五等分の園児   作:まんまる小生

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五等分の園児その5 夏休み

 病は気から、そんな言葉がある。気持ちの持ちようで治りもすれば悪化するという意味だ。

 

 根拠のない世迷言かと思えばそうではない。気血水という古い理論から取り入られた言葉のようだ。

 

 言葉の中の気とは、気血水の気。体の中を巡っているエネルギーらしい。オカルトかと気が失せたのを覚えている。

 

 医者になるつもりはないが、風太郎はそのようなことを述べていた本を見たことがある。漢方医学では人体をこれで現しているとか。

 

 興味はなかったのだが、今を思えばもう少し調べておくべきだった。

 

 数日機嫌が良さそうに見える人間が、病を完治した、または軽くなったと見ていいのだろうか。

 

 頃合を探っていた風太郎は重い口を開いた。

 

 

 

「薬、飲んでるんですか」

 

 

 

 風太郎が顔色を窺う相手、恩師である中野先生にとうとう尋ねてしまった。

 

 声がか細くて聞こえなかったのかもしれない。風太郎の気の持ちようを現しているような、そんな声音だった。

 

 ここは普段見慣れている風太郎のバイト先のケーキ屋ではない。

 

 あそこは顔見知りがいるし、学生や知り合いに聞かれたくない話題だったから少し離れたカフェを選んだのだ。

 

 先生は驚かず目を伏せた。

 

 何か考えを巡らせ、鞄からポーチを取り出して…中から一つ手に取って見せてくれた。

 

 

 

「今日、話を持ちかけられるのではと思っていました」

 

「こんな場所で、不躾ですみません」

 

「ただの睡眠薬です、市販の」

 

 

 

 その言葉に少し気が晴れた。優しい嘘かもしれないのにただ安堵してしまった。睡眠薬だとしても問題はあるのだ。なのに。

 

 先生を見やると少し笑っていた。何か見透かされているような気分になった風太郎は焦った。

 

 

 

「症状を話せば、貴方が想像しているものに近いのかもしれません」

 

「それって、つまり」

 

「…一度、精神科にかかると記録に残るので避けていました

 保険などのことも考えて掛かるのはやめてます」

 

 

 

 医者には行っていない。それもそれで心の負担になるのではと思うが口にはしないでおく。

 

 鬱病、過労などの不穏なワードはまだ頭に媚びりついている。

 

 浮かない顔をする生徒を前にして、先生は優しく笑いかけて説明する。

 

 自然と焦りは抱かずに聞き入ることはできた。だからその顔は反則なんだ…

 

 恐らく風太郎を心配させまいと見せてくれているのだろう。大人は卑怯だ。

 

 

 

「本当に眠れない日はありますので、そのために飲んでいました

 一時期やめていたのです

 眠れるようになったので」

 

「…いやだったら…何で今更」

 

「上杉君には嘘をついていました」

 

 

 

 一つ頭を下げて先生は続けた。

 

 

 

「あの時、私に代わって子供たちを看てくれないか頼んだ日を覚えていますか

 実は旦那の話は…その日ではなく二週間程前から催促されていたものだったのです」

 

「火急にとか、そんな話でしたっけ

 まあ忙しい身ですし仕方ないでしょう」

 

「いえ、火急というのも嘘です

 私は…逃げていました

 義父と義母は私を解放するために待っていてくれました

 それに甘えて…怖くて先延ばしにしていました

 その時に何度か睡眠薬を飲んでいました…五月に見られてしまったのもその時です」

 

「…そうっすか」

 

 

 

 逃げていた。その言葉に見送った時に見た弱くて脆い背中を思い出した。あの時の心中は不安でいっぱいだったんだろうか。

 

 そんな不安を抱いている母親を見れば五月も察するだろう。繊細な子だ。あの子まで不安定になってしまった。泊まっていって話ができて良かった。

 

 しかし、逃げていたというのは旦那のことだろうか。解放というのももしかして、と風太郎は嫌なものを思い浮かんでしまった。

 

 

 

「結果から先に伝えます

 私は手続きを終えて既に離婚しております」

 

「…」

 

「あの人にはもう別の女性がいました」

 

 

 

 ああ、やっぱり。風太郎は他人事のように捉えてしまった。何か特別な事情があって消えたのか、借金を抱えて一人で済ませようとしたのか考えもしたが違った。

 

 何度か心配していた。先生の気持ちもそうだが、子供たちは父親を求めている節があった。父親がいないことに何も思わないわけがない。

 

 なのに実際聞いたら空虚なものだった。目の前に座るこの人が吹っ切れたような顔をしているからだろうか。

 

 ふと疑問に思った。中野の性は変わらないのだろうか、変わったら離婚したことはすぐに学校に知り渡るような。直接問う必要はないか。

 

 

 

「どうしましたか?」

 

「え? ああ…いえ」

 

「気を遣わなくても構いません」

 

「気を遣うというか、心配ではあります

 結局、病気にかかっているのは変わらないんすよね」

 

「?

 ああ…いえ…

 そうですね」

 

「…なんすか」

 

 

 

 何なんだ。何か変なことを言ったか。旦那のことで悩んで鬱気味になったんじゃないのか。戻ってくる期待もあったから悩んでいたんじゃないのか。

 

 なのに先生は不思議そうに風太郎を見て、何か考え始めた。なぜだ、何か良からぬことを考えていると勘ぐってしまう。

 

 

 

「意地悪な質問をしましょう

 なぜ、心配なのでしょうか」

 

「…え?」

 

「なぜ上杉君が心配に思うのでしょうか」

 

「いや、迷惑だったら――」

 

「迷惑ではありませんよ

 ですが、知っておきたいのです」

 

 

 

 心配なんて当たり前だ。子供を一人で育てることになったのだ。しかも五人だ。来年は小学校も行くはずだ。このまま病と戦っていては子供たちに露呈して不安に陥る。

 

 それは先生も望んでいないのは分かりきっている。不甲斐ない親だと自分を責めないか心配になるだろう。

 

 しかし意地悪な質問と言っていた。自分の恥部を餌に意地悪な質問などしないだろう。少し変だった。

 

 それは動機を尋ねているのだろうか。回りくどい話だ。確かに意地悪な質問だ。悩んだ末に気づいた風太郎に本人は笑っていた。お見通しってか。

 

 二人の関係は参考書と子供の面倒の物々交換という冷めたものだ。しかしこれは後から見つけて取り入れたものだ。自分を正当化させるために。理由を作るために。

 

 今問われているのはこれまでの風太郎と教師ではない中野零奈との関係の根源だ。言えというのかこの人は。半分ぐらいは知られているはずだ。意地の悪い人だ。

 

 嘘などつけない。つく必要もない。だがされっぱなしは嫌なんだ。こっちもそれなりの意地悪を頭に置いてやる。

 

 

 

「先生にとって、俺が単なる生徒で

 あの子たちと似たような、子供として見てるのなら良い区切りっすね」

 

「そ、そのようなつもりは…」

 

「あんたを尊敬している、俺の憧れなんだ」

 

「…」

 

「あんたは俺に道標を作ってくれた、助けてくれただろ

 借りとかじゃない、俺は俺がなりたいもののために行動している

 

 なんでもいい、子供と幸せになってくれ

 そのために俺にできることが、俺にしかできないことがあるのなら協力する

 以上です」

 

 

 

 恩もある、義理もある。だがそんなもの見向きもしないのが俺だ。他人なんて面倒で嫌いだ。

 

 勉強ができて下の者を見下していた。自分を見下してくる奴には鼻で笑っていた。生きる苦労を知らない贅沢な奴らが嫌いだった。

 

 そんな自分を正してくれたのはあんただ。努力に泥を塗ってはいけないと。きつく握った手を一度緩めろと言ったな。その手を握ってきたのはあんただ。

 

 俺はあんたに二度救われている。感謝しているのに、そんなに苦しんでるなんて傲慢だ。頼っていい人はもっといるはずだ。自分はしないなんて卑怯だ。

 

 目標となったからにはそれなりに上にいてくれ。見上げさせてほしい。助けを求めず勝手にいなくなったら許さないぜ。

 

 子供の俺にできることは限られている。だがその我慢しようとする傲慢は捨てるべきだ。子供のためにも。なんでもいいからなんとかしてくれ。

 

 なんとかするために必要なら、最後まで付き合ってやる。それに至る人間になってみせる。

 

 

 

「…上杉君

 貴方から施しを受けてばかりではあの子たちの親として…貴方の教師としても…面目が立ちません」

 

「…無理強いはしない」

 

「いいえ

 ですから――」

 

 

 

 この日。明確な区切りを言い渡された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7月下旬。終了式を終えたのが数日前のこの日、風太郎は来月の予定を考えていた。ケーキ屋のシフトのことだ。

 

 今はケーキ屋のバイトの休憩中で控え室で休んでいるのだが、来月のシフトが完成していたから確認したのだ。

 

 少ない。夏休みとなる8月は稼ぎ時なんだ。なのにいくらフルで入れてもやはり休日が目立つ。バイトを二つ掛け持ちするのも考えていたがやめた。

 

 バイトを二つとなればこれから探すことになる。だが当然9月、二学期以降も働くというのが採用の前提が多い。

 

 去年は掛け持ちなど当然のことだったが、今は中野家のこともある。バイトを二つ入れれば毎日放課後はバイト、休日は土日両方出勤だ。会う時間はない。

 

 ケーキ屋のほうで多く稼ぎたかったが望みは薄い。日雇いを探すしかないか。

 

 

 

「ごめん上杉君、お客さん」

 

「…え、もしかして混んできましたか?

 いきます」

 

「ああ、そうじゃないよ

 上杉君に、お客さん」

 

 

 

 店長に呼び出されたが要領を得ない。理解できなかったが風太郎はエプロンを結んでホールへ戻った。とりあえず案内か?

 

 いらっしゃいませ、と来店の対応をすると既視感を感じた。鉄仮面の目で見られるとぎょっとしてしまう。

 

 

 

「中野先生!?」

 

「六人です」

 

「あ、はい

 …」

 

 

 

 以前も同じやりとりをした気がするが明白にここからは違った。先生を見ているのだが左足に何か引っ付いている。通り口のほうだ。

 

 

 

「フータロー…!

 あ、あいたかった、あいたかったよフータロー…ッ!

 ふぅたろぉお…あぁあああっ…!」

 

「ふーたろーくん、ひさしぶり!

 げんきしてた?もうつまんかったよー!なんでこなかったのー!

 やくそくしたのにわすれたのー?ダメだなーふーたろーくん

 ふへぁ、おーぼー!」

 

「…ばか、ばかばかばかっ」

 

 

 

 多かった。三玖だけかと思って下を向いたら三人引っ付いていた。何なんだおまえら、歩けないんだが。確かに終了式を終えて夏休みに入ってから会ってないんだが。

 

 そういえば一週間程会わなかっただけで三玖が泣いていたな。今回は二週間弱。前は泣きついてきたが今回は号泣していた。膝を着いて抱きしめるしかなかった。

 

 一花は楽しそうにはしゃいでいた。テンション高すぎてネジが吹っ飛んでないか。約束とは以前雨の中で話した奴か。約束を破った奴に文句を言われたくない。頬を引っ張ってやった。

 

 二乃には罵られながら足を蹴られていた。膝をつくと三玖と並んで黙って寄って来た。本当にどうしようもない子だ。生意気なその頭を乱暴に撫でてやった。

 

 

 

「うえすぎさーん!ケーキですよケーキ!

 みかんのケーキです!」

 

「ケーキです!」

 

「おい待て、もう無理だ

 ぐおおおおっ」

 

「ひさしぶりのうえすぎさんだ!

 いきますよー!」

 

「え、えいっ!」

 

「もう帰れおまえら…」

 

 

 

 遊具だと勘違いしていないか。四葉と五月まで関係者以外通らない通り口を通って突っ込んできた。五人に寄りかかられて後ろの壁に倒れてしまった。ブラックリストに載せるぞ。

 

 立ち上がって三玖だけは抱えてやる。泣き止みそうになく風太郎の首にしがみついてしまっていた。頬に擦りついてくるとヘッドホンが当たって痛い。

 

 

 

「人気者ですね」

 

「おたくの子、甘やかし過ぎなのでは」

 

「…私が厳しいから貴方に逃げるのでは」

 

「すみませんでした」

 

 

 

 洒落たことを言ってくれたので正直に文句を言ってやったら指摘されてしまった。泣いている子がいたら慰めるだろう。高校生の風太郎には正解は分からなかった。

 

 周りの視線が痛いが果たしてクレームになっていないのだろうか。手早くテーブルに案内した。そういえば休憩中だったがいいのだろうか。

 

 風太郎は6人から注文を確認して店長に知らせた。休憩中だから良ければ一緒したらどうかと。先生が風太郎に用があるとは限らないのに。子供たちにかまってやれと言いたいのか。

 

 とりあえず私服に着替えてケーキを運ぶことにする。店長がサムズアップしているから気づいた。五人の子供たちのケーキには動物のデコレーションをしたチョコプレートが載っている。

 

 あんたがロリコンだろう。手間かけやがって。メニューに取り入れてみやがれ、絶対に嫌がるだろあんた。店長の計らいに頭を下げてテーブルに持っていった。

 

 

 

「ふーたろー!こっち!」

 

「こっちですよー!」

 

「ケーキ!」

 

「静かに待てないのかおまえら」

 

 

 

 テーブルから出ている三人が呼んでいた。恥ずかしいからやめてほしい。

 

 テーブルに注文したケーキを置いていく。既に飲み物は配り終えていたようだ。こっちこっちと勧める三玖の隣に座った。七人でこのテーブルは狭いが子供が五人なら座れるものだった。

 

 風太郎が座るとスタッフが麦茶を持ってきてくれた。お礼を言う前にそそくさ行ってしまった。めっちゃ気を遣われている…

 

 

 

「すみません、お仕事中に

 良かったのでしょうか」

 

「休憩中です

 というか、見計らって来たんじゃないすか」

 

「忙しくない時間を考慮しましたが、お話する機会がほしかったので

 あと、子供たちが限界のようでしたし」

 

「甘えすぎでしょう」

 

「すみません」

 

「おかーさんはわるくない!

 チョープッ!」

 

「おかあさんをいじめないでください!」

 

「そうよ、あんたがこないのがわるいのよ」

 

「わかったわかった、悪かったから

 話が進まんから静かに食ってろ」

 

「うわー!リボンがー!」

 

 

 

 頭を下げる母親を守ろうと子供たちが抗議してきた。四葉はソファから降りて風太郎にチョップしようとしたが生意気なリボンを解いて投げると戻っていった。次からこうしよう。

 

 

 

「一度実家に帰ります」

 

「そうっすか、ゆっくりしてください」

 

「…父に話したいこともあるので」

 

 

 

 旦那のことか。あまり気は進まないだろうが仕方ない。父親がどんな人かは知らないがあまり時間が空くと話しづらくなるだろう。良い機会だと思った。

 

 教えに来てくれるなんて律儀だな。と風太郎は麦茶を飲んでいると子供たちが黙っているのが気になった。黙って食えと言ったが何かが違う。

 

 

 

「…フータローもきて」

 

「行かねえよ、仕事がある

 なんだ、嫌なのかおまえら」

 

「いやっていうか…その

 なにもないんだもん」

 

「つまんない

 うみあるのにあそんじゃダメなんだってさ」

 

「嘘をつかないでください

 貴方たちは毎回探検と言って旅館を走り回っているでしょう」

 

「おこられるからやらないよ!」

 

「そう言って毎回やるでしょう」

 

 

 

 母親に睨まれる一花が冷や汗をかいている。汚名返上は長く険しいぞお姉ちゃん。だが二乃も楽しみではないようで不満がありそうだ。遊びに行くわけではないようだ。

 

 旅館と言っていたが実家がそうなのか。あまり聞くと面倒そうに思って風太郎は黙っていることにした。

 

 

 

「うえすぎくんはごあいさつするべきです!」

 

「…誰に、何の」

 

「おじいちゃんに、けっこんの――あ、ダメです、やめてください!

 ごめんなさい!ケーキ!ケーキだけはやっ!あーーーっ!!」

 

「チョコはもらっていく、しつこいと嫌われることを身をもって知るがいい」

 

「ちょ、ちょこがぁ…わたしのちょこが…」

 

「わたしのあげる…」

 

「三玖っ!」

 

「でもフータローこまらせたらダメ

 もうしないってやくそく」

 

「…」

 

 

 

 なぜ頷かない。三玖がチョコを譲っているのに首を縦に振らず横を向きやがった。頑固な奴だな!

 

 一度この誤解を解かないといけないようだ。だがその前に。風太郎はチョコを元の場所に戻して声をかけた。

 

 

 

「四葉、どうした」

 

「…」

 

 

 

 四葉だけ姉妹の中で反応がない。母親から祖父の家に行くと知ってからケーキを食べる手を止めている。顔色も悪いように見える。せっかくのケーキなのにそこまでのものか。

 

 

 

「父が…お爺ちゃんが苦手のようです」

 

「…

 人懐っこいこいつがダメなほど厳しいんですか」

 

「いいえ」

 

「…おまえ、悪さするから怒られてるんじゃないか?」

 

「ぎくり」

 

「ぎくりじゃねーよ、わかってんじゃねえか

 姉にひっついて監視されてろ」

 

 

 

 何かと思ったら自業自得だった。前例もあって風太郎は子供たちの不調に敏感になってしまっていた。嫌になるものだ。

 

 

 

 

「その一花があそぶからダメなんじゃん」

 

「一花がやらかすから」

 

「かえれなくなって、ばんごはんおそくなりました」

 

「いわないでってば!」

 

「誰も一花とは言ってねーだろ」

 

「みる!みます!おねえちゃんちゃんとみるから!」

 

 

 

 実家には厳しくて頼りになる父親がいるのだろう。孫を嫌っているわけでもなさそうだ。先生は気まずそうな四葉に言うことはないようだ。問題はなさそうだった。

 

 実家なら先生も余裕が持てるかもしれない。旦那のこと…いや元夫か。一度ゆっくり考えられる時間が必要だろう。

 

 あの話から気にかけていたが、父親を頼ると知って風太郎は安心した。つい顔が綻んでしまうほどに。

 

 麦茶を飲んで誤魔化そうとしたが、向かいに座る五月が睨んでいた。

 

 

 

「うえすぎくん、わらってます!」

 

「え、なによあんた!

 こっちはしんけんなのに、わらってんじゃないわよ!」

 

「ふーたろーくんひどいよ!

 がんばるのに、みるっていったのに!」

 

「フータロー…まもってあげたのに」

 

「いじわる!いじめっこだ!」

 

 

 

 五つ子から大いにバッシングされてしまった。我慢ならないのか四葉と五月が向かいのソファを降りて突撃してきた。隣に座る長女三人も好機と見て絡んでくる。遊ぶな。

 

 

 

「上杉君

 予定を確認したいのですが、いいでしょうか」

 

 

 

 いいも何もなぜ止めてくれないのか。涼しい顔をして手帳を取り出す教師に風太郎は子供たちを止めて戻るように伝えた。じゃれるのはいいが、家ではないのだから控えてほしい。

 

 手帳にはカレンダーが記されていた。先生が指で示した日は空いているのかと聞かれた。その日はバイトだ。

 

 

 

「夜までですか?」

 

「17時までですが、忙しかったら残りますね

 夏休みだと混む日もあるので」

 

「そうですか」

 

「…何かあるんですか?」

 

「いいえ

 ところで上杉君は…夏は好きですか?」

 

「?

 冬よりかは好きです」

 

 

 

 家で勉強する時、暑ければ脱げばいくらかマシになるが、寒い日は重ね着しても限界があるしボロい部屋だから隙間風で冷えるのだ。冬は辛い。らいはも親父も同意見らしい。

 

 

 

「休憩時間も終わりそうなんで失礼します」

 

「フータローいっちゃうの?」

 

「…みるっていったのに」

 

「分かってる、約束は破らねえよ一花

 たまに顔を出すよ、悪かったな」

 

 

 

 夏休みが始まるから下旬にバイトが集中していたのがまずかった。いじけている一花に謝っておく。なぜか手を伸ばしてきたから頭を撫でてやった。頑張れよお姉ちゃん。

 

 

 

「つぎのケーキつくりのはなし!

 いつするの!」

 

「ぜんぜん、うえすぎくんとはなしてないです」

 

「うえすぎさんとあそびたいです!」

 

「仕事だから後でな」

 

「フータローかえってこないもん」

 

「帰るってな…

 また明日でいいだろ」

 

「あしたもしごとでしょ」

 

「ぐっ…」

 

 

 

 中野家の住人ではないぞ。頻繁に出入りしていた時もあったし、泊まったこともあるが帰る場所ではない。

 

 そろそろいい加減母親に止めてもらいたい。諦観してもらっては困る。しかしその母親はなぜか少し笑っているようだった。笑える要素などないのだが、病完治してないんじゃないか?

 

 

 

「いえ、なんだかおかしくて…

 貴方達も上杉君が困っているのだからやめなさい、嫌われても知りませんよ」

 

 

 

 

 先生の言葉に大人しく従ったようだ。また会えるのだから急かさなくてもいいだろう。祖父の家に泊まりに行くんだったか、ならまた会えないか。風太郎はようやく悟った。

 

 いつ行くのかは正確には分からないが仕方ないだろう。戻ってきたら遊んでやろう。

 

 騒がしかったテーブルから離れると店長と出くわした。また見ていたな。その店長はなにやら見慣れないケーキをトレイに乗せていた。

 

 

 

「試作品なんだがね、良かったらあのお母さんに感想を聞いてほしいんだけど」

 

 

 

 ケーキを注文しなかった母親に気を利かせたのだろうか。他の客が知ったら面倒だろうに。風太郎は受け取らずに店長に告げた。

 

 

 

「子供たちへのケーキのプレゼント

 前からお礼を言いたいって言ってましたよ」

 

「ん?ああ…それはもういいんだよ

 そういえば、予定がどうの話していたね

 今なら一日くらいシフト調整できるよ」

 

「聞いてたのかよ」

 

「…

 それで、何日だい」

 

 

 

 ケーキは他のスタッフに渡して運んでもらうことになった。お礼を言いたがっていたのは本当なのにいいのだろうか。

 

 風太郎の盗み聞きの指摘はスルーされた。良い性格してるな本当に。その善意を無下にはできず素直に教えると店長は顔をしかめた。

 

 

 

「なんすか」

 

「ま、まあ仕方ないか…人を厚くしたかったけど…まあ」

 

「?」

 

「いいんじゃないですか店長、私その日残りますよ」

 

「…もしもの時はいいかい?」

 

「いいですよー

 よく分かりませんけど、あの子たちのことでしょう?」

 

「おそらくだけどね」

 

「…ん?…んん?」

 

 

 

 何がなんだか分からない風太郎だった。なぜ店長だけではなくホールのスタッフまで巻き込む話になっている。その日に何があるのかも知らないのに。

 

 

 

「どういうことです?

 つーか、あいつらのこと知ってるんですか?」

 

「たまに来るじゃない、あのお客さん

 上杉君がいない日もだけど

 ここのスタッフほとんど知ってるよ」

 

「マジすか」

 

「五つ子でお母さん一人なんでしょ、大変じゃん

 ちょっと賑やか過ぎる時あるけど、可愛いじゃない?

 上杉君もそう思うでしょ?」

 

「…まあ」

 

「たまに厨房に来て君を探しにくるから、厨房のスタッフも知ってるよ

 お母さんも大変だね」

 

「フータローどこー?とか

 うえすぎさん、かくれてるのはわかってますよー!とか」

 

「すみませんでした」

 

「お陰で知らない間にケーキが減って困っているよ」

 

「…餌付けするからくるんじゃ…」

 

 

 

 どうやら子供たちは風太郎の知らないところでケーキ屋に馴染んでいたらしい。スタッフもお人好しが多すぎる。他人のはずなのに無性に恥ずかしい思いをする風太郎だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中野先生とその子供たちは祖父の家に行ったようだ。らいはから教えられたことだ。相変わらず連絡を取り合っているようだ。おまえ小学生だろう。

 

 一週間程戻らないようで、その間は憂いなくバイトと勉強三昧の日々だった。日雇いのバイトも休みの日に入れて働いていた。去年と似たような日々で風太郎は少し懐かしく感じた。忙しい日々だった。

 

 しかし毎日思い浮かべていたのはあの五つ子と先生のことだった。借金返済の為に働いて、将来役に立つだろう勉学に勤しむ間は充実していた。だが、時折これでいいのだろうかと迷う時がある。

 

 それが何なのかは把握できていない。考えないようにしていても何かが纏わりついてくるのだ。今こうして自宅で勉強していてもそれは変わらない。

 

 

 

「お兄ちゃんって健気だね」

 

「は?」

 

「心配なんでしょ、中野さんたちのこと」

 

 

 

 台所で夕食を作っている妹が苦笑していた。心配って何のことだ。

 

 らいはは携帯をこちらにかざしてみせた。この距離じゃ読めるわけがない。

 

 

 

「先生からメールきたよ

 体調崩してないか、とか

 夏バテでご飯抜いてないか、だってさ」

 

「母親か」

 

 

 

 こっちのことなど忘れて気分転換していればいいのに、何を考えているんだか。

 

 ふと思った。もしかしたら、らいはが先生と親しいのはそういうことなのだろうか。母親を知らないらいはが先生に惹かれたのか。先生が母を知らぬらいはを気にかけているのか。

 

 知らぬ間に先生はらいはを助けてくれていたのかもしれない。だとしたら…

 

 

 

「お兄ちゃんも同じ」

 

「何がだ」

 

「考えてるの」

 

「…あっちは事情があんだよ」

 

「あ、そうだ

 何でまだ連絡先交換してないの、しっかりしてよお兄ちゃん」

 

「何で交換する必要がある

 用があるのなら会いに行けばいいだろう

 この前も先生はそうしたし、いらないだろ」

 

「そういうことじゃなーい!」

 

 

 

 携帯の件は仕方ないだろう。学校や生徒にバレて勘ぐられたりしたらどうするんだ。担任とか、学年主任とかだったら風太郎が進路で相談など理由を作れるが生憎学年は違う。ままならない関係だった。

 

 不便ではあるが割り切るしかない。間違いを起こす気はないが怪しまれるだけで問題になるのだ。風太郎は卒業しても、先生は長く学校に勤めるのだから。迷惑などかけたくなかった。

 

 自分に言い聞かせていると耳に何か硬いものが当たった。

 

 

 

「はい」

 

「あ?」

 

「うえすぎさーん!!」

 

 

 

 馬鹿でかい声が響いた。ついその音から逃げようと体を傾かせたが妹は何かを押し付けたままだった。拷問だろこれ。

 

 耳元に触れるとそれは携帯だった。らいはの携帯だろう。何でこんなことをするのか分からないが、礼儀がなっていない音源に向かって文句を言ってやろう。

 

 

 

「おまえを呪い殺す」

 

「なんでですか!?」

 

「でかい声出しやがって、鼓膜が破けたらどうするんだ」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 

 

 電話の相手は分かっていた。四葉だ。向こうは先生の携帯だろうか、恐らく近くに母親もいるのだろう。

 

 なぜ四葉と電話をすることになったのか。疑問に思うとあの時の不安に落ち込んだ四葉の顔を思い出した。怒られたのだろうか。

 

 

 

「で、どうしたんだ」

 

「お、おこってます?」

 

「…怒ってねえよ、どうしたんだ」

 

「…

 えへへ、うえすぎさん」

 

「ああ」

 

「うえすぎさん、うえすぎさん、うえすぎさーん!

 うえすぎさーん!」

 

 

 連呼するな。ノイズがするのだが、走り回ってるんじゃないか。なんにせよ耳障りだ。

 

 遠くから止まりなさい、と声が聞こえた。やはり母親もいるようだ。先生が勧めてこうなったのなら、四葉に何かあったのかもしれない。

 

 

 

「えへへ…おこられちゃいました」

 

「だから、どうしたんだって」

 

「えっと…えへへ」

 

「…嬉しそうじゃねーか」

 

 

 

 話は全く進まないが。

 

 

 

「だって、おでんわしてるもん!」

 

「なんだよ、暇してたのか

 そんなにお爺ちゃん家が嫌いか」

 

「そんなことないですよ!

 いっぱいたんけんして、おもしろいです!」

 

「おまえ怒られただろ

 まあ、そりゃああの母親の親父だからな、鬼より厳しいだろうな」

 

「しー!

 おかあさんいるんですよ!」

 

「四葉、代わりなさい」

 

「よ、四葉、絶対に渡すな」

 

「は、はい!

 え、あれ、どっちにすれば!?」

 

 

 

 さっきとは違うはっきりとした母親の声に風太郎は震えてしまった。心臓に悪かった。聞こえているはずはないから四葉の反応で察したな…

 

 しかし思ったより四葉は元気そうだ。杞憂だったか。

 

 

 

「うえすぎさんはなにしてるんですかー?」

 

「勉強中」

 

「え、えらい!」

 

「おまえもやることになるんだからな

 小学校、来年だろ」

 

「はい!たのしみです!」

 

「楽しいだけじゃねーがな

 友達もできるし、勉強もさせられる、嫌な奴も絶対にできる

 だから今のうちに遊んでおけ」

 

「…あそんだらおこられちゃいます」

 

「馬鹿、お爺ちゃんと遊ぶんだよ」

 

「おじいちゃんと!?」

 

「爺さんがいくつか知らんがもう年だろ

 仕事してんのか知らんが手空いてるだろ、言ってみたらどうだ」

 

「…おこられちゃいますよ」

 

「先生にも協力してもらえ

 それとも孫のおまえを嫌ってるのか?

 ないだろそれは」

 

「え、な、なんでですか?」

 

「不細工なリボンをつけているおまえは可愛いから大丈夫だろ、たぶん」

 

「なんですかそれー!

 あ、わらってませんか!うえすぎさん!

 こっちはしんけんなのに!」

 

 

 

 人懐っこい四葉が渋るとすれば、相手に嫌われいるのか不安なんだろう。仲良くしたい気持ちがあるなら尚更。

 

 なら突撃すればいい。風太郎にしたように。当たって砕けて甘えればいい。祖父を見ていないから実際分からないが、先生の父なら問題ないだろう。

 

 相手から好かれようとする四葉は、見限る風太郎と真逆の感性を持っているようだ。風太郎からアドバイスなどできない。

 

 相手に嫌われていたら相談に乗ってやろう。その機会は当分ないだろうがな。

 

 

 

「あいつらはどうした」

 

「えっと、か、かげ…なんだっけ

 そうだ、かげおくり、してる!」

 

「あ?」

 

「三玖がおしえてるの!

 あれ、うえすぎさんがおしえてくれたんですか?

 三玖がじまんしてました!」

 

「影送りか…そうだな、三玖にこの前…ん?」

 

「あ、ごめんお兄ちゃん!充電器!」

 

 

 

 携帯の画面が点滅していた。見るとバッテリーがない警告のようだった。らいはが慌てて充電器を探している。おまえ見ていたな。

 

 

 

「いやいい、長話しすぎた

 四葉、携帯が電池切れそうだ

 続きは帰ってからだな」

 

「えー!?

 う…でも…」

 

「楽しい話期待しているぞ」

 

「…

 さ、さいごにおかあさん!」

 

「あ?

 だからバッテリーが」

 

「上杉君、ありがとうございます」

 

「え!?

 あ、はい」

 

 

 

 風太郎の言葉を聞かずに母親に携帯を渡したようだ。さっきの陰口のこともあってまた驚いてしまった。

 

 時間が迫っているが今のうちに聞いてしまおう。

 

 

 

「急にどうしたんですか、四葉

 親父さん苦手なんですか?」

 

「父は私の夫の不在を心配して、あの子たちに過保護なのです

 四葉はそれをプレッシャーに感じてしまっているのかもしれませんね」

 

「動物並みですからね、あいつの勘

 分かりました、まあ先生も休んで下さい

 他にいるのか知りませんが、父親には甘えられるでしょう」

 

「…十分甘えていますよ」

 

「え、いるんですか?

 誰に?」

 

「…上杉君で――」

 

「…

 …

 …げ」

 

 

 

 バッテリーが切れたようだ。肝心なところで!少し恨んでしまうタイミングだった。

 

 だがあの回答は。考えると少し笑ってしまった。

 

 

 

「お兄ちゃん…ごめんね」

 

「うお!?」

 

 

 

 兄がにやけている隣で妹は泣いていた。さっきから何をしているんだ。

 

 

 

「何で泣いてるんだ、どうした!?」

 

「だって…

 お兄ちゃんのあんな顔、久しぶりだったのに…なのにっ

 充電じでながっだぁあ"あ"ぁああ…!」

 

 

 

 大泣きしていた。らいはが泣くなんて珍しい。めったに泣かない子でそれはそれで心配だったのだが、目の前で号泣している。風太郎は慌てて背中を撫でて慰めた。

 

 日頃、社交性がなく心配の種だった兄の、電話の声を聞いて嬉しそうに笑い、優しい声音を発するその姿を壊したくなかったのだ。

 

 らいはにとって、懐かしくて感涙してしまうものだったのだ。自分を守ってくれる、懐かしくて、大好きな笑顔なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「祭り?

 ああ…だからこの時間でも暇なんですね」

 

 

 

 16時になってピークが過ぎてしまったが客足は変わらなかった。普段なら忙しく後片付けに追われているが出す物を出せていないから暇だった。

 

 今日はケーキ屋でバイトの日だが、どうやら町内の祭りの日だったようだ。昼はともかく15時からの客が少ないわけだ。

 

 16時から祭りの屋台が出始めるのだ。ケーキよりもイベントに参加して食べ歩きたいだろう。この時間の客は取られてしまった。

 

 

 

「たるんでる場合じゃないよ

 祭りの花火が終わった後は忙しいんだ

 デート帰りに寄るカップルや、学生の打ち上げだったり

 屋台を出した人も来たりね、夜は書き入れ時さ」

 

「ん?この後入る人いませんでしたよね?

 ってことは残業したほうがいいですか、俺は大丈夫ですよ」

 

「…その必要はないよ

 君はもっと大事にしないといけない子がいるだろう」

 

 

 

 よく分からないがドアベルが鳴った。客が来店したのだろう。この時間はホールのスタッフが休憩に入っていて風太郎しかいない。対応に向かった。

 

 

 

「六人です」

 

「…」

 

 

 

 今回は既視感とは少し違った。来店したのは中野先生だ。あの鉄仮面は他にいない。なのに言葉が詰まって動けないでいた。

 

 浴衣姿だった。女に見惚れるほど人を見ない風太郎でも驚いてしまった。学校ではファンクラブもあり、スタイルも良いと男女問わず学生が憧れる女性だ。

 

 これはファンクラブできるわな。そう納得した風太郎だった。直視できず黙ってメニュー表を取り出して案内しようとしたが遮る者がいた。

 

 さっきからカツン、カツンとフロアに無数に響いている。一人のものではない。通り口を出て視線を下に送ると案の定だった。

 

 

 

「どうですかうえすぎくん!

 おかあさんとおそろいなんです!」

 

「みんなおそろい!」

 

「フータロー…どう?」

 

「えへへ、いいでしょ、うえすぎ

 ほめてほめて!」

 

「ことしはね、あたらしいんだよ?

 みんなおかあさんのにしたの」

 

「…まあ、いいんじゃねーの

 似合ってる」

 

 

 

 残っている少ない客も遠巻きに見て可愛いとのことだ。男は先生の姿に見惚れているようで少し癪に障る。

 

 しかし子供たちも先生も、やはり美人なんだなと改めて思った風太郎だった。先生に至ってはモデルも顔負けするんじゃないか。どこか別世界の人のように見えてしまった。

 

 風太郎はお世辞にもクラスでも人気は下のほうだ。外見も然り。仮に先生や子供たち同年代でクラスメイトだったとしたら、関わることも憚られる存在ではなかろうか。美人は恐ろしいのだ。

 

 そう考えてしまうと風太郎は不機嫌になってきた。馬鹿馬鹿しい考えだ。それにそんな願望など一切持ち合わせていない。妄想を切り捨てて先生に確認を取った。

 

 

 

「今日はどうしたんですか

 祭りならそろそろ始まりますよ」

 

「はい

 なので、お誘いにきました」

 

「お誘い…?」

 

「デートです」

 

「…

 …は?」

 

「わたしたちとデートです!」

 

「デート!デート!

 …デートってなんですか?」

 

「デートはね……きゃっ」

 

「二乃はたぶんわかってない…」

 

「わかってるわよ!」

 

「ふふふ、おねえちゃんはしってるよ

 デートはね、すきなひとどうしがするおとなのあそびだよ」

 

「おお、じゃあうえすぎさんとデートです!」

 

「ませすぎだろ、幼稚園児共」

 

 

 

 びびった。デートって子供たちとか。構ってやるのは構わないがそのテンションの相手は疲れそうだ。

 

 誘ってもらうのはいいが、今は働いているところだ。まだ終業の17時には早い。大人しくケーキでも食って待ってもらおう。

 

 

 

「早上がりでいいよ、客少ないからね」

 

「て、店長

 いいんですか?」

 

「せっかくのお誘いじゃないか、いきなよ

 もし帰りに注文があれば予約してくれると嬉しいね」

 

「てんちょーさんありがとー!」

 

「てんちょーフータローいいの?」

 

「いいよ、遊んでもらいなさい」

 

「てんちょーいいひとだ!」

 

「いつもケーキありがとうございます!」

 

「…子供っていいね」

 

「じゃあ婚活することですね」

 

「くっ!

 君もいつか苦労を知ることになるさ…笑っていられなくなるぞ」

 

「着替えてきます」

 

 

 

 こういうことか、と風太郎は頭が痛くなった。おそらく店長は先月からこうなることを知っていたのだろう。食えない人だ。その厚意に甘えさせてもらおう。

 

 祖父の家に行ってしばらく会えていなかったのだ。遊んでやろうと決めていたことだし、今日は構ってやろう。騒がしいホールを出て控え室で着替えることにした。

 

 しかし、休憩中のスタッフに散々からかわれて決心が鈍ってしまった。

 

 エスコートしっかりね、だとか。泣かせるなよーだとか。個人情報だだ漏れの職場だった。


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