五等分の園児   作:まんまる小生

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涙は零れず恵みは静かに零れるその7 うえすぎ

「フー君!」

 

 

 

 中野家から歩いて少しした先で、背後から声をかけられた。

 

 ふと、いつからそのような呼び方に変わったのかと、一所懸命に駆け寄ってくる子の表情を見て思い返した。

 

 五つ子の中でも逸早く疎遠になるだろうと思い込んでいたら、懐に入り込んで迫られてしまっている。

 

 思い返せば、そのお人好しで詰めの甘い性格から、昔から損をして困った子供だった。

 

 

 

「二乃…?」

 

「はぁ…はぁっ…

 わ、私も…行くっ!」

 

「は?

 行くって、俺の実家?」

 

 

 

 母親から説教を食らって半泣きだった次女が、今度は他所の家庭問題に首を突っ込む気らしい。一体何のつもりだ、そこまで母親に似なくていい。

 

 家から全力で走ってきたんだろう。二乃の呼吸が整うまでしばらく足を止めて待っていた。

 

 さながら危機に駆けつけたヒロインってところか。膝に手を添えて汗を流す子は必死だった。

 

 ちなみに四葉のクローバーは鞄にしまってある。こんなもの大の男が持ち歩いていたら冷ややかな目で見られてしまう。

 

 

 

「…ふぅ…

 仮にも、あんたのお父さんが私たちのお祖父様になるんだし

 らいはお姉ちゃんもいるんでしょ?

 本当に家族になるのなら、無関係ではないでしょ」

 

「聞いて面白い話じゃないぞ

 下手したら見苦しい喧嘩が勃発するかもしれん」

 

「なら尚更じゃない

 …嫌ならいいわよ、話せないことだってあるし」

 

「…」

 

「でも…フー君

 家族に全部話すって言ったじゃない

 じゃあ…その、お母さんと結婚したら私たちも…一応家族だし」

 

 

 

 認め難いと反対しているにも関わらず二乃は拒絶する未来を慮ってくれているようだ。

 

 この子、俺や先生よりも融通が効く物分かりの良い奴。

 

 その潔さに出会った当時は長い事睨まれたもんだが、今では頼もしいものだ。

 

 

 

「…

 確かにな、おまえの言い分は正しい

 いいぜ、隠すつもりはねえよ」

 

「あ、ありがと…

 …あ、でも私も全部認めてるわけじゃないからね! そこんところ勘違いしないように!」

 

「上杉さん派になったり、五月派になったり、風見鶏な奴」

 

「乙女心は複雑なの」

 

「随分と都合の良い奴だ」

 

「…」

 

 

 

 思わぬ同行者ができてしまったが許容範囲だ。二人並んで歩く事にする。

 

 しかし了承したのに二乃は俯いていた。愚痴を零せばからかってくる二乃にしては元気がない。

 

 声をかけると慌てて走ってきた。慌てなくても置いて行ったりしない。

 

 昨日のことといい、徐々に五つ子の輪が崩れてきていると思われる。

 

 五人でいることを望んでいた先生にとって心を痛める変化なのかもしれないな。

 

 一つひとつ、子供は多くのものを見て、感じて、それを糧に育つ。これもまた二乃にとって成長するきっかけになるのなら拒む理由はなかった。

 

 

 

「フー君をお父さんって呼んでも、正直よくわからないわ」

 

「…だろうな、おまえらの親は母親一人だけだ」

 

「…フー君がお父さんになるって言われても実際想像できないもの

 何がどう変わるのか…身構えることしかできないわ」

 

「…本質は変わらないさ、これまで通りの暮らしを続ける

 こうして隣を歩くことだってできるし、見離したりはしないぞ」

 

「変わらないなんて言って誤魔化さないで

 五月がまた泣くわよ」

 

 

 

 どうやら二乃は今になって父親というものに興味があったようだ。この機会で知るべきだと感じて走ってきたのだろう。

 

 生憎、俺が教えられるものは少ない。俺にとっての父親は貧乏で寂しい人間。それだけだ。

 

 もし話せることがあるとしたら…足を止めて見慣れた家を眺める。

 

 

 

「…着いたな」

 

 

 

 うえすぎ。古い看板はいまだに残されている。俺の実家だ。

 

 昔は…小さな民家の一階に喫茶店があった。

 

 親父の未練か。それともお袋への手向けなのか、取り壊さず、引越しもせずに未だに残っている。

 

 俺は知らない。話し合ってすらいない。この先どうなるか。

 

 

 

「このお店…看板あったのね」

 

「ああ、俺のお袋が働いていた」

 

「…

 何で、いないの…?」

 

「交通事故だ

 俺が子供の頃に死んじまった」

 

 

 

 二乃はあの時…母親の死を覚悟していたのだろうか。

 

 あの病室で健気に母親を励まそうとしたこいつの心中は数ヶ月経った今もわからない。

 

 今まで子供たちには話したことがなかった、俺の母親の話は。

 

 もう思い起こせるものも少ない。どうせならもっと早く話してやりたかった。

 

 

 

「優しかった?」

 

「ああ」

 

「私のお母さんとどっちが優しい?」

 

「お袋と先生を比べるのはNG」

 

「ご、ごめんなさい

 …って、ママそんな歳取ってないわよ!! 失礼ね!!」

 

「お袋が亡くなった年齢を考慮すると、あの人は余裕で年上だ」

 

「…そ、そっか…」

 

 

 

 歳のことはいまいち記憶にないが、お袋は30を越えてはなかったんじゃないか…?

 

 だとすると…まあ先生とは軽く五年の差がある。いやもう考えないでおこう。

 

 それに、俺もあと数年でお袋よりも年上になる。

 

 

 

「考えられないよな」

 

「?」

 

 

 

 数年後、俺が交通事故で他界するとしたら。考えた事もないし、途方もない可能性に脅えるなど酷く馬鹿げている。

 

 ありえないと笑おうとしても、俺の母親は既に亡くなっている。

 

 …短い人生だ。あまりにも。

 

 それを一番に感じたのは、他でもない親父だろう。

 

 改めて生まれ育った家を眺める。小さな家。閉鎖的な、ちっぽけな世界。

 

 …先送りにしても問題はないんだろうな。何も失ったりはしない。

 

 

 

「…」

 

「…

 お、お邪魔…します…」

 

 

 

 無言で家に上がる。来客である二乃は不躾な俺の態度に恐縮し、か細い声で家に上がった。

 

 相変わらず狭苦しい家だ。だが俺のあの部屋よりかは明るい。

 

 軋む床を歩いて居間を覗くと、約束の場に二人は待っていた。

 

 

 

「よう、風太郎

 って、二乃ちゃんも来たのか、いらっしゃい

 また菓子作りか?」

 

「あれ? 二乃ちゃん?

 ん? あれ? 確かケーキ屋渡り歩くの来週の日曜じゃ」

 

「お邪魔します、おじ様、お姉ちゃん

 遊ぶ約束は来週で合ってるわ、今日はフー君についてきただけ」

 

「よかった、私勘違いしてたのかと

 あ、お兄ちゃんおかえり」

 

「俺より馴染んでない?」

 

「き、気のせいよ…良くはしてもらってるけど」

 

 

 

 俺よりも二乃の歓迎に注目されているようにしか見えない。

 

 らいはと二乃の仲の良さは知っている。らいはは基本五つ子全員と交流が深いが、料理上手という共通点から二乃とは話が合う。

 

 高校生になってバイトをしているらいはは、よく二乃や五月を連れてご飯を奢るらしい。勉強会か食事会の違いはあるが。

 

 居間のちゃぶ台の前に、親父の対面に座る。

 

 二乃も隣に正座して続いた。畏まる必要はないのだが指摘するのも野暮か。

 

 らいはは茶を用意しているようで。テレビのない静かな家には穏やかな一時が作られている。

 

 

 

「親父

 昨日電話で話した通り、話があってきた」

 

「…少しは落ち着いて茶でも飲んだらどうだ」

 

「茶を飲みに来たんじゃねえんだ」

 

「…わかった、外で話すか」

 

「いや、この場で頼む」

 

 

 

 この場で、と聞いて親父は二乃を見やった。

 

 二乃が遊びに来たんじゃないと知って、親父は意外に思ったようだ。他人に、それも子供に聞かせたい話ではない。

 

 二乃は俺たちの空気を察して、少し間を開けて座り直した。自分が邪魔だと思って距離を取ってくれたのだろう。

 

 本当に優しい子だ。そんな子供の前で、金の話をしなくちゃならないのは気が引けるものだ。

 

 持ってきた鞄からあの封筒を取り出す。

 

 バンッと音を立ててテーブルに置いた。

 

 

 

「返すぜ

 元よりこれは、この家の為にある金だ」

 

「…」

 

 

 

 返された物を一瞥し、親父は溜め息をついた。

 

 約500万の金だ。封筒を見ても額は分からないだろう。だが大金であることを察した二乃は驚いていた。

 

 そして、恐らく知らされていなかった俺の妹も。

 

 

 

「それって…お父さんの」

 

「?」

 

「…お父さん、大事にしまってたから

 やっぱりそれって、お兄ちゃんの仕送りだったんだ」

 

「ああ…毎月欠かさずにな」

 

「…やっぱり貯めてたんだ、お父さん」

 

「まあな…大事な金だ」

 

「…そっか」

 

 

 

 家事の面から家を支えてきた妹は昔から察していたようだ。

 

 らいはは茶をちゃぶ台に置いて、二乃と並んで座った。

 

 妹と父親の会話は途絶え静まった。重苦しい沈黙だ。

 

 親父は封筒を手に取った。

 

 

 

「…風太郎、零奈さんとの結婚式はどうなったんだ?」

 

「未定だ、それどころじゃない問題が出ている

 でもな、それとその金は別だ」

 

「…意地でも返すつもりか」

 

「あんたの言い分は理解できた

 だが現実的じゃない、わかってるだろ?

 もう亡くなった人の思いよりも、生き残った人を尊重してもらいたい」

 

「…

 とことん…報われねえな…あいつは」

 

 

 

 あいつ? 親父は天上を仰ぎ見て困り果てているようだ。

 

 だが…そうやって目を逸らすのなら受け入れるんだな。封筒を親父の前に押しやった。

 

 親父は一瞥し、手に取った。

 

 片手ではなく両手で。もう古びた袋は些細な傷で崩れてしまいそうだ。

 

 8年前は薄っぺらいものだっただろう。この人がどんな気持ちで重ねていったのかは知らない。

 

 バンッと先程と似たような音が響く。丁重に扱う気はないらしいな。

 

 

 

「ガキから取り上げる金なんざねえよ、持っていきな」

 

 

 

 断じて受け取らない。親父は俺を睨み返して封筒を手放した。

 

 子供に絆されて折れてくれる親の優しさは皆無のようだ。

 

 親の意地ってのは実に食えない代物だ。子供には何の腹の足しにもならないぜ。

 

 結局は、とうとう言い争いになってしまう。これまで避けてきたのに。

 

 

 

「借金はどうするんだ、らいはの大学も」

 

「おい、風太郎」

 

「らいはだって考えていない訳がねえだろ

 バイトだけしていた俺と違って、らいはは家事だって担っている

 この金でらいはの大学の費用賄えるのなら、親の意地なんて張ってんじゃねえ」

 

 

 

 らいはの目の前で話すべき内容ではない。親父は咎めたが俺は続けた。

 

 俺は勉強だけしていたお陰で大学の学費は大幅に免除されたんだ。

 

 それは少なくとも、飯や洗濯、掃除から何でも。らいはがこの家に尽くしてくれたからだ。

 

 遊びたくても俺たちのご飯を作るために早く帰ってくれた。小さな体で両手に荷物を抱えて、この家を維持してくれた。

 

 

 

「らいはは俺たちの大切な家族で、何よりも尊重するべきだ

 それはあんたと共通していたはずだ、違うか?」

 

 

 

 恩返しする責任があれば…決して、踏み台にしていいはずがないんだ。

 

 大切な妹だ。五つ子や先生と同じくらい、命に換えても守りたい大切な家族だ。

 

 俺はらいはの兄だ。好きなものを犠牲にして家族に尽くしてくれた妹を持つ兄だ。

 

 らいはには何の負い目なく、望む人生を歩んで欲しい。

 

 それを…この金が叶えられるのなら、親父のプライドはゴミ屑当然だ。

 

 らいはは、優しい声を割り込ませることなく黙って見ていた。

 

 二乃は、らいはの手に自分の手を重ねていた。もしかしたら、らいはの心境を知っていたのかもしれない。

 

 

 

「らいはの大学は心配するな」

 

「金ないだろ」

 

「おまえの分が浮いたお陰で貯金はあるぜ

 いや、らいはが医者になるとか言ったら話は別だけどよ」

 

「…

 だとしても、借金の返済まで回ってないだろ

 いくら残ってるのか知らないが、利子だってある

 とっとと返しちまえよ」

 

「おまえらに迷惑被っているのはわかっている

 だからこそ、この金は受け取るわけにはいかねえんだ風太郎」

 

「母さんの為か」

 

「そうだ

 あいつの夢で、おまえらから金を取ることになるなんてよ

 泣いちまうぜ、母さん」

 

 

 

 その気持ちは分からなくもない。

 

 俺自身も、先生や五つ子たちの重石にならない為に気をかけていたつもりだ。

 

 …だが、それでも。

 

 …いや、この場では考慮に値しない愚問だ。死んだ奴に何の権利があるというのか。

 

 

 

「母さんは死ぬ前からずっと悩んでたんだ

 おまえを一人寂しく家で待たせて

 それで夢が叶ったなんて言えるのかってよ」

 

「…お母さん…」

 

「…」

 

「結婚して、母さんの遺影の前で笑ってくれ、風太郎

 頼む」

 

 

 

 親父は頭を下げた。

 

 下の喫茶店を開く際にできた借金の話はもう聞いた。その際に自分で払うと言い切られた。

 

 俺が笑うだけで、あんたたちは何かから解放されるのか。

 

 お袋が俺に謝っていたのは覚えている。うっすらと。暗い玄関で。

 

 もういない人の気持ちだ。親父がそう感じているのなら、それが真実だ。

 

 結局、周りがどうこうとか…そういう問題じゃない。

 

 誰かの気持ちを尊重して、相手を傷つけないように配慮して、これまで本音を言わないままでいた。

 

 死んだお袋の夢に寄り添う親父に言うべき言葉じゃないのはわかっている。きっと何度も他人から冷めた目を向けられてきたんだろう。

 

 

 

「…顔を上げろよ、親父」

 

 

 

 なあ親父。文句も泣き言も言えない奴を見て…お袋がどう思うか、簡単に想像つくだろ。

 

 恩に報いることはできなかったが、あんたを一人置いていけるほどの親不幸者にはなれなかったぞ。

 

 この金があればらいはも楽できる。あんたも、休む暇を得られるくらいにはなるはずだ。

 

 なのに。

 

 

 

「この件は先生に咎められた」

 

「話したのか」

 

「ああ、これはあんたの親としての愛情だから許せと言っていた

 そして、俺が今まで費やしてきた努力が報われる答えになるとも言っていた」

 

「答え?

 …おまえがガリ勉になったきっかけか」

 

「そうだ

 俺は誰かに求められる人間になるために、ひたすら勉強してきた

 らいはが困らないように、あんたが楽できるように

 お袋が安心して眠っていられるように

 だがそれは…昔の話だ、高校の時にはもう理由はすり替わっていた」

 

 

 

 気持ちだけで十分だと、この人は言った。

 

 それが今までの苦労に耐えられた理由なんだ。日々を笑って生きていられる大切な贈り物だった。親父はそう教えてくれた。

 

 正直、俺には理解できない…が、この家族と過ごして思い当たるものがなかったわけじゃない。

 

 残念なのは、もう既に遅かったということだ。

 

 俺の手には家族を慮る気持ちはなかった。他人に見下された時、家族の為ではなく自分の誉れの為に抗った。

 

 他人を見下していた。

 

 そんな奴の気持ちで救われたというあんたの言葉は、信用できない。

 

 

 

「見返してやる、踏み潰してやる

 俺と家族を馬鹿にした言葉を撤回させてやる

 始まりは醜い理由からだった」

 

「…」

 

「努力を知らない人間が嫌いだった、できない人間が醜く見えたものだ

 馬鹿で学力が低い人間程、金を稼げないし惨めな思いをする

 俺は他人を見下していた、俺よりも馬鹿が多すぎたから

 それは…あんたもだ、親父

 貧乏で、人生に失敗したあんたを心の底では見下していた」

 

「…」

 

「金もない、冬は凍え死ぬ思いをすれば、空腹で雑草を食ったこともあった

 こんな思いするのなら、生まれてこないほうがマシだと何度も思った」

 

 

 

 親父がいくら稼いでいるのか、定かではない。

 

 仕事にカメラを持ち込んでいるのは知っているが、カメラマンなのかどうか、それすら聞いていない。知らないことが多すぎた。

 

 この狭くてボロい家を見ればわかる。裕福ではないし、俺のガキの頃のお小遣いなんて十円玉一つにも満たなかった。

 

 金持ちの家に生まれたかったと妄想できたらまだマシだった。仕方ねーだろ、と先に諦めがついていた。

 

 借金あるのならガキなんか作るんじゃねーよ、と理由を知らなかった当時は、無責任な親だと冷めた目で見ることもあったさ。

 

 これまでの生活全てが良い思い出として語れるものではない。それは父親を批難することに繋がる。

 

 俺の思い出語りを聞いた親父は疲れたような溜め息を吐いた。

 

 

 

「…理不尽だよな、風太郎」

 

「あ?」

 

「俺が学生の頃はダチと毎日遊び倒してた、家に帰らないで夜通しよ…不良だったしな

 小遣い少ねえ時は親父の財布から抜いたこともあったし、勉強なんざ一切してなかった

 進学できねえぞって何度も先公にどやされたもんだ

 

 率先して勉強に励もうなんざ、馬鹿だからやるしかねえんだと思ってたわ

 必要なもの、そうじゃねえもの、見分ければ勉強なんていらねえ

 そうやって好き勝手やって

 女に惚れて、結婚した、ガキもできた」

 

「…」

 

「思えば苦労ってもんは、あいつが死んでから付いてきた

 失敗した俺のツケにおまえは巻き込まれた

 遊びなんて無縁な、勉強とバイトで埋め尽くされちまった寂しい学校生活にさせたのは俺のせいだ」

 

「全部があんたの責任にはならねえだろ」

 

 

 

 寂しい学校生活。そうではない生活が、今話した親父の学生時代だと言うのか。

 

 想像しただけで鼻で笑っちまうものだ。

 

 ああ、楽しいだろうな、楽しかっただろう。だがそいつの人生のピークは学生生活となるだろう。

 

 その先に都合の良い幸福なんてない。あったとしても、ただ運が良かっただけだ。現実的じゃない。

 

 自業自得だ。努力を軽視すれば誰だってそうなる。当人だけならただの笑い話で済んだ。

 

 その二人には子供がいた。馬鹿な親から生まれる子供も馬鹿でしかねえ。

 

 そして弱い人間は運が悪かっただけで、あっけなく死んじまった。

 

 

 

「…まったくだな

 何でおまえらのミスの尻拭いをしなくちゃいけねえんだ

 それも、親であるあんたたちの」

 

「…すまん」

 

「お、お兄ちゃんっ」

 

「黙っていろ、らいは

 事実だ、いくら綺麗事を並べても、同情を招いて騙せるのは同じ馬鹿な人間だけだ

 気休めはもう沢山だ

 

 夢は夢だ、叶わなかったのなら諦めるべきだ

 惨めな思いをするのは当然、ありのままの自分を受け入れて、変わろうと努力するべきだ

 それができない奴が…逃げている奴が

 俺が見下したくなる人間だ」

 

「お兄ちゃんッ!!」

 

 

 

 言われても反論しない父親を見かねて、らいはが俺の腕を掴んできた。

 

 今まで支え合ってきた家族の終焉がこのような形だとしたら、今までの出来事全てが家族ごっこに終わる。

 

 黙って金を受け取ればいいだけのこと。金に糸目をつけていられる程余裕なんてないはずだ。

 

 親父は謝罪を一言呟いただけで、何も言わなかった。

 

 俺の気持ちだけで十分だと言っていた奴がこの有り様だ。

 

 …言い返さないのなら、この金はあんたが使うんだな。

 

 自分が育ててきた子供の金を使う。惨めと思うのなら受け入れて、とっとと妹を解放してくれ。

 

 話は済んだ。俺の一方的な、好き放題言っただけで終わった。

 

 立ち上がり、二乃に一緒に帰るように促す前に…親父に睨まれた。

 

 

 

「座れ、風太郎」

 

「…」

 

「…参ったな、まったく

 勉強してこなかっただけで、こんな目に合うのか? 風太郎」

 

 

 

 とうとう怒ったか、と思いきや簡単に緊張がほぐれた。

 

 …今まで俺よりも苦労してきた男だ。俺の暴露にへこたれる父親じゃなかった。

 

 立ったままでいると、二乃が手を引いてきた。座って、と強く。

 

 らいはも同じように俺の背中を叩いてきた。このまま帰って金を手放したかったのに、そう上手くいかないようだ。

 

 親父は溜め息をつき、棚の上に置かれた写真立てをちゃぶ台の上に置いた。

 

 昔から親父はお袋の写真をよく眺めていた。

 

 それは囚われているとか、固執しているものとは違うように見える。

 

 昔から本当に、優しい目でお袋を見つめていた。

 

 

 

「…そうだな、もう夢がどうこう言える程俺も若くねえしな」

 

「…」

 

「だけどよ

 約束は守らねえといけねえ

 こればかりは譲れねえ」

 

「約束?」

 

「交通事故であいつは病院に運ばれた

 即死してもおかしくなかったんだぜ

 昏睡状態で助かる見込みはねえって言われた」

 

 

 

 お袋は事故死した。病院に搬送され、幸運に恵まれず亡くなった。

 

 …先生は倒れて病院に運ばれたんだ。

 

 その日、距離が離れていた俺は親父に連絡を取った。間に合わないかもしれない、頼むから行ってやってくれ、と。

 

 親父の行動は早かった。らいはが先に辿り着いたが、親父もまた汗だくになって駆けつけてくれた。

 

 仕事先で持ち場を離れたことにだいぶお叱りを受けてしまったと聞いて、俺は親父がいない時に頭を下げに行ったこともあった。

 

 親父が若い頃から勤めていた職場だ。お袋のこともあって、形式上だけで咎めなかったと聞いた。

 

 

 

「…」

 

 

 

 お袋は病室で息を引き取った。

 

 先生も同じ境遇に立たされていた可能性はあった。

 

 先生は死んでいたかもしれない。

 

 想像すると寒気がした。

 

 夢は夢。いつかは覚めて終わる。叶うか潰えるかのそれだけの違いで。

 

 もしかしたらありえる世界で、俺はあの人と約束したかもしれない。

 

 あんたが死んでも子供たちを守る。そんな誓いを。

 

 

 

「手を握ったらよ、あいつ起きたんだ

 生き返ったんじゃねえかって

 …だが違ったんだ

 

 迷惑かける、ごめんなさい

 …死にたくない、子供たちから嫌われたくない

 

 あいつはその為に、目を覚ましたんだろうな」

 

 

 

 もう自分が死ぬことを察していた。

 

 もう、母としての何かができなくなると分かった時、悔しくて、誰かに頼るしかなかっただろう。

 

 遺言は涙と血で濡れた、悲しく惨いものだったのかもしれない。

 

 いつまでも一緒にいたかった。そう誓った人を置いて先に逝くことを、悔いていた。

 

 だとしたら。

 

 言うしかないだろう。最愛の人が安心して笑ってくれるように。眠ってくれるように。

 

 愛する気持ちから生まれる、妥協も甘えも許されない誓いを。

 

 任せろ、と。

 

 夢は死んでも愛は生きている。好きな人を泣かせたくない我侭だった。

 

 

 

「俺に残された親は、あんただけだ」

 

 

 

 だが、それでも。

 

 

 

「迷惑になると自覚していたのなら

 母さんも覚悟していたはずだ、子供に借金が絡むことぐらい

 だったら、俺はその答えを出すだけだ

 

 この金が、迷惑だろうが何だろうが、嫌ってねえ証拠だ!」

 

「風太郎ッ

 おまえはこれから幸せになるんだろうが!!」

 

 

 

 母の無念を知っても鑑みることはできない。

 

 親父は腕を伸ばして俺の肩を掴んできた。ちゃぶ台が蹴り上げられて横に倒れた。

 

 湯飲みが零れて床を塗らしていく。

 

 大金が封筒が濡れていないか、なんて些細な事どうでもよかった。親父の腕を掴んでお互いに立ち上がった。

 

 

 

「やっとだぞ!

 おまえは、やっと誰かを好きになって、両思いになって、零奈さんも助かったんだ

 零奈さんが大変だったのはわかってるぜ、嬢ちゃんたちも苦労してきた

 だが、おまえもだ、風太郎!」

 

「…苦労した分報われろってか?」

 

「おまえは一度でも報われたのか!?

 ダチもいねえ、女を好きになっても苦労してばかりだ

 どうしようもねえ奴はいるが、おまえはそうじゃないだろ!」

 

「そんなもの、あんたを見れば分かりきったことだろうがッ

 だから、俺はこの金はあんたが使うべきだと何度も言っているッ!」

 

「風太郎!

 おまえが笑ってなくちゃ、俺もあいつも笑えねえんだよ!」

 

「もう十分なんだよ!!

 あんたはいい加減休めよ!

 長生きしてくれねえと俺が困るんだ!」

 

 

 

 狭い家で、男が言い争いをすれば…女子供が怖がる。

 

 こうなる可能性は昔からあった。お互いに避けていたのは妹がいたからだ。

 

 たがが外れた後は、お互いに掴み合ったまま押し黙った。熱は冷めそうにはなかった。

 

 

 

「…

 …生まれてこなければ良かった、か

 確かにその通りかもな」

 

「…」

 

「おまえは優しすぎたんだ

 馬鹿が…」

 

「な、に…ッ!」

 

 

 

 こ、ここまで言わせておいてまだ言うのか。

 

 人を見下して、あんたまで見下していた人間が優しいなんて、ふざけてやがる。

 

 一度だって本音で話したことがなかったせいか、言いたいことが多すぎた。

 

 毎日遅くまで働いて、不出来な息子を憂えて、家の為に尽くしてくれる娘に後ろめたさもあって。

 

 そんな中一生懸命金を稼いで、俺達の将来を案じてくれたんだろ?

 

 恩返しぐらいさせろ。そろそろぶん殴りたくなってきたぜ。

 

 

 

「お、お…お姉ちゃん…?」

 

 

 

 取っ組み合いになっていると、二乃が脅えたような声を耳にした。

 

 どうしたのか目を配ると、らいはが俯いて立っていた。

 

 俺が固まっていることに、親父も掴む手を緩めて娘のほうへ注目した。

 

 

 

「こんなものがあるから…」

 

 

 

 長い黒髪が顔にかかってその表情は窺い知れない。

 

 らいはが手にしていたのは封筒だ。

 

 それを握り締めたまま黙ってこの場を離れて行った。

 

 目で追うと向かったのはトイレだった。

 

 

 

「…」

 

「…」

 

 

 

 トイレ? 金を持って? 何の為に。

 

 そう考えたところで、俺は親父と同時に走った。

 

 

 

「こんなものがあるからぁあーーー!!!」

 

 

 

 貧乏な家で育った妹が大金を便所に流そうとしていやがる。

 

 

 

「らいは待て! それは風太郎の金だ!」

 

「俺のじゃねえが、落ち着けらいは!」

 

 

 

 トイレへ向かえば、らいはが大金が詰まった封筒を振り上げていた。ゴミ箱ではなく便器へ向けて。

 

 喧嘩の元になったものが消えて無くなれば元通りになると思っているのか。らいはは泣いていた。

 

 親父と協力してらいはを羽交い絞めにする。大金を水に流すつもりか。詰まるし、何も解決しない。

 

 全力で抵抗されて、肘で殴られたり、壁に蹴り痕ができたり酷い惨状だった。

 

 後ろで二乃が脅えた表情をしている。だから来ても面白くないと言ったんだ。

 

 

 

「貧乏でもいいよぉ…!!」

 

 

 

 トイレから引き離すのが精一杯で三人で床に転がってしまった。

 

 ひとまず金は水の泡にならずに済んだが…らいはは封筒を握り潰していた。

 

 大金にも躊躇しないのは、その金が無価値だと決め込んだから。金を稼ぐ大変さを知らないわけじゃない。

 

 それでもらいはは泣きながら続けた。

 

 

 

「狭いし、ボロいし、お父さん帰り遅いし、お兄ちゃん出て行っちゃったけどっ!

 貧乏だから、みんな優しかったんだよ…」

 

「…」

 

「…だからって500万捨てるか?」

 

「お兄ちゃんとお父さんがたまに仲悪いの知ってたよ

 でもしなかったじゃん、大切な家族だからでしょ!?

 

 お金があったら、こんなことなかったよ!

 誰にも負けない、一番仲良しな家だったのに!

 何で喧嘩しちゃうの…ずっとしてこなかったのに…!」

 

 

 

 らいはは金を手放して、俺と親父の手を胸に抱えて泣きじゃくる。

 

 二乃に目で訴えていると、慌ててその金を回収してくれた。この中で一番の被害者は恐らく二乃だな…

 

 家族はこの二人しかいない。女性は娘一人のこの家で、頼れるのは兄と父親だけだった。

 

 甘えることが少なく、今まで気丈に明るく笑っていた妹が大泣きしている。

 

 この子が泣くのは、いつ以来か。

 

 思い出したのは二つの光景。

 

 電源が切れた携帯を手に大泣きして、抱きしめて慰めた夏の思い出と。

 

 一人で声を押し殺して泣く、妹の姿。

 

 辛い目に合っても人前で泣けない子なのは昔からよく知っている。

 

 

 

「お金なんてまた稼げばいいじゃん…

 家族は元に戻れないよ…

 お母さんが泣いちゃう…」

 

 

 

 …俺と親父は目を合わせて、逸らすしかなかった。

 

 らいはに腕を掴まれてしまっては背中を向けることもできず、ただ押し黙るしかなかった。

 

 結局は、想像通りとなった。俺たちは妹がいないと駄目だった。

 

 

 

「あー…風太郎」

 

「何だよ」

 

「…おまえで良かったと、つくづく思う」

 

 

 

 生まれてこなければ良かった。何気なく言い放った言葉は、親父には心に残ってしまったのか。

 

 あまりこっ恥ずかくなることを妹と五つ子の前で言うんじゃねえよ。

 

 こちとら…ろくに礼が済んでいない身だ。終わった気でいられちゃあ困るんだよ。

 

 

 

「…ほら、フー君も素直になりなさいって」

 

「お兄ちゃん…」

 

 

 

 さっきまで黙っていた二乃と泣き喚いていた妹が間に割り込んできた。

 

 女子供は親父の肩を持つようで憎たらしい。人気者とそうでない者の差を思い知らされた。

 

 言えるわけねえだろ。

 

 俺は幸せだったぜ、あんたと一緒でな。

 

 いつかでいい。その本音は。

 

 それ以上の言葉を知らなければ、俺は変わらずにいられるだろう。

 

 

 

「親父、黙って金使え」

 

「てめえが稼いだ金はてめえが使え

 そこだけ親に甘えてんじゃねえよ」

 

「またお金の話!」

 

 

 

 妹に絆されてたまるか。考えていることは同じなようで親父も突っぱねやがった。

 

 険悪な空気になる前に妹がまたうるさくなった。相当ご立腹な様子で。

 

 反省しない俺達にらいはは不機嫌になり暴れ始める。金の話はダブーになりそうな勢いだ。また便所に放り込まれそうだ。

 

 金を持って逃げろ、と二乃を逃がそうとするが、子供は醜い喧嘩が勃発している俺たちに呆れていた。

 

 

 

「あのさ、フー君

 喧嘩しない良い方法教えてあげる」

 

「は?」

 

「私たち五つ子がよくやる簡単な方法よ」

 

 

 

 他所の家庭事情、それも大人の会話に子供は…答えはもう出ていると自慢げに胸を張っていた。

 

 二乃は封筒を俺たちに手渡そうと差し出した。

 

 喧嘩しない方法があるのか、是非教えて貰いたいものだ。

 

 俺も親父もらいはも、その封筒を見つめる。

 

 

 

「分け合いっこしましょ」

 

 

 

 もみ合いになっていた上杉家の三人に提案されたものは、至ってシンプルな回答だった。

 

 途端に、俺たちは揃って嫌そうな顔をしていたと思う。

 

 

 

「私はいらないからねっ! そんな汚い色褪せたお金!」

 

「…じゃ、じゃあ二等分かしら」

 

「俺もいらねえし、つーか汚い言うな」

 

「二乃ちゃん、そいつは風太郎の大事なお金だから鞄に突っ込んでおいてくれや」

 

「ちゃんと受け取りなさい!

 何でお金がいらないなんて言えるの!?

 マジでありえないんですけど! 一枚くらいくすねるわよ!」

 

 

 

 欲しいと言うのならきっちり分ければ済む話だが、いらんと言われて処分に困っているのだから話が変わってくる。

 

 しばらくして、二乃の答えは一時保留という点においては型にはまったようで。俺たちは立ち上がってその封筒を受け取った。

 

 結局、この金の顛末は癇癪を起こしたらいはに一任されることになった。決して捨てないことを条件に。

 

 裕福になる金よりも別の物を求めている。らいはの言いたいことも分からなくはない。

 

 変わってくれることを望んでいたんじゃない。我侭を聞いてくれることを求めていたわけでもない。

 

 言葉にするのはまたいつかでいい。

 

 いつか必ずと先送りにしたものがあったことを。形にできなった不器用な気持ちはきっと伝わったんだ。

 

 ただ知って欲しかった。聞いて欲しかった。

 

 子供のような拙い感想の一言でしかないが。

 

 物語のように綺麗に終わる必要はない。拙い思い出の中で築いた家族の縁は切れないのだから。

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