五等分の園児   作:まんまる小生

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涙は零れず恵みは静かに零れるその8 姫飯と膝枕

 ジュエリーショップなど、貧乏人にとってまさしく別世界の代物だと思っていた。

 

 

 

「たっか…」

 

 

 

 二学期が明けて冬休みになった。

 

 学生は休みだが、教師は別。授業はないが三が日までに終わらせないといけない雑務が残っている。

 

 その雑務、もとい金を稼ぐ為の労働を終えた29日。

 

 その金を湯水の如く使い果たしそうな店に来ている。

 

 あと数日で年が明ける、多くの店が閉まる前に。その焦燥のせいか…始終落ち着かない面持ちだっただろう。

 

 

 

(松井は値段よりもプロポーズが思い出に残ると言っていたが

 前田は値段を気にしてたからな…意見割れてるじゃねーか)

 

 

 

 クリスマスにばったり再会した旧友からのお節介により、婚約指輪の下見に来ていた。

 

 デパートや百貨店のほうが初心者には優しいとか聞いたが、あの夫婦が結婚指輪を買った店を勧められた。

 

 冷やかしは気が引けるが、友人がこの店で指輪を買って結婚したと話せば店員とも話しやすい。

 

 その旨を知った店員とは和やかな商談が見込めるかと思いきや、金額を目にして凍りつく。

 

 安くて20万、そこからは青天井。

 

 相手は再婚ということで、前の旦那との婚約指輪をその指に通していた身だ。

 

 ひゃ、百万を目標にするべきなのかな…?

 

 前の男より安いのは気に入らない。それだけが絶対条件だった。

 

 

 

「是非、来年お待ちしております

 プロポーズ、応援しています」

 

「…ええ、また来ます」

 

 

 

 プロポーズ用のリングがあるとか、こっそり指の大きさを測る方法があるとか、手厚い接客を受けて店を出ることになった。

 

 煌びやかな室内から、凍えた風が吹き荒ぶ元の世界へ。

 

 窓を見上げれば雪でも降るんじゃないかという、そんな灰色の空。

 

 おかしいぜ。

 

 子供を産むのも、育てるのも、金を得るために働くにも、人が死んだ後も、結ばれるにも、金金金、金が付き纏う。

 

 

 

「マリッジリングは古代ローマからの風習だと聞いたが

 よくも余計なものを運び込んでくれたな…」

 

 

 

 子供を育てるために親は人生を費やす。五つ子なら単純に五倍求められる。

 

 一人で育てることがどれほど大変だったか、あの人は今年倒れてしまった。

 

 あいつらには金で困らせたくないという先生の気持ちは分かる。なら結婚資金など、全てあの子たちに費やすべきだ。

 

 俺も先生も貧乏な身の上だ。幼少から贅沢をできなかったあいつらは、小さなケーキ一つで大喜びしていた。

 

 

 

「…」

 

 

 

 いや…もっと稼がないとな。お高い品物が並ぶ店の看板を眺めて気を引き締めることにする。

 

 

 

「二人と話が済んでいないのに、準備しても腐るだけだよな」

 

 

 

 先生一人よりも、五人が大事なのは偽りない。この場を一花と五月が見たらどう思うだろうか。

 

 見逃して欲しい、これは醜い欲だ。

 

 この先は言葉にはできない。言いはしないから見て見ぬ振りをしてほしい。

 

 過去よりも、未来のどの男よりも、中野零奈にとっての一番になりたい。

 

 全てにおいて、一番に求められたい。

 

 

 

「上杉君?」

 

 

 

 …

 

 い、一番…

 

 

 

「…

 上杉君?」

 

 

 

 今ここで、一番会いたくなかった人の声が…

 

 ちょんちょんと控えめに肩を突かれている。振り向けば純粋無垢で見惚れてしまうほどの美人がこちらを見つめているだろう。

 

 見て見ぬ振りなど恋仲がするわけがなく、それを期待できるわけもなく、振り向かざるを得ない。

 

 

 

「せ、先生…?」

 

「驚かせてしまいましたか、ごめんなさい…聞こえてないのかと思って」

 

 

 

 冬休み明けから、クリスマスからしばらく顔を合わせていなかった恋人が無邪気なほど優しい笑みを向けてくる。

 

 言っておくが、あの店からまだ一歩たりとも進んでいない。真横に非常に見られたくない店がある。

 

 

 

「こちらへ来られていたのですね」

 

「い、いや…まあ…」

 

「…上杉君?」

 

 

 

 真冬だというのに脂汗が額を伝う。

 

 ここは地元だ。前田と松田が選んだのは慣れ親しんだ地で見つけた路面店だった。

 

 サプライズもへったくれもない、ジュエリーショップの前で恋人と顔を合わせてしまったわけで。

 

 その恋人は現状、結婚式はお断りだと言っている。お子さんも大反対中。

 

 嫌な汗が背中まで伝って無性に居心地が悪く、恋人の様子がおかしいと見た先生はそれに気づいてしまった。

 

 

 

「…?

 あ」

 

「…」

 

 

 

 看板と窓から見える装飾品に、先生は罰の悪そうな顔をしてしまった。もろバレだ…

 

 まだ子供たちの説得が済んでいないというのに何をしているんだ、と呆れられるだろうか。

 

 十も年上の女が恋人なんだ。拙い様を見せつけることに強い抵抗があり、ただただ黙って誤魔化すしかなかった。

 

 先生は一度は経験しているはずだ。昔、京都の思い出のあの人の薬指に指輪があったことは覚えている。

 

 ひとまず…この店の前から離れよう。これでは恥ずかしさが収まることはない。

 

 

 

「待って」

 

 

 

 逃げようとする手を掴まれた。

 

 赤くなりかけた顔など見られたくなく、子供のように抗ってしまう。

 

 

 

「み、見なかったことにできます?」

 

「それは無理がありませんか…」

 

「…あんたの間の悪さは天下一品だな」

 

「なぜ私が貶されなくてはいけないのかしら…

 せっかく休日に会えたというのに酷い言われ様だわ」

 

 

 

 男泣かせな人だな。全部分かってるくせに。

 

 人通りの少ない路上で、しばし手を握られていた。恥ずかしさが余計に増すというのに離してはくれそうになかった。

 

 よく見れば、恩師のほうも顔が赤いように見える。お陰で逆にこっちは自分のペースを取り戻せた。

 

 先生は視線を俯かせる。握り合う手を見つめて。

 

 

 

「こ、この後お時間ありますか?」

 

「時間?

 いや…特に予定はない」

 

「…でしたら…ご一緒しませんか?」

 

「…何に?」

 

「…」

 

「…」

 

 

 

 12月29日。先生も休みなこの日はお互いに休息を取ろうということで会う約束はしていない。

 

 何か用でもあったのだろうか。だとしたら申し訳ないことをしたと反省する。

 

 先生は口元を指で隠す。何かを必死に掴みたい、その姿に年上の余裕など見えなかった。

 

 ま、まさか…また子供たちがしでかしたのか。余裕を失っていく先生に俺は身構えた。

 

 

 

「お、お夕飯の…

 買い物、なのですが…」

 

「…」

 

 

 

 …晩飯? 買出し? 急に何のお誘いなんだ。

 

 もしや…この人。引きとめるのに一心だったらしい。

 

 ただの買い物のお誘いだというのに、なぜか心底恥ずかしげにデートに誘われてしまった。

 

 恩師はそれがデートに誘う口実にそぐわないことを忘れて、衝動が先に口走ったようだ。

 

 しかし求めているものはお互い同じもの。ただ恋人同士の時間を求めているだけ。

 

 俺も先生も不器用だ。恋愛が下手な者同士、このくらいが調度良いのか。

 

 這わせていた指が滑り、落ちていく先生の手を取った。

 

 

 

「…いくか、買い物」

 

「…はい」

 

 

 

 手を繋いだ。

 

 珍しかったのは、先生から何かを求められ、形が変わった。

 

 所謂、恋人繋ぎ。いつもより積極的過ぎると思う。

 

 さっきまで顔を赤くして、そわそわしていた女にリードされているこの状況に乾いた溜め息しかでない。

 

 

 

「…待ってます…から」

 

 

 

 …手袋をしていないこの人の指は柔らかくしなやかで、握っていると妙に意識してしまう。

 

 本当に不器用な人だ。

 

 最愛の子を持つ母親の精一杯の歩み寄りに応えたくて。

 

 壊さないように、もう傷つかないように、ゆっくりと握り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一緒に年を越さないか。デートついでに恋人から誘われた。

 

 正月は爺さんの家で過ごすと聞いたのだが、小学生共は前日夜更かしするつもりらしい。

 

 娘を置いて楽しんでは不公平だから、と我が子に甘い恋人により強制参加。大晦日に再びあのアパートを訪れた。

 

 毎回食事を作ってもらってばかりでは気が引けるので。途中土産になるものを買っていった。子供の機嫌を取る為の菓子を。

 

 好きな時間に来てと言われて夕方ぐらいに向かった。荷物を抱えて中野家のドアをノックする。

 

 

 

「いらっしゃい、フータロー」

 

「…」

 

 

 

 …首にヘッドホンをかけた子が嬉しそうに出迎えてくれた。

 

 片目を隠す前髪。見分けが難しい五つ子の顔。トレードアイテムであるヘッドホン。

 

 出迎えてくれたのは三玖だった。

 

 

 

「? どうしたの? 寒いから入って」

 

「ああ」

 

 

 

 女の子に手を引かれるがまま、靴を脱いで家に上がらせてもらう。

 

 中に招かれると、先生と二乃は台所で年越し蕎麦と稲荷寿司を作るようで、良い香りが鼻につく。

 

 一家から歓迎の言葉を貰い、手を洗った後に強制的にこたつまで連行された。

 

 一花に道中買ってきた土産ごと袋を渡して、客人としてご厚意に甘えさせてもらう。

 

 こたつに座ると、参考書を広げて冬休みの宿題に取り組んでいた五月も座っていた。

 

 こたつに突っ伏し、顔を隠して。来客が来ても無視を決め込むらしい。

 

 …こいつ。

 

 

 

「…三玖、五月は相変わらずか」

 

「う、うん…そうだね…」

 

「ふーん」

 

「…」

 

「まあ、元気そうじゃねーか」

 

「そうかな…?」

 

 

 

 なおも見向きしない。顔も見たくないと言いたいのか。

 

 そんな姉妹の態度を他所に、三玖は隣に割り込んできた。

 

 

 

「狭い」

 

「い、いつも座ってるじゃん」

 

「いつも狭いって言ってる、おまえが聞かないだけで」

 

「そ、そうだけど…

 い、いいからそっち詰めて」

 

 

 

 …子供の我侭に付き合うしかないか。仕方なく詰めて三玖が座れる余地を作ってやる。

 

 間を詰めてきた三玖はじっとこちらを見つめた後、おずおずと手を伸ばしてきた。

 

 黙って見届けていると、腕にしがみつかれた。

 

 

 

「今日はこうしてたいの」

 

「…」

 

「い、五月のことは放っておいても大丈夫だよ?」

 

「そうかよ、ならそうするか」

 

 

 

 どんな心境の変化かは知らないが、甘えようとしてくるあたり歓迎するべきなのか。

 

 だが、やり方が気に入らないぞ。

 

 年甲斐になく甘えてくる三玖を引き剥がして、隣で狸寝入りしている五月の肩を叩く。

 

 このゲーム、俺が負けたことないってわかってくたくせによ。

 

 

 

「三玖、もう起きていいぞ」

 

「ぁ」

 

「…」

 

 

 

 びくっと五月の肩が揺れた。だが抵抗を続けるらしい。

 

 見抜いていることをわからせてやるため、三玖のような格好をした五月からヘッドホンを取り上げて、頭をわしゃわしゃとかき乱してやった。

 

 ぴょん、といつものアホ毛が跳ね上がる。襟の中に隠れた長髪も暴いてやる。

 

 変装を崩された五月は両手で髪を抑えたが、もう無駄な足掻きだ。

 

 ヘッドホンを突っ伏して顔を隠す子に渡す。

 

 ゆっくりとこちらへ向いた三玖の口元はにやけていた。

 

 

 

「…ふふ」

 

「なんだよ」

 

「当てられちゃった」

 

「…」

 

「フータローは騙せないね」

 

「小癪な」

 

 

 

 おまえらは個性が強すぎるから外見を真似たってバレるぞ。五つ子ゲーム敗れたり、俺の完勝記録更新だ。

 

 五つ子ゲームと言えば、前に五月から電話があった時も挑戦を受けた。

 

 あの時は髪を切った先生に対してだったが、今更挑むとはどんな心境の変化なのか。

 

 顔がそっくりな五つ子だ。四葉のリボンや五月の髪飾りなどを外され、髪型を変えられたら見分けがつかなくなる。

 

 学校でも担任やクラスメイトに間違えられると愚痴を零していた五人は、逆に利用して遊ぶことも多々あった。

 

 俺と先生、らいはや親父には通用しないことに不貞腐れていたのを覚えている。傍迷惑なゲームだ。

 

 観念して三玖は髪型を崩し、ヘッドホンを装着した。

 

 どうせ末っ子に頼まれて付き合っていたんだろう。悪事が看破されたことで諦観していた姉妹も集まってきた。

 

 

 

「…やっぱりフータローには通用しないよ、五月」

 

「上杉君だって最初は騙されてたはずです、だからっ」

 

「最初からわかってたからな

 三玖まで利用しやがって、そんなにお兄さんに甘やかされたいのなら降参するんだな!」

 

「…」

 

「あ、もうバレたの? 早かったね、五分も持たなかった?」

 

「う…」

 

「上杉さんに一度も勝ったことないのに、何で今更五つ子ゲーム挑んだの?」

 

「うぅ…っ」

 

「そこまでして甘えたいのなら真正面からやりなさいよ、卑怯な手使わずに」

 

「うぅぅうううううううううっ!」

 

「五月、その遊びはもう辞めなさい

 いつか分かってもらおうとされなくなってしまいますよ」

 

「うわぁああああん! ごめんなさいぃいい!」

 

 

 

 反抗期に似た変化は見られても結局泣きつくのか。こたつから抜き出て母親の下へ走っていった。

 

 その様は昔から変わってない。来年中学生だぞ、おまえ。そろそろ甘えん坊卒業するべきだ。

 

 …母親の不調を心から心配し、一時は不安定な頃があった。急かすのは強引過ぎるか。

 

 調理中の先生の邪魔をしては悪い。五月を回収し、五つ子と一緒にこたつに座ると、五月は素直に腰にしがみついてきた。

 

 昔のように甘えさせてやる、と約束してしまっては受け入れるしかない。

 

 

 

「先生、明日は実家に帰るんだよな?」

 

「はい、その予定です

 …何か、ありましたか?」

 

「いや、確認だけ

 それなら、あまり長居すると悪いしな」

 

「お気遣い感謝します」

 

 

 

 中野家の正月は毎年父親がいる実家に泊まる。旅館ということもあって豪華な正月を過ごしている。

 

 温泉もあるし、先生としても実の父親がいると子育ての負担から少しでも抜け出せるものがあるだろう。正月のこの習慣は貴重なものだ。

 

 理屈では分かっていても、子供たちは純粋に遊びたい気持ちから袖を引っ張ってくる。

 

 

 

「フータローも一緒に来る…とか」

 

「仮にも赤の他人の俺が何で…」

 

「上杉さんは家族当然じゃないですか、未来のお父さんですし」

 

「そうよね、私たち三人振っておいて逃げ腰なんて許さないわよ

 お爺ちゃんに逃げたって言いつけてやる」

 

「やめろ、あの人怒らせるとマジで怖いからやめて

 俺も明日は実家に顔を出すから、無茶言うな

 …お爺ちゃんに会うの久しぶりだろ、楽しんできな」

 

 

 

 お年玉もらえるし、贅沢な正月料理もあるしな。上杉家の実家とは大違いだ。

 

 優しい爺さんだ。孫の顔も、無事に退院した娘の顔を見たいだろう。娘の恋人の顔が割り込んできたら興が冷める。

 

 家族水入らずにその一時を楽しむべきだ。

 

 先生が入院中、娘をよろしく頼むと若造に頭を下げていたあの人の気苦労が報われる一時を過ごしてほしい。

 

 三玖と四葉、二乃からの抗議は途絶えたが、腹部の衣服をきつく掴まれていた。

 

 

 

「五月?」

 

「………ない」

 

「ん?」

 

 

 

 犯人は五月だった。小さな声で聞き取れず。

 

 意地を張る子供。誰だってそんな記憶があるだろう。

 

 ずっと家族と一緒なんて、いつかは終わる。

 

 

 

「行きたくない…」

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

「行きたくないよ、おかーさん

 上杉君と、いたいです」

 

 

 

 一番子供っぽい末っ子が、家族の輪から離れようとしている。

 

 母親第一のはずの甘ったれにしては意外な言葉だ。

 

 去年だって正月料理に目を輝かせて待ち望んでいた。眠れなくて船の上で眠りこけていたそうだ。

 

 娘の言い分に母親は静かにアイコンタクトを求めてきた。了承するか拒絶するかの。

 

 構わないが…こいつ、後悔するだろ。先生といるべきだ、お断りの視線を送る。

 

 だが、俺が断ることに恩師は無言の説得を送ってきた。いや、五月一人置いてつもりか?

 

 しばしの沈黙、もとい視線のぶつかり合いの後。先生は頬に手の平を当ててわざとらしく視線を逸らした。

 

 娘を大事に思うからこそ、その意思を尊重する母親だった。まだ小学生の子供が相手でも。

 

 

 

「…困ったわ」

 

「おい」

 

「五月、お正月は上杉君といたいのですか?」

 

 

 

 この親馬鹿がー! 恋人が困っているというのに一切考慮してくれないらしい。

 

 母親の問いに五月はゆっくりと頷いた。

 

 待て、さっきまで姑息なゲームを使ってまで甘えようとしてきたガキと、数日間一緒に過ごすのは疲れる。

 

 全力で抗議するべく、それとなく五月の興味を逸らすことにする。恋人の説得から逃げたわけではない。

 

 

 

「正月のおせち毎年楽しみにしてただろ、いいのか」

 

「ら、らいはおねえちゃんのおせちがあるじゃないですか

 あ、ありますよね?」

 

「他所の家のもん食う気かよ

 爺さんの家は二つ用意してるが、うちは一つだけだからな」

 

「…い、いいです」

 

「ちらし寿司もねえし、おしるこもないし、おまえにとって拷問だろ」

 

「何もないんですか!? お祝いなのに!」

 

「おいおい、失礼が過ぎるぜクソガキが、今年は寒空の下で一緒に過ごすか?

 おせちなんて上等なもの一つで十分だ」

 

「な、何かないんですか?」

 

 

 

 諦めが悪い…ではなく、食い意地を張る五月に呆れてしまう。

 

 一花に助けを求めてみるが、あいつは五月の反抗期に対してノータッチを貫くらしく、がんばれーと暢気に手を振られた。後で覚えてろ。

 

 口をへの字にして堪える五月には悪いが、とっとと諦めてもらう。

 

 

 

「雑煮ぐらいはあるが、後々文句垂れても目障りなだけだ

 諦めて家族水入らずで、温かくて豪勢な正月を過ごすんだな!」

 

「うぅ…」

 

「…何でだろ…なぜかむかっ腹よりも切なさが滲んできますね」

 

「うっさい、正月に蟹なんて一度も食ったことねーわ

 おまえらなんかに菓子買ってきてやったのが馬鹿馬鹿しくなってきたぜ」

 

「僻みが凄い…」

 

「明日食べづらくなってきたわ」

 

「まあ、確かにお爺ちゃん家のお正月は豪勢よね、この家からは想像つかないぐらい」

 

「うぅ…おせち…でも…

 お、お母さん…」

 

 

 

 兄は譲る気はないと知った末っ子は母親に助けを求める視線を送る。

 

 結局最後には困った時の母親頼み。末っ子の我侭の最後の砦になる。

 

 さぁ断れ、断るんだ先生。

 

 娘思いな母親にとって、五月が親離れするなんて到底耐えられるものではないだろう。

 

 恩師は俺の訴えに目をくれず、愛娘に微笑んだ。

 

 不公平になるから娘と過ごしてほしい、そんな恋人の発言を思い出した。

 

 

 

「らいはちゃんは毎年カレーも作ってくれるでしょう?」

 

「残ります!!」

 

「先生ェー!!」

 

 

 

 五月が母親の助言により決断してしまった。何やってくれてんだあんた。

 

 恋人の悲鳴は届いていないようで、俺の抵抗は姉妹四人に宥められ鎮圧された。ここに俺の味方はいないのか。

 

 娘を恋人に預ける事に母親はなんら躊躇いがないようだ。添い寝から逃げられた日には泣いてたくせに。

 

 カレーだけで十分です、と大層なことを言って五月は腕を掴んでくる。

 

 そこまでして一緒にいたいのか…こっ恥ずかしくなるから少しは落ち着いてほしい。

 

 されど…くいっ、と逆側の腕をつままれる。

 

 振り向けば、五月の変装をしていた三玖だ。

 

 

 

「五月」

 

「? なんですか、三玖」

 

「そこ、もう代わって」

 

「…」

 

「代わって」

 

 

 

 妹の頼み事を聞いてやる優しい姉でも、そろそろ我慢の限界だったようだ。ジェラシーの火が付いてしまっている。

 

 三玖の剣幕に五月は渋々と場所を譲った。

 

 三玖は知れっと元の定位置に我が物顔で座り込む。ついでに腕も掴まれた。

 

 居場所を奪われ、正月を共に過ごす保護者を取られた末っ子は母親に泣きついていった。

 

 いくら我侭を押し通す末っ子でも、姉には敵わないのが常だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聞いてフータロー君

 なんと今日はお酒買って来てあるんだよ」

 

「おお…先生にしては珍しいな」

 

「せっかくですから」

 

「今日はお菓子もジュースもいっぱい買いましたー!

 上杉さん、ゆっくりしていってくださいね」

 

「俺も色々と買ってきちまったぞ…まあ、五月が全部食うか」

 

「任せてください」

 

「…

 おまえ、こういう時は返事良いよな」

 

 

 

 末っ子の我侭により正月の予定は変更されたが、気を取り直して年越しを過ごすとする。

 

 年越し蕎麦を食べれることに気を良くしたのか、五月の表情は晴れやかなものだ。自分の思い通りになってさぞ気分が良いだろう。

 

 先生は俺の来訪の為に酒を買ってきてくれたらしい。子供の前で酔うことに心を痛めていた人にしては思い切ったことをする。

 

 思い返すと、子供たちが成長するに連れて年々過ごし方が変わりつつあると感じられる。加えて年を取る毎に一年の感覚が短いように思える。

 

 感慨深くしんみりとさせられるが、大晦日ぐらい物静かなくらいが調度良い。

 

 これを子供たちに説いても理解はされないんだろうな…さっきからうるさい連中に目を配る。

 

 

 

「三玖、この手を離しなさい

 年越しは紅白っていつも決めてるでしょ

 毎年毎年あんたも物好きね」

 

「紅白は録画してるでしょ

 二乃だって笑っちゃいけないので毎年ゲラゲラ笑ってるくせに」

 

「CMの時ぐらい変えたっていいじゃない!」

 

「それで渡したらリモコンが帰ってこないし」

 

「いいからよ、こ、し、な、さいっ

 ちょっとあんた、服の中に入れるな、往生際の悪いッ!」

 

「諦めが悪いのはそっち…」

 

「…あいつらは仲良くテレビを見れないのか」

 

「あの二人のアレはいつものことだからねぇ」

 

「上杉さんいるのに喧嘩しないでよー」

 

 

 

 毎年の恒例行事と言い張るつもりか、二乃と三玖はテレビのリモコンの取り合いでいがみ合っていた。毎年懲りない奴らだ。

 

 蕎麦ができたということで二人を放って準備をする。七つのお椀を各々手に持ちこたつに座る。

 

 二乃と三玖は喧嘩するので間を開けて座らせた。三玖が俺の隣に、二乃は先生の隣に座る。これで口喧嘩はできなくなった。

 

 

 

「いただきます」

 

 

 

 手を合わせて蕎麦を召し上がる。

 

 先生の料理はやはり美味しい。らいはの師匠なだけある。

 

 五つ子にしては珍しく無言で食べていた。一人はおかわりを目的に無心で蕎麦をすすっているけど。

 

 テレビの喧騒が年終わりの静寂さを誤魔化してくれる。小さくてボロい家でも活気と笑いを与えてくれる。

 

 ゆったりと過ごしていたが、時間が過ぎるのは早く。夕食を食べ終え、洗い物を手伝っている間に子供たちは交代で風呂に入り…見慣れた日常だった。

 

 結局、明日は五月を預かることになったので今日は泊まらせてもらうことになった。

 

 恋人の家とはいっても、母親が入院中は長期的に寝泊りしていた家だ。先生が風呂から出た後に俺も借りることにした。

 

 

 

「フータロー、早くね」

 

「のんびりしてるとお姉さん開けちゃうぞ

 あだっ!」

 

「あぅ…げんこつは痛い…」

 

「そりゃあ怒られるわよ…」

 

 

 

 狭い家だと風呂場の音も漏れやすい。逆を言えば居間から風呂場に声が丸聞こえなわけで。急かす娘にげんこつが下ったようだ。

 

 寝巻きなど用意していないので服を着直して、隣に座れとしつこくアピールしてくる三玖の言うとおりにする。

 

 それからはこたつに広げられたお菓子を口にし、穏やかな時間を過ごしていた。

 

 酒はまだ飲まないようで冷蔵庫で冷やしたままだった。子供たちが起きているうちはお預けなようだ。

 

 一家の目がテレビに向く中で、差程興味が薄い俺と先生はテレビに背を向ける形。

 

 …先生がテレビへ視線を向けると俺のほうを向くことになる。

 

 

 

「…」

 

「…」

 

「…何か?」

 

「なんでもない」

 

 

 

 見つめられると居心地が悪い。俺を見ているのではなくテレビを見ているのは分かりきっているが、意識するなと言われても無理だ。

 

 咎められるように隣の三玖から腕を引っ張られた。頬を膨らませてご立腹だ。

 

 何の主張だそれは…おまえこの件に関しては玉砕したんじゃなかったのか。乙女心はよく分からない。

 

 

 

「今は家族の団欒」

 

「姉妹喧嘩してたくせに」

 

「喧嘩なんかしてない、ね、二乃」

 

「ええ、そうね

 私と三玖はいつだって仲良し姉妹よフー君

 だから自重しなさい」

 

「…おまえ場所チェンジ

 テレビ見たいんだろ、ここじゃ見づらいから一花と代われ」

 

「やだ、ここが良い」

 

「うーん? フータロー君は一花ちゃんが恋しいのかな?

 仕方ないなー、お隣に行ってあげよう」

 

「来るな、狭いから来るな」

 

 

 

 ただでさえ狭いのに追加で来られたら窮屈で仕方ない。一花はからかう笑みで立ち上がろうとした腰を下ろした。

 

 三玖は去年もその前も…毎年俺の隣で途中で寝ちまうからな。毎年の恒例行事にするつもりか。

 

 

 

「うぅ…四葉はもう眠いかもしれません…」

 

「あ、じゃあ四葉、枕持ってきますよ」

 

「ごめんね五月ぃ…」

 

 

 

 夜中の11時を過ぎた頃から、五つ子がこたつに足を伸ばしながら横になり始めた。

 

 こたつで寝ると風邪をひく。布団を敷いて寝ろと言っても聞かず…子供たちは雑魚寝し始めた。

 

 結局、隣の三玖も俺にもたれかかって眠っている。しかしこいつ、袖を掴んで離すつもりはないぞ。

 

 口半開きだし…最後まで起きようと抵抗していたんだろう。仕方なくゆっくりと寝かせてやった。

 

 

 

「来年は中学生ね」

 

「ああ…小学校と比べたら中学卒業なんてあっという間なんだろうな」

 

「ええ、3年後も似たようなことを言ってしまいそうです」

 

 

 

 先生は隣に眠る二乃の髪をその指で梳いていた。

 

 

 

「その頃には兄離れしてるんだろうな」

 

「さあ…どうでしょうか

 それに、貴方が寂しいのではありませんか」

 

「…最初はあの一年で終わるつもりだったんだ

 6年も経つと…

 …十分、良い思いさせてもらったよ」

 

「…」

 

 

 

 長く、あっという間の、価値のある時間だったと思う。

 

 その分、恩返しがしたかった。

 

 だから…この五人を泣かせることは避けたかった。そうあろうと務めてきた。俺だけでなく、先生も。

 

 思うようにならない。思い通りに型に嵌めようとする大人の身勝手など、子供が反発するに決まっている。

 

 子供たちの寝顔を見つめていると、やはり愛おしさが芽生える。

 

 どんなに冷たく、他人を見下す人間でも、このあどけない表情には負ける。

 

 

 

「…酒あったんだったな、飲むか」

 

「そうですね…」

 

 

 

 隣で眠る三玖を起こさないようにこたつから足を抜いて、冷蔵庫からお目当ての物を取ってくる。

 

 台所の窓のガラスが白く靄がかかっていた。もう深夜のこの時間、居間はやや薄っすらと寒いが外はもっと冷えているだろう。

 

 子供たちが風邪を引いてしまわないか心配になってきた。ビール缶をこたつの卓に置いて、毛布を数枚取って子供たちにかけておいた。

 

 ついでに先生にも。奥ゆかしいお礼が返ってきて、俺は元の位置に戻った。

 

 テレビの喧騒はこれまで。眠る子を起こさないように先生はリモコンを向けて電源を切った。

 

 カチンッと静かに、酒を注いだグラスを重ねた。

 

 

 

「また泣かれたらどうしたものか」

 

「…その時は慰めてくださいね」

 

「…その時はな」

 

 

 

 からかうつもりが、予想外にも真正面から返された。流石にあの時のように泣き上戸を見せられることはないだろう。

 

 子供たちの前で酒を飲めなかったようだ。いつかは子供たちの前でもだらしのない姿を見せることになるだろう、長くは続かない見栄だ。

 

 一口、酒を口に含むと苦味が広がる。

 

 

 

「冷えますね」

 

「…

 引越しとか具体的に考えているのか?」

 

「この子たちの高校の進学先次第…でしょうか」

 

「…高校か、あんたが勤める学校を選ぶかもな」

 

「可能性が高いのは上杉君のところでは?」

 

「金銭的に無理だろ」

 

「…私立を五人は厳しいですね…

 二人で働けば可能でしょうか」

 

「まあ…そこは要相談だな

 そうなると、このアパートでまた3年過ごすのか」

 

「はい」

 

「…そうなると…式なんて先の話だな」

 

「…上杉君、まだ一花と五月とは話は」

 

「ああ、了承は得られていない」

 

 

 

 五月との対談が拗れているのは先生も見て分かるだろう。

 

 本音を聞き出せないでいる。いや、あれが素直な反応なのかもしれない。

 

 一花もまた困ったもので、五月が孤立することを心配している。

 

 一花が仮に俺と話し合いの結果折れたとしたら、五月だけが取り残される形になる。

 

 となると、意固地になっている妹が本音で話せなくなる。一花は俺の目的を知って、五月を気遣って遠慮してくれているんだ。

 

 本当に気遣いのできる優しい長女だ。眠っている一花は隣の五月に寄り添い、五月もまた一花に身を寄せて眠っていた。

 

 普段は生意気な子なのにな。俺の娘が妹になることを断固拒否していたんだ、おまえの本音も聞きたいと願っている。

 

 娘の複雑な心境を知って、先生もまた神妙な顔になってしまった。

 

 

 

「貴方の意思をきちんと聞いていませんでしたね…あの告白の後からずっと

 お父様やらいはちゃんと交際のお話をしても、結婚まで至っていないでしょう?」

 

「…」

 

「…まず、謝らないといけません

 貴方の告白の返事を、今の今までできなかった

 ごめんなさい」

 

「こいつらのことを考えれば迂闊に返事を出せない

 俺も…あの時は衝動任せに口走ったのもある

 だからいいんだ先生、一花と五月との件が終わった後に聞かせてくれ」

 

「…いいえ

 今こそ…答えるべきだと思っています」

 

「…」

 

 

 

 俺は恋人が倒れた日、病室で告白している。無事に退院したら返事を聞かせてほしい、と。

 

 その後は娘の説得が最低条件となり、返事はまだ先のことだと気に留めていなかった。

 

 だが、覚悟を決めたというのか。先生の目は真剣で、両手でこの手を取られてしまった。

 

 

 

「…」

 

「…」

 

 

 

 あの、待て。待ってくれないか。

 

 あんたのそういう振る舞いがな。熱い思いをぶつけられて赤面させられる身にもなれ。

 

 これが結婚に必死だったり、愛が重かったりする輩だったらここまで緊張したりしない。

 

 この人は他人に対して真摯に、真剣だから、こんなにも真っ直ぐにこちらを見つめてくるんだ。

 

 昔から、初めて会った時から苦手な目だ。

 

 子供扱いとかそんなものとは別の、対等に見るからこそできる必死な目だ。

 

 昔から変わらない。見つめられると緊張して、それでいて、目を逸らさずに見ていたいと思ってしまう。

 

 もはやその気持ちで、答えはわかってしまった。

 

 

 

「貴方を――」

 

「おかーさん…」

 

「!?」

 

「お母さん…もう終わったんですか?」

 

 

 

 その声にはっと息を飲んだ。五月が起きてしまったようだ。

 

 寝ぼけたまま起き上がって、五月はキョロキョロとさ迷う視線を向けてくる。

 

 またしても間が悪いというか…五月にとっては間が良いと言うべきか。

 

 先生は咄嗟に手を離して俺から距離を取った。娘を置いて抜け駆けはできない。先生の本日限りの覚悟は終了してしまった。

 

 五月め、寝ていながらも執念深い奴だ。嫌がらせのつもりか。

 

 しかし、五月は肩にかけられた毛布を手に取り首を傾げていた。寝ぼけているな、こいつ。

 

 

 

「…なんですか、これ…」

 

「上杉君が冷えないようにかけてくれたんですよ」

 

「…そう、ですか

 上杉君、ありがとうございます…」

 

「あ、ああ」

 

「…やっぱり、優しい、ですね…んにゅ」

 

 

 

 へらへら笑いながら横になり、寝息が聞こえ始めた。

 

 人騒がせな子供は嬉しそうに眠ってしまった。毛布を掴んでくるまっている。

 

 …黙って先生と顔を合わせ、五月の毛布をかけなおしておく。

 

 今は笑ってくれたが、お互いに向き合った時、この寝顔は泣き顔に変わってしまうのだろうか。

 

 

 

「…」

 

「…」

 

 

 

 深夜の無音が気まずい。

 

 先生も未遂で終えて恥ずかしい思いをしたし、俺も先生に辱められた。顔が赤いの見られてしまった。

 

 時計を見ればもうじき年が明ける時間。先生は立ち上がって台所へ向かった。

 

 水音が聞こえた。蛇口から冷え切った水が流れている。

 

 しばらく眺めていると、先生は炊飯器に米をセットしてタイマーを付けた。

 

 

 

「明日の朝食か?」

 

「明日は実家で正月を過ごしますから

 朝早くから出るとお腹が空きますので…おにぎりぐらい」

 

「なるほど

 ある意味、姫飯になるか」

 

「…」

 

 

 

 母親が娘を気遣い、朝早くからおにぎりを握ると言っているんだ。子供たちは喜ぶに違いない。間違いなく五月は。

 

 感心していると先生から無言の視線で何か訴えてきた。

 

 

 

「上杉君」

 

「はい」

 

「いつか食べてくれますか?」

 

「ああ、なら明日貰います」

 

「…」

 

「………あ?」

 

 

 

 いつか食べてくれますかって…何か言い回しが妙だな。

 

 いつかと言わず明日食うに決まってる。握ってくれるのなら毎日食っちまうぞ。

 

 多めに作るのか? なら最初から炊く量を減らせばいい。

 

 訝かしむ俺を見つめ返して、先生は隣に座ってきた。

 

 懲りずに、床につく俺の手の上に重ねられて肌を寄せてきた。

 

 

 

「急に何ですか」

 

「…もうじき、その明日になります」

 

「…」

 

 

 

 ふわりと馴染みのあるそれよりも、幾分短めの髪が首元にかかり、くすぐったい。

 

 切り揃えていただろう艶のある黒髪は、あれから少し長くなった気がする。

 

 近くて、見つめられて…急に何なんだと疑問に思ったところで、先程の発言の意図に気づいた。

 

 姫飯。別称、姫初めという。

 

 姫初めとは言わずもながら。

 

 食べてくれますかって…いや、いや、子供たちがいる手前で何を考えているんだこの人は。

 

 つーか…もうじき日付が変わる…貰うとか言っちまったんだが…俺。

 

 俺が気づいたと察して先生は離れていった。

 

 この人…口では子供たちを起こすと知って、体当たりで知らしめてきたようだ。

 

 

 

「…先生」

 

「はい」

 

「恨むぞ」

 

「意識してくれましたか?」

 

「からかうなよ、後悔してもしらねえぞ」

 

「ごめんなさい」

 

 

 

 懲りてねえ…絶対に反省してないぞこの人。手は掴んだままだからな。

 

 数多くの男を虜にしてきた美貌で誘惑してくんな。子供たちの横で火遊びをするな、母親が。

 

 先生の手は、先程冷たい水で米を研いだせいで冷たかった。仕方なく両手で擦って温めてやることにする。

 

 

 

「上杉君」

 

「ん?」

 

「悪戯してもいいですか?」

 

「…」

 

「もしかしたら、貴方は待つことを選ぶかと思っていました

 五人が成長し、一人の女性として貴方に恋したら」

 

「さぁな…歳の差考えれば、冷めるんじゃね」

 

「いいえ…私だって…十も年下の貴方を選んだのよ

 貴方も…互いが望むのなら手を取れたはずです」

 

「それをあんたが望むのか?」

 

「…私も一度は貴方とは違う男性を愛し、体を重ねて子を生みました

 フェアではないでしょう?

 貴方が一途になるほど…私には返せるものがなくなるの

 …子供たちに限らず…浮気されても口を出さないつもりではいます」

 

「あ、あのな…あんたは被害者だろ

 先生の性格の面倒臭さを足しても…あんたは可哀想な女であることに違いないぜ」

 

「…意地悪ですね」

 

「…一途と言われても、俺は頷けない」

 

 

 

 仮にも浮気だと断定するのなら、正妻や正式な恋人にならなければ成り立たない単語なんだが…謙虚なのか図々しいのか判断が難しいな。

 

 しかし先生本人から元旦那の話に触れてくるとは…しかも性行為したとまで。子供たちの前で際どい内容じゃないか。寝ていてくれて助かった。

 

 ×1子持ちだからって自分を卑下されては困る。それをひっくるめてあんたのパートナーになりたいと決めたんだ。

 

 だが…欲を言えば少し違ってくる。先生もぶっちゃけたのなら、俺もまたぶっちゃけてやろう。

 

 俺の手を取る先生の手を払う。

 

 驚く恩師の細い腰を掴んで引き寄せた。

 

 必然とお互いの顔は間近に迫り、息遣いも頬に当たってしまう。

 

 

 

「ぁ…う、上杉君」

 

「…たまには二人きりになりたいと思う時がある」

 

「…」

 

「あんたの一番になりたい

 俺だけが求められることで…何かが満たされるんだ

 それは決まって、あんたと二人きりの時間に限る」

 

「…そう、ですか…」

 

 

 

 こっ恥ずかしい話。学生時代は男の厄介な欲求だと思っていた。

 

 社会的だとか、論理的だとか…それらを捨て去ってでも、この人を自分の物にしたい欲がある。

 

 愛する女が、過去に知らぬ男と体を重ねていたと知ればより強く。塗り潰して、傷をつけて、何もかも手に入れたい。

 

 埋められない溝があることに我侭になってしまう。俺だけを求め、俺だけ認めてほしいと。

 

 

 

「あんたを泣かせたい、それに尽きる」

 

「…意地悪は困ります」

 

「目移りされたくないしな、あんた美人だし

 言い寄ってきた男がいなかったわけじゃないだろ

 あんたに求められる男でありたい」

 

「…」

 

 

 

 独占したい。それが満たされるのは…当然、この人を抱いた時だった。

 

 理性が欠如した不純な欲求で好いた女を自分の色に染め上げる。夢中にさせて、嬌声と共に俺に没頭させたくなる。

 

 これじゃあミーハー気分で先生を慕っていた連中と同類じゃねえか…? 我ながら嫌になる、結局はそこに行き着くのか、男って生き物は。

 

 先生との距離が近い。俺が抱き寄せたらやはり、欲が疼く。

 

 考えるんじゃなかった。理性的じゃない証拠だ。先生からも呆れられてしまう。

 

 …理性的ではなかったのは俺だけではなかったようだ。

 

 

 

「忘れてしまったの?」

 

「は?」

 

 

 

 気づけば腕を引っ張られ、口付けされていた。

 

 

 

「…」

 

「…」

 

「…?

 ………ッ

 ~~~~~!!?」

 

「んっ…」

 

 

 

 長い。目を合わせ難くて、柄にもなく瞼を閉じた。

 

 長すぎる。子供が傍で眠っているのだから心配になってきた。

 

 キスで死ぬかもしれない。胸が熱いというか強引に先生の唇と胸までも押し当てられ続けて熱い。

 

 そのくせ引っ張る力は強い。よ、四葉のふざけた身体能力は母親譲りだったようだ…

 

 限界だと押し返そうとして、じたばたともがくが…先生が回す腕の力は本気だった。

 

 力が抜けかけた寸前で解放された。生々しい水音と息を吸う音は一瞬だけ。

 

 騒いだら子供たちが起きるわけで、静かにお互いの荒い息が冷めた一室に反響していた。

 

 

 

「先生…」

 

「は…はいぃ…」

 

「それ、最近…多いっ…」

 

「すみません…」

 

「こいつらにバレたらトラウマになるぞ…」

 

「面目ありません…

 でも、あなたがいじらしいから…」

 

 

 

 横になって休みたいところだが、先生の熱っぽいを見ると迂闊な真似はするなと脳内で警告が鳴っている。

 

 過去に迂闊な発言で襲われた経緯があるからな…! 俺が欲に溺れかけて自制しようとしたら、既に先生が溺れていたとは予想外だった

 

 先生の顔は真っ赤だった。あの鉄仮面の鬼教師が。俺よりも十は年上のアラサーの母親が。果たしてそれは呼吸困難で赤くしたのか、別の理由か。

 

 息を整えた頃、お互いにすごすごとこたつに戻る。

 

 静かな空間に帳消しを頼みつつ。火照った頬を冷たい酒が注がれたグラスに当てて冷やした。

 

 

 

「…高3の時と違って、身内相手じゃバレますよ」

 

「すみません…

 あ、焦っているわけじゃないの…ただ

 …ごめんなさい」

 

「いや…」

 

 

 

 謝る先生は要領の得ない回答しかしなかった。

 

 先生の横行が目立つ。退院してから先生のアプローチというか、大胆な行動が目立つ。

 

 頬に口付けされたり。泊まっていかないか誘われもしたな。

 

 子供が欲しいかと聞かれ、その夜には先生から誘われた。

 

 子供たちがいる前だというのに隠れて口付けもされた。

 

 竹林と店長と飲んだ夜にも家に招かれ、強引に引っ張られて先生の頬に口付けするはめになった。

 

 恋人ならキスぐらいするものだろう。だが先生に限ってその頻度は極めて少なかった。

 

 …思えば、自分から告白しておいて…それからというもの相手してきたのは五つ子ばかりだった。

 

 入院中、何度も面会に行きはしたが…

 

 

 

「なあ先生…もしかして嫉妬してるのか?」

 

「嫉妬? 私がですか…?

 …あの、誰に?」

 

「…子供たちに」

 

「…」

 

「…」

 

 

 

 入院中、子供たちのいない寂しさで泣いたらしい母親は、誤解とはいえ五月の親離れで取り乱した人だ。

 

 すっかり寂しがり屋が板についてしまった女が、仮にも恋人に構ってもらえないと知ってどう思うか。

 

 先生は俺と視線を合わせた数秒後、背中を向けた。

 

 

 

「一度寝ます」

 

 

 

 図星だったらしい。狭いこたつの中、膝を曲げて寝転がってしまった。

 

 誤魔化せたら押し通すつもりだったんだろうな、残念ながら本日暴かれてしまった。

 

 なんとも子供らしい反応。五月の態度と対して変わらないぞ。先生らしくないものに笑ってしまった。

 

 しかし、妬いているのは俺だ。それを指摘しないでくれる先生の優しさが身に染みる。

 

 それとも…もっと妬けとでも言いたかったのか、あの長い口付けは。

 

 先生の肩に触れるとびくっと震えてこちらを振り返った。

 

 

 

「起こしてやるから

 膝貸しますよ、先生」

 

「…」

 

 

 

 俺たちが子供たちにしてあげるように、俺は先生を膝下に招いた。

 

 思考したのも短く。先生は目を合わせずにこたつから這い出て、ゆっくりと頭を乗せてきた。

 

 あのデートの日、短く切った髪もあの時より少し長くなっている。その髪に触れることにやや緊張はしたが、次第に慣れてゆっくりと撫でていく。

 

 先生は眠そうに瞼を落としかけていた。目を細めてこちらを見つめている。

 

 思い人にこうして寄り添うことに、また何かが満たされるのがわかる。

 

 時計を見上げれば…もう年は明けていた。先生も同じく視線を上げていた。

 

 

 

「もったいない年越しね」

 

「そうか?」

 

「そうよ」

 

 

 

 あれほど長いキスをしていたんだ。

 

 子供たちが目を覚まさなければ、二回目の口付けぐらいできただろう。

 

 求める欲がないわけじゃない。

 

 

 

「私も貴方と愛し合いたい」

 

「…」

 

「…でも、今はこうしていたいの」

 

「ああ…俺もこの時間は嫌いじゃない」

 

「…ふふ

 ありがとう、風太郎君」

 

 

 

 手の平から零れるものはない。

 

 それさえ分かっていれば、求めるものを諦めても、こんなにも優しい時間に包まれて過ごす事ができるのかもしれない。

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