五等分の園児   作:まんまる小生

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涙は零れず恵みは静かに零れるその5 If story

「お待たせしてすみません」

 

「忙しいんだろう? 気に病むことないよ」

 

 

 

 仕事を終え、電車に乗って向かった先はいつもの駅。だがその先はいつもとは違う目的地だった。

 

 時刻は20時過ぎ。待ち合わせの店内にてテーブルに案内されると、例のケーキ屋の店長が手を振っていた。

 

 ひとまず席について適当に注文し、酒が来たところでグラスを重ねた。

 

 

 

「君と飲む日が来るとはね…月日が経つのは早いものだ」

 

「同感です

 俺もまさか、高校のアルバイト先がここまで人生に関わるものだとは思っていなかった」

 

「零奈さんと子供たちはどうだい?」

 

「元気にしていますよ

 母親が退院してからは甘え方が尋常じゃなかったが、徐々に冷めて穏やかなものです」

 

 

 

 特別連絡を取っていた仲ではなく、以前先生と五つ子たちとケーキを食べた時に挨拶をした程度だ。

 

 中野家と関わりのある人だ。先生の入院のことも知っているわけで、知人の様態が心配だったようだ。

 

 無事に退院して以前のように仕事に励んでいる。順調に今まで抱えてきた問題が解消されていっているんだ。

 

 一部を除いて。俺は中野家の不安要素になっているのではないか…否定できないことに。この件は触れないでおいた。

 

 酒も肴もテーブルに並んでいる。しかし手をつけずに店長は質問を続けてきた。

 

 

 

「僕はお母さんが倒れた後を詳しくは知らないんだ

 らいはちゃんから聞いた話だと、君が五つ子ちゃんたちの面倒を看ていたそうだね」

 

「ええ…俺しかいませんでしたから

 先生が入院していた二ヶ月半の間、家を離れて子供たちのアパートで一緒に

 入院を拒否する先生を説得するには最低限の条件でした」

 

 

 

 シングルマザーであるあの人は、自分が病院に寝込んでいる間ずっと子供たちを気にかけていた。

 

 入院費や子供たちの生活費、次いで来年の中学校進学に関わる費用を考えると寝てなどいられなかった。

 

 頼れる人は祖父ぐらいだったが、あの人も余裕があるわけではない。遠い地から足を運ばせるわけにはいかない。

 

 恩師があれ以上働けば確実に死ぬと予感していた。意地でもベットに縛り付けておきたかった俺は先生と交渉した。

 

 その最低条件に、俺は五つ子たちを責任持って預かった。金の問題も全て俺が引き継いだ。

 

 店長は心中察してくれたようで、やるせないと言った面持ちで溜め息をついた。

 

 

 

「子供を健やかに育てたいだけなのに、世知辛いね

 君がいればあの子達も、お母さんが不在でも安心できたんだろう」

 

「最初は落ち込んではいましたが、見舞いに行くうちに段々と

 まだ小学生ですが、徐々に親離れしていくでしょう」

 

「そうか…君も苦労していたんだね、何の助けもできなくて申し訳ないよ」

 

 

 

 とは言え、子供たちが母親不在でも元気にしていると知って、逆に落ち込んだ日もあったがな。

 

 本当にあの人は面倒くさい。毎日会話のネタが尽きなかったぜ。

 

 他人であり、ただの客と店員の関係でしかない店長は罪悪感を抱いて謝罪を口にした。

 

 何かしてやりたい。だが、誠意はあっても義理はなく、真っ当な理由がなければ手を出せなかったのかもしれない。

 

 この人は、先生の退院祝いに特別大きくて美味しいパフェを作ってくれた。らいはの企画に無償で協力したらしい。

 

 本当にこの人は…昔と変わらない。呆れた大人だよ、あんた。

 

 

 

「…ケーキ

 よく奢っていたそうじゃないですか

 子供たちにとって掛け替えのない贅沢だった」

 

「あぁ…といっても昔の話だよ、それは」

 

「…子供を笑わせるのって大変なんですよ」

 

「…だろうね」

 

「あいつらはよく笑っていた

 美味しいケーキを一つ食べた

 それだけで平凡な一日が特別なものになる」

 

 

 

 貧乏だからこそ、祝い事にはささやかな幸福を求めた。

 

 あいつらは俺と先生の幼少期よりもケーキの名をつらつらと挙げられる。

 

 娘が傲慢にも似た裕福さを覚えたことに、あの母親は心の底から感謝していた。

 

 

 

「…そんな思い出を知っているから

 あいつらは貧乏でも祝い事には小さなケーキを欠かさず買っている」

 

「…」

 

「ケーキなんて食わなくても生きていける、正直金が勿体無い

 だが、家族と幸せな一時を過ごすことはできる…一生残る、大切な思い出ができるんだ」

 

 

 

 俺があのケーキ屋でアルバイトをしていた高校時代。あいつらはよく母親に連れられてケーキを食べに来た。

 

 それは母親が、子供たちが求めている物を得られると知っていたからだ。ただの気まぐれなんかじゃない。

 

 美味しいケーキを食べられるのもそうだが、子供たちは店長を慕っていた。二乃なんかはお菓子作りの先生だと目標にしている。

 

 店長含めて、店員が内緒で小さなケーキをあげていた。母親に知られたら怒られていたらしいがな。

 

 パティシエの道は遠く険しいと聞く。金を稼ぐには相当な時間と計算し尽くされた製品が求められる。施しで生きていけるなんて御伽噺にもない。

 

 それでもこの人は子供には優しさを見せてくれた。

 

 

 

「貴方の優しさにあいつらは笑ってくれた

 ありがとうございます」

 

「…

 帰ったら作ろうかな、そんな気分だよ」

 

「明日も仕事じゃありませんか」

 

「ああ…

 はは…そっか」

 

 

 

 酒の場なのに随分と堅苦しい。頭を下げる俺に店長は苦笑していた。

 

 この人は今年結婚したんだし…近い日には子供もできるのだろうか。甘やかしていそうだな。ケーキ食わせ続けると太ってしまうぞ。

 

 湿っぽい会話も程ほどに、酒と食事を楽しむことにした。

 

 その傍ら、この飲み会の目的だった結婚式のアドバイスを窺った。

 

 

 

「準備には時間がかかるものだけど、それ以前に選ぶ時間も多く見積もったほうがいいね

 式場を見学しに行ったりもしたけど、押し売りが強くてね

 今日だけ値引きするとか申し込みを急かされてばかりだったよ

 人生に一度の、言わば最後の舞台じゃないか、じっくり考えて選ぶべきだったかな」

 

「確かにそうですね…」

 

「まあ君の奥さんは二度目になるのか」

 

「式は挙げていなかったそうです」

 

「…そうか、じゃあ尚更慎重に決めるべきじゃないか」

 

 

 

 幸運なのか、恋人の不運なのか。素直に喜べない俺に年長者は苦笑し。

 

 

 

「ご祝儀を頂くわけじゃないか

 それに見合う結婚式じゃないと来て頂いた方に申し訳ないと思わないかい

 節約も大事だけど、お祝いしてくれる方々をもてなす気持ちも忘れちゃいけないよ…

 特に料理、デザートはしつこいくらい確認したほうがいい」

 

「それ、単にあんたの職業柄が絡んでるだけでしょ」

 

「やはり僕が用意するべきだった…一番後悔している点だよ

 持ち込み料取られるから辞めたんだけど…失敗だった」

 

 

 

 仕事が絡むとやはり面倒な人だと、パティシエ業界の長話に付き合わされたり。

 

 

 

「スピーチを頼んだらその内容をある程度把握しておいたほうがいいんじゃないかな」

 

「相手次第ですが、そういうのってその場で初めて聞くから良いんじゃありませんか」

 

「これは僕の経験じゃないけど、そのスピーチの内容が滑ってムード台無しになった夫婦がいる

 作るのも大変だし、そのサポートも含めてね」

 

「…作る苦労は知っているので、気にかけておきます」

 

 

 

 盛り上がりに欠けるものだったが、こちらとしては為になる話ばかりで有意義な時間だった。

 

 酒も数杯飲んだところで、店長は話題を変えてきた。

 

 

 

「それで、正式的にあの子達が君の子供になるわけだ」

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

「え、何でそこでだんまり?

 これ、そういう話をする会じゃなかったかい? さっきのアドバイス意味なくない?」

 

「まあ…アクシデントは五つ子に付き物と言いますか」

 

 

 

 先生の子供たちから結婚を反対されている。あまつさえ先生自身も式を挙げることに賛同していないと知られたら…たぶん怒られる。

 

 流石にこの問題の助言を請うのはナンセンスというか、自身の不甲斐なさが極まる。深く探らないで頂きたいものだった。

 

 だが店長はどこか苦悶の表情というか、申し訳なさそうに頭を描いていた。

 

 

 

「うーん困ったね」

 

「はい?」

 

「そういう話をするって教えたら、絶対に行くって言っていたからね」

 

「…? 誰がです?」

 

「君の友人」

 

 

 

 …友人? 俺の?

 

 情けないことに該当者がいない。高校時代、他人を見下して先生に説教されていた身だ。

 

 

 

「…あの

 友人って言いました?」

 

「うん、確か…君が高校3年生の頃に店に来た子だよ」

 

 

 

 高校3年と聞いて、思い浮かぶ顔が何名か現れた。

 

 そして高確率で首を突っ込んできそうな奴が一名いる。

 

 

 

「店長、場所変えませんか」

 

「いきなりどうしたんだい」

 

 

 

 日々の仕事と五つ子たちと接してきた中で、その顔を思い浮かべることなど一切なかった。

 

 そのくらい希薄な関係であって、今日この日に会うことになるなんて予想外にも程がある。

 

 早急に立ち去ろうと手を伸ばして伝票を取るが…一歩遅く、誰かに取り上げられた。

 

 

 

「おめでとう風太郎」

 

「…」

 

 

 

 取り上げられた先を見上げると、一人の女が立っていた。

 

 黒い髪を…今では先生と同じくらいの長さの、白いブラウスに黒いスーツを羽織った女が。

 

 俺はどんな顔をしていたか分からない。目の前に立つ人物はやれやれ、と大げさに首を振っている。

 

 

 

「うんうん、感動の再会に声も出ないか

 幼なじみ冥利に尽きるというか

 本気で忘れられているんじゃないか不安というかね」

 

「…

 あの、店長」

 

「うち、秋の葡萄のフェアやっただろう?

 その日に彼女が来てね」

 

 

 

 あの日に来ていたというのか、こいつも。家はそう遠くはないだろうし、店長の店も有名になったのだからありえる話だ。

 

 そもそもこいつは高校3年の頃、何度かあの店に足を運んでいた。フェアをやっていると知れば興味もあっただろう。

 

 ということは、だ。非常に嫌な汗が流れる。

 

 

 

「美味しいケーキを頂くつもりが、なぜかウェイターとして従事する教師を発見してしまってね」

 

「誰なんだろうなそいつ」

 

「五つ子に囲まれて叫んでたんだ」

 

「あー 五つ子ね たまにいるよね、いるいる」

 

「写真見る? 綺麗に撮れ――」

 

「金銭は貰っていない」

 

「いや、それもどうなのかと思うよ」

 

 

 

 つーかおまえも店員を隠し撮りしてんじゃねえよ。

 

 さらっと犯行を暴露する奴に文句を言ってやりたがったが、今は俺の教師としての立場のほうが危うい。

 

 どうやら当の店の長が代わりに説明してくれるらしく、毅然と胸を張って対応してくれた。流石店長、頼りになるっ!

 

 

 

「うちはブラックじゃないよ、生クリームのようにホワイトなケーキ屋さんさ

 例え中身が真っ黒なチョコレートケーキでも綺麗に平らに塗る腕がある!」

 

「小細工使いやがって! まさにブラックの所業じゃねーか!」

 

「最近店の人気も上がって残業が増えてしまってね…

 見なし残業代という面白い給与制度を知ったんだけど取り入れたほうがいいかい?」

 

「残業前提でこき使う気じゃねえか! たった一時間だろうが、らいはにはちゃんと残業代払えよな!!」

 

「んー 私の隠し撮りはスルーか

 あ、私も注文したい

 生と…このパスタにしようかな、お腹減っちゃった

 風太郎と店長も食べますか? 大盛りにしますよ」

 

「僕はいいよ」

 

「いきなり現れて何しに来たんだこいつは」

 

 

 

 急に現れて、心臓に悪い冗談を言って、図々しくも隣の席を占領してマイペースに物を言ってくる。

 

 明日仕事だろ、何をしに来たんだこいつは。

 

 メニューを片手にとぼけたような、悪戯が成功したと頬を緩ませて笑っていた。

 

 

 

「何って…もちろん

 中野先生退院と幼なじみの結婚のお祝いだよ

 私より先に結婚なんて風太郎のくせにむかつくけど」

 

 

 

 むっとした顔で見上げる様は、あの文化祭で再会した頃を思い出す。

 

 一緒に文化祭の屋台を回って、楽しかった思い出を振り返り…たまらず顔を手で覆った。

 

 早く構え、と妙な期待を向けるような視線を前に、率直な感想を口にする。

 

 

 

「相変わらずだな、竹林」

 

 

 

 小学校の頃、よく遊んでいた女の子だ。

 

 久しぶりの再会に俺の幼なじみは少しだけはにかんで…目を逸らした。

 

 昔と変わらず、やはり苦手な友人だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「風太郎、お酒解禁ってことは先生と飲めたんだ?」

 

「ああ、つい最近」

 

「…お酒一つでそこまで時間を要するものかい?」

 

「好きな人と特別な時間を過ごしたい…!

 なーんて、風太郎が乙女なだけですよ」

 

「うるさいよ、面倒くさいとしか思ってないだろ」

 

「で、どうだった? 中野先生という大人の女性との、大人の時間は

 一生の思い出できた?」

 

「自宅だったし、隣に子供いたからな」

 

 

 

 やっぱりこいつうるさい。ズカズカと繊細な部分にフォークを突き刺して絡み取ろうとしてきやがる。

 

 昔の誼というのも数年前に途切れたはずだぜ。何年振りの再会だと思ってやがる。

 

 既にこの三人の話題の手綱は竹林に取られている。主張が控えめな俺と店長は、何かと仕切りたがりな竹林を押し返せそうにない。

 

 こいつがなぜそこまで先生を慕っているのかは知らない。高校3年の頃に少し顔を会わせた程度の仲のはずだ。今度先生に聞いてみよう…

 

 それには注意点がいくつかある。先生の娘であるあの五つ子とこいつは少し厄介な因縁がある。

 

 

 

「…五つ子ちゃんたちか」

 

「おまえ、まだ嫌われてるのか」

 

「うん、たぶん顔合わせたら威嚇されるかも」

 

「ふ…ご愁傷様だな」

 

「こらこら、他人事みたいに

 だーれの子供になるんですかね、あの子たち」

 

 

 

 竹林は今もあの五つ子に警戒されているようだ。恐らくこいつの名前を口にしたら怪訝な顔される。

 

 特に二乃と五月には…あいつらのあの時の嫉妬する様は、今思い返してもちょっと笑ってしまう。竹林も嫌っているわけではなく、面白がってからかっていた。

 

 それが子供たちの顰蹙を買ってしまったらしく溝は深いようだ。俺も気をつけないといけない…

 

 

 

「ん? 君は高校卒業してから何度か会っているのかい?」

 

「いいえ、でもあの子たちは覚えてるんじゃないでしょうか

 ちょっと意地悪しすぎました…」

 

「ちょっと…? あれはおまえ…いじりすぎだろ」

 

「可愛いのが悪いんだよねー

 五人も並んでて、小動物みたいで…つっつきたくなる衝動ありません?」

 

「ああ…僕もついケーキを食べさせたくなってしまうね」

 

 

 

 過剰に甘やかすのもからかうのもやめていただきたい。後日困り果てた先生から相談を受ける俺の身になれ。

 

 可愛がるのはいいが、面白がっているのは本人だけで弄ばれている子は面白くないわけで。あれから数年経った今あいつらがどんな反応をするのか、嫌な予感しかしない。

 

 出会い方が違えば恐らく、良き相談相手になってくれたかもしれないのに。一応五つ子を可愛いと認識しているようだが…不憫な奴。

 

 可愛いからっていじめるなんてガキ大将か。クラスの学級長をやっていた奴だ、世話好きが祟って余計なお節介焼いて疎まれるパターンだ。

 

 

 

「…」

 

「もう、虐めないって! そんな怖い顔しなくてもいいでしょ

 お酒の席なんだし、もっと明るく、陽キャラになれ風太郎!」

 

「この席におまえを呼んだ覚えはない」

 

「もう、そっけない…昔から変わらないね風太郎

 あーあ、何でこんな冴えない男が私より先に結婚できるのやら

 お姉さん女房で幸せかー お裾分けしろー」

 

「…」

 

 

 

 結婚ね…あまり実感はないのだが、やはりそう見られているのか。

 

 俺にとってあの人は年上で、恩人で、越えられない壁であり、目標だ。

 

 近々婚約しよう、と条件付で先生と約束を交わしたが、その条件である五つ子が拒絶しているので有耶無耶になっている感覚があった。

 

 それにだ、昔の俺を知っている竹林はどう思っているのだろうか。

 

 ろくでもない人間が家庭を持ち、血の繋がりのない子供を持つんだ。

 

 

 

「ん? どうしたの、風太郎」

 

「いや」

 

「あ、そうだ

 お仕事、最近どう?」

 

「まあ…半年経ってまともに仕事を振られるようになってきた

 お陰でスケジュールが崩れがちだ」

 

「そっか」

 

「…なんだよ」

 

「何でもないよ」

 

「いや、絶対あるだろ

 気色悪い、言え」

 

「気色悪いなんて言う風太郎には教えてあげない」

 

 

 

 やはり苦手だ…ペースを崩されてばかりだ。

 

 先生相手ならこうはならない。あの人には何度も調子を狂わされてばかりだが…何かが違う。

 

 こ、これが好きということなのか… なんか思いも寄らぬ場面で自覚してしまった。というか男としてどうなんだ…

 

 相変わらず竹林の視線に応えられそうになく、気まずい空気が流れる。

 

 そんな光景を眺めていた店長が席を立った。

 

 

 

「…ちょっとお手洗い失礼」

 

「ああ…はい

 …ん?」

 

 

 

 店長はトイレに行くと言いながら…勘定を持っていかれた。

 

 時間を確認すればもう22時頃。先に帰ってしまうつもりだ。あの人の奢りで。

 

 悪いことをした。恐らく俺と竹林に気を遣ったんだろう。今度埋め合わせをするべきか。

 

 …

 

 …で、来たばかりのこいつはどうするの。駄弁っていたせいでパスタはまだ半分も食い終わっていない。

 

 俺も用が済んだら早く帰りたいのに。本当にここ最近スケジュールが崩れがちである。

 

 

 

「店長さん、気を利かせちゃった?」

 

「…何の気だ」

 

「何だろうね、邪魔しちゃったかな

 でも店長さんには感謝かな、風太郎と会う機会作ってくれたし

 ごめんね、突然割り込んじゃって」

 

「俺の用件はもう済んでいる、構わないぞ」

 

「で、帰っちゃう?」

 

「おまえ飯食うんだろ」

 

「お、食べ終わるまで付き合ってくれる?」

 

「ああ」

 

 

 

 本当に…何をしに来たのか、妙に勘ぐってしまう。

 

一緒に食事をする仲でもないし、平日の夜に遊ぶ仲でも、用もなく会う関係でもないだろう。俺が意識し過ぎているだけか?

 

 先生と俺の婚約の祝いだとか言っていたが、嘘だとはっきり分かる。

 

 しかし、せっかく足を運んできた奴を無碍に返す程鬼畜でもない。くだらない雑談を交えて竹林の夕食に付き合った。

 

 久しぶりに再会した幼なじみは、大してリアクションもできない冴えない野朗にも明るく声を弾ませていた。元気そうで少しほっとした。

 

 急かしたつもりはなかったが、竹林が食べ終わった後そう間も開けずに店を出ることになった。

 

 酒で火照った頬に外の冷気が当たる。外灯や店の明かりが照らす薄暗い夜道を並んで歩く。お互い電車で帰ることになる。

 

 本題はこれから。

 

 竹林は隣を歩く俺の肩を指先で小突いて、振り向かせてきた。

 

 

 

「風太郎って友達いる?」

 

「…」

 

「そんな嫌そうな顔しないでさ、深い意味はないよ

 多ければ良いなんて子供だけの話だし」

 

 

 

 藪から棒に何だよ。おまえよりは少ないのは分かり切っているだろうが。億劫な動作でくどい竹林に振り向いた。

 

 失礼なことを聞いていると自覚しているようで、こちらの顔色を窺ってやや不安げそうにしていた。

 

 …あの時も確か…同じように尋ねられた。

 

 年月を重ねても、こいつは変わらないようだ。

 

 

 

「昔はさ、風太郎人気者だったじゃん

 今はどうなのかなって」

 

「友達、ねぇ…」

 

 

 

 竹林の言う昔とは高校時代のことか、それとも小学生の頃か?

 

 昔は、小学校の頃は友達と呼べる奴がいた…沢山。クラスの奴らと全員と遊んだことがあった。

 

 家に帰ってもつまらない、廃れた家庭に諦めを覚えたガキは友達との時間が唯一の娯楽だった。

 

 楽しかったな…俺の家が貧乏だと知って、たまに菓子を分けてくれる奴もいた。

 

 忘れられない思い出だ。その優しさが恥ずかしくも嬉しかった。

 

 その思い出は上からドス黒いものに塗り潰されている。

 

 

 

「勉強一位取るとか言って、口だけかよ

 でしゃばんな上杉、馬鹿なんだからよ」

 

「親父も髪染めてる不良なんだろ、馬鹿の子供って可哀想だなー

 どうせ母親が死んだってのも、おまえが嫌で逃げただけだろ

 妹も超馬鹿なんだろうぜ」

 

「おい、なんとか言えよ上杉」

 

「上杉」 「上杉」 「上杉」

 

 

 

 今はもう俺を馬鹿にして…不出来を笑う声しか聞こえない。

 

 一度は遊んだ仲でも敵意に満ちたものに変貌した。同じ時間を共にしても腹の中では貧乏人だと見下していたのかと、冷めた。

 

 見返すことしか考えてなかった。

 

 だから勉強に全部費やした。これは勝負だった。

 

 だが、馬鹿真面目にやっていたのは俺だけ。

 

 途中で投げ出した奴を、俺は許さなかった。

 

 

 

「おい…おまえ、あれだけ散々馬鹿にして、もう終わりかよ…」

 

「あぁ!? たかがテストで何マジになってんだ、おまえ本当に馬鹿――」

 

「馬鹿はてめえだろうが

 勘違いすんなよ、おまえはな…やってもできねえ、無能なんだよ

 出来損ないが…俺を見下してんじゃねえよ!!」

 

 

 

 悔しさはもうどこかへ行ってしまった。

 

 昔は楽しかった。一つ一つ着実に夢に近づいている。あの人のようになれる。それを馬鹿にされただけのこと。

 

 見下され、見返してやろうと努力しても見てくれなかった。だから俺もまた、あいつらを見下した。

 

 それだけだった。それからはもう…やめた。先生の顔も忘れてしまったんだ。

 

 人間として欠陥品と言われて反論できやしない。誰にも知られたくない。

 

 竹林は知っている。きっと覚えている。

 

 

 

「…

 恐らく…いないんじゃないか」

 

「私はどうなの?」

 

「おまえ、何年振りの再会だと思ってるんだ」

 

「成人式以来だっけ?

 風太郎来なかったから私呼びに行ったんだよね

 でもそっか…いないかー 寂しくない?」

 

「ああ」

 

 

 

 寂しくはなかった。しかし俺は間違えた。

 

 だが…俺には先生がいる。五つ子たちがいる。友人なんかよりも大切な…命を懸けて守りたい人たちがいる。

 

 そんな奴らから好かれているんだ…これが幸せを感じずにいられるか?

 

 寂しくなんてない、これ以上何を求めるんだ。今度は俺があいつらを守るんだ。

 

 こうしておまえと肩を並べて過去を振り返る時間など必要ないんだ。

 

 竹林は俺の回答を受け、止めた歩を再開し…少しの間を置いて振り向いた。

 

 真剣な表情で、さっき見せてきた昔の…子供のような軽い調子は消え失せたものだった。

 

 

 

「不正解」

 

 

 

 何か、咎める眼差しだった。じっと見つめるだけで、それ以上は何も訴えない、冷めた眼差しだった。

 

 なぜ、違うんだ。俺はその視線を返した。

 

 

 

「当ててあげよう

 風太郎の友達は

 前田君」

 

 

 

 前田って…あいつは高校3年から付き合いが増えた同級生だ。

 

 そういえば、あいつの結婚式のスピーチを任されたな…俺は何でも恋のキューピッドだとか。文化祭でいがみ合っていたところを仲裁しただけなのに。

 

 一花に貸したCDは前田から押し付けられたものだ。あいつは何かと一花を気にかけていて、俺を経由してお節介を焼きたがる。

 

 俺はあいつを少なくとも…馬鹿にしていた。勉強ができない奴だと。奴もそのことを知っているし…俺は伝えたんだ。

 

 なのにあいつは…いや、やはり馬鹿だ。

 

 

 

「武田君」

 

 

 

 武田は…テストで万年一位を取っている俺にやたら絡んできた奴だ。

 

 しつこくて鼻に障るキザったらしい奴だが憎めないところがあった。あいつは俺以上に努力家で素直に尊敬するところがあった。いろいろと残念なところもあるんだが。

 

 口先だけの人間程信用ならない。万年二位で一度も俺を負かしたことのないあいつを俺は下に見ていた。早く追いついて来いよ、と。たかがテストの点数の取り合いでな。

 

 お人好しが過ぎるんだあいつは。だから詰めが甘い。学園の理事長である父の期待と、母に向けた憧れ、そして己の夢の三つに挟まれて身動きができないでいた。

 

 優しかったんだろうな、あいつ。だから友達なんかじゃねえだろ…

 

 

 

「店長さん」

 

 

 

 友人か…? 確かに今日一緒に飲みはしたが…友人ではないだろう。敬うべき人だとは思ってはいるが…何かが違うぞ。

 

 三名の名前を挙げたところで俺の反応がないことに、竹林は最後に強調するべく一本の指を指して主張してきた。

 

 

 

「あとは私

 友達じゃないなんて傷ついたよ風太郎」

 

「…そうか、悪かったよ」

 

「…はぁ

 ここまで言っても靡く気配がない、むかつくなー」

 

 

 

 悪いがこの一年…忙しさもあったが思い返すこともなかった奴らばかりだ。

 

 これが友人…? 笑っちまうぜ

 

 これまで思い起こすことがなかったってことは…つまり不必要だったってことに他ならない。

 

 諦めても問題ない、代用も効く、何かを犠牲にしてまで得たいとは思わない。

 

 そんなもの捨ててしまえ。貧乏人は贅沢はできない、取捨選択は得意だからな…

 

 子供の頃にこびりついた垢は取れないし、いくら誤魔化してもこれが俺の本性だ。とても、教師としてあってはならない。反面教師にすらなれない。

 

 

 

「風太郎は結局、友達は不要だと見限ったままなんだね

 でもそれだけは間違ってる」

 

 

 

 見透かされていた。赤の他人も同然だと思っていた奴に。

 

 過去を知られているとここまで看破されてしまうのか。

 

 やれやれと情けない弟を持つ姉のようなリアクションを返されてしまった。腹立つなおい。

 

 

 

「前田君たちは風太郎を友達だと思っているのに」

 

「おまえ、何であの二人を」

 

「ん? だって前田君の奥さんの松井さん…まあ元になるんだけど

 友達だし、たまに会うし

 今は妊娠中で…というか風太郎、二人の結婚式のスピーチ任されたんでしょうが

 成人式の後にも一回会ってたよ」

 

「…そういやおまえ、高校3年の文化祭で知り合ったんだっけ」

 

「そうそう、風太郎が委員長やってた奴

 珍しいよね、何でやってたの?」

 

「…先生がクラス担任だったからな…」

 

「うん、それで?」

 

「クラスの学級長、誰も挙手しねえから俺が手を挙げた」

 

「…何で友達いないって豪語してるのに恋心は一人前なんだか」

 

「先生からも意外そうな目を向けられたぜ」

 

 

 

 前田の妻と知り合いなのか。だとしたらあいつらとの交流が続いているのも頷ける。

 

 他校の生徒がなぜそこまで関わったのかは未だに理解できないが…こいつのコミュニケーション能力は俺よりも圧倒的に高い。知っても俺にはできない偉業だろう。

 

 

 

「武田君は風太郎と同じ先生やってるし

 今は黒薔薇に行ってるみたいだけど、姉妹校に勤めてる風太郎に対抗心燃やしてるとか」

 

「それどこ情報」

 

「松井さんから、二人の結婚式から高校のライングループが一部復活したみたいだよ」

 

「マジかよ…あいつ宇宙飛行士か医者目指すんじゃ…結局、親父さんの跡を継ぐのか

 俺の知らないところで情報網が敷かれているのはよくわかった」

 

 

 

 あいつ今黒薔薇にいるのか…だとしたら学校が発行している新聞の記事を漁れば出てくるかもしれない。うちの高校、横の繋がりが深いからいずれ出会うかもしれないぞ。

 

 とりあえず、俺は除者にされているわけだ。ならば関わる必要もないだろう。そのグループ俺入ってないしな。

 

 関知せずといった態度に竹林は諦めたがついたようで、空を仰いだ。ここまで来た苦労が徒労に終わったかのように。

 

 仮にも…婚約を祝うと言った幼なじみの心情など…俺は知らない。

 

 少なからず、俺のことを心配してくれていたのは、わかる。

 

 

 

「あーあ、風太郎が憧れてた中野先生なら大丈夫って思ってたけど…結局駄目だったか、残念」

 

「何が言いたい、さっきから癪に障る言い方しやがって」

 

 

 

 さっきからまどろっこしいんだ。おまえはわざわざ思い出話をしにきたのか。

 

 そんなもの、俺が聞いても機嫌悪くなるだけだって、わかるだろうが。

 

 竹林は苦笑し、言葉を詰まらせる。迷いがあるのなら言わなきゃいい。

 

 少しして、竹林は顔を上げた。 

 

 

 

「あの時、風太郎を助けてあげられたらって何度も思うよ」

 

 

 

 その顔を見て、思い返すのは一瞬で、すぐに検討がついた。

 

 まさかと思うが…こいつ。高校3年の時に俺に会いに来たのも…

 

 馬鹿げている。即答でその気遣いを振り払った。本当に、馬鹿げているぜ。

 

 

 

「気持ちはありがたいが、その気遣いは不要だ竹林」

 

「バッサリくるね」

 

「不要だからな」

 

「…何でって、聞いてもいいかな」

 

「…

 おまえまでクラスで浮いていたかもしれない

 きっとおまえに優しくされていたらその手を取っていたさ

 だが、そこに満足のいく結果はなかっただろう」

 

「…だから、私は友達じゃないって?」

 

「不幸に道連れにするのが友達なのか…?

 あの時の俺は、おまえがそこまでする価値があったのかよ、竹林」

 

 

 

 気にするなと告げるだけでは気が収まらないのか。竹林は食い下がってくる。

 

 小学校の頃仲良くしていただけじゃないか。何でそこまで気にかけるんだ。もう十年も前の話だろうが。

 

 向かい合う竹林が詰め寄ってくる。話を聞いてほしいと、逃がさないつもりだ。

 

 この為に、こいつは来たのかもしれない。

 

 だからその目は…苦手なんだよ。

 

 真っ直ぐで、愚直なほど一直線で…俺はその手を振り払うのに必死だったんだ。

 

 優しくなんてされたくなかった。

 

 竹林は後ろに後ずさろうとする俺から目を離さずに告げた。

 

 価値を問うなんてくだらない、と俺の醜い考えを壊す目だった。

 

 

 

「私は昔から、風太郎は凄い子なんだって思ってたよ」

 

 

 

 過ぎた話だろうが。昔も…高校の頃の俺も、今の俺も、全部違うぞ。

 

 

 

「頭金髪だし、乱暴だし、馬鹿だし、周りに迷惑かけてばっかりだけど」

 

 

 

 竹林の言う通り、馬鹿なガキだった。勉強できないくせに、満点取ると騒いで…道化になった。

 

 道化を嫌った俺はあいつら全員を嫌って、憎んで、自分の不出来を棚上げにして逃げた。そうでないと壊れてしまうとわかっていた。

 

 当時を語って良い思いなんてしない。到底…五つ子たちにも、あの生徒にも聞かせたくない恥部だ。

 

 

 

「あの教室の中で誰よりも優しくて、強い子だった

 風太郎が暴れてた間は虐めなんてなかった

 弱い子は風太郎が守ってくれたから」

 

「…」

 

「家族の為に勉強するって努力してたのも知ってた

 結果を残せずに馬鹿にされて、居場所を失っていくのも見てたんだから

 助けたかった

 …ごめん、風太郎」

 

 

 

 悔やんでいたことがある。友達を助けられない弱い人間でごめん、と。頭を下げられた。

 

 竹林は…助けてくれようとしたじゃねえか。

 

 陰口が絶えないで、教室で荒れていた俺に言ってくれただろ。

 

 風太郎、一緒に帰るよ

 

 そう言ってくれた。もう十分だ、竹林。

 

 俺は間違っていなかったことが一つ、あったんだ。

 

 だがそれはもう小学校の話なんだぞ。俺達はもう社会人、思い返す程のものじゃないんだ。

 

 負い目なんて感じないで、おまえらしく生きていってほしい。

 

 

 

「竹林、その出来事一つで俺が不幸な人生を送るとは限らないだろ

 俺は自分が間違っていたことに気づけた、先生のお陰でな

 もう気に病むことはない」

 

 

 

 掘り起こされなければ忘れていた。もう思い出そうとしても殆ど思い出せやしない。

 

 竹林の罪悪感が払えるのなら嘘なんて何回もついてやるが…見破られていそうだ。

 

 

 

「…

 確かに、私はもう風太郎の友達ではないか」

 

「?」

 

「期待、されてなかったんだね…あの時から

 ごめん、ね…?

 余計な、お世話だったか…」

 

 

 

 目元を拭って、竹林は笑っていた。それは罪悪感か、俺への同情か。

 

 あの時、手をきつく握って離せなかった俺は…竹林の救いの手を取れなかった。それが正しかったと信じていた。

 

 だが、俺は先生から教わった。

 

 

 

「一度で構いません

 一度、きつく握った手を離してみなさい」

 

 

 

 何を守りたかったのか。何を失っていたのか。俺はまだ全てを思い出せていなかった。

 

 目の前の、俺を案じようとする奴の目を見ていると…わからなくなる。

 

 懺悔の言葉は、頭を通り過ぎて深くは残らず。ただただ足が固まって動けずにいた。

 

 遠くに追いやれば…慮る必要などなかった。

 

 関わらない方がマシだったんだ。昔から分かっていたことだ、俺の居場所はここにはない、こいつには別の仲の良い友達がいたと知っていたんだ。

 

 だから俺はあの時一人になったんだ。京都で一人になって…先生が助けてくれた。

 

 あれから多少…マシになったはずなんだぜ。だからもう心配なんかしなくていい。おまえの重荷になんてなりたくない。

 

 

 

「竹林」

 

 

 

 もう俺は大丈夫だ。だから手を取りに来なくていいんだ。その優しさは他の友達に向けてくれ。

 

 必要か…不必要か。そんなものを友達に求めるのは…ナンセンスなのかもしれない。

 

 心配かけたのなら、もう大丈夫だと安心させないといけない。

 

 

 

「お人好しだな、相変わらず

 …あっち行ったりこっち来たり、面倒くさい奴だった、昔から」

 

「風太郎…」

 

「友達だなんて、目の前で言うなんて恥ずかしいだろうが…馬鹿」

 

「…

 なんだ、まだまだ子供じゃん、風太郎」

 

 

 

 嘘だとわかっていながら、竹林は笑って後ろを向いた。しばらく振り向いてはくれなかった。

 

 何も変わりはしない、解決もしていない。無駄な一時だった。語る程の思い出にもならない、忘却の彼方へ消えてしまうかもしれない。

 

 だがいつか、何かが変わるきっかけになるのかもしれない。

 

 竹林が報われる日が来ることを祈ろう。祈るだけで改善はできそうにない、酷い友人だろ、見限ってくれて構わないぜ。

 

 だが、急に現れて文句をつけてこられると腹が立つのは当然だろ。小言の一つや二つ言いたくなる。その背中に向けて言ってやった。

 

 

 

「見下ろすのは構わないが行き遅れにならないようにな

 あの五つ子は先生に似て美人に育つだろうからな、二十歳になったら即効で結婚するかもしれねえぜ」

 

「あー! 先に結婚するからって! 風太郎のくせに生意気!

 中野先生に見捨てられないか心配してたのに!

 娘が結婚して泣きついても助けてやらないからね」

 

 

 

 湿っぽい別れは似合わない。茶番に付き合ってくれた竹林はやはり良い奴だった。

 

 俺がおまえの手を取らなかった理由は…もっと別にある。

 

 子供の頃のように馬鹿やって、触れ合って、そんな些細なものに異性を意識してドキドキしていた思い出があった。

 

 竹林は明るくて、物怖じしない強さがあって、朗らかに笑う…可愛い奴だった。

 

 必要か不必要か。愚問でしかないが…不必要なものはある。

 

 初恋だった。小学生の、好きな奴だった。

 

 あの頃好きだった。そんな過去の言葉はもう自己満足でしかなく、竹林には必要ないだろう。

 

 そのくらい察してほしかったぜ、ほんと。

 

 しかし…こいつと話して思い知ったが…俺って教師になって良かったのだろうか。

 

 

 

「私は風太郎が間違っていたとは思わない」

 

「は?

 い、いや…俺は…周りを見下していたんだぞ

 あいつらだけじゃないんだ、あの後もずっと俺は

 相手を選ばずに、これが許されることか?」

 

 

 

 虚をつかれて焦った。心の中を読まれたのかと思った。

 

 目を見開いて驚くと竹林は何が面白いのか笑っていやがった。そこまでわかりやすい顔してるか、俺はっ!

 

 

 

「それ自体は悪いことだよ

 でも、誰にも頼らずに一人で戦ってた

 友達や姉妹がいるような子はきっと誰かに頼って、少なからず迷惑をかけてた

 時にはそれが許されない場合がある、よね」

 

「…」

 

「虐められても一人でいる強さって、あると思うな

 助けを呼べって言うのは簡単だけど…難しいじゃん」

 

 

 

 竹林の言葉に、俺は何も言い返せなかった。

 

 優しさだけで人は救われない時がある。理不尽に、自業自得に泣いた時、誰に助けを求められるか。そこまで醜くなりたくないんだ。

 

 竹林は俺の肩に手を置いて、ぱしっと叩いた。

 

 

 

「一人でいなきゃいけない時ってあると思う

 間違っていても、どうしようもなく間違え続けちゃう人がいるよ

 でも、それが必要だと知っている風太郎は…たぶん良い先生になれるよ」

 

「…

 だといいがな」

 

「なれるよ、私は今の風太郎を知らないけれど…

 きっと風太郎は昔と変わってない、優しいままだよ

 一人で頑張ってきたんだから、ね 風太郎」

 

 

 

 その言葉は…先生のものとは違う、心に刺さるものがあった。

 

 これも一つの回答なのか。間違ってはいるが…全てが正しく生きていけるほど人生は優しくない。

 

 先生は俺の親父の不出来を許せと懸命に問いかけていた。間違っていても俺が求めていた物があるはずだと教えてくれた。

 

 それは先生にも、似たようなものがあったはずだ。それを俺に肯定してほしかったのなら…

 

 …俺は、あの人たちのようになれる、だろうか。

 

 教えてくれた竹林は、照れくさいのか顔を逸らしてしまった。

 

 

 

「あはは、教師やってるとつい昔を思い出しちゃってね

 いろんな生徒を見てると、風太郎を思い出しちゃってさ

 だから言いたかったんだ…言えるうちに」

 

 

 

 言わなければ、後悔する日がくるかもしれない。

 

 だからこいつは今日ここに現れた。後悔しないために、それは俺に対しても同義で…

 

 …まったく、嫌になるぜ。俺は何度間違えれば気が済むんだ。いつになったら変われるんだ。もう過去の清算なんて…御免だ。

 

 竹林が来てくれなかったら俺はまた、後悔していたかもしれない。

 

 もう、言葉はいらないのか。俺たちは無言で、並んで歩いた。

 

 気まずくはなかった。

 

 ランドセルを背負った子供みたいに、当たり前だから一緒に帰る、そんな友達のような。思い出したところで鼻で笑ってしまった。

 

 

 

「風太郎、今日はありがと」

 

「おまえはいつも急に現れるな…

 …その…会えて良かった、竹林」

 

「風太郎にしては素直で珍しい

 なら私に感謝するように

 じゃあね、私こっちだから」

 

 

 

 もうだいぶ遅くなってしまった。駅もあまり人気は少なく、静かなものだった。

 

 恩着せがましい幼なじみは終電が近いため、俺より先に駅のホームへ階段を降りていく。

 

 俺も電車で帰るし終電も近いのだが…見送りたい気持ちがあった。

 

 控えめに手を振っていると、竹林の奴は振り返って大きな声を上げやがった。

 

 

 

「風太郎! 結婚式呼ばないと押しかけるから忘れないでねー!」

 

 

 

 駅の中で何を叫んでくれてんだ。うるさそうだからおまえには一番に招待状送ってやる。

 

 とっとと行きやがれ、と追い払うように手を振ってやった。

 

 満足したのか、あいつはもう振り返らずに行ってしまった。

 

 手を下ろす。長い一日を終えた後にやってきたのは…ほんの少しの虚無感。

 

 …友達なんて、作っちまったら寂しさを覚えてしまう。昔からこの感覚は嫌いだった。

 

 

 

「ありがとう、竹林」

 

 

 

 なんて素直に言えそうになかった。 

 

 だが竹林は…嬉しそうだった。

 

 償いなんていらない。それほど気さくな仲というわけではない。

 

 だが、昔笑い合った友達だから。

 

 そんな思い出が、全てを言葉にしなくても分かり合える関係を蘇らせたのかもしれない。

 

 そう思わせたのは他でもない、友達の優しさだ。

 

 いつか…返さないとな。

 

 

 

「頑張れ、風太郎」

 

 

 

 呆れてしまうほどお人好しなあいつに仕返ししてやらないと気が済まないぜ。

 

 気恥ずかしい友情と親愛なる温情とは別の、困らせてしまうほどの余計なお節介を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「終電逃しただと…」

 

 

 

 友人に向けて気持ちを改めていたら終電の時刻がとうに過ぎていた。何をやっているんだ俺は…まさか竹林の罠か。許せん。

 

 完全に俺のミスなのだが…どうしたものか。タクシーかホテルか、これは。金かかるなおい。

 

 今から実家に帰ったとして、今は親父がうるさいと昼間らいはから連絡が来ている。嫌だぜ、逆に寝れそうにないぜ。

 

 明日が休日ならこのまま夜明けまでファーストフード店なり、時間を潰して帰宅できるのだが…明日は仕事である。

 

 何で俺酒なんて飲んでたんだ! シャワーぐらい浴びていかないと明日何を言われるか。

 

 た、タクシー乗るしかないか…貧乏人には死刑宣告だ。かなりの抵抗がある。

 

 …先生の家に? いや迷惑極まりないだろ。しかも飲み会で、幼なじみとはいえ女と会っていたなんて知られたら…いや、それ以前にだ。

 

 あの竹林と一緒だったと五つ子に知られたら…先生が許してもあいつらに刺されそうだ。指で。ひっかかれるなり、ひっぱたかれるなり、拷問を受けることに…

 

 こういう時、友達がいれば家に泊めてもらえるかもしれない。

 

 ………

 

 

 

「俺が寂しい奴というのはよくわかった…」

 

 

 

 次回にこの反省を活かすと誓って、今日のところはタクシーを捕まえるしかない。

 

 ひとまず、先に帰らせてしまった店長に謝罪のメールを送ることにする。お陰さまで旧友との話が進んだ。あんたが蒔いた種でもあるから素直に喜べないんだが。

 

 メールを送ったところで、電話が。

 

 相手は…先生から? 珍しいな。恋仲でも夜中に電話で長話する仲ではないのだ。

 

 …物凄く…嫌な予感がする。終電も過ぎたこの時間にだぞ。恐怖しかないわ…でたくねぇえ…

 

 無視できるわけがなく、恐る恐る応答した。

 

 

 

「寝泊りに困っているのなら来なさい」

 

「…

 なぜあんたが、0時過ぎの俺の絶望的状況を把握しているんだ」

 

「竹林さんから連絡を頂きましたので」

 

「何であいつと!?」

 

「何でと申されましても…竹林さんとは私が入院中に何度かお会いしてます

 あの方も貴方と同じく教師をされておりますし、助言を求められることが」

 

「初耳なんですけど!?」

 

「すみません、貴方にからかわれたくないから内密にとのことでしたので」

 

「ばらしてるじゃねえか」

 

「…彼女持ちの男を連れ回したお詫びとのことでした

 とにかく遠慮はいりません、いらしてください」

 

「い、いや…だがな」

 

 

 

 お、女二人に気を回されている…惨め過ぎて死にたくなるぜ…

 

 気持ちは嬉しいし助かる思いだが、それに頷けるほど利口な頭はしていない。

 

 返事を渋っていると、小声が聞こえた。

 

 

 

「…他の方のところに行かれてしまうと、気になって眠れません」

 

「…」

 

「…待ってますから」

 

 

 

 通話は途切れた。

 

 …過去、先生は昔の旦那のことで眠れない日々があった。五月の過食とストレスの原因になったのだ。

 

 重苦しいイメージが連想されてしまったが…耳にした声は、どこか拗ねたものだった。

 

 店長との会話の中で先生たちの話題があった。竹林と話して…あの人と話したいことが沢山増えた。

 

 特別何かがしたいわけじゃない…ただ、顔が見たくて、聞いて欲しいと願ってしまう。

 

 俺に女遊びは向いてないから安心してほしい。思っていたよりも…ゾッコンなのか、俺は。我ながら恥ずかしい。

 

 ひとまずのぼせた頭のまま、中野家のアパートへ向かった。

 

 

 

「…」

 

 

 

 恋する自分に浸って忘れかけていたが…先生の家の前に着いて気づいた。というか相変わらずボロいアパートだ。

 

 今の俺は酒が入っている身。その上でこの時間に上がろうとしている。しかも俺も先生も明日仕事あるし、子供たちも明日学校だし。

 

 店長が帰った頃と同じ頃合に帰るつもりだったのに。竹林と長話していたら…こんな時間だ。

 

 

 

「何やってんだ俺…」

 

「何してるの、フータロー君…」

 

 

 

 玄関のドアをノックすることに躊躇っていると、なぜか中から扉が開いた。

 

 開けてくれたのは、五つ子の長女である一花だった。眠そうに眼を手で擦っている。

 

 こんなだらしない大人の為に起こされたのか。申し訳なさが隠せず立ち止まっていると、一花に手を引かれて中に招かれた。

 

 暗い部屋の中からは、小さな寝息が幾つも聞こえた。狭い居間に布団を並べて一家全員が寝ている。

 

 暗がりで目が慣れていない俺は、一花に誘導されるがまま、この子の布団の前に座った。

 

 

 

「静かにね、みんな寝てるから」

 

「すまん」

 

「お風呂入る? シャワー浴びていったら?」

 

「…ちなみに先生は?」

 

「お母さんは…ほら、寝てる五月ちゃんの添い寝で動けなくて」

 

「マジでごめんなさい」

 

 

 

 滅茶苦茶迷惑な奴だろうな。こんな男が父親になるなど到底認めてくれないだろう。何をやっているんだ俺は…この状況で評価を下げてどうするんだ。

 

 ひとまず先生はまだ起きているらしく。五月と並んで寝ている彼女の顔を窺う。

 

 

 

「先生、すみません」

 

「…いいえ、困っている時ぐらい頼ってくれて構いません

 ですが…ご実家でも良かったのでは」

 

「…今は親父と顔合わせづらい」

 

「難儀なものですね…」

 

「すみません…迷惑かけます」

 

「ふ、フータロー君がいつぞやのお母さん並に腰が低い…」

 

「お酒飲んでたようですし」

 

「いや、さすがに罪悪感あるからね」

 

 

 

 五月が、子供たち四人が寝ているんだ。小さな声で会話していると余計に罪悪感が…土下座レベルの罪だぜ。

 

 薄暗い部屋の中である程度目が慣れてきた。先生は薄っすらと見える月明かりに照らされていた。

 

 以前のような黒くて長い髪は肩元まで切り揃えられている。やはり…美人だな、この人。

 

 …酔っているな、俺。シャワーを借りれるようだし、酔いを醒ます為に借りよう。

 

 

 

「上杉君…」

 

「?」

 

 

 

 先程の物よりもさらにか細い声で呼ばれた。子供たちを起こさないように、大きな声は上げられない。

 

 何を伝えたいのか、聞き取ろうと耳を寄せると、胸元を掴まれて引き寄せられた。

 

 その勢いのまま、先生の顔に寄ってしまい…唇が先生の頬に当たってしまった。

 

 

 

「…失敗しました」

 

「…な、にが」

 

「…いえ、これで眠れそうです

 ありがとう…ございます」

 

 

 

 …もう深くは聞かないでさっさと風呂場に向かった。

 

 薄暗くても先生の頬がやや赤くて、頬が緩んでいたのはわかった。なんてことさせてくれるんだ、あの教師。

 

 ひとまず酒臭いのはアウトなので、音を立てないように配慮しつつ念入りに体を洗っておいた。でも罪悪感とこの倦怠感は洗い落とせそうにない。

 

 シャワーを終えて、そしてなぜかまた、綺麗にたたまれた俺のYシャツに袖を通して、ズボンは履いてきたもののまま居間に戻った。

 

 

 

「フータロー君」

 

「ん?」

 

「フータロー君はこっち」

 

 

 

 この際玄関前の冷たい床で寝ても良かったのだが、一花が手招きしていたので大人しく従った。風邪をひくのは免れそうで助かる。

 

 掛け布団を広げて中に入れと主張している。それでいいのかお姉ちゃんよ。俺が寝泊りしていた時にもなかった主張だ。

 

 何かいけないことをしているような背徳感があるのか、一花は既に眠気が吹っ飛んでいるようだ。笑いを堪えるのに必死なようだ。

 

 

 

「ふふ、朝になったら大騒ぎだね、みんなビックリするよ」

 

「おまえ、起こしちまったか?」

 

「あはは…うん、お母さんにお願いされてね」

 

「悪いな」

 

「ま、まあ…私にメリットがないこともないし

 眠気はその…フータロー君のシャワーの音聞いてたら自然と…」

 

「…」

 

「…」

 

「まあ…少しはサービスしてやるぞ」

 

「じゃ、じゃあ…腕枕で」

 

 

 

 小学六年生ってそういう年頃か? 異性を意識しても性事情が絡むことあるのか…? 深く考えないでおいたほうが賢明か。

 

 腕枕をご所望なようで、腕を前に出すと一花はそれを枕にしてにやけていた。

 

 擦り擦りとYシャツを擦って、少しずつこちらに寄ってきた。うーん、こいつもムッツリか。

 

 

 

「へへ、洗剤の匂いがする、良い匂い」

 

「酒臭くないか?」

 

「んー…んー 全然

 役得役得」

 

「ご機嫌で何よりだ」

 

「ん…」

 

 

 

 近寄る口実を得たと知って、加速してこちらにしがみついてきた。襟元に鼻を寄せて臭いを嗅がれてしまったが、問題はなかったようだ。別の意味でも安心したわ。

 

 もういいってのに一花は離れてくれそうになく…夜中に叩き起こされた長女を仕方なく頭を撫でてやった。

 

 目を細めて気持ち良さそうにする一花は、その内眠ってしまいそうだった。こうしていると素直で可愛いってのに。

 

 

 

「…フータロー君」

 

「ん?」

 

「…四葉が応援するってさ」

 

「…そうか」

 

「きっとさ、フータロー君に頼まれたらみんなも何だかんだ諦めると思う

 我侭言っちゃうけどさ…みんなを嫌いにはならないでほしいな」

 

「そうすんなりと認めてくれるのならいいんだがな」

 

「…やっぱり迷惑?」

 

「…好きだって言っただろ」

 

「あはは、にやけちゃうから困るなー」

 

 

 

 至近距離では照れ臭さが隠せない。ゴソゴソと一花は身じろぎして顔を隠した。

 

 手で目元を隠した、その指の隙間からこちらを窺ってくる。恥ずかしがりながらも…お願いしてきた。

 

 

 

「ねえ、みんな寝てるよね」

 

「ああ」

 

「…お母さんは?」

 

「…

 寝てる」

 

「…

 じゃあ」

 

 

 

 顔を包んでいた手をゆっくりと下ろして、こちらを見上げてくる。そのままゆっくりと寄ってくる。

 

 この時点で何を言うのか察してしまった。ませガキもここまで成長すると…お兄さんちょっと困るぜ。

 

 

 

「キスしてほしいな…なーんて」

 

「…」

 

「私、してくれたら四葉みたいに応援するよ」

 

 

 

 …相手は小学生だ。可愛らしいと思う反面、小憎たらしいと思ってしまう部分がある。

 

 馬鹿なこと言ってるんじゃないと一蹴すればいいだけの甘えだが、一花は本気で頼んでいるようだ。

 

 してくれるのなら、もう我侭は言わない。どうせその内言う事聞くのなら、美味しい思いをしたいって腹なんだろ。ずる賢いお姉ちゃんだな、おい。

 

 

 

「ね、フータロー君

 お母さんには言わないから」

 

 

 

 ちゃっかり母親を出し抜こうとしている子供は、おずおずと近づいてくる。

 

 してもいいのか、駄目なのか。何も言わないってことは良いのかな。そんな心境で迷っているのだろうか。

 

 こいつらには散々言ってきている。おまえ達にはいつか隣を一緒に歩む男と出会う日が来る。俺はその背中を押す役目なんだと。

 

 その為に大事に取っておけと言ってやりたいところだが、頭ごなしに否定すると拗れるのは目に見えてわかる。

 

 仕方なく、一花の後頭部に手を寄せて、こちらに抱き寄せた。

 

 

 

「あ…う…わ、わわ…

 ひゃぁ…」

 

 

 

 一気に熱くなったな。一花は暗がりでも分かるほど赤面していた。

 

 今回は逃がさん。もう片方の手を、生意気にも程がある子供の額をぐりぐりと押し付けてやった。

 

 夢の一時から転落した一花は掛け布団を掴んでくるりと回って逃げていった。お兄さん寒いからそれは取るんじゃない。

 

 

 

「悪知恵を働かせるんじゃない」

 

「…

 ふーんだ、してくれないなら死ぬまで反対するから」

 

「極端すぎる」

 

 

 

 敵対心を露わにして、掛け布団に包まったまま背中を向けられてしまった。

 

 …俺は、おまえらが成長して、俺の拙さを知った時にどんな反応するか怖いぜ。まったく。

 

 不貞腐れた一花の布団を取ってこちらに転がす。膨れている一花の額に…恥を上塗りするように優しく口付けてやった。これが俺にできる限界だ。

 

 

 

「…」

 

「…今日の礼ぐらいはしてやる、小学生」

 

「…ぅぅ」

 

 

 

 大人が子供に見せる最大の愛情表現だろ。これ以上は無理だぜ。

 

 先程よりももっと、茹ったような顔は布団を被って隠された。そっちのほうが可愛げあるぞ。

 

 ちょっと寒い気もするが、スーツの上着を布団代わりにして俺も眠らせてもらった。

 

 少しして、優しい子供は無言で俺に布団をかけてくれた。小さなお礼も添えて、温かい布団の中で眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フータロー…えへへ…」

 

「んぅ…」

 

 

 

 起きると暑苦しかった。そしてなぜか動けなかった。

 

 

 

「…こ、こいつら…」

 

 

 

 一花だけでこうなるかと身の回りを確認したら…二乃と三玖までくっついていて、三人に拘束されていた。う、動けない…

 

 こいつらが騒がなかったってことは…夜中に気づいて移動してきたな。適応力が高すぎるぞ。

 

 三人だけかと思っていたら…何か姉妹と俺の間に挟まっている可哀想な奴がいた。

 

 

 

「ふぎゅ…むぐぅ…」

 

「…い、五月か」

 

 

 

 な、何でこいつまで。母親にくっついていたはずだぜ。

 

 二乃と三玖が力押しでくっついている間に挟まっているんだ。かなり窮屈なはずだ。汗もかいているし悪夢でも見ていそうだ。

 

 それでも離れずにいる末っ子の執念にただただ困惑と恐怖しかないぞ。助けてやりたいが両腕は一花の腕枕と二人の姉に捕まってできそうにない。

 

 だ、誰か助けを頼むしかない。せ、先生! 悪いが起きてくれ、今日は俺早めに出ないとまずいんだ!

 

 向けた視界の先でごそごそと布団が動いているのを発見した。

 

 

 

「うぅん…なんか寒い…」

 

 

 

 四葉が起きたようだ。調度良いところに。やはりおまえは五つ子の中で一番頼りになるぜ。昨日も姉妹相手に一人で奮闘してくれたんだろう。

 

 

 

「あれ、おはようございます…上杉さん」

 

「ああ…まだ5時だぞ」

 

「ええ…? …まだ寝る…」

 

 

 

 こちらの期待を知らずに四葉は眠気眼を擦ってこちらに目を向ける。だが四葉を起こすのは流石に気が引ける。子供にはまだ早い時間だ。

 

 二度寝するようで四葉は布団の中に戻っていった。

 

 

 

「…ん? 上杉さん、昨日泊まってたっけ? あれ?」

 

 

 

 その布団がばさりと捲られて四葉が顔を上げる。朝からよく動く奴だ。

 

 

 

「そうだ、昨日は私を置いてお酒飲むんだって…酷いお父さんがいたもんだねってみんなに文句言ったんです

 みんなから応援派に回らず反対派に寝返れって話になって…私もなんか応援するのも馬鹿らしく…」

 

「…」

 

「…

 …何でいるんですか

 よくも、よくも見捨てましたね」

 

「怖い、怖いから」

 

 

 

 眠気はどこにいったのか。四葉は四つんばいになって寄ってきた。じっとこちらを睨みながら。夜中だったら完全にホラーだ。やめろ、こっち来るな。

 

 四葉が起きれば流石に先生も起きるだろ。そう期待して視線を向けると、やはり先生は起きていた。布団から顔だけ出してずっとこちらを見つめていた。あんたも怖すぎる!

 

 恐怖で泣きそうな俺とは違って、先生は…ボロボロと泣いていた。朝から何なんだこの一家は。

  

 

 

「…五月は私よりも、上杉君のほうが良いのですね」

 

「おい、先生っ」

 

「お母さん、と何度も呼んで、手を引いてくれたあの子はもういないのね…

 親孝行…結婚してもお母さんと暮らしたいと…言ってくれたのです…あぁ…五月…」

 

「…そ、それは母親冥利に尽きるっていうか、いいじゃねえか」

 

「寂しくないようにずっといるから…と…五月は言ってくれたのです…っ」

 

「―」

 

「ごめんなさい、顔を洗ってきます…っ」

 

「待て! 誤解だ! こいつらを引き剥がしてくれ!」

 

 

 

 急に起き上がった先生はそのまま、洗面所へ向かっていった。涙を隠しつつ。流石にドン引きだぞ。抱き枕にされるのがお望みなら是非代わってくれ。

 

 五つ子の母親なんだ。これまで一人で苦労してきた母親の愛情は計り知れず。子の愛情に今までの努力が実ったと実感したんだろう。感動的だな。

 

 それを奇しくも恋人に全部かっ攫われたことにショックだったらしい。この拘束状態に目も向けず早歩きで去っていってしまった。

 

 母親が泣いているというのに、肝心の子供たちはぐーすかと寝ている。

 

 

 

「おいこら五月! 風見鶏みたいなことしやがって!

 暢気に寝てる場合か! おまえの母親ガチで泣いてるぞ!!」

 

「うーん…まだ眠いです…」

 

「い、いいんです…寝かせてあげて…」

 

「ふにゅ…おかーさん…えへへ…おかーさん…」

 

「…っ 五月っ!」

 

「は? ぐおおおおっ!」

 

 

 

 あの地獄耳が発揮したらしい。五月の寝言に先生は限界に至ったようで、洗面所で顔を洗おうとする足を反転させてこちらに突撃してきた。

 

 二乃と三玖と俺に挟まれた五月目掛けて。膝をついて五月の寝顔を胸に抱えてすがりついている。もはやタックルのそれなんだが。

 

 暑い、近い、髪が当たって痒いし痛い! 引き剥がされそうになった二乃と三玖が力技でくっついてくるから余計に痛すぎる!

 

 拷問でしかない。これに愛情があると思うか。どいつもこいつも無自覚なんだ。誠に遺憾である。

 

 

 

「…凄まじい光景ですね」

 

「四葉、潰れる…手を貸してくれ…!」

 

「ふーん…嫌われてないんだからいいじゃないですか

 昨日私を見捨てた罰ですよ、二度寝するから起こさないでくださーい」

 

「四葉…!」

 

「私は上杉さん派なのに、ほっとくのが悪いんだよ、べー」

 

 

 

 上杉さん派って何だ。昨日のことをかなり根に持っているようで、四葉の助けは借りれそうになかった。

 

 不出来な大人の一日としてはお似合いなのかもしれない。誰も助けてはくれやしない。

 

 毎日一人で悩み、苦しみ、思うようにならない現実に苛み必死に生きている。

 

 小さな幸せを掴んでは、誰かと共有したくてその輪を広げる。きっとその手を掴むことに後ろめたさはあるだろう。

 

 間違ってはいても、誰かに求められているのなら、俺は…選びたい。

 

 俺は弱い人間だから、できもしないと分かっているんだ。

 

 必要とされる人間になる。

 

 あの頃のように。友の言うとおり、俺は変わっていなかったんだろう。

 

 だが、どれほど失敗し、泣きたくなるほど悔やんでも。俺はこの選択を選び続けよう。

 

 家族が、心優しい友人が、間違ってはいなかったと手を取ってくれる奴らが、いつか笑って幸せになれるように。

 

 どれほど決意を固く心を入れ替えようとも、寝ぼけながらも今を必死に生きる子供たちには敵いそうにはなく、結局俺は遅刻するはめになった。

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