああ、それならあの遠慮がちなお母さんでも、喜んで食べてくれるだろうさ」

 

「…」

 

 

 

 これが間違いではないと教えられ、三玖は恐る恐る見つめてくる。

 

 風太郎は預かったパンを三玖に返す。

 

 戻ってきたパンを三玖は大事に、潰れないように抱えた。

 

 俯いている三玖の頭を撫でる。三玖だけでなく、これから五つ子たちは似たような悩みを抱えていくはずだ。

 

 その時、心を苛ませることがないように。見上げる三玖に俺は笑って応える。

 

 

 

「三玖」

 

「?」

 

「親を支えたい気持ちは大切だ

 今が駄目でも、できる日が必ず来る

 恩返しは必ずできる、不安に思うことはないぜ」

 

「…うん、わかった」

 

「悪かったな、水を差して

 パンをあげたらおまえをもっと好きになるだろうさ、先生は」

 

「…

 …あ、ありがとね…フータロー」

 

「おう」

 

 

 

 母から好かれるとからかわれた三玖は恥ずかしそうにしながらも、最後にはお礼を言ってくれた。

 

 心の中で小さな綻びが生まれていただろう三玖は立ち上がり、宿題するから横で見てて、と引っ張ってきた。

 

 三玖を止める術が思いつかなかっただろう他の四人も安堵してくれたようで宿題に向き直ってくれた。

 

 夕飯作りに励む二乃を覗いてノートに集中している五つ子だが、五月だけは…三玖のノートの横に置かれたパンに意識が逸れていた。

 

 

 

「…」

 

「…

 ダメ」

 

「た、食べませんよっ!」

 

「五月、ちょっと離れて、隣来ちゃダメ」

 

「ぅ…ぅう…わーん!!

 お兄ちゃんッ!」

 

「これは三玖が悪い」

 

「フータロー…だって五月食べちゃうもん、盗み食いのプロ」

 

 

 

 らいはだけでなく三玖からも駄目出しを食らった末っ子は半泣きになり、ちゃぶ台を走り回って泣きついてきた。

 

 食が絡むと涙腺が緩むのか。元から泣き虫だったが、五月にとって空腹はやはり耐えがたいものなのだろう。流石に不憫に思う。

 

 

 

「…お腹空くのは仕方ないよな、晩飯は肉じゃがいっぱい食べれるから我慢してくれ」

 

「ぐすっ…今食べちゃダメなの…?」

 

「懲りてないな」

 

「だってぇ…!」

 

「前はフータローと私がお菓子作ってたから、そのせいでしょ

 だからお菓子作りもう一回しましょ、いいでしょ?」

 

「二乃、それは終わりって前に言っただろ

 今は家庭教師の先生だ」

 

「か、家庭科の先生とか」

 

「そんな家庭教師いねー

 つか、らいはがそれだろ、料理教えてもらってるじゃねーか」

 

「…もっと教えてほしいことあるのに」

 

 

 

 涙目で駄々をこねる五月に続いて二乃までも我侭を。台所でらいはと並びながら不満を口にしてきた。

 

 お菓子作りは去年始めたもので、二乃がいたく気に入った趣味になっている。

 

 手間と金かかるのが難点で一度取り止めになっている。さらに家庭教師を兼業しながらでは厳しい。

 

 長期戦を覚悟して突っぱねたのだが…二乃の返事はしおらしく、あっさりと身を退いていった。

 

 教えられることは大体教えたはずなのだが…二乃なら既に一人でパンケーキやゼリーぐらい作れるのだ。それ以上の物はこの家の家電では難しい。

 

 もし仮にワンランク上のお菓子を作りたいのなら、少なくとも新しいオーブンが欲しいところで…やはり金がかかる。

 

 

 

「…ままならねーな」

 

 

 

 金があれば、そんな願望を昔は何度もぼやいていた。諦めていた欲望が疼いている。

 

 恩師に負担をかけたくない。子供たちに不自由をさせたくない。他人には手助けできることが少なすぎる。

 

 大金を持つ男だったら援助ぐらいできただろう。

 

 まだ学生で、成功していない俺には叶わない未来像だ。

 

 …援助と考えて、過ぎったものに嫌悪感が沸いた。

 

 あの人は美人で、男が寄ってこないわけがない。

 

 少ない労働で金が稼げるのなら、子供を守れるのならあの人は…

 

 

 

「…上杉さん?」

 

「…なんでもねー

 できたのか、四葉」

 

「は、はいっ」

 

「フータロー君、私もー」

 

「フータロー…ちょっと待って」

 

 

 

 家庭教師を担ってはいるが、まだ小学生が相手だ。わざわざ家庭教師を招いて見てやるほど重要なものではない。

 

 やはり無力感が否めない。これは学級長の仕事でも同じこと…先生と関わる時間を取り戻せても、あの4月の約束から何一つ変わっていないのだ。

 

 こいつらに何ができるのだろうか。あの人に求められるには…父親の代わりを担えるには…

 

 そんな欲求不満を押し殺しながら、風太郎は差し出された子供たちのノートを手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 家庭教師の時間を終えて、面倒を看てくれた風太郎とらいはが帰った後のこと。

 

 五つ子たちは仕事から帰ってきた母親との夕食を堪能し、いつも通りの日常を過ごしていた。

 

 まだ幼稚園を卒園して月日が浅い子供にとって、母親の不在を埋めてくれる上杉家の存在は大きかった。

 

 意地悪でも面倒見の良いお兄ちゃん。優しくて笑顔で見守ってくれるお姉ちゃん。その存在が心の隙間を埋めている。

 

 至って腰の低い母親は二人に頭を下げて感謝したが、その二人は夕食の準備を済ませると後腐れなく帰ってしまった。

 

 また来ます。その言葉に五つ子は笑って見送った後、五人揃って入浴していた。

 

 

 

「お姉ちゃんの肉じゃが美味しかったです」

 

「お母さんもいっぱい食べてて良かったね

 でも三玖のパンもあったし、半分こでもお腹いっぱいだったかな?」

 

「あんたが渡すの遅いのよ、ママがご飯盛っちゃった後じゃ遅すぎるわ」

 

「う、うるさい…いいでしょ、美味しいって食べてくれたんだから」

 

「あはは、らいはお姉ちゃんがお母さんにいっぱい盛ってたもんね

 お皿にいっぱいにしてさ、その後すぐ帰っちゃって」

 

「それはお母さんだけじゃなくて、皆の分もだったけどね」

 

 

 

 五つの和気藹々とした声が風呂場に反響する。

 

 小学生五人が入るには狭く、湯船に浸かる子とシャワーを浴びる子で入れ替わり、慌しくもゆったりと寛いでいた。

 

 

 

「…うーん」

 

「? どうしたの一花? お腹壊しちゃった?」

 

「らいはお姉ちゃんに失礼ね! 壊すわけないでしょ

 一花がおかしいのは珍しくないし」

 

「本当のお姉ちゃんに酷すぎるよ!

 そうじゃなくて! フータロー君が三玖に言ってたでしょ

 あれってホントなんじゃないかな…」

 

「フータロー…?」

 

 

 

 湯船に浸かる四葉は一花の唸る声に率直な反応を示す。見たままの感想に髪を洗っていた二乃が憤慨してしまった。

 

 子供の甲高い声が響いて五月と三玖は揃って耳を手で閉じて喧騒が止むのを待つ。

 

 そんな二人に一花は苦笑し、声のトーンを下げて…居間にいる母親に聞こえない程度に声を忍ばせた。

 

 

 

「…お母さん、お仕事でもご飯減らしてるのかな」

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

 

 

 しん…と四人は押し黙る。シャワーの音だけが静寂を誤魔化してくれていた。

 

 口を閉ざしたのは、後ろめたさから。母親の生活の異変に気づき始めた五つ子は心を苛ませていた。

 

 

 

「お母さんがご飯我慢してたらって言ってたじゃん

 それになんかさ…らいはお姉ちゃんとフータロー君も知ってるよね

 お母さんが最近ご飯食べてないの」

 

「お姉ちゃんは絶対に気づいてます

 今日だってたぶんその為に…お母さんを心配してくれてるんですよ

 お兄ちゃんも…知ってたから、肉まん奢ってくれたのかな…」

 

「…お金足りないんだ…

 でもフータローは、パンあげるのは褒めてくれなかった

 いっぱい食べてほしいのに…」

 

「お手伝いだけじゃお母さん楽できないのかな

 五人でお母さんを手伝うって約束したのに、これだけじゃ足りないんだよ」

 

「これ以上ってどうすればいいのよ…私たち働けないし…

 そもそもこれ以上のことだって、ママ絶対に嫌がるじゃん

 お手伝いするだけでどんだけ時間かかったんだし」

 

「…お母さん教えてくれないもんね、困っててもさ」

 

 

 

 浴槽の塀に五人が指を揃えて会議を開く。お題は切っても切れない家庭の問題。

 

 母親を少しでも助けたいと思う気持ちは強くても、その術を知らない小学生は迷い悩むしかなかった。

 

 そしてそれは母親に対してだけでなく、蚊帳の外に置こうとする風太郎とらいはに対してもまた、不甲斐なさを実感させられる。

 

 

 

「私たちが子供だから教えてくれないのかな、お兄ちゃんもお姉ちゃんも」

 

 

 

 早く大人になりたい。愚痴でもなく五つ子の切実な願いだった。

 

 既にシャワーのお湯は切っている。節約が見に染みている子供達は不要な浪費を避ける知恵を得ていた。

 

 そんな静寂にまたシャワーの音が響く。

 

 湯船から腕を伸ばしてお湯を出したのは一花だった。小さな声ならこの音でかき消せるから。

 

 

 

「それならさ…教えてくれないのなら調べちゃえばいいじゃん」

 

「調べるって…? 探偵? 上杉さんと一緒にお薬探したみたいにっ?」

 

「…一花また悪巧みしてる」

 

「いいじゃない賛成賛成、何もしないよりかはマシかも」

 

「え、えぇ…何するんですか? お兄ちゃんにも怒られちゃいますよ」

 

「大丈夫、バレなきゃ大丈夫

 えっとね…学校が終わったらね――」

 

 

 

 一花の提案に四者四様の顔をする妹たち。次女と四女が乗り気だともう止められるわけがなく、末っ子は渋々ついて行くしかなく。

 

 ただ黙って泣き寝入りする程利口ではない五つ子は、長女を筆頭に一つ画策する。

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