五等分の園児   作:まんまる小生

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五等分の園児その4 かくれんぼ

 風太郎は勉強が好きだ。将来性のある趣味である。没頭しても誰にも咎められることない素晴らしいものだ。一日を勉強に費やせる日があれば一週間は上機嫌な風太郎だ。

 

 しかし文字を読み漁っていくと必ず限界が見えてくる。物質的なものだ。これが風太郎にとって死活問題だった。

 

 貧乏人にとって教材を買う金はもったいない。参考書など気安く買えるものではない。

 

 バイトと勉強を両立させている風太郎は努力の甲斐もあり、予習復習だけでは時間が空いてしまうことが多々あった。

 

 教科書をめくるページが少なくなると次を探すのに苦労していた。有事の為に残している少ないお小遣いを使ってしまったこともある。勉強にもお金はかかる。

 

 だからこそ、風太郎はこの時間に至福を感じてたまらないのだった。

 

 

 

「先生、今日はこれを借りていいですか」

 

「構いませんよ」

 

「よっしッ!」

 

 

 

 押入れの奥から引っ張り出された本の山。中野先生が使っていた教科書や参考書である。ボロボロにくたびれたものもあるが風太郎にとっては宝の山だ。

 

 今この瞬間、最高としか表現できない境地に至っている。先生から許可を得た風太郎は普段の覇気のないだらけた姿とは真逆。テンションマックスで拳を握って喜んでいた。

 

 風太郎は毎週この山から一冊引き抜いて使わせてもらっていた。毎回わざわざ押入れから出してもらって申し訳ないのだが。

 

 五つ子たちの面倒を看る代わりに教材を借りる。これが風太郎と中野先生の関係だった。風太郎が行ってきたこと全てが無償の奉仕だったわけではない。

 

 仮に風太郎が何も求めず、先生の役に立つためだけに五つ子と接していたら、中野先生は拒絶していただろう。何か返せるものがあるから中野先生は受け入れていたのだ。

 

 そんな恩師の複雑な心境を知らない風太郎は手にしたものに目を輝かせている。

 

 中野先生が持つ参考書は実用的なものばかりで、本屋で長時間読み漁って選考する手間がないのも魅力的だった。勉強したくて仕方ない風太郎だった。

 

 

 

「…本当に勉強が好きなのですね」

 

「…」

 

「気を悪くしないでください、褒めているのですよ」

 

「いや、物好きだと思ってませんかね…

 少なくとも、先生と会ったからこうなったんですが」

 

 

 

 鉄仮面の珍しい微笑み。最近はたまに見るようになったリラックスした表情に風太郎は苦笑する。そう言われて実際に褒められたことが一度もないのだ。

 

 この話題で一度先生から叱咤を受けたのだ。天狗の鼻を折られ、まだ未熟者だと指摘されたのだ。それを先生の子供たちと接して痛感している。

 

 あまり先生に触れられたくない話題だった。あまり良い会話にはならないと分かっているから高揚していた気持ちが消沈してしまった。

 

 

 

「努力し続けることは難しいのです

 問題が起きても、困難に陥っても諦めない貴方は

 立派な人ですよ」

 

「―」

 

「…ふふ、そのような顔をするのですね」

 

「ふーたろーくん、かおがあかーい!」

 

「うえすぎ、てれてるの?」

 

「フータローはりっぱ」

 

「うるさいぞ」

 

 

 

 恩師の予想外の返答に言葉が詰まってしまった。つい固まってしまい、どんな顔をしてしまったのか考えたくない風太郎だった。先生が笑っているから絶対に聞き出せないものなのは分かった。

 

 子供たちにからかわれてしまい恥ずかしさが増した。風太郎は黙って本の山を押入れに戻しておいた。

 

 姦しい五つ子は風太郎に構わずその輪を広げて騒ぐ。

 

 

 

「ふーたろーくんがおかあさんにほれたか…うーん」

 

「!?

 お、おかあさんにフータローはダメ!ぜったいにダメ!」

 

「そうよ、うえすぎがおとうさんとか、ぜったいにいや」

 

「おかあさんとうえすぎくんが…

 いいとおもう!それがいいです!

 ね、おかあさん!?」

 

「え、あれ、五月ちゃん?」

 

「ダメだってば!」

 

「五月にさんせー!

 そしたらまた、いっしょにくらせるもん」

 

「しねーから静かにしてろ」

 

 

 

 なぜか五月がやたら興奮しているが、騒ぐ子供たちを放って食卓のテーブルを借りた。後ろが騒がしくて勉強など身に入らないものだがもう慣れた。

 

 毎週本を借りた日はバイトがなければ夕方頃までこうして寛いでいる。先生からゆっくりしていってと言われ、厚意に甘えさせてもらっている。

 

 代わりに子供たちの相手をしたり、買い物に付き合ったりと協力することになっている。ギブアンドテイクである。本来はこういった意味ではないらしいが。

 

 参考書とノートを広げると、先の話題に猛抗議していた三玖が風太郎の隣に座った。風太郎を取られまいと必死に何かをアピールしたいようだった。

 

 

 

「わたしもする」

 

「無理だろ」

 

「むりじゃないもん」

 

「算数も知らない幼稚園児が…

 いや、まさか…できるのか…!?」

 

「できません」

 

 

 

 先生の子ならもしやと思ったが、ぴしゃりと先生から呆れられた回答が返ってきた。びびらせやがって。

 

 その先生は先ほどからスケッチブックを持って何かを描いているようだった。

 

 

 

「ところで、なにしてるんすか」

 

「おかあさんが四葉のにがおえ、かいてるんですよ!」

 

「似顔絵?」

 

 

 

 この前五つ子が描いた似顔絵のお返しだろうか。鉛筆を走らせている先生の目は真剣だった。向かいの四葉が微動だにできないほどの真剣さだ。

 

 しかし先生、それはもはや似顔絵ではなく人物画では。その光景はデッサンにしか見えなかった。モデルの四葉が目で何かを訴えている。諦めて耐えろ。

 

 完成しているものがあるようで、その絵を拝見するとそのモデルがこぞって集まり自慢し始めた。

 

 

 

「これわたし!すごいでしょ!?」

 

「すげえな、そっくりじゃねえか、写真?」

 

「こっちみて!かわいいでしょ?」

 

「あざとい、いてえっ!?」

 

「あとでかざるの」

 

「いいんじゃねえの、俺は絵心とかねえけど…いいんじゃね」

 

 

 

 どうやらデッサンをしているのかと思ったら先生なりにアレンジしているようだ。皆可愛らしく笑っていた。普段笑わない三玖の笑顔も見たことのあるものだった。さすが母親だ。

 

 過労疑惑のある母親にこんな特技があるとは思いもしなかった。あの硬直した四葉の顔からも笑顔が描けるのか、と笑ってしまう風太郎だった。

 

 が、一枚の絵を見てその顔が凍りついた。

 

 五つ子の絵に重なっている一枚の紙には金髪の少年。どこか不安げで上目遣いで誰かを見上げるそれは風太郎の体温を急激に沸騰させた。

 

 

 

「ぎゃーっ!?」

 

「!?」

 

「四葉」

 

「えー!?」

 

 

 

 風太郎の絶叫に五つ子が面食らって驚く。驚いて風太郎を見た四葉は母親から指摘を受ける理不尽さに叫んだ。

 

 この絵の少年は明らかに風太郎だった。五年前に先生と出逢った当時の物だ。手を繋いで歩いた恥ずかしい黒歴史が掘り起こされてしまった。

 

 しかしあの時写真を撮ったことなどない。参考になるものなど一切ないはず。まさか記憶を頼りに描き上げたのだろうか。

 

 先生の表情を窺うと変わらず楽しそうに四葉の似顔絵を描いている。なんて人だ。つーかそんな臆病な目をしていたのか俺は!

 

 過去の自分の絵を睨みつけていると子供たちが寄ってきた。

 

 

 

「ねえねえ!それいいでしょ!

 すごいイケメン!」

 

「でもだれなんだろうね」

 

「おかあさんのおともだちの…こども?」

 

「こわい…」

 

 

 

 詮索されるとバレそうだ。口は災いの元だと云われている。特に風太郎はいらぬことを口にして面倒事になるのだ。ここは黙っておく。

 

 三玖から怖いと指摘をされたのが少しショックだったが顔に出さないようにしよう。風太郎は黙って似顔絵を置いて勉強に移った。

 

 

 

「おかあさん、これだれなの?」

 

「そうですね…その子は…」

 

「…」

 

「…

 お母さんにとって、一番思い出深い教え子ですね」

 

 

 

 ごんっと風太郎はちゃぶ台に頭を突いてしまった。今までそういったことを言われたことないのにおかしい。今日はどこかおかしい。頭を打ったのではないか?

 

 テーブルに頭を擦り付けながら後ろの先生を見やる。四葉の絵が完成したのだろう。四葉に抱きつかれて微笑んでいた。

 

 その目が風太郎に流れ、悪戯がバレたような苦笑を見せられて風太郎は頭を抱えた。鉄仮面に隠された小悪魔を見た気分だ。嬉しいようで喜べない複雑な心境だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中野家に図々しく居座ることに慣れたはずだったが勉強に集中できないでいた。それほど先の一件は衝撃的なものだった。

 

 風太郎に遊んで、とせがむ五つ子たちにもおざなりな返事でしばし黄昏れていた。

 

 

 

「…ふーたろーくん」

 

「なんだ」

 

「ふーたろーくんに、いきしょーにんになってもらいます」

 

「あ?生き証人?」

 

 

 

 俯いていた顔を上げると向かいには一花が座っていた。その一花の前には一つのコップ、黒い飲み物が置かれていた。何をする気だ。醤油か?

 

 

 

「わたしはこどもじゃないってしょーにんです」

 

「子供だろ」

 

「…」

 

「わかったわかった

 で、何をするんだよ」

 

 

 

 頬を膨らませて睨む一花の機嫌を取り直して次を促す。嫌な予感しかしないし、失敗するとしか思えないのだが。

 

 

 

「コーヒーのめるっておかあさんにみとめてもらうの」

 

「…ブラックかそれ

 飲めたら大人ってか?」

 

「CMでもかっこいいおんなのひとが、のんでるよね」

 

「ブラックに限らないがな」

 

 

 

 どうやら何かに影響されて大人を誇示したくなったようだ。それが缶コーヒーのCMの女優なのか知らないが無謀である。

 

 コップ並々に注がれたブラックコーヒー。恐らく先生が普段飲んでいるのだろう。かっこいいな。だが無謀だ。

 

 

 

「いくよ?」

 

「ああ」

 

「…」

 

「…」

 

「…

 ちょっとまってね

 すー、はー」

 

「どうした大人」

 

「お、おとなだもんっ」

 

 

 

 コップに口を近づけると顔色が青くなって手が震え始めていた。ダメだと悟るのも大人だぞ。

 

 静止の手を突き出してストップをかけ一花は深呼吸してから再び挑む。だからやめておけ。

 

 内心止める風太郎に煽られた一花は目を瞑ってぐいっと口に流した。

 

 

 

「おえぇー」

 

「うおおお!?」

 

 

 

 まさか口からこぼすとは思わず広げたノートや参考書を放り投げた。借り物なのだから汚れたら一大事だ。二乃と三玖が拾ってくれた。

 

 子供に苦味は強烈だろう。噴出しはしなかったが半べそかいて苦味に震えている。だから無謀だといったのだ。

 

 落としそうになったコップを奪ってハンカチで口元を拭いてやる。ハンカチに大人の匂いが染みこんじまったぞ。

 

 コーヒーが零れたテーブルを拭いていると三玖が凶器となったコップを手に取った。

 

 

 

「…」

 

「はくわよ」

 

「はかない」

 

「ぜったいはくから

 うえすぎにきらわれるわよ」

 

「…ん」

 

「なんも付いてねーだろ」

 

 

 

 なにが、ん、だ。唇をつきつけて何をさせる気だ。二乃も呆れた顔をしていた。恐らく口元を拭かれた一花と同じ事をしろと言っているのだろう。

 

 苦味が染みたハンカチを口元に突きつけると嫌そう顔をして逃げた。良い武器を見つけたのか二乃がハンカチを奪って三玖を追いかけていった。やめてやれ。

 

 いまだに苦味に悶えている一花の頭を叩いてやる。零すだけ零して何もしていない姉だった。

 

 

 

「口から吐くほうが子供じゃないかお姉ちゃん?」

 

「だってにがいんだもん…」

 

「早かったってことだ、子供の卒業はまだまだ先だな」

 

「…ふーたろーくんだって、コーヒーのめないくせに」

 

「ぬかしやがる」

 

「んふぇぁ!

 おーぼーだー!」

 

 

 

 その生意気な口を引っ張ってやる。ぽかぽかと胸を叩かれて手を離してやると近くのクッションに顔を突っ伏した。

 

 苦いぃ、と一花はのたうち回っている。当たり前のことだ。風太郎も飲めないのだ、この苦さは。

 

 残ったコーヒーを少し口にして風太郎は悟った。結局無理だと分かっても飲んでしまうものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ夕方になってはいないが、今日は特に何も予定などはなさそうだ。穏やかに休日を過ごす中野家を見て風太郎はお暇しようと腰を上げた。

 

 だがその前に、母親の手を煩わせる前に止めておこう。

 

 

 

「いま、にんきのはいゆうがでてるの!こんどのえいがのしゅやくの!」

 

「…たいそうのおにいさん?」

 

「ちーがーうー!!」

 

「どようは…むかしのおはなしのばんぐみやってるの」

 

「じみでつまんない」

 

「…」

 

 

 

 テレビの番組争いをしているのは二乃と三玖だった。また喧嘩しているのか。他の姉妹はテレビなど無視して母親と遊んでいるのに騒がしい。一人は突っ伏しているのだが。

 

 仕方ない、三玖と少し遊んでから帰ることにしよう。

 

 

 

「三玖、暇なら遊ぶか」

 

「!」

 

 

 

 分かりやすい子だ。さっきまで不機嫌そうな顔がぱっと明るくなった。とててて、と子供特有の駆け足で風太郎に飛び掛ってきた。余程嬉しかったのだろうか。

 

 さっきまで口論していた相手の手の平を翻した様を見て二乃が顔を引きつらせていた。気持ちは分かるが睨まれる覚えはない。

 

 

 

「おまえも遊ぶか」

 

「…

 し、しかたないわね…あそんであげる!」

 

 

 

 二乃にも手招きすると睨んでいた目が一変。テレビのリモコンを放り投げて寄ってきた。おまえもできるのか。さすが姉妹だった。

 

 

 

「あ!四葉も!

 わたしもあそびたいです!

 おそとで!」

 

「えー」

 

 

 

 適当に遊んで帰ろうと思っていた風太郎には面倒な提案だった。そう渋っていると子供たちの塗り絵を見ていた母親が風太郎を見る。また嫌な予感がする。

 

 

 

「そういえば最近、外で遊べていませんでしたね」

 

「…」

 

「こういう時、元気なお兄さんがいたら頼もしいのですが」

 

「あ、あの先生…今日はどうしたんですか」

 

「…」

 

「…

 いってきます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「旦那が戻ってきたら一発ぶん殴ってやる」

 

「うえすぎくんがおとうさんやくです」

 

 

 

 八つ当たりをぼやいて風太郎は決意した。休日に可愛い子供を連れて遊びに出るのは父親の役目だろう。体に鞭を打ってでもな!風太郎がそうしているように。

 

 隣の五月から何か恐ろしいことを言われたが無視した。以前の泊まりの件からすっかり元気になったようで安心したが、安心できないものを抱えているようだ。俺はまだ高校生だ。

 

 

 

「ひまなら、おかしづくりがよかったー」

 

「一昨日作っただろ、平日に我侭言いやがってこのやろう」

 

「だって…たのしいんだもん」

 

「…楽しいのはいいがな、そんなペースだと間違いなく太るぞ」

 

「…」

 

「…なんでこっちみるの!?」

 

 

 

 二乃に指摘したつもりがなぜか子供たちは妹を見ていた。おまえらあの時俺をしばいたのにそれはどうなんだ。

 

 いわれのない視線に五月は憤然と抗議する。

 

 

 

「ふとってないもん!」

 

「でも、おとといのパンケーキ…わたしのぶんもたべてた」

 

「ゆうごはんもいっぱいたべてたねー」

 

「ごめん五月、いっぱいつくったらたべちゃうよね」

 

「五月のぶんはへらしたほうがいい?」

 

「ふとってないってば!

 おにいちゃんもいってたもん!

 うわぁああああん!!」

 

「泣かせた奴集まれ」

 

 

 

 四人にデコピンくらわせて五月を慰めてやる。また拒食されたらたまったもんじゃない。

 

 騒がしい道中だったが、中野家のアパートの近くの森林公園に着いた。遊具の他に小さな林もあって広いものだった。

 

 広い公園だけあってよく子供連れの家族を見かけるものなのだが、今日は曇り空もあって人はいないようだ。

 

 

 

「ほら、適当に遊んでこい

 公園からは出るなよ」

 

「ブランコ!」

 

「ちょっとまってよ!」

 

 

 

 ブランコは四つしかないようで五つ子にとって競争は必然。四葉が一目散に走り二乃や五月が続いた。

 

 苦笑する一花と、風太郎と手を繋ぐ三玖が残った。口の苦味は取れたようだな。

 

 

 

「おまえも思いっきり遊んでこい」

 

「おねえちゃんはそんなこどもっぽいことしないよ」

 

「意地張るな、楽しめる時に楽しめないとつまらない大人になっちまうぞ」

 

「…それってふーたろーくん?」

 

「そこに自販機があるんだが…」

 

「み、三玖いこ!」

 

「え、フータローと一緒がいい…」

 

 

 

 コーヒーを飲まされる前に一花は三玖を連れて逃げた。勘は鋭いな。無駄遣いしたくないから買ってやらないが。

 

 何か文句を言っていたが三玖は連行されていった。おまえも遊んでこい。

 

 風太郎は近くにあったベンチに腰をかけて子供たちを見守ることにした。子供たちの声が公園に響く。帰宅途中などでたまに耳にするが、自分が見守る側になるとは思わなかったものだ。

 

 らいはと公園で遊んだのはいつだったか、と感慨深くなるものだ。親父もよく休みにどこかに遊びに連れ出してくれたもので、五つ子の相手をして父親の凄さが分かるような気がした。

 

 子供たちを見やるとブランコは飽きたのか、滑り台のほうへ駆けている。外で遊ぶ時は四葉がリーダーのようだ。一花は皆を見守る位置にいるようで苦労してそうだ。遊べているのか心配になった。

 

 なにせ一花が気にかけているのは後ろから追いかけてくる三玖だ。あの子は四葉の足に追いつけない。不器用で、走ると転んだりぶつかったりしないか心配になる。

 

 風太郎が三玖に懐かれる前は転ぶ場面を何度も見ていた。その度に涙を滲ませて必死に追いつこうとしていたのだ。置いてかれる怖さを知っているのだろう。その姿は可哀想に見えた。

 

 だが、可哀想でもあるが、懸命に追いつこうと走ることは立派なことだ。諦めずに追いかけることは幼稚なこの時だからこそ得るべき経験だと思う。心の中で風太郎は応援した。

 

 

 

「…」

 

「あ、あれ、三玖?

 三玖~!?」

 

 

 

 その風太郎の手に汗握る応援は虚しく。だんだん嫌になった三玖は風太郎の下へ走ってきた。飛び掛ってくるのは一人前だった。姉がぽつんと固まっているぞ。

 

 

 

「もうやだ…ふーたろぉといる…」

 

「おまえな…」

 

 

 

 甘えられる場所を知ってしまったせいか、すんなり風太郎の下へ逃げてきた。ベンチに座った風太郎の膝にまたがってしがみついてきた。

 

 気持ちは分かるが遊んでほしかった。これが親心なのだろうか。甘えられて嬉しいような自立してほしいような複雑な気持ちだった。

 

 結局三玖まで座って過ごすわけにもいかず。一緒に滑り台を滑ったり、砂遊びをして時間を潰すことにした。手が砂で汚れるのは久しぶりだ。

 

 

 

「フータローがおとうさんやく

 わたしがおかあさんやくだよ」

 

「…」

 

 

 

 突然始まったおままごとに五月の戯言を思い出す。子供たちには必要な家族だが風太郎には無理な話だ。それとも子供の戯言を真に受ける風太郎が意識しすぎているのだろうか。

 

 

 

「おとうさん、きょうのごはん

 …」

 

「どうした?」

 

「おかあさんが、おとうさんをおとうさんっていう?」

 

「…」

 

「…おとうさんってなんだろ」

 

 

 

 おままごとを始めておいて疑問を持たれてしまった。そういえば父親がいないのだから想像しにくいか。

 

 

 

「呼び方はなんでもいい

 お父さんでも、名前でも」

 

「じゃあフータロー

 はいごはん」

 

「…」

 

「たべて」

 

「…マジか」

 

「マジ」

 

「えぇ…」

 

 

 手に乗せてどこかから持ってきた雑草と砂を見せてくる。子供の無邪気が怖い。せめてそういう玩具でやってほしいものだ。

 

 とりあえず食う振りでいいか。本気で食えというわけないだろう。と受け取ろうとすると三玖は手を引っ込めた。

 

 

 

「いただきます」

 

「は?

 お、おい三玖!?」

 

「えへへ、うそだよ

 わかってるもん」

 

 

 

 食うのかと思って慌てて止めようとしたが三玖は笑っていた。騙すつもりだったのか、してやったと笑っていた。

 

 嫌われるようなことは避ける子だと思っていた風太郎には予想外だった。こんなことで嫌うことはないが、嘘や冗談は嫌いな子のはずだ。

 

 余程楽しいのだろうか。普段言わないような冗談を口にしてはしゃいでいる。呆れてしまうが風太郎はなぜか少しだけ嬉しく思った。

 

 三玖を止めようと無様に前屈みになっているところを後ろからタックルをくらった。耐え切れずに三玖の腹に顔を埋めてしまった。三玖が手に持っていた砂と雑草ごと。

 

 結局食うことになってしまった。後ろを振り向くと仁王立ちする一花が立っていた。

 

 

 

「三玖だけずるいよ」

 

「…なんだおまえら、飽きたのか?

 じゃあ帰るぞ」

 

「まだいちじかんもたってないのに!?」

 

「時間なんて関係ない」

 

「じゃああきるまであそぶわよ」

 

「がんばってください、おとうさん」

 

「まだ言ってるのか、誰がお父さんだ」

 

「いまはわたしのおっとだもん」

 

「ダメです」

 

「…」

 

「み、三玖おこっちゃダメだよ

 五月ちゃんも、ね?

 いまはおままごとしてるから」

 

 

 

 誰一人砂と雑草にまみれた風太郎の顔に触れなかった。やったのは四葉だろ。睨むと一花の後ろに逃げられた。後で覚えてろ。

 

 五月のダメ出しに三玖が静かに立ち上がって膝をつく風太郎の頭を抱えだした。末っ子には俄然強気なのか。分かりやすい自己アピールに五月は諦めたようだ。

 

 三玖、頼むから衣服についた土を払ってからにしてくれ。頬がじゃりじゃりして気持ち悪いぞ。これでもかときつく抱きしめてくるからもはや拷問である。

 

 三玖の背中を叩いて離れるように促すが聞かない。見かねた一花が割り込んでくれた。四葉と二乃が髪についた砂を払ってくれる。二人共乱暴だったが。

 

 

 

「かくれんぼしよ!

 うえすぎさんがおに!

 ひゃく、かぞえて!」

 

「五月はうえすぎといっしょね」

 

「うぅ」

 

「あ?なんでだよ

 五月も隠れてこいよ」

 

「五月…まいごになる」

 

「じかんぎれになっても、あつまってこなかったんだよ

 へんなところいっちゃうもん

 いつもはだれかといっしょにかくれるんだけど」

 

「うぅ…」

 

 

 

 どうやら方向音痴が災いして五月は隠れる役に適さないようだ。子供なんだから仕方ないだろう…

 

 二人一緒に隠れる場所は限られる。見つかりやすくなるのは分かるが、姉から煙たがられてしまっているぞ。残酷である。

 

 

 

「いいもん…うえすぎくんといるもん」

 

「拗ねるな」

 

「じゃあひゃくびょうね!」

 

「あ、おまえら!

 公園からは出るなよ!あと時計が四時になったらここに集まれよ!」

 

「よじ…ええええ!?

 みじかいよ!?」

 

「うるせえ、約束を破った奴は

 この前先生にあげた似顔絵のおまえらの顔に悪口付け足してやる」

 

「ええええ!?」

 

「いやよそんなの!」

 

「せっかくかいたのに…」

 

 

 

 16時と言って15分程しかないと知った四葉が抗議の声を上げてきた。長くなると面倒だから却下する。

 

 子供たちの傑作に泥を塗ると聞いて3人からも悲鳴の声も上がるが破らなければいいのだ。半分冗談だが。

 

 五月と一緒にベンチに座って百秒数えることにした。五月に数えさせるとすんなりカウントしていた。

 

 

 

「きゅうじゅうきゅ…ひゃくっ!

 うえすぎさん!いこ!」

 

「おう、おまえについていくから」

 

「いいの?」

 

「疫病神扱いした仕返しをしてやれ」

 

「それわるくちですよね!?」

 

「ああ、これでいいか

 一人も見つけられなかったらおまえの似顔絵に書いてやる」

 

「ぜ、ぜったいみつけます!」

 

 

 

 本当に書かれると思っているのか五月が走り出して後を追った。10分程しかないのだが酷だったかもしれない。

 

 泣き出したりしないか不安を過ぎったが杞憂に終わった。敷地内の林の中に三玖の顔が見えたからだ。一本の木の後ろから顔を覗かせてこちらを見ていた。

 

 

 

「三玖です!」

 

「なんつうか、こんな人気のない森で一人でじっと見られると…軽くホラーだな」

 

「それもわるくちですよ!」

 

「おまえも最初びびっただろ、飛び跳ねてたの見てたからな」

 

「だ、だってきゅうだったんだもん!」

 

 

 

 こちらを見ていた三玖が木から離れた。逃げるのかと思ったが、なぜかよたよたとこちらへ向かってくる。凹凸のある地面に苦戦して木の幹を手すり代わりにしてゆっくり向かってきた。

 

 

 

「みつかっちゃった」

 

「…おまえな」

 

「かくれんぼなのに」

 

 

 

 手を泥だらけにして風太郎のズボンにしがみついてきた。嬉しそうに笑っているが思いっきりズボンに泥が付いてしまった。あんなに頑張って走ってきた子の手を払うことなどできなかった。

 

 早々に降参した三玖を連れて一旦戻る。公園の水道で手の泥を洗い流してからかくれんぼを再開した。

 

 

 

「二乃ならむこうの、どかんのなか」

 

「ばらしてる!?」

 

「よくやった三玖」

 

 

 

 三玖の助言を頼りに足を運ぶと遊具なのか分からないが、横に置かれた土管が見えた。リサイクルの一環だろうか。鉄棒やジャングルジムと並んで置いてあった。

 

 五月が土管へ駆け出し、土管を覗くと悲鳴が上がった。ご愁傷様だな。

 

 だが一向に二乃が出てくる気配がなかった。何をしているのか、五月が何か話し込んでいる。

 

 

 

「何をしてんだ」

 

「に、二乃が…」

 

「うぅぅ…」

 

「…ぶつけた?」

 

 

 突然現れた五月に驚いたのだろう。土管の中で座り込んでいた二乃が立ち上がって頭をぶつけたのだろう。涙目になっている。いやもう泣きそうだ。

 

 

 

「ご、ごめんなさい二乃」

 

「いい…だいじょうぶだから…」

 

「…いたいのいたいの、とんでけ」

 

「だいじょうぶだってば!」

 

 

 

 三玖が頭を撫でようとするが、その手を払われてしまった。意地っ張りな子だ。

 

 

 

「二乃、一旦出てこい」

 

「うぅ…」

 

「あー、たんこぶできてんな

 これは痛いだろ」

 

「う…うえすぎ…あたま、なでてぇ…」

 

「…痛いの痛いの飛んでけ」

 

「それはいい」

 

 

 

 ぶつけて腫れた頭を風太郎に向けてくる二乃を撫でてやった。慰めはいらないが痛みをどうにかしてほしいようだ。

 

 

 

「もっとぎゅって」

 

「なに?」

 

「いたいの!」

 

「?

 こうか?」

 

「もっとつよくっ」

 

「窒息するぞ」

 

 

 

 よくは分からないが頭を抱えながら撫でてやった。強くしろと言われ加減に気を配って頭を抱きしめてやることにした。

 

 痛みを別の痛みで紛らわそうとしているのか。分からなくもないが素直に泣けばいいだろう。涙目で鼻を啜って、嗚咽を堪える溜め息を吐いている。仕方のない子だ。

 

 痛みが和らいだのか風太郎から離れたが、恥ずかしそうに俯いてしまっていた。

 

 

 

「あ、ありがと…」

 

「ああ」

 

「…二乃だけずるい…」

 

「三玖!

 あぶないです!」

 

「ものすごくいたいわよ」

 

 

 

 抱きしめられた二乃を羨ましく思ったのか、三玖が土管に両手を添えて何か企んでいた。頭を打つ気だったのだろう、五月が羽交い絞めにして止めた。

 

 やきもち焼きも困ったものだ。何かしでかさないように風太郎は三玖の手を握って監視するしかない。手のかからない子だと思っていたが最近は手を焼いている。

 

 

 

「で、一花と四葉はどこだ」

 

「フータローもずるっこ」

 

「四葉はあっちにいった」

 

「えええ…これっていいんですか!?」

 

 

 

 姉の暴露に五月がドン引きしているがもう時間は少ないのだ、なりふり構ってられない。早く見つけてしまおう。五月の背を押して前を歩かせた。

 

 見えたのは子供が中に入って遊ぶ、ドームに所々穴が空いた遊具だ。まさかあの中かにいるのか。四葉にしては少し地味に思えてしまう。

 

 

 

「おまえらダッシュ」

 

「はい!」

 

「わたしもー?」

 

「だっしゅ」

 

 

 

 風太郎の命令を聞いた三人が揃って穴の中に顔を覗かせる。今度は驚いたとしても頭をぶつけることはないだろう。

 

 どうやらいたようだ。三人が騒がしくしていると一つの穴から四葉が飛び出した。

 

 

 

「しゅたたた~!!」

 

 

 

 そのまま山なりの林へ逃げていった。三人は四葉の後姿を眺めているだけだった。

 

 

 

「…

 追わないのか」

 

「むりです」

 

「むりよ」

 

「ぜったいむり」

 

 

 

 諦めるのが早すぎる。五つ子の中で一番素早く体力のある四葉に挑む気はないようだ。じゃあどうするんだよ。

 

 

 

「わたしがみつけるやく」

 

「あ?」

 

「うえすぎくんがつかまえるやくです

 三玖も二乃もそうでした!」

 

「屁理屈を…

 面倒だし、一花を捕まえてから四葉を包囲しよう」

 

「そ、それは四葉がかわいそうです」

 

「あのこ、こっちみてるよ」

 

「おいかけてほしいみたい」

 

「あれは余裕ぶっこいてるだけだ」

 

 

 

 三玖と同じく、木から顔を覗かせてこっちを見ている。ここで四葉を放置して離れたりしたら泣いて走ってくるだろう。仕方ない奴だな。

 

 風太郎が四葉のほうへ歩く。四葉は目を輝かせて林の奥へ逃げていった。かくれんぼなのに鬼ごっこになっているぞ。タッチ制なのだろうか。ルールまで言及しておくんだった。

 

 四葉を追って林の中を駆けること数分。予定の16時を過ぎるんじゃないかと腕時計を確認すると奥を走る四葉の足が止まった。時間なのかと心配したようだ。

 

 走っている最中、遠目でも四葉が楽しそうなのは分かった。時折はしゃぐような声を上げていた。こちらは必死なのに充実していたようだ。

 

 そんな楽しい時間が終わったのだと四葉はこちらへ向かって歩こうとした。子供のくせに。風太郎は乾いた溜め息を吐いて踏ん張った。

 

 

 

「さっき突き飛ばしたの忘れてねえからな四葉ぁ!」

 

「へ?

 わひゃぁあ!?」

 

「待てやおらー!」

 

「まちませんよー!」

 

 

 

 タイムアップで勝っても嬉しくない。一花には悪いが四葉を捕まえてこのかくれんぼを終わるとしよう。嬉しそうな悲鳴を上げて逃げ出す四葉を追った。

 

 最後の力を振り絞って四葉を捕まえることができた。恐らく手を抜いたのだろう。生意気な子だった。

 

 後ろから両脇を捕まえて持ち上げてやった。なぜか万歳をしてはしゃいでいる。高い高いじゃないぞ。

 

 

 

「つかまっちゃいました」

 

「ぜぇ…逃げるのは…ルール違反だ…はぁ」

 

「ししし、うえすぎさんルールです」

 

「なんだよそれ」

 

「四葉をつかまえるの!」

 

「勘弁してくれ」

 

 

 

 降ろしてやると何が不満なのか、ぴょんぴょん跳ねて両手を伸ばしてくる。

 

 

 

「さっきのもっかい!」

 

「無理、おまえ重たいもん」

 

「ぶーぶー」

 

「ほら、捕まったんなら大人しく連行されろ」

 

「なかのしてんのーやぶれたりー」

 

「まだだぞ、まだ一花が残ってる」

 

「まだですか!?

 えええ、もうよじですよ、なにしてたんですか!」

 

「おまえを追ってたんだろうが!」

 

 

 

 風太郎の腕時計を見た四葉が驚いている。誰のせいだ。見つけた時点で終わってたら一花を探せたわ。

 

 喧しい四葉を連れて五月たちの下へ戻るが誰もいなかった。

 

 

 

「しゅーごーばしょにもどったんですよ」

 

「なるほど」

 

 

 

 ルールを破れば似顔絵が悲惨なことになるからな。厳守したのだろう。

 

 

 

「つまり、おまえは約束を守れなかったと」

 

「えええ!?

 あ、でもうえすぎさんもやぶってます!」

 

「俺はいいんだよ」

 

「ずるっこだ!」

 

 

 

 そんな下らないことを話しながら集合場所に戻ると五月たちが待っていた。時刻は16時15分。四葉を捕まえるのにだいぶ時間がかかってしまった。

 

 子供たちから怒られるだろうな、と子供たちを見やると一人足りないことに気づいた。一花がいない。五月たち三人も長女が戻っていないことに不安に思っているようだ。

 

 さっきまで走りこんで火照った体が急激に冷えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風太郎と四人で声を上げて一花を探し出すが反応はなかった。声が届かないほど大きな公園でもない。時間制限を設けているのだから集合場所の大きな時計が見える範囲にいるはずなのだがいないようだ。

 

 何かあったのか。怪我をして動けないのか。公園から出たのか。それとも…。最悪の展開を予想して風太郎は焦り始めた。

 

 

 

「上杉君」

 

「せ、先生…

 迎えですか」

 

「はい、雨が降ると思って」

 

「雨…ああ」

 

 

 

 一花のことに夢中で空模様を気にしていなかった。確かに来た時は真っ白の曇り空が黒ずんできていた。そう見上げているとぽつりと雫が顔に当たった。

 

 

 

「…一花がいないようですが」

 

「はい…」

 

 

 

 母親がいることに気づいた子供たちが集まってくる。一花がいないことを説明すると鉄仮面の表情に少し焦りが見えた。申し訳ない。

 

 母親と共に捜索しようとしたところで、ぽつりと落ちてくる雨が強まってきた。本格的に降り始めたようだ。

 

 先生は傘を三つ持ってきているが、この雨の中探すとなると子供たちが濡れてしまう。

 

 

 

「先生、俺は残って一花を探します

 一度子供たちを家に連れ帰ってもらっていいですか

 このままじゃ風邪をひいてしまいます」

 

「…わかりました

 すぐに戻ります」

 

「はい」

 

「うえすぎさん…」

 

「おまえらは先に戻ってな

 一花の奴探してくるから、大人しく待ってろ」

 

「ぜったいよ、ぜったいに一花みつけてよ?」

 

「ああ」

 

 

 

 風太郎は先生から傘を一つ借りて公園周辺を探し回った。もう公園内にはいないと見るべきだろう。

 

 見つからなければすぐ警察を呼ばなくてはならない。後悔してからじゃ遅い。通りかかる人に女の子を見なかったか尋ねて回るが良い返事はなかった。

 

 風太郎の不安を助長させるように雨風も激しくなる。傘など差して走ってられない。そう思って傘を閉じようとすると、ぱしゃぱしゃと水溜りを駆け出す音が聞こえた。

 

 

 

「いた…」

 

 

 

 どっと張っていた足の力が抜けそうだった。一花が濡れたままこちらに向かって走っていた。一花もこちらに気づいているのだろう。水溜りを避けずに真っ直ぐ向かってきている。

 

 どしゃぁ!と一花が水溜りに転んだ。ぎょっとした風太郎は急いで一花の下へ駆け出した。

 

 

 

「一花、大丈夫か?」

 

「ふーたろーくん…あ、あ…あのね…!」

 

 

 

 膝を擦りむいて血が滲んでいるが、傷に見向きもしない一花は風太郎の手を引っ張った。

 

 

 

「ふーたろーくん、たすけて!

 おねがい!」

 

「な、なにがあった」

 

 

 

 まさか本当に誰かに襲われたのか。とっさに一花を抱えようとするが、その手が空振る。そのまま手を引っ張られた。何なんだ一体。

 

 黙って引っ張られて着いた場所は、公園から道路を越えた林だった。やはり公園の外にいたんだな。

 

 

 

「あれ」

 

「…あ?」

 

 

 

 猫だ。猫が木の枝の上で縮こまっていた。雨に濡れてさぞ寒いだろう。人が近寄っても身動きできないでいた。

 

 

 

「おりれないの」

 

「いや、おまえ何でこんなところに」

 

「えっとね…かくれんぼしてたらね

 こどもがね、ここにあつまってたの

 なにかなってみにいったら、ねこがいたの」

 

 

 

 結局ルールを破ったようだ。怒ってやりたいが今はやめておく。

 

 

 

「みんなといっしょにたすけようとしたんだけど…

 あめふってきたから…かえっちゃった

 もうじかんだから、もどらないと…

 でも…かわいそうだよ

 ねえ、おにいちゃん、たすけてよ」

 

 

 

 一花はボロボロ泣いて風太郎の服を引っ張っている。先程転んで顔も、服も泥まみれだ。なのにこの子は自分の酷い有り様など気にかけず猫のことが心配なようだ。

 

 深い溜め息が漏れる。死ぬほど心配していた風太郎にはもはやお安い御用といったものだ。傘を一花に手渡して木に足をかけた。

 

 木登りなど小学生以来だ。しかも雨で木は濡れて滑る。しかしやるしかない。時間はかかったがなんとか猫のいる枝まで登りきった。

 

 肝心の猫は突然現れた風太郎に威嚇している。しかし手を差し出して数秒。害はないと知ったのか猫はじたばたと枝を揺らして風太郎の下に飛び掛ってきた。

 

 手ではなく胸元に張り付かれたがそのまま抱えて木を滑り降りた。降りるのは楽だ。

 

 

 

「ふーたろーくん!すごい!すごい!」

 

「ほらよ」

 

 

 

 猫を降ろすとそのまま一目散に林の奥へ消えていった。薄情者め。おまえのせいでこっちはいらぬ苦労をさせられたぞ。

 

 雨の中ずぶ濡れの二人。とりあえずすぐに先生の下へ戻ろう。警察を呼んでしまっているかもしれない。

 

 

 

「…ごめんなさい」

 

「酷い顔してるぞ」

 

「…」

 

「こっち向け」

 

「ごめんなさ――ふぎゅっ」

 

「泥だらけだ」

 

 

 

 ポケットのハンカチまで濡れてしまったがやらないよりマシだ。少々コーヒーの匂いが付いてしまっているが。

 

 一花の顔を拭いてやり、血が滲む膝の泥を丁寧に取ってやる。痛いのか膝が震えているが泣き言は吐かなかった。両膝だからさぞ痛いだろう。

 

 風太郎はしゃがみながら一花に背を向けた。

 

 

 

「帰るぞ」

 

「…うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、おこってる?」

 

「怒ってる」

 

 

 

 背中に背負う一花が声を震わせて確認してきた。まだ怒っているが無事でいてくれた安心感のほうが強い。もし実の妹なら抱きしめてしまったかもしれない。らいはは約束を破る子じゃないがな!

 

 二人共服まで濡れていて着心地は最悪だ。不快感を誤魔化すように一花は風太郎の背中に密着していた。傘は一花が手に持っていた。

 

 

 

「まさかルール違反するとは思わなかったぞお姉ちゃんよ」

 

「ごめんなさい…」

 

「先生も心配してたし、これはゲンコツだな」

 

「…わるいこと、なのかな」

 

「ん?」

 

「ねこ…たすけたのに」

 

 

 

 一花なりに良いことをしたつもりなのに風太郎からも、母親からも怒られる。腑に落ちないようだ。悪いことをしたのは分かっていても猫を助けた善行に傾いているのだろう。それは正しいことでもある。

 

 

 

「おまえ、四葉や五月が同じことをしてたらどう思う?」

 

「え?」

 

「想像してみろ

 おまえの知らないところで、一人で頑張って、転んで泣いて、雨の中傘も差さないでよ」

 

「…」

 

「お姉ちゃんを頼ってほしいと思うだろ?

 それが姉だ

 母親も同じだがな」

 

「おなじ、かな…

 だって、わたしはおねえちゃんだもん…」

 

 

 

 姉だから一人でやらないといけないと思っているのだろうか。風太郎としても分からない話ではない。実際妹に頼ってはいけないと思うところがある。内容によるのだが。

 

 まだ一花はその判断を決められないのだろう。姉だからと愚直に妹を守り、頼れないのだろうか。年上の風太郎がいるのだから甘えてほしいのだが…

 

 そういえばあまり頼られたことがない。思うようにいかず困った時、目で訴えてくる時はあるが弱音を吐いて諦めたことはなかった。どうやら筋金入りだった。

 

 風太郎としては頼ってもらいたいが、一人で頑張ろうとしている子に一方的に頼れ、とはその努力をふいにしてしまうものじゃないか。難儀なものだ。

 

 

 

「仕方ねえな…ドジなおまえがどこまでできるか見てやる」

 

「え?」

 

「一人で頑張れお姉ちゃん」

 

「ご、ごめんなさい…やだよおにいちゃん」

 

「ちげえよ、ちゃんと見てやるから

 一人でやってみろ、その代わり俺の近くにいろ」

 

「…ほんと?」

 

「まだまだひよっこお姉ちゃんだからな」

 

「こ、こどもじゃないよっ」

 

 

 

 やはり一人は怖いようだ。見栄を張りやがって。

 

 あれだけ心配かけて何言ってやがる。ほら来たぞ。

 

 向かいからこちらへ走ってくる母親が見えた。どうやら鬼の折檻が待っているようだ。一花を確認して安堵した瞬間、怒気が溢れ出した。切り替えが早い。

 

 悲鳴を上げる一花のしがみつく力が強まる。隠れようたって無理がある。傘で視界を塞いでも無駄だ。

 

 母親に叱られているうちは卒業できないだろう。家に帰るまでは守ってやる、と風太郎は脅える子供を背負い直した。

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