五等分の園児   作:まんまる小生

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幼子との約束その3 心夢

 懐かしい光景がぼんやりと映し出されている。

 

 背景など一切見えない白い世界だ。自分がどこに立っているのか、なぜこんな場所にいるか定かでない曖昧な世界。

 

 だが、俺はこの場所を、これから何が起こるかは既に察していた。

 

 見覚えのある人物が目の前にたたずんでいる。

 

 白い装束でも、写真で見たものでもない。あの人らしい白のブラウスに黒いスカートという毅然としたものだ。

 

 人が、夢が夢だと気づく瞬間はどんな時だろうか。

 

 夢の世界は一人でしかないのだから誰も教えてはくれないし、朧な思考でなければ夢は夢でなくなる。

 

 疑問はそのままに、考えることをやめた。今はこのまま夢を見ていたい。

 

 こんな夢は初めてだった。あの人が亡くなってからのものは、あいつらに対する後ろめたさが象られたような酷いものだった。

 

 この人が今から口にする言葉は、もう知っている。

 

 

 

「我侭をもう一つ、許してくれませんか」

 

 

 

 本当に、我侭な奴だ。

 

 淡い世界の中で。形も定かではない桜が散る世界で恩師が目の前にいる。

 

 中野零奈。五つ子を産んだ母親。京都で出会った憧れの恩師。

 

 先生だと分かっていながら、あの人の顔がぼやけて見える。頭の中にくっきりと記憶できなかった。

 

 こんな声だったか。そうだ、そうだったよな。

 

 十年も会わないうちに忘れてしまっていた。夢の中の出来事に確証も保証もないというのに…心が満たされるようだった。

 

 ああ、分かりきっている。これは夢だ。夢なのだから見続けていても何も変わらない。

 

 愚かにも程がある、最後に別れた過去を今夢見ているんだ。

 

 十年前、いや九年前か。高校の卒業式を終えた後に俺は先生と対面した。その日が最後の別れになるとも知らずに。

 

 紛い物でしかないのに、今はこの穏やかで優しい世界に浸っていたい。力まず、抗わずこの思い出の中の先生と一秒でも長くいたかった。

 

 

 

「どうか振り向かずに、前を向いて歩んでください」

 

 

 

 …夢でも酷なことを言ってくれる人だ。

 

 全身の痛覚に違和感が宿っている。現実に引き戻されるような感覚がよぎり、抗うように考えることをやめた。

 

 わかっているさ、先生。所詮夢でしかなくとも、あんたに言いたいことは山ほどある。あったんだ。

 

 なのに口から声を発することはできなかった。この夢の中では俺に発言する権利などないようだ。

 

 あの時の、過去の光景は俺の意思に反して進んでいる。

 

 未来を知らない先生は、俺に初めて夢を語る様を恥ずかしがって、照れて笑いかけてくれている。

 

 待ってくれ。

 

 

 

「笑ってしまいますか?」

 

 

 

 まずい、待て、終わってしまう。駄目だ先生、一人にならないでくれ。

 

 この後にこの人との物語などない。思い出なんてないんだ。何も言えなかったんだ俺は。

 

 夢は現実を忠実に再現するようだ。視界がぼやけて先生の姿が霞んでいく。唯一夢を彩っていた桜の花弁も失せている。

 

 先生が消えていく。あの時の俺はこの結末に、次があるからと決して諦めはしなかった。

 

 諦めはしなかった。だが何もしなかった。

 

 拙い恋心なんて捨て去って、形振り構わずあの人を助けるべきなのに、俺は嫌われることを避けたんだ。

 

 自分の能力を過信するつもりもなかった。俺より優れた人間はいるのだから、そいつが先生を助けてやってくれればいいんだ。

 

 その為には俺は不要だ。必要とされていない。

 

 だが、この後に待っているものは死別だ。後悔しかないんだ、この人は死ぬんだぞ。

 

 止めろ、意地でも止めるんだ。言わないと後悔するぞ。

 

 またいつかなんて、そんなもの誰も待ってくれないんだぞ。

 

 だから今しかないんだ。あの五人をまた泣かせたいのか。

 

 

 

「先生ッ!!」

 

 

 

 声を出せた。

 

 世界の形など知ったことじゃない。がむしゃらに走って、どこにいるかも分からない先生の手を掴んで引き止めた。

 

 掴めた。手の平に伝わってきたものは温かいものだった。その温もりに涙が出そうだった。

 

 あの時手を握ってくれた温かいものだ。恥ずかしくて俯いてしまったものでも、掛け替えのない大切な思い出だった。

 

 

 

「また逃げる気だろあんた

 あんただけ我侭通して、俺は諦めるなんてフェアじゃねえ

 絶対に…恩返しするからな…!」

 

 

 

 子供の俺にできることは少なく小さなものだ。だがそれに甘えてはいけなかった。

 

 あんたに求められる人間になってみせる。その為なら何だってやってみせる。

 

 あんたはまた困ったように笑うんだろうな。

 

 手を掴まれたことに微かに驚き、俺の言葉に先生は笑ってくれた。

 

 

 

「あんたは笑ってなくちゃいけねえ…!

 今まで努力してきた分、報われないと!

 あんな悲しい終わり方、俺は認め――」

 

 

 

 指先から違和感がよぎった。そして冷たかった。

 

 固く尖ったような痛みだった。

 

 聞く耳持たない、と指に触れる無機質な手触りが無言のまま拒絶を示しているように感じた。

 

 独り善がりでしかない言葉は、相手の顔を映さない。見ているはずなのに、笑っていたはずなのに先生は一瞬で消えた。

 

 息が乱れていく。不自然に心臓の鼓動が早まり吐気が込み上がる。

 

 

 

「…」

 

 

 

 気づけば、掴んでいたものは細く白い石のようなもの。

 

 これが現実だと分かっていたのに、何であんなことを口走ったのか。

 

 一度…見たよ、これは。

 

 生きていた者が朽ちて死んだことを示す、わかりやすいものだ。

 

 白い粉が指に付着し、触れた箇所が軽くて薄い欠片となって、パラパラと崩れ落ちていく。強く握ってしまったせいで傷つけてしまった。

 

 もう顔を上げることなんてできない。この触れるものの先にいるだろう先生の顔を、見たくない。

 

 声を上げずに済んだのは、知っていたからだ。それでも全身が凍りついて心臓が止まるかと思った。

 

 目頭が熱い。手を放して、頭を抱えて振り払いたかった。

 

 だがそんな振る舞い許されるわけがない。この手はもう離せない。

 

 

 

「お母さん…?

 お母さんッ! 嘘ですよね!? 待って、待ってください!」

 

 

 

 待て、そんなもの知らないぞ。

 

 ふざけるな、何を考えているんだ俺は。夢だろ、これは。

 

 母の死に嘆く子供たちの声が響いている。きっとすぐそばにあの子供たちがいる。死んだ母親のもとで泣いている。

 

 

 

「すぐに救急車をッ

 お願いですお母さん! こんなの、駄目です!

 まだお別れも…!

 お母さんっ!」

 

「お母さん…ごめん、ごめんね…!

 一人にして…ごめんねぇ…ごめんなさい…っ」

 

「ねぇ…ママ 今年もお祭り行くって約束したじゃない…

 お願いママ、いなくならないで…

 迷惑なんかじゃないから…お願いだからいなくならないでっ…!」

 

「嫌だよ、お母さん…!

 …だって昨日…約束…!

 お母さんごめんっ…怖くて目を逸らしてた…お母さんっ…待って…!」

 

「…

 お母さん…一人ぼっちなんて、あんまりだよぉ…」

 

 

 

 現実か妄想なのか、悲痛な嘆きが耳にこびりついている。俺の知らない出来事だ。

 

 俺のせいだと言いたいのか。それは俺の自己満足にしかならないと言っただろうが!

 

 全てを被ろうとする行為は、あの人を愚弄するようで…先生は俺の知らないところでも死を悟りながらも努力してきたのだから。

 

 頭を振って、子供たちの嘆きを振り払おうとすると見覚えのある光景が目に付いた。

 

 この夢はまだ覚めないのか。早く起きてしまいたい、不要なんだこんなもの。

 

 夢の続きでも子供たちは泣いている。白く小さくなった骸を泣きながら骨壷に収めている。

 

 死人が火葬され、骨となったものを拾骨し弔っている。よく覚えているよ。だから見せつけるな。

 

 忘れていたわけじゃない。いくら前向きに、希望を見出したスタートを切っても過去の出来事は消えない。

 

 だが不要だ。子供たちには不要なのだから今更俺が思い返したって。

 

 

 

「貴方の番ですよ」

 

「…」

 

 

 

 諦観者ではいられないようだ。悪夢でしかない。

 

 目の前に手渡されたものは、箸だった。先まで子供たちが握っていたものだ。

 

 手に持つ子供の顔を見やる。母を心から慕い、泣き崩れていたはずの五月の表情は無に等しかった。ただ無表情のまま告げている。

 

 もはや、何も言うことはない。あの時と同じように、何も考えずにやればいい。あの時は、俺はらいはと遺骨を二人で渡した。

 

 今は五月と共に、箸を使って一つの骨を掴み収める。あの世への橋をかけるように。軽い音が壷の中で反響し、小さく響いた。

 

 あの時笑っていたはずの人がこんなにも小さく、死を象徴とするものに変わってしまった。

 

 さっきまで手を握っていたはずなのに。気恥ずかしそうに、夢を語って笑っていた人なのに。

 

 誰もがこの姿に辿り着くことを運命付けられているが、あまりにも早すぎる。

 

 

 

「先生…」

 

 

 

 おかしいだろ、こんなはずじゃなかった。俺はまだ何も選んでいない、あんたを見捨てたつもりなんてなかったんだ。

 

 わからねえ。本当は先生は俺に助けを求めていたのか?

 

 あんな立派な人がよ、十も年下のガキに頼ろうとするか? 俺はそんなできた人間じゃなかった。何で先生は俺と関わろうとしたんだ。

 

 考え出すと気が狂いそうだ。早く終わってくれ。

 

 

 

「勝手にいなくなったくせに、今更家族みたいな顔しないでくれる?」

 

「…二乃か」

 

 

 

 もうやめてくれ。あの時で十分だろ。できるのなら、望まれていたのなら…ずっといたかったのは本当だ。信じてくれない、か。

 

 もう、笑うしかない。言えるわけがない、一番辛いのは子供たちなのだから。

 

 謂れのない事実があれば違っていただろうが、そんなもの十年の年月の中には存在しない。

 

 振り向けば、子供たちが冷たい瞳でこちらを見ていた。

 

 一瞬でも子供たちを他人だと切り捨てて、見捨てようとした心を呪った。

 

 俺は見返りなんて求めてない…まして十も年下の子供相手に。どう思われようと関係ないだろ。

 

 

 

「…すまなかったと思っている」

 

「違うでしょ

 今になって謝られても困るよ」

 

「…

 おまえたちは…俺にどうしろと」

 

「わからないんだ…?

 …そこにいるから」

 

「そこって…」

 

「謝ってくださいよ

 お母さんに」

 

 

 

 おまえたちは何を見ているんだ…

 

 俺が立っている場所は骨壷の前。

 

 嫌な汗が滲んでくる。

 

 子供たちから視線を逸らせない、背後を振り向きたくない。

 

 子供たちの視線の先には、先程触れたものがある。中に積まれたものを子供たちはじっと見つめている。

 

 恨んでいるのだろうか。そんなことあるはずがない。

 

 あの人はそんな人ではない。俺は、知っている。先生は…!

 

 少なくとも、俺はあの人の思いを汲み取って――

 

 

 

「上杉君」

 

「…

 い、五月…?」

 

 

 

 その声に、やはり振り向くことなどできなかった。

 

 背後には拾骨したまま、向かいに立っている五月がいる。いるはずだ。

 

 五月だけのはずだ。

 

 五月からの呼びかけには答えられなかった。

 

 俺には、あの人の声が分からないから。

 

 

 

「上杉君」

 

「…」

 

 

 

 その呼び名はこれまでに幾人から、幾度となく聞いてきた。何の特徴もない、よく使われた呼び名だ。

 

 五月もその一人だ。

 

 そしてこの場では、そのように呼ぶ者は五月しかいないはずだ。

 

 いないはずだ。

 

 後ろにあるのは遺骨が一つ、それだけだ

 

 この場から去りたくても目の前には四人がいる。逃げる事は許されない。

 

 

 

「上杉君」

 

 

 

 声など、覚えていない。その声はこちらを見ろと延々と声を投げかけている。

 

 五月のものかもしれない。でも、もうわからない。

 

 もしあの人だったら。

 

 そう思うだけで、今は怖かった。

 

 

 

「上杉君」

 

 

 

 優しくて、努力を惜しまない人で、遠慮ばかりで、意地の悪いあの人が俺を恨んでいるとしたら。

 

 もう、こんな思いをするぐらいなら…

 

 

 

「上杉君」

 

 

 

 死んでもいい

 

 決して振り向くことはなく。

 

 ただひたすら、早く覚めてくれと願うばかり。

 

 腕を胸に抱いてうずくまる。もうこの夢は終わりにしよう。

 

 気づけば、腕の中にはあの壷が。

 

 恩師の骸を抱いていた。

 

 懺悔か、恋慕故か。風太郎は僅かに得たものが壊れないよう、優しく抱きしめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…なんつう夢だ…」

 

 

 

 覚めない悪夢なんぞ、初めての体験だった。

 

 あの人が化けて出てくるんじゃないかと考えたことはあったが、夢の中でホラー映画のようなものを強いられるとは思わなかった。

 

 存外、繊細な心を持っていた自分に驚いてしまう。

 

 悪質な夢だった。覚めてくれと願ってもこの身体は動いてはくれなかった。あまりにも長く感じていたものから解放され、やっとこの身は自由になった。

 

 視界には見慣れた光景が映っている。

 

 眠っていたというのに息は荒く、自室のベッドに横たわったまましばらく動けなかった。

 

 真夏の夜に空調を付けて寝たのに寝汗が酷かった。汗は冷えているのに未だに汗が滲んでくる。

 

 …夢と表現するには曖昧だ。

 

 確証などないんだ。あいつらは本心では俺を恨んでいるのかもしれない。

 

 そうでなくても、十年前に会った程度の男と関わることになって不信感はあるだろう。

 

 先日の一件から、昔のように距離が近づいたように感じた。だが、それも現実の問題に直面すれば簡単に蒸発して消える。

 

 あいつらに過剰な期待をしていたのは俺だった。

 

 馬鹿馬鹿しい…五月や三玖、一花、四葉…そして二乃とも。少しでも笑える一時を過ごして気が緩んでいたようだ。

 

 体がだるい。昨日、一昨日で子供たちのもとで動き回っていたから疲れていたのだろう。今日もまた子供たちと顔を合わせることになっている。

 

 

 

「…遺骨は…今は爺さんの家だったか」

 

 

 

 笑いかけてくれるようになった五人の顔を思い浮かべると、夢の中で見たものに塗り潰された。

 

 現実もあの夢の延長線だ。子供たちの本音など知らない。

 

 生きる為に他人を受け入れるしかないと割り切っているだけだと考えるのが自然。所詮は赤の他人同士なのだから。

 

 子供たちの傍では心を悼ませるだけだと、爺さんは布に包まれたものを胸に抱えて実家に戻った。

 

 悲しみの塊を遠くへと持って行ってくれただけで、近いうちに直面するものだ。

 

 

 

「変わらねえってんなら…

 死んでくれって言われたらどうするんだ俺…」

 

 

 

 自死なんて考えたこともない。たとえ子供たちから罵られようと、今の俺はあいつらを生かす手助けをすると約束をしている。

 

 見返りなんて求めてないんだ、本当に。

 

 だが、それもなくなったら?

 

 あいつらと関わる理由もなくなる。力になると言ってもなお、それも余計なお世話だと、不要なものだったら。

 

 死を望まれたら死ぬのか、俺は。

 

 

 

「…」

 

 

 

 ヤバい考え方してるな俺。俺が病んでどうする。

 

 子供たちを支えるってのに、何で死ぬことを考えてやがる。

 

 それにだ。思いつくと笑ってしまった。視界が霞むのは気のせいだ。

 

 もしあの五人から嫌われているとしたら、恐らく先生も俺を疎ましく思っていることだろう。

 

 死んでもあの世で会わせる顔もねえし、あっちにも居場所はなさそうだ。

 

 せめて、伝わるはずもないだろうが、先生の墓前で謝りたい。それが俺の最後の別れになるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっはようございます! 上杉さんっ!」

 

「…」

 

 

 

 同じ笑顔でも愛くるしいと感じる時と、非常に腹立たしく思う時もある。今は後者だ。

 

 見上げるのも億劫な高級マンションのエントランスで、溌剌とした明るい表情で子供が笑いかけてくる。それは心から嬉しそうにはしゃいでいるものにしか見えない。

 

 本日は悪夢に魘されてげっそりしていた身だ。その笑顔には救われるものがあると思うだろう。普通なら。

 

 生憎、炎天下の中歩いてきたところだ。夢と現実の区別なぞ数多の生物を殺しかねない熱気のお陰で全身で思い知らされたわ。

 

 つーわけで、この暑苦しい擬似太陽のような笑顔はいらん。笑いながらこっちに詰め寄ってくるな。押しが強すぎるぞこの子。

 

 

 

「朝から元気だな…四葉」

 

「ジョギングしてきた後なので眠気は皆無ですよ!

 私、陸上部ですので!」

 

 

 

 出迎えてくれたのは四葉だった。ランニングシャツにホットパンツ姿でいかにも涼しそうで無防備な格好だ。おまえ何か羽織るかもう少し厚手の上着着ろ。

 

 指摘したら日焼け止め塗ってますから大丈夫とのこと。そうじゃねーよ。

 

 こちとら汗だくで既に気力を削られに削られ消耗し切った後。大人のアドバイスにも快活に笑う子供にこれ以上構っていられる程の体力はない。

 

 

 

「ジョギングってこの暑い中でか…気が狂っているとしか思えん」

 

「いえいえ、朝早くから電車で遥々足を運んできて下さった上杉さんには負けますね」

 

「…ほー

 よくわかってるじゃねえか

 見たくもねえ顔も見たし、もう帰るわ」

 

「ちょ、いけませんよ!

 思い出のお兄さんがお疲れ気味とあっては無碍に帰すわけにはいきませんからね!

 是非是非うちで涼んでいきましょう! 不肖ながらこの中野四葉がおもてなしさせていただきます!」

 

「失礼極まりないガキのもてなしなんて、ろくなもんじゃねえ

 おいっ 鬱陶しいから掴むな、暑苦しい」

 

 

 

 逃がしません、と無自覚に掴んでくる四葉は聞いちゃくれなかった。腕を両腕で拘束されると非常に暑い。

 

 溜め息しか出ない。だが、今は子供たちに振り回されているほうが気楽だ。

 

 後ろめたさを抱かない日はないのだから。それに今日は特別気分が悪い。

 

 五つ子の新たな住居に着くまで無言だったが四葉は上機嫌に鼻歌を歌っていた。何がそんなに嬉しいのやら。

 

 リビングに招かれると中には誰もいなかった。四葉一人なのか、玄関は整理され靴も片付けられていたので住人の所在は掴めなかった。

 

 今は昼前の11時頃。他の四人は自室か外出しているのか。

 

 どちらでもいい、女子高生の姦しい話に巻き込まれないだけで幸いだ。

 

 

 

「…」

 

「んっふっふー」

 

 

 

 幸いは撤回する。ソファに座り四葉から冷たい麦茶を頂くと、何かを訴えるようにニコニコ顔で真横に居座られた。

 

 もう大体何が言いたいのか分かってるよ、あからさま過ぎる。

 

 非常に面倒臭いのだがこのまま延々と見つめられるのも居心地が悪い。

 

 仕方なく四葉の要望に答えて頭のそれを指差した。

 

 

 

「さすが上杉さん、覚えてましたか! 実は五月だけじゃなかったのですよ!

 どうですか! 今日から私も昔ながらのウサちゃんリボンを復活――」

 

「高校生になってそれってどうなんだ」

 

「んなっ! 五月への反省が活かされてませーん!

 マイナス大きいですよこれは!」

 

「減点評価はこっちも同じだ」

 

「げ…減点ですか…うーん…

 チェックとか花柄とか色々あるけど…

 上杉さんから高評価を頂けるにはどれが良いのでしょう?」

 

「知らねーよ、好きにしろ」

 

「上杉さんが駄目だししたんじゃないですか

 そうやって女心を知らぬ存ぜぬの不遜な態度で数々の女性を泣か――あ、やめ、本当に取れちゃいますっ!

 あっ でもなんか妙に懐かしい気がするっ」

 

 

 

 なんというか無駄に今日はテンションが高い子だった。

 

 落ち込んでいた子供が元気になるのは良い事だが、この様子だと元からかなり活発的な性格のようだ。昔から変わっていない。

 

 変わっていないと知らしめるように、四葉の頭にはリボンが結ばれていた。

 

 少しは大人しくなったかと期待したが身勝手な願望でしかなかったようだ。

 

 四葉は俺の率直な感想に大げさなリアクションを見せてきた。口調は丁寧なのに、もう少しお淑やかな態度で示してくれ。

 

 家に招かれて騒がしくなるのは昔もよくあったこと。四葉はその筆頭だった。今でも乗りの悪い男に向かって明るく元気に声を上げて笑っている。

 

 だが大人をなめているその態度は気に入らん。リボンを引っ張って頭からひん剥いてやった。

 

 

 

「待っててくださいね! 上杉さんから満点を抑えるリボン探してきますから!」

 

 

 

 また結ぶはめになったセンスの悪い女子高生は、再チャレンジに奮闘して自室に向かっていった。

 

 四葉が騒いで去っていった後、その隣の部屋のドアが開いた。

 

 こちらの様子を窺って、恐る恐ると言った足並みで階段を降りてきたのは三玖だった。

 

 

 

「ふ、フータロー…今日も来てくれたんだ」

 

 

 

 三女は家にいたそうだ。外見で決めつけてしまって申し訳ないが、真夏でも走る四葉のようなアウトドア派には見えず大人しい子だ。

 

 階段を降りてこちらに歩む三玖は至って平然と、俺の来訪に興味のなさそうな表情だ。

 

 クールで少々人見知りの性格は他人を、それも男を容易に受け入れようとしないだろう。幼少の頃はその様子を窺えた。

 

 …本人は至ってその体を装うとしているのだろう。

 

 残念ながら声は少し弾んでいるし、目が合えば顔を逸らされ、その頬が少し赤いのは見えてしまった。気恥ずかしいのなら部屋にいていいんだぞ…

 

 三玖が恥ずかしがりながらも顔を見せにきた理由はすぐに理解した。見せたいものはそれだろう。

 

 

 

「…おまえもか」

 

「うん、アクセとかじゃないけど

 いつもの」

 

 

 

 五月のヘアピン、四葉のリボンと同様に三玖も昔と同じようなヘッドホンを首元にかけていた。

 

 テーブルに置かれている、先生と子供たちが集まっている写真を見てからずっと疑問に思っていたものが解消された。

 

 写真の中の子供たちはそれぞれ見覚えのあるものを身につけていたのだ。やはり今でも付けていたのか。

 

 五月が言っていたが、母親が亡くなってから外してそれっきりだったのだろう。昨日の五月に感化されて二人も元の生活に戻りつつあるようだ。

 

 あれから子供たちが忍ぶように泣く姿を見ていない。見ないだけで一人で泣いていることがあるのだろう。

 

 だがそれも長女の一花から大丈夫だと言われてしまっては、もう信じるしかない。

 

 

 

「…ちょっといいか?」

 

「え?」

 

「見るだけだ」

 

 

 

 見覚えのあるヘッドホンを直接目にして、一つ気になることがあった。

 

 物を借りようと手を伸ばすと三玖が困惑して後ずさった。取って食ったりしないぞ。

 

 

 

「あ、え…えっと」

 

「駄目か」

 

「っ

 ~~ッ!」

 

「え、何してんの」

 

 

 

 なぜか三玖は目を瞑ったまま顔を上げるようにこっちを向いて固まっている。

 

 手はきつく握られ、つま先立ちになって何かをせがんでいるようにも見える。意味がわからん。

 

 

 

「外してほしいんだが」

 

「どうぞ」

 

「…会話になってないんですけど」

 

 

 

 変わらず背伸びしてみせて、目を瞑って何かを堪えようとしている。何をしているんだおまえは。

 

 どうぞご自由に、勝手に取れってことか。ならば遠慮なくそうさせてもらう。

 

 気を遣って気安く触れないように心がけていたってのに。恥ずがっているのはバレバレだぞ。

 

 屈んで三玖に近寄ると、少しだけ昔を思い出した。三玖の顔が近いのも、昔は日常茶飯事だったな。

 

 雑念を振り払って、目的を成すことに専念してヘッドホンに手を伸ばす。

 

 

 

「…」

 

「…っ…?」

 

「…ちょっと待ってろ」

 

「うん…ゆっくりでいい」

 

 

 

 すんなり取りたかったが上手くいかず。慣れない動作に手間取ってしまいヘッドホンが三玖の髪を噛んでしまった。

 

 髪を引っ張ったりしたら痛いのは当然。悪いが少しジッとしてもらいたい。

 

 …あまり猶予はなさそうだ。

 

 明らかに三玖の頭に血が上って顔が真っ赤になってやがる。息を止めては、荒く大きな息を吐いてるし、どう見ても不自然である。

 

 嫌がるなら理解できるが、こうまでも恥ずかしがられるとやりづらい。

 

 

 

「…~ッ!

 ん……んくっ…」

 

「…

 取れた」

 

「は、はぁっ…はぁっ…

 っ!」

 

 

 

 目を瞑っていた三玖の目が開かれた。まだ近いこの距離で。

 

 赤い顔がさらに赤く染まり、緊張して羞恥で震えてるってのに三玖は離れようとせず固まっている。

 

 少し笑ってしまった。本人なのだから当然だ。あの時の面影が見えた気がした。

 

 

 

「…ほんとにシャイだな」

 

「しゃ、しゃっ!?」

 

「このぐらいガキの頃によくやってやっただろ」

 

「…

 もう子供じゃない

 それに…あれだよ

 フータローって、案外…不器用さん」

 

「悪かったな」

 

「…私の知ってるフータローは何でもできるお兄ちゃんだった」

 

「美化されてるなそのフータロー」

 

「そうかも」

 

「…

 好き嫌い問わず、幻滅してるんじゃないか、実際のところ」

 

「ううん、嬉しい

 知らないことばかりだから…子供だったし」

 

 

 

 ヘッドホンを回収して用は済んだというのに、照れ笑いを浮かべて恥ずかしがる三玖は下がらずに傍に寄ったままだった。

 

 誤魔化すように借りたものを見やり確認する。

 

 やはり思っていた通りだった。

 

 

 

「傷がない」

 

「傷?」

 

「おまえが子供の頃に使ってた物は、しょっちゅう転んでたせいで傷だらけだった

 まだ使ってるのかと思ったが、さすがに替えたか」

 

「一応ある

 これは二代目、同じモデル

 もう売ってないけど」

 

「拘りすぎだろ」

 

「昔買って貰ったから

 お母さんが教えてくれたんだ…

 皆と同じ誕生日プレゼントの中で、私はヘッドホン

 値段が高くて…一花と二乃がその日のプレゼントは安いのを選んでくれた」

 

「…昔から疑問だったが、何でヘッドホンを買って貰ったんだ」

 

「…なんでだろ?

 音楽とか興味なかったけど、皆とは違うものが欲しかったのかも

 私一人だけ贅沢して、皆に悪いことしちゃったかな」

 

「…まあ、こいつのお陰でおまえの名前と顔を覚えるのは簡単だった

 五つ子なんて装飾品取っ払ったら見分けつかねーし」

 

 

 

 五月のヘアピン。四葉のリボン。三玖のヘッドホン。どれも個別に見極めることに大いに役立った目印だ。

 

 二乃もリボンをしていたが、あの子は当たりがきつかったから嫌でも覚えさせられた。

 

 一花は一番最初に仲良くなった子だからな、当時は名前というより長女として覚えていた。

 

 見分けられた一番の理由はまた違うのだが、三玖が身につけていたあのヘッドホンには違った思い入れがあった。

 

 

 

「…でも、別にこれじゃなくても良かったよね」

 

「値が張るから後悔したか?」

 

「…少し」

 

「…

 でもまぁ、あれは…なんつーの

 何度も転んで、いつも傷だらけで

 ほっとけなかったぜ…おまえは

 よく手繋いだよな、転ばない為に」

 

「…」

 

「…傷、なくて安心したぜ、三玖」

 

「…!

 部屋にっ

 部屋にあるから持ってくる」

 

「いや、そこまでしなくても

 …聞いてねーな」

 

 

 

 柄にもなく感傷に浸るような事を言うもんじゃなかった。

 

 気を遣われてしまい、三玖は自室に向かっていってしまった。そこまでしなくていいってのに。

 

 四葉はまだ戻ってこないし…今日はもういいだろ。残りの三人は四葉と同様に、あれから涙の一滴も流さないほど生意気になってるし。

 

 パフェ特盛りはきちんと五人分払ったぞ。五月は三玖から半分貰ってたし。

 

 映画も行ったし、買い物にも付き合わされたし、思い出の場所探しつって公園にまで連れ回された。

 

 一日中楽しんでいたと思う。思っていたのだが、その日にあの悪夢を見るはめになったんだ。

 

 何で子供たちが吹っ切れようとしているところで俺が病みそうになっているんだ。心底不思議である。

 

 麦茶を飲み干したコップを洗い、水滴を拭き取ってから棚に戻しておく。

 

 三玖と話を終えたらとっとと帰ろう、やかましくなる前に。今日はどうも気が向かない。

 

 …三玖はまだ時間がかかりそうだな、騒音対策が施されているはずなのに部屋から物音が聞こえるぞ。つーかドア開けっ放しじゃねえかあいつ。

 

 ソファに座って待たせてもらうと、テーブルに置かれた写真立てに自然と目がいく。

 

 

 

「…」

 

 

 

 手に取っても、何度見ても変わるはずがない。

 

 五つ子に囲まれ、寝巻き姿で、あの家で、床に敷いた布団の上で弱々しく微笑む先生の姿が写っている。

 

 くだらない感情だ。先生を労わりたい気持ちの現れなのか、指は勝手に先生の頬に触れていた。

 

 ここに来てまで許しを請いたいのか俺は。くだらない。馬鹿馬鹿しい。それにこの考えは死人を冒涜している。

 

 五月にはああいったが、先生の人生とは幸せなものだったのだろうか。

 

 決めつけてはならないのは不幸も幸福もどちらも同じだ。

 

 もう一度見たい。一瞬の光の錯覚でしかなかったから。

 

 もう一度この笑みが温かいものになってくれるのなら俺は何だって。

 

 また、朝の夢で憂鬱になったことを思い出した。思い上がるな、

 

 死人が相手だからって粋がるな…自己満足に利用するな。俺にそんな資格はない。

 

 そもそもこんなことしたって先生の恩に報いることにはならない。身勝手なことばかり考える己の浅ましさが心底…嫌になる。

 

 五月に偉そうなことを言ったくせに、俺がその答えを見出せていない。

 

 写真をテーブルの上に戻すと、廊下が騒がしくなった。

 

 

 

「「暑い!」」

 

「…」

 

 

 

 センチな気分を粉砕するかのようにドアが開かれた。

 

 

 

「暑い! あぁ~涼しいぃ~

 しばらくは動きたくないわ…!」

 

「ひゃぁ…もう汗だくだよ…

 五月ちゃん先にシャワー浴びてきたら…?

 今日は上杉さんも、らいはさんも来るし」

 

 

 

 両隣に次女と長女が突っ伏してきた。相当暑さと戦っていたのか、朦朧とした頭では来客が来ていることに気づいていないらしい。

 

 とりあえず黙っておく。絶対に片方は煩くなるし。

 

 暑さに項垂れる姉妹の愚痴はまだ続く。

 

 

 

「プールか海いきたぁい…」

 

「金遣い荒いなー…でも涼みたいのは同感」

 

「海はタダじゃん…あいつに車で連れていってもらうとか」

 

「水着って一昨年のでしょ…?

 流石に新調したいかなー 笑われたくないし」

 

「あの…あの二人共

 熱に浮かされてる場合じゃありませんよっ

 横! 横っ!」

 

 

 

 空調が良く効くこの家は廊下も涼しいものだ。だが、開かれたドアからは熱気と一緒に一花と二乃が雪崩れ込んできたのだ。外出から帰ってきたようだ。

 

 ソファに座る自分の両隣に顔面からダイブして、室内の涼しさに火照った身を委ねている。ドアの前には買い物に出かけていたのだろう二人の荷物が置かれていた。

 

 部外者が来訪していることを認知しないまま外の熱気に愚痴を零していたのだ。そんな姉に早く気づけと荷物を胸に抱えている末っ子が叫んでいる。

 

 騒がしく声を荒立てる五月に、やっと二人が反応を示した。

 

 

 

「…」

 

「…」

 

 

 

 反応したところで無言だった。

 

 ソファに突っ伏した二人がこちらを見上げ、驚きもせずにただ固まっている。

 

 一応、帰ろうとしたんだぞ俺は。四女に招かれて来たわけで極めて不本意でここにいるんだが。

 

 俺もここに来るまで夏の暑さに焼かれていた身だ。

 

 留守番をしていたはずの三女と四女がいない今、代わって俺が子供たちをもてなしてやろう。

 

 

 

「麦茶いる?」

 

「「…いる」」

 

「…

 五月もそれよこせ

 冷蔵庫に入れておくから休んでろ」

 

「は、はいっ」

 

 

 

 ソファから立ち上がって、五月の分も含めて三人分の麦茶を用意してやることにした。

 

 二乃から懲りずにまた来たのか、と文句を言われるのかと警戒したが案外素直だった。大変に気分が良い。

 

 一花と二乃のだらしなく乱れた姿が露呈されたのだが見なかったことにしておいてやる。時には教師は子供の過ちを見逃してやることも仕事である。

 

 床に置かれた物と五月から預かった物を冷蔵庫に仕舞って、麦茶を出すとドタバタと上階から物音が響いた。

 

 

 

「上杉さん! ありました!

 昔のリボンあった!! どうですか、これなら満点でしょう!」

 

「フータローっ! あったよ

 これ、昔の」

 

「なあおまえら、何で家の中でそんな汗だくなの」

 

 

 

 部屋の中を探し回っていたのだろう三玖は汗をかきながら降りてきた。

 

 しばらく部屋から出てこなかった四葉も同じく。誰も急かしてねえし、四葉に至っては誰も求めてねえんだけど。

 

 幼稚園児じゃあるまいし、もう少し余裕を持って行動しろよ。

 

 おかしくて笑ってしまった。五人揃って衣服が湿ってしまうほど汗まみれだった。

 

 少し休めと二人もソファに促すと、素直に姉妹三人のもとに集まった。

 

 五つのコップに麦茶を注いで子供たちに渡した。汗をかいた五人は黙ってそれに口をつけて飲んだ。

 

 暑い思いをした子供たちはそれぞれ面白い顔をしていた。ほっと一息ついてへなへなと崩れたり、恥ずかしそうにちまちま飲んでいたり。

 

 姦しい子供たちが揃い、テレビも付けず無言の中、五人が手に持つコップからカランカランと涼しげな氷の音が耳に心地良く響いていた。

 

 

 

「上杉君

 何で笑うのですかっ そんなにおかしいですか?」

 

「いや、つい懐かしくてな」

 

「な、懐かしいってどのようなところがですか?

 教えてください上杉君っ

 また昨日のように思い出話しませんかっ」

 

「五月ちゃんも好きだね…今は休もうよ」

 

「待って、懐かしいって言ったら、ほら!

 私のリボン! 上杉さん!」

 

「わ、私も持ってきた

 傷が沢山、見て」

 

「ちょっとは休ませなさいよ…上杉、立ってるついでにテレビつけて」

 

 

 

 他人を毛嫌いしていた自分でも、この五人と話すことは特別なものだと感じている。楽しいと感じられるものだ。

 

 これではいけないと、満たされない気持ちもある。

 

 心から充実しているわけではない。結局別のことを考えてしまっている。

 

 もし自分がこいつらと同年代なら違っていたのかもしれない。

 

 大人として余裕を持たなければと別のところに意識を傾けて、子供たちからの視線を逸らしてばかりだった。

 

 まだ俺がガキだった頃のほうがマシかもしれない。まだあの頃は子供たち一人一人に向き合っていられていたと思う。

 

 今となっては救いようのない愚かさが露呈する事を拒む浅はかさに、ただ笑うしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先生が亡くなってからちょうど十日となるこの日も、子供たちは平穏に日常を過ごしていた。

 

 家族が一人欠けてしまった人生でも、人間は生きるために順応せざるを得ない。

 

 それは寂しくもあるが、去っていった人への手向けになるはずだ。

 

 ここに引っ越して三日目でも子供たちは見守る親のいないこの家で、それぞれ家事を分担し夏休みが明けるまで学校の課題に取り組んでいる。

 

 

 

「あの…上杉さん

 ご相談が」

 

「他校の教師に何の用だ

 ちなみに課題は俺の管轄外だ」

 

「手厳しい…」

 

「あんたなんかに頼らなくたって…」

 

「もう一週間ないのに半分も終わってないんだけどね…」

 

 

 

 手伝ってくれとせがんでくる弱気な姿は見なかったことにする。手伝ってやりたい気持ちもあるが生憎俺も教師なんでな。

 

 この夏休み、課題などやっている暇も余裕もなかったのは分かっている。おまえらの担任もそこは理解してくれるだろ。

 

 しかし律儀というか、思っていたよりも自主的な生徒たちで感心した。この様子だと成績面では特に心配はいらないのだろう。

 

 先生の子供だしな、床に伏した母親の憂いにならないように勤勉に取り組んでいたのかもしれない。

 

 そうとなれば、勉強の邪魔をしてはならないわけで部外者は立ち去るべきなのだが、踵を返せば子供たちがやたらと引き止めてくる。

 

 今日は8月の25日。夏休みも残り一週間を切っている。

 

 俺も2、3日前には仕事に専念したいし、二学期以降こいつらの面倒を看ることと仕事を両立させるのは骨が折れる。

 

 強いるつもりなど一切ないが、熱心に課題に取り組んでいる辺り登校する意思はあるのだろう。正直安心した。

 

 

 

「…顔も見たし、取り込み中だから俺はこのへんで――」

 

「上杉君、コップが空になってしまいました

 お茶をいただいてもよろしいですか」

 

「今飲み干したよな? おまえこれで何杯目だ」

 

「あー 上杉さんほら、今電車遅延していますからっ

 今帰るのはオススメしませんよ、もう少し寛いでいってください」

 

「…」

 

 

 

 帰ろうとしているのに五月や四葉があの手この手で妨げてくるのは本当にどうかと思うぞ。姉妹が手を組んで囲むように逃げ道を封じているのだ。

 

 不安なのは分かるが、それを紛らわすためだけに利用されるのも困る。

 

 相談には乗るし助けたいのは本心だ。だがそうやってきつく握られるとこっちの身がもたない。

 

 埒が明かないので頼りになる代役がいることを教えておいてやる。

 

 

 

「らいはが今日来るだろ

 あいつに頼んでみろ、俺の妹は頭いいからな!」

 

「せっかくの再会を勉強なんかに潰されるなんて冗談じゃないわ」

 

「二乃の言うとおりです、せっかくの再会なんですからっ!」

 

「約束取り付けたせいで課題終わりませんでしたーよりマシだろ!」

 

「上杉さ~ん…!」

 

 

 

 子供たちはソファの前に座り込み、テーブルを囲んで課題に取り組んでいる。

 

 そして俺はお茶出し係兼回答チェック担当である。塾の講師でもウェイターでもねえぞ俺は。

 

 今日は久しぶりに、子供たちの姉貴分となるらいはと会う約束をしていた。

 

 告別式で多少話したそうだが、睦まじく話せたわけでもなく改めて今日約束を設けたのだ。

 

 らいはが来るのなら俺が様子を見る必要はないだろうに。愚痴っていると間違いなく妹に渋い顔をされそうなので早めに退散しておきたいのだ。

 

 子供たちは今日を楽しみにしていたそうだ。珍しく一花と二乃も大喜びしていたし、四葉は朝からテンションが高く、五月や三玖は掃除を徹底していたそうだ。

 

 

 

「らいはさん…というか、お姉ちゃんか…

 お母さんのお葬式で少し話したきりだよね

 お母さんの為にいっぱい泣いてくれてさ…優しいよね」

 

「らいはお姉ちゃん…綺麗だった」

 

「ねー、でも…

 せっかく会えたのにお姉ちゃんの泣いてるところしか見れなかったよ

 今日いっぱい話したいな、上杉さんのことも色々と聞いてみたいし」

 

「俺のことは俺に聞けばいいだろ、言ってみろ」

 

「くれぐれも女子トークに混ざってくんじゃないわよ」

 

「おまえら不穏当な質問しそうで超不安なんだが…」

 

 

 

 誰が姦しくて頭痛のしそうな会話に混じるか。だが妹が何を暴露するのか気が気じゃない。

 

 一花と三玖、四葉がペンを走らせる手を止めて懐かしむように思い出話をし始めた。もう課題はこのへんで終わりのようだ。

 

 

 

「お礼、言わないといけませんね」

 

「…一応もう一回掃除しておく?」

 

「そ、そうですねっ

 心配させてしまったら、昔みたいにご迷惑をかけてしまうかもしれません」

 

「…また一緒にご飯とか作れるならそれもありね」

 

「も、もう子供じゃないんですからそんなこと頼めませんよっ」

 

 

 

 別に気にすることないのに二乃と五月は家の掃除をし直すそうだ。姑か何かかあいつは。

 

 いや、家事まで手が回ってないと知ったら絶対に面倒看ようとするだろうけどよ。

 

 昼前に来るって言っていたから、もうそろそろのはず。

 

 今は夏休み。大学生のらいはは高校生である五つ子たちや俺よりも手が空いている時間は多い。妹は子供たちが心配で、助けが必要ならいつでも駆けつけたいと思っている。

 

 母親の代わりにはなれそうにない、とらいはは言っていたが、以前のように家事を担うだけでも、気楽に相談できる姉として心の支えになってくれるだろう。少なくとも俺より求められるはずだ。

 

 …だから子供たちが姉と呼び慕うらいはに質問攻めすることは容易に想像できる。俺にも火の粉が振りかかるのは容易に想像できる。

 

 不安でしかない。子供には色々と言い触らされてはまずいものがあるのだ、大人には。

 

 

 

「なあ四葉、せっかくらいはと会うってのに俺の話ばかりしても時間がもったいないだろ

 今ならおまえらの質問に何でも答えてやろう」

 

「え、本当ですか?」

 

「ふーん…

 フータロー君、若干焦ってる?

 やましいことを隠してるんじゃ」

 

「ないから答えてやると言っているんだろうが」

 

 

 

 嘘である。からかってくる長女には軽くあしらって答えてはみたが、追求されたら剥がれ落ちる虚勢である。

 

 ある程度欲求を満たしておけば、子供たちかららいはへの追求は少なくなるはずだ。

 

 今ここで興味を尽きて飽きさせてやればいい。ガキなんてちょろいもんだ。そうであってくれ。

 

 指摘が厳しい二乃と、昨日と一昨日からやたら甘えてくる五月がいない今が好機。さあ思う存分聞くがいい。

 

 

 

「はいっ!

 先生今どこに住んでるんですかっ! 遊びに行っていいですか!」

 

「…

 後でメールで住所と地図送っておく

 一応ここから片道1時間半ぐらいな」

 

「遠い…そんな遠くから毎日来てくれてたんだ」

 

「フータロー君、ありがとね」

 

「そう思うなら少しは労われ」

 

「か、肩揉んであげますよー」

 

「…じゃあ私は腕」

 

「うーん、じゃあ足かなー」

 

「そうじゃなくて、もういいから質問を埋めろ」

 

 

 

 一日ぐらいメールか電話で済ませてくれてもいいんじゃないか。おまえらが幼稚園児の頃でもここまで世話してなかったわ。

 

 その気もないくせに露骨に労わろうとする子供たちを制止して、手早く質問タイムを終わらせてしまいたかった。妹がそろそろ来るし。このまま引き継ぎなどできない。

 

 

 

「じゃあ私からは…そうだね

 先生やって何年目? 人気とかどう?」

 

「教師やってまだ3年だな、大学卒業して今の高校に勤めたんだが、まだ俺が一番の新人だしな

 人気は知らん」

 

「これはお姉ちゃんに聞けばいっか」

 

「…至って普通だ、普通」

 

 

 

 生徒からの評価は特に話すほどの内容はない。問題も起こしていないし、らいはが全て把握しているわけがない。

 

 強いて言えば…半ば生徒指導を任されている程度だ。

 

 何で俺に授業ボイコットしてる生徒の対応を任されるのか未だに理解できない。その生徒の担任がやるべきものが俺に流れてくるのだ。

 

 生徒の悩みは人それぞれで、他人が解決できるものは極めて少ない。素直とは言えない生徒に助言している身だが、俺はまだ30にも満たない新米教師だ。大層なことはできない。

 

 教師ができること、家族ができること、本人がやるべきことを教えてやることはできる。悩んで迷っている生徒はその点複雑に捉えて、非効率な手段を取ることが多いのだ。

 

 生徒を教え導いているなどと、教師だからって偉そうなことを言っていると思われるのは宜しくない。恩師の子供に誤解などされたくない。

 

 内心冷や汗をかきながらも質問に答えて終わり、と思っていたが、長女はまだ聞き足りないらしい。

 

 

 

「ちなみにインドア派? アウトドア派?

 映画とか見る? 車は買ってないから旅行とかはしないかな?」

 

「映画は普段見ないし、あまり金かけたくない」

 

「じゃあ今度一緒に走りませんか?

 お金かかりませんよ」

 

「自走でドライブってか

 金はかからないけど寿命が縮みそうだし断る」

 

「涼しくなった後でもいいので、やりましょうよー」

 

「…」

 

 

 

 質問しろと言っておいてなんだが、一花と四葉から前のめりになって迫られると困る。ここ狭いから少しは考えろ。

 

 押しやっても強行され、踏ん張りきれずに横に座っていた三玖に寄りかかってしまった。

 

 …わざとだろ一花の奴。

 

 先から何か言いたげに口を閉ざしていた三玖を気にかけて、姉がお節介を焼いたようだ。

 

 

 

「すまん、三玖」

 

「う、ううん」

 

「…おまえからも何かあるか?」

 

「…気になること…」

 

「…」

 

「…ある」

 

 

 

 寄りかかられたことで体勢を崩し、手をついたまま俯いている三玖はゆっくりとこちらを見上げた。

 

 顔は上げたが、目を合わさずに視線が泳いでいる。

 

 言ってもいいのか迷っているのだろう。何を聞くつもりなんだおまえ。

 

 三玖の言葉を俺も、姉も妹も口を閉ざして待っていた。

 

 

 

「…か」

 

「…」

 

「…か、の…

 かのじょ…とか」

 

「…彼女ね…

 い――」

 

「こんにちはー」

 

 

 

 聞き取りづらい声音と共にだんだんと俯いていく三玖の質問に、すぐには答えられなかった。

 

 三玖のか細い声だけが響いていたリビングに、俺よりも先に何かが割り込んできた。

 

 思わぬ来訪者に三玖は素早く身を逸らして離れていった。恥ずかしさを堪えて質問をした度胸も、他人の介入に早々と引っ込んでしまった。

 

 …もうこの話はおしまいだ。会いたかった人物が来訪してきたことで、子供たちは驚き立ち上がった。

 

 三玖も二人に遅れて立ち上がり、ほっと安心するように笑った。

 

 

 

「らいはお姉ちゃん…」

 

「お久しぶりですね」

 

「四葉ちゃん、一花ちゃん、こんにちは

 …三玖ちゃん…?」

 

「…お姉ちゃん、いらっしゃい」

 

「あはは…お邪魔しまーす」

 

 

 

 リビングのドアからやってきたのは妹のらいはだった。昔子供たちの世話を看ていた姉のような存在だ。

 

 久々の再会にぎこちなく、やや他人行儀な礼儀正しさを見せる顔見知りたちに…俺は何も言わないでおく。

 

 子供たちが母の死に落ち込んでいる様子を気遣って、今までタイミングを見計らっていたのだ。それも今日やっと話ができることに、らいはも子供たちも楽しみにしていた。

 

 らいはを家に上げたのだろう、続くように奥から二乃と五月が揃って合流した。

 

 らいはとは大体5年ぶりとなるのか、皆揃って照れくさそうにしていた。

 

 

 

「お兄ちゃんがお世話になってます」

 

「い、いえいえっ

 お世話になってるのは私たちですからっ

 我侭ばかり言って迷惑かけて…今日だって」

 

「自覚あるなら改めろ」

 

「は…はーい」

 

 

 

 一花の奴あからさまに態度変えやがって。やはり嘘つきは健在のようだな。演技派長女め、おまえの目薬偽装工作は忘れてないからな。

 

 一花の返答にらいはは苦笑いだった。穏やかで気恥ずかしいようなこの空間は、昔のような賑やかで騒がしい空気とは違う。

 

 至って一花の様子におかしなものはない。ないのだが昔の幼稚園児の頃のこいつを知っていると違和感はある。

 

 社交的な挨拶に、それなりに返しただけの単純なものに違和感がある。

 

 数年間会っていなかったのだ。子供だった長女は妹たちを支えるために成長するのは当然。

 

 大人が子の成長を感じるものなのかもしれないが、寂しく思うかもしれない。背丈も伸びて、もう子供扱いできないんだな、と。

 

 ふと、らいははこちらを一瞥して、また苦笑してゆっくりと一花に歩み寄り。そのまま抱きしめた。

 

 一花は驚き、慌てふためいた。

 

 

 

「あ、あの…?」

 

「…頑張ったね、一花ちゃん…偉い」

 

「…」

 

「私なんかが言える立場じゃないけど

 …零奈さんが皆を大事にしていたのは分かるからね

 みんなが、辛くても頑張ってたのは知ってるよ」

 

「…うん」

 

「お母さんがいない気持ちは分かるから

 私はお兄ちゃんとお父さんがいたから、寂しくなかったんだ

 だから皆もね

 お兄ちゃんや私を頼っていいんだよ

 絶対に幸せになれるから、ね?」

 

「…

 ちょ、ちょっと…」

 

「ん?

 …あはは、ごめんね」

 

「もう…」

 

 

 

 一花の背後に立っているこちらからでは見えない。俺は黙って静かにソファに座った。

 

 一花の向かいに立つ二乃と五月は涙目だった。さっきまで照れていた二人だ、恐らく一花と同じようにらいはに抱きしめられていたのかもしれない。

 

 三玖と四葉は驚き、一花の様子を見てから二人で顔を見合って、弱々しく安堵するように微笑んだ。

 

 一花はらいはに抱きしめられながら、少しだけ抗いながら泣いていた。

 

 泣き顔を妹に見られるのを嫌がってらいはの胸を叩いている。

 

 らいはの奴、久々に会って早々酷いことをする。長女の威厳と、あまりにも不器用だった見栄を壊そうとしている。

 

 

 

「もう…謝るならやめてよー…皆の前で」

 

「昔は皆と一緒に泣いてたのに?

 泣き顔は見慣れてるんだなー」

 

「昔の話じゃん…」

 

「そうだね、昔のようにとはいかないけど

 …また、みんなのお姉ちゃんみたいなこと…してもいいかな」

 

「…ありがと、お姉ちゃん

 …っ、あはは」

 

 

 

 やっぱり照れくさいのだろう。お互いに抱き合ってから離れた。

 

 その気持ちは少し分かるぞ一花。俺も高校生の時に先生に触れた時はどうしようもなく焦ったし緊張した。年上だと尚更戸惑うんだよ。お陰であの人を軽く恨んでいたこともあった。

 

 一花は俺の隣のソファに座って吐息を漏らした。目から溢れる涙を指先で拭って笑っていた。

 

 五つ子の中で、長女として妹を守ろうと気を張っていた子だ。

 

 俺も長男だからその気持ちも分かる。俺がおまえと同じ立場だったら甘えなんて到底許されないと思う。

 

 でも、おまえと俺は違う。

 

 おまえは本当に優しい子だ。何も心配に思うことはない。

 

 俺もらいはもおまえを支え、守ってやるつもりだ。

 

 

 

「急なんだから…もう

 やっぱりお姉ちゃんには勝てないなぁ」

 

「高校生なら年功序列の重み知ってるだろ、頼りにしつつ言う事聞いとけ」

 

「…私だって五つ子の長女なのにさ、面目ってものがあるから」

 

「五つ子が何言ってやがる、精々数分の差だろ

 おまえは長女だが四人と出来はそう変わらねえだろ、同い年が」

 

「…

 あーあ…長女の威厳台無し…」

 

「なくたって仲良くやれるし、どうとでもなるぞ」

 

「…

 大人って卑怯だよ…子供扱いしてどこまでも優しくしてくれるんだから

 何で返せばいいのか、わかんないよ…」

 

 

 

 子供たちがらいはに対してどのような感情を抱いているのかは分からない。

 

 俺が離れてからの四年間どのような時間を過ごしたのかも知らない。

 

 妹が自分より年上の友人を姉と呼び慕っていたら複雑な思いを抱くだろう。もしかしたら一花は競っていたのかもしれない。少なからず憎むこともあったかもしれない。

 

 一花は溜め息と共にソファに背中を預けた。天井を見上げて、参ったなぁ…と涙目を誤魔化そうと必死だった。

 

 頼れる時は頼れる奴になれと昔言ったんだがな、困ったお姉ちゃんだ。

 

 しかし一花、あれは見習わなくていいと思うぞ。

 

 

 

「ほら三玖も」

 

「え、いや…さすがに恥ずかしい」

 

「こんなにストレートに甘えていい機会ないよっ」

 

「無理強いはしないけど

 …三玖ちゃんは私よりおにいちゃ――」

 

「お姉ちゃんがいい」

 

「うーん、なんか嬉しくない返し」

 

「三玖ですから許してあげてください…」

 

「いや、超恥ずかしいからね

 お姉ちゃんもそのへん分かってやってるでしょ」

 

「私のほうが恥ずかしいよー、五回もやるんだよ?」

 

 

 

 お互いにきつく抱きしめあった四葉の後に、残った三玖が困惑していた。編に煽られたことで覚悟を決めたようだ。

 

 妹を虐めているような姉貴分だぞ。顔を赤くしながらも三玖はらいはの背中に恐る恐る手を回していた。

 

 あれを見習うなと一花に言ってやると大笑いされた。妹相手にあれはできない、と姉は降参したらしい。

 

 しばらく会っていなかった思い出の人との再会はしんみりしたものとは程遠い、賑やかで騒がしいものだった。

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