翌日の昼前。けだるい体で日頃の家事を済ませていたところにインターホンが響いた。
最近は風が吹いていた窓の外は陽気が上って温かそうだった。絶好のお出かけ日和といった休日である。
こんな日に体調を崩して家に引き篭もっている病人でもつい外に出歩きたくなる程の快晴だ。
だが、容易に玄関のドアを開いて来客を出迎える気にはなれなかった。
「やっほー、フータローくーん! 起きてるー?」
「見舞いに来てあげたんだから、大人しく開けなさいよ」
ドアスコープを覗かなくても、どちら様なのか頭が痛くなる程思い知らされる。
気遣い上手な姉二人が見舞いに来てしまったようだ…お節介でしかない。
このまま居留守を決め込んで叫ばれると近所迷惑になる。マンションの隣室には確実に耳に入っているし手早くドアを開けた。
「なぜきた」
「フー君が寝込んで動けないと思って
案の定、今日はこっち来ないみたいだし予想的中ね」
「…先生がおまえらに話したのか?」
「んー、お母さんが外で電話してるの聞いちゃった」
「プライベートも何もないな、おまえらの家」
「よ、夜に二人で電話なんて、私だってしたいんだから!
気になっちゃうのは仕方ないじゃない!」
「ドラマみたいなもん期待するなよ」
昨日の電話の冒頭のやりとりを教えてやろうか。子供の夢見がちな熱意も冷めるに違いない。
肌が外気に当たってやや痛む。平日の疲れが残っている大人と違い、小学生は元気が余っているようだった。
先生の娘である一花と二乃が風邪引いた馬鹿の為に遥々足を運んできてくれたようだ。
母親を出し抜いてきたのか、昨晩別れの電話をした後に画策し、こうして娘が突撃しに来たんだ。先生が知ればきっと止めていたし怒る。
妹思いな長女と世話焼きな次女だ。先生が倒れてから子供たちは、母親だけでなく俺に対しても体調の変化に敏感だ。
気持ちは伝わった。だが、子供に看病される程落ちぶれたつもりはない。
はにかんでいる笑顔は可愛らしい…が。
「というわけでお邪魔し――あれ?」
「…その手は何よ」
「風邪、移るから帰りなさい」
「…ここまで来て?」
「…片道いくらしたと思ってるの」
「Uターン、電車賃はやるから――ぐおおおっ!? ふ、不法侵入はやめろ!」
帰れ、と突っぱねたら無言で体当たりしてきやがった。膨れっ面で腹にしがみついてきて、ズルズルと部屋に押し出されていく。
抵抗する間もなく二人の襲撃を許してしまった。姉妹のコンビネーションには目を見張るもので、お互いに目を合わせることなく同時に動きやがった。
もう勝手にしてくれ。じゃれついてくる一花と二乃を引き剥がして少し休む。
あまり動くと咳き込んでしまいそうだ。せっかく一晩寝て回復してきたのにぶり返してしまう。
「無駄に汗かかせやがって…病人を労わる気ないだろ」
「ごめんって
でも辛いなら大人しく休んで、お姉ちゃんに看病されなさいってば」
「おまえにだけは言われたくない」
「何で!? もう、大人しく寝てなよ」
「フー君、ほら、かがんで」
「んぐっ」
「ふふ、冷えたら大変だもの」
…見舞いに来た自覚はあるようで、二乃は持っていたハンカチで汗ばんだ額を拭ってくれた。
風邪移っても知らないぞ…馬鹿は風邪ひかないを体現したいのならご自由にどうぞ。
世話好きな二人には敵わず、一花に背中を押されるがままベッドに横になった。
「フータロー君、お昼はまだだよね?」
「ご飯作ってあげるから
…って、ちょっとフー君ッ 冷蔵庫空じゃないっ!
これでどう土日過ごすつもりだったのかしら?」
「少し良くなったら買出しに出るつもりだったんだよ」
「まったく、私のお師匠様だってのに呆れたわ
はい」
「…」
はいって…手の平を差し出された。
何のことか分からず、黙ってその手を握った。
二乃もまた黙って手の平で重ねて両手で包んでくれた。
その手を一花が見つめ、交互に二乃を見やる。物申すのも億劫で、沈黙が続いた。
「…えっと、二人共何してるの?」
「はっ 違うわよバカっ!
誰が手を握れって言ったのよ! お金よお金!
ご飯買ってきてあげるから!」
「…何だ金かよ、ったく
カバンに財布あるからよこせ」
「ちょっと、怒らないでくれる!?
あ、でも私の可愛さに勘違いするのは無理なかったわね
ふふん、存分に握ってるといいわ」
「はいはーい、いいからお金取りにいってらっしゃい」
何かと思ったら金か。他意はなかったとはいえ、お金に負けたお兄さん寂しいぞ。
俺の逆ギレに憤慨しつつ、二乃は仕事に使う俺の鞄の中を探っている。
ついでに洗っていなかった水筒も取られて小言が飛んできた。文句は昨日の先生に言ってくれ。
寝床に横になっていると自然と力が抜けていく。眠ってしまいそうなものだが、意識はまだ手に集中している。
視線を向けると一花が手を握っていた。
「…
急に何だ、一花」
「金運アップ」
「小遣いはやらんぞ」
「なんだ、残念」
「…にぎにぎしても変わらないからな」
「んー?
…あはは こうすると安心するでしょ」
「…」
半分に欠けても五つ子たちは変わらず騒がしいもので。少しませた、背伸びとは違う大人びた子供の笑みに俺もつい笑ってしまった。
二乃から受け取った財布から二千円程手渡した。あまり金を渡すと大荷物になるからな…程々の買い物にしてもらおう。
「じゃあ一花、くれぐれもフー君の看病頼んだわよ」
「なんか釈然としない言い方」
「超絶怠け者なあんたに任せていいのか正直不安だもの」
「一人で行く勇気がなかった子が随分な台詞だねぇ」
「お、お小遣いピンチだったから仕方ないじゃない」
「お姉ちゃんをお財布代わりにするなんて…聞いたフータロー君!?」
「病人を起こすんじゃないわよ!」
仲が良いと思ったら急に口喧嘩が始まったり、長い付き合いだが見ていて飽きない奴らだ。というか、うっさい。
これにあの三人が加わると高確率でこちらに被害が及ぶわけで、どこか少し物足りない光景だと思ってしまった。
少しうるさいくらいがこの部屋には調度良いのかもしれない。二人の声を耳にしながら瞼が下りてしまいそうだ。
がちゃり、と二乃が外へ出ていくところで体を起こした。
「二乃」
「ん?」
「…気をつけてな」
「…んっ
とびっきりおいしいの作ってあげるから待ってなさいっ!」
何を見て笑ってくれたのか、二乃は手を振って静かにドアを閉じた。
「…一花、あいつらはどうした…?」
「ん?」
「…三玖と五月…四葉も」
「フータロー君」
ここにはいない子たちが気になっていた。あいつらを待たせていい問題ではないんだ。
長女になら聞けると見て尋ねたのだが、一花は俺の心配など露程も気にかけず、俺を手で押さえてベッドに寝かそうとした。
反抗せずにそのまま横になると、一花はほんの少し怒っていた。
「もう子供じゃないよ」
まだ小学生の子供の言葉だ。不満を口にする時の無謀な願望だ。
だが、一花の言葉に静かに力を抜いた。お節介なのは俺だったようだ。
小さな体と手を使って、一花にかけ布団をかけられる。二乃が心配に思うような素振りは一切見られない。
心配はいらない。今は休んで。そんな優しい手つきが胸元をなぞっていった。。
「…少し休む」
「うん」
「一花、後で話を」
「寝ていいんだよ」
「だが…あいつら、また泣いて…」
ここ最近は三玖と五月の笑顔を見ていない。四葉も怒らせちまった。
昨日見た子供たちのあどけない寝顔を目にしてから…やはりあいつらには笑っていてほしいんだ。
まだ傍にいてほしいと手を伸ばすのなら、その手を取りたい。先生も俺も、おまえらを置いていったりしないのだから。
眠気が襲い、一花に見つめられたまま暗く視界が閉ざされた。
手に小さな感触が宿る。
いつかの昔。似たようなことがあった気がする…その時は俺が小さな子供を寝かしつけていた。
どうしようもない人だと、笑われてしまっただろうか。それでも温もりは手の平から零れずにいてくれた。
美味い昼食を頂き、薬を飲んでからは再び休ませてもらった。
せっかく来てくれた二人に構ってやることはできなかったが、横になっていたお陰でだいぶ楽になった。
目を開けて凝り固まった体を起こすと、窓の外は真っ暗だった。
…一日があっという間に終わってしまい少しショックだった。
薄暗い部屋がパッと明るくなる。振り向くと一花が部屋の明かりをつけたようだ。
リビングのテーブルの上には男物の衣類を綺麗にたたまれていた。寝ている住人に代わり洗濯物を取り込んでくれたらしい。
時刻を確認すると8時過ぎだった。
は? 20時? 夕方どころか夜?
こ、こいつらちゃんと飯食べたのか…? 兄貴分として非常に心が痛む。
「悪い、寝すぎた」
「何度か声かけてんだけどね
もしかしたら風邪薬のせいかな…? 熟睡してたよ」
「風邪薬でここまで効くもんかよ
…おまえ、まさか盛ったり」
「えぇええっ!? それは流石に心外なんだけど!?
そ、そりゃあフータロー君からしたら私は可愛い小悪魔みたいな嘘つきさんかもしれないけど
そこまで落ちぶれてないってば」
「だよな…すまん
流石に薬を盛るなんて酷い真似はしないよな」
「するわけないじゃんっ!! 本気で怒るよっ
本気で心配してここまで来たのに酷い!」
「悪かった、機嫌を直してくれ」
「…」
風邪気味とはいえ、あまりにも深い眠りについた動揺から前科持ち多数の一花を疑ってしまった。主に怠慢と虚言でな。
あらぬ誤解に不機嫌さを醸し出す一花の横で、おもむろに二乃は立ち上がって台所のゴミ箱へ向かっていった。素早く、大股で。
ぱこーん! と軽快に振り上げた何かを蓋付きのゴミ箱の中に叩きつけていた。
そしてゴミ袋をギチギチに、きつく閉じていた。
俺は一花と並んでその奇行の一部始終を諦観している。
「あ、明日は可燃ゴミの日だったかしらー? 病人に代わって捨ててきてあげるわ」
「…」
「…」
「な、何よその目は!
私が何をしたと言うのかしら? 証拠も何もないじゃない」
「そのゴミ袋にあるんじゃないか、証拠」
「ゴミを漁るなんて貧乏臭いことこの上ないわね、醜いわー」
「ねえフータロー君 お母さんが最近私に相談してきてね」
「ああ」
「昔処方された睡眠薬の数が合わないって
市販のと違って効き目強いから誰か持ってないか心配してた」
「二乃、ちょっとその袋よこせ
おい逃げるな! おまえ絶対に盛っただろ!」
「眠れたからいいじゃないのよぉ!」
先生に似て逃げ足の速い奴。二乃はまだ小さいゴミ袋を持って外へ走っていった。
ゴミの日は確かに当たっているから性質が悪い。家庭的過ぎる…いや違うか。
まさかと思ったが、先生の薬を昼食に紛れさせたようだ。おまえの飯を食うのに勇気がいるようになっちまったぞ、二乃。
「妹がごめんなさい」
「…悪気はなかったのならいい…後できっちり説教するがな」
「お手柔らかに…」
「しかし参ったな、こんな時間じゃおまえらを二人だけで帰すわけにはいかない」
「…はっ! つまり泊まり!?
わお、やった! 二乃グッジョブ!」
「おまえも説教されたいのか?」
「お泊りなんて凄い久々ー」
さっきまで妹の犯行に罪悪感を抱いていた長女が玄関へ向けてサムズアップしていた。この悪ガキめ、泊まりなんて認めねえぞ。
えらくご機嫌になった一花は俺の話を聞いていないようで、二乃に代わって母親に電話するようだ。こういう時の行動力は凄まじい奴。
時刻は八時過ぎ。こんな夜中に小学生を徒歩で帰れない距離を歩かせる奴がいるか。一発で先生から絶縁を突きつけられるぜ。
これを見越して犯行に及んだんじゃねえだろうな。子供の悪知恵の高さが上がってきているぞ。
手ぶらになって戻ってきた二乃を問い詰めると、黙って目を逸らされた。確信犯だった。
問答無用でデコピンして二乃が悶絶しているところで、一花が携帯を俺に手渡してきた。
子供からの要望は伝わったようで、最後に保護者からの確認が求められている。
「先生、すみません
寝過ごしてしまったせいで…」
「謝る程のことではないでしょう
娘が考えて決めたことなら、親がとやかく言うつもりはありません」
「いや、俺風邪気味だしな…移したら悪い」
「…
貴方がこれまでに私に向けて言い放った言葉、思い返してください」
「…」
ああ、覚えてる。口にする度にあんたから返されないか不安があった。
一人でできないのなら頼れ、無理をして家族を困らせるのならしっかりしてみせろ。
高校時代、先生に向けて言い放った思い遣りのない事場だ。
だからこそ、先生は変わってみせると俺に宣言したんだ。俺に頼らない、強い人間に変わるから将来を見据えて生きなさい、と。
病の度合いはまったく違うが、指摘を受けた先生からしたら俺の態度は気に食わないものだろう。
袖を引かれる。手を引く方へ目を配ると、二乃がこちらを見上げていた。
「フー君はお母さんと結婚して、風邪ひいたら…家を出て行くのかしら?」
「…」
「家族が看病するのが普通なんじゃないの、親になるのならね」
「…ああ、そうだな」
この二人はまだ全てを認めてくれているわけじゃないだろう。だが全てを無碍にしてしまう程気遣いができない年頃ではない。
本当の親になった時、このような振る舞いはできない。自覚のなさを二人に見られ、降参せざるをえなかった。
「上杉君、子供たちをお願いします」
「…ああ、任せてくれ」
「とはいえ、貴方がお世話される側でしたね
大人しく休んでいなさい」
「う、うっさい、元はあんたの睡眠薬が原因なんだぞ」
「…ま、まさか上杉君に飲ませたの…!?
や、やはり二乃が持ち込んでましたか…すみませんっ!
具合悪くなっていませんか? 吐き気や眩暈がしたらすぐにお医者様に――」
「打たれ弱すぎだろ、あんた
お陰でぐっすり眠れたぜ」
打って変わって腰が低くなる五つ子の母親に苦笑してしまう。これは帰ったら二乃には説教が待っているな。
電話を受け渡されるのを察したのか、二乃と一花は俺を置いて台所の冷蔵庫を漁っていた。夕飯をこれから作るようだ。
…ちょうど良かったのかもしれない。このまま携帯を借りて先生に頼み事を伝える。
俺の言葉に先生は落ち着きを取り戻して、快く了承してくれた。
少しして。静かになった通話相手から、ほんの少し物音が聞こえた。
「…三玖か?」
「…」
黙りこくってしまっている相手は、恐らく三玖だ。口を閉ざしている子供が今何を思っているのか予想できない。
遡ると、三玖とこうして落ち着いて話すのは…先生が退院した後の買い物以来か。あの頃と比べて元気がないのは明白だ。
五月と同じく、先生との結婚に反対する子の一人だ。
似て異なるのは、三玖は昔から言い続けていたものがある。
その気持ちを見守ってきた身として、けじめをつけないといけない。
いつまでも思い続けても、報われることがなければ…その子が可哀想だろう。
「いつか話がしたいんだ」
「…聞きたくない」
「三玖」
「四葉みたいにはなれない…
一花と二乃も…五月も…諦めて応援するんだ
…こんな終わり方、嫌だ…っ」
耳にする声は震えている。姉妹が気楽に笑う中で、とても笑えそうになく泣いてしまいそうな子がいる。
今ここで話すべきものじゃない。このままでは眠れなくなってしまうかもしれないから。
おまえが泣き止むにはどうすればいいんだろうな。我侭ぐらい聞いてやると言っているのに。
「三玖、おまえの本音が知りたい
その時でいい」
「…」
「…最後に五月に代わってくれるか?」
「うん…五月も話したがってる」
やっぱり姉妹には優しい子だ。泣きそうになっても妹を心配に思う気持ちは手放していない。
三玖は母親の携帯を持って五月に手渡すだろう。その前に伝えておく。
もしかしたらもう、耳を塞がれているかもしれない。
言いたいのは、ただのお節介だ。
「三玖」
「…」
「風邪ひくなよ」
「…っ…
フータローも、ね…」
その返事を最後に、ノイズが耳に入る。恐らく五月に手渡したんだろう。
「…もしもし…五月です」
「上杉だ」
「…三玖、泣いてた
どんな酷いこと言ったんですか」
「…風邪ひくなよって言っただけだ」
「…上杉君が風邪ひいてるじゃないですか」
やはり余計なお世話だったようだ。そりゃあ風邪ひいてる奴から助言を受けても、大人しく寝てろとしか思わないだろう。
五月の態度は思っていた以上に冷めたもので、とうとう見限られたかと判断に迷う。
五つ子から好かれている理由は、云わば雛鳥の刷り込みに近い。
子供たちがそこまで単純な思考をしていると甘く見るつもりはない。だが恩もあれば純粋に頼りやすい人間と見えているだろう。
いつかは終わる関係だ。小学校に上がれば。小学校高学年か。 流石に中学では兄離れするか。
そう疑いつつ過ごしてきた数年間は取り越し苦労ばかりだった気がする。
だが…もうじき終わりが来るだろう。
それが兄離れなのか、父親代わりなものにすり替わるのか、そんな違いだ。
「殊勝にしているところ悪いが、おまえには遠慮しないからな
姉を利用して良いとこ取りしようなんて度し難い
近い内に二者面だ、覚悟しろ」
「べーっ!」
「ず、随分な態度じゃねえか…
良い度胸だ、俺に嫌われたっていい覚悟があるんだろうな?」
「ふんっ 上杉君のことなんてもう熟知してますから
お話を聞かなきゃいいだけだもんっ! そしたらずっとこのままですし!」
「ずっとこのまま? 馬鹿言ってんじゃねえ、甘ったれなおまえが冷戦なんてできるかよ
自爆するのが目に見える」
「…我侭言っていいって、言ったじゃないですか」
「そうだが…話をしないのは論外だ、俺はそんなお人好しじゃない
おまえたちは知らないんだろうな…俺は外では酷い男なんだぜ
面倒だと思えば、おまえだって切り捨てて嫌いになるぞ」
「…ならないもん」
「…」
「…上杉君のそれは…変わらないって知ってます
私たちが一番好きだって、言ってくれたましたよね」
この野朗…俺を看破したつもりか。生意気が増していやがる…そのふてぶてしい頬を引っ張ってやれないのが残念だ。
変わらない、か。ある意味的を的を射てやがる。確かに俺の醜い部分は変わることはないだろう。
同時に、おまえらを手放せないのかもしれない。む、むかつくぜ…こんなガキに言いくるめられるなんて。
頭お花畑な五月には悪ぶっても逆効果か。開き直った末っ子は駄々をこねるだけで道理が通ると思い込んでいやがる。
「…おまえが嫌と言うのならそれでいい
そう伝えたはずだ」
「…」
「…先生が心配か」
「…お母さんには…幸せになってほしい、です
退院したんです、これから…これからなんですよ」
「ああ」
「…うぅ…うぅぅぅぅぅぅうううっ」
幸せを願い続けた相手には我侭が通らないと知って、母親思いの娘は泣き声を忍ばせて唸っている。
また泣くのか。電話はとことん苦手なようだな、と仕方なしに慰めの言葉をかけてやるところだった。
ブツリ。
耳を疑いたくなるような鈍い音が携帯から聞こえた。
以降は一定の機械音しか響かず。何度見ても、画面には数値が変動しない通話時間が記されている。
「…
…
五月ィッ!」
五月の奴、また誤って通話を切りやがったな。度し難い不器用さだった。
特別ゲーム機や機械の操作が苦手という訳ではないのに、なぜか携帯だけはダメなようだ。最後まで全うしたのは先生が倒れた時だけだ。
今頃向こうでは別の意味で泣いているんだろうな。かけ直して、と母親にせがみ泣きじゃくる姿が容易に浮かぶ。
四葉とも話をしたかったのだが、末っ子の魔の手がかかり妨害されてしまった。あいつのご機嫌取りは別の日にするしかない。
思うように話が進まない。五月の奴は完全に開き直り、我侭を通す気らしい。
男に二言はない。拒絶するのなら先生との結婚はしないと決めている。先生は無事に退院したんだからな。
あの人との約束では退院したら、という条件だったが…実際難しいものだ。
俺たちの都合で押し通せるわけがないだろう。俺にとっても先生にとっても、やはり五つ子が大切だ。
「…厚かましいか、五月が頷けないのも当然だ」
我侭を言っていいんだ。俺なりに、あいつらに示したい愛情なのかもしれない。
我侭ぐらい言ってほしい。それは俺の欲だ。
親父も…そうだったのかもしれない。だとしたら俺はあの人の、到底認められなかったあの仕打ちを受け入れるべきなのか。
家族に向ける答えはもう知っている。だが家族とて…やはり心の内を晒すのは怖くて、言い留まってしまう。
何事もなく、眠気も襲ってこず穏便に夕食を済ませた後、各々ゆったりとした時間を過ごす。
二乃には先に風呂に入ってもらい、テレビのない部屋で時間を潰すべく一花とトランプをしていた。
一対一の七並べ。数字には強い一花はやはり手強い相手で、手札次第では簡単に詰むことになる。
淡々とお互いにカードを切る。日常的な会話を乗せて。
「フータロー君はお母さんと結婚しないままでいいの?」
「今したい理由も必要もない」
「なんか冷めてるね
お母さんのことだから逃げちゃうんじゃない?」
「逃げられたら追いかけるし
おまえら五人を捕まえておけば逃げられないさ」
「ストーカー外道だね」
「で、おまえは好きな男子とかいないのか」
「ここでI love fall in youって言ったらどうする?」
「明日、英語の辞書持たせて帰らせる」
「ナイスジョーク、ウエスギフータロー!
あ、勝った」
「うぜぇ…」
「あはは」
腹立つ上に負けた。人の家に泊まることにテンションが高くなっているようだ。
まだ一花には手札が残っているが、もう残りのカードを見ればこの後の展開はわかってしまう。タイマンだと姑息な手を使わなければ運勝負にしかならん。
1から13まで、綺麗にカードが並んだ後にまとめる。なぜかやたら1が来ることが多くて負け越してしまったぞ。何か陰謀がありそうで怖い。
「遅くても、おまえらが高校生になってからでも良いだろう
その頃にはおまえらも好きな男子ができて、交際してるかもしれないしな」
「…高校生になったら…ふーん…
ほらほら、どう? ぐっとこない?」
どこの雑誌の女優を真似ているのか、腰をしなやかに曲げようと魅せてくる子供がいる。
一目見た後、トランプを箱に詰める。
「…」
「…」
「…というかね!」
白けた沈黙が漂っても一花は懲りずに攻めてくる。
「高校生になったら、私もお母さんみたいにイケてる体になってるかもよ?
フータロー君もなんだかんだ見てるから知ってるでしょ、ちょっとずつ胸大きく――」
「適当に頃合見計らって先生と話すのが無難かもな…」
「これはもうあれだね、将来モデル級の美人さん…いや、モデルが生まれ――」
「先生も子供がどうこう言ってたし、後五年以内なら先生の負担も少ないだろうしな」
「今時十歳差カップルなんて普通普通! というか女性が若いほうが男の子は嬉しいでしょ?
いっぱい尽くしてあげるのになー」
「生まれてから姉貴分なおまえはともかく、五月が何て顔するのか見物だぜ」
「あっーー!!
お母さんとフータロー君の子供が妹なんて私は嫌だからね!」
「道は険しいようで」
馬鹿やって誘惑してくる少女は膨れっ面で背中を叩いて抗議する。おまえが順調に成長しているのは分かったから。
からかってきたり、誘惑してきたり、気安く触ってきたり、中学高校でもこんな調子だと小悪魔みたいな女になりそうだな。
現に一花は学校ではクラスの人気者で男子にモテるそうだ。あまり馴染めない三玖や、最近衝突が多いらしい四葉の面倒を看てあげる面倒見の良さも好評のようだ。
おまえか二乃なら小学生でも、彼氏できたーとか言って喧しくなるかと思っていたのだが…休日は俺を呼び出すことが多くて兄貴分として複雑だ。
「フータロー君、そういう軽はずみな煽りは三玖と五月ちゃんの前ではやめてよね」
「挑発してきたくせによく言うぜ…」
「…わかってるよ、私たちだってお母さんを応援するつもり…したつもり
でないと、お母さんまた一人で頑張っちゃうから」
「一昨日チューしろとか悪巧みしていた奴が何を言うか
母親が寝てる横で、それも何かのドラマの影響か」
「…
今はお母さんいないよ?
二乃は長風呂だし」
「先生を応援するんじゃないの?」
「ああしないと、お母さん変われないじゃん
倒れて入院して、退院しても前程元気なかったもん、お酒飲んだら泣いちゃったし
困ったお母さんだけど、大好きなお母さんだから」
先生が髪を切った経緯は知っている。どうもちぐはぐな気遣いだと思っていたが、あの光景の中で子供たちなりに危機感を抱いていたようだ。
酒に酔って、娘を抱いて泣いた母親に何も思うわけがなかった。
抱きしめ返していた時は少なからず、母親の幸福を一番に願っていたんだろう。
笑っていてほしい。五人の子供の育児で意識していなかったお洒落をしてほしい。同じ女であり、娘だからこそ強引に手を引っ張ったのだろう。
それが家族愛というべきものなのだろうか。家族の為なら己の信念も、願ってやまない大切な感情も犠牲にして背中を押そうとする。
…ふと、自室の棚のほうへ視線が移る。
「…気持ちだけ急いても、良いことないぜ」
「わ、わかってるよっ
でもいいの! お母さんを応援したことは皆後悔してないし!」
「そうか」
気持ちには気持ちで応えたい。そんないじらしい優しさを茶化された子供は怒っていた。
親父が返してきたあの金にも、似たような意味があるのなら。
先生はこれまでの信条を捨て、俺にデートを申し出た。
五つ子は後悔すると知りながら自身の気持ちを押し殺して、母親の幸福の為に背中を押した。
一方で俺は自分を捨てきれずに、親父から返された金に怒ってしまった。
気持ちを重んじる気持ちが…違った。
「…子供にも負けていたか…」
「フータロー君?」
「一花」
駄目な男で悪いな。何年経ってもおまえらに迷惑をかけてばかりだ。
少しだけだが、俺は何をすべきか見出せた気がする。
五つ子と先生の間には確かな絆がある。それは思いを通わせた最愛の親子だからだ。
俺たちはまだ何も話せていない。親の気持ちを知らない。子としての思いを口にしてはいなかった。
一花は心配げに顔を覗いてくる。顔色を窺う一花の手を取った。
かがんで、手を引いて、抱き寄せた。
驚いた子供は体を強張らせ段々と体温が上がっていた。
「ふ…フータロー君…っ」
「なんだ、キスされると思ったか?」
「…」
「…まあ、おまえには何度も世話になった」
「お、おおっ…
でもそれは、フータロー君が好きだから…
あ、言っちゃった…あぁ、やっぱ軽いなぁ私…っ!」
マジで顔が真っ赤だ。普段生意気な態度で弄ぼうとする悪ガキが、大の大人を意識しててんばっている。可愛いところあるじゃねえか。
好き、という言葉は何度か聞いていたつもりなんだが、本人は暴露したことに余裕を奪われ一層真っ赤になっている。
緊張しながら期待しているのがバレバレだ。こちらの顔を見ては逸らして…羞恥を堪えながら待っていた。
がららっ と脱衣所のドアが開く音が割り込んできた。
もうじき二人きりの時間は終わる。
「一花、上がったわよー」
二乃が風呂から上がったようだ。期間限定な悪巧みはこれまでとなる。
腕を離すと一花は慌てて離れる。
しかし離れようとした足だけは、踏ん張って留まっていた。
口をきつく閉じてこちらを見上げてくる。何か大事な機会を失わない為にせがんできている。
好き、という気持ちが我侭にさせる。無言の訴えが本気なんだと伝わってくる。
「残念だったな」
「っ
…い、いいよ、このくらい別に」
前から言っていたことだ。おまえが本当に好きになる相手は別にいる。
兄貴分は精々おまえのバージンロードに付き添うくらいが限界だ。おまえが選んだ男性の元へ見送る為のな。
期待が外れた一花は、むすっとした顔をして背中を向けた。極端な態度だ。
そのまま離れていき、脱衣所へ向かおうとしている。
「こんなもので見合うわけがないだろうがよ、一花」
「? なに…うわわっ!?」
「悪い男に騙されるなよ」
本気でびびったのか、背を仰け反らせて倒れそうになった子を腕を回して支える。
間近に寄られていたことに驚いて飛び跳ねた一花には悪戯で返してやった。
ませた女には物足りないし、子供扱いでしかない。
そっと一花の額から離れる。転びそうになった足はちゃんと床についている。
男からの贈り物なんて何の足しにもならないだろう。
一花はぽかんとした顔をしていた。唇を当てられた額を抑えつつ。
「何やってんのよ一花、早く入っちゃいなさいよ」
「…
あ、うん…」
寝巻きに着替えた二乃が脱衣所から出て、一花に入るよう促す。
時間制限を越えたことをセンサーが鳴り響いて知らせているぞ。
一花はぺたぺたと歩いていく。静か過ぎるくらいに。
何事かと二乃から目で訴えられたが、二人きりの内緒らしいので俺からは何も言えない。
部屋全体が無音だと、一花が風呂に入った音まで微かに聞こえてくる。
「もうバカじゃないの、バカじゃないのぉ!?
諦めようとしてるのにさぁ!
好きになっちゃうでしょうがっー!」
自分からせがんできたというのに、酷い言われようだった。
俺にドラマのような展開を期待するのがまずおかしい。悪戯は成功したようだ。
「な、なに、一花どうしちゃったの!?」
「そっとしておいてやれ」
ばしゃばしゃと水音を派手に立てて一花は一人で叫んでいた。自称将来イケてる体が裸で何を叫んでいるんだか。
悶えている一花には悪いと思っている。しかし、これで腹は据わった。
携帯を手に取って、疑問が募り困惑する二乃を置いてベランダに出た。
一花には昨日に続いてしてやられている。年々手強くなっていくお姉ちゃんだ。
恐らく、もうしてやることはなさそうだ。
これで最後だ。おまえに負けた、敗者からの戦利品だ。
だがあいつの、初めて見たあの表情を思い浮かべると…少し残念に思えてしまった。
模範となる家族とははどんな形になるのだろうか。
俺がよく知る家庭は、片親でままならない生活に苦労して悩む暇などなさそうだった。
日常的な忙しさは家族との会話を減らしてしまう。思い込みが家族の気持ちを決めつけ、身勝手に離れてしまう時もあるだろう。
こうして他所の家の女の子に慕われ、声をかけられる時間を過ごすと誤魔化される気分に浸ってしまう。
目に入れても痛くない程溺愛しているとはいえ、律しなければ。可愛さは罪だぜ。
「フー君、ちょっと顔、顔っ!」
「こらこら、二乃
それはデリカシーが欠けてないかな?
外見の悩みは本人にもどうしようもないことなんだよ
私たちはお母さんから授かった、この恵まれた美貌には感謝しないと」
「フー君はイケてるじゃないの
というか昨日からやたら容姿に拘るわね…男子から嫌われるわよ、そういうの」
「ほほー 二乃の直球死球が男子から不評を買っていないと」
「…あんたの変化球だって男子の眼前スレスレよ
それで可愛いとか言っちゃうあたり、最初から目がやられてるわ」
「テクニックの差だね!」
「あー! もう! あんたの男子限定の処世術なんてどうだっていいわ!
フー君朝から顔が怖いから、ママと顔を合わせる前に止めたかったのよ!」
「…そうか、気をつける」
風邪も無事に治り、朝から気合を入れていたつもりが逆効果だったようだ。
というか…あまり財布には金を入れていない身だ。
鞄をちゃんと背負ってはいるが、何かの拍子で奪われたりしないかと警報が鳴り続けているぞ。
そんな大人の事情を知らない二人は、お節介な程に俺の強張った顔をどうにかしたいようだ。
「まだ硬いわ、むにゅむにゅってしてあげる」
「顔がブサイクになって笑われそうだからいい」
「…
わ、私そんなに冷めた子に見える…?」
「面食いなのは確実だね」
「フー君は条件満たしてるじゃないのよぉ…」
「落ち込むなよ、おまえの良いところでもあるぞ」
「面食いが?」
「おまえは少し黙ってなさい
物怖じしない態度が、だ」
「…でもって…
やっぱそう見えるってことよね」
「…」
二乃は気遣い上手で細かいことにも手を差し出してしまうお人好しだが、本人のストレートな球は時に心を貫通してキャッチし切れない時がある。死球どころか射殺である。
学校ではその穿った物言いが目立つのかもしれない。ナイーブな悩みだったのか、ちょっと落ち込んでしまい励ますのに時間を要した。
同じベッドに割り込んでこようとする二人の襲撃を耐えた翌朝。自業自得で風邪をひいた男の看病を無事に全うした二人を家まで送ることになった。
仕事で疲れた母親の前では夜更かしはできないらしく。夜通しお話ししよう、ゲームしよう、と誘ってきてうるさかった。病人に何を求めているのか。まあ眠気は誰かさんのせいで皆無だったから付き合ってやった。
我が家とは違う家に寝泊りするのは純粋に楽しかったのだろう。だがやはり、住み慣れた地が一番落ち着く。
「ただいまー」
「ただいま、フー君連れてきたわよ」
「お邪魔します」
今週は会えそうにないと残念がられた奴に顔を見せることになる。気恥ずかしさか、居た堪れなさか、少し居心地悪いが敷居を跨いだ。
突如、重苦しいプレッシャーが襲いかかる。
昼食を食べ終えた頃なのだろう。エプロンを羽織って裸足で割り込んできた鬼教師に、三人揃って足を止められた。
「待っていましたよ二乃」
「ひぃっ!?」
我が家には娘の帰りを待っている母親がいる。なんだかんだ心配な妹がいる。
軽やかな足取りで帰ってきた二乃に待ち受けていたのは、温かい出迎えとは真逆な、説教モードの先生だった。仁王立ちしていらっしゃる…
髪を切った先生を見るのはこれで三度目になる。やはり美人だと惚けてしまうものだ。なのだが。
まだ三度目でここまで険しい顔を見せつけられると、何かもったいないような気分になる。美人が台無しだ、男が逃げるぞ。
まあ…誤薬ってのは命に関わるからな…俺もあの後知らずに追加で風邪薬飲んでたし。温厚で娘第一な母親でも許せないだろう。
どうやら先生の怒気を察した五つ子の残り三人は部屋の隅で縮こまっているようだった。流石に不憫に思う。
「ま、ママ? 一旦話を聞いて?
怒りっぽいと血圧上がるってお医者さんが」
「それは前にも聞きました
…弁解は聞きます」
「そ、その…ほら、フー君ってツンデレじゃない
大人しく眠ってもらうには最悪お薬の力も必要かと考えて」
「ツンデレ関係ありませんよね」
「私も眠れない日とかあるしっ」
「夜中に携帯を弄るからですよ」
「…
だ、だって…ママみたいに無理するなら
無理矢理にでも寝かせてやるもの…
それで風邪治ったんだから、ママに恨まれても文句は言わせないわよっ」
「…」
「…」
おい二乃、先生の弱点を抉るな。ぶっ倒れた前科持ちには黙るしかねーだろうが。母親が大好きと言いつつ容赦のない次女だった。
二乃だって何も知らない子供ではない。危険性を考慮してほしかったが、意味があって犯した過ちなら頭ごなしに否定してはいけない。
で…その困った時に俺を見るのはやめてくれないか。どちらも引けないようで、俺に説得を手伝えと助力を請う目は無視しておく。
俺には別の用事があるの。一花の後を追って険悪な親子をスルーして中野家にお邪魔する。一花のずる賢さもたまには役に立つな。
居間には昨日顔を見れなかった五つ子の三人が座り込んでいた。
「よう、おまえらも大変だな」
「上杉さん、風邪は大丈夫なんですか?」
「ああ、元から大して酷くはなかったからな」
「風邪は万病の元です、大人しく寝てるべきです、何で来たんですか」
「五月、おまえ昨日のアレは忘れてないからな」
「…
だ、だって…知らないうちに切れちゃったんですよっ
私だってもっとお話――」
「そっちじゃねえよ! あからさまに不遜な態度取りやがって」
「…
それは上杉君の日頃の行いが原因です! 私を放っておくのが悪いんです
べーっだっ」
「…」
この末っ子駄々っ子食いしん坊が。全然懲りてないな。
目元を指で引っ張って嫌悪を示す五月に対して、可愛さ余って憎さ百倍と言ったところか。可愛げのないガキだぜ…昔は可愛かったんだがなっ!
どうやら昔から俺が身構えていた事態が来たようだ。今まで慕ってくれていた五つ子がとうとう兄離れ、もとい嫌われたようだ。反抗期だな。
無関心よりはマシなのか、今はそんなことどうでもいい。大好きとか言っておきながらこの手の平返しは受け入れ難いぜ。
「あれま、五月ちゃんがフータロー君と喧嘩? なんとも珍しい」
「うーん、仲直りできたらいいんだけど…なんか怖いよ」
「昨日から変…
でも五月、電話切れたら泣いてた」
「大泣きだったね、上杉君に嫌われちゃうって」
「ふっ ざまあ見ろ
頭を下げてかけ直してくれても良かったんだぜ?」
「うるさいですねっ 私が反対してる間はお母さんと結婚できないんだから!
このまま一生独身です! さあ、どうするんですかっ?」
「じゃあ私がフータローのお嫁さんになってあ――」
「そうじゃありません、三玖は黙っててください」
「…フータローが一人なら…私がいてあげるのに…っ…」
「よ、よーしよしよし、こっちおいで三玖
なんかこっちも空気悪いし、フータロー君が抹茶のお菓子買ってくれたから食べよっか
みかんもあるよ、四葉」
「背に腹は変えられません、ここは仕方なく四葉も釣られてあげましょうかねー」
三玖、末っ子に負けるなっ その言い分が押し通られても困るが泣くんじゃない。五月の反撃に泣かされた三玖はすごすごと下がっていった。
一夜見ない内に様変わりした妹に一花は危険信号を見たようだ。ひとまず三玖を連れて避難してくれるらしい。賢明だ。
らいはの言っていた家庭崩壊とはこのことか… しかも、これはほんの触りでしかないのだろう。
五月の奴、ここまで強情な奴だとは思わなかった。ちょっと冷たくしてやったら怯むかと思いきや…甘く見ていた。
しかしながら、性には抗えないというべきか。俺から土産があると聞いて興味が向いたようだ。
意地悪な男がおやつを買ってきたと知って、四葉の言うとおり背に腹は変えられない食いしん坊が心をへし折って寄ってきた。
「…
わ、私のはありますか…?」
「不届き者にあるわけないだろ、水でも飲んでるんだな!」
「ッ!!!」
「痛てぇえーーッ!?」
意地悪が過ぎた。我慢ならなかったようで五月に思いっきり手を噛まれた。
歯型が付いたじゃねえか。血が少し滲んでる…滅茶苦茶痛い。思うようにならないジレンマに悲鳴を上げる子供からの物理的メッセージだった。
噛み癖でもあったか…? おまえが幼稚園の頃にだってこんなこと…いや、何度かされたな。
母親がいない家で添い寝してやった思い出が懐かしい。ぴったりくっついてきて眠る子が将来、家族に囲まれて笑ってくれることを祈っていた。
その未来が今ここに至る。昔良くしてあげた子にここまでされるとは地味にショックだぜ…別に痛みで涙が零れそうとかじゃない。涙は出たけど。
俺の悲鳴に先生と二乃が仰天し、こちらに寄ってくる。大したことないから手振りで制した。
「はぁ…まあいい、不満を隠して黙られるよりは
俺の言ったこと、ちゃんと覚えておいてくれよ五月
菓子でも食ってろ、これから別件で用があるから…今日はこれまでだ」
「…」
「悪かったな、話せて良かった」
「…っ」
道中コンビニで買ったシュークリームを手渡しておく。
自分だけないと言われて憤慨していた五月は、俺とそのお菓子を何度も見比べて…俯いてしまった。
「上杉君、体調が回復して間もないでしょう? 無理はしないことです」
「…家族と話すだけだよ」
「…
そうですか…
あなたたち三人は私の命の恩人です
いつまでも幸福で在られることを願っています
何かありましたら、私を頼ってください…必ず力になってみせます」
「他所の家庭事情まで解決しないでくれ」
「他所ですか…
可能性がないわけではないでしょう?」
「…高確率で」
「なら頼ってくださいね」
家族毎まるっと自分が幸せにしてやると宣言してきた。
両手で俺の手を掴まないで下さい、またプロポーズ紛いなことしやがって…!
子供たちが見ている前で情熱的なことを見せ付けてくれる。目を逸らせば五月と三玖は揃って渋い顔をしていた。母親の前でも躊躇しない奴らだ。
家庭の問題に他人を巻き込むのは気が引けるし、恥部を見られることで見る目が変わってしまうのではないかと危険視してしまう。
仮にも身内が、遊んでほしいと構ってきたり、生意気な物言いが絶えなかったり、泣きつくほど甘えたり、全力で突進したり、食い物を強請ったりしたら…気が気じゃないな。
まさか仕返しのつもりか。昔、俺が先生の家に通っていた頃の意趣返しか。
如何わしく睨んでも先生の表情は真剣なそれから変わらなかった。
「…先生には別の相談がある」
「?」
先延ばしにできない問題は他にもあるんだ。
ファンクラブができる程生徒から崇拝されている先輩だ。積み上げてきた年数が違う。
何度も似たような問題を経験しているだろう。笑顔で卒業してもらう方法を一緒に考えてくれ。
疑問符を浮かべる先生は素直に手を下ろした。
ただの恋愛バカならマシだった。
昔より柔らかくはなったが、真摯に他人と向き合おうとする恩師の姿は凛々しく…こういう一面に惚れた男としては、心臓に悪いだけだ。
「五月、三玖
俺はこれから家族に全て正直に話す
特に、親父には喋っていないことが多すぎる」
「上杉さんのお父さん…?」
「いつか、必ず
必要があっても、また次の機会があると思い込んでやらなかったんだ
…一度切りかもしれないが、先生の背中を押したおまえ達五人を尊敬する」
一時的な強がりだったのかもしれない。後にこうして姉妹喧嘩や親子喧嘩が生じることになった。
たとえ喧嘩しても、家族を慮る過去の気持ちは消えない。いずれ仲直りの術を知る鍵になる。
俺も欲しかった、今更取り戻せるか分からないが。いつか捨ててしまったものを取り返したい。
喧嘩するなよ、と一言年長者として釘を刺しておき、中野家から出ていく。
一度閉じたドアが低い音を立てて開かれた。振り返れば三玖がドアの隙間からこちらの様子を窺っていた。
「どうした、三玖」
「…」
「…おい」
「…」
返事なし。近寄るとドアの隙間が狭まり逃げようとしている。
一時昔に戻った気分だ。初めて会った頃は俺を警戒して一言も喋ってくれなかったからな。
五月と同じく、これも潮時だな。恋心を捨てろと言っているのに、変わらず慕われたままでいたいなんて人の心を玩具として弄ぶことと同義だ。
正当性を問う問題ではないのは確かだ。このままでは俺もこの子も報われない形で終わることになる。それは避けたいんだ。
傷つけた過去を忘れるのは簡単だが、傷つけられた痛みは消えない。
このまま背中を向けて去るのは心が痛む。どうしたものか悩んでいると、半開きのドアが開かれて腹に何かが直撃した。
「上杉さーんっ!」
「ぐっ…く、四葉か」
飛び込んできたのは四葉だ。ドアが全開になったことで隠れていた三玖が暴かれてしまったようだ。
こいつ、後ろから見ていたな… お人好しの筆頭である四女は一つ上の姉の背中を見て、居ても立っても居られなかったのだろう。
この突進もいつになったら卒業するのか問い質したいところだ。
しかしこの子からは別の点から成長を窺える分、うるさく言う必要はなさそうだ。その礼もしなくてはならない。
「昨日は二人の面倒を看てたんだろ
悪いな、姉貴二人取っちまって」
「そうだった、上杉さん
一花と二乃は上杉さん派になったんですか?」
「よくわからんが
昨日一花からは、俺の娘が妹になるのは反対だと拒絶された」
「ま、またしばらく私は孤立無援なんですね…上杉さん派ピンチです…
上杉さんの甲斐性なし、お父さん失格ですよー!」
手厳しい奴だな、おまえら五人の面倒を見切れるハードルの高さを自覚してもらいたいぜ。
暗い雰囲気を打ち消すように明るく元気に振舞う四葉は、三玖を手招きして外に出るように促した。
億劫そうな動作で靴を履いて玄関から出てきた三玖は…やはり何も言えそうになかった。
何か伝えたいのではなく、無言の抵抗と取るべきか。
「…三玖はちょっと心の整理中みたいなので
三玖に代わって四葉が上杉さんを応援します!」
「応援? いや、いらない」
「いいから待っててくださいね!
行っちゃ嫌ですよ!」
「…? 何なんだ」
この中でムードメーカーが欠けると気まずいだけなのに。四葉は構わずアパートの裏庭のほうへ回って行った。
こっそり覗いてくる三玖の無言かつ必死な視線を肌で感じる。
頭を撫でようとしてやめた。何の慰めにもならない自己満足だ。
少しして四葉が走って戻ってきた。その無駄に余った元気を三玖に分けてやってくれ。
お淑やかさが見られない子供から手を差し出された。
たった一つ、小さくて、素朴で、道端にありそうな、人によっては無価値なものだ。
「あげますっ!」
「…」
「ししし、四つ葉のクローバーです!」
贈り物にしては不恰好で泥臭いもの。葉には茶色い土がかかっていた。
急いで探していたんだろう。裏庭に咲いているのか…?
手の平を見せると四葉は渡してくれた。
貴方にも幸運が舞い込むように。
幸福を願うからこそ、あげたい気持ちだろう。
知らず知らず小さな命を一つ摘み取ってしまう行為。不恰好な贈り物には笑って見送る四葉の気持ちがあるとしたら。
「…知ってるか、四葉、三玖
三つ葉が四つ葉になる理由を」
「…三玖が四葉に?」
「違う、普通クローバーは三つ葉…
理由は知らない…」
白詰草。この四つ葉のクローバーはそう呼ばれている。恐らく。花には詳しくないんだ。
荷車などで物を運ぶ際、緩衝材代わりに商品の下に詰められていたらしい。だから白詰草。
名前からして、下敷きにされ、踏まれ、何かの見栄えを保つために犠牲となったもの。
四つ葉のクローバーの葉にはそれぞれ花言葉がある。
信仰。希望。愛情。幸福。三つ葉にはない言葉だ。
本来三つ葉であるこれが、なぜ四つ葉になるのか。なぜその言葉を得るのか。
「おまえらしいな、四葉」
「ん? あ、四つ葉ですからね!」
「だな」
小さな子供の頃に、傷つけられ、それでも無事に育った先で葉は四つになる。
怪我をしても生き残ってくれた。傷ついても優しく育ってくれた。その幸運の象徴だ。
四つの葉には意味がある。尊敬の言葉でもあるんだ。
「綺麗だよな
花なんて詳しくはないが、俺は好きだ
これも、今好きになれた」
「…」
「なんか…照れくさいですね」
「ありがとな、四葉
受け取っておく」
「…えへへ、なんだって、四葉ですもんね!」
優しい花だ。痛みは消えないが…それを糧に美しい様を見せてくれる。
無邪気に笑う子供に教えられてしまった。先程無闇に傷つけることを恐れていた迷いが少し晴れた。
傷ついて、泣き崩れて、塞ぎ込んでしまうような未来を危惧していた。花は踏み躙られれば無残に花弁を散らしてしまう。
だが、一度も傷つかず生きていけると思う程、この子たちは甘ったれた生き方をしてきたわけじゃない。
軽く見ちゃいけない。この子たちの強さを信じよう。
「…またな、三玖」
「…」
小さく綺麗な葉を傷つけないように、力を抜いてそれを握り締める。二人から踵を返してこの場を去った。
自然と肩が力んでいた。四葉が差し出してくれた思い遣りに少し気持ち楽になった。
花とかクローバーとか似合わないってのに。
昔を思い出して、やはり笑ってしまった。
泣き顔よりも、やはり
「…」
「三玖? どしたの、手なんか見て」
「…ううん、何でもない」
好きな人には笑っていてほしい。