悲しみに暮れるあの五人を見て思い返した。
母の死に泣かなくなったのは、いつだったか。
虚無感に襲われた時、全てを悲観的に捉えて俯きがちになる。しかし、もう仕方のないことだと割り切って前を向いて生きていかなければならない。
それがいつだったか。
泣いたのは…お袋がもう家にはいないんだと実感した時。帰っても迎えてくれる声はなく、母の帰りを待つことが無意味になったんだと気づいた時。
もはや二十年も昔の話だ。生まれたばかりの妹は祖父母の家に預けられることが多く、俺が小学校低学年の頃は家に一人でいることが多かった。
親父の帰宅は夜遅く。俺は学校から帰れば一人で飯を食い、風呂に入って寝る。不自由はないのに一人でいる虚しさが胸に纏わりついて、亡き母を求めて泣いた。
お陰で眠れない日もあった。もう考えないようにしよう。早く忘れようと願い、布団を被って寝ていた。
忘れようと躍起になっても、母の写真を目にすると簡単に弱音が込み上がってきた。
だから当時の俺は…あの写真が嫌いだった。
親父がいない時は、蓋をするようにお袋の写真立てを倒していた。
そうして、いつかきっと。そう思い続けていくうちに悲しみは薄れていった。
あの子たちも同じなんだ。
今は泣いてばかりでも、いつかは笑って話せる日が来る。見守る者は辛抱強く待っていればいい。
愛する母親の代わりにはなれなくとも支えてみせる。
だから、あの子たちにはきちんと正面から悲しみに向き合って立ち直ってほしい。
だからこそ、今が風太郎の踏ん張り時である。
かといって、気が向かない時もある。
「今日だよね、お引越し」
「ああ…今日は死ぬ程疲れる日になるな…
男は俺しかいないし」
「私も行けるけどいいの?」
「泣き顔見られるのも嫌みたいだからな、落ち着いたら話してやってくれ…
体弱いんだから、可愛い妹にこのクソ暑い中引越し作業とかお兄ちゃん認められないわー
あー…いきたくねー…」
「…本当に嫌そうだね」
今日は五つ子の引越しを手伝う日なのだ。裏方として支えるのは構わないが、こうも面倒事が多いと愚痴も言いたくなる。
まだ早朝だというのに、玄関を照らす陽光には灼熱の熱気が漂っている。
ジリジリと肌を焦がす真夏の太陽が憎たらしくなる。ドアの向こうから眩しく照り続ける熱気が社会人の意欲を削いでいく。
人は悲しみを糧に強くなるものだ。これ以上悲しまないように。その為に努力するのは必然。
さりとて、この熱気は力仕事する以前に辿り着くだけで何かを根こそぎ持っていかれそうだ。人間の在り方を考える前に目の前の脅威を退ける方法を考えるべきである。
既に靴を履いていながら自宅の玄関前で渋っていると、妹に肩を揺らされながら鼓舞された。
「ほら、頑張ってお兄ちゃん
あの子たちが待ってるんだよ、男冥利に尽きるって言うでしょ」
「もう自腹でいいから業者呼ぼうぜ…」
「そんな余裕ないでしょー
かっこ悪いところ見せちゃ駄目なんだからね
みんなお兄ちゃんが頼りなんだから」
「こればかりは利用されてるだけだ」
「もうっ
惚れ直してやるチャンスだと思って!」
「俺には、汗臭いと言われて嫌われる未来しか見えない」
「はい」
何がはい、だ。視線を横に送ると妹が満面の笑みで何かを差し出してくる。
美的やら、爽快やら、男のニオイやら色々とアピールの激しい汗ふきシートを一つ渡された。妹からこれを渡される兄って…
男としてこの時期の対策は必須なのは理解しているがな、こういうものを一つ持ってるだけで女子生徒が喧しくなるんだぞ。体臭がどうのとか汗が多いとか、コンプレックスだとか。俺はまだ20代だ。
惚れ直すとか見直す話ではないが。信頼を得るためには日々小さな出来事を積み重ねる、もとい防止していく必要があるだろう。
特に今でも睨んでくる二乃に対しては、距離感が測れないので間接的な手法は無難な策と言える。大股で近寄ろうものならまた引っ掻かれる。恐らく。
憂鬱であっても行くしかない。猛暑は人を殺すが行かねば。インドア派には地獄の一日になる。
重い腰を上げて玄関の取っ手を掴む。もう熱いし火傷してしまう。覚悟を決めよるしかないようだ。
「ねえお兄ちゃん」
「ん?」
心底嫌そうな顔をする兄が心配なのだろう。らいはは神妙な顔をしていた。
流石にだらしのない様を見て心配させてしまったか。
「…お兄ちゃん、やっぱり思うんだ
悲しい時はさ、いっぱい泣かないと」
「何だよ急に」
「…泣き顔見られるのが恥ずかしいのは分かるけどね」
そういうことか。らいはは頼れる人を失った五つ子たちを憂えているらしい。
変に遠慮しないでいい、困っている時はお互い様だと姉代わりとして慰めたい気持ちがあるのなら、泣きついてもらったほうが安心するかもしれない。
しかし俺もらいはも、お互い疎遠になった仲だ。過ぎたお節介はできない身だ。今日それとなくあいつらに聞いてみるか。
あの子たちにとって、俺とらいはの存在がどこまでの域にあるのか把握できていない。交友を再構築する上で悪い話ではないはずだ。
「良いお兄ちゃんでいるのも大事だけど
泣いてくれる男の人もかっこいいんだよ?」
「…何の話?」
「ほら、誰かの為に泣いてくれる男の人って
自分の時も泣いてくれるのかなって思っちゃうんだよ、女子は」
「女の前で泣く男なんて女々しいだけだろ」
「お兄ちゃんの理想像ってだいぶ古いと思うなー
みんなに合わせないと! 十年前と今じゃ時代が違うからね!」
「いってきます」
「あ、ちょっと!? もう! 水分補給しっかりねー!」
今日の面倒事が一つ増えそうだから喧しい妹を放って家を出ることにした。
十年も経てば今時の若者の趣旨趣向が変わるのは時代の常だ。しかしその内容までは理解できない。
あいつらの前で泣けってか。恐ろしいことを言ってくれる妹だぜ。
ここ数年は男女関係なく若者からそういったものを厚かましく教えられるのだが、現実と二次元は違うってハッキリ分かってるから。
イケメンに限るとも言うしな。二乃の前でやってみろ。きもっの一言で終わりだ。五月や一花からの信頼も落ちるだろうよ。
下手な振る舞いは間違っても犯してはならない。警戒してるのに妹は勝手なことばかり言う。同年代ならまだしも、十も年上の男が相手なら気持ち悪いだけだろうが。
しかし、まったく悲しまない態度では信頼を得られないのも分かる。先日、二乃に泣いて指摘されたことだ。
やはり人間関係とは難しい。他人への遠慮が距離感を狂わせるんだ。学生の頃はシンプルに物事を決めつけて、こちらのペースで話していたものだが、今ではできない。
学生時代、十も年上の相手に悩まされていたが、その人と同じ年齢に至ってからは年下相手に悩まされている。人生何が起きるか分からん。
「…はぁ…いくか、暑いし」
非常に憂鬱だ。暑いしだるいし。
何よりも、恩師の娘に会う度に綱渡りな気持ちにさせられる、この余裕のなさが嫌になる。
あいつらに対して不安になっていると悟られてはまずい。結局見栄を張って接してしまうのだが、これもまた信頼を得るには邪魔なものになっている。情けない話だ。
人の死は人を変える。
だが感傷に浸るようにずっと抱えて生きていけるほど世界は甘くはない。日に日に問題を抱えては消化する毎日なのだから。
今日もまた、あの五つ子と顔を合わせ、悩み苦労させられる一日になるのだろう。
あの五つ子たちと再会してから数日が経っている。そして今日この日が一つの区切りとなる。
正式に五つ子の面倒を看ることになり、あの家で一緒に卓を囲んで計画を立てた。
これは五つ子の祖父とも事前に話を通していたもの。通夜の後に相談を受けたことがあって、この日の為に準備してきたのだ。
これから住む場所、夏休みが明けた後の高校生活、契約関係など諸々考えなければならない問題は山積みだった。
俺が立てた新生活の説明を聞き、母を失い傷心している子供たちは俯きながらも理解してくれた。
最悪の可能性、施設で世話になると思っていた子供たちには、到底断れないものだったのかもしれない。何一つ文句を言わず、ただただお礼を言われてしまった。
幼少から長く住んでいたあのボロアパートに居続けるのは、生活環境と子供たちの精神上勧められないことを理由に引っ越すことになった。
引っ越すのならいくつかの候補があり、爺さんとの打ち合わせで契約を進めていた住居に決定した。
先生の教え子なんだか、同僚なんだか知らないが…先生の知人の勧めで家賃含めて色々と優遇してくれた物件だ。
「うわ…たっかぁ…セレブが住む家だよ」
「本気でここに住むの? 場違いじゃない?」
「本当にいいのかな…こんな高そうなところ」
「というか、物理的にたっかーい!」
これから新たに過ごす家を見上げて子供たちが驚いている。貧乏生活から金持ちの仲間入りをすることになる感覚だろうか。
メゾネットタイプのタワーマンションでPENTAGONという名前らしい。30階まである高級マンションは見上げるだけで首が疲れる。
金のことを気にしているのか、レンタカー屋で借りた車から降りた面々が不安そうにこちらを見る。金持ちの家の前でレンタカーというのも場違いだよな。免許はあるけど車は持ってねーんだよ。
そういえばまだ金銭的な話はしてなかったか。引越しを承諾はしたが、実際に見るとこんな高そうなマンションだと思わなかったのだろう。
「金のことは気にするな、期間限定で家賃割引キャンペーン中だ
それでも安いわけではないが…五人分の部屋があっていいじゃねーか
遠慮せずに贅沢しとけ」
「自分の部屋ですか…うわぁ、考えたことないよ」
「そうですね…ずっとあの家で全員と同じ空間で生活してましたから」
「なんか、ちょっと寂しいかもね
人肌恋しくなったら、お姉さんの部屋にきていいよ」
「…あんたの部屋って…絶対に汚くなりそう」
「ちょ、ちょっと、上杉さんの前でそういうカミングアウトはいいから
もう、二乃が来ても入れてあげないよー」
「行かないわよ、子供じゃあるまいしっ」
あれから少しずつ、子供たちから笑顔が見受けられるようになった。
十年ぶりの俺との再会に気を張って、笑顔が凝り固まっていたかもしれない。中野家を訪ねると、気を遣われて和やかな空気が見られなかったのだ。
最近ようやく慣れてきたようで、少し離れた場所から姉妹同士が笑い合う姿を見られるようになった。
和むのはいいがこれからが地獄だぞ。おまえらが住む階は30階。最上階だ。
エレベーターは当然使うとしてもだ、これからこの五人分の荷物を最上階まで運ぶんだ…マンション内が冷房完備じゃなければ死んでいた。
子供たち五人を乗せるためにワンボックスの車を借りてきた。子供たちの荷物を載せて走ってきたが、まだアパートのほうに残っている家具がある。運び終わったら往復せねば。非常に面倒である。
こんな明らかにお高いと分かる家の新たな住民が、引っ越し代をケチって自ら運ぶのもどうかと思う。五つ子には内密な話、こいつらの学費や大学進学を考慮すると節約は欠かせない。
「…上杉さんも、こっちに住む?」
「あ? いや、俺は仕事あるし」
「…」
「…と、遠いのでしたら
たまにでもいいですから、泊まっていってください」
「いや、それは流石にな…女子高生が男を泊めるなよ
実家が近いんだ、そっちで寝るから」
「そ、そうですよね…失礼しました」
こちらの顔色を窺う三玖の質問に答えると、寂しがるような顔をして俯かれてしまった。
五月の誘いも丁重に断らせてもらう。このご時世、女子高生の家に男が泊まるなど何を言われるか分からない。仮にも同居などストレスの元になりそうだ、お互いに。
保護者である爺さんからも可能なら孫の近くで見守ってほしいと頼まれているのだが…こちらも仕事がある。そんな急には無理だ。
五月の提案に一花と四葉が苦笑している一方で、二乃が顔を顰めているのが見て分かった。
過度な接触を避けるために、適度に距離を取らないといけない。いけないのだが…
子供たちを見離すような態度を取れば、逆に不安にさせるようで信頼も得られない。
その点、五月は露骨に分かりやすい。温情と義理。五月と二乃。どちらにも傾いたら崩壊する綱渡りだ。
考えるのは後にしよう。今はこのダンボールに詰めた荷物を運ばないといけない。男冥利なんて汗まみれでそれどころじゃなかった。
「死ぬ…あづい…」
「お、お疲れ様です上杉さん
こちらで休んでくださいっ」
「ありがとうございました、上杉さん
今お茶用意しますから」
朝早くから始めた引越し作業は昼過ぎになって完了した。五人分の私物は五つの部屋に無事に収まった。
物は多くはなかったはずだが、やはり真夏日の作業は体力を削られる。替えの服を何着か持ってきてよかった。それに家電や家具一式が新居のほうで予め揃っていたのも助かった。
四葉にリビングのソファに案内され、一花が冷たいお茶を出してくれた。五人も荷解きを終えたようで全員が集まっていた。
見上げると高い天井、柔らかいソファ、後ろには広いキッチン、観賞魚が泳ぐ水槽など、いかにも金がかかっていそうな部屋だ。魚の餌買わなきゃダメじゃねーか…
複層住戸で階段の先には五人の部屋が用意されている。随分とブルジョワな生活に変わりそうだな。
室内は冷房が効いて、滴となった汗がひいてく。このまま休んでいたいがやることはまだ残っている。茶を飲み干して立ち上がった。
「ちょっと電話してくる」
「え、あ…少しぐらい休んでからでも」
「ずっと働きっぱなし…」
「気にするな」
電話の相手は爺さんだ。子供たちの前で話すのも気が引けて、視線から逃れるように廊下で電話した。
おおげさなものはなく、ただの報告だ。引越しが終わったら教えてくれと言われているので、手短に済ませて通話を切った。
これから後見人になった爺さんには何かと電話することが多くなりそうだ。報告だけでなく子供たちに携わる認可を得るために。主に手続きに関して。
手間を考慮すると俺が養子として引き取ったほうがいいのだろう。他はともかく、五月はそれを強く望んでいたようだったから。
しかし、いくら気持ちはあったとしても…高校生を五人も抱えるのは少し無理がある。先生の苦労が少しだけ分かる気がした。
今は抱えられても、いつかは重荷になり、倒れるまで抱え続けるだろう。爺さんに諭され、俺は何も言わずにお節介な提案を取り下げた。
爺さんがいなければ、無理をしてでも守るつもりではいた。それなりに準備をしてきたつもりだ。
その役目はいつの日か任せてしまうかもしれない。そう頭を下げて爺さんは己の老い先を語ってくれたのだ。
その心中は、まだまだ若造の俺には、子を持たない俺には想像の域を出ない。
「そういえば…昔四葉の奴、妙なことで悩んでたな」
昔、幼い四葉が言っていた恐れが鮮明に思い出される。
確か、姉妹や母親から自立するために離れようとしていたんだったな。家族の気遣い、作り笑いが嫌だったとも言っていたか。
確かに五人もいては、守ろうとする親に大きな負担をかけてしまう。結局、先生は耐え切れず倒れてしまった。
あの時感じていただろう不幸が現実となって、四葉は何を思っているのだろうか。
子供を幸せにしたいだけなのに先生はなぜ苦しまなければならなかったんだ。
現実はあまりにも酷だ。優しい子供もまたその理不尽さに抗い、母を救おうと我が身を犠牲にしようとしていた。
その優しさを知った先生は己の不甲斐なさを呪い、さらに体を酷使して子供を育てようとした。それが昔見たあの家族の形だった。
俺が心配に思ったところで、慰めるどころか会話するだけで気まずさがある状況では逆効果だろうな。思い直して、子供たちの下へ戻った。
「家事の分担って言ったって、三玖は料理壊滅的よ」
「できるし覚える…」
「覚えるまで任せられないじゃない」
「四葉は陸上部がありますし、曜日で分けるのは得策ではないのでは
手伝える人から率先して行うのはどうでしょうか」
「わ、私もやるよっ
皆に任せてばかりじゃ悪いよ」
「うーん、ちゃんと割り振らないと絶対にやらなくなると思うんだよね…
得意だからって二乃に全部任せてたらお互いに気を遣うでしょ」
居間に戻ると五人がソファを囲んで話し合っていた。これからの生活について触れていたようだ。
俯き嘆く姿はなく、お互いが姉妹の顔を見て話し合っている。子供たちの前向きな姿勢に少し安堵した。
亡き母を憂う子供たちに対して、一つ気掛かりな点があったんだ。しかし杞憂だったか。
仲の良い五つ子だけの、特別な空気というものがある。
お互いに支え合おうとする、家族にだけ見せることができる顔があるだろう。ここはもう五人の家なのだから、それは尊重されるべき空間だ。
部外者が壊さないように、そっと出直そうとしたら三玖に見られてしまった。三玖の視線に気づいて残りの四人もまた話を止めてこちらを見る。
なぜか申し訳ない気持ちになる。俺悪くないよな。五人から見られているという圧が…攻め立てられるような気持ちになるのは後ろめたさがある証拠だった。やっぱり気まずい。
「爺さんに話は済んだし、俺は帰らせてもらうぞ」
「え」
「も、もう行っちゃうのですか」
「新しい住居も俺がいると慣れないだろ
何かあったら連絡してくれ、相談ぐらいいつでも聞く」
「相談って言ったって、五月だけでしょ 連絡先交換したの」
「…五月経由でお願いします」
「いやいや、上杉さんのアドレス教えてくださいよ
…嫌だったりします?」
「…ん」
「て、手渡しって…携帯の中身見られてもいいのかしら」
「なんか上杉さんらしい」
連絡先を教えてくれと言う一花に携帯を渡すと、二乃と四葉に呆れられてしまった。
アドレス交換したい奴は勝手に登録しろ。もう距離の取り方が分からなくなってきた。返されるとアドレス帳のな行に五人の名前が加わっていた。
そういえば、結局先生とは連絡先交換しなかったな。一年間親しかった仲でありながら、その機会を掴めなかった。
当時の俺は何が気恥ずかしかったのか、教師と生徒だからと言って頑なに口にしなかったと思う。今普通に他の学校の生徒と連絡先を交換しているのに。
五つ子の押しが強いからか、何事も主張しない人間は何も掴めないということか。もう時既に遅い。
登録するか怪しかった二乃が今回は賛同的で一安心だった。電話がかかってくるかは別だがな。
ここでの用は済んだわけで、適当に退散しようとすると五月に袖を引っ張られた。
「お、お昼ご飯! せっかくですから一緒にいかがですか?
昔一緒しましたよね」
「…まだやることがあるんでな
あっちに置いてある家具を破棄してくる」
「それでしたら私も一緒にいきますっ」
「飯食ってろよ」
「い、い、一緒してはいけませんかっ」
「粗大ゴミ捨てに行くから臭いが服に付くぞ、やめとけ」
「じゃ、ジャージに着替えてきますからっ」
「五月が今までにないほど男に食いついてるわね…趣味が悪いというか」
「凄い、こんなに必死な五月ちゃん初めて見るわ
まあでも…せっかくですし、一緒に食べましょうよ」
「…」
「わ、私も五月にさんせー…」
「おまえらな…」
暇じゃないんだ、とそれとなくお断りしているってのに五月はやたらと食い下がってくる。慌てふためきながらこの手を離そうとしない。
思い出の家具の最後を看取るとかそういう考えか? 尚更泣くはめになるからやめとけ。
前向きだと言って安心していたが、撤回だ。こいつらやっぱり立ち直れてないだろ。他の四人も姉妹同士で仲睦まじく話していたのに、物寂しいから俺にいてほしいと訴えられてしまった。
手を引いてくる五月を見ればもう明らかだ。この子の言葉に躊躇う気持ちもある。しかし絆されて受け入れていいものでもない。
新たな生活に不安は当然生まれる、親がいないのだから。しかしこの態度は別だ。五月の瞳には少しだが脅えが見えるようだ。一人は寂しいと縋る子供の目だ。
寂しいのは分かる。慕っていた母親を失った傷は大きいのも分かる。だが、その寂しさを埋めようとする心に応えて、五月から依存されても困るぞ。
手を引いて縋る五月の額にデコピンしてやる。五月はその痛みに手で押さえて目を瞑っている。こっちは他にもやることがあるっつーの。
母親の死を、他で塗り潰すか、忘れるまで逃げるか。受け入れて立ち直るには、心の弱さまで受け入れてはいけない。
「色々とやることがあってな、一度帰らせてもらう
元の家からそう離れてないし、土地勘がないわけじゃないだろ」
「う…で、ですが…せっかくですしっ」
「…」
「…わかりました…
次は…いつ来られるのでしょうか?」
「あー…なら、明日顔を出す
夏休みが終わる2、3日前まではこっちに通うつもりだ、それまではな」
「三日前…もう一週間もない」
「…仕方ないよ、上杉さんもお仕事があるし
そこまで甘えられないよ」
「…仕事があるのは分かるけど、それはそれでちょっと酷くない?
ここに連れてきて放置されても困るわよ」
距離を取ろうと言っているのに、二乃まで噛み付いてきた。これ以上どうしろって言うんだ。幼稚園児じゃないんだから付きっ切りで看る必要はないだろ。
寂しがられているからって、情で動くなんて愚か者のすることだ。状況に見合った最も的確な行動をする、それが大人だ。子供の前では特にそうあるべきだ。
こいつらの要求を呑んでやることは簡単で、過度な干渉を避けるだけで済む。しかし、この状況に限っては何も解決はしない。
俺がいたとしても、いなかったとしても、母親に関しての苦悩や後悔は解消はしても解決には至らない。
最終的には自力で乗り越えなければならないのだから。大切な母親だからこそ、子供はそうあるべきだと思う。
思うのだが…こいつらを見ていると、どうも判断が鈍る。鈍る上に先程も過ぎった気がかりなことがある。
仲の良い姉妹だからこそ、お互いに支え合う上で起こりえる問題がある。
何とも言えない顔をする子供たちについ溜め息が漏れる。それを見た子供たちがさらに神妙な顔をして…余計に頭が痛くなる。
「今夜、一度電話する
五月でいいか」
「は、はい」
「飯は今度な
行きたい店考えとけ、奢ってやるよ」
「あ、はい…楽しみにしています」
なんとも社交辞令のような会話。ようやく五月は掴む手を離してくれた。
飯一つで空気を悪くさせるのもどうかと思う。事情が事情だが、重い女というのはこういった印象なのだろうか。離されて解放されてもなお気が重い。
悪いのは俺だがな。やはり自分は不出来な人間だと思い知らされる。
子供たちが立ち直るのを静かに待てばいい、やるべきことは分かっている。なのに上手くいかないのは俺に落ち度があるからだ。
監護としての干渉を疎まれないように、深入りせず安心して生活できる場を用意してやることが俺の役目だと思っている。
もちろんこの五人を心配する気持ちはある。昔可愛がっていたあの五人なのだから。正直このお誘いは嬉しかったさ。
だが、結局他人の俺にできることは何なのか、それが分からない。優しさで接することが答えではないはずだ。
家族ではない他人なのだから。それも歳がだいぶ離れた関係。どこまでが他人が歩み寄れる領域なのか測れないでいる。
話は終わったというのに、五月の表情が晴れない。これだけで自分が失敗していると思い知らされる。
「じゃあな、おまえたちも疲れただろ
ゆっくり体を休めておけ」
「はい…お、お気をつけて…」
「…」
「…?」
「…悪いな」
「ぁ…」
玄関まで見送りに来てくれた五月の頭を撫でた。期待に応えられず、悪いと思っている。
昔はこんなウジウジと悩まずに、泣いていたら慰めて、悪さをしたら叱っていた。昔のほうがマシだろうな。
ただ子供たちが幸せになってくれるだけでいいのだが、今では余計な事ばかり考えてしまうんだ。
大人になると本性を見せられなくなるものだ。特に…大切な子供たちに対しては好まれようと偽りを装い、拙い物は必死に隠し通そうとする。
先生を咎められないな。確かに、子供たちから指摘されたらただ困るだけだ。
変えられないと思う…もう、変えようとする気力なんてない。
溜め息がまた一つ漏れる。少し笑ってしまうようなものだ。なぜ笑われたのか分からない五月はひたすら困惑していた。
自分は臆病なんだと先生は言っていた。自分を変えると言ったその真意はあまりにも酷いものだった。
先生。今、その気持ちが分かったような気がします。
大人になっても、いつになっても。嫌われ、求められないでいることは…怖いんだ。
「五月、ご飯って言ってるでしょ
いつまでもウジウジ…」
「幼稚過ぎました…絶対上杉さんに嫌われてます…
私のせいで皆まで見捨てられたら…ごめんなさい…」
「誘うにしたって…昔のノリでやったら呆れられるに決まってるじゃない
お蕎麦食べないの?」
「食べます」
まったくこの子は。勝手に自爆して勝手に落ち込んで、見てられないわ。
あいつ、上杉…さんが帰ってから五月はソファに突っ伏して轟沈していた。哀愁が漂っていて、とても新居に引っ越してきた人間に見えない。
あいつが出て行った後、昼食にお蕎麦を茹でていたんだけれど…新しいキッチンは案外良かったわ。広いし掃除もしやすいし。
萎縮してしまう程の高級感があって、最初は戸惑って受け付けられそうになかったこの環境も、住み心地は断然良いし悪くはなかった。
こればかりはあいつに感謝するわ。それなりにお金もかかってるし、引越しも手伝ってくれたし。
でも、やっぱり素直に喜べない。
本当に、助けてくれるのならもっと早く来なさいよ。ママはずっと待ってたのに。
ずっとほったらかしにしてたくせに今更…
「でも五月には同情するわ
引っ越して早々放っておかれても困るもの
そこらへん気遣いができないあたり、ろくな男じゃないわ」
五月がテーブルの椅子に腰掛けたところで言い出せなかった愚痴を吐く。今五人で話すことと言ったらあいつの話以外ないわ。
ほんと、泣きそうな五月をよく振ったと思ったわ。用事があるとか言ってたけど、もう少し言葉を選びなさいよ。
あいつを貶す発言は一花と三玖が良い顔しないけど言わせてもらうわ。
仮にも昔可愛がっていた子供でしょ。あそこまで言われても断るなんて最低よ。
五月を泣かせたらただじゃおかないわ。一度私から釘を刺すべきかしら。
「引越しの話は前から決めてた
…甘えすぎはよくない」
「ねえ二乃、上杉さんを困らせるのはやめてよ?
そんなこと、誰も望んでいないでしょ」
「そうだよ、せっかく会えたのに喧嘩なんて嫌だよ」
「…顔色窺って脅えてるあんたたちに文句を言われたくないわ
引越しに関しては私だって感謝してるのよ
でも五月の誘いをあんな風に断るのは別」
「二乃、私は別に…」
「…あんた、食べる時は本当に食べるのね」
「大根おろし入りはさっぱりして美味しいですね」
「…
なんかあんたの肩を持つのが馬鹿らしくなってきたわ」
「ほ、褒めたつもりなのですがっ!」
「大根おろし一つで幸せになれるなら毎日付けてやるわ」
「安い幸せ」
「庶民的で良いと思うよ」
「良かったね五月ちゃん、今日からご飯いっぱい食べられるよ」
「嬉しいですが、そこまで食い意地張ってません!」
「手を止めてから言いなさいよ」
わーんって泣くのは毎度のことだからいいけれど、お椀と箸は手放さないのね。この子本能で食べてるわ…
目を離した隙にテーブルの真ん中に置いてある盛り蕎麦が急激に減ってた。さっきまで落ち込んでいた子がすることじゃないって…
肉まんおばけも意気消沈した今日ぐらい自重するかと思ったけど甘かったようね。もう二人分ぐらいお蕎麦茹でておくべきだったわ。。
あいつ程じゃないけど、朝から動きっぱなしでお腹は減ってた。夏バテした体にはお蕎麦は食べやすくて調度いいわ。
ってそうじゃないわよ。五月のせいで言いたいことがあったのに言いそびれたわ。
一花が私たちを思って、あいつとの縁に拘る気持ちは分かるわ。私の態度が見過ごせないのも。
でも、私はそれが正しいとは思わない。
三玖はもう論外。初恋を否定するつもりはないけど、今それを引っ張るのはおかしいわ。私たち五人全員に関わることなんだから。
もう十年も前の相手だし、少しは警戒しなさいよ。あいつも三玖も何かやらかしそうで気が気じゃない。
五月はママのことで落ち込んでるし。できれば四葉と協力して慰めるつもりではいたんだけど、この子もあいつを慕ってるみたいだし。
結局私一人が残って対立してる。昔もこんな感じだった気がする。
「…ねえ
写真、どこに置いておく?」
四葉の言葉に少し賑やかだった場が固まった。
何でご飯食べているこのタイミングで。わざとかと思ったけれど、四葉の視線の先を見て少し分かった気がする。
そういえば…まだ…出してあげてなかったわね。
…いいえ。
誰かが取ってくれるのを待ってたのかもしれないわ。
誰も取らなかったのは…もしかしたら、あいつに擦り付けたかったから? 少し、後悔した。
四葉が箸を置き、ソファの横に置かれた一個のダンボールから写真立て取り出した。
四葉には悪いことしたわ。話してくれただけ勇気が必要だったと思う。
お母さんの写真。ぎこちなく優しく笑うママを見てると、視界がぼやけてくる。つい目を逸らした。
「日陰にならないところがいいのかな」
「…このリビングがいいんじゃない」
「え…
上杉さんも来るし、人が来るところに堂々と置くのは…」
「…ですが、お母さんもきっと寂しいと思います」
「…どこに置くのが普通というか、常識なのよ」
「さ、さあ…お母さんも教えてくれなかったし」
「お母さんに…って
一花…そんな…」
「…ごめん、三玖…そんなつもりは」
「う、ううん
…ごめん」
ま、ママに聞けるわけないじゃないの。三玖から指摘された一花が×の悪そうな顔をして謝ってしまった。
仕方ないわよ。知る機会がなかったというよりも、知りたくなかったのが私たちの本音よ。一花が謝ることない。
だから暗くならないでよ。私たちまで落ち込んでたら五月がまた泣くじゃない。三玖も黙ってスルーすればいいのよ。
睨むつもりなんてなかったけれど、三玖と視線が合うと俯いて逸らされてしまった。あんた…上杉さんの話題だけ強気ね。それもどうなのよ。
でも、そうなると…置く場所はどこがいいのよ。初めてだからよく分からないわ、こういうことは。
…あいつに聞いとけば良かったわ。だからうちでお昼食べてけば良かったのに。
「えっと、上杉さんのお家は皆がいるところに置いてたよ」
「置いてたって、何を」
「上杉さんのお母さんの写真、見たことあるんだ
だからここで大丈夫だと思うんだ…けど…
どうかな、三玖」
「…わからない」
「…」
「わからないけど、それでいいと思う
…昔、私も見たことある」
「ししし、なんだか懐かしいねっ」
「…
参考にさせてもらいましょ
間違ってたら変えればいいじゃない」
「うん
…それに、ここなら寂しくないもんね
上杉さんも来てくれるし」
上杉上杉って…あーもう。ここにはいないのに腹が立ってくる。
でもママにはそれが一番良いのかもね。会いたがってたの、言わなくても分かってたもの。
写真立てはソファの横のテーブルの上に置かれた。冷房が効いた室内だと日に当たって温かそうに見える。
…本当に、何で生きてるうちに会いに来なかったのよ。
私がママの写真を見るとこればっかり考えてしまう。涙よりも怒りを感じてしまう。
でも他の子たちは違うみたいで、やっぱり五月は今でも泣きそう。食べる手は目元に添えられて涙を拭っている。
ママ大好きな子だったから仕方ないわ。でも、だからこそ、この子には感謝してるの。
私たちの分まで泣いてくれるから。
泣いてるから、私たちは姉としてあんたを励ますことができる。
やっぱり五月は泣き始めて、一花がその頭を撫でた。
「まーた泣いちゃって…」
「すみません…思い出すと涙が」
「あの家から離れて良かったかもね
大切な思い出がいっぱいあるけど、やっぱり辛いから」
「…そうね」
学校から帰って、あのボロボロな家が…まるでママそのものに見える時があった。
手放したくない大切な場所だけど、ずっとはいられない。
私たちが求めれば壊れるまで一緒にいられる。そんな感じ。
「二乃」
「…なんでもないっ」
「お母さんの看病、二乃が一番してくれたし…やっぱり嫌だった?」
「いいのよ、それは」
よく家事を手伝ったり、料理してたからって。皆から特別思い入れがあると思われてるけどそこまでじゃないわ。
一花に慰められて、三玖と四葉にも見られてしまう。放っておいてほしかった。泣き顔なんて恥ずかしいだけだから見ないで。
「でも、凄いところに来ちゃったね
窓の外、人が米粒みたいで別世界だったよ」
「…前の家賃より何倍もお金かかってるはず」
「割引がなかったらいくらになるんだろうね」
「聞くのも怖い…
…上杉さんに返せるものがあるなら返していきたい」
「あんたね…」
「…お金はお爺ちゃんが管理してくれてるから心配はいらないと思うよ
そこはお爺ちゃんと上杉さんを信じるしかないよ」
「でも…あの車は上杉さんが自分で…」
「そ、そこは…甘えていいんじゃないかな」
「レンタカー代で大げさね、バイトですぐに返せる額よ」
三玖の言葉の節々に嫌な予感がする。返したいって、何をどうやって返すつもりなのよっ。
感謝するなり、お返しをするのはいいけど妙なこと考えてそう。やっぱり目を付けておかないと心配だわ。
「たぶんだけど、上杉さんにお金のことをいちいち聞き出してたら怒られると思うなー」
「ありえる」
「聞かないのもどうかと思うんだけどね…
二乃は酷いとか、気遣いができてないとか言ってたけど
やっぱり、昔と同じ優しいお兄さんだよフータロー君」
「あれ見てよく言えるわね」
「あれは私もうーんって思う…でも五月ちゃんが甘えすぎなのもあるしノーカンで」
「すみません…」
当て付けるように前置きされると流石に癪に障るわね…あとフータロー君って何よ。
ママの話で少しアンニュイな空気になっていた食事が少し喧しいものに変わっていった。まったく歓迎してないんだけど。
「…フータロー…か…
よく抱っこしてくれた…」
「あんた、ママよりあいつに甘えてたっけ
お菓子とか買ってもらって」
「お菓子もだけど、五月ちゃんがお芋ねだって泣いてたの
あれ、思い出すと今でも笑っちゃう」
「そ、そんなことしてませんよ!?」
「あー してたしてた、私も覚えてるよ」
「私だって覚えてるわよ
私の手引っ張って、危うく置いてかれるところだったわ」
「い、いつの話ですか…まったく覚えてません」
「ほら、お母さんに代わって幼稚園の迎えに来てくれたじゃん」
「フータロー、お腹いっぱいになるから駄目だって言ってた気がする」
「毎年のことだから覚えてないんでしょあんた」
「そ、そんな卑しいことしてましたか私…」
ママの話題は今でも駄目だけど、あいつの話は皆笑って話せた。
あいつの話題になるとつい言いたくなる気持ちが湧いてくる。でもこの空気を壊したくなかった。
泣いている五月をからかうなんて、よくよく考えたら酷いことしてるけど、五月は笑ってるもの。
あんなことがあった。全然覚えてないんだけど。絶対に忘れない。絶対に嘘だ。なんて本当かデタラメなのか分からないそんな話。
そんな風に話すのは、久しぶりな気がする。
話し込んでしまって、水気が飛んだお蕎麦が硬くなっちゃった。仕方なく食事を再開した。
気は紛れたし、認めたくないけどあいつとの思い出は大事なものだった。かなりうろ覚えでも、五人が思い出を共有しているから華を咲かせて楽しめた。
まだ、許せるとは思ってない。それでも、あいつと普通に話せる日が来ればいいとは思う。どっちにしろ今のこの関係はお互いに気まずいだけだもの。
食後の洗い物は私がする、と四葉と五月が食器を片付けてる横で私は一花を探す。あいつのことで聞きたいことがある。
台所にもソファにも見当たらない。部屋には戻ってないし。と廊下のほうへ向かうと話し声が聞こえた。
つい足を止めてしまった。
「ごめん三玖…あんなつもりはなくてね…私
…でも
お母さんを蔑ろにする言い方だったよね…」
「違う、あれは私が酷い勘違いをしたせい…」
「あはは…でも言っちゃったし
駄目だよね…
…ごめん」
「…一花
長女だからって、何もかも背負う必要はないよ
五月のことだけじゃない
私も二乃も四葉も、一花を助けたいからだよ」
「…」
「…」
「ごめん」
「…一花は悪くない、それは絶対だから」
「…ありがと…」
盗み聞きなんて趣味が悪い、陰湿。自己嫌悪。
こそこそと密談なんてするんじゃないわよ。しかも誰も責めてないのに自分だけで勝手に盛り上がって、まったく。
一花と話なんてできそうになかった。壁一つ先の二人はきっと泣いてる。ひとまず一花は三玖に任せた。
あの狭い家じゃ、隠し事できる広さはなかった。ここは死角も私室もあるからきっと私たちの生活は大きく変わるわ。
四葉と五月は思い出話を続けてるし、私だけ少し手持ち無沙汰になった。
奇数の姉妹だから、自然と二人組になっていたら一人が余る。そんな時私たちは…お母さんの傍で笑ってた。
なら今は? 今私の声を聞いてくれる人は。
スマホを取り出すと、あいつの電話番号を登録したままの画面が映った。
「…」
黙って画面を切り替える。
今、あいつと話したいことなんてない。
ないけれど、ただいるだけでも違ったと。何度も画面を切り替えてしまう今だけは…そう思っちゃった。