五等分の園児   作:まんまる小生

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後の後その5 上杉風太郎の愛し方

 受験勉強に勤しみ、ケーキ屋のバイトで汗を流し、五つ子の家庭教師兼家政婦の為に中野家へ足を運ぶ。

 

 過去一番に忙しない夏休みを送っていた風太郎だった。比較的、勉強時間が削られていながらも蟠りなどはなかった。

 

 時々先生のお弁当を作って、食べたいおかずを聞いてはチャレンジ。段々と先生好みのお弁当になりつつある。

 

 ケーキ屋の店長やらいはにもアドバイスを聞いたり、その腕を五つ子の食卓で振るったり…そんな夏休みだ。

 

 夏休みも半ばに入る。先日、先生が言っていたお盆休みが数日後に訪れる。

 

 中野家が実家に帰るとのことで、家庭教師は休みになるのだ。

 

 

 

「お爺ちゃん家、上杉君も一緒に来ませんか…?」

 

「それは去年聞いた、行かない」

 

「でもお爺ちゃんが、お世話になっているのなら招きたいねって、お正月言ってたわ

 スイカとか、メロンとか! 丸いナスとか採れるんだから! あの畑とはレベルが違うんだから!

 フータローも来なさいよ! 私からお爺ちゃんにお願いしたげる」

 

「旅館だけやってるんじゃねえのか、おたくの爺さん、行かない」

 

「スイカとメロンはね他のお家から貰ってるんだ

 あとお野菜はお爺ちゃんが育てたのがあって、畑以外にも海に釣りとか行ってて

 山もあって川でお魚焼くの、フータロー君も来たら絶対に楽しいよ!」

 

「今の生活とは雲泥の差だな…メロンもスイカも食えそうにねえし、行かない」

 

「お兄ちゃんが言う事聞いてくれなかったので

 お爺ちゃんに畑にスイカ植えたいって相談してみます

 来るなら今のうちだよ、上杉君!」

 

「おまえの爺さんは花咲爺なの? しつこい」

 

「うわーん!」

 

 

 

 一緒に行こう、遊んで、などと無理難題言い放題な五つ子の相手は飽きることない。

 

 なにせ話のネタが五人分。そのネタも五つ子がほぼ共有していて一度話せばずるずると長話。時間の経過などあっという間だ。

 

 夕暮れも過ぎて夜も深けてきた。夕食を食べた子供たちと束の間の団欒にまどろんでいた。

 

 俺は帰ってから妹の夕飯を食べるので、この時間になると空腹感が悩みどころ…中野先生が帰るまでの辛抱だ。

 

 夏休み最終日に五つ子が宿題に追われちゃあ困る。母親が一番困るからな。そしてげんこつ食らう五つ子が不憫でもある。

 

 毎日こつこつ継続する習慣を身につければ後の勉強も楽になる。そう教えておきたいものだ。

 

 来年は俺もいねえし。今が肝要なのだ。

 

 

 

「ねえフータロー君、お母さん今日遅いのかな?」

 

「どうだろうな、忙しいとか言ってたし

 でも夏休みだから、いつもより早めに帰れるんじゃないか」

 

「らいはお姉ちゃんがそういうこと、ママに聞いたら

 なんか会議? とかテストがあるんだって」

 

「…教師にテスト?」

 

「授業のテストなんだって」

 

「…そういえば、武田が模擬授業があるとか言ってたか

 教師になっても勉学を試されるとは、本当に難儀な職業だな」

 

「ほんとよ…ママのお夕飯、ラップしないと…」

 

 

 

 すっかり家事が板についた二乃が夕飯の焼き鮭にラップを被せた。小学1年生の分際で旦那の帰りを待つ妻みたいなポジションになっている。

 

 正直、二乃の成長は俺もらいはも、恐らく先生も喜ばしいものだ。本人の希望もあってか、お互いに望んだ形に出来上がりつつある。

 

 見守るのも楽しく、二乃がぷりぷり怒りながらラップをかけるのを眺めていた。その視界に、揺れるアホ毛が邪魔してくる。

 

 

 

「でも上杉君はお母さんみたいになりたいんですよね!

 先生になるんですか?」

 

「嫌だ、絶対に嫌だ

 教師になるとか正気を疑う」

 

「お、お母さんのお仕事なのに…

 う、上杉さんにはお母さんの味方をしてほしいですよぅ」

 

「フータローは、私のお婿さん」

 

「なぜここで割り込んでくるんだおまえ」

 

「前からずーっと言ってたもん」

 

「無理だってずーっと言ってたぞ」

 

「…」

 

「…み、三玖?」

 

「…フータローは私の味方じゃないとやだ」

 

「敵になったつもりは…

 わかったわかった…泣くなって

 最近妙に打たれ弱くなったな…こうしていればいいか?」

 

「フータローのせいッ!

 …でも優しいから…許す

 …んふー…」

 

「三玖がすっごいニヤニヤしてる…」

 

「こんな顔、クラスの男子に見せたら一発で虐められるわ」

 

 

 

 お婿さんにはなれないが、涙ぐむ三玖を膝元に招き寄せて宥めるくらいはできる。

 

 三玖は膨れっ面のまま膝に寝転んだ。屈んだ時には照れて笑っていたけどな。隠してもお兄ちゃんは分かっちゃうからな。

 

 腹に腕を回されてがっちり掴まれている。甘えているというか、もはや攻撃だ。すりすりとすり寄ってくるから暑苦しい。

 

 お許しを得たので三玖の頭をぽんぽんと叩きつつ、時計を確認。今は20時過ぎ。下手したら22時とか過ぎそうだな…先生。

 

 

 

「フータロー君…帰っちゃう?」

 

「…先生が帰るまではいるよ

 小学生でも、まだまだ心配だしな」

 

「ご、五人もいるから大丈夫よ?

 ふ、フータローも…その、お勉強あるって」

 

「ふ…全国1位を侮るな

 帰ったらきっちり勉強するから問題ない、大人を舐めるんじゃねえ」

 

「帰ったらもう遅いのに…フータロー君は頑張り屋さんだなー

 お姉ちゃん褒めちゃう! よしよーし」

 

「褒めるくらいなら見習え、特におまえは怠け過ぎだ一花

 俺は夏休みの宿題を二日で終わらせたぞ」

 

「頭おかしいんじゃないの」

 

「もはや悪口! 微塵も見習う気ねーのな!」

 

 

 

 陸上部のマネージャーをやっていたせいで勉強レスだったから、宿題は2日で終わってしまった。

 

 課題は終えているので一日ぐらい中野家に費やしても余裕だぜ。この為に日々勉強していると言っても過言ではない。

 

 俺の誇張に五つ子は安堵し、大人がいなくなる不安からは解放されたようだ。

 

 何かと我儘横暴生意気な五つ子の気遣いは一人前のそれ。俺が帰ると聞いた三玖は腕の力を緩めたのだ。一瞬に終わったけど。

 

 俺が身動き取りづらそうにしている様子を見て、一花が俺の膝に手を置いてきた。三玖があからさまに睨んでるぞ…

 

 

 

「私だってお勉強頑張ってるー!

 もうさ、フータロー君がご褒美用意するべきじゃん」

 

「…まぁ人生初の小学生の夏休みだしな、勉強三昧はつまらんとは思う

 ご褒美つっても何が欲しいんだ

 物を買い与えると代償にげんこつ制裁がくるぞ、俺も連帯責任くらう」

 

「れ、連帯責任はダメね…」

 

「覚えたか」

 

「流石にねー 四葉もアレで大人しくなったんだから」

 

「四葉、最近は一人で勝手なことしなくなったわね」

 

「何で皆、私ばっかり言うの!?

 わ、私そんな悪い子だったかな…?」

 

「うん」

 

「五月ぃ!?」

 

 

 

 四葉は唯一の妹の裏切りに泣きかけていた。江場の走りを見てから少し丸くなったようで何より。

 

 

 

「んーと…ご褒美でもお金がかかるのはダメだからー

 てーい! お邪魔しまーす!」

 

 

 

 一花が膝の上にダイブして寝転がってきた。仰向けになって、こっちを見上げている。

 

 ずどん、と容赦なくずり落された三玖が姉を睨んでいる。俺の膝が段差になってガン飛ばしは意味をなさず。

 

 また膝枕か。見下ろして一花を見つめ返すと、女の子は照れくさそうに身をよじった。

 

 

 

「…一花…ずるい、私が取ってたのに」

 

「それしてもらうなら、ご飯手伝ってる私が先じゃん?」

 

「よ、四葉も…頑張ってるよ

 お、お兄ちゃんなら、知ってるよね?…ね? 変わってきてるよね?」

 

「あわわ…け、喧嘩はダメですよ

 仲良く順番にしよ? わ、私は最後でいいから」

 

「最後にして、一番長く寝るつもりでしょ、あんた」

 

「…タダで満足するのならこれでいいけどよ」

 

「やった」

 

「上杉! 次は私ね!」

 

「二乃の次…3番」

 

「四葉なので4番で!」

 

「さ、最後でいいって言ってたから…私も」

 

 

 

 マセた子供が順番待ちで膝枕を所望する。これループしそうだな…お兄さん、長時間正座は慣れているけどおまえらがガチ寝しないか心配です。

 

 もうじき眠くなる時間だしな。こいつらには風呂に入って布団を敷いて、歯磨きをして…眠る準備をしてもらいたいものだ。

 

 先生がいつ帰ってくるのか知らないが、夜遅くまで起きていると知られると親心を悼め――

 

 がちゃり。カギを開ける小さな音が。

 

 噂をすれば何とやら。微かな音を聞き逃さなかった子供たちは一斉に玄関を見やった。

 

 

 

「ただいま帰りました」

 

「お母さん! おかえりなさい!」

 

「ママ、おかえり

 晩ご飯できてるからね、今日は鮭を焼いたのよ」

 

 

 

 待ちかねた母親が帰宅。大好きな母親が務めから帰って来たことで娘5人が揃って迎え入れる。

 

 さっきまでニコニコ顔で見上げていた一花が離れてちょっぴり虚しい。コロコロと手の平を返して憎たらしくもある。

 

 家主の前で偉そうに座り込んでいるのもアレなので、ちゃぶ台の上の教材を片付けた。もう間もなく最後の一人の食卓となる。

 

 …いつもなら、罪悪感からすぐに挨拶が飛んでくるのだが…何か反応が悪い。

 

 子供たちへの言葉数も少ない気がする。大人しく帰りを待つ子を労い謝るのが、あの中野先生だと認識している。

 

 改めて帰って来た女教師を眺めると…疲れている様子だった。なんとなくわかった。

 

 娘を見つめる瞳に力がない。去年、元旦那の実家への遠征から帰って来た日、あの日はまだ元気があったように思える。

 

 

 

「ママ、ご飯食べる? あっためるけど」

 

「そうね…もう遅くなってしまって、皆もお腹空いているでしょう」

 

「あ、ご、ごめん…私たちだけ先に食べちゃった」

 

「…そうでしたね、上杉君がいてくれたのなら準備できましたね

 上杉君もごめんなさい、遅くまで娘たちの相手を任せてしまって

 あとお弁当…洗って返しますから」

 

「いえ…弁当は俺が洗って持ち帰るのでいいです

 …これまで頻繁に連絡してなかったので今更ですが…

 そこまで急がなくても、先生がちゃんと帰ってくるまで残っていますよ」

 

「…ええ、そうね…

 そうだったわね、ごめんなさい」

 

 

 

 どうもおかしい。なんというか…思慮が浅くなっているように見受けられる。

 

 先生は迂闊なことは口走らない。極めて無口なほうだ。

 

 …子供の前で溜息などつけやしない。先生はまだ…病を患っている。

 

 俺がこのまま帰ったらこの人は。浅はかにも保護欲をかき立てる…危うさと儚さが今の先生にあった。

 

 

 

「…先生?」

 

「…」

 

「…」

 

「は、はい…何でしょう?」

 

「…重症だ…」

 

「その言い方は腑に落ちません…上杉君からの言葉を待っていただけです」

 

「ならば、いつも通りだと…?

 あ、いえ…別に咎めているとかではなく」

 

 

 

 俺からの問いを受け流しつつ、先生は靴を脱ぎ手を洗う。

 

 まっすぐに伸びた背中を向けられると疑いが勘違いだと思わされる。

 

 先生とはもう1年以上の付き合いだ。それもほぼ毎日顔を見ている。

 

 あまり問い詰めるのも責め立てているようでまずいか。渋々引き上げてちゃぶ台の前に座り直した。

 

 しかし風太郎だけならまだしも、その異変に子供たちが気づかない訳がなく。

 

 

 

「…フータロー…」

 

「どうした、三玖」

 

「…お母さんの相手してくれる?」

 

「ん…?」

 

「そ、そうね…三玖の言う通りよ

 お願い、上杉」

 

「意図がわからん…」

 

「お母さんを助けてあげてほしいんです」

 

「上杉さんならきっと大丈夫ですっ!」

 

 

 

 子供である自分たちが言っても聞いてくれないと分かっているんだろう。母親への理解度が高い五つ子だった。

 

 くいくいっと袖を引っ張られ、背中を押されまくっている。子供たちは一生懸命だ。

 

 俺にどうしろって言うんだよ…疲れてるなら休ませればいいだけじゃん。最悪他人の俺が出て行った方が良いまである。

 

 

 

「お母さん、今日もお仕事大変だった?」

 

「一花…いえ…大丈夫よ

 いつも遅くなってしまって申し訳ないと思っているのですが…

 …体は元気そのもの、心配しないで、一花

 お姉ちゃんとして、いつも頑張ってくれてありがとうね」

 

「…

 もー お母さんはいつも、いーっつも平気って言うからなぁー」

 

「一花…」

 

「お母さんは私たちには嘘ばっかり言うんだから仕方ないもんね

 そんなお母さんをお手伝いするって約束したけど…

 でも今は…フータロー君 バトンターチッ!」

 

 

 

 一花め…使えない先鋒である。自分は降参して大将に全て任せるつもりでいやがる。

 

 撤退する一花から俺へと視線が移る。先生も困惑していて、このまま放置はだいぶ可哀そうだ。現状、先生の味方一人もいねえ…

 

 嘘つき呼ばわりされる母親はゆっくりとちゃぶ台の前…俺の横に座る。その所作はもはや他人の家に招かれた側のほう。

 

 な、何で家主が他人の顔を窺わなくちゃいけないんだ…早々に対応しなければ。

 

 

 

「あー…その、だな

 先生」

 

「…はい」

 

「疲れてるのなら休んだほうがいい

 飯も食べて…風呂もゆっくり入って、早く寝よう」

 

「…」

 

「辛かったら明日は仕事休みましょう、その日は養生に専念してくれ

 邪魔にならなければ…ここに来ますんで

 これは迷惑とかそんなものじゃない、俺のしたいことの一つだ」

 

「上杉君…

 …ええ、お気遣い痛み入ります

 お風呂も夕食も…家のこと、任せてしまっていますね

 でも、明日は休むわけにはいかないわ…大事な用事があるから」

 

「そ、そうですか…なら今日は目いっぱい休んで、後のことは俺に任せ――」

 

「不甲斐ない母親…頼りない教師だわ…

 君にそこまで言わせてしまった

 その一言に責任を手放そうとする弱い自分が…嫌になるわね」

 

 

 

 ぎゃ、逆効果ァー! 先生が俯いていく角度が増していき、娘五人もそれに連れて視線が降りていく。

 

 気遣いのフルコースをお見舞いしたら、親としての責務が足りていないと先生が落ち込んでしまった。

 

 手強い相手だ。守ろうとしたら守られる自分に恥入っている。武士か何かかあんたは。甲冑は顔だけにしてほしい

 

 子供たちの言葉を何度も振り切ってきただけに、俺の拙いフォローでは傷つけてしまうだけか。

 

 

 

「…ずっとあの頃から成長してないのね、私は」

 

「…」

 

 

 

 …子供相手なら簡単なのに。お互い、らしくないことしている。

 

 膝元にはまだ子供の温もりがほんの少し残っている。消えないうちに提案してみる。

 

 

 

「今なら丁度良いものがある」

 

「…?」

 

「膝枕、空いてる」

 

「…膝枕?」

 

 

 

 先生と対面し、いつの間にか正座になっていた。

 

 覇気のない先生の眼差しが、下に降りていた視線が少しだけ上がった。太ももが落ち着かない。

 

 教え子が教師を膝枕など…しかも基本、女性がするもの。

 

 される側は子持ちの母親で…子供の前では律した姿を保持していたいと真面目な人には…好ましい提案ではない。

 

 血迷った生徒を一瞥し、先生は目を逸らした。呆れられている…気乗りしない母親に娘たちが猛アタックをしかけた。

 

 

 

「一花の次は私だったけど、ママになら特別に譲ってあげるっ

 こーろー賞って奴! ほら、早く」

 

「…それはいくらなんでも彼に悪いわ、もう遅いし帰る頃――」

 

「お母さん照れてる

 フータローにお世話されるの嬉しいのに」

 

「照れているわけでは…私は彼の先生で――」

 

「江場さんが言ってました!

 体の傷はすぐに治っても、心の傷はずっと消えないんだって!

 そういう時は無理しちゃ駄目だって!」

 

「無理をしているわけでは、私は元気だと言っているじゃ――」

 

「そういう嘘はね、お母さん お兄ちゃんにしちゃ駄目です!」

 

「五月…でも

 私だって…カッコ悪いところ見せられないから」

 

「お母さんがカッコ良いところは、もっと違うところだもん!

 そういうところ見せても、上杉君はお母さんのこと嫌いになりません!」

 

「…」

 

「よーし お母さんの娘全員がOKだしたから…

 てぇええええい!!」

 

 

 

 一花率いる五つ子集団が先生の背中に突撃をしかける。当然母親は前のめりに倒れる。

 

 酷い娘らだ。お陰で先生は顔面から俺の膝…もとい腹部に突っ伏してしまった。

 

 こうも余裕のない先生は珍しい。手を床につき先生は慌てて顔を上げた。

 

 顔を上げた先で俺と顔が近いことになって…何も言わずに俯いた。

 

 今は膝枕ではなく四つん這いの状態。付かず離れず…先生の長い髪が揺れて膝元を掠っている。

 

 中途半端でどっちつかずな態勢で、先生は止まった。

 

 

 

「ご、ごめんなさい」

 

「おたくの娘…幼稚園から卒業しただけで、随分と口うるさくなったものだな

 来年も、再来年も…もっとうるさくなるぜ、先生」

 

「…」

 

「あんた、疲れもそうだが、落ち込んでる」

 

「…なぜそのように思われたのでしょうか

 今日も…君にお弁当までいただけて…とても満ち足りた一日だったわ」

 

「…先生のさっきの言葉、意気込みは嘘偽りないんだろうな

 疲れは見せない…それはいつもやってきた

 弁当なんて、本当にちっぽけな贅沢だ

 面倒事が降りかかれば簡単に忘れちまう」

 

「そんなこと――」

 

 

 

 お弁当を頂けたから今日も元気、だなんておかしいだろ。子供っぽい理屈に苦笑してしまう。

 

 手をついたまま項垂れる先生は少しずつ戻ろうと身を引いていく。逃げられそうだった。

 

 先生の肩に手を沿えて、こちらからの意思を示した。嘘つきには容赦しない。

 

 長い髪に埋もれていく俺の手を先生が見つめる。

 

 先生の意思に反して、首を傾けるだけで先生の髪が俺の指を絡めていく。

 

 

 

「些細なことだわ」

 

「…」

 

「…いえ、些細…では

 …ない、ですね

 言い切っては駄目だわ…軽く捉えちゃ…」

 

「?」

 

 

 

 何かを否定した先生は目を閉じて俺の手を取った。

 

 優しく解かれて、俺は先生の肩から手を離した。

 

 振られたか。

 

 そう思いが過った直後、衣が擦れる音と一緒に膝元に重みが。

 

 

 

「温かい」

 

「…さっきまで、一花が寝てたから」

 

「…うん…」

 

 

 

 先生が横になった。教え子の膝を枕にして。横顔を見下ろすと先生の長い髪のせいで顔は見えなかった。

 

 居間を照らす明かりが先生の顔を照らす。眩しいかと思い、風太郎は前のめりに。恩師の顔を見下ろしていた。

 

 おぉ…と五つ子から感嘆の一声が。よくよく思えば娘がいる手前で男に甘えるのは大層ハードルが高かったんだと今になって気づいた。

 

 

 

「少し、疲れました…」

 

「疲れましたか」

 

「ええ」

 

「…

 正直、あんたから甘えてくれると…助かる

 一応…年下なんでな、俺」

 

「そんなこと言われても、年下に甘える方が大変よ」

 

「そ、それもそうだな

 わかった…善処します」

 

「…ふふ、いけないことだわ

 心が弱った女に、優しくしないで

 あの時も、あと少しで壊しかけたわ」

 

「…それがあんたの本心からの行為なら――んぐっ」

 

「…本当に

 知らないうちに悪い子になってしまったわね、上杉君」

 

 

 

 あの時とは。記憶を巡らせる前に先生の指先が唇を霞めた。

 

 そのまま額を軽く叩かれた。子供たちにはお咎めの手に見えたことだろう。

 

 額よりも唇の先に意識が向いている。

 

 これ以上出過ぎたことをすればどうなるのやら。怖いことを言う先生は仰向けになって天井を仰ぎ見る。

 

 五つ子を見やると、俺に動くなと大仰にジェスチャーで伝えてきた。シーッと一切の物音を立てることも禁止らしい。

 

 黙っているのはいいが…こちとら気恥ずかしいことこの上ない。綺麗な女性の顔や男の目を引く胸も真近にある。

 

 整った顔も体も、髪の感触も匂いも伝わってくるんだぞ。普通の男なら我慢など効かないと思う…美人とは罪なものだ。

 

 

 

「…」

 

「…」

 

 

 

 静寂が続く。恩師はこちらを見つめて、やがて脱力して息を吐く。力のない瞼も閉じて眠ってしまいそうだ。

 

 吐息と上下する胸に目を奪われがちだ。だが艶のある女と言うよりも…どちらかと言えば…

 

 本当に…どうしようもない子供のような、面倒を看ていたいという世迷言が思いついてしま――

 

 

 

「お母さん」

 

「…

 

 …

 

 …

 

 …

 

 …

 

 は?」

 

 

 

 今なんて…? 顔を上げると、もの凄い勢いでブンブンと顔を横に振るう五つ子たちだった。

 

 私たちじゃない。何も言ってない。お母さんと呼んだのはお母さん。

 

 聞き違いではなかったようだ。目下の年上の女教師を睨むと、先生は悪戯が過ぎたと笑った。

 

 

 

「なんて険しい顔」

 

「あんたが言ったのかよ

 …教え子を母親呼びは無理がある、あと俺は男だし」

 

「膝枕、お母さん以来なの

 目薬や耳掃除なんか…髪を乾かした後もそう…ううん、怒られた時も

 こんな風に…言葉以外で私に愛情を教えてくれた」

 

「…先生の母親はもう亡くなられて…」

 

「私が小学生の頃に病気で

 …私は悲しくて泣いても、母はこう言ったわ

 いつか置いていってしまうのが親だから

 辛くても、どうか健やかに生きてほしいと…お願いされました」

 

「子供からしたらそんなもの、勝手な言い分だろ

 親なら死ぬまで生きようと抗うべきだ」

 

「ええ…でも…でもね、上杉君

 もし死ぬかもしれないと思ったら…生きたくても、死んだ後の事も考えないといけないわ」

 

「…」

 

「…あの言葉が母の本意だったと、同じ母になって私は理解したわ

 だから…もし私も同じ立場に遭ったら、無念なのもわかる

 酷い親だわ、置いていく覚悟はあっても、置いていかれるのは…嫌よ」

 

「…置いていかれる…?」

 

 

 

 物騒なことを言ってないか、この人。以前、病と過労から長くは持たないと話をしたことがある。

 

 それは置いていく覚悟であって…置いていかれるとは? 子供が先に亡くなる…ことになるのか。

 

 戸惑う教え子に先生はまた一つ苦笑して返した。

 

 

 

「…気にしないでください

 私は教師で生徒を守る

 …君の憧れであり続ける為には…否定しないといけなかった」

 

「先生、何があったんだ?」

 

「…今はお伝えすることはできません

 もしかしたら、いずれ君も耳にするかもしれないわ」

 

「え?」

 

「…私から告げれば、きっと恨まれてしまいそう」

 

「誰に…

 …いや、いずれ分かると言うのなら…今は聞かない

 でも、俺もその事情を知った時は

 困ったことがあったら相談ぐらい、してほしい」

 

「はい」

 

 

 

 その返事はいつもの凛々しくやや冷めた声音に戻っていた。

 

 教え子の膝から頭を上げて、先生は乱れた髪を整える。

 

 子供たちには背を向けていて気付かれていない。

 

 片方の手で掴まれていた。冷たい手でほんの少しの軽い力を込めて、手を繋いでいた。

 

 …笑ってしまう。あの鬼教師が情事に、男に耽るなどありえない。

 

 これは戒めで、謝罪だ。手のひらを返すのは一花の専売特許じゃない。

 

 

 

「ごめんなさい、上杉君

 勇気をくれて、ありがとう

 だけれど…今は…この子たちの母として」

 

「ご自由に、先生」

 

「お、お母さん?」

 

 

 

 手を解いて背を向けた先生は、静かに母親を見守っていた娘5人を抱きしめた。

 

 腕を大きく広げて強引に抱き寄せた。さっきまで風太郎に寄り添っていた母親の突然の振る舞いだった。

 

 驚く五つ子はすぐに笑顔を咲かせて、たった一人の親を抱きしめ返した。

 

 母親が大好きな、小さな子供にとって嬉しいもの。あの手から逃げることはないだろう。

 

 

 

「三玖」

 

「う、うん?」

 

「困った時、辛い時…帰りたい時は

 誰が何と言おうと…必ず、お家に帰ってきなさい

 私が何とかしてみせるから

 約束よ」

 

「…

 ???

 わ、私この後何か起きるの?」

 

「先生は疲れている、とりあえず一緒に寝てやれ」

 

「お風呂、まだなら一緒に入りましょうか」

 

「え…う、うん…いいよ…恥ずかしいけど…」

 

「あはは、これじゃあ三玖がお母さんで逆になっちゃうね」

 

「お風呂はいいけど、ママはご飯食べて」

 

 

 

 子供を抱きしめてエネルギーを補給する母親は置いといて、二乃に代わり先生の夕食の準備をしてやるとする。

 

 二乃が焼いた鮭をレンジで温め、味噌汁も温めるべく鍋に火をかける。らいはが作った漬物を冷蔵庫から出しておく。

 

 カチャカチャと皿を並べていくと…母親に抱かれる五つ子が、先生の肩越しにこちらを睨みつけていやがった。べったりくっついてるくせに可愛げがない。

 

 

 

「フータロー君もお母さん抱きしめればいいと思う」

 

「誰がするか、つーか先生もご飯食べな」

 

「一花も、上杉君をからかわないの」

 

「だってお母さん、嬉しいでしょ、本当は」

 

「…」

 

「…」

 

「…これ以上は…お母さんの胸、壊れちゃうから」

 

 

 

 …どういうこと? 意味が分からず、一花だけでなく五つ子全員が母親の胸を凝視する。

 

 それ以上悩みを抱えたら爆発すると言っているのか? なら早く休め、飯食って風呂入っちまえ。

 

 それとも…俺を意識して身が持たないとでも? はっはっは ナイスジョーク。

 

 またいつもの、冗談です と返すに決まっている。乗らないぞ、そんな見え見えな罠。

 

 何度この人にからかわれ、弄ばれたことか。歳の差もあるし、何よりも

 

 

 

「嘘こけ、バツ1が未成年の男に翻弄されるわけあるか」

 

 

 

 既に一度体験してるんだ先生は。男との恋愛など。子供には分からんだろうけど。

 

 甘い言葉で若い男を手玉に取ろうたって、俺は騙されないぞ先生。

 

 駆け引きとは常に冷静沈着に、思慮深くやるものだぞ。全国一位の成績優秀者を侮らないでもらいたい。

 

 

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

 

 

 

 再び静寂が。子供たちは何かを察し、ゆっくりと母親から離れていった。

 

 

 

「…」

 

「…」

 

 

 

 嫌な予感がする。ひしひしと怒気のボルテージが上がっている重圧が襲ってくる。

 

 ギギギ…と錆びた音を立てて先生が振り向く。長い髪で目元が隠れてもはやホラー。

 

 な、何でですかね。事実じゃん先生。そんなに怒ることあります?

 

 あんた並大抵の男に靡かないだろ! あんたほどの完全無欠な鬼教師を学生が落とせるとでも!?

 

 仕事で見る鉄仮面ではない、にっこりと笑っているのが珍しくも不気味だ。

 

 怒った女は怖い。今までにない風太郎の新たな経験だった。

 

 

 

「行きましょうね、今年も一緒に」

 

「…ど、どこへ…?」

 

「夏祭り」

 

 

 

 先生は花火が好きだ。この夏の時期、欠かさずに打ち上げ花火を仰ぎ見るのだ。

 

 泥沼にずぶずぶと浸かっているような、がっちり掴んで引きずり込まれている危機感に迫られる。

 

 手痛いキャンセル料が発生しそうなので、無言で頷いておいた。先生の笑みは落ち着いて、いつもの能面に戻っていった。

 

 …空気を悪くして長居するのもしんどいだけなので、先生の夕飯を温め直して早々に退散した。

 

 失言だったのは申し訳ない、が。

 

 先生に膝枕をした熱がまだ残っている。意識しているとバレるのが嫌で…つい。

 

 段々と先生と顔を合わせづらくなっていっている。夏祭り、楽しみなようで億劫な風太郎だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「分不相応が過ぎる」

 

 

 

 ケーキ屋へ出勤途中、急遽バイト先の店長から買い出しを頼まれていた。

 

 ケーキ屋のREVIVALではこの春、二乃とケーキ作りを一緒すべく、環境が整ったプロのキッチンを貸し与えたことがある。

 

 店長はそれをいたく気に入ったようで、子供たちとのケーキ作り体験コーナーを計画している。今は料理に使う道具を買っていたところだ。

 

 ファンシーな色をした型取り。子供が痛がらない柔らかい毛先の爪ブラシ。大きくて見やすいデジタル計量器などなど。

 

 利便性を優先すべきプロの現場には不釣り合いなラインナップ。大人が使い込めばすぐに壊れそうな耐久性なのもネック。

 

 目指すは夢を見せるお菓子教室。金銭目的はない。あの店長にしては随分と思い切った買い物だ。

 

 

 

「…? あれは三玖か」

 

 

 

 普段足を運ばない店で購入したから、バイトへ向かう道もいつもとは違っていた。

 

 公園の前を通れば麦わら帽子を被った三玖が園内に。珍しく他に五つ子は見当たらない。

 

 友達と一緒か、とは露ほど思わなかった。

 

 なにせ三玖の前に立つ相手は、同じ年頃の男の子だったから。

 

 もう嫌な予感しかしねぇ…躊躇わずに足を公園のほうへ向けた。

 

 

 

「オバケ女ー! おまえがここ使ってると心霊スポットになるだろ!

 どっか行けよ!」

 

「…」

 

「おまえ帽子被ってると余計に暗くね? つーか似合わねえし」

 

「…ッ」

 

「…ねえ、暑いし早く遊ばね」

 

 

 

 …あの子らが三玖にちょっかい出してるクラスメイトか。

 

 相手は3人か。一人は気乗りしないのかやや離れて諦観している。

 

 三玖は男子の心無い台詞に、大きな麦わら帽子をぎゅっと掴んで耐えた。何も言わず、ただ堪えている。

 

 逃げないのか。良い度胸だ…ではなく。そもそも何であいつが一人で公園にいるのやら。

 

 止められる人間がいないのなら仕方あるまい。なおも歩は子供たちの方へ向かっていく。

 

 高校生が小学生相手に大人げないとかこの際どうでもいい。うちの可愛い妹分を泣かせたら許さん。

 

 多少ゲンコツ2、3発お見舞いするつもりで公園に足を踏み入れると、その脇を過ぎて猪突猛進する女の子がいた。

 

 

 

「こーらー!! 三玖ちゃん虐めるなー!!」

 

「あ、リっちゃん…」

 

 

 

 ザッと三玖の前に立ち、男子たちの前に立ちふさがるヒーローがそこにいた。

 

 顔を上げる三玖がぱっと明るいものに変わっていく。

 

 

 

「げ、デカ女ッ!? この片目オバケ! また呼んだな――あだっ!?

 またぶったな! 卑怯だぞ!」

 

「いだっ!! て、手は出してないからな、俺たち! この暴力女!」

 

「がはっ! な、何で俺まで…!」

 

「言葉でも暴力なんだからね!

 ニュースでも言われてるんだから!」

 

「知るかよ! 後で絶対泣かす!」

 

 

 

 問答無用に男子を突き飛ばした女の子は三玖を庇うように仁王立ち。徹底抗戦のようで三玖と違い気の強い子なのだろう。

 

 その背丈は男子の頭一つ分高かった。同い年…なんだよな?

 

 リっちゃんと呼ばれた女の子は不届き者は成敗と言わんばかりに男子3人にグーパンを頬に打ち込んでいた。

 

 アグレッシブすぎる…二乃でもあれはやらない。乱闘になるのかと思いきや、相手が悪いと踏んだらしく…少年3人はとんずらこいた。

 

 逃亡先は公園の入り口。つまり俺の方。

 

 逃げる現行犯二人の首根っこを捕まえて持ち上げた。陸上部マネで鍛えた腕力がフル活動である。

 

 

 

「いらっしゃい」

 

「うわぁあああ!?」

 

「だ、誰だよこいつ――うあー!! 離せー!!」

 

「や、やばいよ二人共、大人が…」

 

「あ、フータローだ…」

 

「フータロー? あ、あの人が三玖ちゃんが言ってたお兄ちゃん?」

 

「はっはっは! うちの三玖が世話になったな!

 ちなみにオバケ女とは誰の事だ?

 んー? お兄さん気になるなー!」

 

 

 

 手足をブンブン振り回されて、蹴られたり引っかかれたりして痛ぇ…だが絶対に離さん。

 

 あまり事が大きくなると警察沙汰になるので程々に。暴れに暴れて力尽きたのか男子二人は襟を掴まれたまま宙ぶらりん状態。

 

 俺の腕が勝った。滅茶苦茶腕が痛いが我慢だ。子供相手に弱みは見せないぞ。

 

 奥から三玖とリっちゃんとやらが手を繋いでやってくる。友達二人を人質に取られた3人目の少年は項垂れて黙りこくっていた。

 

 

 

「一つ聞いておく

 これまでに三玖がおまえらに何か悪さをしたのか? その仕返しか?」

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

「…わ、私は…何も――」

 

「三玖ちゃんは何もしてないからね!

 何もしてないのに暗いとか、不気味とか言って笑って虐めてた!」

 

「おい、デカ女! おまえは黙ってろよ!」

 

「俺たちだけじゃないし! 一番最初にやったのは――」

 

「さ、最初――」

 

 

 

 告げ口したリっちゃん相手に吊るされた男子が憤慨すると、先まで黙っていた男の子が口を開いた

 

 大人の俺を心底怖がっているようだ。何か言いたいことがあるのなら言え、と目で呼びかける。

 

 今になって流石に逃げ出したりはしないだろう。

 

 掴んでいた男子二人も下ろしてやると、ゆっくりと話し始めた。

 

 

 

「最初、誘ってた…遊ぶのに

 ドッチボールとか、鬼ごっことか

 でも…な、中野…

 え、えっと…

 お、オバケ女」

 

「…

 あれだな三玖、おまえ…顔と名前を覚えられてない

 だからオバケ女とか酷いあだ名がつけられるんだ」

 

「覚えられなくたっていいもん」

 

「それで、三玖がどうした」

 

「み、三玖ちゃんは、俺たちを無視したから

 誘っても何も言わないし、グループ活動でも何も言わないし

 それでうちらのグループだけ失敗して…先生に何か言われたり…で」

 

「…

 すまん、それは三玖が悪い」

 

「フータロー!」

 

「だがな、おまえらはやりすぎだ、見合っていない

 それでオバケ女だとか

 ノロマ、暗い、びびり、雑魚、幽霊、片目オバケ、背後霊とか言って

 虐めていい理由にされたら、たまったもんじゃねえな!」

 

「そ、そこまで言ってねえし!?」

 

 

 

 嘘つけ、お兄さんは知ってるんだからな。二乃からちゃんと情報を得ているんだ、言い逃れできると思うなクソガキめ。

 

 真夏の日差しに照らされてうんざりだ。要件だけ伝えて、俺もバイトに向かいたい。

 

 膝を着いて極力男子3人と同じくらいの背丈に合わせる。これは頼み事でも何でもない、約束だ。

 

 

 

「迷惑をかけてすまなかった、三玖は更生させる

 授業で迷惑をかけたり、遊びに誘ってくれたのに失礼な態度を取ったんだ

 今後そうさせないように三玖に言い聞かせる」

 

「は? もうおっせーし! 俺たち迷惑してたんだからな!」

 

「ああ、だから

 それでも足りないのなら、俺がこの場で三玖の頬を叩く」

 

「え」

 

「虐め足りないのならこの場で言え

 おまえらが満足するのなら、俺が三玖を叩いて罰を与える」

 

「い、意味わかんねえよ

 は? 罰とか、体罰じゃん」

 

「リっちゃんも言ってたな、言葉は暴力だって

 全くその通りだ、おまえたちは三玖を3人で囲って虐めた、受け手にとっては暴力と同じだ

 …まあ、おまえらにそこまで理解しろとは言わない、分かってないのは見てわかる

 三玖が迷惑をかけたのなら謝る、再発しないようにする

 それで足りるかと聞いているんだ

 足りないから満足するまで三玖を虐める…それはお兄さんとても困るんだ」

 

「…」

 

「三玖は俺にとって可愛い妹みたいなもんだ、虐めた仕返しはする

 ぶん殴られる覚悟はできてるんだろうな」

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

 

 

 恩師の娘であって、仮にも好きだと言ってくれた女の子だ。

 

 泣かせたら絶対に許さない。子供だろうと何だろうと。貧乏人にとって生活苦以上の不幸は、常に他人が運んできやがる。

 

 先生の元旦那だろうと一度はぶん殴るつもりだ。子供相手に気が引けるが、罪の度合いは同じだ。言葉が拳で帰ってくるリアル社会を教えてやろう。

 

 委縮してしまった子供をこのまま恐喝し、仮に殴ったら…まず警察。親御さんからのクレームが飛んで中野先生が頭を下げるはめになる。

 

 最悪それも良しと考えはした。今この場においては…先生よりも三玖を守ろう。

 

 この時点で自分がいかに冷静さを欠いているか痛感するが…一つ提案する。

 

 

 

「それが嫌なら

 一旦、今日でリセットしろ」

 

「り、リセット?」

 

「三玖への罰が終わったら三玖は反省してやり直す

 それ以降、三玖に何か言いたいこと、むかつくことがあるのなら、俺に言え

 その時は俺が三玖を叱り、三玖を連れておまえらの家まで行って頭を下げに行く」

 

「い、家って

 そ、そこまでしな――」

 

「暴力はな、一度やったらそこまでしねえと終わらないんだよ

 それが嫌だって言うのなら…三玖を傷つけた仕返しをするからな

 三玖にはおまえらの名前と住所を教えてもらう、俺はおまえたちを一生恨み続ける

 さあ…どっちか選べ」

 

 

 

 小学生にとって、学校生活は切っても切り離せない、生活の一部となっている。私生活とも言える。

 

 社会人の職場と違い、己で場所を選べず、他社との交流を強いられ、教室という狭い空間に押し込められて生きる。

 

 子供が助けを求めるのなら、大人はなりふり構わず助ける。三玖が本当に辛い思いをしていたのなら、受験が近かろうと関係ない。全力で守る。

 

 怖がらせてしまったか。子供3人は青い顔をして頷いてばかり。

 

 

 

「どっちも選べないのなら目障りなだけだ、とっとと行け

 もう顔は覚えた」

 

 

 

 まだ小さいガキが高校生に喧嘩は売れない。少年3人は走り去ってしまった。

 

 帰って親に助けを求めるか、黙っているのか。夏休み明けに一悶着起きるかもしれない。

 

 面倒事はもう避けられない。三玖が虐められている以上、たとえ親が敵に回ろうと守る。負け戦だろうと子供だけは守る。

 

 世の中には自殺してしまう子供だっているのだから。何もかも遅くなって後悔するよりかは…

 

 

 

「…ただの口約束だ、今後虐めてこない確証はないが…あの3人はしばらく大人しくなるだろ――」

 

 

 

 酷使した腕を撫でつつ三玖と合流しようと歩み寄ると、じゃりっ…と砂地を削る音が。

 

 

 

「み、三玖?」

 

 

 

 

 三玖は後ずさった。

 

 昔、三玖と初めて会ったあの頃のように。

 

 足を引きずって、リっちゃんの後ろに隠れてしまっていた。

 

 

 

「三玖? どうした? もうおまえを虐める奴は追い払ったぞ」

 

 

 

 帽子を深く被っているせいで三玖の顔色は伺えない。が…リっちゃんもまた三玖と同じような態度を見せていた。

 

 帽子の向こうから嗚咽が聞こえる。

 

 

 

「…ふ、ふーたろぉ…」

 

「ど、どうした三玖? あいつらは追い払ったぞ?

 もう怖いことは何もないんだ」

 

「フータロー…怖い…」

 

「え」

 

「ふーたろぉ…怒らないで…

 優しいフータローが…いい…っ!」

 

「…」

 

「ひぅ…うぅ…ぐす…」

 

 

 

 さっきまでクラスの男子に囲まれても、虐められても泣きはしなかった。我慢して耐えていた。

 

 なのに今では涙を堪え切れず、手で拭っても溢れては落ちていく。

 

 …不出来な自分を呪った。いかに自分が上手く子供たちを騙せていたのか。

 

 一年前に思い知った。周りを追いつめて、見下して馬鹿にして、手の平はずっと強く握りっぱなしで。

 

 家族の為に頑張ろうとした。でも守りたいものはもう手の中にはなかった。

 

 どこかに落としてしまって、ずっと間違ったまま努力し続けた。誰かの為にと言いながら、その誰かの顔を見やしなかった。

 

 その結果が今の俺。あの時泣くほど後悔したのに…子供を泣かせてしまった。

 

 

 

「ごめんな三玖」

 

「…っ…ふ…た…ぐすっ…

 …まもってくれて、ありがと…ふーたろー…」

 

「…俺はおまえの味方だから

 …怖がらないでくれ…」

 

 

 

 嫌気がさす自分を許してくれた三玖の言葉が身に染みる。

 

 駆け寄ってきた三玖を強く抱きしめた。守りたい子をこれ以上泣かせたくなくて。

 

 死んだ母親もまた、同じ苦悩を味わっていた。

 

 子に優しくしても空回りばかりで。優しくしたくてもできない理由があって。

 

 言葉だけでどうにか、不出来な自分では伝えられない気持ちを、精一杯伝えようとして。

 

 本当に優しい人なのに、伝わらない。

 

 風太郎の不器用な愛し方は、あの母親譲りだったのだ。

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