五等分の園児   作:まんまる小生

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後の後その4 四つ葉のクローバーへ

 大会当日の朝。風太郎は台所に立っていた。

 

 

 

「それ、渡しに行くんだ?」

 

「ああ、勝負の日だからな

 応援ぐらいしてやりたい」

 

「喜んでくれるといいね」

 

「本番でそれどころじゃないかもしれないがな」

 

「…いいんだよ、お兄ちゃんが渡したいって気持ちがあれば」

 

 

 

 夏休みとなって、いつもより遅く起きれる妹は、兄につられて早起きしてしまった。

 

 レモンの蜂蜜漬け。今度こそこれで最後になる。タッパーに詰め、保冷剤を入れて巾着袋にしまった。

 

 

 

「…私も応援するよ」

 

「ん?」

 

「お兄ちゃんの受験」

 

「…いつも助けられているな、おまえには」

 

 

 あと半年。大学に受かれば引っ越すことを、らいはは知っている。

 

 それこそ高校に入学した時から決めていた。あの時はまだ3年あると遠く感じられた。

 

 しかし今ではもう…残り数ヶ月。今という一時はいかに儚く、無慈悲なもの。

 

 

 

「…もう一学期終わっちゃったもんね…」

 

「…らいは、もしおまえに不安があるのなら――」

 

「大丈夫だから」

 

 

 

 親父は夜遅く、帰ってこない日もある。兄がいなくなれば…妹は家に一人きりの日々が増える。

 

 妹を案じてみるが、らいははぴしゃりと返された。あ、兄は不要ですか…

 

 さらに妹はすぐさま洗面台へ向かってしまった。一人取り残されて途方に暮れてしまった。

 

 水道から水が流れる音が聞こえる。それと一緒に妹からの声が響いてくる。

 

 

 

「四葉ちゃんと零奈さんも行くんだったらさ、お弁当作ってあげたらよかったのに」

 

「先生が作ってくるって言ってたし」

 

「そこは自分も作るって言うところでしょ…今日はいいけどさー

 零奈さんは夏休みもお仕事行ってるんでしょ? 作ってあげなよ」

 

「ま、まさか職場まで行って届けろと言ってるのか?」

 

「そうだよ、あれから作ってないんでしょお兄ちゃん

 零奈さん食べたいだろうし、お世話になってるんだしさ

 夏休みに一回ぐらい行ってあげなよ」

 

「…」

 

 

 

 そう簡単に返事を返せず、風太郎は大会会場へ向かう準備をして逃げることに。

 

 行ってくるからな。と洗面台に立つ妹に告げて玄関を出て行く。

 

 …らいははよく、風呂場と洗面台に逃げる。水の音は嗚咽を誤魔化してくれる。

 

 風太郎が出てから、らいはは長いこと洗面台の前から動けずにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「上杉さん、どれですか、部長さん」

 

「おまえの目で分からなかったら俺には見分けつかん」

 

「あちらです、左から3番目」

 

「…視力幾つすか、先生」

 

「自分の教え子を見間違えるはずがないでしょう

 視力はどちらも2.0です」

 

「四葉と同じですね!」

 

「そういう特殊能力持ってる時点で怖いし…俺のこと1年放置してたし

 その歳で視力維持してるのも怖――いたたっ!」

 

「私はまだ20代です」

 

「来年には30になって、その台詞も今年最後――ぎゃーっ!!」

 

「お、お母さん、上杉さんのお耳が伸びちゃうよっ」

 

 

 

 四葉と中野先生と並んで観客席に腰かける。出場選手の割に観客が少ない競技場だった。

 

 テレビで中継はされているようで、観客の中には携帯で中継を見ている者もいる。

 

 それほどに遠目だと選手の存在が分からなかった。だから見分けられた恩師の目が異常だと言える。

 

 四葉を挟んで座っているというのに、娘の頭を通り越して耳を掴まれてしまった。

 

 …あまり触ってこないでほしい。あの時の緊張はまだ拭えていないのだから。四葉がいてくれて良かった。

 

 その四葉は頭のリボンを揺らして江場や部員たちを探している。

 

 

 

「あ、上杉さん あの人、エースさんだよ!

 えっと…直江さん!」

 

「ああ…あいつにはぶっちぎりで勝ってもらわないと部が廃れる」

 

「…あ、直江さんがお兄ちゃんに手を振ってるよっ

 上杉さんも手振ってあげてよ」

 

「まったく、目立つからやめろっての…」

 

「…慕われていますね

 後輩から好かれやすいと考えると、娘が貴方を慕うのも当然の成り行きだったのかしら」

 

「こき使いやすいだけだろ」

 

「そうなのですか、四葉」

 

「何で私に言うの!?」

 

 

 

 四葉の言う通り、観客席の学生の集団を見やると直江が手を振っていた。

 

 あいつらには到着してすぐに差し入れを渡しておいた。

 

 一緒にいようとか言われたが、女子に囲まれるのはもう懲り懲りだ。この二人と並んでいる方が落ち着くぜ。

 

 直江から、勝ったら勉強教えてくれと約束を取り付けられてしまったしな。マネは辞めたのに縁は続きそうだ。

 

 

 

「…好調な直江はともかく、江場は本当にどうなるかわからん」

 

「…」

 

「…それって…私のせいなのかな

 邪魔しちゃったから」

 

「違うとは言い切れないな」

 

「ど、どうしよう…お母さん」

 

「…」

 

「あいつは来てほしいと言ってただろ」

 

 

 

 勝つか負けるか。本人もそうだが見ている側もハラハラしてしまう。四葉は顔を真っ青にしている。

 

 しかし、江場が責任を擦りつけるはずがないだろう。

 

 どうやらあいつ、四葉が気に入ったらしいしな。暑苦しいだけの子供にすっかり絆されている。

 

 ただ有頂天になって、勝てると意気込むお調子者だったら良かったのに。

 

 

 

「ちゃんと見ておけよ、四葉

 勝って泣かせたらどうしようか、なんて悩むのも馬鹿らしくなるぜ」

 

「…」

 

 

 

 そろそろ始まるらしい。江場がスタート位置に並んでいる。

 

 長距離2000m走。6分以上走るこの勝負、小学生の四葉にとって未知の世界になる。

 

 子供と選手では大きく違う。思い出してみてほしい。

 

 体育祭や体育で無理矢理競争させられた…その結果。特別負けて悔しい気持ちはない。興味のない分野だから。

 

 本気で走る選手はそうは言っていられないだろう。敗北は過程の努力を水泡に変えてしまう。

 

 結果こそが全て。過程を褒めてくれる存在なんぞ、競争の場にいない外野でしかない。

 

 

 

「…あ」

 

 

 

 四葉の一声。もうすぐ始まる。

 

 静寂の後、パァンッと乾いた音が響く。一斉に駆け出す選手たち。

 

 

 

「頑張れ…っ!」

 

 

 

 四葉は真剣に気持ちを込めて応援していた。

 

 懸命に声を上げてリボンを揺らして応援していた。

 

 

「あ…」

 

 

 

 その表情が暗く、怯えたものが差し込んできても、四葉は応援していた。

 

 俺と先生は江場の姿を追いつつ、隣で泣きかけても諦めない子供の声を聞いていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆お疲れ様、これまで本当によく頑張ってきたね

 日々の努力が報われた結果だと思う

 大会は今日で終わったわけじゃない、秋も、駅伝もある

 今日の結果を糧に、奢らず諦めず、君たちには走り続けてほしい」

 

 

 

 江場は負けた。後ろから数えたほうが早い、そんな順位で…結果を出すことができなかった。

 

 それでも部長としての役目を果たした。己の挫折に落ち込む暇などない、部員を鼓舞し次に繋げた。

 

 部長の言葉に部員たちが思い詰めた顔をしている。俺と四葉、先生はその光景を遠くから眺めていた。

 

 

 

「あの、江場部長

 すみませんでした」

 

「どうしたの直江さん、急に謝って」

 

「私…ううん、私たち…部長に全部押し付けてて

 マネージャーが辞めていって、顧問が休みになって

 部長が何とかしてくれると思って…ずっと、頼りきりで、何もしてこなかった」

 

「部長が辛そうにしながら練習してるの知ってましたから

 こんな結果になるなんて…」

 

「…気持ちは嬉しいけど、前から言っていたよね

 勝負はそんな甘くはない、もしかしたらとか、こうしていたら…とか

 そんなもの関係ない、これが今の私の実力だった

 部長として情けなくはあるけど

 結果が伴わなければ意味がないんだ」

 

「部長…」

 

「だから、後悔しない選択を取っていこう」

 

 

 

 江場が足を故障させた原因は精神的ストレスが原因か。

 

 顧問の不在の中、指導者を用意しようと江場は学校側に問い合わせていた。その傍ら練習も欠かさず。

 

 自分に専念できる環境じゃなかった。そう思うと江場はこの結果に納得できるはずがないだろう。

 

 江場は気丈だった。これまで見てきた横暴で部員を押さえつけるような素振りはなく…苦笑していた。

 

 

 

「…江場、すまなかった」

 

「いえ、お気持ちは十分察していますから、先生

 私は秋までは部長を続けたいと考えています

 よろしいですか?」

 

「ああ…他の者は意見はないか

 …ないようなら、引き続き頼む」

 

 

 

 …あいつ、結局陸上の道を捨てずにやっていくのか。受験大丈夫か?推薦貰えるのなら別にいいんだが。

 

 陸上部の挨拶はこれにて終わり、部員たちがそれぞれ解散していく。

 

 そんな最中、女子がこちらに小走りでやってきた。

 

 

 

「先輩」

 

「ああ…直江か、1着おめでとう

 おまえ、案外すごいんだな」

 

「あ、案外とは…私の練習見てたじゃないですか…

 何はともあれ…お陰で結果を残せました」

 

「ああ…約束通り、勉強ぐらいなら教えてやるよ

 その代わりおまえら、2学期の文化祭は手伝ってもらうからな」

 

「あはは、わかりました…

 …

 えっと、これをどうぞ」

 

「ん?」

 

 

 

 こちらに声をかけてきたのは直江。なんだかんだ陸上部で一番面倒を看てきた後輩だ。

 

 マネージャーとして酷使された礼代わりに、2学期のイベントの文化祭は力仕事を手伝ってもらうぜ。

 

 先輩からの横暴な予告に直江は笑って了承し…何やら紙袋を渡してきた。

 

 続いて部員が一人やってきて、直江に花を渡し…そして彼女の手から俺へ手渡された。

 

 小さな花が詰められたバケットだった。

 

 贈り物を受け取ってしまった。その意図を汲んだ先生は娘の手を引いて一歩離れた。

 

 

 

「マネージャーさん、これまでありがとうございました

 部員を代表して、私からお礼を伝えに参りました」

 

「…いかにも女子部らしいな」

 

「な、何ですかその反応は

 じょ、女子ですよ女子ッ 先輩ってば全然意に介さない人でしたけど、これでも女子してますから」

 

「花も袋も、男には似合わねえデザインしてるし…そこは気を回してくれよ」

 

「いいじゃないですか、女の子の気持ちが詰まってて

 あ、あとメッセージが書かれた手紙もあるのでちゃんと読んでくださいね」

 

「そういうところに気が回るのなら、もう少し記録書類を大事にしろよ」

 

「もう、最後まで厳しいんですから…ツンデレさんめ

 …先輩のお陰で走り続けられた人が沢山います

 私も…弟と仲直り、できました

 部長も、なんだかんだ喧嘩しちゃったりしてましたが…先輩のことを信頼してます

 マネージャーを最後までお願いできなかったのを、とても残念がってましたから」

 

「あいつとはもう縁を切りたいくらいだ

 やっと地獄の激務から解放されて清々するぜ」

 

「あはは…」

 

「…受け入れてくれてありがとな

 そこそこ楽しい地獄だった、じゃあな」

 

「…はい、また今度

 勉強、教わりに行きます」

 

「おう」

 

 

 

 頭を下げて直江は去っていった。両手に花とプレゼントを手に、風太郎は彼女を見送った。

 

 お別れ会じゃあるまいし…律儀にこんなもの用意しやがって。サプライズに面食らってしまった。

 

 直江と入れ違いになって、江場がこちらに歩いてくる。直江を差し向けたのはあいつだろう。

 

 敗北者が子供の前に。約束を破ってしまった江場を前に、四葉は沈痛な表情を浮かべている。

 

 

 

「四葉ちゃん、最後に一つだけ…お願いしたいんだ」

 

「え?」

 

「私と一緒に走ってほしい

 …今、無性に走りたい気分なんだ」

 

 

 

 走りで負けた奴が何を言うか。何を誇らしく語るのか。道化にも矜持がある。

 

 江場は子供に笑いかける。既に四葉の膝のカサブタは剥がれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「追いつけなくなったら、無理せずゆっくりついてきて」

 

 

 

 江場と四葉、再び二人が並んで走った。

 

 競技場からの帰り道。近道は河に沿った河川敷の道路で、いつもの夕暮れに走り始める。

 

 走るとはいえ、自転車で来た江場と、バスで来た俺と中野家二人では遠くまでは行けず。

 

 結局は散歩といったところか。もう江場に、根をつめて走る理由はない。

 

 先生には先程貰った花や紙袋を預かってもらっている。今は陸上部顧問と話をしていることだろう。

 

 

 

「は、早い…」

 

「いくら何でも、子供には負けないから」

 

「うぅ…!」

 

 

 

 今日の江場は手を抜かなかった。四葉は隣に並ぶことができず、簡単に突き放されていく。

 

 つーか後を追う俺も無理。陸上部部長に足で勝てるわけがなく、四葉と一緒にその背を見届けるしかない。

 

 あまり無理をしてほしくないんだが…2000mを走ったんだ、今日はもう休んでもらいたい。

 

 

 

「うぅ…負けたくない…!」

 

「お、おい四葉…!?

 ちっ…1位とかどうだっていいとか言ったくせに…ムキになりやがって!」

 

 

 

 四葉がスピードアップ。江場に置いていかれないようあの背中に食らいつく。

 

 速度を上げてようやく気付いた。

 

 江場は走っている…が、今まで見たものとは違ってお粗末なもの。フォームなど関係ない。

 

 狼か、もしくは食われまいと逃げる草食動物か。獣のように前へ前へと命を繋げようと我武者羅に走っている。

 

 

 

「う、あ…あ…っ」

 

「ぶ、部長さんっ!?」

 

 

 

 背中が崩れ落ちていく。足の痛みで江場はもう限界だった。

 

 四葉が転んだ時のように、走って走って、意思はあっても力尽きて倒れてしまった。

 

 ずさっーとコンクリートの上を滑り転ぶ。四葉と共にすぐに駆けつけると…地面には血が。

 

 江場の両膝が真っ赤になっていた。血が溢れて、四葉が一度は口元を抑えた。

 

 

 

「こんなんじゃ…」

 

「…部長さん…」

 

「こんなんじゃ、なかったのにぃ…!」

 

 

 

 江場はずっと前を見据えて、立って走ろうとする。傷など一度も目もくれず。

 

 足を引きずってでも走る。早いところ追いついて強引にでも止めるべきだ。

 

 

 

「私は、頑張ったんだ…!

 部長も、練習も…なのにぃ…!」

 

 

 

 泣き声だった。江場は泣いて、子供が癇癪を起こすように自暴自棄になっている。

 

 江場に追いつき、風太郎は肩を掴んで引き止めた。

 

 膝から血が流れ、夏の夕暮れで乾いた赤い痕を上書きするかのように新たな血の痕が垂れている。

 

 これ以上走れば、足が壊れてしまうんじゃないかと思えるほど…痛々しかった。

 

 風太郎の手に捕まったことで江場は走るのを辞めた。

 

 ガクガクと言うこと効かない足が震え続けている。応急処置できるようなものは…今はない。

 

 

 

「…部長さん」

 

 

 

 彼女の血の痕を辿って、四葉がやってきた。

 

 転んだ痛みを知っている子だ。江場は振り向き、四葉を見て俯く。

 

 江場は何かを教えたかったのかもしれない。

 

 風太郎は気後れして何も言えないでいる四葉の背を押した。

 

 

 

「四葉」

 

「う、うん」

 

 

 

 確信はない。けれど…今なら。

 

 おまえが求めている答えを教えてくれるかもしれない。

 

 行ってもいいんだ、と許しを得た四葉は江場の前へ歩む。

 

 早く手当てをしたほうがいいのに、江場は構うことなく四葉へ声をかける。

 

 

 

「四葉ちゃん、負けちゃってごめん…」

 

「…ううん」

 

「…走る前から…薄々分かってたんだ

 でもね

 走ることで意義を見出せると思った、君に見せることで」

 

「見せて…ですか?」

 

「惨めだったでしょう? 見ているだけで辛かったでしょう?

 負けるのならもう走らなければいいのに…そう思ったんじゃない?」

 

「―」

 

「子供ながら、君は優しいようで、負けた人を憐れだと決めつけていた」

 

 

 

 四葉は答えられなかった。図星だったんだ。

 

 冷めた見方であると同時に、もう惨めな思いをさせたくないあまりに抱く優しさでもある。

 

 江場は見抜いている。四葉は優しくも残酷なことも考えられる子だと。

 

 どうしようもなく可愛そうだから、辛いと分かっているから…相手に優しくすべきだと考えるんだ。

 

 能天気でお人好しなだけではない。四葉は咎められていると思って俯いていく。

 

 

 

「四葉ちゃん、負けた子を不憫に思わないで」

 

「え?」

 

「負けるとわかっても、私は挑戦したよ

 ありがとう、君のお陰で思い出せたよ

 …はは、でも…私はもう1位を取ることでしか、褒めてもらえなくなっちゃった

 そういう環境を作ったのは私自身だった…」

 

「?」

 

 

 

 諦めない…ということは、まだ走り続けると言うのか。

 

 江場は膝を着く。四葉と向き合う為に。血が地面に滴る。

 

 そんな震える足でどこまで走れるのだろうか。

 

 

 

「君が思った通り、勝負は負けた人には残酷な世界

 好きな気持ちだけじゃ結果は実らない

 君は例外なんだ…気持ちだけで勝てるようになっちゃったから

 君は完全に区別してるよね、自分と負けた人と」

 

「…だから私、そういう困ってる人を応援して――」

 

「君が負けた人と同じ立ち位置に行くのは無理だよ

 追い越した私に追いすがろうとする君を見てわかったよ

 これから先、ずっとそうなんだよ

 君は勝負ができる子なんだ

 だから、負けた人を気遣ったり、助けに行っても…

 またあなたは思い悩むんだと思う」

 

「え…ど、どうして…もう勝たなくていいのに

 私は良いことしようと…」

 

「かもしれない…でも、あなたはきっと辛いままなんだよね

 あなたは敗者になればね、きっと勝者を恨む子だよ…きっと」

 

「――」

 

 

 

 一つ、思い当たる節がある。

 

 三玖に追い抜かれて負けた日。風太郎と母親に褒められる三玖を見て、二度目の勝負に引き込んだ。

 

 自分の領域に踏み入れられたこと、長所を奪われる行為に憤慨し、三玖を蹴落としたんだ。

 

 四葉の本質は、至って健全な負けず嫌いだ。それを隠すべく周りに優しく振る舞い、笑っている。

 

 

 

「だからそんなにも優しいんだよね

 三玖ちゃん…だっけ?

 その子の為に自分を犠牲にしたんだよね

 でも捨てられないよ

 君、私に似て…根っこは嫉妬深いよ」

 

 

 

 エゴにも程がある…だが、江場の解答を否定しきれないんだろうな。

 

 夏祭りも、そして三玖を泣かせた騒動も…事の発端は四葉が姉妹へのヤキモチだった。

 

 嫉妬を抑えて我慢するのは得意。だが…隠しているだけで本来の性格は生粋の構ってちゃん。

 

 先を行く先輩からの言葉に四葉は表情を曇らせていく。

 

 他人に優しくなれない。自分が不出来な存在だと問いかけられ、泣きだしそうだ。

 

 

 

「…君が三玖ちゃんに優しくしようとする気持ち

 大事なんでしょ、君にとって一番」

 

「…うん…」

 

「でも君がそれを優先したら、君が辛いだけなんじゃない?」

 

「…それ、でも…

 私は、皆が…大事なんだもん…っ」

 

 

 

 四葉が導き出した答え。皆ではなく誰かから見つけてくれることを願った。多くは求めない謙虚なやり方だ。

 

 それではまた苦しむことになる、と江場は予告している。

 

 なぜなら、勝つことを諦めた四葉が我慢できるはずがない。カッとなって三玖を見返した子だから…無理なんだ。

 

 四葉の性格上、うまく自分の気持ちを伝えられなければ、満足できないんだ。

 

 しかし子供なりに考え抜いた処世術だ。駄目だったと言い当てられて、四葉は落ち込んでいる。

 

 勝ちたい、認められたい。でも嫌われるのも一人になるのも嫌。

 

 自分が目指す道が途絶えたことに泣きそうな子を、江場はゆっくりと抱きしめた。

 

 

 

「強くならないと、ね…四葉ちゃん」

 

「え」

 

「一番、大事なものがあるのなら、辛いことがあっても取りにいかなくちゃ

 矛盾しているけど…関係ない

 ね、四葉ちゃん」

 

「大事…? でも、それじゃあ…また誰か泣かせちゃう」

 

「負けた人を弱いと決めつけないで

 その子はもっと違うところで勝ってるかもしれない

 かけっこの世界だもの」

 

「…でも、私はこれしか…三玖だって泣いちゃって…」

 

「そうかもしれないね…だから、この先全部

 自分が言いたいこと、好きなことを押し通して

 負けた人には何も言わず…置いていきなさい

 優しさが常に正しいと思わないで…自分の為に走って」

 

「…」

 

 

 

 四葉にとって大事なのは相手ではなく、優しさを振りまく自分だと。嫌われない自分でいることだった。

 

 それではいつか破綻する。江場からの警告だった。走って褒められるだけでいたかった自分は失敗した。

 

 江場は強く抱きしめた。抱擁されて戸惑う四葉は空を見上げていた。

 

 四葉が欲しかったもの。それは賛辞であり認知されること。

 

 安心感を得たいんだ。自分の居場所を求めて、誰かに求められたいんだ。

 

 江場もまた同じだと言う。誰かに恨まれようと、敗者を泣かせたとしても走り続けろと言っている。

 

 四葉にとっては到底、許容できない暴挙でも。

 

 

 

「…部長さん?」

 

「…」

 

 

 

 四葉は気づく。江場は震えて、もう足も限界で。

 

 そこまで一生懸命走った。部長の務めも、選手としても愚直に走り続けた。

 

 無理だと言われても走った道化は何を求めているのか。

 

 四葉はその大きな背中を撫でた。

 

 小学生が高校生をあやしている。四葉は江場の涙を全部胸の中で受け止めた。

 

 …優柔不断な四葉には土台無理な話だった。置いていけるわけがない。

 

 泣いている子の隣に駆けつけて、一緒に座り込む子だ。

 

 

 

「頑張ったね、江場さん」

 

「…うん」

 

「痛いの我慢して、辛かったですよね」

 

「…うん…っ…

 でも…勝ちたかった…

 私、頑張ってきたのに…」

 

 

 

 結果に結びつかない、過程の賛辞に江場は泣き続ける。

 

 大人になろうと、プロになろうと求めるのは変わらない。傷の舐め合いだろうと…努力は認めてほしいから。

 

 それに四葉もまた江場と似たような思考を持っている。見てくれなければ不安なんだ。

 

 優しいだけじゃ生きてはいけない。時には自分の意思を貫く強さ、誰かに頼る方法を。

 

 風太郎はため息をつく。認められない弱者の弱音だが…分からないでもない。

 

 他人には依存しない程度に…そこが難しいんだがな。先生に咎められたばかりで…気が重たい一言だった。

 

 悩み悩まされ、結局は振り出しに戻る。

 

 

 

「…怖いけど

 取ってみます、1番」

 

 

 

 額に口づけしただけで、独占欲から姉妹に宣戦布告した子だ。四葉は見てもらいたいんだ。

 

 子供は背中を撫で続ける。

 

 一度だけなのだろう。慰めた後はもう残酷な世界へ行ってしまうから。

 

 優しい世界には居続けられない。優しさが自分を傷つけることを知った、血の匂いがする真っ赤な夕暮れだった。 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

「四葉ちゃんいますか!?」

 

 

 

 後日、家庭教師中の中野家にけたましい来客がやってきた。

 

 中野先生は仕事で子供たちに代わり対応すると、俺を撥ね退けて江場が居間に襲撃する。

 

 足に大怪我を負った女子高生が息を切らしている。こいつ絶対に走ってきただろ。

 

 

 

「四葉ちゃん、良かったらこれ!

 スポーツショップの割引券! これでシューズとかスポーツウェアを買えないかな!」

 

「ランニング用の備品とか到底買えるか、中野家の財政考えろ」

 

「それなら私がプレゼントするから!

 四葉ちゃん、今日時間あるのなら、わ、私と一緒に…!」

 

「江場さん、ごめんなさい

 今日は上杉さんとお勉強の日なの…また今度でいい?」

 

「…ん…ぐ…ぎ、ぎ…

 子供に勉強を強いるなんて…拷問でしかない

 はっ…もしや、私や先生の知らないところで…虐待――」

 

「いやこれ、こいつらの宿題…これやらないと先生からゲンコツ虐待だから

 要件が済んだら帰れ」

 

 

 

 あれから数日。江場の奴が四葉を可愛がりすぎて滅茶苦茶うるさい。

 

 目に入れても痛くないと言いたげに甘やかしまくっている。母親の前だと大人しくなるくせに…

 

 これには他の四人も身の危険を感じて距離を置いている。家庭教師の邪魔すんな。とっとと追い払いたい。

 

 

 

「…それと上杉君」

 

「あ?」

 

「君の忠告、もう既に遅いけど

 一考すべきだったと思ってる、貴重な意見に耳を貸すべきだった」

 

「…

 いや、俺も言い過ぎた

 おまえの熱意を知らず、勝手だったな」

 

「いや、君の意見は正しかった、結果は君が言った通りだった

 だから…その

 ついでと言ったらおかしいんだけど、元マネージャーのよしみで

 私の勉強を見てほしい…」

 

「…」

 

 

 

 いがみ合って、憎き仲だと思っていたら存外変わるものだと…少し驚きがあった。

 

 江場は心底恥ずかしそうに、もじもじと視線を逸らす。陸上に魂売ってる奴が随分としおらしくなったものだ。

 

 

 

「まあ、普通にお断りなんですけど」

 

「…」

 

「…」

 

「よ、四葉ちゃん…四葉ちゃんからも何か言って!」

 

「上杉さん! 江場さんが困ってるんですから

 意地悪しないで助けてくださーい!」

 

「うるせえぞ、構ってちゃん共」

 

 

 

 夏休みはまだこれから。勉強に費やしてしかるべきで…たまに江場に勉強を教えてやることに。

 

 四葉は江場と出会い、多少ながら明るさを取り戻した。

 

 多少とはなぜか…姉妹と衝突することが多くなったらしい。喧嘩しては落ち込むのはいつものこと。

 

 だが、姉妹に譲ってばかりだった四葉がほんの少し素直になった。三玖とも…じきに仲直りするだろう。

 

 傷ついた三つ葉は後に四つ葉となる。幸運はいずれ後にやってくる。

 

 自分が傷ついた分、幸せをもたらす子になれるのなら。きっと四葉は優しく在り続ける。

 

 

 

「望んでいたはずなんだがな…」

 

 

 

 いずれもう、面倒を看れなくなる。

 

 傷つき、間違えたとしても…四葉は強くなる。優しくあり続けて。

 

 四葉はもう大丈夫だと悟って、安心して…寂しく思う風太郎だった。

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