五等分の園児   作:まんまる小生

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涙は零れず恵みは静かに零れるその8 鬼教師

 いつかは決めなくちゃいけない日がくる。

 

 選ばれた物とそうでない物。無価値なものは捨てられ、求められた物が残る。賢い人間ほどその判断は早く的確だ。

 

 だがそれはとても惨いことで。憐れみや未練から二の句を繋げて傷を癒やしたくなる。

 

 いくら同情を誘っても結果は覆らない。とうに結末は見えている中で抗う姿は醜く滑稽なものだ。

 

 悲劇の中で観客を笑わせるか泣かせるかの、道化と悲劇のヒロインが見せる舞台。人の努力を嘲笑う為の運命劇。

 

 誰かの幸福の踏み台にされ、あんなにも慕ってくれていた三人の子供は泣いていた。

 

 先延ばしをしても良かったんだ。時が違えば結果は違っていた。

 

 憧れや雛鳥の刷り込みに似た幼少の恋心など、風化して終わるのが自然の成り行きだ。

 

 だが、俺は知っている。

 

 いつか。必ず。

 

 そうやって先延ばしにしたことで、取り返しのつかない後悔を背負った人がいることを。

 

 ボロボロに泣いた子供たちは…泣きながらも最後には笑って二の句を紡いでくれた。

 

 泣き顔から笑顔に。母親を祝福して静かにその足を引くかと思っていた。

 

 が、考えが甘かったかもしれない。

 

 

 

「上杉さんっ こっちのほうがおいしいに決まってます!

 うちは6人家族ですから、七人目の上杉さんの一票は貴重なんですよー

 さあ選んでください! オレンジを!」

 

「しつこいわねあんた、みかんの缶詰でも買ってくればいいでしょ

 せっかくの小学生最後のクリスマス、もっと派手なものでいきましょ

 店長さんのオススメはねー」

 

「どれもこれも生クリームだらけ…嫌いな人がいることも考えて

 フータローは私と同じ渋いのが好きだし、ここは同盟を組もう

 だから抹茶…これにしよ?」

 

 

 

 寒いのでこたつで足先を温めていると、俺の両隣と真後ろを姦しく騒ぐ三人に占領されてしまった。

 

 目当ては俺が手に握るカタログ。くっつかれると長い髪やらヘッドホンやリボンが当たって暑苦しいことこの上ない。

 

 …男に振られても平気そうな顔されると、振った側としては釈然としない。おまえら言う程俺のこと好きじゃなかっただろ。

 

 右側には三玖。左には四葉が。真後ろには二乃が。ケーキが並んだカタログを覗き見ようと顔を出して各々の主張を言い張ってくる。

 

 

 

「あつ…顔近いから」

 

「元々ここは私の場所、四葉と二乃が割り込むから…

 いいや、こうする」

 

「おい、寝るの禁止、おまえ本気で寝るから禁止」

 

「こたつあると、上杉さんとお母さんの横で寝ちゃうよね…四葉も失礼します」

 

「暑いって言ってるのにべたべたしやがって、兄離れしてくれ」

 

「フー君、クリスマスまであのケーキ屋さんフェアやってるのよ

 土日に一緒に行かない?」

 

「もう多忙な時期にあの店には行きたくない」

 

 

 

 白い靄がかかった窓の外はもう暗く、冷気が壁を浸透して入り込む12月の夜。

 

 床が軋むアパートの一室、五つ子とその母親が住む小さな家は相変わらず賑やかだった。

 

 母親の再婚を認め、開き直った三人は以降全力で甘えてくることが多くなってきたのだ。

 

 三玖はこたつに入る俺の膝下に頭を乗せて寝転んでやがる。加えて膝の上からケーキのカタログを眺め始める始末。

 

 

 

「…クリスマスケーキね

 早いもんだな、一年」

 

「歳を重ねれば短く感じると言いますが…

 私は酷く長く感じました、この一年」

 

「…年内の退院おめでとうございます」

 

「…ありがとうございます

 ですが正直におっしゃったらどうですか? 大人気がなかったと」

 

「なんのことやら」

 

 

 

 入院中、早く退院したいと文句を垂れていた恩師がこたつの向かいから睨んできた。

 

 五人の娘を溺愛してぶっ倒れた母親の抗議は、退院する前日まで続いていたな。お陰で元気になったのは十分思い知らされた。

 

 気を逸らしてもらう為にケーキのカタログを先生に手渡す。さっそく末っ子が食いついて母親の隣から顔を覗かせた。

 

 先生は一目見た後に、隣で眠りこけそうになっていた長女に手渡した。クリスマス当日のケーキは子供たちに一任するらしい。

 

 ひとまず雑魚寝する二人を叩き起こす。変わらず接してくれることに嬉しく思う気持ちを誤魔化して。

 

 

 

「上杉君、今年のクリスマスの予定は…?

 良かったら今年は一緒にお祝いしませんか?」

 

「そうだな…うちの風習は家族で過ごすのが当たり前だったが

 今年はらいはがケーキ屋のバイト入れてるし」

 

「え、らいはお姉ちゃんクリスマスもあっちで働くの? 大変ね…」

 

「兄も父親も彼氏もいない妹は働いて気を紛らわせるそうだ」

 

「その情報聞きたくなかったわ…!」

 

「うちに呼ぼうよー フータロー君代わってあげて?」

 

「フータローのウェイター姿また見たい」

 

「…

 あー寒い、冬はこたつが一番だぜ」

 

「黒いわ、このお兄さん」

 

 

 

 小銭すら稼いだことのない小学生が口うるさいので無視。実妹を蔑ろにする兄を見て一花が引いていた。

 

 接客業の苦労を知らないからそんなこと言えるんだろうな…おまえら脳内ブラックリストに載るレベルの問題客だったし。

 

 必死にエプロン引っ張ってくるし、両手を伸ばしてついてくるし。幼稚園児の愛くるしさに誰も咎めはしなかったのだ。

 

 やや懐かしく、自分なりに可愛がっていたんだなと自覚する。しかし三玖が期待した目を向けても行かないし手伝わない。

 

 

 

「クリスマスシーズンのケーキ屋はマジで地獄だ

 それがわかっていながらシフト入れたあいつが悪い」

 

「クリスマスのケーキ屋さんって…一年で一番忙しい日…」

 

「忙しいからこそ、働いてって頼まれたんじゃないの…?」

 

「貧乏くじ引いちゃったかぁ

 うん…お姉ちゃんのことは…一旦忘れよう」

 

「四葉、みかん諦めます」

 

「今年はママのパンケーキで締めにしましょ」

 

「…不服そうですね」

 

「拗ねないでよママ、お母さんのパンケーキ大好きよ」

 

 

 

 クリスマス当日、周りが一年に一度の思い出を作る日に妹は星になるつもりのようだ。

 

 店長から出勤を頼まれたそうだが、らいはとしては年末働けない分稼ぎたい気持ちがあったのだろう。

 

 五つ子の姉貴分が当日働くということで中野家には、らいはとはクリスマスの話題はタブーというルールが定められた。哀れな妹だ。

 

 対して俺はクリスマスの予定は特にない。来年はクラスの担任を任されるそうで、その際は生徒主催のクリスマス会は強制参加らしい…

 

 …教師になってから、強制参加と聞く度にげんなりしてしまう。面倒事が多すぎる、教師ってのは。

 

 先生も似たような経験をしているはずだ。なら愚痴を語り合うのもいいんじゃないか、クリスマス当日に。

 

 

 

「…当日はこっちに来ていいか? 久々に先生のパンケーキが食いてー」

 

「はい、お待ちしています」

 

「そんなこと言って、フータロー君が昔酷評したの覚えてるからねー」

 

「六年も前の話を…

 黒歴史合戦なら受けて立つぞ、お姉ちゃんよ」

 

「なんて大人気ない…これが権力かー」

 

「権力?

 ふっ 記憶力の差だろ」

 

「私がお馬鹿だって遠回しに言ってるでしょ!?」

 

「そうだ上杉さん、店長さんにケーキ余らないか聞いてくれませんか

 私たち五つ子に余り物お任せください!」

 

「売れ残りを強請るな…あの店の人気だと期待できないな

 つーかケーキの食い過ぎは間違いなく太る――いたっ!? 誰だ蹴ったの! 五月だろ!」

 

「せっかくのクリスマスに失礼な事言うからです」

 

 

 

 大人しく一人で黙々と自習に取り組んでいると思っていたら唐突に五月から足を蹴られた。こたつの下で。

 

 五月は鼻を鳴らしてそっぽを向く。こ、こいつ…五月の奴、あれから露骨に俺を毛嫌いしている。

 

 毛嫌いというか、反骨心というか…態度で不満を露わにしている。かれこれ数週間この態度だ。

 

 可愛さ余って憎さが数倍に増えると言うんだぞ。惨い体罰に一花と三玖が悲鳴を上げてきたというのに察しが悪い妹だな。

 

 …思い返すと、その二人は罰を好んで受け入れている奇特な連中なので嘗められるのも当然だった。姉から学ぶものがなかったのは当然である。

 

 一花も一花だ。口を挟んでくる頻度が以前よりも増えている。

 

 その奇特なお姉ちゃんは五月の態度に危険信号を見たようで、こちらに介入してくれるようだ。

 

 

 

「こらこら五月ちゃん、嫌われても知らないよー?

 フータロー君が大好きーって結婚反対してるのに、嫌われたら本末転倒でしょ」

 

「こんな人に嫌われたって構いません、望むところです」

 

「完全に昔の二乃だな」

 

「わ、私を出しにしないでくれない…? やっぱり根に持ってるでしょ

 というかね、五月のこれは、その程度じゃフー君から嫌われないと信じ切っての反抗よ

 私がそうだったから、私も同じだから断言してやるわ」

 

「嘘つけ、おまえ一花と三玖と喧嘩してまで俺を睨んでたんだぞ、明らかに嫌われてたからな」

 

「一緒にしないでください!

 二乃のは幼稚園の頃じゃないですか! そんなお子様じゃないから!」

 

「な、なんで私が責められなくちゃいけないのよっ!」

 

 

 

 過去を捏造しようとする二乃に激しく文句を言ってやったら、背後から腕を回され首を絞められた。

 

 顔だけでなく中身も次女と瓜二つに見えると指摘された五月もご立腹のようだった。普段の優しい口調が刺々しい。

 

 俺との話の中で五月の変化が芳しくないと見る姉妹は各々声を上げる。母親は変わらず諦観するだけで洗濯物をたたんでいた。

 

 

 

「五月、意地張らないほうがいいよ? 本当は甘えたいのバレバレだよ?」

 

「違いますっ さっきのだって上杉君から失礼な発言があったからです!」

 

「いや、フータローの言う通り本当に太るから…」

 

「…」

 

「五月ちゃん、体重が増えてるのはあれだよ? 成長期って奴だから気にしなくていいよ?」

 

「肉まんおばけ、男にモテねーぞー」

 

「…」

 

 

 

 姉妹全員からバッシンングを受けてプルプルしてる末っ子が憎たらしい。なぜかって、さっきからこたつの中で五月の足に蹴られてるから。

 

 これが反抗期か、反抗期とは無視され嫌悪され、触れることは一切なく少ない言葉数で距離を置かれると思っていたのだが。

 

 可愛らしさなど微塵もなくただただ生意気でしかない。昔は可愛かったのにな!

 

 俺と先生が結婚することを、五つ子が反抗することに文句はない。

 

 だが、俺が言える立場にないのだが…その肝心の本音を言わず、ただ駄々をこねられても困る。

 

 五月は不都合なものには耳を塞いで、知らぬ存ぜぬの蚊帳の外を決め込みたいらしい。

 

 云わばこの日常を永遠に続ける。変化を恐れる子供が求める本音なのかもしれない。

 

 だとすれば、距離を置いて五月が落ち着くのを待つのが一番か。

 

 しかしその選択は誰も報われない。ただ溜め息だけが零れる。

 

 そんな日常の繰り返し。今日もまた一日が終わる。

 

 

 

「もう遅いし、お暇する」

 

「はい」

 

 

 

 帰ることを告げると、くっついていた子供たちはすんなりと離れた。明日も仕事がある。

 

 迷惑をかけられない境界線を見極めている五人は何も言わず。

 

 母親の心労を気にかけてきた五つ子にとって、仕事に影響が出るほど迷惑をかけないことが最低限の戒めなのだろう。

 

 立ち上がると先生が上着を持ってきてくれた。そのまま腕を通すように広げられた。

 

 厚意に甘えさせてもらうが、甲斐甲斐しくされるとやや気恥ずかしい。

 

 

 

「もう暗いから、お気をつけて」

 

「ああ…でも、子供扱いしてませんかね、それ」

 

「ちゃんと無事に帰れたか、心配になります」

 

「まんま子供扱いじゃねーか」

 

「ねえお母さんとフータロー君って、ほんとに携帯で連絡取り合ってないの? 何で?」

 

「必要最低限って感じだよね、長話もしないし

 上杉さんと電話してるの、たぶんお母さんより私たちのほうが多いですよ」

 

「…何でだろうな」

 

「不思議ですね」

 

 

 

 なぜかと言われても…学生の頃からの意地が今でも続いているから、なのかもしれない。

 

 家を出て一人暮らしをする際に、疎遠にならないようにお互いに連絡先を交換した。

 

 しかしこれは、ある意味蛇足のようなもの。

 

 学生時代、らいはの携帯を介して先生と電話したことはあった。

 

 俺と先生は学校では周りからの不要な勘繰りを避けようと連絡先を教え合うことはなかったんだ。

 

 当時、直接連絡を取ったのは…五月に渡したメモから、あの夜に先生から電話がかかってきた。それが一度だけ。

 

 …言ってしまえば、俺と先生との思い出に関わるから敬遠していたのかもな。

 

 子供たちからの追求が再開する前に温かい部屋から出た。外に出れば白い吐息が暗い背景に薄く差して消えていく。

 

 寒さと共に恩師と五つ子と過ごした時間は途切れ、いつもの日常に切り替わる。息はもう白くなく、ただ冷たい。

 

 とっとと帰るか、と足早に進もうとしたところで…振り返る。

 

 

 

「…」

 

「…

 五月、冷えるぞ」

 

 

 

 勘だった。音がしたわけでも光が差したわけでもない。

 

 後ろを向けば、玄関のドアを開けてこちらを黙って見つめる五月がいた。

 

 家族との会話でも声を上げることが少なくなってしまった子は俯いていた。昔のような明るい笑顔を見せることはなくなってしまった。

 

 ケーキ! と弾けるような満面の笑顔はもう作れそうになかった。

 

 

 

「…」

 

「五月?」

 

「…子供扱い、しないでください」

 

「…」

 

「上杉君、怒らないんですね…あれから」

 

「子供扱いして悪かったな

 だが…怒らなかったのは甘やかしているからではない、怒る理由がそもそもない」

 

「理由なら…ううん

 でも、このままだとお母さんと結婚できませんよ?」

 

 

 

 母親の再婚に対して断固拒否だと睨んでた割に随分な言葉だ。母親が心配な気持ちが強いんだろうな。

 

 五月は心優しい子だ。

 

 だから、冷たい態度を取ろうとしても、それが最善だと分かっていながらも、嫌いだと言い張っても情が向いてしまう。

 

 何だかんだ言いつつ歩み寄ろうとしてくれるのはわかるんだが…こいつ馬鹿不器用だからな。

 

 果たして将来、そう上手く他人との関係を築けるのだろうか。お兄さん心配だぞ。

 

 この子は本当に優しい子なんだ。真面目で。食いしん坊で。打たれ弱くて。失敗ばかりの泣き虫で。

 

 それでも諦め切れない強さを持っていると知った時、彼女を愛してやまないだろう。そんな子に認められたいと思う気持ちに、子供扱いなどない。

 

 外は冷える。長話をすれば家の住人も心配に思う。今は話すことはなく、切り上げるべく五月に背を向ける。

 

 

 

「どの道、おまえと一花から認められなければ無理な約束だ

 子供扱いはしない、対等にいこうぜ」

 

「…」

 

「またな五月、おやすみ」

 

「…おやすみなさい」

 

 

 

 最後に返事を返してくれた五月に見送られ、アパートを離れた。暗く寒々しい路地を一人で歩いていく。

 

 今が幸せなんだ、それ以上は求めていない、

 

 そう五月は抗っている。それは同感だ。

 

 先生は助かったんだから、これが五月にとってのハッピーエンドだ。慕っている兄代わりの男とも手を繋いだままで。

 

 五月はこれ以上の変化を望んでいない。

 

 今が続くことを求めているのなら、俺は変わらず五月にとっての兄になるべきだ。

 

 だがな、もう後に引けない理由が俺にはある。

 

 二乃も三玖も四葉も、俺の背中を押してくれたんだ。泣きながら、笑って。

 

 一花は五月の答えを待っている。一人にはさせたくない姉の気遣いを知らぬ妹ではないだろう。

 

 変わらないままでいるなんて無理だ。既におまえ自身が変わり始めている。

 

 

 

「おまえがどう思おうが関係ない

 俺は変わらないぞ、五月」

 

 

 

 何かを選ぶ時は何かを選ばない時。全てを得ようなんておこがましいぜ、五月。

 

 もうじきその時が来るはずだ。握る手を離して、俺よりも前へ突き進むんだ、五月自身が望んで。

 

 その手を掴んで、無理矢理引き込むような真似はしない。

 

 怖くて泣いて、挫けた時には励ましてみせよう。昔のように。

 

 怖がることはないんだ、今度こそ一人で歩けるように、その手を掴んで教えてあげよう。

 

 たとえ弱い人間でも、人は必ず変われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上杉風太郎には夢があった。

 

 誰かに必要とされる人間になる。

 

 あの日、京都で恩師と出会い、手を引かれた教え子が目指した目標だった。

 

 憧れの人と同じ教職に就いたことで果たされるのだろうか。幾度も同じ疑問を抱き、答えは出ずにその日を迎える。

 

 他人を導くという行為はとかく曖昧で、恩師の背中に指先は届かず遠くにある。

 

 泥臭くあがく、先生と五つ子と過ごす温かな時間とは違った実りのない日々を過ごす。

 

 

 

「上杉先生」

 

 

 

 授業を終えた昼休み。教室が並ぶ廊下にそう響かない声が届いた。

 

 振り向けば、一人の生徒がこちらに駆け寄ってきた。昼食時のこの時間、生徒の行き来が多いこの廊下で。

 

 最近学校の間で広まっている噂の張本人を、周りが奇異の目で見ている。

 

 顔には出さなかったが、わざわざ教師に声をかけるとは妙な子だと苦笑してしまいそうだった。特別、勉強熱心な性格ではない。

 

 あの一件で、助けるはずが逆に迷惑をかけてしまった。

 

 隣に並んで歩く女子生徒、虐めを受け不登校になっていた…北条は無言で数枚の紙を手渡してきた。

 

 

 

「二学期の期末試験、先生のお陰でだいぶ良くなりました」

 

「…教えた甲斐があったようで何よりだ」

 

「だいぶって言っても、学年順位中間ぐらいだけど…」

 

 

 

 渡されたのは二学期期末テストの解答用紙。先日全ての科目の成績が生徒に通知された。

 

 何度か放課後に勉強を教えていた生徒だ。教え子の成績が上がったことは素直に嬉しく思う。

 

 学校生活、私生活共々ゴタゴタしていた生徒だ。この点数の上がり具合を見ると意欲的に取り組んでいたんだろう。

 

 父親に見限られたくない、そんな理由で北条から教えを請われた経緯がある。

 

 良かったなと褒めたいところなのだが…北条の本願は成就できずに終えることになった。報われた結末ではないだろう。

 

 

 

「…努力した分、結果が実ったことを覚えていてくれ

 物足りないのなら次を目指せばいい、焦らずに

 これからだ、継続していけばオール教科満点も実現可能だ」

 

「そこまでは…

 口で言うのは簡単というか…そんな超人ドラマでも見たことないし」

 

「…」

 

 

 

 頂はそう遠くはないと鼓舞したつもりが…夢か理想の世界の住人だと思われている。

 

 君の目の前にいるから、高校3年間オール100点、元全国模試1位が。虚しいことに言っても信じてくれそうになかった。

 

 教え子からの吉報を聞いて歩みを再開する。

 

 北条は俺の隣を歩いたままついてきていた。この貴重な昼休みの時間に、生徒が教師に。向かう先は職員室だぞ。

 

 

 

「…また虐められているのか」

 

「え、何で」

 

「飯食う時間を使ってまで先公に付き纏っていたら、何かあったとしか思えない

 おまえには前例があるしな」

 

「それにしたって、尋ね方にデリカシーがないというか…そんな聞き方なくないですか?」

 

「内容的に遠回しに詮索しても同じだろ、意地や見得なんて捨ててもらう」

 

「ひど…鬼教師って呼び名案外当てはまるのかもね」

 

「…鬼教師?」

 

 

 

 鬼教師。鉄化面。

 

 その単語を聞いて思い浮かぶのは鉄拳制裁を振るうあの恩師だ。

 

 能面を被ったような表情で何度げんこつを食らったか。この場にあの人がいたら間違いなく制裁をくらっている。

 

 視線を逸らすのもその一瞬だけ。げんなりした頭を振って雑念を払う。いつまでも先生の後姿ばかり見ていられない。

 

 ここでは聞き慣れないあだ名を聞き返すと、北条は気まずそうに目を逸らした。

 

 もう察した。あの一件から、授業でも生徒の雰囲気が変わったように感じていたのだから。

 

 

 

「冷血非道のうちのお父さんに雷落とした鬼教師

 お父さんが厳しいの有名だったらしいから…それで被害を受けた人がいたわけだし

 そんな人に啖呵切って黙らせたってお話」

 

「…」

 

 

 

 誤解だ。素性を知らなかった貧乏人が喧嘩腰に相手を丸め込んだだけだ。

 

 金持ちの社長でも凶器を持った暴徒には無力だろうが。俺から見たらリストラされた中年の男にしか見えなかったけど。

 

 後々調べたら北条の父親は商才に富んだ、自身の努力だけで大手企業の社長までのし上がった男だ。その手腕はこのブルジョワだらけの生徒の親御さんが恐れるものだったんだ。

 

 だが結果的に、成果を出せばいいというわけでもなかった。成果は残したが、その術は他者を蹴落とし、不要な者は踏み台にする横暴さがあった。

 

 男は育ててきた組織から社長の座を追いやられ、妻にも先立たれ引き篭もりがちになり、己の父を辱められた報復心を抱いた子供が北条を虐げる展開になった。

 

 娘が傷ついているというのにろくに見もしない男は、あの日自分の部下と対面し、学校側に過去を暴かれたことに激怒した。

 

 

 

「…待て、誰がそんな風評を広めた?

 あれを知っているのは、あの場にいた数人だけ

 …おまえの父親か?」

 

 

 

 あの場にいたのは俺と学年主任と北条の担任。北条本人と彼女を虐めていた生徒たち。その親となる。

 

 上司であり社長に虐げられていた、今回の騒動の発端となった生徒らの父親は面会の後に頭を下げ、そして俺に握手を求めたんだ。

 

 どれほど辛い目にあってきたのか、想像し難いものだった。

 

 プライドを捨てて娘を守ってきたというのに、娘の優しさが間違った方へ向いて誰かを傷つけた。

 

 父頭は娘に代わり、子の目の前で頭を下げることになった。その姿は切実なものを秘めていた。

 

 あの方々が言いふらすとは思えない。訝かしむ俺の視線に北条は知れっと答えた。

 

 

 

「私と、その場にいたクラスの子」

 

「…」

 

「怖かったなぁ…正面だったらマジで泣いちゃうレベル」

 

「何のつもりか知らないが

 俺を陥れるつもりなら、いっそのこと教員免許剥奪しにこい」

 

「や、やだなー、怒らないでよ先生

 先生、謹慎受けてから変な噂されてたからね

 私の親とか直接来る程の問題だったとか、酷かったんだよ」

 

「…」

 

「だ、だから…その

 上書きできるかなと思ってさ

 武勇伝だよ、武勇伝」

 

 

 

 決して蔑ろにするつもりはなく、北条なりに俺を守ろうとしてくれたのか。

 

 謹慎を受けることになった理由は俺が悪かったとしか言えないのに。

 

 

 

「…

 怖がらせたのなら悪かったな

 後悔はしていないが…言いすぎたとは思っている、おまえたちの家庭事情も知らずに」

 

 

 

 

 頭を下げる。教師が生徒に平謝りしている。

 

 しかも職員室の前で…人の目があるこの場所で。目立つと分かっていても、今は謝るべきだ。

 

 教師として救ってみせる、そのつもりだったが俺は最後の最後で欲に走り、愚かな振る舞いをしでかした。

 

 あの父親には、実の娘が傷ついていながら守ろうとしなかった。

 

 助けることで露呈されるものがあったんだ。娘が虐めを受ける理由をあの父親はわかっていたんだろう。

 

 隠し通すつもりだったが、あの日で暴かれた。過去の素行を知られ、凶弾されていると思い込んだんだ。

 

 娘よりも頑なに己のプライドを守ろうとする哀れな男だった。だから俺自身にも苛立ちがあり暴力を振るった。

 

 

 

「…先生」

 

「…」

 

「すごく、嬉しかったよ

 先生が一緒にいてくれて、よかった」

 

「…北条、おまえ」

 

 

 

 気づいていたのか。あの一瞬で。

 

 負の連鎖を断ち切ろうと、私欲を抑えた娘にあの父親は手を上げかけていた。

 

 北条は父親に見離されないように、虐めを受けながらも努力をしてきた。そんな娘に、腕を振り上げかけたんだ。

 

 父親に殴られる。その恐怖だけは目の当たりにさせたくない一心で、俺からあの男の顔を叩いたんだ。

 

 教師が暴力を振るった。許されるものではない。幼稚で粗末な、愚かな行為だった。

 

 しかし教え子は笑った。

 

 教師の袖を一つ掴んで。もう頭を下げないで、そう言いたげに。

 

 

 

「家族じゃないのに、他人なのに

 その人の家族に向かって本気で怒って、真剣になってくれる人がいるなんて…」

 

「…」

 

「…先生

 お父さんを叩いたのだって、私が叩かれるの…わかったからだよね?

 お父さんね、帰った後謝ってくれたんだ…ぶっきらぼうだったけど」

 

「…そうか」

 

「…」

 

「おまえも苦労しているな、北条」

 

「…

 ありがとね、先生

 ありがとう」

 

 

 

 目尻を拭って、北条は背中を向けた。

 

 窓から職員室を見れば、何事かとこちらを窺う教師が数名いた。流石に泣かれては困るので黙っていた。

 

 これで良かった。と、そうは言い切れない。北条が許してくれたという、それだけのこと。

 

 だが北条が、俺の大切な教え子が報われたと言うのなら。この傲慢さを捨てずに自分を肯定したい。そう思わせてくれた。

 

 元より他人を見下してきた冷めた人間だ。優しさなんてあるわけないんだ。

 

 貴重な昼休みの時間が刻々と削れていく。北条はそのまま職員室を離れ、階段を上がっていった。

 

 一段足をかけ、北条は踏み止まる。

 

 

 

「先生

 先生は…もし誰かが私と同じように虐められてたら、助けてあげてって

 そう言ってたよね」

 

「あ、ああ…できる限りでな

 それは俺たち教師が全面的に対応する」

 

「…鬼教師って怖がられているのに?

 先生に詰め寄られたら怖がって逃げちゃうかも」

 

「誰のせいだ」

 

「あはは、だからその…うん

 手伝う

 私は先生に助けられたんだよ、大丈夫だよって

 そのくらいは言えるから」

 

「…」

 

 

 

 言いたいことは言い終えたのか。北条は階段を駆け上がって、俺は窓から顔を出す冬の空の日差しを見上げる。

 

 夏よりも遠くに見える冬の太陽は眩しい。北条はよく笑うようになった。

 

 どこかその頬が赤いように見えた。寒さのせいだと誤魔化すように北条は去っていった。

 

 孤立していた彼女は、最近は他の生徒と話しているところが多く見受けられる。あの不良男子の黒田とも仲が良いそうだ。

 

 …ボーッと突っ立っている場合ではなかった。踵を返して職員室に戻り、昼食を取った。

 

 午後も授業がある。赴任して半年程経つが、慣れてきた頃に失敗しやすいとも云われる。

 

 昼休み後、気を改めて授業に取り組む。恩師と同じように教壇に立って。それが日常になっていた。

 

 それもしばらく間が空くことになる。

 

 この教室も、今日で二学期最後の授業となる。

 

 

 

「上杉先生、クリスマスイブは予定空いていますか?」

 

 

 

 慣れてきたのは生徒も同じだった。俺の授業、以前は私語なんてなかったんだがな…

 

 比較的真面目な生徒が多いこの高校でも、イベント事には目敏いようで。

 

 その中でも格別生真面目な、前に何度か放課後の勉強会に参加していた高飛車な女子生徒。

 

 立花が手を挙げて授業とは無関係な質問を投げかけてきた。

 

 今日教える分を終えたことを見抜いて声をかけてきたんだろう。本当に優秀な生徒だな、当たっている。

 

 クリスマスね…この手の質問の意図を尋ねるのは野暮か。

 

 しがない男教師がクリスマスをどう過ごすか気になるんだろう。

 

 

 

「その話はもう聞き飽きた

 おまえら金持ちは貧乏人がどう過ごすのか観察日記でも書きたいのか 冬休みの課題か?」

 

「上杉先生ほど、私たちと年の近い先生はいらっしゃいませんので

 もしよろしければ、また色んなお話を聞かせてください」

 

「というか先生…予定を言えない程寂しい人生?」

 

「クリパとか無縁そうだもんな、彼女作ればいいのに」

 

「その内良い事あるよ、先生、頑張って」

 

 

 

 一人が喋りだすと連鎖的に広まる。私語のオンパレードである。

 

 もう五限目の授業も終わりの頃だ、集中が解かれて休み時間の気分なのだろう。

 

 正直に言う、この相手は面倒くさい。あの五つ子とは人数が違うわけで、やかましいことこの上ない。

 

 もう残る数日で冬休み。校則も厳しいし、テストで赤点取り続けたら退学確定だったりで、先走って開放感を得たい気持ちは分からなくもない。

 

 騒がない程度に自由時間にしようかと思っていたら、立花は再び手を挙げた。

 

 直立した背筋と指先と一緒で、真っ直ぐにこちらを見据えて。その愚直さはあの人に少し似ている。

 

 

 

「上杉先生、私たちのクラスはクリスマス当日に体育館を貸しきってクリスマス会を開くつもりですの

 よろしかったら、先生をお招きしたいのですが…いかがでしょうか?

 食事も用意してますし、プレゼント交換会もありますから…楽しんでいかれませんか?」

 

 

 

 こいつら、流石は金持ちの子というか…その金どこから出てるんだと問い質したくなる。

 

 この学校はクリスマスや卒業式、体育祭などの日には生徒に校舎内の教室などを貸し与えている。

 

 打ち上げともなると生徒の下校時間を過ぎることも多々ある。お構いなしに騒ぐ生徒たちにはクラスの担任が責任者として強制参加することになるんだ。

 

 今年の体育館の会場設営の権利はこのクラスにあるようだ。毎年激戦区の会場だが立花の根回しが働いているんだろう。

 

 しかし、このクリスマスパーティ。親御さんからは反対の意見が多い。多忙なご両親にとって家族で過ごすこと大切な日という認識があるそうだ。

 

 どちらかと言えば…俺も親御さんの意見に同意だ。あの五つ子が高校生になって、夜遅くまで遊んでると考えると心配にもなる。

 

 

 

「おまえたちの大半、門限が厳しいんじゃなかったか

 クリスマスを楽しむのは結構、だが節度は守るようにな」

 

「えー萎える」

 

「どうせ僻んでるだけだろ」

 

「鬼教師」

 

「…どれだけ解放されたいんだおまえたち」

 

「上杉先生が真面目な方だと知ってのお誘いですから

 楽しめるはずですよ、上杉先生

 是非、意中の方や恋人と過ごす時の参考にしてください」

 

 

 

 年上をからかってばかりの生徒にはむかついてきた。生徒主体で開かれる催しだ、彼らのモチベは相当高いらしい。

 

 放課後に残って何か作ったり、会議を開いているらしいしな。文化祭のような盛り上がりようだ。

 

 しかし節度を守れって言った途端にマナーの悪さが露呈している。これが新米教師の性か…完全に嘗められている。鬼教師の風評はどこに行ったんだ、帰って来い。

 

 一方で粘り強く誘ってくる奴もいる。年上を敬う態度はそのままでも言葉の節々に素直に頷き難い要素を含んで。何でおまえらに指南を受けなくちゃいけないんだ。

 

 

 

「…」

 

 

 

 恋人ね…

 

 ミーハー気分で騒ぐ気持ちは全く分からないが…軽視して良いわけではない。学業だけでは得られない掛け替えのない物だ。

 

 うるさくて失礼な生徒に少しくらいお節介を焼いても罰は当たらないだろう。開いていた教科書を閉じて教材をまとめておく。

 

 

 

「節度を守った上で、クリスマスを楽しむこと

 好きな奴と過ごす一日は一生に残る思い出になるからな

 告白ぐらいなら先生も目を瞑ってやる」

 

 

 

 恋愛を推奨する発言に教室内は徐々に静まった。

 

 前々から堅物だと云われていた身だ。さらに鬼教師にレベルアップしている。

 

 彼女いないガリ勉教師は、クリスマスに恋人と夜遊びすることを否定すると思っていたんだろう。少し苦笑してしまう。

 

 

 

「何だ、意外だったか

 考えてみろ、おまえ達は高校2年、来年は受験だ

 3年の教室を見れば分かるがだいぶピリピリしてるぜ、専門と推薦に滑り込んだ奴を除いてな」

 

 

 

 来年に控えている受験という単語に一部の生徒は嫌そうな顔をしていた。クリスマスを楽しむというのに聞きたくないものだ。

 

 生徒からの反感の言葉はなかったので続けさせてもらった。

 

 

 

「クラスの仲間と過ごすのも楽しいだろうが、自分の残りの学校生活の時間を踏まえて選んでみるといい

 今がおまえたちのピークであって、一番楽しめる時期だ

 いつか言おう、なんて

 そのいつかはあっという間に終わる、おまえたちも振り返れば思い当たるものがあるだろう」

 

 

 

 生徒たちだけじゃない、多くの教師、大人たちは抱いている。

 

 学生時代ああしておけば良かった。もっと頑張っていれば。あの時先生の言葉をもっと真摯に受け止めていれば。

 

 そのジレンマを自分の生徒たちに対して抱きながらも、多くは口にできない。

 

 そして、彼らが卒業した後で後悔する日が来たら。

 

 

 

「あの時言えば良かった、そう後悔しないように

 以上」

 

 

 

 好きな奴がいるのなら告白してみろ。何も俺のように教師を好きになるような、禁断の恋愛をしたい物好きはそういないだろう。

 

 授業が終わるチャイムが鳴った。今日でこの教室での授業は一区切りとなる。

 

 日直が一礼の声を上げそうになったが手で制した。白けさせて悪かったな。

 

 

 

「今日はこれまで

 三学期にな」

 

「せ、先生、クリスマスは」

 

「お誘いは嬉しいが、残念だ

 俺はもう恋人と過ごすと決めていたんだった」

 

「え?

 せ、先生、お付き合いされている方が…?」

 

 

 

 彼女がいない、冴えない鬼教師。

 

 そんな男に女がいた。厳密に言えばお子さんも付いてくるというスクープ。

 

 特別優越感を得たいわけではないが、見下されていたら見返したくなるのが男だ。

 

 教え子らが失礼にもその意外さに驚いている。北条も珍しくできる優等生の顔が崩れていた。

 

 俺は意地の悪い顔をしていただろう。その口元を手で隠す。

 

 

 

「あー めっちゃ恥ずかしい」

 

 

 

 先生を嘗めないように。そう言い聞かせて教室を出た。

 

 六限目の授業でも同じこと言われそうで、内心気が重たかった。

 

 

 

「だ、騙されましたわ…

 勘違いしただけでなく、勝手に盛り上がって…

 というか…恋人がいるなんて聞いてないわよー!!」

 

「あの上杉先生にも彼女ができるんだな…」

 

「私も彼氏ほし…」

 

 

 

 クリスマス当日は彼らと一緒に過ごせなかったが、例年に比べて多くのカップルができたそうだ。

 

 誰の差し金かは深く考えはしなかった。

 

 そして三学期は以前よりも生徒からの恋人絡みの挑発がやかましくなったのは言うまでもなかった。

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