まだまだ子供だった当時は一日中遊び回り、騒がしかった子供たち。
大人しく座っていることなど皆無だった子が、数年ぶりに再会した今は遊ぶことよりも会話を求め、卓を挟んで顔を見合わせている。
妹はソファの柔らかさを堪能した後、一つ頭を下げた。
「お騒がせしてごめんなさい」
「いえ…まあ…お陰で壁は崩れたといいますか」
「壁と一緒にプライドも壊されたけどね」
「まだ言ってる…」
少しは他人を重んじる手法で崩してやるべきだと兄も思うわけだが、一名除いて子供たちには好評だったようだ。恐るべし妹。
まあ極端だが、相手に好意を伝えるという意味では一番効果的なやり方でもある。絶対にやらないが。普通やらないが。
姦しかった再会を果たし、今はテーブルを囲むように七人でソファに座っている。五つ子は五人並んで座り、俺とらいはが隣同士で。
隣に座る妹は頭を下げると子供たちがすかさずフォローに入った。
「あはは…でも、お姉ちゃんに抱きしめられてわかったけど
愛情とかって、形にしないといけないのかなって」
「そうね、お母さんにもやってあげたかったとは思ったわ」
「…やっぱりらいはお姉ちゃんは凄い…
大事、だよね…」
「私にはできないなー
ほら、姉は後ろで見守ってあげるのが一番だと思うから」
「悪いけど私は実の姉よりらいはお姉ちゃんのやり方に賛成だわ
あんた、私たちの話聞こうとしないんだから」
「違うよって言っても通じない時あった」
「ちょっと二乃!? 三玖も!?
あー…もうやだ、フータロー君…
私の味方フータロー君しかいないんだけど」
「待て、深読みするな
絶対そんなこと計算してやってないぞ!
らいはも黙ってないで止めろ」
「私の信頼度が上がってるみたいだから止めなくていいかなって」
「せこくない!?
お姉ちゃんが上がっても私のが下がってるから!」
一花が別の姉に寝返った妹たちから離れて俺の膝元に逃げてきた。人の膝に泣きついて嘘泣きを演じている。
落ち込んでる割に楽しんでいるように見える。顔を伏せながら、じゃれるように隣のらいはの膝を叩いている。
らいはの暴挙を全否定してやりたいが、俺自身も気持ちを行動に移すべきだったと後悔している身。あれ、らいはの行動って模範的なものなのか? 複雑である。
四人がそれぞれ感想を述べる中、五月がこちらを見ては視線を逸らし、また見つめてくる。なにそわそわしてんだおまえ。
一昨日の夜に泣きついてきた時に、少し抱きしめてやったことを思い出した。
まさか兄妹共通だと思われてる? 偶然だし必要に迫られてやったことだからな。
「…泣き顔見せられないからって断られたの、根に持ってたんだろ」
「うん、だって辛いのに我慢するのは駄目だって分かったもん」
「?」
「…もう、ね
遠慮とか我慢とか…駄目だと思うんだ
零奈さんみたいに」
「…」
「なんて、偉そうにってね
でも本当に駄目だよ、私やお兄ちゃんのことはいいけど
家族で隠しちゃ駄目」
らいはの言葉に子供たちが顔色を変えた。思い当たるものは多いはずだ。
頼ってほしい、本音を教えてほしい、そう願っていたこともあったはず。
その対面、優しさに甘えてはいけないこともある。
家族にも言えないこと、堪えるべきものはある。だが言わなくてはいけない時もある。
それは簡単なことではないし、つい目を逸らしてしまうものだ。
言うべきものと、言わないほうが良いもの。その判別は難しい。
妹たちからそっぽを向いて目を合わせられない一花の頭を、少し撫でてやった。
…まったく、俺たちが言えることではないな。
だがこれはこの五人に教えなくてはいけないことだ。特に一花には伝える必要があったそうだ。二乃と三玖の反応を見れば思い当たるものがあったのは明白。
妹には嫌なものを押し付けてしまった。申し訳ないと思う。
「私も、お父さんもね、皆に協力します
困ったことがあってもすぐには言えないと思う
でも、どうしようもないと思ったら絶対に頼ってね
もし無茶なことしたら私たち押しかけちゃうからさー」
「…お母さんが、言えなかったのも少しだけ分かるような気がしますね
私たちを気遣って、ずっと我慢させてしまいました」
「…そうだね、でも正直両親は手強いよね
私もお兄ちゃんも、お父さんにはまだ勝てないし」
「そうでしたか
…! お互いに頑張りましょう、お姉ちゃん!」
「頑張るならまず頼れー」
「そ、それは…はい」
子供たちの返事をただ待っているのは良くないと決断したのは良い。こちらから行動で示そうとするのもまだ良い。
良いと思ったが強引すぎる。お節介ってレベルじゃねえ…俺には真似できない善意だ。
全てが本気の言葉ではないのだろう。らいはも年下の子供たち相手に恥ずかしがっている。照れくさそうに五月と一緒に笑っていた。
「お兄ちゃんのほうが頼りやすいよね
というかお兄ちゃんが迷惑かけてない?
あ、そっちのことで困ったことがあったら私に言ったほうがいいよ」
「おい」
「フータローは頼りになる
助けてくれて嬉しかった」
「保護者代わり…監護者だっけ?
フータロー君がいるから私たち安心して生活ができてるよね」
「ならよかった」
「俺って一番年上なんだけど…
つーか一花、終わり」
何で年下に心配されなくちゃいけないんだ。怒りより悲しくなってきた。情けない男で悪かったな。
膝元から離れず、自分の席に座ろうとしない長女を立たせて追いやった。戻っていった後は二乃と三玖相手に騒がしく口論していた。
一安心したらいはは、ちょっとごめんね、と断って立ち上がった。
「…」
テーブルに置かれた写真立ての前で、手を合わせた。
家でもお袋にやっていたことだ。この子にとって、欠かせない習慣であり、その相手が増えてしまったことが忍びない。
位牌もないし、骨壷は爺さんの家にある。手を合わせて拝むのは過剰なのかもしれない。
だが、形に拘らず思いを届けようと、らいはは静かに手を合わせている。
「…何でそこまでしてくれるのでしょうか
お姉ちゃんも…上杉君も」
五月は亡き母の写真の前で、母の死を悼む他人に疑問をぶつける。
ここまで助けたい、助けたかったと言い訳がましく先生の娘の前で口にしていて…いいのだろうか。
俺たちは他人だ。明瞭し難い、不十分な理由…義理と呼べるほど明確な理由などない関係にある。それも数年前のものだ。
当時の子供たちは幼稚園、小学生。不思議に思い、疑うのが当然だ。
何でと、言われてもな。
おまえとの約束が理由でもあるが、それに俺の意思はない。
俺はただ、先生の子供が苦しみ嘆く姿など見たくないだけだ。
笑っていてほしい。おまえたちの母親が笑えてなかったのなら、それ以上の幸福を。
口で言えるわけがない。俺は黙秘させてもらう。
らいはは合わせていた手を下げて、五月と向かい合った。
「おこがましいけれど、私でも何か役に立てることがあったのかもしれない
こんなこと迷惑になるけど
私にとって…お母さんってこういう人なのかなって
馴れ馴れしかったら…ごめんね」
「お姉ちゃん…」
「…お姉ちゃんが私たちのお姉ちゃんなら
ママの娘みたいなもんでしょ」
「…
あ、ありがとね、二乃ちゃん」
同じ痛みを感じ泣いてくれる。子供たちにとってそれだけで十分なのかもしれない。
おこがましくないと諭されたらいはが泣いて、五人も貰い泣きしていた。
感動しているところ悪いが、こちらは非常に居た堪れない。もう女子だけでいいんじゃないか。場違いな気がしてならない。
このまま黙ってフェードアウトしてしまっても気づかれないだろ。
「なんかしんみりしちゃったし
さっきの話の続きしよっか」
「…
何だ、さっきの話って」
「三玖ちゃんがお兄ちゃんに彼女いるのかって聞いてたじゃん」
「…」
「…」
「…
あんた、ほんとにろくでもないこと喋ってるわね、自爆してばかりじゃない」
「うるさい 深い意味なんてないっ」
「深い意味ってなに? ちょっと言ってみて?」
「しつこい」
そこ喧嘩するなよ…三玖が自爆したのは否定しないが、何で傷口に塩を塗るようなことするんだ。そりゃあ三女だって姉にキレる。やめてやれ。
原因は別にあるがな。我が妹が湿っぽい空気を嫌って爆弾を投下してきた。
二乃と三玖の口喧嘩を止めないあたり、おまえ…全部分かって言ってるだろ。つーか聞いてたのかよ。
面倒になる前に早々に帰るべきである。もう爆弾の導火線に火はついている、巻き込まれるってのに棒立ちなんて阿呆でしかない。
「いちぬけぴ」
「古っ
時代を感じるよお兄ちゃん」
「失礼な! 古くねーよ! まだ20代だっつーの!」
「そうやって逃げるんだー」
「…」
「…ふ、フータロー…
違う、本当に…違うからっ
いると思うのが自然だし、私たちに付きっ切りだと迷惑だと思ったから…
だから…違う…」
「…知ってるっつーの
よくある質問だろ、生徒から何回も聞かされる」
何を恐れてるんだか、三玖は慌てて弁明している。
仮に恋人がいても今おまえたちが抱えている問題は別だろ。助けるに決まっている。
らいはの奴、何がしたいんだ。俺は三玖の気持ちは把握し切れていないが触れるべき内容ではないことは分かり切っている。あまりにもそれは不躾だろう。
非難の目を向けるとらいはは苦笑していた。はっきりさせろと言いたいのか。
確かにあのまま有耶無耶にしたままなのも良くはない。良くはないが振り方下手すぎないか。
「彼女ね、彼女
…」
「…
あの上杉君、なぜ黙ってしまうのでしょうか」
「いるならいる
いないならいないって言いなさいよ」
「…」
いや、いないんだけど。いないけどこれを馬鹿正直に言うのもどうなんだ。
三玖から厄介な言葉が出てしまった。
いるのが自然だと? いねーんだけど…いなかったら全部話すのか?
一から全部話す必要はないが、重いとか思わるのも心外である。
押し黙ったままでいると、ますます張り詰めていく三玖からの視線が気まずい。
「お兄ちゃん、何度か女性に告白されてるよね」
「何でそういうこと平気で言うのかな、おまえ」
「ふ、フータロー…
モテるんだ」
「…いや待て、話すから待ってくれ」
「そっか…
…そっか…そうだよね
フータロー優しいし…こんなに、頼りになるんだから
私みたいな………」
駄目だこれ。正直に話すべきだ。三玖がソファに座りながら膝を抱えてうずくまってしまっている。
他の四人も三玖の落ち込み様に戸惑い気遣っている。
もう後の展開が見える。だからここにいたくなかったんだ。
「すまん、いない」
「…」
「…いないんかい!
なんで意味深な反応したのよ!」
二乃が怒り心頭でこちらを睨んで、隣の三玖の肩を揺すっている。告白をされたってだけで誰もいるとは言ってないんだけどな!
膝を抱えていた三玖はゆっくりと顔を上げてくれた。
…そんな反応を示すとやはりと思ってしまう。
勘違いだと思うこともないわけではないが、ここまでされて気づかない奴はいないだろ。
それに、理由はマジで言いたくない。ある意味不審者の仲間入りされそうだし。流石にそれはへこむ。
「この手の話は疲れるだけなんでな」
「告白されてるのは否定しないんだ
…なんか思い出のお兄さんが穢されたような感じで嫌だなー
何回かあったみたいだし?」
「断ってるんですけど」
「何で断るのよ
可愛くなかったんだ?」
「…」
「…今上杉さん目を逸らしたよ、絶対に可愛かったんだよ」
「おまえちょっと小一時間、太陽直視してろ」
「失明しちゃいませんかそれ!」
「ま、まぁ…上杉君も…27歳でしたか
恋人がいてもおかしくはないでしょう…断っても次から次へと、みたいに」
「…あんた、フォローしたつもりでしょうけど全部台無しよ」
「え、え!?」
「五月ちゃん…」
まったくである。二乃の指摘にまだ察していない五月が狼狽している。
フォローする相手がちげえ…姉を見やがれ末っ子。穏便に可能性を潰そうとしているのに空気が読めていない奴だった
五月の無粋なフォローに三玖が反応してしまったのは見て分かった。非常に面倒臭い奴らである。昔とやってること変わってないぞこれ。
この流れだと全部言い終わるまで掘り尽くされそうだ。降参してしまったほうが利口だった。
「…変な意味じゃねーけど
こうなるかもしれないって思ってたからな
恋愛なんかしてる暇ねーよ」
俺の言葉に、察しの良い一花と二乃は当然、三玖と五月も分かったようだ。驚いて、みるみる表情が曇っていく。
子供たちが気にかけるものではない、決して。こんなこと、真面目に話すべきか笑って話すべきか分からない。
酷い考え方だろ…言いたくなどなかった。
そう思うなら会いに行けば良かったんだ。
同情も優しさも不要だ。小馬鹿にされ、笑われたほうがまだマシだろう。
娘であるこいつらには、今の五つ子には重たかったかもしれない。
「…
? ?
え、上杉さん
こうなるかもって?」
「…」
一名、分かってくれていない奴がいた。
四葉さん…まあ五つ子の中で恋愛に疎い部類に見えるから仕方ないか。さっきの五月の問題発言も理解してなかったな。
四葉の疑問に他の姉妹が呆れたような視線をぶつけている。呆れるのはいいが余計に四葉が混乱するだけである。
らいはは苦笑いしているだけで、こちらに全て任せるそうだ。おまえから振ってきたんだけどな…完全に蚊帳の外を決め込んでやがる。
「あのね、四葉
さすがに察しなさい?」
「…?
あれ、私だけ? 私だけ分かってない?」
「四葉、後で教えてあげるから静かに…」
「そ、そんなに悪いことしてるかな私!?」
「…先生が具合悪いのは昔から知ってたからな
もし無茶して取り返しがつかなかったら…ってことだ
受けた恩を恋愛ごときで果たせなくなるなんて自害ものだ」
「…
ええええ!?
上杉さん、私達のためにずっと!?」
「ふ、フータロー…」
「この子、全部言わせたわ…
…そんなことするなら、何で…」
「に、二乃っ
ごめんねフータロー君」
いや、こんな告白羞恥で死にかねないだけで、謝られることじゃない。
俺が勝手にやったことだし。おまえらに関係ない。
器用じゃないから両立できないと予想した結果だ。優先順位に従ったまで。消去法で選ぶしかなかった。
ただ、恩返しがしたかった。それだけを忘れられず、燻って生きてきた。
…重いよな。俺だって他人からそこまでされたら引く。言うんじゃなかった。
「…お兄ちゃんはそういうところが…ほんとにもう」
「なんだよ」
「別にこのぐらい軽いものだよ
お兄ちゃんの好きな人は零奈さんでしょ
それ伝えるだけでいいのに、遠回りばっかり」
「それだと色々と誤解が…
俺は…付き合うとかそんなつもりはなかったぞ」
何で先生の娘相手に、その母親が好きだと告白しなくちゃいけねえんだよ。
五人の視線がこっちに向いているのは分かっていても、顔が赤くなっていてはまともに受け流せそうにない。
誤魔化すようにらいはのほうへ視線を避けた。そのらいはが兄を谷の底に突き落とそうとしている…
「ずーっと片思いで良いって…ほんと変わってないよお兄ちゃん
好意を伝えるの下手なんだから
昔は先生から借りた本大事だからって鞄まで買ってさ…うち貧乏なのに」
「そ、それは…!
先生から借りた本は傷んでるのもあってだな…丁重に扱わないといけなかったから」
「零奈さんに代わって泊まりに行った時なんか、前日にカレー作るの教えてって急に頼んできたよね
慣れない料理なんかしちゃって…手作りに拘ってさー」
「ストップストップ!」
どこまで話す気なんだこの妹は。その情報は誰が得するんだよ。俺の失恋談で盛り上がってくれるな。
思い出話となると、子供たちも多少話に乗ってくる。虫食いの跡のような記憶でもちゃんと覚えてくれているのだ、この子たちは。
子供ながらうろ覚えだったものが、大人の鮮明な回想が加わったことで、枯れた花が咲いたことを祝うように賑やかになる。
「うーん、上杉さんが泊まってくれたのは覚えてるけどあまり記憶にないかも」
「十年前だし無理ないよ」
「…!
あの日は確かにカレーでしたっ 覚えてます!」
「あんたは覚えてるでしょうね、カレーは」
「失礼ですね!
ちゃんと何があったか覚えてます!
その日に約束してくれたんですから!」
「私も覚えてる
フータローがお母さんに耳引っ張られてた」
「え、何でフータロー君怒られたの?」
「怒られてても仲良さそうだった…」
「ほんとどうでもいいことばかり覚えてるわね、あんたたち」
「どうでもいいとは何ですか!
わ、私にとっては」
「カレーのことよ」
「か、カレーは…美味しかったので」
「あんた不貞腐れてたのに味なんて覚えてたの?」
「二乃も覚えてるじゃないですか!?」
らいはからの暴露に子供たちはすっかり乗っかってしまった。もう知らん…これ以上ここに残っても不毛なだけだ。
朝からろくなことがない日だ。あの夢のせいだ。子供たちの顔色を窺って動けなかったからこんな状況を作り上げたんだ。早く去るべきだった。
立ち上がると子供たちの目線も上がった。帰らせてもらうぞ。
だがその前に、ここまで付き合ったんだ。少し気になっていたことを解消させてもらおう。
「ついでに聞くけどよ
おまえらは彼氏いないのか?」
「い…いな――」
「いないわよ、まだ高校1年よ私たち」
「いや、俺の学校じゃ高1でも4月から付き合い始めた奴もいるらしいぞ」
「知らないわよ
それにね、ママが大事な時にそんな暇あるわけないじゃない」
「それもそうだな」
「はい終わり
私たちは寂しい女じゃありません
大好きなお母さんもいたし、素敵なお姉ちゃんがいるし、デリカシーないけどお節介なお兄さんもいるみたいだし
それでいいでしょ」
「…」
別に寂しい奴とは思っていなかったが、いいのか。返事を遮られた隣の三玖が睨んでるぞ。
どうせまた自爆すると思って割り込んだんだろう。気が効くのか意地悪なのかよく分からない次女だ。
「お兄ちゃんは結婚しないの?」
「恋人すらいねーんですけど
おまえも大学で彼氏作れよ」
「私の話はいいの
それに、皆が自立したらその決め事も終わりでしょ?」
「…その予定はねーよ
ほら」
らいはの意図がいまいち分からない。これまでに、早く結婚して幸せになってね、とは何度も言われたことがある。その延長線だろうか。
話はもう終わりだと、ここに来た目的を果たすことにした。
さっきから落ち着かない三玖に向かってポケットから取り出した物を投げる。
三玖は慌てて膝を離して両手で受け取った。四人が両隣から手の中を覗き込んだ。
「…これ、鍵?」
「一応この家のオーナーとの話で、俺も頼めばカードキーを預かることができる
俺だけ一方的におまえらの家の鍵使えるのは不公平だろ」
「…上杉さんの家の鍵?」
「後でメールで住所は教えておく
用は済んだから帰らせてもらうぞ」
恋人はいねーし、おまえらに押しかけられたって困ることはない。何かトラブルがあったら駆け込んでくれても構わないしな。
合鍵を五つ子に渡してお暇しようとすると一花が立ち上がった。まだ何かあるのか。
「自立するまでって、いつになるか分からないよ
本当にフータロー君がそのつもりなら、フータロー君は幸せになれないんじゃないかな」
「子供がいらん事気にするな」
「…真面目に話し合うべきだよ
私たちはまだ…子供だけど
誰かを犠牲にしてまで贅沢なんかできないよ…お金だってそうだし
バイトだってできるよ、働くことだって」
「…」
一花にそこまで言わせるのも、不甲斐ない話だ。
…親父や先生も、もしかしたら同じ気持ちだったのかもしれないな。
子供の優しさが、本人の意思に関わらず己の不出来を糾弾するのだ。
そうじゃない。いいんだ、大人は子供の為に努力して。
空っぽな人間が、誰かの為に努力し求められるのは…幸せなことだ。
それも…結局は、昔の俺が親父や先生に抱いた不満だった。因果応報と言うには粗末な結末だ。
「おまえたちを束縛するつもりはない、俺は他人だしな
働きたいなら働け、大学行きたいなら勉強しておけ」
「そ、そんな話じゃない!
だって、これじゃあ今度はフータロー君がお母さんに代わっただけで…!
私たちも、変わらないと」
「…俺も勝手にやっている
おまえたちも好きにしていい、嫌ならそう言え
…何もかも、俺が好きでやっていることだ」
「…」
「大人をなめるなよ、お姉ちゃん」
「あいたっ」
生意気な長女にデコピンしてやる。
思い出しちまったよ。俺もおまえみたいに、先生に生意気な事言ったよ。
結局子供の言葉でしかない。
おまえたちには保護者が必要だし、働くと言ったって高校は卒業したほうがいいし、大学を卒業すれば後の選択肢は増える。
おまえたちが考えるべき事、これから知る事はまだまだ多い。足りていないんだ。誰かと向き合うにはまだ。
…本当に、こんなことがあの時分かっていたら、俺はあの人を説得できたのかもしれない。
あの頃歯がゆい思いをした自分が、今度は逆の立場になってしまっているんじゃないか。
一花には悪いことをしてしまった。
長女として妹を支え守ろうと努めようとしている子の思いを振ってしまった。次は失敗しないように努めるつもりだったのだろう。
「優先順位って言っただろ」
「う、うん」
「…今はおまえたちが一番大事ってだけだ
全部言わせるな、恥ずかしい」
「…
でも…」
気持ち悪いとか、余計なお世話だと言われるのは理解できるが、この現状でやめろと言われても困るだけだ。
まだまだだな、お子様め。説得する材料が足りてないぞ。感情で絆されると思ったら大間違いだ。
だがせめて、その気持ちに素直に答えてやりたかった。
気を遣われて嬉しいのは確かなんだ。複雑な思いが絡んでいるが、それは俺の都合だ。
額を押さえて、半分涙交じりで見上げてくる一花に一言伝えておく。
「ありがとな、一花
少し、楽になったぜ」
助けようと手を伸ばし、手を取ってくれるその優しさが嬉しかった。
ただそれだけのこと。飾り気のない感謝を伝えて、リビングを出て一人で玄関へ向かった。
夢から覚めたような、ほんのりと温かいものが宿った喜びを隠したくて、一花の耳にそっと伝えておいた。
「一花…大丈夫?」
「デコピン痛かった?」
「気落ちしないでください
上杉君なりの優しさですよ
一花の気持ちはちゃんと伝わっているはずです
いずれ話をするべきですが、今は甘えさせてもらいましょう」
「…
私、年上に弱かったかなぁ…」
フータローの方針に異を唱え、協議を持ちかけた一花が黙って俯いていた。落ち込んでいないかとみんなが声をかけて励まそうとしてる。
お母さんのようにならないでと願っていたのはみんな同じだったはず。私たちを代表して伝えてくれた一花には頭が上がらないし、傷ついてしまったのなら謝りたい。
なのに、一花から返ってきた言葉は予想外すぎた。三人は目が点になってからお互いに顔を見合わせて、一花に呆れるしかなかった。
一花がフータローに弱いのは最初から知ってる。雨の中でフータローが一花を励ましてくれた時から、少し明るくなった。
「…
なに、あれに揺れたわけ?
何言われたの?」
「いや…あのお兄ちゃんがだよ?
不意打ちであれは…うん、卑怯、うん」
「何言われたのよ…」
「言う程のものじゃ…お礼言われただけだよ」
「そういえば一花のタイプとか聞いたことなかったよ
年上がいいんだ?」
「…一花は敵」
「あーっ! 今のなし! ちょっといいなって思っただけだから!
ほら、私昔はお兄ちゃん子だったし? これが平常運転だからっ!」
「年上好きって…長女だから尚更…」
「他意はないって!」
本当に何を言われたのか気になって仕方ない。それにあんな耳元で…さっきも膝枕してたし、やっぱり一花は特別なのかな。
今まで見てきたから分かる。さっき見せつけられたから分かってる。
一花は可愛いし、社交的で、男子から人気で。さっきも可愛く甘えてたし、私たちに代わってフータローを説得しようとする強さもあった。
昔からそう。一花は長女として立派でお母さんも褒めてた。二乃も一花には甘えられるし、四葉と五月も心から頼りにしてる。それは二乃が相手でもそう。
なのに私は…今まで何もしてない。
こんな女、困らせるだけ。逃げ道を探してばかりでフータローに迷惑かけて…見てもらって…それで満足してる。
…昔のほうが、いい。こんな卑しい子だと知られたら…嫌われる。
「…一花
幼稚園児の初恋拗らせてる三玖にその弁解は逆効果よ」
「あのさ…フータロー君好きなのはみんなも一緒でしょ
お兄さんとして」
「それに関しては私疑問に思っていたのです
そもそも三玖は本気なのですか…?」
「ま、待って、お姉ちゃんいるからそれやめて」
「いやもうバレてるでしょ…」
…バレてるって、何のこと?
嫌な予感がする。動悸が激しくなって、体中に何かが駆け巡ってジッとしていられなくなる。
まさかと思ってお姉ちゃんのほうへ振り向くと、苦笑いされちゃった。その視線から逃げたい…
「まぁ…うん、さすがにね?
もしかしてとは思ったよ」
「ほらね
自分の発言に気を配りなさい」
「…あれはお姉ちゃんが来るとは思わなかったから」
「…言っとくけど、上杉も怪しいからね」
「…」
お姉ちゃんは困ったように笑って、一日で悟られてしまったことにちょっとショックだった。隠せてない…
フータローにもバレてるのかな。
やっぱり…そうなのかな。好きな人がいるか聞いちゃったし、勘違いとはいえ狼狽してしまい…隠せなかったと思う。隠せる余裕なんてなかった。
「あーあ、でも十年だもんね…
優しかったお兄ちゃんも、そりゃ恋人いるって思うのが普通だよ…
正直聞くの嫌だったんだよね、三玖が代わりに聞いてくれて良かったよ」
「27なんて結婚してる人も多いでしょ
ママが…23とかだっけ
私はてっきりいるかと思ってたわ」
「…」
「三玖、顔が怖いっ
笑顔笑顔っ」
ずっと想像しないようにしてきたのに…考え出すと嫌な気分になって顔に出ちゃったみたい。四葉に指摘されて顔を俯かせて隠した。
子供の頃は、それが嫌で仕方なかった。私はまだ子供でフータローは大人。もう会えないだけで寂しかったのに、誰かに盗られると思うと辛くて泣いたこともあった。
初恋は実らないとよく聞く。しかも小学生の初恋ですら笑い話にされるのに私のはそれよりももっと昔のもの。何度も自分はおかしいのかなって思い返した。
フータローと同い年になれたらな、と。私も高校生になってそう願わずにはいられなかったところに、お母さんは亡くなって、フータローと再会した。
正直、自分でも何をするべきなのか、わからない。これが本当に…恋心なのか把握し切れていない。
この恥ずかしさも、思い出のお兄ちゃんに昔を知られている気恥ずかしさなのか… もっと話したいとは思っても口にはできない。
「いやぁ、零奈さんが早いんだよ
ちなみに私とお兄ちゃんが会ったのは零奈さんが29の時だからね
十年前だからお兄ちゃんが高校生の頃かな」
「年齢の差を考えると私たちと上杉君の関係に似てますね、高校生と教師ですし」
「…それ、だったら…」
フータローが、十歳も年上のお母さんが好きだったら、私が同じくらい離れてるフータローを好きになるのはおかしくないのかな。
…あれ、お母さんを好きだった人を好きになるのもどうなんだろう。よくわからないけれど、学校では言うべきじゃないと思った。
「まぁお兄ちゃんのことは気にしなくていいよ
気を遣ってくれるだけで十分嬉しいんだと思うよ
みんなが大学出て就職とかした頃には適当に結婚してると思うから大丈夫」
「…フータロー…結婚しちゃうかな」
「…
ちなみにお義姉さん」
「え、なに一花ちゃん」
「もしお付き合いしている人いなかったら
フータロー君貰ってもあいたぁっ!」
「男の恋愛話はこれでおしまい
お昼作りましょ、らいはお姉ちゃんも手伝って」
「うん、いいよー
なんか久しぶりだね」
何を聞いてるの、と驚く間もなく二乃の手が一花の手を引っ叩いた。パチーンと痛そうな音が響いて一花が悶絶してる。ちょっと可哀想。
もしかして…私に気を遣って聞いたのかな。当然私からそんなこと聞けるはずもない。少し赤くなった一花の手を擦っておく。
ありがと、と一花はキッチンのほうでお姉ちゃんと楽しそうに料理の準備を始める二乃を見て、困ったように溜め息をついた。
「二乃はちょっと過剰反応が目立つよ…」
「さ、さすがに一花の今の発言は全力で止めるべきだと思ったので
二乃の肩を持たせてもらいます」
「五月ちゃんお堅いなー
フータロー君もよく聞かれるって言ってたじゃん」
「やっぱり今でも、上杉さん嫌いなのかな?」
「フータローの話題に一番噛み付いてるのは二乃だから
嫌ってないはず…」
文句を言ったり、フータローの言葉に拒否しがちで分かりづらいけど、二乃はフータローを嫌ってないと思う。
逆に何かきっかけを掴もうとしているように見えた。私みたいに、やってることは子供じみた欲求。こっちを見てほしくて掴んだり声をかけるんだ。
最初はフータローを困らせてばかりで許容し難いものだったけれど、二乃もフータローと和解したくて我武者羅に接しているんだとしたら割り込むべきじゃないと思ってる。
それでも…だんだんとフータローと仲良くなっていく姿を目にするともやもやする。駄目だと分かっていても捨てられない。これも子供じみた欲求だから。
「…つまり、構ってちゃんってこと?」
それ、的を射てる。そうとしか思えないから全力で頷いておいた。
四葉の回答に一花と五月が頷いた。やっぱりそう思うよね… やっぱり二乃も要注意。
「ムッツリってのもありえるね
二乃はギャルっぽいけど恋愛経験ゼロだし、男の子に興味津々かも」
「二乃が男子に…うーん、確かに色事好きそうだしね」
「恋愛ドラマばっかり見てるから…ミーハーだし」
「みんな恋人がいないと思ってましたが
二乃だけは隠れて誰かとお付き合いしている人がいると思ってましたよ」
「あははっ ないない
二乃に男いたら絶対にうるさいから、誰か一人には自慢話してくるから
みんなは聞いたことあるの?」
「ない」
「ないよ」
「ないですね」
「つまり、そういうこと」
「あんたたち! こっちに筒抜けなのわかってやってるんでしょうね!?」
「家広くなっても変わらないね、みんな」
前の家と比べたら断然広くて綺麗なリビングだけど、やっぱり私は前の家みたいに畳が良いな。
皆との間隔が一気に遠くなったし、この家でお母さんを看病するより前の方が良いと思う。近いし、呼ばれてもすぐに分かるから。
…思い出すとちょっと何か込み上がってきて考えるのはやめておく。まだ2週間経ってないんだよね。
今はらいはお姉ちゃんもいる。みんなも立ち直ろうとしている。私だけ泣いていたらいけない。
「…どうしたの、三玖?」
「え?」
「泣きそうだったでしょ」
「…」
一花のそういうところ、ずるい。
長女だからって何でも抱えようとする。自分は辛くても弱みを見せないで笑って誤魔化して…
さっきお姉ちゃんに抱きしめられて泣いていたのは本当に辛かったからなんだと思う。だからこれ以上抱え込まなくていいのに。
「…三玖、お姉ちゃんが言ってたでしょ」
「…あ
…うん」
「気づいたのは私なんだけどなー
実のお姉ちゃんもいじけちゃうぞ」
「…ありがと、一花
でも違うよ
今の家でお母さんの看病は大変だと思って
声、聞こえなかったら大変だから」
「…そうですね
もう自室を用意して頂いていますし
今も前と違って食事の後はバラバラですから」
「静かだよね
夏なのにさ、蝉の鳴き声全然聞こえないもん
快適だけどあっちのほうが好き」
「四葉、公園で蝉捕まえてうちの近くで逃がすからじゃん」
「蝉の合唱うるさかった」
「お願いですから、やらないでくださいね?」
「もー! 何年前の話してるのさ!」
忘れはしない小学校の頃、四葉は蝉を捕まえてきてお母さんに見せびらかしてた。一匹ならまだしも虫カゴにいっぱい入れてきて近所迷惑になってしまった。蝉かわいそうだった。
敷地の木に逃がしてあげたけど、しばらくうるさかった。逆に鳴き声が聞こえなくなって、四葉は落ち込んでた。死んじゃったんだって泣いてた。蝉の一生は短いから仕方ない。
…あの頃の四葉は一人で遊んでることが多かった。フータローと遊べなくなってからちょっとずつ変わった。家にいることが少なくて放課後ほとんど走り回ってた気がする。
もうやらないでって念押しする五月も、あの頃には戻らないでっていう意味も込めてる。
みんなあれから変わった。大切な家族のようなお兄ちゃんと会わなくなってから。
お母さんがいなくなった今も、きっとみんな変わっていくんだと思う。
寂しいな… いつかはそうなるってわかってるのに。
「…三玖は寂しがり屋だったもんね
四葉が一人ででかけるって知ったら走ってたっけ」
「…ぇ?」
「い、一花っ」
「一人で遊んでる四葉が心配で追いかけてたんだよ
少ししたら不貞腐れて帰ってきてさ」
「えぇえええ!?」
「昔の話だよ
ね、五月ちゃん」
「私はあまり覚えてませんが
…途中でやめましたよね?」
「…追いつけるわけないから」
「ご、ごめんね三玖っ!
私知らなくて…」
何でバラすのかな… フータローがここにいなくて良かった。
みんなだって四葉を心配してたくせに。一花なんて悪戯してまで四葉を振り向かせて、嫌われるんじゃないかと気が気じゃなかったのに。
四葉だってお母さんが大好きだから、一人でどこか行っちゃうことなんてなかったけど、わかってたけど。フータローみたいにいなくなるんじゃないかと、子供ながら怖いと思ってた。
あの時はお姉ちゃんが四葉のこと見てくれて助かった。たまにお姉ちゃんのところに泊まりに行ってたし。
でも、四葉は帰ってきた時泣いてた。フータローがいなかったって。引越ししちゃったってお母さんに泣きついて。
「三玖、ごめんね
転んでなかった?」
「大丈夫」
「ほんと?
三玖、昔はよく転んでたし…」
「小学校からはそんなに転んでない」
「ちょっと三玖、嘘つくんじゃないわよ
あんた年がら年中転んでたわよ
膝擦りむいて、酷い顔して走ってたわ」
「…」
さっきまで話を聞いてるだけだった二乃が割り込んできた。何でここで…
キッチンのほうを見やると、お姉ちゃんと二乃が並んでお昼ご飯の調理を始めてる。そっちに集中すればいいのに。
お姉ちゃんは壁に設けてある水槽のお魚に興味があるみたい。確かにお金持ちの家にしかなさそうだけど。
話し相手が取り込み中で、二乃の手が空いたせいでこっちに視線が移ったみたい。
それはいいけど、お姉ちゃんもいるんだから陥れるような過去を掘り起こすのはやめて。…お姉ちゃんなら知ってるか。
でも違う、本当に転んでない。
「転んでたのは小学校上がってすぐの頃
それ以降は気をつけてる」
「そうだっけ?
なんかみんなと遊んでても三玖だけ足遅くて、私付き添ってあげた記憶が」
「それ幼稚園
フータローに注意されたから…
…」
注意されて、手を握ってくれて嬉しかったことはまだ覚えてる。フータローも覚えていてくれて本当に嬉しかった。
今はもう部屋にしまったあのヘッドフォンには思い出がいっぱい詰まっている。傷だらけで、ノイズが走って使い物にならなくても捨てられなかった。
本当に、大好きなお兄ちゃんだった。泣いてばかりだったけれど、手を伸ばしたら抱っこしてくれて、赤ん坊みたいにしがみついて甘えてた。
きっとこの思い出はずっと忘れないと思う。今でも手を握ってくれた、大きくて温かい感触は覚えてる。それにドキドキしながら笑っていたのも。
今じゃ無理。今日フータローに近寄られて分かったけど、緊張でどうにかなってしまいそうだった。無自覚って恐ろしい。
「まーた上杉の話…あんたの思い出限定的過ぎるのよ
あんなののどこがいいのよ」
「…
制服、まだ持ってるのフータローに言ってもいい?
嫌いなら別にいいよね」
「やめなさい
言ったらあんたのあのヘッドフォン分解してやるわよ」
「やったら家から持ってきた二乃のDVD割る」
「じょ、上等じゃない
だったら私はあんたが持ってきた上杉との写真全部焼いてやるわ」
「…何で知ってるの…」
「アルバムから抜いてたら誰だって気づくわよ!
がめてるのは知ってるのよ、少しはみんなに分けなさいよ!」
「あれ三玖のせいだったんですか!?
私無くしたのかと思って泣いちゃったんですけど!?」
「私も! 懐かしかったから写真見たかったのに!」
「ほら、私はどうでもいいけど、上杉を慕ってるのはあんただけじゃないのよ
素直に渡しなさい」
「…」
これについてはちゃんと許可は貰ってあるのに。みんなはフータローに会うまで忘れてた…五月は違うか。約束、ずっと覚えてたって言ってたよね。
アルバムから勝手に取ったのは悪いと思ってるけど、あれはお母さんにちゃんと言ってから貰ったものなんだから。
フータローとの写真は本当に少なくて、お姉ちゃんにも頼んでこっそり上杉家のアルバムの写真も貰ったんだ。
あまり公言できないけれど、私にとっての宝物。少し色あせてセピア色になっちゃったものもあるけど、だからより一層大事に持ってたのに。
見せてあげてもいいけれど、戻すのはちょっと不満。二乃のせいでみんなに露呈されたし、やっぱり許せない。
今回は私も退くつもりはなかった。一花には悟られてしまい、二乃との間に割り込んできた。
「喧嘩はやめよ? それ本気でやるヤツでしょ
二乃も、フータロー君の思い出に水差したら三玖が怒るって分かってるでしょ」
「そ、そうですね
喧嘩はよくありません、らいはお姉ちゃんの前ですし」
「あ、いいよ
どうせ一度スッキリしないと仲直りできないでしょ」
「ぇ」
「二人共、殴り合いの後に和解する男子みたいなところあるし」
「…」
「…」
「凄い不服そうな顔してるっ!」
誰かしら否定すると思ったけど、一花も四葉も五月も、誰からもフォローはなかった。さすがに心外。
確かに二乃とは度々口喧嘩してみんなを困らせることもあるけれど、その例え方は不服。
二乃だって苦虫を噛み潰したような顔をしてるし。これでお姉ちゃんの言うとおり喧嘩して、いつものように仲直りになったら男子扱い。
不名誉な扱いを受けそうだから、仕方なくここは退いておく…
「あはは…でも、嬉しいよ
本当にお兄ちゃんのこと…好きなんだ?」
「…
おかしい?」
「うーん…私もかれこれ大学生なので、失恋話とかしょうもない恋愛は聞くんだよね」
「…」
「幼稚園の頃の初恋? みたいだし
正直、現実味はないかなって思っちゃうけど
昔の三玖ちゃんを知ってると、逆に嬉しく思っちゃう」
「…どういうこと?」
「だって、三玖ちゃんのあの告白
大人顔負けだったもん
あんなに素敵な告白をして、まだ一途に思い続けてる
零奈さんが好きでも、下手っぴなお兄ちゃんと比べられないなー」
「…あ、あの
あの時って…フータロー喜んでくれてた?」
「さすがに覚えてない?」
「なんとなく…
でも自分で改編してるかも」
「そっか」
顔が赤くなってるのは自覚している。でも今は知りたい。子供の思い出でしかない、あの日のこと。
あの日、お姉ちゃんもいたなんて忘れてた。覚えているのは…告白した時に見せてくれたもの。
今でも愛おしいほど、身をよじりたくなる。そんな大好きな照れて笑うフータローの表情は忘れられない。
でもそれは6歳の頃の思い出。きっとどこか誤魔化して、勝手に思い出補正をかけてる。
だから、知りたい。現実の言葉として教えてほしい。
「私ね、あのお兄ちゃんの笑顔大好きなんだ
めったに見せてくれないんだけどね
嬉しそうに照れて笑うの、人前じゃ恥ずかしいんだろうね」
「う、うん」
「だから、三玖ちゃんが言ったあの言葉
凄く嬉しかったんだと思う
だってお兄ちゃん、三玖ちゃんから貰ったあのお花を栞にしてまだ持ってるもん」
「ほ、ほんと…?
…あの、花…赤い花」
「うん、今度お兄ちゃんに聞いてみて」
「…
…うんっ」
上手く言葉にできない。嬉しいというより…ほっとした。靄がかかったようなうろ覚えな思い出が確かにあったんだと知って、安堵した。
何で赤い花を持っていたのかは覚えてない。でもフータローに渡すんだ、渡して伝えたかったんだと思う。
あの頃と今の私はまったく違う。臆病だし、人前は苦手。だからあの思い出は本当は夢なんじゃないかと疑ったことがあった。
嘘じゃありませんように、何度も願っては思い出して、願っては忘れないように思い返して。大切な物だけれどあまりにも曖昧で不安もあった。
良かった… お姉ちゃんが覚えてくれて良かった。フータローが笑ってくれたことも、まさかあの花をまだ持ってるなんて。
「あいつ、結構覚えてるんだ」
「気持ち悪いくらい覚えてるよ
あの花の花言葉まで調べてたし」
「あの、お姉ちゃんどっちの味方?
お兄さんにだいぶ厳しいけど」
「後悔するなら零奈さんに会いなさいって叩いてでも行かせるべきだったと思ってるよ…
ちなみに花言葉はね、秋の桜でコスモスで
赤いのは乙女の愛情、調和とかだって」
「わお、ぴったりじゃん
三玖狙ってやったの?」
「…」
「…もう
嬉しそうにしちゃって」
「ししし、良かったね三玖」
「昔から気にしていましたよね
…おめでとう、三玖」
一花に呆れられちゃったけれど、今はごめん。みんなも喜んでくれたのに返事ができない。
だって自分でも自分の感情が抑えられない。ずっと心残りだった、つっかえたものが取れた気分だから。
フータローとはずっと会えなかったけれど、少しだけだけど、好きでい続けて良かったと思えた。
返事を貰うなんておこがましい。でもこの気持ちが一方通行で終わらず、ちゃんとフータローに伝わって、忘れられずにいたことが嬉しくて仕方ない。
好きな人の思い出の中に、私の大事な思い出がある。それが嬉しくてたまらない。
やっぱり、好きなのかな。
「…フータローに会いたいな…」
会って何かしたいわけじゃない。でも今は会いたい。
子供の頃からずっと思っていた、寂しくて会いたいと切に願っていたあの気持ちが蘇ってきたみたい。
もう夏休みは終わる。フータローと会える日は多くない。
今度はきっと会える。それが幸せに感じてならない。
お母さんが亡くなって泣いてばかりだったけれど、フータローと出会えて本当に良かった。
「…あ、まずっ」
「どうしたの、二乃ちゃん」
「…ごめん、目離してて…
タイマー付けるのも忘れてたみたい」
「なに、どうしたの二乃」
「…パスタ
鍋の底に…くっついちゃった」
「…う、うーん…」
止まっていた時間が動き始めたようにみんなの意識が鍋に集まる。確かに凄い沸騰してる。あとお湯が少なく見える。
過去を振り返ってばかりだと今が疎かになる。お昼はパスタだったみたい。
でも私のせいで時間を計ってなかったみたいで、パスタをかき混ぜてすらいなかったから鍋の底にこびりついてしまったみたい。
洗うのが大変だし、食材を無駄にしちゃったのも分かるけど、なんかしょーもない。お姉ちゃんも反応に困ってる。
「三玖の話が長いせいよ」
「二乃が横から割り込んできたから」
「はぁ…もう…せっかくお姉ちゃんが来たのに失敗なんて」
「…ごめん」
二乃が楽しみにしていたのは知ってる。腕を上げたことを褒めてもらおうと朝から張り切って買い出しに行ってたのも。
私だってフータローの前で恥をかきたくない。申し訳ないと思う。
怒られるならまだしも、困らせてしまった。二乃はお姉ちゃんに謝って、IHの電源を一度切って新しい鍋を出した。
昼食を作り直そうと、黙って新しく鍋に水を入れている。やっぱり落ち込んでるように見える。
謝ろうと歩み寄ろうとすると、顔を上げた二乃と視線がぶつかった。
「…良かったわね
告白、覚えてくれてたみたいで」
「…
うん」
二乃のこういうところ、ずるいよ。私が悪い時は意地悪もなく、謝って励まそうとしてくれる。
二乃はまた困ったように、照れながらも賛辞を送ってくれた。やっぱりずるい。
近寄ろうとした足は前に進まず、さ迷うように横に逸れてしまった。みんなに見られると、笑われて恥ずかしかった。
結局また仲直り、かな。これ以上の言葉はいらない気がして、何も言えなかった。
みんなも言葉なく、鍋に水を溜める少し荒々しい音だけが響いてる。
しんみりして、気まずさがある。なんて声をかけたらいいのか分からない。
それでもここにいたいと思える、明瞭し難い照れ臭さは嫌いじゃなくて。あの家で感じた、ちょっぴり懐かしい夏の匂いがした。