五つ子の長女である中野一花は気さくで健気な子だ。
幼稚園の頃からその印象は強く。他の四人よりも生意気なほどませていた印象もまた強かったが、気遣い上手な子で親しみやすい性格をしていた。
高校生になった彼女は思いだけでなく、知恵も身について頼れる存在に成長したのだろう。妹から慕われている様子が窺える。
だが、小賢しい。
非常に度し難い怠け癖がある。仕事に関しては一貫して努力家なのにだ。好き嫌いが激しいと見える。
部屋が汚い。整理整頓ができない。裸で寝やがる。楽な仕事を掻っ攫ってポイントを稼ごうとする。嘘をついて上手く誤魔化そうとする。妹のものに手を出す。
困ったお姉ちゃんだ。プラマイゼロで台無しだぜ。
そんな奴が夢に向かって努力する姿が好きだった。一人努力する様を誰かに見られると慌ててはぐらかそうとする様もまた愛嬌がある。
また見てやる。小さな口約束は昔交わした朧気なもの。その返答は…偶然か、あの時のものと重なっていた。
妹を守ろうと張り詰めた優しさはそのまま、一花は少しずつだが甘えるようになった。監護する立場としてやっと役目が回ってきたというものだ。
これから少しずつ信頼を得ていこうと、気を引き締めて五つ子と接することになる。
昔のような甘やかし慕われるような、生温い関係はもう許されないと思っていた。
そっちに行くから。そんなメール一つで、紙袋を手にやってきた一花との話だ。
「はい、これどうぞ」
「…何だこれは」
「何ってお洋服 新作出たんだって
スタイリストさんに相談して、フータロー君に似合うの見繕ってきたよ
いらない?」
「いるか、いらないか
買う前に聞けよ」
「買う前からじゃあ、回答決まってるからね
あ、返品お断り
大丈夫だって、絶対に似合うから」
「…はぁ
おまえのせいでタンスを追加で買うはめになりそうだぜ」
「あ、そうなの?
じゃあ今度一緒に見に行こ――いひゃーっ! ひ、ひっぱららいれぇ」
「家にタンス送りつけてきたら怒るぞ」
「も、もう怒ってませんかー!」
大人の威厳というものをぶち壊しにかかってくる長女が憎たらしくて仕方なかった。
受け取った紙袋の中身は服が一着二着では済まない量だ。恐らく一式揃えてきたんだろう…後で額を確認しなければ。
実に困った奴だ。
「…まったく、ありがとうよ」
「…へへ、どういたしまして」
礼を言っちまうとまたやからしそうなのに。貢物をつい受け取ってしまう俺にも問題がある。
少しずつ甘えてきたと言ったな、撤回しよう。
甘えるのではなく甘やかしてきやがる。十も年上の男に何するつもりだ、この女子高生は。俺が買い与える立場なんだぞ、本来。
高校生が勉強時間もプレイベートの時間も削り、一生懸命稼いだ金を使って俺にプレゼントを渡してくるのだ。お兄さん、おまえの貢ぎ癖に将来が不安です。
甘えてくれるのは嬉しいのだが、好意の表現の仕方が何とも不器用というか…困ったぞ。
確実に喜ばせる術を知っている辺り性質が悪い。この買い与えてきた服も特別拒絶したいものでもないし、逆に嬉しいものだった。
女優の卵として仕事に励んでいた一花は、最初は金など貰えなかった身だった。
が、今ではこうして給料日後に年上の男に金を浪費する余裕がある。毎月だ。断れば別のものでアプローチしてくるまである。
年下のクセに… 頬をつねられても、プレゼントを受け取ってくれたことに照れくさそうに笑う子供の可愛さが目に余る。反則だろ。
このように慕って、素直に甘えてくれる内はまだいい。
だがこの長女、他人相手なら当然だが…隠し事が多い。実の妹たちに対してもだ。とんだ食わせ者だ。
家族の目から逃れた30階という高層マンションのベランダでの出来事だ。
「先週、俺に会いに行くと言って二乃の誘いを断ったそうだな
そんなこと俺は今日初めて知ったぞ一花」
「げ」
「おい待てこら、逃がさねーぞ!」
「ちぇー…バレたか…
その…ほらほら、オーディションが急にね…?
穴が開いたところに社長が無茶言ってくれて、私を推薦してくれたからさ」
「真面目なのは美徳だが、何も家族を騙さなくてもいいだろ
嘘をつかれて悲しむこともある、不本意だろ」
「…うん
当日、二乃から映画見に行こうって誘われたんだけど
仕事を優先して、二乃を振るのは勇気いったからさ
フータロー君を理由に使っちゃった、万が一追求されても話合わせてくれるし」
「…まあいい、二乃にも黙っておいてやる」
「ごめんね」
優しい姉は平気で妹に嘘をつく。優しさを武器に家族を守ろうとするところはあの人にそっくりだ。
先生は優しい嘘をつき続け、力尽きて亡くなってしまった。こいつは先生と同じことを繰り返そうとしているのか。
そんなことされて家族は文句など言えないだろう。体を気遣う優しさも、仕事を労う言葉も躊躇させてしまう。
それを分かっていても、不器用な一花は納得できる他の術を知るまで続けるだろう。家族愛とは良くも悪くも犠牲的だ。
だがな。
「あの…そろそろこの手を離してほしいな
お姉さんドキドキして心臓もたないよ」
「それは悪かったな、最後に聞いておきたいことが一つだけあるんだ
女優業以外のバイトはどうだった、お姉ちゃんよ」
「…へ?」
「おまえな…
女優の仕事以外に、日雇いのバイトまで始めて…体壊さないか?」
「な、何を言ってるのかな? 私はその日はオーディ――」
「駅前で出店の売り子なんかしたらバレるに決まってるだろ
俺、近く通ったし」
「…計られた…」
「いや、嘘に嘘を重ねたのは君だからね? 大人をなめんなクソガキめ」
ベランダの塀に突っ伏して降参の合図を見せる一花は気まずそうに弁解を試みる。
落ちた評価を取り戻そうと必死なようだ。身振り手振りで表現しようとする。
こいつは同年代と比べたら大人びた印象があるが、根っこは子供っぽいやんちゃな性格だ。時には四葉以上に。
「だって…時給の割に楽できそうだったんだもんっ!
高校生に1200円だよ!? 研修期間なしで!」
「たけーな!? 高校生の俺だったら確実にやってたぜ!
なら仕方ねえな………あ?
でも結構客並んでたじゃねーか、なかなかハードじゃなかったか?」
「…
…何でだろうね…ほんとに…話と違うと思ったよ
一日で一週間分の売上だって、店長も次も来てくれって喜んでたよ」
「はー それはご愁傷様だな
おまえモテるからなー さすがモデル
いやー 心配もあったが良いことだ、お兄さんその仕事なら安心だ、頑張れよ」
「もうやんないからね
バイト終わったらデートしてって…断るの大変だったんだから
というか! 何でモデルは猛反対なのにそれは賛成なの!? ちょっと意地が悪くないかなフータロー君!
こら逃げるなー!」
「おいおい手なんて掴んでくれるなよ
ドキドキして心臓もたないよお兄さん」
「この人超むかつくー!!」
大人を出し抜こうとする嘘を見抜いては怒り、冗談を言い合って笑い合う。子供のような、賑やかな日常を繰り返してばかりだった。
反抗期に近いものなのかもしれない。俺の手を借りずに成し遂げたい気持ちもあるのだろう。俺は親じゃないけど。
その境界線に踏み入れないように気を配っていると、向こうからしれっとした顔で近寄ってきてはからかってきやがる。
男子にモテるのは確かだ。一花は気が利くし、軽いノリで距離を詰めてきて笑いかけてくる。他の姉妹にはできない女性の振る舞いだ。
たまに俺もドキっとさせられるんだ。もし現役の高校生だったら手の平で弄ばれていそうだ。仲良くはできないな、おそらく。俺と対極的な人間だ。
その割に異性との交友関係の話は未だに聞かない。仕事と姉妹の話ばかりだ。
彼氏でも作れと言えば笑って逃げられる。続けて俺の休日を奪おうとしやがる。十も年上の俺をどうするつもりなんだこいつは。
つくづく強情な奴だ。人の意見なんて聞きやしない。笑って誤魔化して本心を隠してばかりだ。いずれ後悔するぞ。
「子供じゃないよ」
一年前。子供が背伸びするだけのいじけた声と一緒に…手を握った一花は、今もなお家族を支える努力を惜しまない。
他のことはおざなりな、自堕落な子は妹たちから愛され。心からやりたい、叶えたい夢を見つけ胸を張って歩み始めている。
俺にはなかった、輝かしい道を歩んでいるんだろう。時折その後姿が眩しくて仕方ない。
そんな一花が、ドジな奴が心配で目が離せないでいる。
掴まれる手は熱く、ときめきはしないが…胸の内がほんのり温かい。昔と変わらない純粋な優しさを持つ愛らしい女の子だ。
仕事を終えた金曜日の夜。帰りに馬鹿高いマンションに足を運ぶことがもはや日常になりつつある。
金曜日と土曜日は用事がない限り、中野家で一緒に食事する。かねてより五つ子から誘われたものだ。
正当な保護者である五つ子の爺さんからも、できる限り一緒にいて欲しいと頼まれているわけで。
家が離れている仲ではこういった小さな積み重ねが重要と言える。子供たちはそれを理解し自ら求めている。
ここで五つ子の頼みを断ってみろ。爺さんに通報されればあの細い声で殺害予告を受けかねない。怖すぎる。おっちんだら呪われかねない。
爺さんと俺で、先生が残してくれた遺産共々管理している。俺はただの窓口に過ぎないんだぞ。その点は理解していただきたいもんだ。
だが、他人の立場であっても、恩師の娘の為なら自身の金を使って支えるつもりだ。爺さんには内緒で払っている物も多分にあるしな。
だというのに、長女の一花は学業よりも仕事を優先したいらしい。後1、2年待つだけで卒業なのに考慮に値しないらしい。無鉄砲は子供の特権だ。
爺さんも一花の女優業を止めるつもりはないらしく、俺には止める権利はなく、問題が起こらない限り見守る立ち位置にいる。
そのせいか、一花は好き放題やってくれる。貢物はもう沢山だぜ。
「じゃじゃーん! いつもお仕事で疲れているフータロー君に良いもの貰ってきたよ」
「…」
人の気も知らないで…一花はにこやかだ。敬い慕ってくれているだけに性質が悪い。
今日もまた。仕事後だというのに静かに休ませてはくれないらしい。
一花が見せつけるものに五つ子が顔を揃えて注目した。騒がしくなること間違いない。
「袋だけで高そう
いつから一花は貧乏人を卒業したんだろ…」
「それは…女優ですから、一花は
高校生のアルバイトとは文字通り桁が違うのでは
二つぐらい」
「今も凄いのに、これからお仕事増えるんだよね?
凄いなー 一花」
「大の男に毎月小遣い使うなんて、お母さんがいた頃だったら張り倒してたわ」
「女の僻みは醜いですなー 私はフータロー君を喜ばせたい一心なのに、咎められるなんて心外だよ」
「嫌な金持ち」
「あーっ! もう調子に乗って…!
上杉も何か言ってやって! 一番上のお兄ちゃんでしょ!」
「女優つったって、まだペーペーだろ
調子に乗ってるのも今だけだ
ほっとけば痛い目見るから、今は優しく見守っておけ」
「フータロー君が一番辛辣ッ!
良いもの貰ってきたのに酷いなー ほらほら、見て見て」
この長女、妹から盛大にブーイングが飛んできてもプレゼントを見ろとせがんできやがる。痛い目見てもへこたれそうにないぞ。
中野家で夕食を取った後の食休み中。リビングのソファに座って各々自由に過ごしていた。
五月の勉強を見るなり。四葉から部活の報告を聞いたり。三玖から相談を受けるなり。二乃から友達との話を聞かされるなり。基本そんな時間だった。
今日は違うようで、一花は紙袋から中身を取り出してテーブルに置いた。ゴトッと結構重たい音を立てて。それも二つ。
「ワインか」
「ぴんぽーん
オーディション受かってね、社長も大喜びでさ」
「それでワインって…いかがなものですか、高校生に対して」
「ううん、これはね
私がこれまで過酷なトレーニングに耐えてこられたのは
沢山の愛情を持って育ててくれた愛する母と、苦楽を共に生きてきた姉妹
そして、保護者代わりになってくれたフータロー君のお陰です
って答えたら、君に是非って」
「一花…うぅ…私迷惑しかかけてないのに」
「…その、さっきは悪かったわね、僻んだりして」
「…ごめん、一花は優しいから…支えるのは当然だよ」
「私も…まだ一花に何もお返しもできてません」
「あ、あれ? なんかみんな真に受けちゃった?
ちょ、ちょっとした冗談だよ冗談、ちょいっと盛っただけだってば」
大して一花本人は気にしていないだろうに。姉のいじらしい思いに家族がしおらしくなってしまった。
本人は見せびらかすつもりはなかったのだろう。その話も既に過ぎたことで、姉妹の知らないところで苦しみながら努力してきたんだろう。
その上、こうして年上の人間を労わろうと品を用意してきたわけで。
そんな高校生相手に、社長も心を動かされたのかもしれない。子供の純粋さは大人にとって眩しく、心を突き動かすものがある。
しかし困った。
「気持ちは嬉しいが、俺ワインなんて飲まない」
「案ずることなかれ、お姉さんを信用しなさいな
普段フータロー君がお酒飲まないのは知ってるし、ワインは多分飲めないよって、社長に話したんだ
ならこの機会に勧めてみたらどうだいってことで
ワイングラスまで頂いちゃいました」
「頂いちゃいましたじゃねーよ、そこまでするか」
「しかも二つ! 私は飲めないんだけどねっ!
彼女さん用かな!? なんて気遣い上手
でも誠に残念ながら、残念なことに28になってもフータロー君には恋人がいない!」
「叩き割っていいかそれ」
「仕方ないからこれは私が成人したら一緒に使ってあげましょう
フータロー君、その時は付き合ってね」
「勤務先の社長相手に何してんだおまえは」
オーディションでこれまでの努力が実ったのだろう。今日は随分とテンションが高く、察した四人が揃って苦笑していた。
嬉しさを隠せない一花は生意気が過ぎるが、流石に怒る気もなく、俺も少し笑ってしまった。
今日、労いを受ける相手は俺ではなくこいつのほうだ。
すっ…と一花はテーブルの上でワインを一つこちらの手元に押し寄せてきた。
「粗品ですが」
「社長からの貰い物じゃねーのか
…赤ワインか」
「ミディアムボディ? とか言ってたよ
おつまみにチョコとチーズ買ってきたからさ、持ってくるね」
「高校生が…どんな気の回し方してんだ」
「上杉さん、上杉さん
そのワインっていくらぐらいなんですかね」
「二本あるし、一本は調理用に使ってもいいかしら」
「フータローがお酒飲むなら晩酌してあげる」
「上杉君、この際申し上げておきますがここでお酒飲んでも構いませんからね
も、もちろん教師として、大人として限度はありますが…気を遣われると困ります」
一花は立ち上がって台所へ向かった。その後に四人の姉妹が集まり、ワインを眺めて各々口を開く。
ワインを手に受け取ったのはいいが、心境は複雑。
五月の言うとおり子供たちの前で酒を飲むことを躊躇っていたのもある。こいつらの前で飲むことなんて殆どなかった。
ビールやカクテル、焼酎は飲めるがワインは好んで飲まない。安いのは美味しくない印象があった。
酒に贅沢する性質ではない貧乏人には縁遠いものだった。親父もワインは飲まないみたいだしな。
上機嫌に肴を盛った皿を持ってきた一花はワインを取り上げた。栓抜きを手にして。
「今開けるのか」
「持ち帰ったら飲まないでしょ」
「はいっ 四葉開けてみたいです!」
「私も、フータローに注いであげたい」
「こ、コルクを抜くのって難しいのでは?
ここは上杉君に…」
「ワインなんて、料理で何度も開けてるわよ
貸しなさい」
「待った待った、社長にコツを教わってるから大丈夫だよー」
五つ子も興味津々なようで一気に喧しくなる。母親は飲まなかったらしく、見る機会がなかったのだろう。
一花は器用にワインの栓を抜いた。残った一つはひとまず開けずに置いておく。さすがに二本は飲めない。
この宴の主催者がワインを片手に隣に座ってきて、グラスに注いで渡してきた。
「あ、そうだった
フータロー君、これやってみてよ」
「高校生のおまえが何でそんなこと知ってるんだか…その知識欲を勉強に活かせよ」
「はぁ 不満ばっかり そんなんじゃモテないぞー」
「くっつくなっ つーか狭いし」
姉妹の前で寄りかかってくる一花を押し戻す。不満ぐらい言いたくなるぞ。くっつきすぎだしあざといし。狙ってやってるだろ。
グラスを持つ手に一花が指を這わせてきて、腕の行動を阻害してくる。言うとおりにするしかなかった。酒の場でもあって悪い女にしか見えん。
そのまま手をテーブルに置いて、グラスごと回す。スワリングなんて、何でこいつが知っているんだか。
注がれたものが波立つように揺れると香りが際立った。
その香りに驚く。今までに嗅いだアルコール臭いものとは断然違う、奥が深いものに感じられた。
「うわ、なんか良い香り…嗅いだことないわ、こんなの」
「柘榴に似た香りがする」
「ワインって感じがしますね…匂いだけで酔ってしまいそうです」
「どんな仕組みなんだろうねー これだけで香りが出るなんて」
香りは爽やかで飲みやすそうだった。社長がこれを勧めた理由なのかもしれない。
好奇心が向くままにグラスに口をつけて飲んでみる。五つ子の視線が集まって飲みづらかった…
「うまいな」
「…上杉のうまいって当てにならないのよね…
三玖の料理ですらおいしいって完食するし」
「それと比較しないで、上達はしてる」
「上杉君、ワインは好めないのでは?
無理して飲まなくてもいいんですよ? お体に障りますから」
「五月ちゃんは相変わらずお堅いなー」
「いや無理して言っているわけじゃない
これは俺でも飲める、おまえたちも二十歳になったら飲んでみるといい」
「わお、上杉さんグラス空にしちゃった
おつまみどーぞっ」
「って四葉、食べすぎ…」
「食後に盛りすぎなのよ、私も貰い」
「皆フータローに遠慮がない…なら、私はチーズだけでいい」
「ちょ、ちょっと食べすぎなのでは!?
上杉君へのご褒美なのに、自重してください
食べて良いのなら私だって」
「あんたは自重しなさい」
「なぜ私だけ!? 私だけ食べるなって酷くありませんか!?」
「いや、そっちの自重じゃなくて…」
五つ子の喧騒を他所に、空けたグラスにワインを注がれた。隣を見れば上機嫌な一花が意味ありげに見つめていた。
子供の前で酒を飲むのはどこか緊張する。酔ったりしないか心配だ。あまりだらしない姿は見せたくない。
始終一花は楽しげだった。ソファに座り、膝同士がぶつかりそうなほど近いこの距離で、妹たちの騒ぎ声にかき消されないように寄り添って声をかけてきた。
妹が見たら怒る場面だろう。背徳感を利用する悪い姉だった。
「喜んでくれた?
普段頑張ってくれてる人へのご褒美だよ、楽しんでいってね」
「…それはおまえもだろ
無茶してないだろうな、トレーニングきついとか言ってただろ」
「あれは…まあ…そこも盛ったというか
あ、でもね
お母さんや皆、フータロー君がいたから頑張れたのは本当だよ」
「…」
「お母さんに代わって…助けてくれてありがとね、お兄ちゃん
お母さんも安心してると思う
だから…フータロー君に救われたお礼しないとね」
どこかむず痒いぞ。一花は膝と太ももを摺り寄せて甘えてきた。本当にどこでこんなこと覚えたんだか。それとも無自覚なのか。甘えたい一心なのか。
あまり身動きはできない。動けば四人にすぐに露見される。小さな声で保護者代わり同士の密談をしなくてはいけない。
一花は誤魔化しにテレビをつけた。家族でよく見る番組で、四人も自然とそちらへ視線が向いた。
小賢しいことに頭が回る奴だ。グラスを持つ手を左手に移す。
右に座っていた一花は、グラスから離れて下ろした右手を取って重ねてきた。手の甲に指先でなぞられて弄ばれている。
また小賢しい知恵を働かせてくれる。生意気なのでその手を振り払って、子供らしく頭を撫でてやった。
「頑張ったな」
「…っ 子供扱いして…っ」
驚いたのも一瞬で、撫でる手を掴まれたまま俯いてしまった。
そのまま少しの間、その髪を撫でていた。一花はされるがまま、この一時を壊さないように黙っていた。
家族に隠れて照れ笑いを浮かべる子供の、上手なようで下手な甘え方に溜め息が出た。どっちが本性なのか見分けがつかない。
「…おまえも何か持ってこいよ」
「うん?」
「俺だけ飲むのも悪い
お疲れ様会なら、おまえも祝われるべきだ」
「うーん、私はいいよ」
「…特別扱いしたら姉妹の中で角が立つと心配してるんだろうが、それは杞憂だ
そう意地の悪い奴らじゃねーだろ、こいつらは
ジュース置いてあっただろ、持ってこいよ、俺が注いでやろう」
「…そうじゃなくて
このままがいいの ちょっとやらしいところが癖になっちゃった」
「…怠惰な奴」
撫でる手を取って、そのまま一花の膝元まで下ろされて握られた。一方的に愛でられるのは嫌なようだ。
この位置から離れるのが相当面倒臭いらしい。祝ってやろうと言っているのに酷い返答だった。
仕方なく他の五つ子たちに頼もうかと目を配れば、指を握られた。一花がやめろと言っている。
四人はテレビを眺めていたり、姉妹同士で団欒を楽しんでいた。ちらっと四葉と目が合ったが慌てて逸らされた。
こいつらたぶん気づいてるな…気の遣い方が姉以上に上手いようだった。一花を労われと言っているようなものだ。
労わるのはいいが、汗が滲むほどくっついている必要はないわけで、自分でも何をしているんだか呆れてしまう。
十年前に可愛がっていた子供から再び素直に甘えられて嬉しいのかもしれない。一花相手では特にそう感じてしまう。
先生に似て美人に育った五つ子だ。ここまでされると胸の動悸を悟られないようポーカーフェイスを維持するのに苦労する。
「こうしてワインを片手にお酒を嗜む姿を見てるとさ
フータロー君は大人なんだなーって思い知らされるよ」
「普段どんな目で見てるんだおまえ」
「ああ、ごめん、そうじゃなくてね
私にとっての大人ってさ…お母さんのイメージが強いんだ
お酒を飲む人って殆ど直で見たことなくてさ」
「あぁ…煙草とか酒を嗜む奴は見慣れていないのか、まあ先生と比べたらそうだろうな」
「だからさ…なんかちょっとドキドキしてるかも
お酒のせいかな? それとも…フータロー君だから?
どっちだと思う?」
「…飲んでないだろうが」
「あはは さっきからフータロー君から良い匂いがするし
お酒飲むフータロー君に付き合う自分がさ
なんか…大人になったみたいで…酔っちゃった」
「…」
「背伸び、しても良いかも
駄目?」
「十年早い」
「じゃあ…三年分ぐらいは縮められないかな?」
三年って…二十歳までスキップしたいのか。酒はやらんぞ。
大人の仲間入りを果たしたかのような雰囲気に酔っているのだろう。一花は手を伸ばしてきた。
「っ お、おいっ」
「んへへ、良いではないか 私にもサービスし――あいたたたっ」
グラスを取られるか心配していると、一花が肩に頭を乗せてきて、ふわっと酒の匂いとは違うものが鼻についた。
一花がしなだれかかってきていた。何をしているんだこいつは。右半身が温かく柔らかい…というか完全に当たっている。だというのに、さらに寄ってきてないか。
これには姉妹四人にバレてしまい抗議が飛んできた。四つの指が差し込まれて一花は五つ子の輪に連行されていった。
「あ、ここは駄目なんだ」
「あんた、さすがにやりすぎよ」
「いやー…なんか、そういう雰囲気かなって」
「雰囲気も何も身内の前で何をしでかすつもり…?」
「上杉君に甘えすぎはよくありません、もう子供じゃないんですから
常々言っていたことでしょう」
「子供とかそういう甘え方じゃなかったような…」
「やれやれ、みんな枯れてるなー
隣に男子…もとい、思い出のお兄さんがいて…これだけ近くにいて
抑えられるわけがないでしょっ! フータロー君彼女いないし!
珍しく嫌がってないし、今日は甘える!」
「四葉っ! こいつ危ないわ、全力で止めて!」
「ら、ラジャー!」
それでも退く気はないようで。開き直る一花とそれを止める四人の、一層騒がしくなった空間に無言でちびちびと酒を飲むことにした。
今日の一花は珍しく上機嫌で素直に構ってもらいたいようだった。ワインの匂いに当てられたのか…さっきまで隣で甘えていた子の表情は艶のあるものだった。
一花が本気で背伸びしてきたら…どうしたものか。予想していなかったことだ。
考えるだけ自意識過剰なものだ。浅はかな考えを流すべく、酒を口にした。
酒は流せても、胸の内を小刻みに叩く緊張は流せず。度々一花のほうへ視線が流れ…目が合っては逸らしてばかりだった。
ワインも残り1/4というところまで飲んだ頃、異変が起きた。
ソファから立ち上がった瞬間、視界が揺れてしまい座りなおすしかなかった。頭がぼーっとする…これは完全に…
「酔った…」
「う、上杉君…お水を…!」
「フータロー顔が赤い…ソファに横になっていいよ」
「ど、どうしよ…上着脱がしたほうがいい?
ビリッっていったほうがいい?」
「暑いわけじゃないからやめなさいっ
一花も、あんたが急かすからよ」
「ごめん…つい調子に乗りました…
だってさ…フータロー君色っぽくなるから…もっと見たいと思うのは当然じゃん」
「確信犯…」
「三玖もずっと見てたよね」
「な、何を言ってるのか…」
「…あんた、最初から潰す気だったでしょ」
飲みやすいから調子に乗りすぎた。アルコールの度数は高いってのに迂闊だった。一花のペースに乗ってたらあっという間に酔いが回ってしまった。
三玖の言うとおりにソファに突っ伏して酔いが薄れるのを待っているのだが難しそうだ。
顔を上げると五つ子が心配げに見下ろしていた。しかしリビングを照らす明かりが直射して眩しくその表情がわからない。
「顔が赤くて反応が気だるげ…というか遅いわね
完全に酔ってるじゃないの」
「あと目が死んで…ううん、目がとろんとしてるね!」
「これが酔い、ですか…勉強になります」
「酔い潰れている大人なんて…深夜の駅前にゴロゴロいるぞ…」
ひとまず起き上がり、五月から水を受け取って飲み干す。
子供たちが介抱しようと、ベッドに運ぼうとしてきたが突っぱねる。
その動作でソファから崩れ落ちた。子供たちが心配そうに声をかけてくれるが…もはやそれどころじゃないんだ…
床に手をついて、酷く落ち込んだ。頭の中ではこのことばかり渦巻いている。
「調子に乗った…
やっちまった…先生の娘たちの前で酒に酔うなんて…
ごめんなさい、先生…マジでごめんなさい…反省してる」
「見事に自己嫌悪に陥っているわね」
「フータロー完全に酔ってる」
「これはお母さんの写真見せたら大変なことになるわ…
四葉、隠しといて」
「そんな大げさだよ…お母さんだって怒るわけないじゃん」
「あぁ…だが怒られるのも今じゃ悪くねーな…
先生とまた会えるってなら」
「ちょっと一仕事してきます!」
「しっかりしてください上杉君!?
や、約束してくれたじゃないですか!
貴方まで私たちを置いて行ってしまったら困ります! ダメですから!」
「…はっ…!」
な、何か妙なことを口走った気がする。これはもう完全に酔ってるな…駄目な大人だ。
最初に危惧していた通り、酔った挙句痴態を晒してしまったようだ。これはまずい。非常にまずい。
教師として。大人として。先生の代わりに五つ子を見守る者として。何もかも崩壊してしまうところだった。
これ以上赤っ恥を晒すくらいなら… フラフラと立ち上がり、そのままドアへ向かった。
「すまんが…今日はこれで帰る」
「ちょちょっ、ま、待った!?
何してるのフータロー君!」
「そんな千鳥足で帰せるわけにはいかないわ
大人しくしてなさいって」
「フータロー、無理しないで
私たちは気にしないよ」
「え、あれ!? 上杉さん帰っちゃうの!?
駄目だよ! もう遅いし、そんな体で帰っちゃ駄目ですよ!」
「帰る途中で事故に合ったりしたらどうするのですか…!」
「それとこれと話は別だ…」
四人が止めにかかり、羽交い絞めにされても抗っていたが、四葉が戻ってこられては抵抗は無駄になる。
四葉が腹にしがみつき、じりじりとソファに戻される。この子力が強すぎる…ソファに投げ出されたところで五つ子に囲まれる。
酔っている顔を見られていると流石に羞恥心が募る。恩師の娘相手だからこそ、だ。
それだけではない。俺にとってこいつらは特別なんだ。つい手で顔を隠してしまった。
「教え子の前で酔うなんて…教師失格だ」
「…」
「だから…その、帰らせてくれ…あと忘れてくれ」
「何それ」
怒気を感じて顔を上げると、一花が目の前に立っていた。
ついに怒らせてしまったか。言い逃れはできないことを覚悟して、目を逸らさずに、その視線に向き合うことにした。
「ここはどこ?
私たちの家でしょ」
「あ、ああ…」
「フータロー君が用意してくれたお家でしょ
フータロー君の仕事とか…関係ないから」
ドンッと両手をソファに押し付けてこちらに一層迫ってくる。一花から距離を取ろうと背もたれに身を沈ませる。
それでも近寄ってくる一花に焦る。許す気などなく、とことん追い詰める気だ。怒っているのは間違いない。
なのにその目は優しく、仕方のない人だと呆れて許そうとするものに見えるのは見間違いだろうか。
「少しは私たちの前でリラックスしてよ
お酒も満足に飲めないなんて、私たちはそこまで君を縛りたくないから
それ以上はさ、ただの自己満足じゃないかな…フータロー君」
「おまえ…」
「へへ…ちょっと生意気過ぎたかな
怒るわけないよ、持ってきたのは私だしさ
フータロー君のだらしないところ、もっと見たいかもって悪戯しちゃった ごめんね」
「…」
頭上の明かりから影が差す一花を見上げ、顔を逸らすしかできなかった。
だらしない大人に微笑むこの姿を子供だと見下せるものだろうか。まず俺にその資格はないな…
自己満足か。確かにそうだ。
ここまですれば、誰にも文句は言われないだろう。そう予防線を引いておきたかった弱さがあった。
失敗しても、俺はここまでやったのだから。そう納得できるものを用意したかったのかもしれない。
単純にこいつらを大事に思う気持ちはあった。
だが、その為にこいつらの主張を捻じ曲げて捉えようとしていた。大人の汚いやり方だ。都合の良いように解釈して子供を騙す。
…かつて…俺が先生に感じていた憤りだった。その願いは通じず、歯がゆい思いをした。
…それがまさか…その人の子供たちから俺に向けられるなんてな。
滑稽なのは、先生は酒に酔うことはなく…俺は馬鹿なことをしてしまった点にある。段違いだ。
押し黙る俺に、跨って迫ってきた一花が慌てていた。
「ふ、フータロー君、ごめんね?」
「…その、だな」
「な、何?」
「…なら…今日は泊まらせてくれないか」
「…」
「な、何だ」
「それは卑怯」
「何がだ…それよりも…暑苦しい、離れてくれ」
顔が赤いのは暑さのせいじゃないのだが、暑苦しいこと極まりない。一花が急に抱きついてきたのだ。
もうよくわかんねえ。酔っている時に考え事がまとまるわけがない。
もういいから。一花の背中を軽く叩いて抱き返すと一花は離れていった。
他の四人にも目を配ると、泊まっていかないと逆に怒るくらいだと子供たちは笑っていた。
「…はは…
あーあ、子供に怒られちまうんじゃ形無しだ」
「フータロー君…」
「残りも飲んじまうか、これだけ残してもな」
「じゃあ今度は私が注いであげるわ」
「待った、私まだしてない」
「まだもう一本あったよね?」
「流石に二本目は…
二人共、上杉君のペースで飲ませてください」
二乃がワインを手にグラスに注いだところで、止めた。
一花にも言ったが、俺ばかり飲むのも悪い。
「おまえらも飲めたら楽しかったのに
ジュースでいいから持って来いよ」
「あらあら、一人で飲むのが寂しかったのかしら
随分と一花とイチャイチャしてたじゃない」
「そんなんじゃねー…持ってこいっつーの
乾杯しようぜ、乾杯」
「これは酔っていますね」
「吹っ切れただけだ
自己満足するなと言われて、気を遣うのも馬鹿馬鹿しい」
「うーわー 根に持たれそう…」
「どんまい、でも一花は良い事言った」
「うん…私たちに気を遣ってばかりだとお母さんみたいに…いつか疲れちゃうよ」
仕切りなおしだと、周りが場を明るくしようとする中で四葉だけ顔を曇らせていた。
亡き母を思えば、見過ごせない問題だったらしい。四葉の一言に他の四人も足を止めて振り向いてしまった。
「…おい四葉、ちょっとこっち」
「は、はいっ」
失言だったと不安げに慌てる四葉は、素直にこちらに寄ってきた。気まずいものにはすぐ逃げるくせに殊勝な奴。
手招きしたはいいが…これ、俺からするのは犯罪に当たるのだろうか。俺が躊躇ってしまった。
仕方なく、ジェスチャーでアピールする。膝元を叩き、腕を広げて手招きする。
「…え?」
「え、じゃない」
「え、えぇ…っ!?
そ、それは何思ってのことなのでしょうか」
「馬鹿なことを言うおまえが悪い
昔よくおまえからやったことだぞ」
「…」
「…」
「…
い、いいんですか? いっちゃいますよ?」
四葉は恐る恐る、腕を開いて…そのままゆっくりと腰に腕を回してきて、こちらにしがみついてきた。
その頭を優しく撫でてやる。昔してやったことだ。不本意ながらな…何度も腹に突撃してきやがった悪ガキに。
四葉が甘えているこの流れに、四人は目を点にして驚いている。四葉が甘えるなんてそうそうない光景だろう。
この子の掴む力は強かった。ぎゅっと抱きしめる力は頭を撫でてやると段々と和らいでいった。
だが別にこれは甘やかすためにしてやったわけではなく、油断したところでリボンを引っ張ってやった。
「…疲れるだけじゃねーよ
先生もきっとな
だから決め付けるな、前にも言っただろ」
「うぐぐ…ほんのり痛いです…でも懐かしいから好きです…」
「叱られてたのは覚えてるんだな」
「…
えへへ…上杉さんの匂い」
注意しているのに嬉しそうにされると困る。すりすりと頭を擦り付けてきた腹が苦しい。
母親が亡くなって一年。悲しみに泣くことはなくても、求めてしまう日があるだろう。
寂しい思いはしないように。優しく四葉の頭を撫でてやった。
「…で、いつまで私たちは見守っていればいいのかしら」
「よ、四葉寝てる…っ」
「安心したら寝ちゃったのね、昔に戻っちゃったんだ」
「気は引けますが起こしましょう」
膝元で大人しいと思っていたら四葉の奴寝ていたらしい。悪いが俺はまだ酔いが抜けてないから気がつかないでいた。
四葉を叩き起こし、五人のコップを用意して各々ジュースを注ぎ終わると、カチンと重ねた。
先程の四葉の件で五人からの言葉はなかった。少し気まずいものでこちらから声をかけたほうがいいと見た。
「この際言っちまうが…十年振りに再会したあの日
おまえらに忘れられていると思っていたから、正直不安だった」
「お、お母さんのお葬式の日に会ったじゃありませんかっ
忘れてなんていませんよ」
「あれだって覚えているとは思っていなかったんだ
らいはのほうが良いって時もあるだろ
遠慮なくあいつに言っていいんだぜ」
「こらこらフータロー君、ネガティブになってない?」
「嫌われているのならまだしも、距離を置きたいと思うのが自然だろ」
「泊まっていけって言ったのに、何を今更…
何よ、こうして私たち五人に囲まれてまだ信じられないっていうの?
一花や四葉じゃないけど、昔みたいに甘えてやってもいいのよ
滅茶苦茶甘えるわよ、ウザがられるぐらい甘えるわよ」
「きてみやがれ」
四葉の時と同じく、手招きして誘ってみる。二乃の奴がきょとんとした後、みるみる顔を赤くして面白かった。
妹を持つ兄を嘗めるなよ。おまえらが年上に甘えたいと思っているのは看破しているぜ。らいはにも甘えられていないようだし、欲求不満なのは察していた。
三玖と五月も驚きつつ、二乃の様子を窺っていた。一花と四葉は気分が晴れているのか、上機嫌に笑って見守っている。
「…
…
いいの?」
「ちょ、ちょっと二乃? いくらなんでもやりませんよね?」
「二乃…散々私や五月に甘えるなって言ってたくせに」
二乃の期待の目は妹の咎めを受けて現実に引き戻されたようだ。強情な奴。
「いや、その…冗談よ、何で私が上杉なんかに」
「…あっそ、無理強いはしねえ」
「…うぅ…辱められたわ
何で乗ってきたのよ、上杉の馬鹿、調子が狂うわ」
「…まあ、嫌われても俺は二乃が好きだぜ
昔から優しいところは変わらないしな」
「…へ、へぇ…意外と私好感度高いのねー 知らなかったわー」
「ただ、昔はよく甘えてくれただけに残念だ
ケーキ作り、楽しかったな…」
「あ…あ、甘えてやるわよこの馬鹿ーッ!!」
突進だった。昔を完全再現されて首元に腕を回してしがみつかれた。長い髪が舞って腕や肩にかかってくる。
四葉ほど強くはなく、遠慮はしているのだろうが思いっきり抱きつかれている。誰もそこまでしろとは言っていない…
しかも思いっきり腰の上を跨って座り込んでるし。品性に拘る二乃にしては余裕のない行為だった。いったい何に突き動かされたのだ。
二乃の豹変に姉妹が面食らって引き剥がそうと駆け寄ってきた。
「何をしているのですか!?」
「だってこいつがぁっ! 好きとか言うから!」
「家族として、それ違うから、離れて
四葉も手伝ってっ!」
「い、良いことなんじゃないかな…二乃も前から上杉さんに甘えたがってたし」
「やりすぎだからっ」
「…三玖が妬いてるだけでしょそれ」
「フータロー君も迂闊に人を褒めないで、怪我するよ?」
「褒めるなとか、とんだ教育方針だな」
二乃とは再会した当初は色々とあった。それもあの祖父の旅館で仲直りしてから徐々に関係が改善されつつあった。
嫌いになったことなどない。それ以上にあの気難しくも優しい子が、優しくあり続けて育っていたことに微笑ましく、愛らしかったぐらいだ。
そう暴露すると、わなわなと震えて一層しがみついてきた。長い髪を乱れさせて、体を張って甘えてきた。
甘えてくれるのはいいのだが、こいつらはもう幼稚園の頃から数年経って高校生になったわけで、体を張って主張されるのは困る。
しかし、甘えたかったと言われたら反対するのも心が痛む。
頭を撫でてやんわりと押し返すと、二乃はすんなりと身を引いてくれた。
引いた後はやはり三玖と口喧嘩が勃発した。今回は三玖が好戦的な分、恐らく二乃が押し負けるだろう。
喧嘩しているところ悪いが、やはり子供たちから甘えられるのは嫌いではなかった。物理的に甘えられることを望んでいたわけではないがな。断じて。
「…今はともかく、昔の私たちってただの生意気な子供だったと思うんだけど
フータロー君に迷惑かけてばっかりだったでしょ」
「手のかかる子供だったぜ、遊んでとせがんできて、断ってもうるさかったし」
「うーん…私たちの記憶ってやっぱり美化されてるかも
私にとっては上杉さんが優しく遊んでくれた思い出しかないや」
「三玖は私たちの中でも、飛びっきり一番に上杉君に甘えていましたね」
「う、うん…フータロー抱っこしてくれたのはよく覚えてるよ…あと手を繋いだの」
「…」
当時の俺の心象を話したことがある二乃は押し黙ってしまった。
高校生時代、子供たちと遊んでやっていた内心、一年という区切りを設けて…将来、いつか笑って俺のことを思い出してくれたら良いと願っていた。
ずっとはいられない赤の他人だった。せめてこいつらの幸福を願いながら、幸せな思い出を作る事に専念していたんだ。
それが今はこうして、五つ子に囲まれて同じ時を過ごしている。それがどれほど幸せなことか。
…その母親はもういないことが、やはり。
頭を振って、今は昔の思い出に浸ろう。
「可愛かったぜ、小さいくせに随分と振り回されたものだ
先生を支えたい気持ちからおまえらと出会ったんだが
…楽しかった思い出だ
このくらいの背丈でな、三玖なんかは手を離すと泣きそうになって走ってきやがって」
「あら可愛いじゃない、ねえ三玖?」
「む、昔の話だから…」
「バイト先にまできやがって、一週間会わないだけで大泣きしてたんだぞ
エプロン掴んで離してくれなくて仕事にならなかった」
「お母さんよりも慕っていましたよね、なぜあそこまで好きなのか不思議でした
子供ながら、見ていて微笑ましかったのは覚えていますよ」
「確かにね、昔の三玖はもうそれは可愛かったよ
よくフータロー君巡って喧嘩になるくらい、昔の三玖は好意を表に出してたね」
「うわー 可愛いなー 三玖、三玖
ちょっと昔を再現してみようよ」
「四葉…何を言ってるの?」
「ここだけ凄い冷めてるっ! ごめんってば!」
三玖との思い出話を明かすのは初めてのことで、黒歴史を暴露されている本人以外は興味があるようだった。
羞恥で俯いていく三玖と目が合うと慌てて逸らされた。そりゃあ幼少時、好意全開で甘えていた過去など掘り起こされたくないだろう。
それでも口を閉ざさず、欲張りな心のまま続けた。
「…将来はフータローのお嫁さんになるとか
俺はおまえの親父かよ、いくらなんでもそこまで慕われているとは思わなかったな」
「そ、そこは…
…
今も変わら――」
「典型的な…いえ、古典的でしょうか」
「…
五月に言われたくない
フータローとお母さん両方に甘えてお菓子をせびってた五月には絶対に、絶対に言われたくない」
「何か怒らせましたか私!? 睨まなくてもいいじゃないですか! ごめんなさい!」
「あー…ほら、小学校でよくからかわれてたネタだから、それ」
「禁句よ禁句」
禁句って…確か戦国武将が好きな話も禁句扱いだったな。この子トラウマ抱えすぎだろ。
三玖が子供の頃から慕い続けて、酷い言葉を投げかけられてきたことは知っている。本人から打ち解けられたことだ。
それでも抱き続けてくれたものがある。三玖は顔をより一層赤くして俯いていた。少し涙目にもなっているように見えた。
席を立ち、俯く三玖の頭を撫でてやる。
「…フータロー…」
「ああ、わかってる」
「…なら、いい」
こちらから歩み寄らないと自己主張してくれない奴だ。
撫でられるがままに、そっと手に指を沿えて弱々しくも掴む仕草が愛らしかった。
落ち込んでいると見て分かる妹に苦笑して一花がパスを投げてくる。
「そんなに子供扱いしてるくせに
フータロー君、三玖に告白されて嬉しかったんだ?」
「…言っておくけどよ、おまえら
赤い花を一輪手にして
顔真っ赤にしながら、好きな人になるからって言われて
何とも思わない奴がいるか?」
「きゃっー!」
「それは…惚れるわね」
「可愛すぎます!」
「男女逆なような気もしますが…」
手を掴む力が強くなった。余計なことを言うなと三玖が目で訴えてきている。
おまえは恥ずかしがって言えないんだろうが、俺にとっては忘れられない良き思い出だ。
そもそもこいつら、その現場にいたからな。最初から暴露も何もない話だ。
先生が三玖に教えたんだろう。結局先生にはお礼、言えなかったな。
「それを三玖がやったって事実にお姉さんは驚きしかないよ」
「もう…やめて…それはフータローとの大事な思い出だから」
「あはは…だってさ」
「はは、悪いな
だが、再会したら仕返ししてやると誓ってたからな」
「え?」
「かまくらの中でそう約束したんだぜ
おまえとの最後の思い出だ」
「…最…後」
「今まで恥ずかしくも…笑わせてくれた仕返しだ
おまえを困らせてやるって約束」
三玖が顔を上げた。
そうやって顔を赤くしても、目を逸らさず見つめてくる姿は昔を思い出す。
今は赤い花はない。さすがにもうあんなことはしないだろう。少し笑ってしまった。
弱気な奴だと思って油断していると手痛い目に合わされる。もうあれ以上の告白なんてされたらたまったものではない。
少しは自信持てよ。そう励ましの気持ちを込めて笑って答える。
「栞持ってるのもバレちまったしな…まったく
思い出話ぐらいさせてくれ
俺にとって、一番嬉しかった思い出なんだぜ
またこうやって話せるのが嬉しい」
「…!!
私も、ずっと…ずっとしたかった…会いたかった!」
三玖に飛びつかれるがまま、ソファを背もたれにして倒れてしまう。
普段消極的で人見知りな子にしては珍しい。全力で突撃してきやがった。
「結局あんたもやるんかい」
「お酒が入ると素直になるのですね、上杉君
もっと思い出話しましょうっ あとお母さんの話を聞かせてください!」
「甘やかしモードか…もっと飲ませてみよっか」
「後で上杉さんから雷落とされるからやめときなよ」
むぎゅーっと三玖に抱きつかれてしまった。甘えているという言葉がよく似合う、嬉しそうに頬を綻ばせてくっついてきた。
軽く捉えてしまいがちだが、この子のこれまでの苦労を汲んでやるとこれだけでは足りないのかもしれない。
三玖の気持ちが兄として慕うものなのか、異性としてのものなのか。その回答はまだ三玖自身からは聞けていないし、本人も自信はないと言っていた。
安易に受け止めることはできないが、せめてその気持ちに報いれるよう優しく抱きしめてやった。
「フータロー…あぁ、やっぱり…これ好き
昔に戻ったみたい」
「お、おまえ泣いてないか?」
「ずっとしてほしかったから」
「…今日ぐらいは特別にな」
「うん…」
優しく背中を擦ってやってから離す。名残惜しまれたがもうそんな歳じゃないだろう。お互いに。
本来こういうものは好きな人同士…恋人とするものだ。今回は特別だ。
三玖の涙が引っ込んだところで、四人の視線が一人に集まる。
「…五月ちゃんはいいの?」
「わ、わわ…私は…別に、はしたない真似はしませんっ」
「…私ら姉が甘えて末っ子のあんたが甘えないっていうの…」
「うん、立つ瀬ない」
「五月、ゴーゴー」
「お母さんに甘えてたぐらい、甘えちゃえ」
四人に背中を押され、五月がこちらに転がり込んできた。そのまま膝元に顔を突っ伏して。
「ご、ごめんなさいっ」
「おまえもか」
「…
は、はいっ」
「…言うておまえ…たまにやってるしな」
「…」
特別も何もへったくれもないこの状況に文句を言ってやると、五月は腕を広げたまま固まった。
五月の背後に視線を移すと一花と三玖が立ち上がって寄ってきた。五月のアホ毛が次第にしなびれていく。
姉を怒らせる困った末っ子だ。妹を気遣う気持ちが徒労に終わったのかもしれない。難儀な姉たちだ。
「…どういうこと、フータロー君?」
「こいつ、家に来て勉強教えてやる日はよく理由つけて甘えてくるからな
男の家に寝泊りするなって言っても聞かないしよ」
「…五月ちゃん?
私、らいはお姉ちゃんのところに泊まることは何度か聞いたけど
フータロー君家に泊まるなんて聞いてなかったなー」
「五月…」
「黙秘権を行使します」
「いや、黙秘も何も全部こいつがベラベラ話してくれたわよ」
「五月もちゃっかりしてるというか…ちょっと安心したよ」
「くっ…いつかはバレると思っていましたが…
せめて高校卒業するまでは続いてほしかったものです…残念です…」
「反省の色が全く見えないなー」
「極刑 らいはお姉ちゃんに裏づけ頼んでる時点で度し難い」
「そこはご本人ノリノリでしたが…」
甘えたい時は甘えちゃえ。と我が妹は進んで五月の嘘に協力していたそうだ。年頃の女が男の家に泊まることに何も危機感を抱いていなかったようだ。何もなかったがな。
家族を出し抜いて甘えに甘えていたことを露呈されて気落ちしている五月の頭を撫でてやる。一人だけやらないなんて不平不満の元だ。
それに先生が亡くなった寂しさもあるだろう。前を向いて歩く強さを持ったとしても拭えないものはある。
立ち直った後、こいつらは学生として高校に通い続けている。周りは親のいる生徒ばかりだ。その違いに苛む気持ちがないわけがない。
いてほしいと思うのは当然。もう大丈夫だと言い切るのは些か寂しいものじゃないか。
「後ろめたく思うことはないだろ」
「…ごめんなさい…」
「逆に反対できるほどの威厳はもうないからな、こいつらに」
「そ、その為にまさか私らを…餌で釣ったのね、あんた!」
「人聞きの悪い、俺の本心だぞ…甘えてくれたっていい
おまえらが望む内は応えてやりたいと思っている」
「天然のたらしじゃない…勘違いしそうなのが少なくとも一人はいるし
三玖、早とちりしてんじゃないわよ」
「わかってる…その気じゃないってことぐらいわかってる…
…いっそのことやり直したい…幼稚園から」
「や、やっぱあんたはもうちょっとポジティブに生きて良いと思うわ…」
思考が定まらないと言うか、締まりの悪い脳では細かいことは投げ出したい欲に駆られている。
昔と違って甘やかしてやれていなかったからな。そんな理由からつい子供たちの頭を撫で続けてしまう。
冷たいだとか言われるのも、気遣って誘いを断るのも胸が痛んでいたんだぞ。こいつらには理解してもらいたいものだ。大人には立場ってものがある。
「先生の代わりにはなれないが、おまえが巣を立つ日まではこうしてやる」
「…はい…
上杉君、約束…覚えてくれて、ありがとうございます」
「ああ」
姉が甘えていないからって、自身を咎める必要はない。五月は母のいない生活に成長していく家族に少なからず寂しさを抱いていた。
よくこうして傍に寄り沿っている間は、五月から先生との思い出話を聞かせてくれた。
毎月、月命日に母親の墓参りに足を運ぶ子は母親思いの優しい子だ。
その優しさを抑え込まないでほしい。そっと肩に頭を乗せて甘えてくる子供にされるがままに過ごした。
なんか湿っぽい空気になってしまった。一花たちも五月の苦労に言葉を詰まらせてしまっていた。
甘えてくれるのはいいが、それも限度がある話なわけで。今日は特別だ。
「それにこれは期間限定だ
後3、4年か…おまえらが一人立ちした頃には俺もお役目御免というわけだ」
「う、上杉君…それは…」
「だから…今の内に存分に甘えておけ、俺に交際相手がいない内にな、はははっ!」
「か、髪が乱れますっ ストップです上杉君、ワインももう終わりですっ!」
「没収だってさフータロー君」
五月の髪を乱雑に撫でてやると流石に怒られた。少しだけ残ったワイングラスを一花に取り上げられてしまった。もうおしまいか。
酔っている自覚はある。だがもういらん気遣いするのも馬鹿馬鹿しいと思えてしまう。
母親がいないんだ。高校生でも親に甘えたい時や頼りたい時だってあるだろう。
それにだ、そもそもこいつらは小学校、中学で先生に心から甘えられていたのだろうか。五月の話を聞いた限りではそうは思えない。
甘えられない人間が将来どう育つと思う。一人で抱え込んで無茶ばかりするんだ。先生のように。俺は先生を助けられなかったんだぞ。
なら俺が今するべきなのは… そこまで考えて視界が揺れた。
「フータロー君、大丈夫?」
「…飲みすぎたな、もうやめておく」
「疲れてるんだよ、もう休もう?」
「ああ…」
視界が揺れ続けている。手で目元を覆っても止みはしなかった。あのワイン度数いくつだった…? 調べていなかったな。
未成年の前で酔い潰れるとはなんて不甲斐ない大人だ。やっちまったという後悔がどんよりと募ってくる。ここまで気分の悪くなる酒はそうないだろう。
先生に見られたら果たしてどう思われるのだろう。呆れて子供たちの身を案じて気が気ではなくなるのだろう。申し訳ない。
「今日だけだ…」
「ん?」
「今日だけは見逃してくれ」
誰に向かってぼやいているのか。五人は目を合わせて苦笑していた。
明日からはまたいつもの日常に戻る。決して出来た人間ではないが、こいつら五人を守る人間にはなってみせるさ。
だが、甘えが許されるのなら。
ソファに座りながら手を伸ばす。テーブルに置かれた写真立てに。
手に取れば、五つ子が顔を寄せて一緒に覗き込む。見つめる先は一人の女性。
先生と、一花、二乃、三玖、四葉、五月。六人が笑っている写真だ。
俺の知らない、小さな幸せに笑う大切な人たちだ。
もうここにはいない人を見れば、やはり願ってしまう。つい指先でなぞってしまう。
口にしてはいけないことだ。だが今日だけは許してくれませんか、先生。
「やっぱり、会いてえな…」
「…」
「…先生」
子供が傍にいる。弱音を吐く大人にどう思うだろうか。頼りなく不安に思うだろうか。
だが…せめて笑ってみせよう。悲しみに暮れる日はもう終わったのだから。
もし会えたら、伝えたい気持ちがある。いつか薄れてしまうから…言葉にしたいんだ。
恩師を思う気持ちに、ゆっくりと五人の子供たちは寄り添ってくれた。
翌朝。ゴトッと音を立ててそれを台所に置いた。黒歴史を封印するべく。
「二乃、これやる 調理にでも使ってくれ」
「一花からの貰い物でしょ、私が怒られるわ」
「もうワインは飲みたくねえ」
「たまには良いじゃん、息抜きも
彼女ができるまで甘えてもいいんでしょ、フータロー君?
それとも、私がグラスを使う日まで取っておく?」
「…」
子供が大人になるその日まで。恋人がいなければ一緒に飲もうと誘ってきやがる。からかい混じりに、楽しそうに。
後日、一花の事務所の社長に礼を言いに伺ったが、ワインもグラスも一つだけしか贈ってないと…話が合わなかった。
楽なところで点数を稼ごうとする奴は、便乗できるものには全力で利用する。
「見てるって約束だよね、フータロー君」
恋人がいなければ、その時は。ちゃっかり約束を取り付けてくる奴に俺は顔をしかめていただろう。二本目のワインを開けるか考え直すべきか。
中野一花は五つ子の長女であり、健気な子だ。だが、やはり小賢しい。
「女優としてどこまで大成するかはまだ判断つかないが、あいつが満足するまで見守ってやってくれませんか
飽きやすいあいつが珍しく意欲的なんだ、心配ではあるが…嬉しくはありませんか、先生」
蝉の鳴き声に遮られつつ、恩師の墓石の前で風太郎は話を終えた。
一花の将来はまだ希望ある光が見えるだけで掴み取るまでには至っていない。教師にはただ、彼女の努力を見守ることしかできそうにない。
いつか挫折し、困り果てた時にはその手を取ろう。そう誓って。
「二乃とは十年振りに再会してからよく睨まれていたものだ
全てを許してはくれていないんだろう…が、上手くやれていると思っています
たまに笑ってくれるんですよ、あいつ」
恩師の娘はまだ四人いる。風太郎はやや嬉しげにはにかみ、思い出話を続けた。