「え、休みですか?」
月曜日。バイトがなければ日課になっている幼稚園からの五つ子を迎えようと中野先生を訪ねたのだが、職員室で予想外の返答が返ってきた。
用があるのなら伝言を引き受けると気を利かせられたが流石に五つ子の話はできない。
休んだ理由を確認したいが、学年も違う、学校では接点のない生徒が聞き出すのもおかしいだろう。そのまま退散した。
まさか体調を崩してしまったのか。公園の一件は土曜日。日曜日を挟んで丸一日経っているのだが…もしや一日休んでも治らないほど酷いものなのか。
一花が迷子になって精神的に負担をかけてしまったか。雨の中走らせてしまったし疲れさせてしまっただろう。もう良い年だろうし。
五月が話していた不安が戻ってくる。結局飲んでいるという薬も聞いてもいない。旦那の話も聞けていない。なにせ、ここ最近機嫌が良くて聞ける訳なかったのだ。薮蛇など御免である。
しかし病を軽く見ていいわけもない。この場合見舞いに行っても大丈夫だろうか。風太郎は迷った。
職員室の前でうろうろと挙動不審なところを教師から咎められた。すみませんでした。
見舞いはやめておこう。母親が体調を崩して五つ子たちの世話ができているのか心配だが今に限った話ではないだろう。一日様子を見よう。
図書室で自習することにした。先生から借りた参考書もあるのだ。らいはに今日は早く帰ることを伝えようと携帯を手に取るとメールが来ていた。
電話して。そう妹からのメッセージだった。
「どうした?」
「あ、お兄ちゃん?
あのね、今日中野先生お休みだって」
「…どうして小学生のおまえが知っている」
「帰ってきたらメール着てたの」
「何で連絡取り合ってるんだよッ」
「お兄ちゃんが連絡先交換してないのが不思議だよ!」
教師と生徒だぞ。学年も違うし不自然だろう。不便を感じてはいたが仕方ないことだと割り切っていたのだ。
「それより大丈夫なのか
寝込んでるのか?動けないほど辛いのか?無理できない年だしな」
「何で?」
「いや、一昨日な」
一昨日の一件をらいはに教えると妹は合点がいったようだ。
「それだね」
「マジか…悪いことしたな…」
「うん、だって雨で濡れちゃったんでしょ
子供なら尚更だよ」
「…子供?」
「うん」
「…子供の話かよ!」
風太郎は図書室へ向かう足を止めて下駄箱へ走った。
「ふーたろーくん、ありがと…けほっ」
「起きなくていい」
子供の誰が風邪をひいたのかは察しがついた。案の定一花が居間に敷かれた布団に寝込んでいた。いつも寝る部屋とは別に敷いたようだ。寂しい思いをさせないためか。
風太郎の見舞いに一花が枕から頭を上げようとしたが止めた。明らかに辛そうだ。
「昨日は元気そうにしてたのですが、無理をしていたそうで
母親として情けないものです」
「いや…原因を考えたら俺が悪いので」
「いちばんはうそついた一花」
「そうよ、おでこあついのにいわないでって」
「いっぱいあそんでたよね」
「おくすりきらいだもんね」
なんとなく流れが分かった。昨日の時点で一花は体調を崩していたのを自覚していたが、薬が嫌で母親に黙っていたのだろう。妹に工作を仕込んで。手間かけやがって。そこじゃないだろ。
だが今日になってダウンして母親に露呈したのだろう。治さないと後が辛いだけなのに。
病院には行った後で安静にするしかないようだ。きっちり苦い粉薬を貰って。
「無理をするからだぞお姉ちゃん」
「…む
けほっこほっ…こほっ!」
「お、おい大丈夫か?
ごめんな、辛いよな」
「えへへ、なんちゃって――」
「…やっぱ熱いな、悪いな…早く見つけてやれなくて」
「…けほっ、けほっ」
手をかざした風太郎はちょうど一花の顔は窺えなかった。からかう風太郎にわざと咳き込んで悪化を装ったのだ。顔色を変えた風太郎を見てしてやったと笑おうとしたのだが。
風太郎が一花の額に手を置いて熱を確認した。普段からかったり、突っぱねてくる頼りになる人が今までにないほど心配してくれているこの状況に一花は嘘をつき続けることにした。
「悪化したかしら…」
「すみません、お邪魔して
ヨーグルトとか買ってきたので使ってください
じゃあな一花、お大事に」
「え…ふーたろーくん?」
「いつまでも居座っちゃ迷惑になるからな
早く風邪治せよ」
「…もうちょっと、いっしょにいて、ね?」
帰ろうとする風太郎に一花は起き上がってその手を掴んだ。布団から出てしまったら寒気がするだろう。
風太郎は一度上げた腰を下ろして一花を布団に寝かせた。どうしたものか先生に返答を委ねると困ったような表情をしていた。
「…そうですね
もし…一時間程留守を頼んでもよろしかったら、買出しに行かせてもらいたいと思います」
「ええ、構いません
あ、もし重たいものがあれば自分が買い物に行きます」
「…そういえば、らいはちゃんから面白いことを聞きました」
「え、らいはから?」
なぜだ。なぜこのタイミングで先生から怒気が、あの鬼の鉄化面のオーラが滲み出ているんだ。さっきは明らかに申し訳なさそうな、腰の低い態度だったのに。
「私はまだ20代です」
「え、マジすか――ぐおおお!!」
「少し心配になったからって倒れるほど貧弱な体はしてません
これでも五人の子を産んだ母ですよ」
「そうでした…」
どうやら風太郎のいらぬお節介は妹から漏れていたようだ。ただのお節介なら良かっただろう。年のことまできっちり喋ったようだ。おのれらいは。
げんこつの制裁をくらってしまった。たんこぶができるんじゃないかと思うほど痛い。今までくらったもの中で一番痛いのは気のせいだろうか。
恐る恐る近寄ってきた二乃が風太郎の頭を抱えて撫でた。気持ちは嬉しいがおまえの背丈だと首が曲がって関節技が極まってしまう。嫌な音が鳴ってるから待て。
三玖が対抗しようと反対側から掴もうとしてくるが止めた。これ以上は本当に首を痛める。すると怒った三玖が二乃を退けてくれた。助かるが喧嘩はやめろよ。
先生は四葉と五月を連れて買出しに出た。留守を引き受けた風太郎は一花の面倒を看ることにする。
ありがとう、と笑う一花に適当に布団をかけなおしてやる。頼れと言ったのは風太郎だ。ここで断れば一花は頼らなくなるだろう。精一杯看病してやろう。
「はい、おちゃ」
「ああ…ありがとな」
「すいぶんほきゅうはだいじよ」
「それは病人に言ってやれ
一花、お茶飲むか?」
「おちゃより…ももがいい」
「…桃なんてあるのか?」
「…おかしづくりに…かったのが」
「ちょっと三玖!」
今度のお菓子作りで使う為に買ったものがあるのだろう。三玖の告げ口に二乃が抗議するが病人優先だ。
ダメったらダメと必死に止める二乃にデコピンしてやる。意地悪する子のお菓子はおいしくない。そう言うと渋々諦めた。
「三玖ー」
「なに、一花」
「もってきてほしいものがあるのー」
「?」
桃を切って一花にあげたが起き上がるのがしんどいらしい。さっきは風太郎を止めるために俊敏に動いていたが無理をしていたのだろう。
「なんか…うそっぽい…」
「けほっけほっ
へんなこといわないでよ三玖」
「だんだんと悪化してるのかもな」
「そうなの?」
「ああ…ほら、一花
起こすぞ」
一花の肩に手を回して起こす。だいぶ汗をかいていた。額に置いていた濡れタオルを取るともう温くなってしまったようだ。
「うぅ…ふらふらするかも」
「はいよ」
風太郎は座る位置を変えて一花の後ろに回った。ちょうど右半身で背もたれになるように。一花がすっぽりと収まると本人は恥ずかしそうにしていた。
右手で器を持って、左手のフォークを一花の口元に持っていく。一口サイズに切った桃をぱくりと口にした。
「おいひい」
「そうか」
「えへへ」
「おまえらも一口食うか、フォーク持ってこいよ」
風太郎のお誘いに二乃と三玖は台所からフォークを一つずつ持ってきた。風太郎は桃が入った器を渡すが二人してフォークを渡してきた。そのまま桃に釣られちまえばよかったのに。
仕方なくフォークを受け取って二乃と三玖の口に食べさせた。それを見ていた一花はご立腹だった。桃を食べさせてご機嫌を取るが難しいようだ。平らげてもへそを曲げていた。
食べ終えた一花を寝かせると風太郎の服の袖を引っ張られる。次は何だ。
「あせ…ふきたい」
「そうだな…二乃、三玖、パジャマ持ってきてくれ
俺はお湯を用意するから」
「タオルだけでいいよ?」
「遠慮するな」
寄りかかられて分かったが汗でだいぶ冷えていた。タオルで拭くだけでもいいが、一度温かいタオルでしっかり汗を拭いたほうがいいだろう。
二乃と三玖も姉の看病を手伝い、すんなりと着替えも済ませた。一花も汗を拭けたことですっきりしたようだ。
一段落したところで手が空いた。二乃と三玖はテレビを見て大人しくしているから自習でもしようと教科書を引っ張り出した。
「ふーたろーくん、ひどい」
「何でだ」
「わたしのかんびょう、してるのに」
「テレビ見づらいか?」
「みない」
「こっち見たって何もないぞ
遊びたいとか言うなよ?
風邪をひいたおまえが悪い」
「…」
何かあれば呼んでくれていい。こうして隣にいるから。そう伝えようとすると一花は布団に潜ってしまった。怒らせてしまったか?
しかし、何か布団が揺れているような。布団の中から嗚咽が聞こえるような。
「…おい、一花?」
「わたしのことなんて、どうでもいいんだ…ひぐっ」
「お、おい、何もそんなことは言ってないぞ」
「う、っ…ふーたろーくんにめいわくかけたから、きらわれちゃう…ぐすっ」
「わ、悪かった一花
こっち向いてくれ」
「うぅ…つめたくていたい」
「冷たい?
ごめんな一花」
「あたまつめたい…」
「そっちかよっ」
「あたまなでて、あたためて」
普段泣かない一花が泣いている。精々怒られた時ぐらいだ。その一花が風太郎に冷たくされて泣くなど余程のことだった。風太郎は焦った。
頭が冷えて痛いようで、タオルを取っては風太郎の手で温め、冷やして温めを繰り返す。こんなんで治るわけないだろう。
大人しく寝ていてほしかったがそうはいかないようだ。
「て、にぎって」
「寝ないとよくならないぞ…」
「…あと、おてあらい…いきたい」
「…それは早く言え」
寂しがり屋に振り回されてばかりだ。
「あやしい」
「なんかへん」
一花をトイレへ連れていくと居間でテレビを見ていた二人が睨んでいた。姉に冷たいなおまえら。
めったにない我侭だから許してやれ。そう宥めるが二人の疑いは深いらしい。
「一花はいつもわがまま」
「そうよ、いつもわたしたちのものとるもん!
おかあさんにおこられてるんだから」
「へー、意外だな」
以前、五月と画策して三玖の抹茶のムースを食われたが一時の過ちではないとのことだった。
「さいきんはフータローとろうとするもん」
「あんたのものじゃないでしょ」
「二乃はいちばんあとだったのに」
「だから、あんたもさいごのほうでしょ」
「わたしがいちばんだよ!」
「あんたよんばんめじゃん!」
「順番なんてどうでもいいぞ」
「いちばんはわたしだもんね」
トイレの前で騒いでいると一花が出てきた。丸聞こえだよな。どうするんだおまえら、告げ口はばれてるぞ。
「なんで一花がいちばんなの」
「だって、わたしがいちばんさいしょに、ふーたろーくんとあそんだもん、ね?」
「そうだな、おまえら母親に引っ付いて睨んでたな」
「ふ、フータロー…ちがうもん!
にらんでないよ!きらいじゃないもん!」
「分かってるよ、でも最初から好きだったわけじゃないだろ
それでいいんだよ」
「うぅ…いちばんはわたしだもん」
「だから、いちばんはわたし」
「というか一花はひとのものとるな!
このまえも、四葉のシールかってにつかったでしょ!」
「あ、あれは…いらないのかなって」
「喧嘩は風邪治った後にしろ
一花ももう寝ろ」
こんな時にまで姉妹喧嘩されては困る。一花の背を押してやると振り返って睨まれた。三玖と結んでいる手を見て。
「やっぱ…わたしより三玖がいいんだ…ぐすっ」
「そうじゃない…ああもう、分かった、悪かった
一番最初に仲良くなったのはおまえだ、それぐらいちゃんと覚えてるぞ」
「うん…」
「「あーっ!?」」
「え、あ、やばっ」
また泣き出しそうな一花を抱きしめて事実を伝えてやると背後から二人の悲鳴が聞こえた。
振り返ると二乃と三玖が揃って何かを指差していた。一花の手を。何なのか確認しようとすると一花が離れて逃げ出した。おい病人。
二乃と三玖が一花を走って追う。三玖が今までに見たことのない早さと、犬猿の中の二乃と素晴らしい連携を見せて一花を捕まえた。こんなところで成長を見せ付けるな。
「やー!ゆるしてー!」
「ふつーそこまでする!?」
「すっごいへってる!」
一花から奪ったのは目薬だった。
「…」
つまり今まで見てきた大粒の涙は全て演技だったようだ。やってくれたなお姉ちゃん。
「おまえは人の純情ってものを知らんのか」
「あいたたたっ!」
「やけに涙脆いと思ったらよ
どこで知ったんだ、答えろ」
「て、テレビで…」
「おまえテレビ禁止」
「だってだって!」
演技派長女の頭を両側からグリグリと拷問にかけてやる。無駄に動揺させられたじゃねえか。子供だと嘗めていた。
拷問を済ませ、担いで布団に連行した。もうおまえトイレ以外で起きるな。
「だって…はぁ…けほっこほっ!えほっ!」
「…うそ?」
「あんだけ走ったらそうなる
ほら、お茶飲め
喉の殺菌効果もあるんだぞ」
冷たいままでは喉を痛めるだろう。温めなおしたお茶を飲ませてやった。ストローを使って少しずつ飲んでくれた。
額に手を当てると明らかに先程より熱い。二乃と三玖にタオルをいくつか用意してもらった。
走り回ってかいた汗をふいてやり、首もとにタオルを巻いてやった。喉や首を冷やすのは宜しくない。
湿度が低い日ではないが塗らしたタオルをハンガーにかけた。加湿器代わりだ。
一花の両脇には恨みを募らせた二乃と三玖が座っていた。とりあえず病人だから許してやれ。
それに本当は辛いのだろう。多少明るく振舞っているがそれが悪いものではないはずだ。母親についた嘘もお姉ちゃんなりの意地だ。薬は嫌いだろうけれど。
冷たいタオルを一花の額に置いてやる。ひんやりして気持ち良いようだ。
少し話をしよう。二乃と三玖に少し離れるように伝えると二人は離れて、大人しくテレビを見始めた。
「だんだんと評価が下がってきているぞお姉ちゃん
今じゃ四葉より下だ、つまり最下位だ
一番上から一番下に落ちるとは恐れ入るぜ」
「いちばんうえだったんだ…けほっ」
「そんな嘘なんてつかないで、普通に甘えればいいんだよ
三玖を見習え」
「…だって…こほっ
…はぁ…ふーたろーくん、いっちゃうんだもん…」
「ん?」
「…ずるしないと、三玖のところ、いっちゃうから」
本音だろうか。恥ずかしそうに布団の中に隠れてしまった。
風邪をひくと寂しさから甘えん坊になる子がいる。らいはがそれだ。しかし風太郎には分からないものだった。
風太郎も風邪をひいたことがある。だが特別普通だった。寂しいと思ったことはないし、早く完治しようと布団で大人しく寝ていた。
しかし。いつも玄関のほうを眺めていたような気がする。
「疲れた、俺も少し休むわ」
「…?」
「おまえが寝るまでいてやるよ」
「ほんと?」
風太郎が横になると、布団から目元だけ除かせてこっちを見てくる。可愛いことできるんだから遠周りをしなくていいのにな。
「俺も寝ちまうかもな」
「こほっ
じゃ、じゃあいっぱいおはなししよ?
ふーたろーくんはかぜひいたことある?」
「あるぜ、馬鹿は風邪ひかないっていうしな」
「それいみちがうんだよー」
「ほう、なら言ってみろ」
眠る気などないのだろう。顔を出してこっちを向いて話題を振ってくる。なんてことのない子供のおしゃべりだ。
だが子供にとってそれが全てだろう。風太郎が帰るか帰らないかで一喜一憂していた一花は今笑っていた。
「それでね……えっとね
えっと…」
「寝ていいんだぞ」
「ねたら…いっちゃう」
そうは言うがもう目がとろんと閉じかけている。その目元を風太郎の手で覆ってやった。お休み。
しばらくして一花の呼吸が一定したものになった。手を離すと寝てしまったようだ。
まったく、どうしようもない子だ。器用な子かと思ったら…一番不器用な子だった。
「あそんで」
「おい、隣で病人が寝てるぞ」
「うん、だからおそと」
「やめなさいよ、うえすぎがこまるでしょ」
もう既に17時を回っているのだが。一花が眠った後、適当に洗濯物をたたむのを手伝うかと思ったら三玖がせがんできたのだ。
「二乃はいいの?」
「べつに…
またこんしゅう、おかしつくるからいいもん
つぎはロールケーキだもん」
「あまいのばっか…
二乃ばっかりずるい」
そういえば土曜にロールケーキを作る予定だった。また当日ケーキ屋で生地を焼かせてもらうんだった。軽く引き受けたものだが思いのほか長く続いている。求められる労働力が高すぎる…
「ねえ、おそと」
「おまえ、運動音痴のくせに
母親が戻ってきてないだろ、帰ってきたらもう真っ暗だ
やめておけ」
「ただいま戻りました」
「…」
「…どうかしましたか?」
狙ってやってきたのか。ちょうど玄関のドアが開くと母親が帰ってきた。四葉と五月もビニール袋を持ってはしゃいでいる。お菓子を買ってもらったな。
「かえってきたよ!いこ!
ねえフータロー!いこうよ!」
なんつうハイテンション。三玖が目を輝かせて手を引っ張って玄関まで連行される。
「おい二乃」
「…もう、いってあげたら?」
「もう暗くなるぞ」
「だって…それとめたらわたしがにらまれるもん」
「うん」
「自重しやがれ」
結局少しだけ遊ぶことになった。先生からも是非お願いしたいと言われてしまった。もう17時過ぎてるってのに…
大喜びの三玖と手を繋いで再びあの公園へ向かった。
「つかれないのがいい」
「おまえ、公園まで来てそれかよ」
既に日暮れ。夕焼けでオレンジ色に染まる公園にやってきたが三玖の縛りが不毛だった。ここまで来るのに時間かかるんだぞ。
既に公園で遊んでいた子供たちが帰り、静かなものだった。
仕方なく疲れない遊び、だるまさんが転んだをすることになった。鬼は風太郎だ。
「はじめのい…ぽ」
その一歩ですらよたよたしていて危なっかしい。可愛らしくもあるが。なんにせよ怪我はしないでくれ。
だるまさんが転んだ、とゆっくり数えて振り向く。うむ、あまり距離は縮まっていない。これが四葉ならダッシュで器用に止まるのだ。舞台が違えばホラーゲームのキャラになれる逸材だ。
二度目のだるまさんが転んだ、を唱えて振り向く。ちょうど三玖は片足で立っている状況だった。
「…」
「…
…
…~
ふ、ふたろ…ふーたろー」
じっと見ているとぷるぷると足が震えているのが分かる。限界が近いようで風太郎を呼んでいる。
20秒はもたなかったか。足をついてこっちまで走ってきた。
「いじわる…」
「もう少し頑張れよ」
「がんばった」
「もっかいやるか?」
「あし…つかれた
もっとかんたんなのがいい」
「簡単ね…」
ただ突っ立ってるだけでもダメなら何があるんだ。二人で遊ぶにも限度がある。日も暮れてじきに暗くなるだろう。
「んー、じゃあ…そうだな
影送りでもしてみるか」
「かげおくり…?
なにそれ」
小学校の教科書で知った遊びだ。風太郎は昔やったことがあった。夕方のこの時間を考えればあまり適していないかもしれないが、影はくっきり出ているし大丈夫だろう。
「貧乏で何も用意してなくてもできる
一人でもできる」
「ひとりでやってたの…?」
「その言い方は寂しい奴だと言いたいのか
一人じゃねえよ……母さんとだけど」
授業参観の帰りだったか。ちょうどその授業が国語の授業で、影送りを題材にした悲しい話だった。
感動する話で有名だった。当時の先生も細かく話してくれてよく覚えている。それもあってその帰り道、母親と試したんだ。
「フータローのおかあさん…あってみたい」
「…また今度な」
「それやりたい
どうやるの?」
「じゃあ…手を繋ぐぞ」
「!
うん、きにいった」
「まだ終わってねえぞ」
三玖と手を繋いで、影を正面にして立つ。小さな影と大きな影が手を結んでいる。
夕暮れなのもあってその影は長い。成功するだろうか。まだ影がくっきりと出ているうちにやってしまおう。
「じゃあ三玖…10秒…いや15秒だな
この二つの影をじーと見るんだ」
「見るの?」
「ああ、できれば瞬きしないでな
数えたら、空を見るんだ」
「?
わかった」
わかってないな。とりあえず風太郎の真似をしてもらおう。
二人で黙って影を見つめる。少し懐かしい気分だ。
15秒経った。三玖と一緒に空を見上げた。
「…!
すごい!みえる!
あれ、うごいてる!
フータローみえるよ!みえた!?」
「…ああ、見えた
成功だな」
「あ、きえちゃった…」
懐かしい形だった。ちょうどあの時も夕暮れだったからこんなに長い影だった。
あの時のものより少し横にズレているけれど。手を繋いだ形はあの時と一緒だった。
そういえば…あの作品も、確か死んだ家族のもとへ影を送っていたな。また会うために。
まさか、自分が…母を亡くしてこんな気持ちでやるなんて、想像していなかったよな。
「…フータロー?」
「ああ…わるい」
「…」
三玖は何も言わず風太郎に寄り添って手を握ってきた。きつく。決して離さないように。
俺はいなくなったりしない。母さんもそう思っていたのかもしれない。
三玖の手を握って笑ってやる。
「帰るか
母さんが待ってるぞ」
「…うんっ」
「…あ、いや
ちょっと寄り道していこう」
「?
わかった」
母さんのことを思い出したらあるものが思い浮かんだ。
過度な干渉なのでは。以前、母親の代わりに一晩だけ五つ子の世話をした日に母の死に脅える五月と話をしてから自覚したのだ。
他人を受け入れてもろくな事はない。利用することと受け入れることは違う。形として、お互いに利用し合っている状況に近かったのだ。
だが最近は違う。中野先生は明らかに風太郎を頼る節が見える。もちろん頼られることは嬉しく思うが本来間違っていることなんだ。他人の、高校生に頼るなど。大人のほうがいい。
風太郎自身も、五つ子とその母親と接して、忘れていた母親を思い出させる。過去を振り返っても良いことなどないのにたまに引き摺られてしまう。
なにせ貧乏だった。妹が高校生になった時バイトなどさせたくない。悲しむ暇などない。勉強して、高校に入学してバイトして…ずっと忘れていた。
それが今になって時折思い出してしまうのは変だろう。自分を律していない状況にある。
そんな自分では再び先生の迷惑となるだろう。そしてその事実を拒もうとする先生の気持ちも容易に想像できる。今の関係が悪化するだろう。綱渡りなのは前から変わっていないのだ。
下手なことをすれば逆効果。だが何もしないでいるのは落ち着かないし、もはやそれが許される関係ではない。期待されてしまっている。それを裏切らない行動を風太郎は把握できていない。
気を遣うことがこんなに難しいとは思わなかった。幸せを望むだけで全て上手くいくほど風太郎は器用な人間ではなかった。先生の鉄拳の意味がよく分かる。
そんな風太郎でも、なぜかこれには自信があった。思い出したことがある。母が与えてくれた優しさなら自然と上手くいくような気がする。
影送りで見たあの影。母親と手を繋いだあの感覚が思い出される。
まるで背中を優しく押してくれたような。そんな気がした風太郎の手と胸は温かかった。
「なにつくってるんですか?」
「葛湯だ」
「く、くずゆ?
くずゆってなーにー?」
恐らく飲んだことないのだろう。四葉が母親に尋ねている。隣を陣取る三玖も面白そうに眺めていた。
風太郎も普段絶対に買わないものだ。そもそも買ったことがない。スーパーの安物でも昼食二回分の出費。貧乏人には縁遠いものだった。余った分はらいはが寝込んだ時に使おう。
らいはにも良い土産話になるはずだ。風太郎が風邪で寝込んだ時たまに作ってくれたものだ。親父にも聞いてみよう。
「みかんの葛湯ですか…確かに風邪に効きそうですね」
「ええ、まあ…初めてなんですがね
先生のアドバイスがなきゃ失敗してましたよ」
「温度が大切ですからね、でも失敗しても温めなおせば大丈夫ですよ」
「みかん、いいなー」
「ほらよ」
「わーい、あむ」
みかんが好きな四葉に余ったものを口に放り込んでやる。
先生は隣のコンロを使って一花の夕食の卵粥を作っていた。こちらも良い匂いで五月は食べられないと知って母親から離れている。おまえのはもっと豪華な夕飯があるぞ。
質素でも見れば食べたくなる気持ちは分かるが。
「…味見しますか?」
「いや…そんな欲しいと思ったわけじゃないんで」
「じっと見られても困ります」
「すみません」
旨そうだが五月じゃないんだ。みかんを煮込んだ鍋に集中するとしよう。
その五月だが一花の隣に座ってこちらを嬉しそうに見ていた。何なんだ。
「なんかいいなーって」
「おまえも飲むか?」
「いただきます!
でも…そうじゃなくて…
二乃はわかる?」
「…だからうえすぎが、おとうさんなんていや」
よく分からない。二乃までも何かに反応しているようだ。先生もよく分からないようだ。
こうしてコンロの前で隣並んでいるのは確かに変だがな。先生には四葉が。風太郎には三玖がしがみついている。
「味見なら先生がしてくださいよ」
「匂いからして美味しいと思うのですが…」
「俺はこれで風邪を治しましたよ
先生も一花の看病で移ったら大変でしょう」
五月の視線を感じたのか、先生は溜め息をついた。あの視線はきついな。息を止めているんじゃないか。
器に少し注いで渡すと先生はそれを口にした。美味しいですと太鼓判を貰った。一安心だ。
「風邪をひいたら上杉君に作ってもらいましょうか」
「いいですよ、その時は呼んでください」
「わたしのときもつくってー
みかんすきだもん」
「ああ…」
「フータロー、うれしそう」
「上杉君のお母さんが褒められて嬉しいのでしょうね」
「か、からかわないでくれませんか…」
出来上がったみかんの葛湯をコップに注いで少し冷ます。ちょうど飲みやすくなってから一花の下へ向かった。逃げたわけじゃない。
「わ、あまずっぱい
おいしい!」
「もっと甘いほうがいいか?」
「ううん!おいしいよ!」
「す、すこしいいですかっ」
「風邪移っても知らないぞ
後でやるから待ってろ」
「あまいのか…」
好評なようで安心した。母親の笑顔も守れたようでどこか嬉しかった。やっぱりおいしいよなこれ。
甘いものが苦手な三玖は残念そうに辞退した。抹茶の葛湯とかあるから今度作ってやるか。たまにだが。出費が痛い。
葛湯を飲み終えるとちょうど先生がお粥を完成させて持ってきた。風太郎は一花の隣を譲った。
「一花、食べられそうですか?」
「うん、おなかすいた」
「…じゃあ…
はい」
お粥をレンゲで掬って一花の口元へ寄せる。先生が息を吹きかけて冷ましたから食べられるだろう。
「は、はずかしいからいいよ」
「む、一花、お昼は食べたのになぜですか
上杉君には甘えて母親にはできないのですか」
「だってみんなみてるよ!」
確かに子供四人も、風太郎も恥ずかしそうにしている一花を見ていた。
「みないでよ、もー」
「うそなき」
「ぶりっかえしたあんたがわるいのよ」
「諦めて食え」
甘えられる時は甘えてしまえ。される側は分からないだろうが、看病する側も案外楽しいのだ。お礼を言って、喜んでくれるのなら尚更。
恥ずかしそうに口を開けて母親に食べさせてもらう一花を見ながら、風太郎はこの温かく少し懐かしい一時を過ごした。