五等分の園児   作:まんまる小生

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後の後その4 原基の怪我

 女子陸上部のマネージャーを始めて数日、女子しかいないアウトドア活動は全く慣れる気配がない。

 

 自分自身、異性との経験がなく…該当しても十歳も年下か、年上かの極めて両極端なものだ。該当者が全員中野家っていう。

 

 …竹林は例外だ。あいつとは物理的な距離が近いが、気を遣う方が馬鹿馬鹿しい相手である。除外だ除外。

 

 中野先生への飛び火を避けるべく出願したマネージャー業務では、部員とはある程度距離を置いて接していた。

 

 風太郎にとって仲良し小良しで青春謳歌など陳腐でしかない。

 

 部員との関係改善は必須だが、情で相手の気を引くやり方は風太郎が好むはずがなく。

 

 やるのなら当然正面から。インドア派の能無しガリ勉などと陰口叩かれようが黙々と実力を示してやるのみ。

 

 

 

「2分、1、2、3…!」

 

 

 

 マネージャーの仕事は部員が大会に専念し、ポテンシャルを発揮できる環境を作ること。

 

 目立ちたくなくても、仕事をするのなら普段張らない声も大きく上がってしまう。

 

 長距離を走る部員にラップタイムを告げる。1秒のタイムを削るべく一心不乱に走る生徒は見ていて飽きなかった。

 

 

 

「田中、自己ベスト更新だ」

 

「え、ほんとですか?

 えっと、計り間違ってたりしませんか…?」

 

「その時はクビにしてくれ、それとも自信ないのか?」

 

「そういうわけじゃ…」

 

「日に日にタイムは詰まってたぞ

 良かったじゃねえか、努力の賜物ってわけだ、おめでとう」

 

「あ、ありがとうございます…

 そ、それじゃ…失礼します…」

 

 

 

 部員の記録や目標を把握しておくのも管理業務の一環だった。成果を告知することも。

 

 …だが、やはり警戒心から朗報すらギクシャクしてしまっている。1年生の部員は早々に走り去ってしまった。

 

 遠くではその子が同じ部員から励ましの言葉を向けられていた。努力した報いが訪れて喜ぶ姿は少し微笑ましかった。

 

 

 

「脚立…?

 何に使うの、そんなもの…

 …はっ…まさか…盗撮――」

 

「違う! おいこら、おまえら退くんじゃねえ! これから撮るからそこに並んでろ!」

 

「堂々と公言しても盗撮に変わりないよ?

 部長権限だ、君、もう帰っていいよ」

 

「説明ぐらいさせてくれ…

 ごほん、ハードルや高跳びなんて種目は姿勢が物を言う

 特に1年は整っていない連中ばかりだ

 だからこのビデオ撮影で動画に残し、後で鑑賞会を設けて修正すればいい

 これなら多忙な顧問にも見てもらえるぜ」

 

「…なるほど、一理ある

 だけど…大会まで一月も残されていない今、わざわざ取り入れるものじゃ…

 鑑賞会なんてする時間も…」

 

「ほざけ、大会で3年も2年も忙しいのは分かるが

 1年が置いてけぼりくらってるじゃねえか、あいつらも先輩に気を利かせて何も言わねえし

 ハードルや高跳び辞めるか考えるって子もいるんだ、死活問題だぞ」

 

「…」

 

「こっちでやっておくから、おまえは走って来いよ

 ほら一年共、後で先生と先輩方が見るからな

 学科試験と同じく、真面目にやりなさい」

 

 

 

 俺に専門知識はない。大会までの短期間で浅知恵を披露しても力にはなれない。そこで動画撮影だ。

 

 わざわざ何度も走ってもらわずに有識者からアドバイスを貰うことができる。どこでも取り入られる簡単な方法だ。

 

 男の俺が撮影など見栄えは頗る悪いが、他の部からスマホ用の脚立を借りて動画を撮った。後で顧問に送信して感想を貰えばいい。

 

 これを機に…と言えば調子の良い話だが、1年生から相談を受ける機会が増えた。

 

 なにせ…部長に睨まれながらも言い返している輩は、風太郎ぐらいだった。

 

 顧問もマネージャーもいない、2年と3年は大会間近で部活動が不安定になりピリピリしている。とばっちりを受ける後輩が不憫に思えた。

 

 

 

「なにこれ、おいしいっ ゼリー?」

 

「おいおまえ! 部外者が食ってんじゃねえ!

 何の用だ竹林!」

 

「不憫な幼馴染みの様子を見に

 というか、こんなに美味しいのに食べてもらえないなんて

 風太郎はよほど人望がないんだろうね…教室から眺める度に泣きそうになってたよ」

 

「冷房効いてる教室で涼みながら傍観かよ、趣味悪」

 

「いやいや、中野先生がね?」

 

「………」

 

「…何で私が睨まれなくちゃいけないのかな…?」

 

「つまみ食いしてるからだろうが」

 

「絶対それだけじゃないでしょ…仕方ない、私が月下氷人となってあげよう」

 

 

 

 俺が持参した品を貪って、竹林は部員の下へ向かっていった。試食コーナーの従業員か、おまえは。

 

 顧問から直接電話で打診があった。全部員の飲み物を用意してやってほしい、特に水分補給に気を配ってほしいと。

 

 夏に突入する手前、まだ熱中症や脱水症状の危険に冒されるか判断しかねる気温は、屋外で活動する部員には危うい境界線だ。

 

 飲み物とは別に、かつてのマネージャーたちは部員の為にレモンのハチミツ漬けを作っていたらしい。

 

 部員にも好評で、当然俺も作るはめに…放課後だけでなく朝まで時間取られて不服である。過去のマネージャーに作り方も教わって手間がかかった。

 

 面倒くさいことこの上なく。さらに手がベタベタするのも難点だった。だから一つ手を加えた。

 

 レモンのハチミツ寒天。一口サイズにカットしてあるので、爪楊枝で刺して食べれるぞ。

 

 日頃汗水垂らして泥臭い思いをしている部員に、煌びやかなケーキ屋の知識を振舞ってやろうじゃねえか、はっはっは。

 

 と、ほくそ笑んでいたら、俺の不人気から食べる女子はおらず。結局竹林の手を借りなければならなかった。

 

 

 

「元気そうで何よりだよ、風太郎」

 

「学級長の仕事、任せて悪いな」

 

「元より一人でやれる仕事なので、キリッ」

 

「うざ、突然息巻いても反応に困るんだけど」

 

「それ当時の私の反応

 しかしまぁ…あれだね

 江場さんは相変わらずというか…凄いね」

 

「…おまえは運動部に所属したことがあるのか?」

 

「ない、私も風太郎と同じ帰宅部

 だから運動部の大変さとかは分からないんだけど

 …正直、江場さんのはやりすぎかな」

 

「かもな」

 

 

 

 竹林と並んでグラウンドのほうへ視線を向ける。そこには他の部員からも注目を浴びる光景が。

 

 

 

「そんな甘い考えじゃ大会2連覇はできないよ」

 

「す、すみません…!」

 

「いい? あなたはこの2年を走るためだけに費やしてきたの

 最後のラストスパートで手を抜く余裕なんてないんだよ

 何も不安がらなくていいよ

 大丈夫、これまで努力してきた自分を信じて」

 

「で、でも…土日もってことは…大会までもう…毎日ってことですよね?」

 

「それが? 私も他の皆も走るよ? 去年の私たちもやったよ」

 

「…」

 

「君だけ休んでもらうのは困るんだ

 この調子じゃ成果を見せてくれるとも思えないし」

 

「れ、レギュラーから落とされる…のでしょうか?」

 

「それもあなた次第

 というか…何で今になってそんな泣き言を言うのかな

 あなたはこの2年、私たちについてきてくれたのに」

 

「…」

 

 

 

 確かあの子は…長距離で3走目を走るんだったか。アンカーは江場で、バトンを渡す子が後輩であるあの子ってわけか。

 

 …で、何を揉めているんだ部長は。グラウンドのど真ん中で後輩に尋問している。もちろん、周りからガン見されている。

 

 部長の江場はどうでもいいが、なじられている子にとって公開処刑でしかないだろう。そんなもの部室でやればいい。

 

 

 

「…ねえ風太郎、陸上部ってあまり強くないって聞いたんだけど」

 

「その認識で合っている

 だが一部、あの子が参加する競技は好成績を残している」

 

「へえ…エースなんだ、凄いんだね

 江場ちゃんが期待するのも当然だよ」

 

「…」

 

「…

 いくの? 風太郎」

 

「マネージャーだからな」

 

「頑張れ、風太郎」

 

「はぁ…あいつと揉めるのには慣れた」

 

「お、嫌々でも案外かっこいいじゃん」

 

「何だそれ」

 

 

 

 恐怖政治とまではいかないが、運動部にはよくある光景だろう。

 

 学年の序列の重みが大きく感じられる、逆らうどころか意見すら述べられない。

 

 江場を止められるのは同じ3年ぐらいなものだが、期待できそうな部員はおらず。

 

 さらに中野先生に牙を向いた江場の厄介さは折り紙付き。面倒なことこの上なし。

 

 もはや陸上部は江場の独壇場だ。新参者ならへこたれて見て見ぬ振りをしていたいところだ。

 

 先生の前に出たあの時と同じように。江場と向かい合い、顔を俯かせる2年の子を下がらせた。

 

 

 

「部長、時間の無駄だ」

 

「…また君か」

 

「直江…だったか」

 

「は、はい」

 

「まだ今日のメニュー終わってないだろ

 部長の言う通り大会まで時間がないんだ、走ってこい」

 

「…でも、私…次の土日は」

 

「…

 直江さん、行って

 私は彼に用があるから」

 

「は、はい…」

 

 

 

 江場の奴、滅茶苦茶睨んできてる。何度繰り返すのか、この揉め事は。

 

 おまえに口出しする権利はマネージャーになったことで得た。こちらの業務に関わる以上、とことん言わせてもらう。

 

 好奇の視線の的になる趣味はなく、俺と江場は部室に移動した。これが体育館裏だったら顔を殴られる覚悟をしていた。

 

 

 

「君は所詮部外者、それも目指す分野が違いすぎる

 君が大会に対する意識が低いのは薄々分かっていたよ」

 

「そんな奴をマネージャーに就かせたまま放置しているのがおまえだぞ

 いいのか、先生への抗議は」

 

「…最低限の仕事はしてくれているようだからね」

 

「…この仲介も、マネージャーの仕事だろ

 顧問の不在で目立ってるんだ

 問題が起きれば部活動の停止、大会も出場できないぞ」

 

「必要な処置だった」

 

「あいつ、何て言ってたんだ」

 

「…確認すらしないで割り込んできたの?

 はっ もしかして君

 女の子が落ち込んでいる光景を見ただけで、考えなしで助けに来たの? ヒーローのつもり?

 はは、甘っちょろい世界で生きてきたものだね、君」

 

「…」

 

「泣いたからって未来は変わりはしないし、助けなど求めてないんだよ、私たちは

 トレーニングは辛いよ、投げ出したくなる時もある

 それでも目標まで突き進むだけさ、泣いて挫けようと強くなって足掻く

 君には理解できない、ストイックな世界なんだよ、競争の世界はッ」

 

「馬鹿かおまえ

 泣いている奴につらつらと小言述べている無意味さに呆れたんだ

 最年長者らしく、アドバイスでもしてくれるのかと期待した俺が馬鹿だった」

 

「…」

 

「…

 大方、私用の為休みたいってとこだろ

 いいじゃねえか、エースだからって倒れるまで走らせる気か?

 それとも、大会でボロ負けした時の免罪符がいなくなると困るか?」

 

「なに…?」

 

「あの子、あの調子じゃ負けるぞ

 ろくに走れなくなる、日に日に調子が崩れているようだからな」

 

「だったら猶更、土日も練習に費やして――」

 

「泣きながら走ってるぞ、おまえらがいないところで

 今求められているのは、練習量ではない

 休ませてやってくれ、頼む」

 

「君の判断なんて…」

 

 

 

 あの直江という2年、メンタル面は把握しかねるが…練習とは別の何かが必要なのは素人でもわかる。

 

 マネージャーとして遅くまで残る日がある。暗いグラウンドの横を通って帰る日が多くなった。

 

 部室は女子部員が着替えるから、俺は教室を借りて雑務をして帰るのだが…真っ暗な部室を見れば、もう部員はいないと思って帰るんだ。

 

 あの2年は最後まで残って走っていた。ライトが消えたグラウンドは危ないのに。一人で走っていた。

 

 プレッシャーを感じての衝動だと、見てすぐに感じ取れた。

 

 俺は言葉をかけることはできず、足を止めてあの子の走りを眺めていた。

 

 挫けたのか、大会に前向きに考えた上で足を休める為か。部活に参加せず休みたいという希望の意図は分からない。

 

 江場は断固容認する気はなく、甘ったれていると糾弾した。彼女は折れて大会まで休まずトレーニングに励むことになる。それでは駄目だと警鐘が鳴っている。

 

 ここで退いてはいけないと、曖昧な責任感から江場に言葉を投げかける。

 

 俺と江場が睨み合ったまま硬直状態が続くと、不意に話し声が近づいてきた。

 

 

 

「良かったじゃん、上杉先輩が助けてくれて

 この際マネージャーに相談しちゃいなよ」

 

「うん…でも、先輩って大会までの助っ人なのに

 大変そうなのに、頼ったら悪いし…重荷に感じて辞めさせちゃったら私…

 あ"――」

 

 

 

 俺たちが話し込んでいる間に休憩時間になったのか。部員が何人か部室に入ってきた。

 

 その中には俺たちが絶賛口論になっている火中の人物。2年のエースがいた。

 

 開いたドアを閉じて逃げる暇などなかった。続々と寄ってきた部員たちは俺たちの緊迫した空気に冷や汗を流していた。

 

 

 

「…おまえの言い分も分かる」

 

「くだらない同情はやめてくれる?」

 

「尖りすぎだろ…まったく

 この際一つ言っておくぞ

 おまえのそのやり方ではな…」

 

「…?」

 

「友達、減るぞ」

 

「―」

 

 

 

 い、言っちゃったこの人…!! 風太郎のぶっちゃけ発言に女子部員たちは頭を抱えた。

 

 江場は理解が遅れて思考を巡らせたが、部員たちのフォローが来ないことを目の当たりにして状況を察した。

 

 

 

「友達…友達がなんだと言うんだ…?

 はは、友達のいない君に言われても説得力がないというか

 笑っちゃうね…はは」

 

「声が震えてますよ部長」

 

「うるさい、陸上競技は孤独なスポーツだ

 一人で挑む競技に友達なんてワードで圧力をかけようなんて情けないね」

 

「いや、陸上云々じゃなくておまえの性格の話な

 部長の仕事は真面目にやってるし、そこは良いんじゃねえか

 性格で台無しにしてるけど」

 

「き、君は私を心底苛立たせてくれる…!

 君をマネージャーにして妥協したのが間違っていた…」

 

 

 

 後悔しても遅いぞ、おまえが教師に抗議したところで俺の成果は最低ラインを越えたからな! クビは諦めろ。

 

 部長の癖にコミュニケーションに難ありと難癖つけても良かったかもしれないが、ブーメランになるのでこの手の話題は控えよう。

 

 俺が指摘したいのはそこではなく、江場の支配的言動さえ抜ければ、大して問題は起きなかったんだ。

 

 部長の立場に就く彼女の能力は他の部員よりも高いのは明白。

 

 何せ誰も彼女に逆らえないのだから。言い負かすことができないと分かっているからだ。

 

 風太郎は事件の発端となった2年のエースを手招きする。

 

 本人はビクビクしながらも…部長ではなく風太郎の隣に来た。やはり怖がっているようだ。2年間の絆に皹ができてるぞ。

 

 

 

「叱咤も必要だが、こいつはもう十分理解しているんだ

 そっと見守ることができないほど心配なら、タメになる助言をしてやれよ」

 

「助言…? 私はきちんと部長として彼女に――」

 

「一日でタイム1秒縮める練習方法とか、休んでても足が早くなる方法とか」

 

「そんなものあるわけないだろ!!」

 

「わ、私、そこまで求めては…!?」

 

「何だっけ、おまえ、休みたいんだっけ?」

 

「そ…そうなんですけど…」

 

「なんかあるの? 部活辛いか?」

 

「…あ、あの

 弟が病気で入院してから見舞いに行けてなくて

 も、もう半年…顔見てなくて」

 

「…」

 

「…」

 

「今までは電話で話せたんですけど、最近は出てくれなくて…

 だから土日のどっちか…ゆっくり話ができたら…」

 

「おまえは悪魔か」

 

「わ、私も今初めて聞いたんだけど…」

 

 

 

 おい、くだらない言い合いで可否を下せるレベルじゃねえだろ…家族の大事なら今日からでも行けばいいだろうが。

 

 事情を知った江場はすぐに部活の不参加を認めた。良かった、これでも許可を下ろさなかったら醜い口喧嘩が勃発するところだったぜ。

 

 …って、何で俺が積極的に面倒事に絡まないといけないんだ。所詮は大会までの期間限定なのに。

 

 助言ならもっとマシなものがあると尋ねたかったんだ。他に練習方法がないか、直江は江場に教えを聞いていた。

 

 2年間も江場の下で走っていたんだ、真面目な子なんだろうな。それ故に逆らえなかったんだろうけれど。

 

 江場の行き過ぎた指導は目に余る…が、部長には部長の。マネージャーにはマネージャーの仕事がある。今回は管轄外だったかもしれん。

 

 げんなりと背中を丸める風太郎だったが、その背に2年の子がおずおずと声をかけてきた。

 

 

 

「あの…上杉先輩

 ありがとうございました」

 

「…弟さん、大変そうだな

 あんたも最近タイム落ちてるし」

 

「そう…ですね…あはは」

 

「…どことなく他人事?」

 

「い、いえっ そういうわけじゃ…

 …あ、でも…ここ最近は大会のことしか考えてなかったから

 他人事というか…大事にできなかったというか…だから余計に罪悪感が…

 それでも結果を出さないといけないと思うと、部活休めそうになくて…

 だ、だから先輩のお陰で…あ、ありがとうございました」

 

「…

 話せるといいな、弟と」

 

「…は、はいっ」

 

「だが、あんたにも非はあるぞ」

 

「へっ?」

 

「江場だって話せばわかる…ところもある、たぶん

 言ってみなきゃ分からないんだ

 今回もおまえの弟の事情を聞けば、許可は出たんじゃないか」

 

「それは…でも、私だけ休むことに変わりはないから…

 どの道言えなかったです…はい」

 

「…確かに、運動部の同調圧力は凄まじいな…」

 

 

 

 有給を取れずに体を酷使する社会人かおまえ。散々くどく取り上げられているじゃねえか、その手の話題は。

 

 直江は最初から諦めていたんだろう。江場に何を言っても通じない、と。言っても怒られて損をするだけだ。

 

 黙っているということは、結論、楽に至る。

 

 過程は苦しいものだが、終わってしまえば楽だったと気づいてしまうんだ。想像上の苦労と比較して。

 

 利口な判断をしたと錯覚してしまうと、次も黙ってしまう。自分の判断は最善だったと思い込む。

 

 衝突していがみ合った俺のやり方が正しいとは言わないが、話し合いに持ち込まなかった直江にも落ち度はある。

 

 この一件に限らず、江場だけ咎められるのはかわいそうだろう。

 

 

 

「天秤にかけて、どちらを優先するか決めるんだな

 決めたのなら、何があっても通す

 恩に着せるつもりはないが、今日のように通るはずだったものを逃すことになるぞ」

 

「は、はい…

 その、高校生になって今更って感じですけど

 話し合うのも大事なんだなって思いました…はい

 先輩は凄いですね、江場先輩と向き合って話せるなんて」

 

「ふっ 俺は頭脳派だからな」

 

「あ、あはは…わ、私は…頭脳派とか無理で…馬鹿ですし

 先輩、学年でテスト1位なんですよね、凄いなぁ! 尊敬しちゃいます!」

 

「…

 全国で一位も取ったぞ」

 

「ぜ、全国…!? うわぁ、そこまで頭良いんですか!?

 そんな凄い人をマネージャーに引き抜いたなんて、江場部長もやっぱり凄いなぁ…

 あ、もちろん上杉先輩も――」

 

「おまえ、3年になったらストレスフリーになりそうだな」

 

「えっ!? そ、そうなのでしょうか…だといいかな…」

 

 

 

 こいつは常に先輩を立てて、へりくだっていないと落ち着かないのか。

 

 この子、真面目というか…人の話を真に受けすぎなだけじゃないか? 四葉並みに反射神経で生きてそうな子だった。

 

 江場の誇張した期待の押し付けも、もしかして善意と受け取って努力し続けてきたのか。色々と心配になる…

 

 休憩時間を終えて、部員たちは各々練習メニューに取り組む。部長の威厳は損なうことなく、江場は部員たちを鼓舞する。

 

 

 

「やむを得ない事情があっての練習の不参加は仕方ないと思っている

 だけど、皆の熱意が失うことはないと信じているよ

 悔いが残らないように、これからも全力で取り組んでいこう!」

 

 

 

 あいつ、懲りないな…先程やりすぎたと忠告したのに。俺の苦言は全く聞いちゃくれていない。

 

 その部長のノリに乗ってしまう部員にため息をついてしまう。やはり帰宅部と運動部とでは好む環境が違うのだ。

 

 だが…まあいい、もうじき1学期の期末試験期間になる。テスト勉強の為、部活動は休みになる。

 

 勉強する時間だ。そう、勉強である。勉強できるんだ…!!

 

 放課後はバイトとテスト勉強、五つ子共の相手だってしてやれるぜ!

 

 1週間はこの面倒な役目も、江場の生意気な態度も切り離せる。今日だけ我慢すればいいのだ、あっはっは。

 

 

 

「先生方には私のほうからグラウンドの許可を取っておいた

 試験期間中も滞りなく部活に励めるよ

 下校時間の18時を厳守するように言われているから、その点だけは注意してほしい」

 

 

 

 ………

 

 試験期間中も…部活に励む…?

 

 部活に励むぅ…!?

 

 

 

「は? あ?」

 

「う、上杉先輩?」

 

「おい、江場…今何て?

 まさか試験期間にまで部活があるとでもいうのか…?」

 

「うん、そう言った」

 

「ははは、あーそうだよな、大会近いもんな

 俺も見てたし、そのくらいは予想すべきだったな、すまん

 あ、俺は試験勉強するから休ませてもらいます」

 

「ダメだよ、マネージャーなんだから

 あとレモンのハチミツ漬けも作ってきてね

 おいしかった」

 

「………」

 

「いいじゃないか、テストの順位が下がったところで何か損するわけじゃないし」

 

「はっはっは、ナイスジョーク、面白い面白い」

 

「なんなのその不気味なテンション」

 

「試験前に部活とか馬鹿かおまえは!!

 おまえが順位落としたところで3桁は3桁のままだから痛くも痒くもないだろうがな!

 生憎、俺は1桁で1位だ! 脳筋のおまえらと一緒にされたくはねえなぁ!」

 

「せ、先輩! 話し合い、話し合いから!

 そ、それに正直私も、上杉先輩が部活に来てくれないのは困ります…!

 タイム落ちてるので…お願いします!」

 

「知るか、1ヶ月も経ってねえ出来立てほやほやの新人を頼るな」

 

「ええええ!?」

 

「というか何で君、私のテストの順位知ってるの…?」

 

「部員の成績は全てチェック済だ!

 全員こぞって成績落としてて嘆かわしいぜ、女子陸上部!」

 

「なにそれ…気持ちわるっ」

 

 

 

 意地汚い大反対により風太郎は期末試験の部活動参加は逃れた。

 

 同時に徐々に上がってきた信頼度も底に落ちたが…後悔はなかった。

 

 ちなみに、この長話をしている間。風太郎持参のレモンのハチミツ寒天を預かっていた竹林は。

 

 

 

「ご馳走様でしただってさ」

 

「竹林、どんだけ食ったんだ…もう空じゃねえか」

 

「通りすがりの武田君と前田君と松井さんとかに食べられた

 あと中野先生にもお裾分けしといた

 五つ貰っていくって言ってたから、五つ子ちゃんたちも食べると思うよ」

 

「おまえ、もう来んな」

 

 

 

 結論、風太郎にとっての心の癒しは勉強時間だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局完食されたか」

 

「美味しいから絶対無くなると思ってた」

 

「主に竹林のせいだがな…

 こんなもの、材料費を部費で賄ってくれなかったらやってられん」

 

「お兄ちゃん、せこいことはしないでね」

 

「家に持ち帰る分ぐらい、ねだっても罰当たらねえだろ…」

 

 

 

 陸上の部活動を終えて、風太郎は疲れた足を引きずって帰宅。マネージャーも選手と並んで走る時もあり、足は酷使しっぱなしだ。

 

 マネージャーの仕事は時間と体力の浪費だけが問題ではなかった。

 

 風太郎が不在の日は、らいはは中野家で五つ子の面倒を看ている。その迎えに行き、帰宅して感じるのは空腹感。

 

 カロリーを消耗したら腹が減るに決まっている。

 

 貧乏故にこれまで小食で耐えてきた風太郎だったが…流石に食べないと倒れてしまう。

 

 その苦悩を知っている妹は、兄の茶碗にご飯を大盛りに盛り付けた。贅沢などできない家なのに、らいはは上機嫌だった。

 

 

 

「いっぱい食べてね、お兄ちゃん」

 

「おう、助かる

 しかし…拘束時間の割に一銭も稼げないのがな」

 

「まーたお金の話

 いいじゃん健康的で、青春だよ青春」

 

「バイトして金稼いでるほうが有意義で健全だぞ」

 

「言いたいことは分かるけど…

 とにかくいいのっ お兄ちゃんはいっぱい食べる!」

 

「俺を太らせる気か」

 

 

 

 妹との遅めの夕食。親父は今日も帰りは遅い。バイトの日は食事の時間はもっと遅くなることもあり珍しくはない。

 

 大して変わらない、いつもの日常だ。

 

 少し違って見えるのは…いつもより食費が嵩むところ。原因は俺。

 

 

 

「…」

 

「…お兄ちゃん、疲れた?」

 

「いや、徐々に慣れてきた」

 

 

 

 部活のせいで、バイトの日数が減っている。収入が減るのならば、より稼がないといけない。

 

 最近は五つ子たちが小学生になって、つい散財を許してしまう時がある。

 

 されど、これは改めようとは思わない。

 

 風太郎の目標は中野零奈の支援。仮初の父親代わりだ。

 

 彼女の力になり支えること。その為に五つ子の為の出費は惜しんではならない。

 

 しかし金は有限。警鐘を察知されれば…あの人は俺の手を払いのけてしまう。

 

 …金持ちになりたい。純粋にそう強く願う。

 

 

 

「…割の良い日雇いねえかな」

 

「お、お兄ちゃん…これ以上働いたら倒れちゃうよっ」

 

「しかしな…つーか言う程働いてねえし、俺」

 

「…受験なんだから、お兄ちゃんは家で勉強してたほうがいいでしょ

 落ちても知らないよ」

 

 

 

 ぐぬぬ…妹め、人の気も知らないで。これ以上の兼業、もとい副業は許す気はないらしい。

 

 …らいはの意見を聞かず、隠れて日雇いでもしようかと考えて思い止まった。

 

 卑怯で身勝手だと思った。なぜなら俺自身、中野零奈に副業などしてほしくないから。

 

 それは恩師の負担を考えての制止。そもそも教師は副業はまずい。

 

 だが、だからこそ…風太郎は一点の不安が拭えずにいる。

 

 

 

(リスクを冒してまで手を出すとしたら、それ相応に稼げる仕事に限られる

 だとしたら…)

 

 

 

 だとしたら…やはり、水商売か。

 

 美人教師、ファンクラブまであるのだからその美貌は保証されている。男が放っておくわけがない。

 

 金に困っているのは明白。学生の拙い弁当に喜んでくれた程だ。教職は大金を稼げる仕事ではない。

 

 教師の月給分の金額など、男から容易に貢いでもらえるさ。その代償に先生は素肌を晒すのだ。

 

 …最近こればかっかりじゃねえか。心配とは違う、もっと別の欲に駆られて嫌になる。

 

 あの人に抱きしめられた時、手を握った時によぎった、邪推とは異なる事実。

 

 俺が触れているこの人は、俺の知らない男が既に物にしていた。今では分かる、嫌悪に似た嫉妬。

 

 嫌悪とは…そんなことに苛む己の考え。恋愛など不要だと見限った分際で、ぶり返してたまるか。

 

 

 

 

「…」

 

「…」

 

 

 

 …

 

 …

 

 …あのバツ1教師…とっとと再婚しちまえ。

 

 何で俺が食欲が失せる程思い悩まないといけないんだ…

 

 

 

「お、お兄ちゃん、どうしたの?

 急に黙っちゃって」

 

「何でもない」

 

「も、もしかして食費のこと気にしてる?

 いいんだよ! お兄ちゃん全然食べてくれないんだから!

 ご飯一杯食べて、明日も頑張って!」

 

「最近、登校が億劫で仕方ない」

 

「へ? と、友達0人でも登校し続けたあのお兄ちゃんが…!?」

 

「? 友達がいなかろうが学校には行くだろ」

 

「そんなタフなお兄ちゃんが落ち込んでるのが怖いよ!

 ほら、学校だと零奈さんにも会えるんだから」

 

「いや、今一番会いたくねえ…」

 

「ま、また何かしたの!?

 も、もう…ほら、日頃お世話になってるんだし

 またお弁当作ってあげたら? 零奈さん食べたがってたよ」

 

「もう絶対作らねえ…

 つーか彼氏だどうの噂されてたし、迷惑だろ」

 

「…

 もうッ! お兄ちゃんらしくない!」

 

 

 

 うだうだ悩んでいると、向かいに座る妹がとうとう憤慨してしまった。

 

 普段は面倒見の良い妹だが、兄の話となれば一向に厳しさが増す。

 

 それが甘え方を知らない妹にとっての、唯一譲れないもの。

 

 兄には頼もしく、かっこよくあってほしい。それだけのこと。

 

 毎日苦労が絶えない、妹思いのお兄ちゃんには幸せになってほしいからだった。

 

 

 

「全然いいでしょ、彼氏って言われたって!

 零奈さん綺麗で良い人だし! 子供も可愛いし!」

 

「よ、良くはないぞ?」

 

「そんなつまんないことでうじうじしてる余裕ないじゃん!

 零奈さんにバシッて言えるくらいじゃないと

 零奈さんも、五つ子の皆も安心して任せられないよッ!」

 

「…」

 

「…前のお兄ちゃんなら絶対そうしてた

 お兄ちゃん変だよ…零奈さんたちと何かあったの?」

 

 

 

 妹の叱咤が飛んできて、流石に腑抜けていた性根が正される思いだった。

 

 江場、叱咤とはこうやるんだぞ。教えてやりたいが妹に怒られる兄など不甲斐なさの塊でしかない。

 

 らいはの言う通り、過去の…3年に進級する前は悩まずに行動に移していたはずだ。

 

 あの時と違うのは、期限が迫る焦燥感のなさ。一度先生に認められたことで安堵しきってしまったんだ。

 

 怠けていたら別の不安を垣間見て、酷く狼狽している。

 

 相手の仕草、振る舞いの一つ一つに一喜一憂する。

 

 恋愛なんて、愚か者がすることなんだ。捨ててしまいたい。憧れだけで十分だ。

 

 だから、俺がこれからあの人に示すものは、断じて恋愛などではない。

 

 そう、俺は中野先生を好きではない…はず…! 恋愛的にではなく、尊敬しているだけだ!

 

 妹に恥ずかしがっているなど滑稽だ。さらりと何の気なしに言ってのけてやるぜ。

 

 

 

「何もない、ただ

 …距離が、近くなった」

 

「…え? 距離?」

 

「あの人に見られる頻度が多くなったし、以前は学校で会話することはなかったんだ

 それに、五つ子のあいつらが頑張っている姿は素直に応援したくなる

 かといって…俺が子供たちを甘やかしているところを先生に見られると…色々と困る」

 

「そ、そうなの?

 皆の良いお兄ちゃんで、零奈さん助かってると思うよ?

 零奈さん感謝してるって言ってくれてるし、もっと仲良しになれるよ?」

 

「だから」

 

「…え?」

 

「だ、だからだッ

 あの人に見られると落ち着かなくて嫌になる

 無駄に意識しているとバレるくらいなら、会わない方がマシだ」

 

「――」

 

 

 

 ぱきーん。己の心境を語ると、ちゃぶ台の向かいに座る妹が箸を落とした。箸は茶碗に当たって甲高い音が響いた。

 

 え、何事? 兄は別にショッキングな話題をした覚えは――

 

 

 

「お兄ちゃんが…好き避け!?」

 

「なにそれ、どこの界隈の単語だ、俺知らない」

 

「うわああああ、お母さん! 来たよ! 3年目で来たぁ!

 あのガリ勉お兄ちゃんが青春を謳歌してるよ!

 そうだよね、よくよく考えたらそうだよね!

 零奈さんの為じゃなきゃ、好きな人の為じゃなきゃ

 運動音痴で恋愛嫌いだったお兄ちゃんが、わざわざ陸上部のマネージャーなんてするわけなかったよ!」

 

「青春じゃないし、好きじゃないし」

 

「好きだって知られたら恥ずかしいもんねー

 零奈さん既婚者だし、年上だからすぐにバレないか怖いもんね」

 

「………」

 

「そうだ、お父さんにお酒解禁のメールしなくちゃ

 お父さん絶対に飲みたくなるから」

 

「どういう気遣いしてんだ!」

 

 

 

 妹よ、仮にその妄言が当たっていたとしたら…俺はバツ1子持ちの女教師に恋焦がれていることになるんだぞ…それでいいのか。

 

 やはり不要だ、負担しか残らないこのような感情は。

 

 教室でも部活でも、五つ子のいる中野家でも自宅でも…心休まることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 期末試験を終えて7月に突入し、夏の暑さから流れる汗がシャツを湿らせる。放課後に風太郎は自転車を漕いでいた。

 

 部員からの借り物で、籠には部員の水筒が入っている。絶賛マネージャー活動中。

 

 今は学校の敷地外での長距離走。以前五つ子たちが駆け回った河川敷の砂利道で、ザッザッとシューズの底が擦れる音が聞こえる。

 

 

 

「ファイッ」

 

「オッー」

 

「ファイッ」

 

「オッー」

 

 

 

 運動部の日常風景。部長の掛け声に合わせて部員が声を上げる。

 

 ここ最近では部長だけでなく、マネージャーである俺もその役目を任されることがあった。

 

 2つのグループで走っており、前の集団は部長が。後から追う1年生が多く構成された集団を風太郎が担当している。

 

 最後列にて自転車をこぎつつ、メガホンを片手に部員に掛け声を届けた。

 

 

 

「古代ギリシアの都市国家」

 

「ポリス!」

 

「1337年から1453年にかけてのフランスとイギリスとの戦争」

 

「百年戦争!」

 

「身分階層の社会」

 

「封建社会!」

 

「イベリア半島の解放運動」

 

「レコンキスタ!」

 

「ストーップ! はい全員ストーップ!!」

 

 

 

 長らく走っていた部員たちにようやく部長からの休憩の指示が出た。各々が河川敷の堤防に腰をかけていく。

 

 俺は部員たちに飲み物を渡すべく自転車から降りると、前方から江場が険しい顔をして詰め寄ってきた。

 

 その怒気を察した1年が早々に道を開けて散らばっていく。なんとも賢い。

 

 

 

「大会までもう一月もないって時に、部員に何を吹き込んでいるの?

 うちのメニューに座学なんて無かったはずなんだけど」

 

「体を鍛えて学力も上がる、画期的な妙案だと思わないか部長」

 

「大会を嘗めてるの?」

 

「期末試験、勉強時間足りなくて部員が悲鳴上げてるぞ

 夏休みは補習者続出、返って練習時間が減ってるんですがね」

 

「ともかく、さっきのお遊びは禁止だ」

 

「…ちなみに、おまえも補習科目多かったが大丈夫か?」

 

「余計なお世話、大会で成績を残せば受験勉強なんて不要だ」

 

「推薦逃した時の保険は作っておけよ…」

 

 

 

 風太郎と江場の小言の叩き合いは常習化しつつある。二人を眺めつつ呑気に休憩する部員たちだった。

 

 テストで学年1位の風太郎に、成績面に難ありの陸上部員たちが教えを乞うのはおかしな話ではなく、こうして部員の走りに付き合う際は勉強も兼ねていた。

 

 部員たちには結構喜ばれてたのに、部長は部活動を妨害するなと激怒。ピリピリしてるのは相変わらずだった。

 

 …江場の知らないところで部員のテスト勉強を見ていたと知られたら解雇されかねないな。極めて善行のはずなのに頭の固い部長だぜ。

 

 部長の拘束から解放されて、部員に水筒を配るとする。

 

 

 

「お疲れ様です、上杉先輩」

 

「いや、それ俺の台詞」

 

「いえ、江場部長のことですよ

 …でも、怒らないであげてくださいね

 部長、大会が近づいて毎日辛そうですから」

 

「トレーニングが? 一応、あいつの体調を考慮しているつもりなんだが」

 

「あはは…気持ちのほうですよ、不安になったりもします

 トレーニングだって、部活外でも走ってるって聞いてますから」

 

「…」

 

「でも私は…先輩が勉強教えてくれる時間も好きだったりします」

 

「…

 間に立つ人間はご機嫌取りが欠かせないもんな」

 

「そ、そういうわけでは!?

 もう…先輩って可愛くないですよね」

 

「それ陸上に魂売ってる女が言うセリフ――おい、水筒は凶器だぞ!」

 

 

 

 2年のエースの直江に水筒を手渡すと、彼女は汗を拭って労いの言葉を向けてくる。気遣いのできる後輩だ。水筒を投げて返されかけたが。

 

 此度の一件は風太郎に落ち度があったとはいえ、江場による雁字搦めの部活動に改善の見込みはない。

 

 かれこれ土日もずっと走ってる。疲労が溜まってないか心配である。

 

 一時は合宿に行こうと江場はのたまっていたが、突発的なハードトレーニングは避けたい部員から懇願の視線を向けられた。

 

 男性である自分は不参加で、と冷や水をかけると次々に後を追う部員の声。結局合宿は中止となり、江場は不機嫌になっただけだった。 

 

 部長VSマネージャーの対等は水平線を辿っていく。多少は部員と打ち解ける機会が増えたが、プラマイゼロである。

 

 ため息をつきつつ部員に水筒を渡していく。早くーと手招きする不届き者の後輩共に。とっとと辞めたい。

 

 

 

「上杉さーん!」

 

「あ? 誰か呼んだか? 今配るから待ってろ」

 

「上杉さぁああああん!!」

 

「叫んでるの誰だよ、そこまで喉乾いてるなら自分で取って来い」

 

「いや、上杉先輩

 呼んでるのあの子ですよ」

 

 

 

 叫べば喉が渇くだけだってのに。直江が指を指した方向を渋々と見やる。

 

 先から大声でこちらを呼ぶ正体が、夏の日差しに負けず全力疾走してきている。

 

 緑色のリボンと小さな体を揺らして、遠目ながら風太郎を完全に捉えていた。

 

 嫌な予感がして、その場から動けず立ち止まっていると腹部に突進を食らった。

 

 

 

「久しぶりですね! もうすぐ夏休みですよ、上杉さん!」

 

「…気がはえーよ、走って教える程でもねーし」

 

「夏休みは上杉さんと遊ぶつもりなので!

 予約します! 早い者勝ちですもんね!

 山に行って、海にも行って! 去年と同じでお祭りも!

 今年はみんなでいっぱい、いーっぱい遊びたいです!」

 

「まったく…ほんと外で遊ぶのが好きだな、四葉」

 

「ししし」

 

 

 

 汗で湿ったシャツ越しに遠慮なくくっついてくる四葉に苦笑する。くすぐったい上に四葉も汗だくだ。

 

 突然の乱入者に陸上部員が訝しげにこちらを見やる。

 

 が、不審者とは真逆の可愛らしい少女の出現に、しかも甘えん坊で阿呆さ加減が増すリボンも相まって…

 

 風太郎と四葉を取り囲むように女子が集まり始める。真夏の陽光とは別の熱さが襲い掛かる。

 

 

 

「可愛い…! 上杉先輩、妹さんですか?

 先輩とは全然似てませんけど…か、可愛いぃ!」

 

「リボン超似合うー 天使ってこういう子を言うの?

 うちの妹とは全然違うし、羨ましいんですけどッ」

 

「わっ!? う、上杉さんのお友達ですか?

 女の人がいっぱい…!」

 

「おいおまえら、子供を怖がらせるな」

 

 

 

 制止を呼び掛けても効果はなく、部員たちは離れはしても遠目でジロジロと見て、可愛い可愛い連呼してばかり。語彙力の欠如が見られる。

 

 トレーニングで疲れて頭のネジが飛んでるんじゃねえか。四葉が何だっていうんだ。

 

 

 

「…」

 

「…?」

 

 

 

 腰元を見下ろすと、こちらの手をぎゅっと掴んで離さない四葉が見上げている。

 

 他人に詰め寄られて驚きはしても、手を繋いでいれば平気ってか。手を離すと慌てて腰にしがみついてきた。

 

 同時に上がる歓声。小さな子供の一つ一つの所作に愛しさが芽生えるらしい。こっちは暑苦しいだけなんだがな。

 

 そして、ここまで騒がれれば当然…部長の江場に睨まれる。二度目の詰問が始まる。

 

 

 

「ご家族?」

 

「似たようなもんだな」

 

「まだ小さいんだね、一人にして大丈夫?」

 

「いや、その点は心配いらない…よな?」

 

「あ、はいっ 一人じゃないので!」

 

「?

 まあいい、そういうことならこのまま再開でいいんだね?」

 

「ああ、気を遣わせ――」

 

「お姉さんはもしかして…陸上部ですか?」

 

「? そうだけど」

 

 

 

 こちらの会話に割り込んでくるとは珍しい。ズボンを掴む手は離さずに、四葉は江場に質問を投げかけた。

 

 そういえばこいつ、中学は陸上部に入るとか言ってたな。6年程先の話なのに。気が早いにも程がある。

 

 興味のある活動を発見して、つい声をかけたくなったのだろう。四葉の問に部長の江場は偽らず答えた。

 

 

 

「凄い!」

 

「…」

 

「…」

 

「凄いですね、上杉さん!」

 

「…

 何が?」

 

「すまん、特に意味はないと思う」

 

「…暗に小馬鹿にされている?」

 

「四葉にそんな知恵はないし、天然なだけだ

 あと、こいつまだ小1な」

 

「なんか四葉が馬鹿にされた気がします…!」

 

「フォローしてやったんだ」

 

 

 

 先達者に対する憧れか。しかし気持ちが先走って江場は困惑している。

 

 一方で、構わずキラキラした視線を向ける四葉だった。江場はその視線にたじろいで視線を逸らした。

 

 ………尚も四葉は江場を見つめていた。リボンを揺らしてニコニコ上機嫌である。

 

 

 

「…ちょ、ちょっと」

 

「何だよ」

 

「この子、どうにかならない?」

 

「子供相手に何を緊張しているんだ…

 四葉、おまえも人をジロジロ見るな」

 

「四葉も走ってみたいです!」

 

「おまえとはレベルが違うの、10年早い」

 

「…その子、走りたいの?」

 

「外遊びが好きなだけ…って、ようやく来たか」

 

「?」

 

 

 

 江場の後方、四葉が走ってきた方角から小学生4人組が小走りでやってきた。

 

 瓜四つならぬ瓜五つ。四葉と同じ顔をした女の子の襲来に江場は硬直した。ドッペルゲンガーとでも思ったか。

 

 四葉一人で嬌声が上がっていたんだ。それが5倍となって、部員たちの視線が一斉に集中する。

 

 

 

「フータロー君だったんだ! こんにちはっ

 遊んでるの? 私も一緒していい?」

 

「四葉、急に走んないでよ

 というか、フータロー見つけたんだったら教えろし」

 

「はぁ…ふぅ…はふ…っ

 ふ、フータロー…」

 

「上杉君、こんにちは

 ねえ上杉君、今度ね、管理人さんにお願いして畑借りるんだって!」

 

 

 

 学校帰りの五つ子が勢揃いとなり一気に姦しさが増した。小学校から下校中、寄り道をして探検気分だったようだ。

 

 五月の言う畑とは何のことか問い質そうとする直前、五つ子だけでなく女子部員たちが集まってきた。

 

 世にも珍しい五つ子の登場に、諦観するだけでは我慢できなかったらしい。

 

 

 

「わぁ~! 双子ならぬ五つ子ちゃんですか!」

 

「え、ありえるの? 五つ子なんて」

 

「お名前は何て言うの?」

 

「上杉先輩、こんなに沢山の妹さんがいたんですか」

 

「だから、怖がらせるなっつーの」

 

「今は部活動中、遊びに来たんじゃないよ

 休憩も終わりだ」

 

 

 

 年上の女言い寄られて、五つ子は全員風太郎にしがみつく。

 

 怖がらせているのに、子供たちの必死な姿に愛着が芽生えたのか歓声が上がる。もはや珍獣扱いじゃねえか。

 

 こいつら…物珍しいからって不躾にも程がある。ここに鬼教師がいたら雷を落としていただろうよ。

 

 部員のはしゃぎっぷりに呆れているのは風太郎だけでなく、部長の江場が号令を出して早々に部活動再開となった。

 

 各々水筒を自転車の籠に入れていく、風太郎は自転車のペダルに足をかけた。

 

 

 

「フータロー君忙しい?」

 

「ああ…今月いっぱいはな…

 悪かったな一花、おまえらも遅くなる前に帰れよ」

 

「むぅ…さっきのお姉さんたちがフータロー君盗ったんだ?

 ふーん…」

 

「フータロー…私の知らないところでモテモテ…

 仲間だと思ってたのに…」

 

「フータローもどうせ…私たちなんかより、あっちのほうが嬉しいんでしょ」

 

「おまえらな…こっちは遊びでやってるんじゃないぞ」

 

「上杉君、私もレモンのお菓子食べたいよっ

 あの人たちだけズルいです!」

 

「おまえは相変わらずなのな

 …って、あれ、四葉は?」

 

「あっち」

 

 

 

 あっちって…一花が指差す方向を見やると、女子部員が走っていく後ろ姿が見える。

 

 その女子集団を追って四葉が走っていた。何やってんだあいつは…

 

 ジョギングの速度なら小学生の足でも余裕で追いつける。が、体力の差は歴然だ。途中でバテるぞ。

 

 あの頭の悪そうなリボンをふんじばってとっ捕まえないといけないようだ。自転車をこいで四葉を追った。

 

 

 

「おい、四葉!」

 

「わひゃあああっ!」

 

「やば、マネージャーきた」

 

「ほら、四葉ちゃんこっちこっち」

 

「私たちでガードしたげる」

 

「ランドセル持ってあげようか?」

 

「何やってんだおまえらは」

 

 

 

 四葉のリボンを掴もうとしたら、女子部員が四葉を囲って立ちはだかる。こいつらの頭引っ叩いていいか?

 

 おい、何馬鹿やってんだ。大会近いんだろ! 部長にどやされても知らねえぞ!

 

 そもそも四葉が無茶をして転んだりしないか心配だ。

 

 俺が手をこまねいて自転車を徐行していると、残りの五つ子たちも追いついてきた。

 

 さらに、後輪のリアキャリアを掴まれた。振り向けば三玖と五月の鈍足コンビの仕業だった。

 

 

 

「フータロー…後ろに乗りたい…疲れた」

 

「三玖、乗っちゃえ乗っちゃえ、手伝ってあげるよ」

 

「あ? おい待て、危ないからやめろっ!」

 

「上杉君、私も足疲れちゃったよぉ」

 

「なら歩いて帰ればいいだろうが…っ」

 

「だ、だって…お兄ちゃん、最近全然会ってくれないんだもん…!

 一緒にいたいんだもん…!」

 

「…い、今は部活中だからな?」

 

「またそうやって逃げるんだから!

 ママだって心配してるんだから、顔見せなさいよっ!」

 

「あの人の顔なら毎日飽きるくらい見てるわ!」

 

「私たちとは会ってないじゃん! 馬鹿ぁ!

 やっとお菓子作り、またできるようになったのに!」

 

 

 

 放課後は陸上部、土日はケーキ屋でバイト。となれば…当然、五つ子との家庭教師は後回し。

 

 しかも試験期間もあって勉強に集中させてもらった。期末以降、五つ子とは会ってやれていない状態だった。

 

 こちらの事情を考えてほしいものだが…なんだかんだ五つ子との時間が恋しくなっていたのは風太郎も同じ。

 

 二乃と五月の涙目の抗議に反論できず、黙っているうちにリアキャリアに乗った三玖にしがみつかれた。

 

 去年、1週間を耐えきれずに泣かされた三玖だ。二度目はない、とむくれていた。それ以前に五月がもう泣いているんだがな。

 

 

 

「あ、マネージャーったら子供泣かしたー」

 

「上杉先輩、妹さんは大事にしないといけませんよ」

 

「余計なお世話だ! 四葉を返せ!」

 

「ちょっと1年! ちゃんとついてきなさい!

 そこのマネージャーも、遊んでないで!」

 

 

 

 五つ子と女子陸上部。これまで頭を悩ませてきた二つの要素が絡み合って頭痛がし始めてきた…

 

 終いには、四葉を取り囲んでのろのろ走っている1年グループに部長がキレる始末。

 

 収集がつかず、部員は五つ子の可愛さに落ちたらしく…長距離トレーニングは中止、解散となった。

 

 

 

「邪魔しないでくれるかな?」

 

「ごめんなさい…」

 

「上杉君も…君、やる気あるのかな?」

 

「すまなかった」

 

「う、上杉さんは…お、お兄ちゃんには怒らないで…

 四葉がふざけてたせいで…」

 

「大丈夫だよ、全然平気だよー」

 

「また遊ぼうねー 四葉ちゃん」

 

「怠けている暇があるとでも思っているのかい…?

 部活動中なんだから集中して!

 何なんだ、急に風紀が乱れ始めて…」

 

 

 

 五つ子全員、江場に平謝り。こういうところは礼儀正しいんだよな…

 

 子供たちがシュンと落ち込んでいる様を見て女子部員が励ましの言葉を投げかけた。部長の一喝で散り散りになったが。

 

 大会間近の部活動に妨害者が現れたことに江場はだいぶ怒っている。勿論俺に対しても…

 

 しかし四葉の懇願には負けたのか、江場はため息をついてこの場を去って行った。

 

  

 

「…というかほんと、全部四葉のせいじゃん…?」

 

「おまえ、三玖を乗せて妨害してきたろ

 おまえの悪戯が許されたわけではない、後で覚えてろ」

 

「ふーん 別に許してもらわなくても結構ですー」

 

「そもそもあんたが運動なんて似合わないのよ

 運動音痴のくせに、音痴! 音痴!」

 

「フータローはお家で私と一緒に勉強する、それがいいよ

 どうせ頑張ったって足早くならないし」

 

「見ないうちに随分と口が悪くなったもんだな」

 

「…上杉君、私たちのこと嫌いになっちゃったの?」

 

「…おまえら、学校で友達とかいねーのか

 そいつらと遊べばいいだろ」 

 

「上杉君が一番のお友達だもんっ!

 私たちのお兄ちゃんだからっ!」

 

「五月、おまえな…

 小1のらいはは、もっとしっかりしてたのによ…」

 

「…ひぐっ…うぅ…

 うぅぅううううううう"っ…!!」

 

「…甘やかされすぎだろ、まったく」

 

 

 

 俯いた五月の口から唸り声、もとい耐え忍ぶ悲鳴が漏れていた。また何か悩みでも発生したのか、こいつ。

 

 らいはが聞いたら叩かれそうなコメントを返して、五月を引き寄せた。そのまま腰に手を回してにしがみつかれた。

 

 夏の夕方はまだ暑苦しく、涙はすぐに乾く。五月の鼻をすする音が、まだ足りていないことを教えてくれる。

 

 日が沈み暗くなれば一日が終わる。放課後とはそんな時間だ。

 

 

 

「畑…二乃と上杉君がするって言ってたんじゃないですかぁ…

 管理人さんに頼んだのに、お兄ちゃん来たらやるって…!」

 

「…わかったわかった、話は聞くから

 泣き止んでくれよ、五月」

 

「お母さんの役に立つんですぅ…!」

 

「…そうだったな、待ってられないよな」

 

 

 

 子供はその日、その時を精一杯楽しみ、帰れば家族に思い出を語ればいい。

 

 

 

 

「…」

 

 

 

 夢を追う者はそんな暇はない。ただ走るしかない。

 

 日が沈めば、残った時間の少なさに焦り、夕日を背に走り出す。

 

 語るのは夢の後。過程の努力など誰も見てくれはしない。

 

 河川敷の坂の上、五つ子たちを見下ろしてまた一つ、江場は重いため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この前はごめんね、うちの部活今忙しいから

 良かったらお菓子食べる? チョコとか好き?」

 

「お腹空いてるの? あ、甘いの苦手なのかぁ…

 あ、パンならあるよ?

 いいっていいって、迷惑かけちゃったお詫び」

 

「わーい ありがとうございます!」

 

「パンなら食べれる…」

 

「餌付けするなぁあああ!」

 

 

 

 高校生の放課後は、中学よりもお小遣いの額が増えている。または食費を支給され、食べ歩きを楽しむ一時…らしい。俺は経験したことない。

 

 翌日、相も変わらず部活動に励んでいるわけだが…またもや五つ子と鉢合わせ。部員が子供たちに掻っ攫われた。

 

 今は休憩時間なのだが、休憩となった直後に一度別れた五つ子の下へ部員たちがダッシュ。追いかければこの地獄絵図。

 

 駆けつけた頃には五つ子は女子高生に奢られた後。既にお菓子やパンに齧りついてしまっていた。お、俺が先生に怒られる…

 

 

 

「おまえら、もう大会まで2週間を切っている!

 たるんでるぞ、こいつらに現抜かしている余裕あるのか!?」

 

「大丈夫ですよ、そんなに心配しなくても

 マネージャーがほら、トレーニングの成果出てるって太鼓判押してくれてるし」

 

「私も絶好調です、部長と一緒に1位をもぎ取って見せますっ!」

 

「…確かにやる時はやってるし、数字は嘘はつかない…が

 ひとまず子供たちを甘やかすな、堪え性がなくなったらろくなことにならねえ」

 

「上杉先輩、この五つ子ちゃんたちのこと可愛がってるんですね

 やっぱり優しいというか…過保護なんですね、先輩」

 

「ツンデレなんて絶滅してたと思ってました」

 

「真面目一辺倒なマネージャーがあんなに慌てるなんて

 愛されてるねぇ、君たち」

 

 

 

 女子部員に絆される前に五つ子を引き寄せておく。3年生をからかうな、後輩共。

 

 両手を広げて五つ子を誘導すると、ひしっと腹部に三玖と五月がしがみついてきた。

 

 

 

「…にへへ…」

 

「…何だ、その緩み切った笑みは」

 

「愛されてるって…えへへ

 フータローは優しいもんね」

 

「言われちゃいましたっ」

 

「…」

 

「フータローはツンデレなのね

 …ツンデレってなに?」

 

「ツンデレって二乃っぽい子のこと言うんだよ」

 

「私? ふふ、じゃあ私とフータローってお似合いってこと?」

 

「たぶん仲悪いほう」

 

「は?」

 

「おまえら…菓子をつまみ食いしたことが先生にバレたくなければ

 大人しく口を塞げ、わかったな」

 

「「「「はい」」」」

 

「…最初から怒られると知って食べるんじゃない…

 って、おい、四葉? あいつはどこいった」

 

 

 

 調子に乗ると余計なことをベラベラと話す五つ子だ。しっかりお口のチャックは閉めておく。

 

 またもや目を離した隙に四葉が逃亡しており、子供たちを部員に任せて四葉を探しに行った。

 

 顔はそっくりでもリボンが目立つ子だ。部員に聞いて回ると、どうも江場に付きまとっているらしい。

 

 

 

「悪い、江場」

 

「ん? ああ、上杉君か

 今は休憩中だ、このくらいいいよ

 それに後進に道標を授けるのも私たちの責務だ」

 

「四葉、中学は陸上部に入ります!」

 

「絶交」

 

「えええ!? 上杉さんも陸上部じゃないですか!」

 

「もう絶交、人の気も知らないで好き勝手する奴は絶交だな」

 

「うわーん! ごめんなさい!」

 

 

 

 小学生に上がってからソロ活動が増えてきた四葉には神経をすり減らされる。一花みたいにしっかりしていれば違うんだが。

 

 四葉は陸上部部長に直に教えを請いに来たようで、熱心に質問を飛ばしている。

 

 子供のお遊戯でしかないのに、江場は武骨ながらその要望に応えていく。部活の邪魔さえしてこなければ愛らしい訪問者なのだ。

 

 だが江場の休憩時間が終わり、また長距離走、そのまま学校に戻ってトレーニングメニューをこなすことになる。

 

 四葉と別れを告げて走ろうとする江場だったが、四葉のキラキラした目は終わってなかった。

 

 

 

「四葉もついていきたいです」

 

「熱心なのは素晴らしいけど、君の体力じゃついてこれないよ」

 

「む…や、やってみないと分かりませんよ」

 

「わかるよ、私のペースで1km弱走るにはスタミナ不足

 そもそも体格がまだまだ幼い、力尽きて帰れなくなるからやめたほうがいい」

 

「そ、そうかもしれませんけど…でも

 だって、競争って…頑張れば頑張った分、早くなるんだよ」

 

「ん?」

 

「最初から諦めてたら、1位取れないよっ」

 

 

 

 子供の反論に江場は困惑する。何事もチャレンジだと言い張る精神論で強行されるとは思わなかったか。

 

 四葉の言い分に風太郎は少々驚いていた。天性の運動神経を持つ四葉だったが、その思考は極めて努力タイプの典型だった。

 

 得意分野だからこそ挑みやすいのもあるだろう。だが四葉が併走を試みるのは10も年上の相手。臆するのが常だ。

 

 惨敗する未来は予想できているはず。迷惑だと突き返せば終わる我儘に、江場はしばらく口を閉ざしていた。

 

 

 

「…なら、やってみるがいいさ

 私は遠慮しないよ、大会が近いから子供と遊んでいる暇はない」

 

「はいっ」

 

「おい、いいのか江場

 俺が言うのも妙だが…大会に専念したいんだろ

 こいつの面倒は俺が看るから、そっちに集中したほうが」

 

「結構…と言いたいけど、この子の付き添いはお願いするよ

 転んだりしても面倒は看きれない」

 

「…おまえ

 あれだけ必死だったのに…どういう心境の変化だ」

 

「何も変わってないよ、ただこれは許容範囲なだけ」

 

「…」

 

 

 

 嘘くせぇ…でしゃばりが過ぎる四葉をあしらってほしかったんだが、本人が許可を出してしまっては何も言えず。

 

 四葉を走らせて、一人で自転車をこぐのも気が引ける。一旦部員に自転車を返しておいた。

 

 四葉のランドセルは一花に。面倒くさがりの姉はぶー垂れていたが、妹が暴走気味だと知って口を閉じた。本能で面倒事を避けやがった。

 

 走り始めた江場に四葉がついていく。風太郎は二人の後ろ姿を眺め、二人の併走はジョギングと同じ感覚でゆったりと始まった。

 

 刺激は一切ない。子供には物足りないと感じる時間だ。四葉はニコニコ顔で江場の横について、呑気に声をかけていた。

 

 

 

「江場お姉ちゃん?」

 

「え?」

 

「上杉さんが江場さんって呼んでたから」

 

「あ、ああ…うん、江場で合ってる

 …あ、君は…?」

 

「四葉です!

 中野四葉!」

 

「…

 あ、え? あれ?

 中野って…」

 

「中野先生の娘だぞ」

 

「ええええええっ!?

 あの人の子供って…ええええっ!? それに五つ子…!?」

 

 

 

 そういえば子供たちの名前を聞きそびれていたか。今頃他の四人を相手にする部員たちも素っ頓狂な声を上げているに違いない。

 

 あの美人かつ鬼教師に五人の娘、しかも五つ子がいると聞いて江場は狼狽えていた。

 

 そして一つの考えに行きついて、すぐに声をかき消した。

 

 中野零奈がシングルマザーだとは最初から知っていただろう。

 

 江場は当初、中野先生を陸上部の顧問に仕立て上げようとした。臨時の顧問になれば当然、多忙になり帰宅も遅くなる。

 

 江場の願望が叶えば、五つ子は寂しい思いをしていたんだ。教師は生徒を教え導く仕事に就いているが、その多忙な生活の中には当然ご家族がいる。

 

 江場は風太郎と顔を見合わせて気まずい顔をした。

 

 そのような後ろめたさを知らぬ四葉は、江場との会話に声を弾ませる。

 

 

 

「江場さんはどうして陸上部なんですか?」

 

「ど、どうしてって」

 

「うん」

 

「…理由なんて忘れちゃった…かな

 今は大会のことしか考えてないし」

 

「真面目なんですねっ」

 

「真面目って、当たり前のことだよ

 四葉ちゃんだって陸上部になれば大会に出て、成績を出すべく頑張るんだよ」

 

「うーん…大会かぁ…

 大会の為に頑張るのかなぁ…」

 

 

 

 受験や将来の職について考慮できない子供には理解の及ばないレベルの話だ。四葉は首を傾げていた。

 

 四葉が走る理由とは何だ…? 向き不向きの話か。褒められやすい長所だからか。

 

 

 

「私ね、部長さんにね…聞いてみたいことがあるの」

 

「ん?」

 

「上手なやり方教えてほしいんですっ」

 

「上手…?

 あはは、今の君なら特に気にすることないよ

 すぐにバテると思ってたけど、案外凄い

 全国とか…世界を目指しているのなら話は変わるけど」

 

「そういうのじゃなくてね…はふっ…」

 

 

 

 走ってまだ数分。四葉は年上である江場の顔を見ようと上を向いて走っている。普段とは違う姿勢だと疲れやすいだろう。

 

 四葉は一つ一つ真剣に伝える。去年にはなかった、五つ子の輪から外れて一人で頑張る姿だった。

 

 

 

「あのね、クラスで競争すると…四葉が1位になるんです

 凄いねってお母さんも、皆も褒めてくれるんだけど

 嫌なことも言われたりするの」

 

「気にすることないよ

 周りの妬みなんて気にしていたら、好きなことができないじゃないか」

 

「うん…だから、今まではね

 四葉一人が我慢すればいいって思ってたの」

 

「…?」

 

「…この前、三玖を泣かせたから…

 頑張っても駄目だって、言ってたけど…そんなことないもん」

 

 

 

 …先まで朗らかに笑っていた子供の、気落ちした声に江場はこちらを向く。

 

 三玖が誰なのか見当がつかないのだろう。五つ子の一人だと教えておいた。

 

 が、お悩み相談を聞ける程、江場は暇していない。子供の喧嘩の話なら相談相手が違う。

 

 以前、四葉は三玖から一位を取り返して泣かせてしまった。

 

 頑張っても駄目だった、自分ばかり辛い目に遭って理不尽だと三玖は泣いていた。

 

 空に向かって泣く三玖を四葉はずっと見ていた。四葉にとって初めて見る敗者だったのかもしれない。

 

 

 

「だからね、知ってるなら教えてほしいです

 負けた人がね、泣かなくてもいい方法」

 

「…」

 

「四葉、誰かに意地悪して、走りたくないから…っ

 はぁ…はぁっ」

 

「…四葉、もう限界だ」

 

「やだっ…だってこのままじゃ、また三玖泣かせちゃうもんっ!」

 

「君、無理しないで休んだ方が」

 

「三玖が泣いちゃうなら…私、もう走らない――

 あっ――あうっ…!」

 

 

 

 俺と江場が気づいて、手を伸ばした頃には遅く。四葉は砂利道の上で躓いて転んでしまった。

 

 江場は慌てて四葉に駆けつけて上体を起こす。見れば手や肘に擦り傷、膝からは真っ赤な血が垂れていた。

 

 四葉はよろよろと立ち上がった。膝がガグガク震えて泣いているが、唇をきつく締めて耐えていた。

 

 

 

「よ、四葉…ちゃん…大丈夫?

 上杉君、何か応急処置できそうなものは?」

 

「ああ、持ってきてるが…

 消毒はできても砂が付いてるしガーゼはやめたほうがいい、一度水で洗わないと」

 

「…ここからなら、学校が近いか

 今部員の子たちに電話して、自転車持ってきてもらうから」

 

「すまん…迷惑かける」

 

 

 

 予め面倒は看きれないと言い張っていた江場だったが、四葉を置いて走ることはできそうになかった。

 

 一度四葉を道の脇に座らせ、ハンカチで汚れを拭いて消毒液を吹きかける。傷に染みて、四葉はうめき声をあげる。

 

 

 

「…うぅ…ひぐっ」

 

「い、痛い? 少しの間我慢してて」

 

「…四葉が、悪いから」

 

「え?」

 

「どうすればいいか…わからなかったから…

 教えてほしかったんです…っ」

 

「…

 何で私に?

 それこそ…お母さんや上杉君に」

 

「お母さんも…お兄ちゃんも…みんなのだから

 盗っちゃったら、また嫌なことしちゃうから…っ」

 

「…」

 

「…ごめんなさいぃ…」

 

 

 

 汚れた手で四葉は目元を隠す。涙が砂を泥に変えて、顔まで汚れていく。

 

 何度呼び掛けても四葉は拭うことをやめなかった。その手を掴んで、風太郎は四葉の目元を拭ってやった。

 

 成績を残す。その為だけに走り続ける江場には、そのような事情を押し付けられても対応に困るだけ。

 

 何で走るのか。何で続けるのか。適当な答えで誤魔化せば良かったかもしれない。

 

 

 

「そんなこと…私に聞かないで」

 

 

 

 練習を中断されたからか。大会に挑む途中に水を差されたせいか。

 

 くだらない質問だと一蹴したかったからか。

 

 江場はやはり不機嫌そうだった。 

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