五等分の園児   作:まんまる小生

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涙は零れず恵みは静かに零れるその7 三玖

 一人では解決できない問題だと、先生から忠告された。

 

 意地を捨てろ。生徒にとって教師とは、あくまでも口うるさい他人であり、将来に関わる一番近しい他人でもある。

 

 人一人の未来を変えるには、教師一人が抱えるには重すぎる。

 

 

 

「だから…生徒にそう望むように、貴方も周りを頼りなさい」

 

 

 

 恩師の助言は真っ当でありながらも冷酷な言葉だった。

 

 己が好き勝手生きてきた人間に。

 

 無様に他人に縋れと…他人の為に惨めな思いをしろと言い切ったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「珍しいね、君から僕に電話なんて

 用件だけ聞こうか、僕も君も多忙な身だ」

 

「協力してほしい」

 

「協力?」

 

「…

 虐めを受けている生徒がいる、俺の教え子だ」

 

「…」

 

「金持ちの界隈の情報には疎い

 北条という名前に覚えはないか…?

 聞けば…ご家族がおまえの親父さんと何度か交流があったらしい」

 

「ふむ」

 

「…父親は何も喋らない、虐げられているのは娘一人だけだ

 俺には、家族にも他人にも話せないことがあるように思える」

 

「それ、いつ知ったんだい?」

 

「…一月前ぐらいか」

 

「…今日まで、渋っていたわけだね」

 

「…」

 

「僕に情報収集を頼むのかい?」

 

「都合の良いことを頼んでいるのは重々承知だ

 礼は必ずする」

 

「さてはて…君がそこまでする理由は?」

 

「…助けたいんだ、当たり前だろ

 大人の意地も立場なんて、生徒には関係ない

 一日でも楽になるためには、おまえの力が必要だと思って頼った

 頼む、武田」

 

 

 

 友達なんていない。竹林が何と言おうと俺に友情なんてない。

 

 独り善がりな俺に、友達なんて一人もできないさ。

 

 

 

「父は君に大きな恩があると言っていた

 正直に話してくれるだろう…協力も得られるかもしれない」

 

「…」

 

「条件は一つ

 その生徒を必ず救うことだ

 僕たち教師にとって、屈してはいけない問題だからだ」

 

「…ああ、すまない」

 

「礼は後に顔を合わせた時に頼むよ

 じゃあ、後日連絡するよ」

 

「ああ…ありが――

 …切りやがった」

 

 

 

 礼は半ばで切られた。強引な男だ。昔から。何度勝負を持ちかけられたことか。

 

 友達なんていない。ただ、お人好しが過ぎる同級生が二人いる。それだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨が降っていた。傘を差しても足も手も濡れてしまう程に。

 

 誰もいない空き教室で、生徒に座るよう促して向かい合った。

 

 休日が明け、準備を終えた頃には木曜日となってしまった。

 

 先週の金曜では…バケツ一杯の水をかけられたと聞いた。

 

 

 

「北条、おまえがクラスの連中から冷遇されている理由だが、少し話が変わってきた

 単におまえの父親が落ちぶれたから、疫病神を叩きたいだけ…ではなさそうだ」

 

 

 

 それから四日が経つ。生徒の指には包帯が巻かれていた。

 

 体育の授業でバスケがあったそうだ。指を踏まれたと教えられた。地面に指を着かせる経緯までは話してはくれなかった。

 

 もう限界だ。学校側も危惧して、担任ではなく、俺から本人に話すよう一任された。

 

 北条と呼ばれた女生徒は俯いていた顔をゆっくりと上げた。

 

 全てを晒せばどう思うだろうか。この子は家族に無関心な父親を毛嫌いしていると見るが、実際は分からない。

 

 

 

「怨恨だな、おまえの親に対しての

 おまえの父に恨みを持って、おまえごと貶めようとしている」

 

「恨みって…お父さんの会社絡みってこと?」

 

「今のこの状況とは逆なんだ

 おまえの父親が、その生徒の父親を虐めていた」

 

 

 

 武田からの連絡で上げられた名前は、学校側が問題視している生徒の性と合致した。

 

 学校側も水面下で調査し、武田の情報の裏も取れた。望んでいない答えではあったがな。

 

 

 

「至極まともな言い分だ

 自分の父親を辱め、職を追いやることもあれば家庭崩壊の原因になった

 傷つき、理不尽な仕打ちを受けながら…何年も黙って耐え続けてきた父の子供としては

 …憎まずにいられない仇なんだろうな、子として家族を庇いたい気持ちはまともなものだ」

 

「そ、そんなの初めて聞いた…

 …お父さんが仕事に厳しい人だとは思ってたけど、そこまで…

 う、上杉先生はどこでそんなこと知ったんですか」

 

「俺の知人と…そうだな

 やたら正義感の強い生徒がいてな、教えてもいないのに首突っ込んできやがって」

 

 

 

 武田と学校が得た情報だけで十分かと思いきや、これら全てを先に把握していた女生徒がいた。

 

 北条、おまえが一度は見下した生徒だぜ。

 

 しかし、優秀なのも困ったものだ。自ら卑怯者を成敗しに行くところだったようで、頭を抱えたものだ。

 

 つい先日の話だ。

 

 

 

「私、学生でありながら、あのように毎日死にそうな顔をしている子を初めて見ましたわ」

 

「おまえほどの人気者なら、あいつを知らないわけじゃないだろう」

 

「知りません、学校の噂やジンクスほど、信憑性のないソースはないもの

 なぜそのような顔をしてしまうのか、気になるじゃありませんか、一同級生として

 自害するんじゃないかと思って急ぎましたのよ?」

 

「心配する気持ちは立派だが、もう少し言葉を選んでくれ」

 

「ふふ、私正直者ですから

 影でこそこそと笑い、税に浸る輩とは違いますわ!」

 

「正直者だがデリカシーがない」

 

「―

 上杉先生に言われたくはありませんでしたわ…反省します」

 

「…とりあえず、おまえはこの件から手を引け

 後は任せろ」

 

「頼りにしておりますわ、上杉先生」

 

 

 

 俺の印象がどんなものか問い質してやりたかったが、反省しているようでそれ以上言わなかった。

 

 不正や不誠実に口出ししたくなる性分なのだろう。美点でもあるが問題を抱え込みやすい部分もある。

 

 

 

「?」

 

 

 

 見当がつかない北条は困惑するしかなかった。

 

 何もかも得て不自由ない、お気楽な奴だと見下していたな。思っていたより良い奴なのかもしれないぞ。

 

 薄暗い教室の窓の外を見やる。人に言える立場にはないな。

 

 先日、黒田もおまえを手助けしたようだし…捨てたもんじゃないだろ。

 

 

 

「有力な情報なのは確かだ

 で、直球に聞くが…おまえは心当たりはあるか?」

 

「お父さんがそこまでしてるとは知らなかったし…

 ううん、ありえる、かも…

 …じゃ、じゃあ…その人たちが恨みを晴らす為に私を?

 お父さんが社長辞めて、弱くなったからってこと?」

 

「どうだろうな…もしかすれば、生徒が自主的に行っている可能性もある

 自分の父親が虐められていたと知って、親が知らぬまま代わりに復讐する気なのかもしれない」

 

 

 

 他人を傷つけ、踏みつける性根に理性などあるのか疑問だが…父親を思っての行為かもしれない。

 

 虐げられる人間は口を閉ざして耐えている。手はきつく握られて、手を差し伸べても取ってくれそうにない。

 

 ならば代わりに怒り、その恨みを晴らそうと凶器を振るう。

 

 だがその恨みとやらは、守りたい人のものではなく自分自身の自己満足でしかない。それに気づいているのだろうか。

 

 主犯格の動機を探るにはもう遅すぎたと言える。北条はもう命を危ぶまれている。

 

 その傷ついた指先を見れば…心が痛む。助けてやれなかった。

 

 

 

「理由があろうがなかろうが、此度の問題は犯罪の域に達している、傷害罪と脅迫だけで数え切れないだろ

 おまえの父親は全く動く気がないらしいしな

 独断だが学校側は、虐めの主犯数人のご家族にこの問題を報告する」

 

「…うん」

 

「…数日後には…元の穏やかな生活とはならないが降りかかる暴力からは逃れられる、そう尽力する」

 

 

 

 やっと大人が動いてくれた。耐え続けてきた生徒からしたら、心が軽くなるものだろうか。

 

 解決はしていないんだ。まだ安心し切れない不安に苛まされているのなら、これでは足りない。

 

 頑張った、という一言では決して済まされない。

 

 皮肉なことに、世界規模で弱者の声は小さく非力なのは確かだ。

 

 だが、強者がその手を掴み取る際、彼らの声を拡大解釈する者がいる。差別だ、矛盾だ、と争いの種となり、再び弱者は火中に巻き込まれる。

 

 ただ助かりたいだけなのに。もうこれ以上彼女を巻き込まないように最善を尽くさなければ。

 

 北条の顔は晴れない。子供扱いでしかないが、その頭を撫でた。

 

 

 

「遅くなって悪かった

 よく耐えたな」

 

「でも、なんかもう滅茶苦茶ぁ…こんなの…家の自業自得じゃん

 お父さんはやっぱり私のことどうだっていいみたいだし」

 

「悲観したくなる気持ちはわかるが、確実に前の状況より改善はされる

 すぐにとはいかないだろうが、高校生活を楽しめるはずだ

 今からでも遅くはないんじゃないか」

 

「…私、友達とかいないし」

 

「ふ…北条、心配するな!」

 

「え? あ、あはは…

 もしかして、上杉先生がと――」

 

「友達なんていなくても楽しめるぞ!

 俺も3年になるまでいなかったが高校時代が人生一番の思い出だ」

 

「先生、いなさそうって思ってたけど…ガチでいなかったんですね

 彼女とかできないでしょ」

 

「…今のは聞かなかったことにしておこう」

 

「あ、私もそういうのは得意ですね、雑音をシャットアウトするの」

 

「雑音と分かってるのなら言うな」

 

 

 

 教師を舐めた口だが、まあ落ち込んでいるよりは良いか。

 

 虐めを受け、心に深い傷を負った後…北条は何を思うだろうか。

 

 犬に噛まれたと安く捉えてくれるのなら心配はいらない。他人に向ける目が変わらず冷めたものになってしまわないか不安だ。

 

 良いことなんてない、その先に。

 

 被害者なのは明白だが、これから先はそれ以上でも以下でもない。零から始まった先はおまえ次第だ。

 

 被害者であったことを理由に他人を疎んでは、人は離れていく。その点こいつは不安要素が多すぎる、心配だ

 

 

 

「おまえは嫌なことがあっても耐えて向き合い続けた

 簡単にできることじゃないんだ、その強さはこの先必ず役に立つ

 これまで耐えてきた時間は無駄なんかじゃない、自信を持っていいんだ、北条」

 

「…」

 

「おまえは強い、もし誰かがおまえと同じように虐められていたら

 おまえがしてほしかったことを、そいつにしてやってくれないか」

 

「…できるかわからないけど…やってみる」

 

「ああ」

 

 

 

 北条は弱々しく頷いた。現実はそう生易しくはない、諦観は虐めた奴と同類の敵だと見て取られるぜ。

 

 話は済んだ。先輩に北条との話を終えたことを連絡しなくてはならない。その後に、此度の騒動の原因を問い詰め、委員会に報告する予定だ。

 

 先に委員会に報告するよりかは印象が違うようだ。リスクはあるが、生徒を守るという自主性を通す名目になるらしい。

 

 物は言いようだな…確かに最近ニュースでも疑惑が浮上しただけで風当たりが強いからな。切っても切れない問題だ、学校にとっての虐め問題は。

 

 

 

「…」

 

 

 

 携帯を操作していると、北条が身動きした。

 

 こちらを見つめ、目を逸らした。

 

 

 

「…あ

 あの…」

 

「ああ」

 

「…先生の頑張りが…無駄になるかもしれないけどっ

 上杉先生、お願いがあるの」

 

 

 

 何か言いたいことがあるらしい。手を止めて向かい合った。

 

 

 

「は…話したい、の」

 

「…話?」

 

「私を虐めた理由…い、嫌だったけどさ

 仕方ないじゃん?

 お父さんが好きで、虐められてたんでしょ? 私のお父さんに」

 

「…」

 

 

 

 何を考えているのか察しがついた。

 

 このまま、自然な成り行きで流れれば…十中八九、虐めていた生徒は迫害される。

 

 俺が勤めるこの学校と、武田が勤める黒薔薇女子高は姉妹校であり、成績不良や虐め問題にはとかく厳しい。

 

 過去にも退学者が出て、有名企業に関わるその保護者たちの間で干されるそうだ。

 

 特に北条の父親の会社ではその影響はでかいだろう。だからこそ、そのパワハラを受けていたご家族は耐え忍ぶしかなかったのだろう。皮肉なことに。

 

 北条は、同じく耐えた者が冷遇を受けることを危惧していた。

 

 

 

「このままだと不条理というか、酷くない?

 ずっと我慢してきたのに、守りたかった家族が悪いことをしていたと知ってさ…頭下げたりしたら

 その人、可哀想じゃん…惨めだよ」

 

「おまえ」

 

「私だって、頭下げたくない…お父さんのせいだからって

 自分が頑張って、やっと解放されて

 誰かに褒められて、自信になったことを台無しにされたくないっ!」

 

「…本気か?」

 

「話をして…もし、もうしないって約束してくれるのなら

 ご家族に伝えるのは待ってほしい」

 

「…」

 

 

 

 北条は俺の手を掴み、携帯を握る手を下ろそうとする。

 

 何度も言うが、こいつの指には包帯が巻かれている。骨には皹が入っているし、小指が踏まれていたら折れていたはずだ。

 

 憎まずにいられなかっただろうが。虐めを受けた張本人が、犯人に情をくれてやると言っている。

 

 

 

「北条、おまえのその言葉は…君の中で大きな決意があったんだろう

 だがその前に聞いてほしい」

 

「ッ」

 

 

 

 …ふざけてやがる。馬鹿だと罵ってやりたい。

 

 目を合わせて言ってみろ。北条の肩を掴み、また後悔するだろうその選択を問い質す。

 

 

 

 

「まともな理由があっても、他人を傷つけて見下せる人間に善意を問うな

 人間過ちを犯すものだ、一度の失敗で見限るような冷たい人間にはなるべきじゃない

 だが、泣いているとわかっても手を止めない奴の何を信じようとしているんだ

 ボールをぶつけられて、倒れたところを踏み潰されたんだろ?」

 

「…」

 

「おまえには笑顔で卒業していってもらいたい

 その為には、おまえはここから先は譲ってはいけないはずだ」

 

 

 

 その期待は外れるとしか思えない。また怪我をするとしか思えない。

 

 そもそもだ、自分を貶める輩に気を遣うその魂胆が信じられない。

 

 仕返ししてやりたいと思わないのか? 推奨はしないが俺は止めないぞ。

 

 

 

「もし…お父さんの為に怒っているのなら

 その人たちは…本当は優しいんじゃないかな」

 

「…」

 

 

 

 こいつ…まさか。

 

 まさかと思うが。考えついたところで無性に腹が立った。

 

 北条は…こいつも、先生や親父と同類だとでも言うのか

 

 他人を見下して、傷つけて、それでも本性は心優しい人間だと言い張るのか。ふざけるなっ!

 

 信じられない発言に俺は北条を離すしかなかった。こいつもまた、不幸まっしぐらなお人好しだ…

 

 

 

「上杉先生…?」

 

 

 

 北条は手を離せる子なのだろう。

 

 強く握り締めた手を離して、大事な物が零れていないか振り返ることができる。

 

 傷ついても、傷つかずにいた本来の自分を失わず、真っ直ぐに歩いていくんだろう。

 

 俺にはできなかったことだ。俺が泣いて悔やんだものを、この子はちゃんと持っていた。

 

 

 

「今まで教師を全く信用していなかった奴が、こうも単純な奴だとはな…恐れ入る」

 

「…おかしい、のかな」

 

「変じゃない」

 

 

 

 いいだろう、どこまでその甘ったれた考えが通じるか、試してこいよ。最後まで付き合ってやる。

 

 それに…確かに、まだ正解は分からないからな。

 

 

 

「俺が立ち会う、これが条件だ」

 

 

 

 北条は目を見開いて、歯を食いしばった後に崩れた。

 

 虐められた相手と話をする。怖かったわけがなかっただろう。複数人に囲まれて暴力を振るわれてきたんだぞ。

 

 引き止めて休んでほしいが、今はおまえのその背中を押して見守ろう。辛い時は必ず守ってみせる。

 

 

 

「おまえの意思を尊重しよう 

 誰かに言われたからじゃない、おまえのその答えを信じろよ」

 

「…」

 

「間違っていた時は、俺が何とかしてやる」

 

「…うん…ありがと…先生」

 

 

 

 後で校長と理事長に話を通さなくては。もうこちらは準備を整えているってのに。

 

 俺も教師も、大半が間違いだと指摘し止めるだろう。何度保健室のお世話になったと思っているんだ。

 

 だが、教師は解答用紙に記された生徒の回答をチェックするだけだ。まだ書いていないのに取り上げることはできない。

 

 間違えたっていい。まだ子供なのだからな。その為に教師がいる。

 

 教師は過ちを見つけた時、静かに×をつける。時には無慈悲に。口論の元になるかもしれない。

 

 間違えた生徒には答えを教えてやる。もうその過ちはしないようにと。

 

 そう上手くいかないのが、薄っぺら一枚の世界とは違う現実。

 

 俺にはできなかった、傷つきながらも優しくあろうとする生徒の思いを俺は取り上げられそうにない。

 

 この子が笑って卒業できるように。この子の答えが正解になるような優しい世界であることを祈ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最近三玖ちゃんの帰りが遅いんだけど、お兄ちゃん何か知ってる?」

 

「知らんわ、あいつとはまともに話してないし」

 

「ちょっとぉ!? 何度も何度も何度も三玖ちゃんと話してあげてねって言ってるのに!」

 

 

 

 平日の金曜日の昼間。向こうでは昼休みのこの時間、らいはから電話がかかってきた。

 

 雨が降った後の天気は快晴。夜まで降っていた名残が至るところで見受けられ、雫が地面に落ちていく。

 

 妹のご指摘は耳が痛い。三玖に対しては気後れというか…あの子を傷つけない言葉が選べないせいだ。

 

 

 

「…帰りが遅いのは気になるな

 わかった、これから聞いてみる」

 

「ん? これから? 今日?

 もしかして今日早い?」

 

「…」

 

「…?」

 

「謹慎くらった」

 

「ええええええっ!?

 ど、どういうこと!? 何したの!?」

 

「娘が命懸けで問題解決したってのに、父親が無関心だったんでな

 目を覚まさせてやった」

 

「殴ったの!? 待って、殴ったの!?」

 

 

 

 殴ったというか、叩いた程度だ。まあ同義か。

 

 北条の一件はひとまず片付いた。彼女の一件は、だが。

 

 北条はご家族に知らせないでくれと念を押していたが、タイミングが悪いことに武田の父親が虐めの主犯のご家族に事情を話してしまったそうだ。

 

 友人関係だったらしく、そもそも北条の親父さんの惨い仕打ちから救い上げたのは彼だったらしい。武田から話を持ち上げた時点で恐らく察していたんだろう。

 

 事の重大さを知ったご家族の対応は早く、多忙なところに学校に赴いて謝罪しにきたんだ。ちょうど北条と虐めていた生徒の間で折り合いがついたところで。

 

 北条の父親を呼び出して話し合いの場を設けたのだが、あの父親は娘の気持ちに無関心だった。それも過去にパワハラを強いていた相手に対しても同じく。

 

 つい熱が出てしまい、寝ぼけたその顔を引っ叩いたんだ。学校側の責任として、俺は数日謹慎です。すみませんでした…減給じゃないだけ助かった。

 

 北条から、あと謝罪しにきたご家族から頭を下げられてしまった。そのお陰もあってだいぶ軽く済まされている。

 

 

 

「金にならない正義なんて社会から迫害されるだけだ

 おまえも気をつけろ」

 

「お兄ちゃんがまだまだデリカシーないだけじゃないの…

 謹慎なのに家を出ていいの?」

 

「学年主任からは羽を伸ばしてこいと言われた

 …次の勤務で地獄を見るからってな」

 

「ご、ご愁傷様

 でも…うん、なら三玖ちゃんと話をしてあげて」

 

「…

 時に、先生に謹慎の話は内緒にしてくれ」

 

「無理」

 

 

 

 電話が切られた。み、見捨てられた…妹は薄情だった。少しは天秤を揺らしてくれてもいいだろうが。

 

 三玖との話はどうしたものか悩ましいのだが、あの子を放っておくのも危険だ。二乃と並んで臆病で気弱な子なんだ、平面上、三女が随一か。 

 

 昼過ぎになってから家を出た。ちょうど五つ子が小学校の下校時間になるくらいで駅に着くように。

 

 三玖は…あの子は昔から俺を慕ってくれた子だ。

 

 最初は怖がって近寄ろうとはしなかった。警戒心が強く、怒られたり無視されたりと難儀な子だった。

 

 走るのが苦手で何度も転んでいたんだ。足を怪我するのは日常茶飯事。足の早い四葉には追いつけず置いてけぼりをくらっていた。

 

 一人になるのが怖くて、足を汚しても走っていた。ゆっくりでいい、怖いのなら一緒にいてやる。その言葉に驚き顔を上げてくれた。

 

 それからあの子とは手を繋いで歩くことが多くなった。五つ子の中で一番距離が近く、甘えて、泣いて、兄のように慕ってくれた。

 

 

 

「潮時だな」

 

 

 

 何度そう呟いたか。三玖は昔から変わっていない。

 

 小学校に上がってからも、お嫁さんになると言い張っている。可愛いの一言で片付けるのは簡単だが、そろそろ卒業時だ。

 

 だがそれを決めるのは三玖本人。子供だからって侮っていると手痛いカウンターが飛んでくる。

 

 あの赤い花は栞にしてまだ持っているんだ。読書の際に使わせてもらっている。

 

 …未練があるのは俺のほうだ。結局あの子に好かれていたい欲がまだ残っている。

 

 電車に乗り、駅に辿り着き…子供たちが帰るまで時間を潰した。

 

 昔を思い出す公園まで足を運び、ブランコに座って黄昏ていた。

 

 …やっていることはリストラくらった社会人でしかない。危うく解雇されるところだったかもしれない…俺の馬鹿。

 

 

 

「三玖は、どうなんだろうな」

 

 

 

 虐めと言えば…四葉はトラブルを抱えていたらしいしな。実に意外だった。あいつは逞しい根性しているから俄然立ち向かっていたようだ。

 

 一番心配していたのは…三玖だ。

 

 フータロー…ッ と、よく泣きながら、手を伸ばしてこっちに走ってきた子だ。

 

 小学校に上がった当初、やはり姉妹以外の子とは馴染めなかったそうだ。月日が立ってやっと慣れていき、友達ができたそうだ。

 

 五つ子からはその点何一つ聞いていない。上手くやり過ごしていると見ていいのだろうか…心配だ。ついでに聞いてみるか。

 

 

 

「あ、フータロー君?」

 

「え!? な、何してるの上杉君っ!?」

 

 

 

 ちっ、リストラとかどうの考えていたところで間が悪い。現場を抑えられてしまった。

 

 下校時刻のようで、五月と一花が見えた。一人寂しくブランコを漕いでいるところなんて見られたくなかった。

 

 仕方なく合流する。今日は二人だけか。

 

 

 

「…まさか、クビ…っ!?」

 

「休みって考えはないのか」

 

「クビなんですか!?」

 

「大きな声上げるな、ここに来づらくなるだろうがっ!」

 

「通うつもりですか、公園…うわぁ…」

 

「やっぱり! テレビで見たよ、クビになった中年男性が報酬貰って情報を刑事さんに渡すの!」

 

「そんな泥臭いシーンと一緒にするな

 休みだっつーの!」

 

「それでもブランコはないです」

 

「おまえは一言二言多いっ」

 

 

 

 ええい話を切り出せない。現在生意気度のトップ二人が並んでると厄介極まりない。

 

 二人だけの下校となると残り三人は学校に残っているのか。そう確認が取りたいだけなのに、いらん事に興味が強すぎる。

 

 

 

「後の三人はどうした、2、3、4綺麗に中身が抜けてるぞ」

 

「誰の中身がないって言いたいのかな?

 二乃は友達と、四葉は遊びという名のガチバスケ」

 

「いつも通りだな」

 

「三玖は先に帰ったはずだよ

 ね、五月ちゃん」

 

「…知りません、上杉君に教えてあげる義理はありませんから」

 

 

 

 今日はバラバラに動いているようだな五つ子共。五人揃ってとはいかないようだ。

 

 まあ極端に好みも違うしな。友達も違うようだし。共通して関わりがあるのは俺たち上杉の面子ぐらいか。

 

 五月の態度は相変わらずだが、今は触れないでおくしかない。ここで喧嘩しても時間を食うだけだ。最悪近所から通報が入りそうで怖い。

 

 ここまで来たのも理由がある。休める時は俺だって休みたい。

 

 

 

「三玖はどこに?」

 

「わかんないけど…四葉が昨日は川のほうに行ってたって」

 

「川?」

 

 

 

 ここから少し離れたところで、水路と繋ぐ川がある。川沿いにはよくサッカーをしている子供がいたものだ。

 

 なぜ川に向かったのか疑問でしかない。見たという四葉に直接話を聞きたいが、なぜいないんだ四葉。上杉さん派はおまえしかいないんだぞ。

 

 二乃が加わったらしいのだが…天邪鬼なあいつは器用にコロコロと意見を変えているらしい。四葉から悲鳴のメールを貰ったのでこの件もフォローしておかなくては。

 

 仕方なくその情報を元に探すか。二人に礼を言って別れると、背後から声をかけられる。

 

 

 

「三玖、いつも手が汚れてました」

 

「…?」

 

「…三玖、四葉のクローバーを見てから、元気なかったんです」

 

「おまえ…」

 

 

 

 見てたな、おまえ。シュークリームを片手に見てただろ、おまえ。

 

 五月の助言に手を振って返しておく。

 

 

 

「わかった、ありがとな二人共

 気をつけて帰れよ」

 

「フータロー君、ご飯一緒に食べようねー」

 

 

 

 五月はそっぽを向いたままだったが、その気遣いには感謝している。

 

 三玖が何を思っているのかはわからないが、思うところはある。

 

 昔、あの子から花を受け取ったことがあった。それだけの思い出が、あの子が何を思うのか教えてくれている気がする。

 

 いつもよりも歩いた先で、緩やかな斜面の堤防が見えた。よく犬の散歩やジョギングで人通りのある場所だ。

 

 見渡すとまだ日が高い空を映す川が見えた。川沿いは雑草で生い茂り、冬の風が冷たい。

 

 こんなところで何をしているのか。単独行動が多いあの子の心境はわからん。

 

 いた。ヘッドホンを首にかけている少女が草木の中で屈んでいた。何かを探しているのか?

 

 

 

「…ない…」

 

「何やってんだ、おまえ」

 

「ひっ!?」

 

 

 

 えらい驚かせてしまった。背後から近寄り声をかけると全力で逃げられた。不審者扱いされてるな、逃げるのは正しいけどちょっとショックだぞ。

 

 走って離れた後に三玖は振り向いた。不法者が俺だと知って…また逃げた。

 

 …なぜ逃げる。

 

 

 

「おい三玖!」

 

 

 

 まさかそのまま逃げられるとは思わなかった。あいつが走ると転ぶわけで、仕方なく追いかける。

 

 振り向いて俺だと知った三玖の顔は、どこか悲痛のものだった。知られたくなかったんだろうか、ここにいることを。

 

 

 

「三玖! 逃げなくてもいいだろ!」

 

「ッ

 はぁッ…はぁッ…ッ!!」

 

「どんくさいおまえが逃げ切れるとでも――」

 

 

 

 何にせよ話をしないとわからないままだ。本気で走ればあっという間に三玖の背中に手が届くところまで距離を詰めた。

 

 怖がって、慌てて逃げ出す子を捕まえることができたと慢心した直後。

 

 ぐきっ! と嫌な音がした。

 

 川原は石が多い。それも大きなものが。

 

 石を踏んだら崩れてしまい、そのまま体勢を崩して足を滑らせた。捻ったかもしれん。

 

 痛みで足を止めた俺を、三玖は冷めた目で見ていた。

 

 

 

「…」

 

「…なんだよ、その目は」

 

「…ぷっ」

 

「笑ってんじゃねえぞ三玖!」

 

 

 

 卑屈なところもあるとは知っていたが、小馬鹿にされるとは予想外だぞ。あいつ絶対に許さん。

 

 足が痛むせいで上手く走れない。だが痛がっている素振りを見せれば三玖は気を病むだろう。何で俺が失礼なガキに気を遣わなくちゃいけないんだ。

 

 少しスピードが下がった足で三玖を追いかける。どの道もうチェックメイトだ。この先は橋の真下で行き止まりになる。

 

 

 

「う…っ

 ふ、フータロー…」」

 

 

 

 日の光を遮る大きな橋だ。コンクリートの壁の影で三玖は慌てていた。もう鬼ごっこはおしまいだ。

 

 よくからかわれた後はこうして追いかけっこで遊んだ。追いかけて欲しいと望まれて。

 

 ならばいつも通り、捕まえた後はお仕置きしてやる。その後は仲直り、それでいいんじゃないのか。

 

 三玖は気に入らないようで、右往左往し…川のほうへ逃げていった。マジか。

 

 水に足を入れてばしゃばしゃと我が道を行くようだ。渡る気か?

 

 

 

「うわっ」

 

「三玖!」

 

 

 

 川で子供が溺死したなんて、ニュースでたまに聞くだろう。子供は大丈夫だと思って川に入り込む。

 

 躓いて水面に倒れかけたところで、三玖を後ろから引っ張り胸に抱えた。

 

 川に飛び込んだことで足が濡れてしまったが三玖は転ばずに済んだ。そのまま持ち上げて抱え上げる。

 

 三玖の足から滴る水滴が落ちていく。抱き上げられることに抵抗はなく、されるがままに。

 

 三玖は俺の服が濡れないように足を曲げ、俺の肩に手を置いた。

 

 

 

「…フータロー、早い」

 

「おまえはしょっちゅう転んでたからな」

 

「それは昔の話」

 

「これもな」

 

「…うん、好き」

 

 

 

 走って逃げていた三玖にようやく笑みが窺えた。空を背に抱き上げた子が目を細めて見つめている。

 

 よく抱っこしてやったもんな。三玖は首にしがみついてきた。

 

 しばらくこのままでいた。今は三玖が望む時間を過ごすのがベストだと思って。

 

 昔はおまえを抱えていても、このくらいの川を難なく歩けたが…今ではやや危なっかしい。

 

 俺からしたらこれは純粋な甘えなのだが、三玖からしたらどうなのだろうか。

 

 年相応の恋愛的感情が含まれているのか。判断に迷うところだった。

 

 

 

「もういい」

 

「あ、ああ」

 

 

 

 三玖を流れる川に足が着くように下ろした。

 

 水の冷たさから三玖は身震いしていた。俺だって冷たいしズボンが気持ち悪い。

 

 転ばないように三玖の手を取って川から上がって、一度裸足になるべく靴下を脱いだ。酷い目に合った…

 

 

 

「むぅ…」

 

「…何してんの」

 

「ストッキング…最近履いてみたけど…脱ぎ難い」

 

「ああ…」

 

「…フータロー、手伝って」

 

「…」

 

 

 

 三玖にしては短めのスカートの端には、四苦八苦して脱ぎ損ねたストッキングが見える。お洒落女子初心者には困難なものらしい。

 

 小学生相手に緊張するものは残念ながらないため、仕方なく手早く済ませてやる。

 

 何の脈も見受けられない男の態度に、三玖は不満があるようで。

 

 

 

「…フータロー手馴れてる?」

 

「おまえが特別不器用なだけ」

 

「…

 まさか、お母さんの…」

 

「飛躍させんな、このむっつりスケベ」

 

「あいたっ

 す、スケベじゃないし…フータローがスケベだよ」

 

「ほー おまえ、俺のお仕置きでやたらくっついてくるけどよ

 狙ってやってるの気づいてるからな?」

 

「~ッ!」

 

 

 

 幼稚な興味心を暴かれて三玖は絶句して顔を隠した。恥じらう様は乙女だがむっつりだからな…

 

 脱げたストッキングと靴下は少しの間乾かしておこう。大きめな石の上に飛んでいかないように抑えて日向に干しておく。

 

 スカートの三玖と違って俺はズボンまで濡れてしまったが、この気色悪さは我慢するしかない。

 

 濡れた靴を履いて、当初から聞きたかったことを三玖に質問する。

 

 

 

「最近帰りが遅いと聞いたぞ、こんなところで何か探し物か」

 

「…」

 

「…」

 

 

 

 仮にも気遣う言葉に、三玖からの返事はなかった。

 

 乙女には隠し事があるようで、他人には答えたくないようだ。家族が心配するというのに困った奴だな。

 

 今は四時過ぎか。冬のこの時期は日が沈むのが早く、今は青い空でももうすぐ夕暮れだ。

 

 あまり時間はない。何をやせ我慢しているんだと、三玖を見つめていると彼女は立ち上がった、。

 

 先程目にしたように、三玖は再び草木が生い茂る茂みの方へ向かっていった。

 

 それをしばし眺めていた。意地を張る理由が薄れていった三玖はぽつりぽつりと明かしてくれた。

 

 

 

「夏にここで…綺麗なお花を見つけて、お母さんに渡したの」

 

「ああ、病院に持って行ったな」

 

「…」

 

 

 

 続きはなく。三玖は黙って探索を続けていた。

 

 咎めるものはなく。その後姿を眺めて…少し離れ、草花を背に寝転がった。

 

 

 

「…」

 

 

 

 穏やかでのどかな時間だった。

 

 空を見上げれば多少寒さはあるが、仕事や家の問題で追われていたことを忘れさせるものだ。

 

 男がふんぞり返って寝転がっている一方で、三玖は一生懸命に何かを探している。

 

 そう焦る必要があるのか。小学生の放課後の時間は多くないが、休日にでも探せばいいんじゃないか。

 

 本人の気持ちを知らない以上、お節介でしかないわけで。このままのんびり過ごすと眠気に負けてしまいそうだ。

 

 

 

「えいっ」

 

「ん?」

 

 

 

 弾んだ声と、頭に何かをかけられて起き上がる。

 

 すぐ横には三玖がいた。目を瞑っている隙に接近してきたようだ。

 

 先まで俯いてばかりだった奴が、何を嬉しそうに…

 

 ふと違和感の原因である頭に触れると…何だ、花冠?

 

 

 

「器用だな」

 

「お母さんに教わった、みんな作れる」

 

「ふーん…男が貰ってもな」

 

 

 

 三玖にそのまま返した。

 

 

 

「おまえのほうが似合ってる」

 

「…せっかくあげたのに」

 

 

 

 花冠を三玖の頭に飾った。文句を垂れていたが、ちょっぴり嬉しそうにしているのがバレバレだ。

 

 気を良くしたのか三玖は離れずに、その場で何かを作ってみせた。

 

 草で編んだ小さな輪っかだ。手の平に収まるくらい小さな。

 

 ついでに手を取られる。

 

 

 

「手出して」

 

 

 

 黙って薬指に輪っかをはめられた。

 

 三玖の躊躇しない振る舞いに気づくのに少し間が必要だった。

 

 …何度見ても左手の薬指である。

 

 薬指には、草で作られた指輪がはめられてしまっていた。

 

 

 

「こ、こら…それはちょっと」

 

「お嫁さんになって」

 

「おまえがなるんじゃなかったのかっ」

 

 

 

 な、何してくれてんのこの子。まだ先生との婚約指輪も買ってない男に何やってくれてんだ。

 

 昔はビンの蓋などでやられた悪戯だが…この子本気だぞ。

 

 タイミングを考えても俺と先生の婚約に反対しているとした見えない。花嫁を掻っ攫うつもりか。

 

 三玖は俺の慌てた様子に満足したようで、すっと指輪を抜いた。

 

 

 

「もうできないね」

 

「…」

 

「…もう暗くなっちゃう」

 

 

 

 日が傾いていくのが見て分かる。

 

 もうじき夕暮れ。暗くなれば探し物は困難だろう。

 

 三玖は花冠と指輪を地に置いた。もう用済みだと言わんばかりに返してしまった。

 

 そして、背を向けてまた何かを探し始めた。

 

 俺は三玖を一人にしてはおけず、その後を追った。

 

 しばらく…三玖に付き合っていた。

 

 

 

「フータロー、いいよ…帰っても」

 

「もう夕暮れだぞ、帰らないのか」

 

「…」

 

 

 

 強情な奴。何を探しているのかは知らないが、もう三玖の願望が実る可能性は低そうだ。

 

 見つからないんじゃないのか、諦めた方がいいんじゃないか。

 

 この子は諦めの早い子だった。だが一方で、とことん負けず嫌いで惨めな思いをすることを恐れている。

 

 必死なんだろうな、三玖は。

 

 何を探しているのかまでは分からない。そんな離れた距離を保ちつつ、俺は声をかける。

 

 少し、似ているようにも思える。

 

 

 

「昔、おまえと同じ歳の時…京都でこんな夕暮れを先生と眺めた」

 

「…お母さんとフータローの?」

 

「その時は…まあ、俺は先生を好きじゃなかった

 どっちかと言えば…失恋した後だった」

 

「失恋? フータローが?」

 

「ああ…ほら、前に会っただろ、竹林――」

 

「私あの人嫌い」

 

「わ、悪い奴じゃないんだぞ?

 ただ…あの時はおまえらが可愛かったもんで意地悪が過ぎたというか」

 

「…

 フータローと仲良しだから…なんかやだ」

 

 

 

 そう思い出は多くないだろう竹林のことは、未だに毛嫌いしているようだ…

 

 大人気ない意地悪をされたことよりも、俺との腐れ縁を嫌っているようだ。それだとどう足掻いても関係性は改善されない。

 

 初恋が竹林だったことは伏せておこう。火に油を注ぐような真似はしない。

 

 

 

「傷心した時は何もかもが嫌になるが、案外次の糧になっているものだ」

 

「…私もそうするべき…?」

 

「…我侭を言うのなら今のうちだ

 本来なら、恋は待ってはくれないぞ」

 

「…」

 

 

 

 三玖は俯く。そしてまた探し始める。

 

 それは拒絶なのだろうか。それでも構いはしないんだ。

 

 おまえの答えを待ってもいいんだ。何年先になろうと、そのくらいの我侭叶えてやる。

 

 俺が先生を好きなのは変わらない。おまえが告白したとしても、今は答えられない。

 

 三玖への気持ちが冷めているわけではない。正直、年が近かったらやはり変わっていただろう。

 

 思い出せば三玖とは幾つもの思い出がある。

 

 

 

「フータロー…あのね

 あのねっ」

 

「聞いてるから、どうしたんだ、三玖」

 

「あのね…えっと…ね?」

 

「…」

 

「またね、おはな…あげる

 フータローにだけ

 せきにん、とってもらうの」

 

 

 

 花をくれた後の三玖は上機嫌で、またいつかあげるね、と笑っていた。

 

 小学校に上がってからは俺との時間が極端に減って泣きついてきたりもした。

 

 早朝に俺の家まで来て、しがみついてきて周りを困らせることも。

 

 遠足のお弁当作りでは先生に代わって手の込んだものを作ったこともある。

 

 友達を誘って大勢で食べれるくらいの。三玖は友達といっぱい話せたと笑っていた。

 

 運動会ではビリになって不貞腐れて、借り物競争ではお父さんとして借り出された。

 

 一位を取るとクラスの子たちに自慢したそうだ。姉妹からもうざがられるぐらいにテンションが上がっていたそうだ。

 

 

 

「…」

 

 

 

 楽しい時も苦しい時も、努力も後悔も…三玖は一生懸命に向き合って、俺に教えてくれた。

 

 笑っていてほしいと、切に願う。こんなにも優しくて不器用な子なんだ。

 

 日が沈んでいく。

 

 結局、三玖は何も告げなかった。

 

 もう時間切れだ。そう告げよう。

 

 

 

「三玖、終わりだ」

 

「…」

 

「もう日が暮れる」

 

「…

 もうちょっとだけ、まだ」

 

「俺は帰っちまうぞ

 また明日でいいんじゃないか」

 

 

 

 意地を張れば後悔してばかり。そんなこと、この子はとうに泣きたくなる程知っているだろうに。

 

 置いていくぞ、と…この場から離れても三玖はついてこなかった。

 

 昔と大違いだな。ある意味これが兄離れになるか。構わずこのまま歩いた。

 

 干していた靴下とストッキングを回収する。まだ濡れていてこのまま帰るしかないか。

 

 三玖から見えない位置で座り込む。本気で置いていけるはずがなく、あの子の意地に付き合うしかなかった。

 

 もう辺りは暗く、茂みの中ならより一層暗さが際立つだろう。

 

 

 

「…ひぐ…う…ぅ…」

 

 

 

 風が冷えて、帰り道を見失う程暗くなっても、黙ってその声を聞き続けていた。

 

 泣きながら、三玖は必死に探していた。

 

 そこまでしてまで何を探しているんだ。

 

 何か落としたのか?

 

 母親絡みか? だとしたら困り果てている子供に駆けつけるべきだ。

 

 しかし、仮にも三玖を拒絶した立場にある者が優しく接して良いのか。

 

 結局待つしかなかった。

 

 やがて、川に月明かりが見えた頃。

 

 

 

「…あった…」

 

 

 

 小さな声と、川原を歩く声が聞こえる。

 

 立ち上がったところで、茂みから抜けてきた三玖と目が合った。

 

 月明かりと遠くに光る外灯に照らされると、三玖の酷い有り様が見て取れる。

 

 手と足は泥だらけ、珍しくお洒落している洋服も泥と川の水で汚れ、所々葉っぱがくっついている。

 

 顔にはひっかき傷まである。触れればその者まで汚れてしまう姿だ。

 

 

 

「見つかったのか」

 

「…うん」

 

「良かったな

 もう遅くなっちまった、帰るか」

 

 

 

 帰っていると思っていたのか。待っていると思っていたのか。三玖のその反応はいまいち分からなかった。

 

 みすぼらしい姿になりながらも、三玖はこちらに歩み寄ってきた。

 

 子供が必死になれば形振り構っていられない。汚れた手を隠したら、何かを渡せない。その手を引っ込めてしまう。

 

 三玖は目の前に立ち、口を閉ざした。

 

 

 

「三玖?」

 

「フータローの一番になりたい」

 

 

 

 一歩。川原の上の一歩は小石を蹴った。

 

 この時間まで動き回って、足を上げる力もそうないだろう。

 

 疲れてもなお、三玖は譲らなかった。

 

 

 

「四葉があげたクローバー

 フータロー嬉しそうだった」

 

「…ああ」

 

「…駄目」

 

「あ?」

 

「お花、あげて喜んでくれるのは…私だけがいい」

 

 

 

 泥だらけの子供は手の平に包むものを解こうとする。

 

 俺は三玖の前で膝をついた。三玖と視線が合うように。

 

 三玖にとって、あの赤い花は特別なままだった。

 

 俺に満ち足りた気持ちをくれたあの贈り物は忘れられない。

 

 三玖は俯いてしまった。あの時とは比べ物にならないほど、随分と汚れてしまった。

 

 三玖の手は震えていた。

 

 

 

「ふ、フータロー…っ」

 

「ああ」

 

 

 

 それはどこか怪我をしたのか。寒いのか。

 

 渡せば最後、もう終わりだと分かっているからか。三玖は泣いていた。

 

 俺はその泥まみれに汚れた手を両手で包んだ。

 

 解かれたくない、渡したくないと三玖は体を強張らせた。

 

 

 

「やだ…嫌だよ…っ」

 

「…三玖、いいんだ

 今じゃなくていいんだ

 おまえには沢山、助けられてきた」

 

「そんなことないっ」

 

「三玖、待つよ、俺は

 おまえが納得いく答えが出るまで」

 

「それじゃ…駄目っ…」

 

 

 

 三玖は俺の手を掴む。片手にはまだ、その何かを手放さずに。

 

 しかし、三玖は泣きながらこの手にすがりついてきた。

 

 手放したくない、と涙を押し付けて泣いている。

 

 両手が塞がった俺には、三玖が泣き止むまで待つしかない。

 

 

 

「でも」

 

「…」

 

「やっぱり

 フータローには笑ってほしい

 ずっと、ずっと…好きな人だから

 

 だから、どうか…」

 

 

 

 三玖は手を離し、俺もその手を離す。

 

 隠れていた、引っ込めてしまいそうだった、汚れてしまった手の中にあるもの。

 

 三玖は差し出してくれた。

 

 暗闇の中ではとても見つけられない、小さな花。

 

 渡す場も、その貧相な花も、拙いものだった。

 

 

 

「幸せに…っ…!」

 

 

 

 泣き崩れそうな表情で三玖は手の平を開いた。

 

 小さな白い花だった。

 

 あの頃の赤い花とは違う、少し寂しい花。

 

 今の女の子のような。関東嫁菜。

 

 花言葉は正義、隠れた美しさ、真実の愛。

 

 これを一つ探すために、三玖は遅くまで帰らなかった。

 

 見つかるまで何度も、ここしか知らないから、何度も。

 

 あげたい、一番でありたい、笑ってほしい…なんて理由で。

 

 

 

「幸せに、なってね…フータローっ!」

 

 

 

 唇をきつく結んで、嗚咽を堪えて。

 

 本当は別の言葉を伝えたかったのかもしれない。

 

 思いを募らせるうちに悟ってしまったのかもしれない。

 

 それでも、言ってくれたんだ。

 

 

 

「ちゃんとなって! 約束だよ…!」

 

「ああ」

 

「ならなかったら、怒るから!」

 

「…ああ」

 

「嫌いになるから!」

 

 

 

 その花を受け取る。

 

 三玖にとって花を渡す行為は、思いを告白することに通じる。

 

 過去に俺が三玖がくれた花に心から喜び笑ったから。

 

 ならば三玖は探してくれたんだろう。

 

 俺が笑って三玖の思いを受け取れる、そんな綺麗な花を。

 

 

 

「我慢するから…っ!

 約束…」

 

 

 

 手放したことに三玖は、やはり泣いてしまった。

 

 どうしてか…あの時とは違う気持ちだ。

 

 この子には泣いてほしくなかった。

 

 汚れた手で涙を拭いてはいけない。代わりにその涙を拭った。

 

 

 

「三玖、ありがとう」

 

「フータロー…ッ!

 私、フータローのことが好きなの…っ」

 

「ああ、知ってる」

 

「フータロー…どうして…!」

 

 

 

 三玖は俺の手を掴んで、泣き崩れてしまう。力が抜けて、地面に膝がついた。

 

 誰かに泥が付いてしまえば気に病む、臆病な子だ。

 

 手放したくない。そう我侭を言えれば良かっただろう。

 

 泣くだけで、この子は受け入れた。

 

 おまえは泣いてばかりだ。

 

 だがそれは弱いからじゃない。優しい気持ちから溢れてくる強さだ。

 

 この子なら強く、前を向いて歩いてくれることを信じている。

 

 俺は後ろから見守ろう。おまえは何度も後ろを振り向いて手を伸ばしてきたな。

 

 きっとそう遠くない日…この子は走り去る。

 

 もう転ぶことはない。たとえ転んでも一人で立ち上がる。誰か別の男が手を差し伸べ、彼女は安心して笑うだろう。

 

 

 

「フータロー…約束だよ…っ!」

 

「ああ、約束だ」

 

 

 

 この涙は過去のものになり、俺よりも素敵な男に出会い、恋をするのだろう。

 

 手を取り合い、俺と先生に会いに来るんだろう。

 

 やっぱり嫌だな…

 

 そんな我侭が胸につっかえる中、俺は優しい女の子が泣き止むまで手を繋いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三玖とはよく手を繋いで帰ることが多かった。

 

 手を緩めても、必ず相手のほうから繋ぎとめてくれていた。

 

 

 

「ねえ、フータロー」

 

「…ん?」

 

 

 

 暗い帰り道。これで最後になるだろう。

 

 憂いなく、三玖は笑ってみせてくれた。

 

 

 

「髪切ったお母さん、綺麗でしょ?」

 

「…」

 

「お母さん、フータローとのデート楽しかったって、一生の思い出だって喜んでたよ」

 

 

 

 ずっと言いたかったんだろう。

 

 嬉しそうに笑う子はどこまでも優しかった。

 

 そして、照れて笑ってしまう俺に…ふっと笑う三玖の笑顔が好きだ。

 

 三玖と手を繋いで歩く。

 

 手を離すのは…もう少し進んだ先でもいいだろう。

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