五等分の園児   作:まんまる小生

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五月雨で書いていくので、変更修正するかもしれません…(誤字脱字に限らず








後の後その4 連なる関係

 転んだ子供の泣き顔を見ると、ふいに同じ背丈になるよう膝を着いて…その子の涙を止めたくなるものだ。

 

 血が溢れれば尚の事。子供には痛々しい姿であってほしくない。外野は慌てて慰めようとする。

 

 ところが一度泣いた子はそう簡単に泣き止んでくれない。いくら優しく慰めても味わった痛みは消えない。

 

 慰めとは我慢を促すことであって。故に痛みに耐えて涙を堪えていたら褒めてあげるべきだ。

 

 不器用なガキには逆効果なんだろうな。褒めてしまえばもう泣き言を喚かない極端さが危なっかしい。

 

 極力、この子には我慢はしてほしくない。

 

 

 

「珍しく派手に転んだな、四葉」

 

「…」

 

 

 

 外口へ繋がる保健室の戸を開けて靴を履くと、冷房が効いた部屋とは段違いの、蝉が鳴く暑苦しい外気に包まれる。

 

 高校生の部活に乱入した四葉は、女子陸上部主将の江場との並走中にすっ転んだ。

 

 俺と江場は膝から血を流した子供を自転車に乗せて、高校の保健室まで運んで手当てしてもらった。

 

 事故現場で応急処置を済ませていたが、保険医に新しいガーゼを膝に張ってもらい、俺たちは一安心して部活に戻るところだ。

 

 蝉の鳴き声と一緒に四葉の鼻を啜る音が聞こえる。手を繋いで歩くと、擦りむいた膝が痛くて四葉は片足を浮かせていた。

 

 患部に触れないように子供を抱っこしてグラウンドへ。そこでは四人の五つ子と陸上部員が四葉を労わるように歓迎してくれた。

 

 

 

「四葉、足痛む? 平気? 辛い?

 辛かったら私がおんぶしてあげるから、遠慮しないで言うんだよ?」

 

「あんたが走って転ぶなんて…こういう時なんて言うんだっけ、猿も木から落ちる?

 っていうか、ちゃんと部長さんにもお礼言った? 自転車貸してもらったんだから」

 

「…お膝、包帯が赤くなってる…痛そう…

 転んだら痛いの、よく分かる…お風呂のシャワー痛かったら手で守ってあげる」

 

「四葉、無茶しちゃ駄目ですよっ

 お姉さんたちの迷惑になっちゃうし、かけっこで勝てるわけないですよっ」

 

「………」

 

 

 

 姉妹の心配と忠告に対し、四葉は顔を向けず風太郎にしがみついたまま無言だった。四葉の態度に姉妹は困惑している。

 

 反省は必要だ。家族の言葉に逃げずに向き合え、と抱いていた四葉を降ろそうとして、普段見られない異変に気付いた。

 

 ぎゅっときつくシャツを掴んで、四葉は無我夢中で家族の声から逃げていた。落ちないように縋りついている。

 

 目も涙が溢れる隙間がない程きつく閉じていた。

 

 何も聞かず感じないようにして、身を守ることに我武者羅なのか。

 

 

 

「…まったく」

 

「っ!」

 

 

 

 ぐいっと四葉を抱え直す。四葉は地面に足を付けずに済んで…強張っていた足は徐々に力が抜けていった。

 

 

 

「上杉さん、ごめん…なさい」

 

「…俯くとリボンが目に当たってうぜぇから下向くな」

 

「…」

 

 

 

 頭を垂れるなと言われ、四葉は恐る恐る風太郎の顔を見つめる。

 

 じっと見続けて、首が疲れれば四葉は風太郎の首筋に顔を埋めた。

 

 周りからの視線に隠れて、四葉は風太郎の首元でゆっくりと息を吐く。小学1年生に殊勝に謝られても嬉しくもない。

 

 四葉が今一番怯えているのは三玖からの視線だろう。

 

 ずっと気にしていたんだな、あの時の三玖との勝負。一方的で横暴な勝負、勝利を奪い返した罪悪感を忘れていなかった。

 

 明るく騒いでいた四葉の落ち込み様に五つ子だけでなく、陸上部員も声をあげる。後輩の直江が風太郎の横から四葉の顔を覗き見ていた。

 

 

 

「部長と走った後に何かあったんですか?

 あんなに楽しそうにしてたのに…」

 

「邪魔して悪かったな…こいつらのことは気にしないでやってくれ

 母親の中野先生にも知らせるから、いつも通り部活に専念してくれないか」

 

「は、はい その子のランドセルは五人一緒に置いてありますから」

 

「江場も、水を差して悪かったな

 こいつらには中野先生が来るまでベンチに座って待ってもらう、それでいいか?」

 

「…好きにしたら

 その子は君に任せるから

 君たちも、これ以上怪我したくなかったら大人しくしていて、わかった?」

 

 

 

 四葉が真横で転んで部活を中止させてしまったんだ。部長の江場には小言を言われる覚悟をしていたが…思いの他、子供には甘い性格のようで。

 

 視野が狭く、パワハラ疑惑がある鬼の部長も四葉の涙には心折れたか。江場は五つ子たちに軽く釘を刺して去っていった。

 

 女子陸上部の部活動が再開される。大会まで残された時間は少ない。子供に構っていられる余裕を持つ選手は、生憎一人もいない。

 

 もうじき日が暮れる夕方でも部員たちは最後まで走るべく、散り散りになって取り組み始めた。

 

 

 

「全員、そこに座れ」

 

 

 

 風太郎の一声に五つ子は一声もなく、グラウンドを一望できるベンチに綺麗に並んで座った。

 

 ゆっくりと降ろされた四葉はもじもじと俯いて、三玖と五月に挟まれて気まずそうに鎮座していた。日頃とのギャップが酷い。

 

 一度探検に来たとはいえ、小学1年生には未知の場所だ。周りは高校生だけで同年代の子供は影も形もない。

 

 保護者が隣にいない完全アウェイで不安げな子供たちに、風太郎はビシッと指先を向けた。

 

 

 

「はい、お待ちかねの家庭教師の授業が始まるぞー

 今日は連帯責任というルールについて教えていきまーす」

 

「れ、れんたい…? 何それフータロー君、責任とか嫌な予感するんだけど」

 

「ど、どういうルールなのよそれっ」

 

「連帯責任は一人が間違いを犯せば、一緒にいた人たちやグループ全員で責任を取る

 つまり、今回は四葉一人だけが迷惑をかけたとしても、五人全員が叱られることになる」

 

「とばっちり…

 …四葉一人を責めるつもりじゃないけど

 い、一応私たち…大人しくしてたもん

 良い子にしてたのに、フータローが四葉と行っちゃうから」

 

「良い子だぁ? 嘘つけ、あいつらからたんまりとお菓子貰ってたじゃねえか

 そのポケットのお菓子を今すぐ出せ、特に五月」

 

「…はっ…!?」

 

 

 

 何びっくりして仰け反ってやがる。姉に抗議を任せて呑気していた五月がアホ毛を直立させて、ポケットのブツを手で庇った。

 

 隠せると思ったのか、その物量…白いワンピースの布が悲鳴を上げてるぞ。

 

 さっきから目に余る、菓子の箱や袋で盛り上がったポケットを指差すと五月は震えて身をよじる。ここが家なら逃げていたに違いない。

 

 普段は真面目で素直に言う事を聞いてくれる末っ子が、真夏に照らされている時以上に脂汗を垂らしていた。日差しとは反比例して顔は真っ青だ。

 

 

 

「と、取る…んですか…っ!」

 

「五月? 無くすと困るからお兄さんが預かってあげよう

 さっさとよこせクソガキ」

 

「い、い…うぅううぅうう"っ!!

 嫌です! お菓子なんてめったに食べられないんだもん! 皆で食べるんだもん!」

 

「生徒に買ってもらったと知られたら、おまえの母ちゃんが部員に頭下げて回ることになるんだぞ

 つーかお菓子に釣られちゃ駄目だって散々言われただろうが、帰ったら説教も待っている」

 

「大丈夫だから! これは大丈夫なの!」

 

「何も大丈夫じゃねえし」

 

「今日だけ、今日だけなの!」

 

「じゃあ今日だけ没収しますねー」

 

「取っちゃダメです! 貰ったの! これはもらっ――没収はヤぁっ!

 あ、あ、あっ…っ!

 おにいいちゃああああああぁあああんっ!!! ああああああ!!!」

 

 

 

 激しい抵抗の末、逃げかけた五月を捉えてポケットの物を抜き取った。食料を略奪された五月は当然ギャン泣き。

 

 今日一番の悲鳴がグラウンドに響き渡り女子部員が何事かと目を見張る。しかし、菓子の没収を目撃すると合掌していた。

 

 五月のポケットから抜き取り、弄っては引き抜いて…俺の両手には収まらない量の菓子がベンチに積み上げられる。

 

 よくこれほど詰め込んだものだ、日頃食べられないお菓子ということで、並々ならぬ執念を感じるぜ。後で恨まれそう。

 

 

 

「五月ちゃん…ポケット膨らむくらい詰めたら絶対にバレるって教えたのに

 ほんと嘘とか騙すのが下手だよねぇ…」

 

「隠すなら一日で食べ切れる量だけ貰いなさいよね…せっかくくれたのに台無しよ」

 

「欲張りは駄目ってお母さんも言ってた」

 

「だって、だってぇ…!

 四葉の分もあるんだもん…!

 お兄ちゃんの馬鹿ぁ! くれたのに、くれたのにぃ…! 酷いよぉ…!」

 

「あはは…皆で分ければいいって言ったのに…バレたらおしまいなのになー もう」

 

「い、五月…」

 

「…施しに固執していたら、ろくな目に遭わねえぞ

 ほら全員出せ、手荷物検査といこう」

 

「これが連帯責任…嫌なルール…」

 

「没収されるのはお年玉だけにしてほしいわ…」

 

「文句言わず反省しろ、ガキに金銭が絡むとか恐ろしくて敵わねえ

 おまえらの人を見る目なんざ、これっぽっちも信用してねえからな

 悪いと思ったことに手を出すのはやめろ、いいな」

 

「そ、そこまで怒らなくても…

 う…は、反省します…ひぐっ…ひぅ…」

 

「…欲しかったら先生なり、らいはなり…俺に言え、馬鹿

 一個ぐらい先生に内緒で買ってやる」

 

「…ひっく…はぃ…」

 

 

 

 目に見えない危険を知らないのだから、甘やかせば軽く捉われて繰り返す恐れがある。叱る時はちゃんと叱るべきだと思う。

 

 頭ごなしで言い聞かせようと考えたが、何も喜びだけが子供たちの胸を満たしていたわけじゃないだろう。遠慮や後ろめたさはあったと思っている。

 

 何もかも否定するのは億劫で、つい詫びを込めて子供たちの頭を撫でてしまった。

 

 くすぐったそうに目を細めて、五月と四葉を除く、三人はそれぞれのポケットにあったお菓子を公開した。

 

 取り上げた色鮮やかなお菓子の箱。どれも子供の目には綺麗に映える品で…没収したことに心が痛まないわけではなかった。

 

 大人しく待っていること。子供たちにそう言い聞かせて一旦マネージャーの仕事に戻らせてもらう。

 

 

 

「俺の手が止まっていたと知ったら、あの人余計に気にするからな…

 前回と違って事前に学校側には連絡してはいるし、これ以上問題を起こしたくはない…」

 

 

 

 誰がとは言わない。子供たちが気がかりで傍にいてやりたかったが、生憎多忙な身なので致し方なし。

 

 そもそもあいつらが静かに母親を待っていられるか。一人ならともかく五人もいれば心細い思いはしないだろう、恐らく。

 

 …見返すとちゃんと待ってくれてはいたが、さっきから子供たちが女子部員にからかわれて慌てふためいている。

 

 日陰とはいえ真夏の太陽の下だ。女子部員たちは脱水症にならないよう、五つ子にペットボトルなどの飲料を手渡してくれていた。もう既に仲良しである…

 

 そんな穏やかな様子を陸上部部長の江場はぼーっと眺めていた。

 

 その目は恐らく、四葉一人を捉えていた。

 

 あれから口を閉ざしている子供はずっと俯いたままだ。靴のつま先で地面を削っては小石を蹴っている。

 

 家族に囲まれている光景にしては不自然。馴染めないクラスメイトに囲まれて辛そうにしている子にしか見えない。

 

 

 

「練習になってないな、すまん」

 

「…

 なんで?」

 

「?」

 

「なんであんなことを?」

 

「なんで? あ、お菓子没収?」

 

「いや、それは別に…まああまりにも横暴で酷いと思ったけどね

 食べたっていいじゃん、勝手に部員が買い与えたものだし」

 

「…母親のゲンコツを未然に防いだだけ穏便に済んだほうだぞ」

 

「…はぁ…

 私が言いたいのはそっちじゃなくて

 君は、あの子を知っているんだよね、あのリボンの子」

 

「…四葉だ、顔は同じでも見分け付かないんだろうけど」

 

「差し支えなければ四葉ちゃんに何があったのか、聞きたい」

 

「…

 子供の喧嘩だ

 この前、あいつはかけっこで身内を泣かせた

 1位を取れて大はしゃぎしていた三玖にリベンジを持ち掛けて、圧倒して返り討ちにした」

 

「なんだ…そんなスケールの話だったんだ

 中野先生、離婚して大変って聞いたからてっきり重たい話かと思った」

 

「呆れたか?」

 

「ううん…あ、気を悪くしたらごめん

 一安心というか、私にはお手上げな内容だったら断ろうかと思って」

 

 

 

 ストイックに部活に励んでいる江場が足を止めている。今日に至るまで足を酷使して走っていた彼女が突然怠けている。

 

 それほどの興味が向く矛先は四葉らしい。思い詰めた子供が気がかりだったのだろう。

 

 迷惑をかけた免罪符にするつもりはないが、江場には四葉の悩みを説明するべきだと考えた。

 

 小学1年生の分際でナイーブな奴。陸上の業界に身を置く江場は走りに悩む四葉を、子供だからと一蹴することはなかった。

 

 

 

「…四葉は走るのが好きなんだ

 あいつの数少ない得意分野で、周りから褒めてもらえる長所だからな

 将来は陸上部入りたいと宣っているほどに熱中している」

 

「良いじゃん、子供の頃からの憧れは将来の夢を掴むきっかけになる

 もしかしたら将来有望な陸上選手になれるかもしれない

 今からでも鍛えて、中学では体育系の学校に――」

 

「あいつが求めたのは、誰も泣かせずに走れる方法だ」

 

 

 

 江場は言葉を遮られたことに。否定してまで述べた俺のさらなる返答に、懐疑的な目を向けていた。

 

 江場は一つ大きな誤解をしている。

 

 共感はできる。少なくとも1年前…いや2年前の俺だったら、同じことを言っていた。結果に結びつかない努力は不要だ。

 

 有意義であるか否か、将来性を考えれば…江場の言う通り長所を伸ばすことで、誰にも勝るものを得て、自分の勝ちを上げるべきだ。

 

 価値を見出され、誰かに求められる人間で在れることは幸福だと断言できるから。絶対に勧められる道だ。

 

 

 

「あいつは本当の意味では1位という結果は求めていない

 常に過程での1位を取って、褒めてもらって誰かと一緒にいられる時間を得る

 寂しさを紛らわす手段でしかないのかもしれない」

 

 

 

 四葉は走ることで母親からも学校でも褒められ称えられる。

 

 そこがいかに不安定で怖い世界なのか、あの子は知ったんだ。アスリートの道において、友達や家族が隣に立つことはない

 

 ずっと走って、走って走って、好きなことを極めた先にある可能性に恐怖を抱いているんだ。

 

 誰かの結果を覆して恨まれることを。努力を踏み躙る行為を嫌っている。

 

 

 

「誰よりも早く走れて1位を取る術じゃねえ

 おまえから、誰も傷つけずに1位を取る方法を教えてほしかったんだ」

 

「…競争の世界でそんな温情…何の慰めにもならないよ

 それに君、矛盾している」

 

「は?」

 

「私はその四葉ちゃんの過程も尊重されるべきだと思う

 苦しんでいるからこそ、走って結果を残すことに意義があると思ってる

 でも君…否定派でしょ?」

 

「何を言ってる?」

 

「覚えてる? 君は言ったよ

 他人に評価されるための過程なんぞ、誰も見やしない…って

 君は四葉ちゃんの過程を過大評価している、そこばかり見てる

 違わない?」

 

「―」

 

 

 

 性質の悪い男だ。そう言いたげに江場はため息をついた。

 

 思い出した。前に教室でこいつと一度話をしたことがあった。

 

 過程を見ず結果だけに賞賛を向けられるのは癪だろう、とクラスに馴染めない俺に向かって言い放ったんだ。

 

 努力は正当に評価され称賛されるべきであって。邪魔するなとも言っていた。俺はその考えを振り払った。

 

 否定したはずの俺が、今は他人を巻き込んでまで四葉の悩みを…俺一人だけならまだしも、クラスメイトにまで相談して…

 

 …これは弱さか? 不甲斐なさから現れる行為か? 俺が先生に求められる人間になるには…

 

 

 

「………」

 

「…はぁ…

 子供に言うべきじゃないけど、いつかそんな気遣いが侮辱に変わるかもね

 小学生が理解するには早いとはわかってるけど…そういう世界だよ」

 

「…

 いいや、あいつはもう気づいてる」

 

「え?…」

 

「勝つってことは敗者を蹴落とす、残酷な判定を下すってことだ

 だからこそ、そんな世界でも走り続けるおまえに聞くしかなかったんだと思う」

 

 

 

 自身に奢って自己満足で終わるから、俺は無意味だと一蹴した。

 

 今の四葉は酷く枠にはまっている。他人の評価の為に走り、不当な評価をされた途端に曇りだしている。

 

 矛盾と欠けた信念を置いて、今は…四葉が泣いてまで請い願った答えを得たい。教えてやりたい。

 

 その答えを知っているのは俺ではなくて。それが無性にむかついて、腹立たしかった。

 

 江場はもう答えを出している。諦めろと。尚更腹が立って、俺はまた否定する。

 

 

 

「…やっぱり、理解できないよ

 メンタル的に向いてないんじゃないかな、もったいない

 …何で私に聞いてきたんだか…」

 

「…言うなれば

 四葉にとっておまえは、憧れとなったんだろう」

 

「…」

 

「あいつ、期待した目をしてたから」

 

 

 

 江場の落胆と失望が入り混じった声に、風太郎は苦笑した。

 

 向いてない、か。心底そう思う。馬鹿みたいに優しいから、俺のこれまでの生活を知られることが怖くもなる。

 

 真っ直ぐキラキラとした目をした四葉の目は、苦手だ。

 

 きっと江場も苦手になる。勝手な思い込みだがな。

 

 栄えある結果よりも、泥臭く失敗だらけの過程に一喜一憂するような、弱くも優しいお調子者だから。付き合い切れねえんだ。

 

 …口が過ぎたな、どう見繕ってもガキの途方もない夢だ。

 

 

 

「…話は以上だ

 あいつらがまた迷惑をかけるようなら呼んでくれ」

 

 

 

 江場に一言伝えて、マネージャーの業務に戻らせてもらった。

 

 らしくない、と自分でも思う。ここ最近は特にそうだ。

 

 前田とも。武田とも。竹林とも…高校3年になってから頻繁に思う。一言二言余計なんだ。

 

 自分を戒めて離れていく間、シューズが大地を蹴る音はしなかった。

 

 

 

「…いつからだっけ…」

 

 

 

 背後の独り言は部長のもの。大学受験、将来をかけた勝負の舞台が迫っている女からの一言だった。

 

 問われる相手はなく、暗く伸びていく己の影。夕暮れを背にして江場は地面を見つめていた。

 

 きっかけは些細なもので、口にする機会はそう多くはないだろう。

 

 だから知らぬ間に忘れてしまうこともある。何が好きだったのか、何の為だったのか。その過程を。

 

 誰も評価してくれない過程には、大切なものが詰まっている。

 

 でも膨らんで誰かにバレてしまうのが嫌で、隠そうと押し潰して、誇張しないように他のもので視線を逸らせようとする。

 

 

 

「四葉、四葉」

 

 

 

 放課後、運動部の声が絶えない場所で、俺と江場は気づいた。

 

 家族を呼ぶ、幼く優しい声音。何か気持ちを弾ませる女の子の、誰かを慰めようとする優しい声音。

 

 視線を上げて、リボンを揺らす子供を見つめる。

 

 

 

「四葉、はい 手を出して」

 

「…?

 え? これ、どうしたの?」

 

「一個だけだけど、これだけはバレなかったから

 上杉君には内緒ですよ、四葉

 えへへ」

 

 

 

 手の平の上に、小さな駄菓子の容器からラムネが転んでくる。

 

 …どうやら、回収し損ねたらしい。ちゃっかりしてる。

 

 末っ子の食い意地は侮れない。隠し持っていたお菓子を見せて、悪戯が苦手そうな笑顔を向けていた。

 

 砂汚れが付いた靴は静かに地に着いて、四葉は震えそうな手でラムネを口に投げ込んだ。

 

 

 

「ふ、ふぐ…うっう…五月ぃ…」

 

「わ、わっ 泣いちゃ駄目です!

 泣いたら上杉君に見られちゃいますからっ

 っていうか零れてます! 蟻さん来ちゃうよ!」

 

 

 

 慌てて口元を手で隠して、バリボリ食べながら四葉は嗚咽を上げていた。

 

 隣に座る五月だけでなく三玖までも驚いて、落ちる前の服の上のラムネを回収している。

 

 複雑なことを考える暇がないくらいに、近くて気持ちをぶつけてくる空間が丁度良いんだ、四葉には。

 

 なんてことのない五つ子の日常の一片を垣間見て、江場は止めていた足を再開させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わ、ほんとに五つ子ちゃん来てるんだ」

 

「レモンのハチミツ漬けはないぞ

 てか、何の用だ、竹林」

 

「中野先生が来るまで五つ子ちゃんの保護者役を志願してきました」

 

「どうぞあちらです」

 

「ふーん…意外

 風太郎のことだからあの子たちの可愛さのあまり、独占せんが為に私を追い払うかと」

 

「は…? いや、おまえはあいつらの面倒くささを知らないから」

 

「ははーん、さては舐められてるね風太郎

 まあ風太郎は子供っぽいところあるし、無理ないというかさ」

 

 

 

 片付けを間近にして厄介事が追加されましたとさ。自称幼馴染が夕暮れの女子陸上部を訪れてきた。

 

 先生は余程手が離せないのか、子供たちの迎えには来れず。学級委員として担任の手伝いをしている竹林が代行を担ったようだ。

 

 生意気な態度は相変わらず。汗水垂らす風太郎には遊んでいる暇はなく、竹林を五つ子の元へ誘導した。

 

 重ね重ね言うが、大会が近いので部員のモチベと焦りがピークになっている。一度部活動の空気に染まれば五つ子の相手ができないでいた。

 

 

 

「正直助かるな…暑いし、日差しで倒れたりしないか心配だ

 面倒見の良い元学級委員様ならあいつらも

 大人…し、く………?」

 

 

 

 食堂で待つかと誘ってみたが、涼しさを得る代償に俺が視界から消えることを知ると真夏の熱気でも我慢すると子供たちは宣った。

 

 気が気じゃなかったが竹林が面倒を看るのなら一安心。

 

 と思っていたのに、五つ子と面会した竹林がUターンしてきた。

 

 

 

「憎きラスボスと言わんばかりに嫌われててびっくりなんですけど」

 

「…は?」

 

「いや、やりとりの一部を抜粋すると…

 フータローはあげないもん、とか

 あんたはフータローの何なのよ、くっつきすぎ、とか

 上杉君と一番仲良しなのは私たちなんですー、とか

 警戒されてて、触ったら噛みつかれそうな勢いで私何もできないんだけど」

 

「…

 …ふっ…くっ…ふ、ふふ…っ」

 

「…」

 

 

 

 さ、さっきまで…やれやれ情けない幼馴染だ、仕方ないから手伝ってあげようか、後で何か奢ってもらおうかなー

 

 みたいな…小学校時代に飽きる程見た、しきりたがりな顔をしていたくせに。

 

 子供に追い返されて困惑している同級生を見て、不覚にも噴出してしまった。

 

 手で顔を隠そうとしても堪え切れず、息が詰まりそうで肩が震える。そんな風太郎の姿に竹林はジト目で睨みつける。

 

 竹林が転校してから見ることはなかった、少し膨れ面になって赤くなっている、よく知た光景に風太郎は喜び半分、もう限界だった。

 

 

 

「く…くくくっ…はははっ!

 だっせぇ…! 何やったんだよおまえ…はは!

 あいつらに嫌われるとか、逆に教えてほしいくらいだぞ…くっ…ははは!」

 

「うわぁ…笑うとか趣味悪

 というか風太郎のせいでしょ、好かれ過ぎでしょ

 予感はしてたけどもうロリコン確定、ロリ杉ロリ太郎に改名だね」

 

「あ~…腹痛ってぇ…

 ちょっと直で見てみたい、もう一回行こうぜ竹林」

 

「このっ…全力で楽しもうとしてて本当に最悪なんだけど!

 うわ、ひ、引っ張るなー! 行きたくなーい!

 ちょ、手繋いだら余計に睨まれるからやめて!?

 ちゃっかり馴れ馴れしいの変わらないよね、風太郎!!」

 

 

 

 あー面白い。こいつに一矢報いることができて大変気分が良い。

 

 嫌がる竹林の背を押して五つ子が座るベンチへ連行。ずるずると幼馴染みの踵がグラウンドに痕を残して進んでいく。

 

 

 

「またフータローとくっついてるし! 見せつけるなー! うがー!」

 

「フータロー君、そっちのお姉さんのほうが好きなんだ…?

 へー ふーん そーですかー

 お母さんに言ってやろ」

 

「いやほんと…あの中野先生から生まれたとは思えないくらい賑やかな子たちだよね

 …そっちはいつまで笑ってんの?」

 

「ははは、おまえを困らせるの久しぶりだからな

 あー 修学旅行以来だわ、なっつ」

 

「…」

 

「…二人で遊ぶの、ダメ…!! フータロー盗っちゃダメ!」

 

「…やっぱ五人は多いと思うんだ…小学生なのに圧が凄い、同じ顔してるし」

 

 

 

 五つ子…の内、3人の威嚇に怯む竹林は風太郎の背後まで退散した。相性は悪いようだな。原因は触れないでおく。

 

 竹林に来てもらって何だが、子供たちの傍には女子部員がいて、俺が目を離している間は定期的に声をかけていたようだ。

 

 竹林が回収不能になったので、結局ベンチに座って母親を待つことになる。侵入者から来客に昇格して五つ子の緊張も解れたらしい。

 

 五つ子の様子を聞きがてら、女子陸上部員に話をもちかけてみる。

 

 

 

「盛り上がっていたみたいだが、何話してたんだ?

 歳が十も離れてると共通の話題とか少ないんじゃね」

 

「話題? いや、あるある

 マネージャーが暗いとか、体力ないねってお兄ちゃんの話題になって」

 

「力ないのに頑張ってて可愛いよねーってお話」

 

「…」

 

「地味で記憶に残りづらいフツメンなんだってね、フータロー君、よくわかんないけど」

 

「うぅ…上杉君、アルバムで集合写真ぐらいしか写真に写らないんだって聞きました…」

 

「フータロー…二人組作る時に最後に残っちゃうの…? 可愛そう…私は違うけど」

 

「テニスで一人で壁にボール打ってるって言ってたんだけど…ほんと? 寂しいなら私が遊んであげるわ」

 

「上杉さん、二人でやるお仕事を一人でやらされてたって…うぅ…独りぼっちは駄目ですよ…」

 

「小学校に上がったばかりの子供にいらん知識を覚えさせてんじゃねえ!」

 

「あぁ…この後に子供たちから中野先生に伝達される予感がする

 明日呼び出しくらうかもね、人生相談してきなよ風太郎

 ちなみに、フータローが体育で困っている時は私と組んでるから

 3年からは学生らしい生活を送ってるはずだよ! 安心して!」

 

「やっぱ近すぎなのよ! 30cmぐらい離れなさい!

 もうフータローは放っておいていいから、組まなくていいから!」

 

「………」

 

「…風太郎の微妙な顔を見る限り、ここで折れると私以外に当てがいないようなので

 幼馴染みの為に、ここは押し通してあげよう」

 

「余計なお世話だ…ッ」

 

 

 

 うるせぇ…! 女しかいないこの空間、男一人の俺には分が悪い。部員がちらほらと集まってきて追いつめられていく…

 

 地味とか非力だとか喧しいことこの上ない。勉強だけできていればいいの、学生は。

 

 人の悪口で盛り上がる最低な女子たちが雑談でヒートアップしていく。

 

 片棒担いでいる竹林がごほんと、とわざとらしく遮って注目を集める。今度は何をする気だ。お役目ごめんだから早く帰れ。

 

 

 

「陰キャと蔑まされてるそこの風太郎」

 

「何だよ、おまえも愚痴を飛ばしたい腹か」

 

「良い方法がある

 ちょっとこっち来て」

 

「むぅ…やっぱりあの人、上杉君と仲良し…」

 

「上杉さんの彼女さんなの、かな?」

 

「うぅ…帰ったらママに聞くしかないわ…」

 

 

 

 部員が密集していると、今度こそ江場が怒るから戻ってくる前に鎮めたかったのに…竹林は何やら企んでいる。

 

 強引に腕を掴まれて密集地から退く。そして竹林はおもむろに自身の髪留めを外して、ちょいちょいと指を振る。

 

 …座れと言うのか。何がしたいのかわからず呆然と突っ立っていると、肩を掴まれて強制的にかがむはめに。

 

 

 

「あんなに好き勝手言われたらさ、見返したくなるじゃん?」

 

「あ?

 って、お、おい、これは…」

 

「うんうん、この髪型だと昔の面影が蘇るね

 髪、染め直してもいいんじゃない?」

 

 

 

 躊躇のない指が髪をなぞり、手に持っていた髪留めで前髪を留められた。

 

 鏡などない今、己の指先で形を確認すると…前髪が綺麗に上げられていた。

 

 何がしたいのかわからず竹林を睨むと、幼馴染みは腰に手を当ててうんうん唸っている。ご満足いただけたのなら説明しろ。

 

 要領を掴めない風太郎を竹林は180度方向転換させて、先程バッシングしまくっていたアンチに投下した。

 

 それは竹林が良く知る風太郎の姿だった。小学生時代、クラスの中心で意地悪くも優しく、明るく笑う顔だった。

 

 前髪を下ろしていた風太郎が、額を大きく露出させている。

 

 それだけのことなのに、女性陣は驚くや、瞬く間に黄色い声を上げた。

 

 五つ子も同じく、特に二乃は興奮気味に立ち上がって風太郎へ走り寄った。

 

 竹林は知っていたのだ。目鼻立ちは整っている風太郎は隠しているだけで、カッコいい男である。性格は酷いけども。

 

 

 

「あー!? 似顔絵で見た金髪の人! 似てる似てる!

 めっちゃイケメン!! イイ! やっぱ私こっちのほうが好きかも!

 ねえ、帰ったら写真撮りましょ!」

 

「フータロー君、おでこ出すとカッコいいじゃん!

 今度からそうしようよ、ね? あ、私も見習ってこうしてみよっかな」

 

「…む…なんかやだ、怖い…

 フータローはいつものがいい…似合わないから戻そうよ」

 

「上杉君は優しい人のままでいてほしいです…怖い人にならないでよぅ…

 お母さんも困ると思うの、不良になっちゃったらお姉ちゃんも悲しむよっ」

 

「髪型変えたぐらいで大げさな…

 言われなくても戻し――」

 

「あ」

 

「…ん?」

 

「…」

 

 

 

 奇異の目で見られて恥ずかしすぎる。速攻で髪留めを外したいが…竹林に両腕を背後から拘束されている…

 

 長女と次女は絶賛。三女と末っ子は派手なものは好めないらしい。髪上げた程度で派手じゃないけど、別に。

 

 2対2で意見が割れている状況で、髪留めを外そうともがき、竹林の手を振り解くと…四葉が突如声を上げて制した。

 

 問い質そうとすると…四葉は四人の姉妹に囲まれて…視線を泳がせる。

 

 

 

「な…」

 

「…」

 

「何でもないです…似合ってるよ…」

 

「おまえも俺を陰気な男だと見ていたのか、四葉」

 

「ち、違うよぉ! で、でもでも…よ、四葉も…どっちかというと

 …に、似合うかなって…えへへ」

 

「髪型変えただけでしおらしくなりやがって

 俺の今までの苦労は何だったんだ…むかつくし戻すぞ」

 

「先輩、断然そっちのほうがいいです、江場部長も絶対にそう言います

 私たちの士気も上がって大会制覇いけそうです、やる気がみなぎってきますね」

 

「どんだけ俺の容姿が足を引っ張ってたんだよ、やる気よりも足を鍛えろ

 まったく、からかうのもいい加減――お、おい、何しやがる、離せ!」

 

 

 

 髪留めに手をかけると、足の速い女子たちが瞬時に俺の手を掴みやがった。

 

 からかっているだけだと思いたいが、一部本気でやめろと言っている輩いるし…怖いんだが。

 

 恋愛に興味があるのなら運動部の男子とすればいいだろ。マネージャーに何を求めてるんだ、そこまで世話する気ねえし。

 

 

 

「ここはマネージャーとして一つ、唯一の男子としてうちらの花になってもらわないと」

 

「部活終わったらカラオケ行きません?」

 

「先輩って今フリーでしたっけ?」

 

「竹林…見てないで助けろ」

 

「遅い青春楽しんでそうだし、見てあげるよ」

 

「ちょ、ちょっと! フータローにべたべたしすぎだし!

 はーなーれーてー!」

 

「フータロー、助ける…」

 

 

 

 さっきまで竹林に噛みついていた二乃と三玖が、今度は部員を止めようと小さな体で壁になってくれた。

 

 …竹林の奴、まさか…五つ子から自分へのヘイトを下げる為に、陸上部を利用したんじゃ…嫌な性格してやがるぜ。

 

 もう暗くなりつつあり、じきに下校時間になる。騒いでいるうちは片付けは終わらないし、とっとと解放されたい。

 

 どう沈静化させるかと思考していると、徐々に騒ぎは治まっていった。誰も何もしていないのに。

 

 疑問と同時に聞こえてくる足音。黒い風景に同化した、長く黒い髪を揺らして待ち人がやってきた。

 

 

 

「お待たせしてしまい、すみません」

 

「お、おかーさんっ!

 お母さん、上杉君がー!」

 

「あなたたち…こんなところまで来て…

 上杉君にまた会いに行ったの?」

 

「だって…お勉強全然だし…

 畑だって、お兄ちゃんきたらやろうって」

 

 

 

 五つ子が走り出した。向かったのは母親の腕の中。中野先生が業務を終えて、ようやく子供たちを迎えた。

 

 多忙な身の上であり、だいぶ遅く感じられたこの時間だが、先生の額には汗が滲んでいた。急ぎ職務に従事してこの時間になったんだろう。

 

 娘の安否を一人一人確認し、先生は俺と竹林の方へ歩み寄ってきた。

 

 

 

「先生、すまない…四葉が怪我を――」

 

「ふ、風太郎く――!?」

 

 

 

 …え?

 

 普段通り先生に声をかけると、先生は驚愕した表情で固まってしまった。

 

 子供たちが意外そうな目を母親へ向けていく。大きな声を上げるなんて、本当に珍しいのだ。

 

 先生の眼差しはこちらに向いている。開けた口を閉ざして、ほんの少し唇が震えていた。

 

 

 

「…ッ」

 

 

 

 髪に痛みが。

 

 見れば先生の手には竹林の髪留めが。乱暴にも俺の髪から髪留めが外されていた。

 

 一瞬だった。痛みを訴えようとした時には、先生は元の鬼教師の顔に戻っていた。

 

 

 

「無理強いしないように」

 

「は、はーい」

 

 

 

 流石鉄仮面。夏の気温が下がる気迫で女子共の姦しさが消えた。

 

 髪留めは俺の手の上に返され、先生は踵を返す。

 

 そして何事もなかったかのように女子陸上部の部員たちの前まで歩みを戻し、丁寧に頭を下げたのだ。

 

 

 

「娘が迷惑をかけてごめんなさい

 大会が近いと聞いています、どうか部活動に戻られてください」

 

「いや先生、この集まりは竹林が原因ですから」

 

「あ、中野先生戻られたので解散でお願いしまーす」

 

 

 

 暗がりで先生の表情を事細かく確認することはできなかった。それは部員たちも同じく、特に先生の異変を指摘する声はなかった。

 

 親子の触れ合いにさっきまで騒いでいた生徒たちは口を閉ざして、各々下校の準備に移っていった。部長が外周走りから戻ってきたら部活終了になる。

 

 女子陸上部に保護された五つ子たちだが、母親の職場に迷惑をかけたのは間違いなく。子供たちは揃って母親に謝罪した。

 

 

 

「お母さん、ごめんなさい、迷惑だったよね?」

 

「お母さん…四葉が怪我しちゃった…」

 

「ママ、あのね…実は…あのお姉さんたちからお菓子貰っちゃって」

 

「上杉君に盗られたんです! あっちに置いてあります!」

 

 

 

 …一人、懲りていない奴がいる。隠れてお菓子を持ち出す愚行は防いだ。後は先生に任せるとする。

 

 結局、後日先生は女子部員一人一人に頭を下げることになりそうだ。

 

 奢った部員たちは五つ子が可愛くて仕方ないらしく、天使だと崇めてやがる。再犯する気しかしない…

 

 

 

「竹林さん、上杉君も…ごめんなさい…

 明らかに学級委員長の仕事の範疇を越えています、すみません」

 

「いえ、私はもう帰るだけだったので

 それよりも…

 ………」 

 

「…なんだ、ハッキリ言ったらどうだ

 子供たちに恨まれてるの気に病んでるのか?」

 

「そっちは完全に風太郎のせい

 …

 …中野先生、だったんですね」

 

「…? 私が何か――」

 

 

 

 下校時刻のチャイムが鳴り響く。

 

 長い夏の夕日が暮れて、もうじき暗くなる。

 

 竹林は中野先生を視界に捉え、続けた。

 

 普段担任を見る目ではなかった。

 

 朧で不確かでも確実にそこにいた人。探していた人物にようやく会えた、喜びとは違うもの。

 

 音に交じって、子供たちには聞き取れない確かな声だった。

 

 

 

 

「京都の人

 7年前の京都」

 

「…」

 

 

 

 校舎からのチャイムは鳴り止み、束の間の時間だった。

 

 先生はいつもの能面を被ったかのような顔のまま。

 

 …わざわざ教える必要はない、と風太郎はこれまで言わなかった。

 

 からかわれるのも、応援されるのも嫌だったから。竹林は友達思いで、夢を貶す人ではない。

 

 だから意外だった。焦った。後悔もし始めた。

 

 竹林は、中野零奈を見ている。笑わず濁さず。先生に似て…冷めた目だった。

 

 

 

「…」

 

「…」

 

「…どうしたのよママ」

 

「フータロー君も、どうして黙っちゃうの?」

 

「…? 帰…らないの? お母さん、お仕事終わったんですよね?」

 

「帰る前に、お礼言いたい…」

 

「うん…部長さんにも…」

 

 

 

 五つ子たちはチャイムの中でも母親と竹林が世間話に似た会話をしていたと思っているのだろう。

 

 不思議そうに見上げる子供たちに、そうですね…帰りましょう、と返した。

 

 言葉だけで視線は竹林に向いたまま。どこか穏やかじゃない空気に、風太郎は竹林の傍へ寄り仲介に入った。

 

 

 

「やっぱり中野先生だったんだ」

 

「おい、それがいったい何だって言うんだ」

 

「…

 風太郎

 風太郎は、あれから変わったよね」

 

「…何だよ、急に」

 

「修学旅行が終わってから

 別人のように…嫌いだった勉強に真面目に取り組むようになった

 良い変化なんでしょうね、先生」

 

「…」

 

 

 

 嫌な、感じだ。

 

 親しい友人同士が向き合っているこの場所が憎い。

 

 だがこれを遮ることは、竹林も先生も望んでいないと思うと…見守る他なかった。

 

 

 

「私は、あのままでも良かったと思ってるんです

 だって、風太郎は変わる必要がなかったから

 教えてあげるって言ったらうるせーって断られたりして、意地っ張りなのは変わってませんね」

 

「…そうかもしれませんね

 

「…いつ会ったのかは知りません

 先生と風太郎は親密な仲なんだと見てわかります

 でも…その為に壊れたものがあるんですよ、先生」

 

「壊れた…?」

 

「…」

 

 

 

 竹林は自虐の笑みを見せて、項垂れた。

 

 俺は自然と…無意識に竹林を睨んでいた。

 

 これは中野先生を庇うとかではなく…次第によっては竹林を恨みかねなかったからだ。

 

 邪魔するな。お節介も大概にしろ。以前ならそう言い切っていたと思う。

 

 竹林が知る上杉風太郎を、中野零奈に知られるのは避けたい。

 

 未熟者だと先生から一度不適格の烙印を押された。見栄や虚勢を張るつもりはない。

 

 だが…無様に馬鹿共に言い負かされる自分を知られるのは嫌だった。惨めで、もう何も言えなくなってしまう。

 

 

 

「…さて、おチビちゃんたち

 おかーさんと風太郎はまだ用があって帰れないみたいだから、お姉さんと校門の前で待ってよっか」

 

「ふぇ…? で、でも…お母さん…?」

 

「何であんたと一緒に行かないといけないのよ!

 フータローと代わればいいのに! チェンジ! フータローも何か言って!」

 

「あはは…ここにいるとこの前みたいに迷惑になるし、ちゃんと言う事聞こうよ

 案内してください、竹林さん」

 

「あ、君は素直で嬉しいなぁ

 顔はそっくりなのに、性格は違うんだね、お名前は何て言うの?」 

 

「教えてあげなーい、どうせ誰も私たちのこと言い当てられないもん」

 

「…も、弄ばれた…」

 

「…娘たちが迷惑をかけてごめんなさい、竹林さん

 あなた達も、助けていただいた方に失礼でしょう」

 

 

 

 竹林は表情を崩して、先生も一息ついて緊張の糸を解いた。お陰で子供たちが不満を零している。

 

 何だったんだ今のは。子供たちの前では込み入った話はできず、切り上げて次回改めて、ということか。

 

 …普通に嫌なんですけど? 人の知らないところで話題にされるのも気分が悪い。

 

 せめて今日中に、今の内に竹林を問い詰めたい、が…なぜか五つ子がバリケードになってやがる。

 

 

 

「それから…四葉ちゃん? は歩ける?

 私がおんぶしてあげよっか?」

 

「…平気です、歩ける…」

 

「四葉、手を繋ご?」

 

「わ、私も! 一花から反対の手繋ぎます!」

 

「う、うーん…あっちが一花ちゃんで、その逆が五月ちゃんで…

 さっきから私を睨んでくるのが二乃ちゃんで

 そんでもって…二乃ちゃん以上に私を睨みつけているのは誰なのかな…?」

 

「…

 フータロー取るから、嫌いだもん」

 

「嫌いかぁ…残念だなー

 …三番目の三玖ちゃんだっけ?

 もったいないなー 君が知らない風太郎のことを教えて上げられるのは私くらいなのに

 いいのかなー? 仲良くしておくのがお得なのになー」

 

「…」

 

「風太郎が好きな女の子とか知ってるよ」

 

「!

 お、教えて…くれるなら…いいよ」

 

「よーし交渉成立だね、じゃあ大人しくついてきなさいっ

 …まあ、私が知ってる風太郎って、君が嫌がってた不良風太郎時代の昔の話なんだけどね」

 

「………む~!!!

 騙した!」

 

「睨まないの、7年前のキンタローも良いところあるんだぞー?」

 

「金髪は敵なの」

 

「ふん、三玖は男子に虐められてるから…天敵になってるから逆効果よ」

 

「へ!? あ、あれ? もしかして繊細な話だった? ご、ごめんね?

 そういうことだったらお姉さんに相談してみて? 絶対に力になってみせるから!」

 

「…

 やっぱこの人嫌い…

 もういいもん、フータローといるもん 好きなお嫁さん今度こそ聞くもん」

 

「ま、待った! もしかしたら風太郎の好みのタイプ変わってない可能性あるし!

 聞いといて損ないから!」

 

「終わりが見えないから、早く連れて行ってくれ」

 

 

 

 後片付けが残ってるから早く取り掛かりたい。五つ子たちを促すと竹林は五人を連れて別れることになった。

 

 ちっ…あいつが先生に迂闊に情報漏らす前に止めねえとな。子供たちに囲まれてしまってはやりづらいので見送る術しか持たない。

 

 残った俺と先生は沈黙。竹林のせいで妙な空気で気まずい。

 

 

 

「今日もごめんなさい、上杉君」

 

「四葉が怪我を負ったんです、こちらこそすみません」

 

「いえ…」

 

「…」

 

 

 

 中野先生は姿勢を伸ばして、子供たちが待っている校門のほうを見つめている。

 

 そこには竹林もいて…あいつの意図は不明ながら、先生に物申す気だろう。不良生徒を締め上げる鬼教師でも億劫に感じるだろうか。

 

 風太郎が不安げに見ていることに気づいた先生は、ふっと苦笑して破顔した。

 

 

 

「あの時」

 

「…」

 

「懐かしさを感じました

 君はあの時から随分と変わってしまいましたから」

 

「…あんたは変わってないな

 いや、少し痩せた気もするか」

 

「君が大きくなったんですよ

 手だって、あの時と違って…もう包み込めないもの」

 

「…」

 

「…あの日も、こんな夕焼けでしたね」

 

「あそこはもう少し暗かったし、静かだった」

 

「…ふふ」

 

 

 

 7年前の京都で先生と出会った。あの時は暗くなる世界で冷たい石の階段に腰かけて話し込んだ。

 

 階段を照らす行燈の明かりが日常とは違う一時を過ごしていると感じさせられて、あの時の会話はよく覚えてる。

 

 …覚えてると思っていたんだがな。2年前まで、記憶から抜け落ちてしまっていた。

 

 先生から声をかけられて、助けてもらって始まった縁。あの頃の俺は髪を金髪に染めて、髪も上げて…

 

 一方で今の俺は地毛に戻して、前髪を下ろしている…

 

 …まさかと思うが…

 

 

 

「あの、先生

 …先生の好みは…?」

 

「…え…?」

 

「いや…さっきの

 あそこまで目の色変えられると…昔のようにオールバックのほうが…」

 

「―」

 

「…

 マシなんじゃねえかと

 あんな顔、初めて見たぞ」

 

 

 

 自分で何を言っているのか分からなくなってきたぞ。色ボケするつもりはない。

 

 しかし金をかけるのならまだしも、髪型一つ変えるだけで陰口、もとい雑音を抑えられるのならメリットしかないだろう。

 

 ただ一般的な意見を聞こうとしただけ。少し居た堪れない鼓動を抑えて、先生の返事を待った。

 

 …遅いレスポンスに耐え切れず先生を見やると…先生もまたこちらを見つめていた。

 

 暗くてももう分かる。先生の顔はちょっと赤かった。恥ずかし気に俯いていく先生はぽつぽつと語った。

 

 

 

「私にとって…昔の風太郎君は…京都の子と呼び続けていて

 思い出の男の子だから、特別であって

 …懐かしいし

 できるのなら…憧れて――いえ

 もう一度会いたいと思ってたから

 ただ…驚いてしまっただけですよ」

 

「…

 覚えておく」

 

「…」

 

「…」

 

「髪型、変えるかは別だけどな」

 

「…

 困らせないで」

 

「…髪型変えただけで大げさなんだよ…」

 

 

 

 先生の告白を聞いて、冷静に我に返り…くだらない質問をしたと思い知る。

 

 俺も先生も恋愛に興味ねえ口だろ。まったく実りのない愚問であった。あー恥ずかしい。

 

 まだマネージャーの仕事が残っている。先生は子供たちと帰り、持ち帰ったお菓子についての五つ子裁判が執り行われる。

 

 やることが残っているのに寄り道などしていられない。過程とは、ほとんどが義務と責務、日課で満たされているのだからな。

 

 先生と別れ、部活も終えて一人帰路につく中。風太郎は夜道の中、単語帳片手に歩く。

 

 しかし時折、ページをめくる手は額へ…髪の先を掴んでしまう。

 

 

 

「…らいはに聞いて…みるか

 …

 いや、馬鹿か…三玖と五月は嫌がってたし」

 

 

 

 風太郎が高校3年にしてようやく…それなりの悩みを抱くきっかけになるのだった。

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