五等分の園児   作:まんまる小生

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中野零奈が亡くなった未来のお話です。

原作で既に亡くなっている五つ子の母親ですので
このifストーリーは書かずにはいられず
総じて暗いお話になっております。

この続編の「五等分の教え子」は甘め重視にしておりますので(後に投稿して参ります)
長いお話になりますが、お付き合いいただけると幸いです。


番外編 幼子との約束
幼子との約束


 高校時代、世話になった教師がいた。

 

 当時の俺は他人を見下し疎んでばかりの問題児だった。

 

 努力せず陰口ばかり叩く、そんな人間に価値はないと決めつけていた。

 

 他人が嫌いだったんだ。憎んですらいた。

 

 選民意識などないが、人間として欠陥を抱えていた。未熟者だと指摘されてもなお変わらなかった。

 

 なぜそこまで変わり果ててしまったのだろうか。たとえ他人を疎んだとしても、見下すような真似はしなかったはずだ。

 

 我ながら家族の為に変わろうとする自分に酔っていたんだろう。失敗を笑う奴らが許せず抗うように敵視していた。

 

 競り負けることを恐れ、余裕を失い焦る日々を過ごすうちに、家族を重んじる心を忘れていたんだ。

 

 小さな歯車でも、それが活きるには欠かせない必要なもの。放り捨てられてしまえば、小さいほど見つけるのは至難。

 

 無くしたまま強引に動かしてきた。そうやって、少しずつ軋んでいき、壊れてしまった。

 

 

 

「…一度で構いません

 一度、きつく握った手を離してみなさい」

 

 

 

 教えてくれたのは先生だった。

 

 他人など捨て置いていいだろう。あの人は俺の手を取って教えてくれたんだ。

 

 握り締めた手の平には、あの時願った家族を思う気持ちなどなかった。

 

 悪鬼のように勉学に取り付く様を見せてしまい、妹を泣かせてしまったことがあった。

 

 友達を切り捨てたことを、父は笑いながらも息子を憂えていた。

 

 失態を知らしめるだけでは、俺は救われなかったと思う。

 

 こんな自分が優しい人間だと、先生はそう言った。

 

 泣く程、心が救われた。あの人の手は冷たくも温かく…後悔に泣く俺の手をずっと包んでくれた。

 

 だが、過ちを正そうとしても。荒んだ心には人に優しくする術が欠けていた。あの頃はよく他人との関係に苦悩していた。

 

 あまりにも社交性のない人間で自己嫌悪した。

 

 子供は構わずに文句を言い、遊べと手を引き、縋るように甘えてきた。

 

 妹を除けば子供と接したことなど皆無だった。戸惑ってばかりで何度も恩師の娘を泣かせてしまった。

 

 なのに、あの子たちはよく慕ってくれたな。

 

 今では懐かしく、大切な思い出だ。

 

 あの子たちと出会ったから、他人と寄り添う大切さを学んだ。

 

 踏みしめた道を見つめなおすと、他人を疎んでおきながら他人に救われてばかり。そんな子供だった。

 

 真っ当とは言えないこんな自分でも、先生と同じ教師の道を歩むことができた。

 

 だから…いつか必ず、礼を尽くそうと誓っていた。

 

 高校生の自分にできることはないのなら、近い将来…必ず会いに行こうと。

 

 いつか。必ず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつか。必ず。

 

 そう考えてばかりだった。

 

 ありえると知っていても、後悔するとしても、失ってからでは何もかも遅くても、まだ早いと視界から追いやっていた。

 

 謝罪も。感謝の言葉も。伝えなければならなかったことも。いつかと手放した大事なものを見てほしかった。喜んでほしかった。

 

 やればきっと美談となっていただろう。だが、やらなければ全てが後悔として一生残る。一生悔いて生きていく。

 

 失ってからじゃ何もかも遅い。後悔してからじゃ手遅れだ。

 

 分かっていたのに、なぜ繰り返したのか。

 

 もう、言えないんだ。

 

 あの人はもういない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日は眩い日が差す青空だった。

 

 夏の日差しは痕を残すことを許しはしない。そんな枯れた空だった。

 

 ここは静かな場所だった。人の足音と車が走る音。何かを忍ぶような低い声。活気というものとは離れてしまった空間だ。

 

 告別式を終え、妹のらいはと親父と共にこの場へやってきたのだ。車から降りると夏の猛暑が駐車場のコンクリートを熱していた。

 

 今日は8月の17日。

 

 太陽は人の気も知らずに、お節介にも真上から人を照らしている。流したものなどすぐに枯れさせる暑さだ。

 

 俺たち三人に会話はなく、口を閉ざして施設へ向かう。

 

 傾いたままの、硬くて真っ白な視野の先。ふと気づく。

 

 施設の入り口の前に置かれたベンチに、泣いている女の子がいた。

 

 学生服だろうか、黒い服を身に纏った子は俯き、肩を震わせて泣いていた。

 

 見てすぐにあの子だと気づいた。

 

 髪が長く、癖ッ毛が目立つ子だ。

 

 あの頃はよく笑い、よく食べて、我侭で泣き虫で、明るい女の子だった。

 

 らいはも驚き、居た堪れないような表情を浮かべている。

 

 昔はご飯を作ってあげて、特別に可愛がっていた子だ。すぐにでも駆け寄り、抱きしめて慰めたいだろう。

 

 

 

「悪い、らいは

 先にあっちに挨拶だけしてきてくれ、待たせてたら悪いからな」

 

「…うん」

 

 

 

 らいはと親父は玄関を通り、中へ入っていった。

 

 俺と、俯き涙を流す子供だけが残った。

 

 あの五人の中でも、一番に母親を慕っていた子だ。十年も昔の話だが。

 

 日の光から逃れるように、思い出の子は日陰の中で悲しみに暮れている。

 

 葬式など俺は二度目だ。一回目はもうほとんど記憶にない。

 

 あの時の自分も、この子のように俯いてばかりだったのだろうか。

 

 ゆっくりと、思ったより重くなった足を運んで歩み寄った。

 

 近づいて思い知る。懐かしさと、虚無感が湧く。

 

 子供はこちらに気づくと、力なく下げる顔を上げた。

 

 生気を失ったような、泣いて腫れた顔。日陰に曇るそれは灰色に染まっているようだ。

 

 そんな顔が、少しずつ灯が灯るように僅かに色が浮かんでいった。

 

 

 

「上杉、さんですか?」

 

「なんだ

 覚えてたのか」

 

「…覚えてますよ」

 

 

 

 一つ驚き、上げた顔がまた俯く。

 

 

 

「き…来て下さり、ありがとうございます」

 

 

 

 震えた声でも、泣いても、気丈に振舞おうとする子供の隣に座った。

 

 十年前は腰より下だった幼稚園児も、今では高校生。

 

 思い出の一人である子供の顔を見れば、声を聞けば、自然とあの頃を思い出してしまう。

 

 だが、思い出話などできる時ではない。

 

 家族との別離に絶望している子に告げた。

 

 

 

「もう時間じゃないか」

 

「…」

 

 

 

 不躾な、気のない言葉だ。

 

 別れを惜しみ、泣き崩れる者にはあまりにも心を痛める言葉だ。

 

 

 

「先生と、お別れはしたか?」

 

「…」

 

 

 

 火葬がもう始まるはずだ。参列者は俺たち上杉家の他に友人知人はいないそうだ。

 

 他の四人も、喪主の祖父も、見送りの場に集まっている。きっとこの子を待っているはずだ。

 

 静かに涙を流し、閉ざしていた口から嗚咽が溢れ出した。

 

 認めたくなくても迫っているものがある。

 

 いくら認めたくなくても現実はこうなった。

 

 悲しい。何もできなくなるほど悲しい。何も受け入れたくない。

 

 それでも、いいから。行かないといけない。

 

 

 

「黙ってていいし、泣きながらでもいいから

 あの人にお礼言っとけ」

 

 

 

 子供が泣き崩れた顔を上げる。震えていて、涙や鼻水でとても笑って見送ることはできそうにない。

 

 俺はハンカチを取り出し、きつく握った手を開かせて、握らせた。

 

 

 

「ちゃんと伝わるから、五月」

 

「…は、い」

 

 

 

 一つ頭を下げて、五月は家族の下へ向かった。

 

 今も、通夜があった昨日も、亡くなった一昨日も、ずっと泣いていたんだろうな。

 

 俺も立ち上がり、遅れてその場へ向かった。

 

 親父は子供たちの祖父と話をしていた。らいはは子供たちを黙って見守っている。

 

 五月は、寄り添うように泣き忍ぶ子供たちに囲まれていた。

 

 

 

「…」

 

 

 

 棺が一つ見える。

 

 棺の中には、あの五つ子の母親が眠っている。

 

 あの時、俺を助けてくれた憧れの人だ。

 

 突っぱねても見捨てようとせず、最後まで見守ってくれた。子供相手にも真剣で誤解されやすい人だった。

 

 あの時、間違いを正してくれた恩師なんだ。

 

 他人を見下していた人間が優しいと言ってくれた。

 

 あの時、手を繋いだ人だ。

 

 

 

「…」

 

 

 

 今でも覚えている。この手で、冷たいようで温かいあの人の手に触れた。

 

 手を握り合ったことに、緊張してしまい、恥ずかしいぐらい嬉しかった。

 

 隣を歩くだけで小さな幸福を感じていた。

 

 出会い、再会し、話して、怒られて、手を握った。温かい人だった。

 

 もう、ない。

 

 もう、二度はない。

 

 もうないんだ。

 

 もうあの人と言葉を交わすことも、手を握ることも…動くこともない。

 

 あの時の温かい温もりはなく、冷たくなってしまった。

 

 通夜でもその顔を見た、が…俺も最後のお別れをしよう。

 

 先生。

 

 やはり、懐かしいものだな。思い出が溢れて、蘇る。

 

 上杉風太郎にとって恩師との再会は。

 

 ただ懐かしく、虚しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中野零奈の訃報を、妹のらいはから電話で聞かされた。

 

 京都で出会い、彼女を目標に生きてきた憧れの対象であり、再会してからの高校生活を支えてくれた恩師だ。

 

 先生の子供たちとも親しくなった。

 

 一年と少し、そんな短い間だったが忘れられない思い出が沢山ある。

 

 大学進学を機に転居した風太郎は会う機会を失ったが、らいはは四年程の交友があった。

 

 上杉家にとって、深い関わりがある人だった。

 

 らいはにとって大切な母親代わりであった。親父も感謝していて、五つ子の一人の四葉を気にかけていたな。

 

 親しくなる一方で、彼女の不調を心から心配していた。子供たちからも不安の声が上がっていたんだから。

 

 らいはなりに支えようとしてくれていた。だが、それも高校入学した頃から段々と疎遠になってしまったそうだ。

 

 疎遠になったからといって、恩を忘れたことなどない。らいはも同じだった。

 

 だから、妹は…中野零奈の死を泣きながら話してくれた。

 

 自分は、よく分からなかった。

 

 悲しんではいるが泣きもせず、淡々と妹を慰めていた。

 

 先生と十年前に再会した時、病を患っていると知り、助けたいと願って止まなかった。

 

 あの時ほど誰かの為に努力した日々はなかった。

 

 だが力不足だった。他人を見下した人間が人助けなど、おこがましいものだったのかもしれない。

 

 それでもいい。自分はどうなってもいいから、あの人には生きてほしかった。

 

 好きだったんだ。子供ながら、あの人に惚れていた。

 

 だが、仮にも教師と生徒の関係。告白など一切するつもりはなかったが、やはり気を遣われてしまった。

 

 大学進学、強いては将来のことに注視しろと咎められてしまった。

 

 何度か抗ったが、結局は高校を卒業し、教師に見送られることになった。

 

 失敗してしまったんだ。

 

 そんな失敗をして十年。そんな奴に何ができるのか。

 

 もはや、考える時間などない。

 

 今も、あの子たちは泣いているんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの時から、願っています。

 

 あまりにも朧で小さな約束だと分かっています。

 

 現実味のない、優しさだけの約束だとしても、私にはもう…これしか。

 

 今まで生きる支えになってくれただけでも、感謝しています。

 

 それでも。求めてしまうことを許してください。

 

 助けてください。

 

 …今日は夏だというのに雨が降っています。

 

 小さな雨でも、窓の外を見なくても分かります。

 

 

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

 

 

 この家はもう、静かで…寂しいものになってしまった。

 

 お母さんが亡くなってから…もう四日でしょうか。

 

 こんな、お母さんの写真を見て泣いてばかりで…ごめんなさい。

 

 こんな風に五人集まっている時は決まって騒がしくて、お母さんによく怒られていましたね。

 

 今は違います。

 

 一花は毅然としていて皆を慰めています。本当は辛くて泣きそうなのを我慢して、姉として皆を支えてくれています。

 

 お爺ちゃんが家に来てくれましたけど、一花以外の皆はおもてなしできそうにありません。

 

 二乃と三玖は二人並んで座り込んでいて、私と同じように落ち込んだままです。

 

 どうしたら、立ち直れるのでしょうか。

 

 四葉も、普段賑やかな彼女も俯いたままです。私達の声を聞いてくれない時もあって心配です。

 

 このままではいけないと分かっていても、どうしようもないんです。

 

 お母さん。どうしても泣いちゃうの。

 

 泣いてばかりで、涙が止まりません。駄目だって分かっていても…どうすればいいのでしょうか。

 

 お母さん。何でですか。どうして最後まで頼ってくれなかったのですか。

 

 

 

「…お母さん、私達のことばかり…

 もっと、自分を大事にしてほしかった」

 

「高校入ったらすぐ、バイトすれば良かったのよ

 五人ならできたはずよ…っ」

 

「…でも、お母さん

 何度も倒れるぐらい、体ボロボロだったんだよ

 それで変わってたのかな」

 

「他にどうしろって言うのよ…!」

 

「やめよ? そんな自分を責めるようなこと、お母さんは…」

 

「…バイトなんて、いいんですっ」

 

「…五月ちゃん」

 

 

 

 皆が後悔しているのは分かります。ずっとそればかり。

 

 お母さんがお仕事を休めるぐらい、私達が働いていたら。

 

 もしかしたら違っていたのかもしれない。

 

 分かっています。でも、私はそれよりも。

 

 どうしても、してあげたい。

 

 しちゃいけなかったんです…あんな。

 

 

 

「お母さんと一緒にいるべきでした

 お母さん…一人で…っ」

 

「…」

 

 

 

 最後は一人だった。

 

 母はこの家で、一人で亡くなってしまった。

 

 あんまりです。

 

 家で待ってくれると思っていました。口では寂しいと言わなくても本当は辛いでしょう、だから早く帰らないと。

 

 そんな毎日が、また明日もあるんだと思っていました。きっとお母さんはよくなるから。

 

 でも、あの日で終わってしまいました。

 

 酷い、終わり方です。

 

 家族に温もりをくれた人が、最後は一人で寂しく、誰にも見られずに逝ってしまうなんて。

 

 あの時、恐る恐る触れたお母さんの手が冷たくて…ずっと一人にさせてしまったんだと分かりました。

 

 最後は一人で怖かったでしょうか。

 

 最後まで私達を案じていてくれたのでしょうか。

 

 

 

「おかあ、さん…っ」

 

 

 

 五人もいるんですよ。

 

 誰か一人、一人だけでもいいから、誰か一緒にいてあげて。

 

 皆、お母さんが好きなのに、何でこんなことに。

 

 嫌いじゃないんですお母さん。傍にいたかったのに何で…

 

 

 

「ごめんなさい、ごめんなさい…お母さん」

 

「五月…駄目だよ

 今は写真離して

 お母さん、悲しむよ」

 

 

 

 手に握る写真立てを四葉が取り上げる。

 

 写真を見てしまうと後悔が募るばかり。でも…母の面影を少しでも見ていたい。

 

 朝から来てくれたお爺ちゃんは何も言わず、ただ聞いてくれています。

 

 お母さんが亡くなってからすぐに来てくれて、お葬式のことや手続きのことも全てやってくれた。

 

 私たちは泣いて、何も言わず頼ってばかり。

 

 きっと…ほとんど寝ていません。親は子供の前では…無理してばかりです。

 

 私達は子供で、あまりにもできることが少なすぎます。

 

 きっとこの後も…

 

 

 

「ねえ…一花

 これからどうなるのかな」

 

「…うん」

 

 

 

 母がいない今、後見人になってくださったのはお爺ちゃんです。

 

 私達はお爺ちゃんへ視線が向いてしまいます。それでも、また何も言ってくれません。

 

 少し怖い印象のあるお爺ちゃんが、本当に優しいのは知っています。

 

 だから、何も言わない、言えない様子がさらに不安を掻き立てられます。

 

 

 

「お爺ちゃんが大変…」

 

「で、でも…そしたら…施設?」

 

「そう、なるのかしら」

 

 

 

 施設。想像すると嫌でも不安になります。

 

 子供の頃から考えていたことです。お母さんがいなくなった時もしかしたらと恐れていたこと。

 

 きっと、皆がいれば耐えられます。この五人が一緒ならきっと私は。そこにも幸せはあるのでしょう。

 

 でも五人一緒なんていられない。散り散りに別れて、もしかしたら一生会えなくなるかもしれない。

 

 新しい家族が優しい人だったら私は幸せでしょう。

 

 でも皆は? 私が仮に幸せになったとしても四人がそうでなければ。

 

 そこに幸せはない。

 

 それでも私達には選ぶ権利はない。泣いても何も変わらない。

 

 惨めで酷い孫でごめんなさい。それでも、どうか助けてください。

 

 助けてください。離れ離れだけは嫌です。

 

 やはり、迷惑になりますか。

 

 昨日から願ってばかり。

 

 

 

「…」

 

 

 

 母の写真立ての代わりに、黒いハンカチを握り締める。

 

 …あの人に会ってから。

 

 もしかしたら、と卑しくも願ってしまう。

 

 

 

「この家には住めるよ

 ほら、お爺ちゃんが不在でも一応ね

 大家さんも構わないって言ってたし」

 

「いいのかな…」

 

「…

 こうなったのも、あいつのせいよ

 ママが苦労したのも…」

 

「え?」

 

 

 

 腕を抱えるように座り込んでいた二乃の呟きに、つい声を上げてしまった。

 

 三玖も隣の二乃の言葉に驚いて、悲しみに染まっていた瞳に力が篭もっているように見えます。

 

 

 

「えっと…あいつって…?」

 

「あいつよ、昔いたでしょ

 あいつがいなくなったりしたから…ママは誰にも頼らなくなったのよっ」

 

「やめて、あの人を悪く言わないで」

 

「何で肩を持つのよ

 私達を見捨てたのよ」

 

「もしかして…フータロー君? らいはお姉ちゃんのお兄さんのこと?

 そりゃあ…昔お世話になったけど、学生だったし…

 そんな、それは我侭じゃないかな」

 

「…でも

 上杉さんがいた時のお母さん、笑ってたよね」

 

「…らいはお姉ちゃんに感謝しても、あいつだけは…

 本当に、違ってたはずよっ

 頼れる人がいたのに…急にいなくなって

 あまりにも、可哀想じゃん…ママ…」

 

「二乃…」

 

 

 

 上杉さん。私は上杉君と呼んでましたね、生意気な子供でごめんなさい。

 

 幼稚園の頃だからあまり覚えてないのですが、とても楽しかった思い出ばかりです。

 

 優しくて頼りになって、私たちにとって家族のようなお兄さんでした。

 

 いつも我侭言って、甘えて、困らせてしまいました。嫌そうにしても許してくれるのが悪いんですよ。

 

 幼い私たちはあの人を慕っていました。あの人のお陰でらいはお姉ちゃんにも出会えました。

 

 お母さんを支えてくれたこと覚えています。あの日泊まってくれたことも覚えています。

 

 あの頃のお母さんはきっと幸せだったのではないでしょうか。上杉さんとも仲良くて、怒っているのに笑っているようでした。

 

 お父さんになってくれたらなって、何度も思ってしまいました。

 

 つい、懐かしんでしまいました。ですが…私以外の四人は張り詰めた雰囲気になってしまいました。

 

 特に三玖は…今でもあの人を慕っているみたいですから。きっと二乃の言葉を受け入れられない。

 

 

 

「あの人のせいにしないで」

 

「…あんたの初恋なんて知らないわよ」

 

「それは関係ない

 良くしてくれた人を恨むなんて…」

 

「…」

 

「…上杉さんがいなくなってからなのかな

 お母さん体調崩してたよね」

 

「もっと前からだよ

 …元々、病気だったからね

 ずっとさ…頑張ってくれてたんだよ」

 

「…ずっと、迷惑ばっかり

 やっぱり…私たちのせい…っ」

 

 

 

 涙ぐんで過去を振り返る四葉と一花の言葉に、三玖が膝を抱えて伏せてしまった。

 

 二乃も、それが本心ではないでしょう。

 

 でも私たちが原因だなんて思いたくない気持ちも分かります。だから二乃も泣かないで…

 

 悲しみが癒されることなんて、あるのですか。

 

 他人に押し付けても、怒っても、昔を思い返しても、何したって拭えそうにないです。

 

 いつか、泣かなくなる日が来るのでしょうけれど、母を忘れたくなどありません…

 

 

 

「…うちに、くるかい」

 

 

 

 

 ずっと私達の会話に耳を傾けていたお爺ちゃんが、か細い声で言ってくれました。

 

 その一言は重苦しく、胃が切り刻まれそうなこの空気を軽くさせるもので、皆が顔を上げた。

 

 

 

「で、でも…いいのかな?」

 

「わしはどちらでも構わん

 零奈は、おまえたちの望みを尊重してほしいと遺していった

 みんなが望むものを選びなさい」

 

「選ぶって

 ここに残ってもいいの?」

 

「…止めはしないよ

 だが…ここは

 おまえ達にとって酷な家になってしまっただろう

 母親との思い出が多すぎる」

 

「じゃ、じゃあ…お爺ちゃん家に…?」

 

「…少し、待ちなさい」

 

 

 

 一花がお爺ちゃんとの話に受け答えしてくれて、私達は聞き入るばかり。

 

 どちらを選ぶかなんて、選びようがありません。

 

 五人一緒でいられるだけで私は良いと思っています。

 

 かといって、お爺ちゃんの家では五人もいては迷惑になりますし、お爺ちゃんがだいぶ前から体調を崩しがちなのは知っています。

 

 もしお爺ちゃんの体調が良ければ、きっとお母さんは何か伝えてくれているはずです。

 

 それがないのなら、やはり難しいのでしょう。

 

 今が救われても…お母さんのように、誰かを苦しめていずれ倒れてしまう。もう嫌です。

 

 お母さんのお父さんまで苦労させてしまったら、お母さんが悲しみます。

 

 父を置いて先立ってしまったことも悔やんでいるはずです。

 

 頼れる人がいない。人との関わりが薄いと、こんなにも悲しいのですか。

 

 暗く寂しさだけの時間に、耳障りな音が響く。

 

 インターホンが鳴った。誰かが来たんだ。

 

 

 

「…誰かな」

 

「来たのかもしれないな」

 

「…ん? 誰のこと?

 …一応出るね」

 

「!

 ま、待ってください、私が」

 

 

 

 理由などあるわけありません。来客など予想できませんし、考えられる余裕もなかった。

 

 待ち人が来たとお爺ちゃんは言った。それだけで…私は願ってしまった。

 

 昨日出会ったあの人が、もしかしたら。

 

 一花に断って、座って少し痺れた足で急ぎ玄関へ向かった。

 

 皆が驚く声が聞こえる。今は何も言わないで、行かせてください。

 

 もう私の思考は…期待と。あるわけがないと厳しい現実を悟るもので…もうグチャグチャになっている。

 

 みすぼらしい姿をしていると思います。

 

 願ってしまう。

 

 子供の頃。約束、してくれましたよね。

 

 お母さん、もう…いないんです。いなくなっちゃったんです。

 

 だから。お兄ちゃん。

 

 

 

「…

 また、泣いてたのか」

 

「上杉さん…」

 

「ろくに挨拶してなかったな

 覚えているとは思わなかったが、久しぶりだな五月」

 

 

 

 玄関のドアを開けば、あの人がいました。

 

 思い出よりも距離が近くなったお兄ちゃんは、少しやつれているような印象でした。

 

 そういえば、今日は鏡を見てませんでした。昨日もですが今の私は酷い顔をしている。

 

 でも、そんなことどうでもいい。来てくれたんだ。

 

 上杉風太郎さん。

 

 十年前。教師である母の生徒で、私達とよく遊んでくれた人です。

 

 ただの仲の良いお兄ちゃんではないと思っています。

 

 お母さんがいない日、代わりに家に来てくれたんです。

 

 もう会えなくなってしまった人。会いたくても会えなくて、寂しかったのを覚えています。

 

 理由は知りません。でも。

 

 

 

「なぜ、何でですかっ」

 

「…」

 

「っ なっ…何でっ

 今なんですかっ」

 

 

 

 挨拶など、昨日のお礼など、余裕もなく心のままに急かしてしまう。

 

 溺れてもがくような、そんな浅ましい願望をぶつけられても、この人は私の目を見てくれた。

 

 

 

「まだ有効なのかも、いらぬ節介になるかもしれないが」

 

「ぁ…ぁ」

 

 

 

 私が願っていたこと。

 

 お母さんが無理をして、高校に進学せず働くと言った一花が、軽率な考えを悔いて泣いていた日がありました。 

 

 お母さんが寝込み、食欲がなくご飯も食べなくて、不安になった二乃が寝ていなかった日がありました。

 

 お母さんの病院に付き添った三玖が、目元を腫らして帰ってきて、何も聞けなかった日がありました。

 

 お母さんを安心させるために一人でいようとする四葉が、隠れて泣きながら勉強していた日がありました。

 

 その度に、怖くて…怖くて。思い出していました。

 

 言えたら、私の家族は安心したかもしれない。

 

 きっと助けてくれます。皆大丈夫ですから。お母さん、心配しないでください。昔、約束したんです。

 

 口にするには憚られる、あまりにも古く幼い約束。

 

 幼い子供の頃の、約束。

 

 

 

「忘れちまったか?」

 

「覚えてます…っ

 覚えてますから!」

 

「…

 約束したからな、助けるって」

 

「ぁ、あぁぁ…っ」

 

 

 

 涙なんて、あの日からずっと流してばかりです。

 

 地面に膝を着いて、倒れるように崩れてしまった。

 

 縋るように上杉さんの服を掴んでしまった。

 

 声を止められない。ごめんなさい。

 

 約束、覚えてくれたのですね。

 

 子供の約束なのに、叶えてくれるんですか。

 

 少し意地悪なこの人は驚いて、そのままでいてくれた。

 

 昔みたいに、抱きしめてはくれなかった。優しいのか、冷たいのか、もうわかりません。

 

 でも、上杉君が優しいことは知っています。

 

 もうほとんど覚えてないのに。

 

 こうして泣いてしまう私を慰めてくれることが懐かしく、あまりにも温かくて。

 

 流れる涙はまったく止まらないのに、それでも怖くないことが、涙が出るほど嬉しかった。

 

 だから、なのでしょうね。

 

 あの時の私は、この人の腕の中でいっぱい泣いたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お邪魔します」

 

 

 

 五月に招かれ、中野家に上がらせてもらった。

 

 見覚えのある光景は、家主が亡くなった家は…娘が五人もいながら寂しく感じられた。

 

 五月が泣き止むまで待っていたのだが、その間奥からこちらを見る子供たち四人の視線が気まずかった。

 

 雨も降っていて、暗い室内だ。何も言わずに薄暗い室内からこちらを凝視されると、数年ぶりの再会の緊張とは別の意味で緊張してしまう。怖すぎるわ。その奥には爺さんいるし。

 

 俺は今日、五月との約束を果たしにここに来た。

 

 当時のこいつらは子供も子供。五月が幼稚園の頃の約束だ。

 

 約束がなかったとしても協力を申し出ただろうが、人付き合いが苦手な自分には理由が欲しかった。

 

 五月が覚えていたとは思わなかったが、再会を受け入れてくれるのならありがたい。

 

 助けにきたと言っても、断られることも考えていた。

 

 五月が認めようとも残る四人はどう思うか。

 

 それ以前に覚えているだろうか。一から説明するのは構わないが、完全な赤の他人が私生活に関わると知れば嫌悪されるだろう。

 

 子供の頃に遊んだ程度の仲。しかも十年前。当然忘れられているだろう。

 

 こっちは当然覚えている。世にも珍しい五つ子だ。最初は見分けるのも覚えるのも苦労したがその分印象は大きい。

 

 一方で、正直成長した子供たちを見分けられるか不安だった。

 

 だがそれも、向かい合ったら…杞憂だった。

 

 

 

「上杉さんごめんなさい、五月ちゃんが」

 

 

 

 五月をあやすように頭を撫でているのは一花。

 

 五つ子全員だが、あまり髪型は変わっていないようで助かる。

 

 姉として妹を守ってきたのだろう、照れながらもされるがままの五月を見ればそう感じられる。

 

 だからこそ、この子の人を見る目は厳しいものになるだろう。

 

 

 

「何で今更…」

 

 

 

 忌々しげにこちらを睨んでいるのは二乃。

 

 身勝手極まりないことは自覚している。子供たちが部外者の乱入に不満を抱くのは至極当然。

 

 この子が認められないと言えばそれまで。仮に折れてくれたとしても、今後の干渉次第では切り捨てられるだろう。

 

 もう子供ではないのだから情などない。縁が切れれば破綻する。

 

 

 

「…本当に、上杉さん…なんだ…」

 

 

 

 二乃とは傾向が違うのだろうが…こちらと目を合わせようとしないのは三玖。

 

 子供の頃は慕われていたからといって、今も好かれるなんて話はないだろう。分かっていたことだ。

 

 子供の頃の三玖の告白を聞いた時に理解していた。しかし懐かしさもあると同時に少し寂しいと感じてしまった。

 

 早々に頭を切り替えよう。やはりあの栞は破棄するべきか。

 

 

 

「昨日の男の人って上杉さんだったんですね

 気づかなくてごめんなさい」

 

 

 

 申し訳なさそうに苦笑するのは四葉。

 

 通夜の時もそうだが、子供たちはとても声をかけられる様子ではなかったし、挨拶など後でできると思っていたからな。

 

 姉妹とは仲良くできているのだろうかと、昔はやや孤立気味だったことを想像して心配したが…他人に心配される謂れはないだろう。

 

 十年前のような振る舞いはもう許されない。

 

 

 

「久しぶりだな

 最後に会ったのはおまえらが小学1年の頃だったか」

 

「うーん、確か8年前に一回、あまりお話できなかった気がしますけど」

 

「…そうだな

 あの時は俺の卒業式で、先生と話しただけだったな」

 

「お母さんに猛抗議でしたよ」

 

 

 

 高校を卒業した日。一度だけ先生に会って、子供たちともお別れとなった。

 

 一花はあまり話はできなかったと言うが、小学校の友達と楽しくやっていると聞いて、顔を合わせないようにしたんだ。

 

 俺との仲はもう終わったと、あの時寂しさを胸に帰ったことを覚えている。先生の前で見栄を張るので精一杯だったな。

 

 話したいことなど、いくらでも浮かんできそうだ。しかし思い出話をしにきたんじゃない。

 

 事前に話を通していた子供たちの祖父を見やる。なんというか…微動だにしない人だから、目の前でも死んでるのか生きてるのか分かり難い人だ。

 

 

 

「…爺さん、話はもう」

 

「孫たちに選ぶように伝えた

 決まったら教えてくれ」

 

「はい」

 

 

 

 用は済んだ、と腰を上げて玄関まで向かっていった。

 

 雨も降っているし、タクシーを呼ぶそうだ。昨日の葬式で近くのホテルに泊まったらしいのだが…今日で帰ってしまうそうだ。

 

 五つ子たちが見送ろうとすると爺さんは断った。構わず自分の身を案じなさいと言っている。優しい爺さんだ。

 

 もうお年を召された方だ。老骨に鞭を打ってでも子供たちの下へ助けにきてくれた人が、出て行ってしまったことに子供たちが顔を曇らせてしまった。

 

 一人減ってしまったこの家が一層虚しく感じられる。緊張もあって溜め息など出ない。昔の自分なら遠慮なくついていたんだろうな。マジで気まずい。

 

 立ち話になるからどうぞ、とちゃぶ台の前に誘われ、一花からお茶を貰った。二乃、三玖、四葉はその場からあまり動けないようだ。

 

 三人が時折視線を送る先には、目の前に置かれた写真立て。

 

 

 

「…」

 

「…見ていいですよ」

 

「…ああ」

 

 

 

 五月から許しを得て写真立てを手に取る。

 

 日常の一片だろうか。子供たちに囲まれる中で先生が困ったように笑っていた。

 

 恐らく、先生が床に伏していた日だろう。布団の上での写真は微笑ましさの中に胸が痛くなるものがあった。

 

 そんな中でも笑ってくれる先生に、ほんの少し救われる思いだ。

 

 辛かったんだろう。

 

 真面目なあの人が寝込むぐらいだ。俺の知らないところで何日も、痛みに耐えていたのだとしたら。

 

 やはり、俺に資格などないんじゃないか。

 

 

 

「…」

 

「…悪い、ありがとう

 もう十分だ」

 

 

 

 子供たちの視線を集めていることに気づいて写真を戻した。

 

 感傷に浸っている場合じゃない。今一番辛いのはこの子たちだ。

 

 懺悔の吐露は今ではない。あの人の家族をこれ以上不幸にさせてたまるか。

 

 

 

「俺に対して思うことはあるだろうが、まずは置いてくれないか

 おまえたちのことで話したいことがあって来たんだ」

 

「二乃も…聞いてくださいよ」

 

「…わかったわよ」

 

「一昨日の通夜の後に、おまえたちの事情を爺さんから聞いた

 爺さんが既に言ったかは知らないが

 後見人になった爺さんだが、一緒に暮らすのは難しいそうだ」

 

 

 

 一つの希望が潰えたと知った子供たちは俯いたり、姉妹と顔を見合わせたり、乾いた笑みを見せた。

 

 

 

「…やっぱり、そうですよね」

 

「迷惑になるに決まってる…五人なんて」

 

「じゃ、じゃあ、ここで皆で暮らせるようにしましょう」

 

「…住む場所は契約が面倒になるだけで問題にはならないはずだ

 渋る大家は多いだろうがな

 問題なのは爺さんがおまえ達の行く末を心配していることだ」

 

 

 

 爺さんも先生に似て嘘つきだ。嫌になるぜ。

 

 だが、あんなことを聞かされては咎められるわけがない。結局、俺も嘘をつかないといけない。

 

 この子達をまた悲しませる未来は全力で避けなくてはいけない。

 

 先生の父親からそう望まれているのなら、応えない理由はない。

 

 

 

「後見人にもチェックみたいなものがある、年に一回な

 先生の遺言から爺さんが後見人に選ばれたわけだが

 監護義務を怠って指摘されるのも心苦しいもんだろ」

 

「か、監護義務…って

 …ごめんなさい、なんですか?」

 

「おまえたちの面倒を看ることだな

 先生にもあったんだぞ、親権に含まれているんだ」

 

「わ、わかりました…」

 

「…つまり、お爺ちゃんの家で暮らさない場合それにひっかかるって?」

 

「それもあるが、爺さんが心配しているんだ

 孫であるおまえたちに強く言えなかったんだろうが、母親に代わって守ろうとしてくれてるんだ

 分かってやってくれ」

 

「…あんたに言われるまでもないわよ」

 

「二乃っ」

 

「一花、いい」

 

 

 

 二乃の言葉を姉の一花が咎めてくれるが構わなかった。当然の反応だろう。

 

 赤の他人に家庭の内情を話されること自体、気に入らないものだ。

 

 亡くなった母親が関わっているのならより一層な。

 

 その気持ちは分かっているつもりだ。俺もそれを嫌って他人を疎んだのだから。

 

 だから受け入れられるとは…五月には悪いが到底思えない。諦めるつもりはなくても、邪魔者になってしまうことが心苦しくもある。

 

 

 

「その、上杉さん

 一応チェックにひっかかるなら…

 …やっぱり、施設になるのでしょうか…」

 

「…我侭だけど、私は嫌…」

 

 

 

 施設に行くことはまずないのだが、最も大きな不安がそれなのだろう。

 

 難しいと言ったが、最悪の場合爺さんは子供たちを家に招き入れるだろう。旅館を営んでいるそうだが問題には至らない。

 

 爺さんが難しいと言っていたものはもっと別だ。生憎と、この子たちには到底話せるものではない。

 

 誤魔化すとややこしいことになったが、監護の問題は確かに存在する。

 

 監護を怠っていたなど家庭裁判所から問題視され、旅館の客足に影響など出したら子供たちが泣いてしまいそうだ。

 

 先ほどから五月が目に涙を溜めながら必死にこちらを見ていた。募るような諦めたくないと願う目だった。

 

 俺の提案を受けてもらうことが難しいと思って先に前置きをさせてもらったのだが…こっちのほうが限界のようだ。涙を武器に訴えてくれるな。

 

 

 

「何年も会ってない奴の提案だが…

 俺に手伝わせてくれないか」

 

 

 

 五月を除く四人が驚いた顔を見せる。

 

 中でも四葉と三玖は膝を抱えていた腕を解いて、前屈みになって俺の声に耳を傾けてくれた。

 

 一方でそれ以上に詰め寄ってくる五月に、俺を含める全員が視線を向ける。

 

 

 

「そ、それはやはり、上杉さんが後見人になるということですかっ」

 

「待て

 後見人は爺さんだ、それはもう変えられないし養子に引き取るとかじゃない」

 

「そんなっ!?

 や、約束がっ! どうしてですかっ!」

 

「約束は守るつもりだ

 俺におまえらを見守らせてくれ、爺さんには許可を得て提案している」

 

「どういうこと?

 説明しなさいよ」

 

「お世話してくれるってことですか…?」

 

「まあそうだな

 ただの口約束になるが、俺にはここまでしかできねえ」

 

 

 

 五月は思っていたものと違うことに取り乱してしまったようだ。周りの姉たちが驚いている。

 

 母を失い、助けを求めてやまないのだろう。ボロボロ泣きそうな子を手で制した。

 

 五月には悪いが、所詮俺は他人だ。

 

 爺さんの後押しもあるが、部外者が見れば疑問に思うもの。監護者の代わりになるのが精一杯だ。

 

 それに爺さんが憂えているだけで、この子たちが自分なりに自立を示すことになれば俺の手助けなど不要だ。

 

 五つ子は世話になる爺さん相手に不義理な真似をできるわけがないだろう。しかし、孫から俺の支援はいらないと苦情を飛ばしたら爺さんは聞いてしまうだろう。

 

 俺にこの子たちを引き止める術も信用も持っていない。

 

 だが危ういことは違いない。高校生だけで、しかも母親を亡くしたばかりだ。五人で暮らすことに不安を抱かないわけがない。

 

 爺さんが孫の放浪を許してみろ。あの老人は間違いなく寝込むぞ。やめてほしい。

 

 母を悼み泣いてばかりのこの子たちには今すぐに助けが必要だと、この暗く寂しくなってしまった家が警告しているようだ。

 

 この提案がその場凌ぎの、長続きはしないことは覚悟している。勝手だが、今は手を差し伸べることを許してほしい。

 

 

 

「おまえたちの私生活に過度に干渉するつもりはない

 爺さんを安心させる範囲で様子を見る程度だ

 俺に、おまえたちを守らせてほしい」

 

「…」

 

 

 

 最後に頭を下げて頼み込んだ。

 

 五つ子は顔を見合わせて、狼狽しつつも考えてくれている。

 

 俺のことなど良いように利用してくれていいのだが、赤の他人相手では警戒心が勝るだろうか。

 

 先生に対しても同じだ。やはり会いに行けば良かったのだ。何で俺はこうも交友関係で失敗してばかりなんだ。

 

 信頼などとうに失っている。マイナスに至っていると考えるべきだ。

 

 もうこれ以上の言葉は用意していない。あとは子供たちの返事を待つしかない。

 

 

 

「…おまえたちが成人して、一人立ちするまで面倒を看る覚悟はしているつもりだ

 らいはは来年就活だが、できることはしたいと言っている

 この話を断ったとしても、困った時は頼ってくれ

 五人の考えが決まったら教えてくれ」

 

 

 

 早急に助けは必要だと思うが、急かすつもりはない。まだこの家で暮らすことはできるのだから。

 

 有事の際に困らないよう、五月に電話番号を教えようとすると断られた。マジか。

 

 

 

「お姉ちゃんから…聞いています

 でも…かけられませんでした」

 

「…悪かったな」

 

「…こうして、来て下さったんです

 ま、また、会えますよね?」

 

「ああ、約束したからな」

 

 

 

 五月の約束を今ここで果たすことはできない。すまないが後はおまえたちが選んでくれ。

 

 誰か一人でも認められなければこの提案はなかったことになる。それは爺さんが頭を下げてまで願った条件だった。

 

 俺自身もそうあるべきだと思っている。

 

 だからこそ、こちらが背中を向けても尚、睨み続けてくる二乃の返答次第となるだろう。

 

 用件は伝えた。生活に過度に干渉しないと言った手前だ。帰ったほうがいい。

 

 五月から惜しむような目を向けられるが…今度はまた会えるさ。

 

 五月だけでなく三玖や四葉からも視線を感じるが、今は応えるべきではない。

 

 考える時間が必要だ。情で決めていいものではないのだから、今話すことはもうない。

 

 玄関から雨の降る外へ出ると、背後から声をかけられた。

 

 

 

「何なのよ今更」

 

「…」

 

 

 

 振り向くと、追ってきた二乃が真っ直ぐにこちらを睨み据えていた。

 

 

 

「勝手にいなくなったくせに、今更家族みたいな顔しないでくれる?

 あんたなんかに面倒看てもらったって、また見捨てられるだけじゃない」

 

「…もうあんなことはしない

 おまえは覚えていないだろうが、あれは先生と…

 いや、なんでもない、言い訳だな」

 

「…もう、遅いのよっ!

 ママ、死んじゃったんだから!

 あんたがいたら…いたら…

 たぶんだけど…幸せに、笑ってたんだから」

 

 

 

 それを…賛辞として受けてしまう自分の浅ましさが嫌になる。

 

 歯を食い縛る。見捨てたのは俺だ。

 

 見捨てるだなんて無力な俺には、先生に対しておこがましいと思う自分もいる。

 

 病を患い、後がないと知らせてくれた恩師に何かできたはずだと思う自分もいる。

 

 どちらかであれば良かった。

 

 中途半端なことをして、恩師の子供たちに取り入る俺はその二人より屑だ。

 

 

 

「…そうか」

 

「…そ、そうかって

 ふざけないでっ!

 何であんたは泣いてないのよ!

 どうでもよかったんでしょ! ねえっ!」

 

 

 

 感情のない言葉に、母を虐げられたと思うだろう。二乃は激昂して迫ってきた。

 

 顔や胸を叩かれる。叩かれ続ける。泣いている子に抗うつもりはない。

 

 自己満足でしかないが、罰を受けないなんて都合が良すぎるだろう。

 

 子供たちに咎められても文句など言えない。

 

 見捨てたと言われたらそうなる。かといって、先生からしたらそうとは限らないのが辛い。

 

 もう亡くなった人の気持ち。確かめる術は失われている。

 

 

 

「ママはあんたのこと、大事な生徒だってずっと言ってたのよっ

 知らなかったでしょ!

 三玖や五月が会いたいって言っても、私たちと同じぐらい大事な生徒だから、ごめんって!」

 

「…」

 

「何でなのよっ 

 病気だからって見捨てたの!?

 病気でも、私たちに尽くしてくれたのよ!

 あんたが見捨てたから…ママ、誰にも頼れなくなったのよっ!

 あんたのせいでっ!」

 

「…すまない」

 

「…謝ったって…っ」

 

「ああ…分かってる

 すまない、二乃」

 

「…謝った…って

 ママ…いないんだから…」

 

 

 

 怒るにはあまりにも不確かな物だとこの子も自覚している。きっと、八つ当たりでしかないと分かっている。

 

 それでも母を思う子は理不尽を感じて仕方ない。無責任に近づき、身勝手に離れていった男に事実を伝えずにはいられない。

 

 母の死に責任などあるのかは、この子達しか知らないこと。子供たちだけ罪を背負うのは残酷だ。

 

 癇癪を起こすように、泣いている二乃を止める気はなかった。

 

 もうあの時の子供じゃない。慰めることもできず、ただ受け入れた。

 

 少しして、手を止めた二乃は俯きながら謝った。一言謝り、姉妹の下へ戻っていった。

 

 赤の他人が懐かしんで思い馳せれば、二乃は煙たがるだろうな。

 

 あの子と仲直りしたように、また笑い合う日がくるだろうか。

 

 この望みは、成人した男が子供に向けて思うにはかっこ悪いし、馬鹿らしいものだ。

 

 笑っちまうよな。溜め息が零れる。

 

 何年も会ってないのに、やっぱり俺はあの子たちを気に入っているようだ。

 

 他人に憎まれたって平気だった。だが今はあまりにも重く…笑うしかねーよ。




お茶濁しでありますが
中野零奈生存の番外編もありますので、こちらも追って投稿して参ります。
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