五つ子の三女である中野三玖は大人しくも頑張り屋な子だ。
少ない言葉の中には姉妹を思う気持ちを潜めている。その心優しい彼女の内面に姉妹たちは救われてきたことだろう。
十年振りに再会した俺に対しても拒絶を見せることなく温かく歓迎してくれた。
大人しいとは言ったが…美点とは限らない。これは俺だけでなく、当の本人が抱く悩みでもあるらしく。
三玖の性格は内向的というか、控えめというべきか…言ってしまえば、卑屈馬鹿だ。
姉妹の中で一番落ち零れ。何も取り得がない臆病者だと、自分で自分を嫌っている。
顔を俯かせて暗い目をしてばかり。
覇気がなく彼女の言葉を聞き取るには気を遣う。
正直に言っていいんだと諭しても、何でもない、と断られる。
その癖ドライな面もあって、知らぬ間に何かを切り捨てられていることも多々あった。
感情表現が乏しいのもあって、彼女の気持ちを察するのは難しい。
放っておけない子だった。だから自然と世話を妬くことも多かったんだ。
「せきにん、とってよね」
思い出は今でも残っている。
緊張と羞恥に染まった女の子の笑顔と、両手で贈ってくれた一輪の赤い花。
ふらふらと近寄ってきて、おずおずと小さな声をかけられ、困った奴だと下に見ていたら手痛い反撃が飛んでくるんだ。
十年も昔の、幼稚園のガキとの約束など風化して終わっているものだと思っていた。
だが、あいつは俺の手を掴んで一生懸命に言葉を紡いで教えてくれた。
「フータローは過去なんかじゃない、思い出でもずっと私の中で助けてくれた
だから…終わって、ないんだ
あの時からずっと、続いているよ!」
三玖自身どこまで本気なのかは分からないらしい。その答えはまだ得られていない。
宙ぶらりな、腫れ物に触れないよう言葉を慎む関係が続いている。その関係、距離感に三玖自身戸惑っている。
微妙な関係と言っていい。華やかさも艶もない、他人同士がお互いの距離感に気を配るだけの淡白なものだ。
手を繋ぐことも憚られる。あいつと接する時はやたら気を遣う、そんな日々を送っている。
五つ子と再会して数ヶ月経ち、姉を見習ってアルバイトを始めた三玖との話だ。
「三玖、その手どうしたんだ」
「え!? な、何でもない…よ…」
「何でもないのなら、なぜ隠した」
相も変わらず五つ子の家に招かれたある日。リビングにて穏やかに過ごしていた時に、彼女の手の違和感に気づいた。
珍しく勉強に参加せず、それでいて俺の視線から身を隠すように逃げる三玖の手が端から見て赤く腫れていた。
恥ずかしがり屋に逃げ出されると埒が明かないので、手っ取り早く詰め寄って手を取る。当然本人は嫌がっていたがな。
「み、見ないで…!」
「おまえ、怪我したのか…? 火傷か?」
「…ッ」
「…違うよ、フータロー君
三玖の手、バイトでお皿洗いしてる時に洗剤で荒れちゃったんだって」
「業務用のって洗剤強いのよね…手袋しても水が入ってきちゃうもの、同情するわ」
掴んだ三玖の手の甲には、ぼつぼつと出来物が付いてしまっていて赤く腫れていた。
俺の指摘に三玖は黙りこくったまま。少なからずショックを受けている三玖に姉二人がフォローに入ってきた。
「平気だから…いい加減手を離してほしい」
「す、すまん」
三玖はすぐに手を払い、その荒れた両手を胸の前で包み隠した。半ば泣きそうな顔をしている。
こいつは飲食店のキッチンでアルバイトを始めたらしい。が、一花から本人の愚痴を聞くと…慣れる気がしないとのことだった。
「しかしだいぶ荒れていたな…痛むだろ
薬はちゃんと塗ったか? 酷いのなら皮膚科一緒に行ってやるぞ」
「…」
「…」
「…大丈夫だから…放っておいて」
「あ、ああ…じゃあ…お大事にな」
余計なお世話だったか。三玖は顔を強張らせて、俺と視線を合わせずに自室へ戻っていった。
「こんな醜い手、見られたくなかった…」
「…」
背後からの小さな声は掠れていた。振り向けばその姿は見えず、バタンとドアが閉じられていた。
デリカシーが無いとよく言われてきた身。今日もやってしまったかと後悔させられる。
不意にちょんちょんと肩をつつかれた。そしてもう片側の脇腹にぐいっと肘を当てられた。
「フータロー君、お願いね?」
「上杉、ちゃんと見てやんなさい」
「…」
にこやかに両手を合わせる一花と、腕を組んでジト目で睨んでくる二乃。姉は妹が心配な様でお節介を妬けと脅迫している…
言われるまでもなく、当然あのまま放置できるわけがない。手早く薬局で軟膏を買い、三玖の部屋のドアをノックした。
応答はなし。歓迎はされないだろうが、ドアを開いて中を窺った。明かりが付いてなく、こちらからスイッチを押した。
「薬、買ってきたぞ」
「…フータロー…ごめんなさい」
「気にするな、これも監護者の勤めだ」
「ち、違う…そっちだけじゃ、なくて…さっきの」
「ああ」
「…」
「手、貸せ」
「え?」
ベッドにうつ伏せになっていた三玖はすぐさま起き上がり、お互いにベッドに座った。
乗り気じゃない三玖の手を取り、軟膏を肌に塗ってやった。指の一本一本、指の間も。
「~っ!」
「手より顔が赤いぞ」
「だ、誰のせいっ!?」
「はは」
見られたくないと隠し通したかったのに、直に触られてしまっては羞恥がより増すようだ。
恥ずかしがってはいても手を引くような真似はせず。三玖は視線を下げたまま、俺の手を見つめている。
触れればわかる。綺麗だった女の子の肌がでこぼこに荒れてしまっている。見るだけでも痛々しい。
汚らしい物を見られていると思い込んでいるのか、三玖は始終俯いていた。
「大変だっただろ」
「え?」
「バイト
こんなになるまで」
「…ただ洗い物してただけ、まだ新人のお仕事」
「そうだな、まだまだこれからだ」
ただの皿洗いで悩まされる自分が不甲斐ない、周りを巻き込んで申し訳ない。そう思っているのか。
薬を塗り終えて、三玖の手を両手で包む。三玖はびくりと肩を大きく揺らして硬直していた。
ここまで荒れていたら相当痛むだろうな。風呂でも、ペンを握る時でも。何かに触れる為に、指は大切なものだ。
「醜くねえよ、頑張った証拠じゃないか
我慢した分、自分を褒めろ」
「…」
「…って、女子には褒め言葉にならねーか
俺も昔は仕事でよく手が荒れていたが…肌が慣れたのか、自然と荒れなくなった
おまえもそうなるといいな」
「う、うん
二乃も言ってた…まだ未熟者だけど…頑張ってみる予定」
「…まあ、程々に頑張れよ」
手を離し、用は済んだので女子高生の部屋からさっさとお暇することにする。
立ち上がると、袖を掴まれた。さっきまで隠し通そうとしていた指先で。
三玖は自室にいながら居た堪れない顔をして…俯き、顔を上げて…掠れた声を絞り出して…
何度か繰り返し、三玖はゆっくりと告げた。
「また…してほしい」
「薬か?」
「…」
「見られたくなかったんじゃないのか?」
「…恥ずかしいけど、嫌だけど
…
……さ、触られるのは…嫌いじゃない…」
「…」
「な、何でもない…自分で塗る」
「いいや…わかった、たまにはな
だが毎日塗れよ」
恥ずかしがり屋でも、はぐらかすのが苦手な性格なのか…物怖じせず本音を打ち明ける三玖が少しおかしかった。
薬を塗ってもらい、触れられることは嫌いではないらしい。変わった奴だと思う。
その後、手の荒れ具合は改善されたらしい。
良かったな、と俺も胸を撫で下ろしたが…三玖の表情は複雑そうだった。
その顔を見て俺は首を傾げ、一花は笑い、二乃は呆れていた。
口実がないと他人に頼み事などできない。特に、内気な性格にはとてもハードルが高い。
手を握るだけで赤面し狼狽する子には、あのくらいが調度良かったってことか。
控えめな好意がくすぐったい。だからついからかいたくもなるし、守りたいとも思う。
だが、時にはその気持ちに悩まされる日もある。
五つ子が高校2年生となり…休み時間に三玖が保健室に運び込まれた時の話だ。
「ごめんね三玖! ほんとにごめん!」
「大丈夫だから気にしないで、四葉」
「部外者の俺には何も聞かされていないんだが…体育の時間に何があったんだ」
「バスケがあったのですが…四葉のキラーパスを三玖が顔面で受け止めました」
「おまえ、姉に恨みでもあるのか
それともドッジボールと間違えたか?」
「ないですよぉ! ちゃんと声かけてからボール投げたんです!」
「事前に声をかけられても、四葉のパスはたまに無茶が過ぎることがあります
三玖に限らず、私も取れないことありますし…」
「それ五月が動かないからじゃん!
お腹空いたからって動きが鈍くなるのやめようよ!?」
「上杉先生、中野さん、保健室ではお静かに
怪我人の前ですよ」
怪我人よりも加害者が半べそかいている現場を保険医に窘められ、四葉と五月と並んで頭を下げる。
授業を終えた休み時間中に三玖が倒れたと体育の教師に知らされ、保健室に飛んできたのがつい先程。
三玖は頭に包帯を巻き、鼻の頭に絆創膏を張っていた。顔面にボールが直撃し、後頭部を打ったと保険医から説明を受けた。
付き添いは妹の四葉と五月。怪力を持つ犯人と生真面目な末っ子が三玖を労わろうと世話を妬いていた。
三玖は痛々しい姿を見られていることを気にして、俺とは視線を合わせようとしなかった。
「三玖、今回は四葉の不注意もありますが…貴方にも落ち度があります
考え事が多いのか知りませんが…最近ぼーっとしていることが多く見られますよ」
「そ、それは…」
「最近?」
「最近と言いましても…そうですね、時期的に…
上杉く…ごほんっ
進級して、先生が赴任されてからでしょうか」
「なぜ俺に原因があるような言い方…」
「事実ですし」
「俺以外にも大勢来ただろ、教師は」
堅物な五月とて既に三玖の事情は知っているだろうに、隠す気のないお咎めに俺も三玖も渋い顔をしていた。
ただ一人…いや、四葉と保険医は困ったような顔をしていた。
「上杉先生、ちょっと…」と保険医に手招きされて廊下に出る。もうこの時点で察してしまった。
「上杉先生、2年生の間で噂になっていますよ
中野さん…三玖さんが教師である貴方に好意を持っているのではないかと」
「…」
「くれぐれも軽率な行動は謹んでください、守れるものを守れなくなってしまいますから」
「はい、お気遣い痛み入ります」
耳が痛い釘を心臓まで刺されたところで保健室に戻る。俺の保護下にある三人は神妙な顔をして待っていた。
四葉と五月は授業があるので早々に部屋を出ていき、保険医は持ち場を離れるついでに俺が授業に遅れることを知らせに行ってくれた。
三玖と二人きりになったところで腕を組んで考える。困った。ああ、困った。
普段は顔を俯かせて他人を寄せ付けない三玖が、ある事が絡むとそのポーカーフェイスが剥がれるらしい。
昼食を一緒に取ったり、放課後は一緒に帰ったり、休日に一緒に過ごしているなり、目撃情報から姉妹全員含め、三玖が標的にされている。
「…おまえの態度にも問題はあるが…俺にも原因がないわけじゃないな
俺がもう少し愛想良くすればいいか?」
「愛想って…私たちに対して贔屓してるって噂?
でも、フータローが私たち以外の子と親しくなって…噂は消えるのかな」
「結果はわからないが改める必要はあるだろう
…言っておくが贔屓にしているつもりはないぞ
態度が冷たいってのはいつものことだったんだ
以前の学校では鬼教師と呼ばれていたからな」
「鬼教師…お母さんも言われてたっぽい
でも駄目…困る」
「何で…おまえがからかわれるよりはマシだろ
高校生活、つまらなくなるぞ」
「…それでも、困るから…」
噂の中には俺が身内である五つ子を可愛がるあまり、贔屓目に見ているというものがあった。ぶっちゃけると、付き合っているんじゃないかって話。
五つ子が去年の夏に親を亡くしたことも知っているだろう。風評被害のようなものは今のところ聞いていないが…それもいつかは変わってしまうだろう。
俺の勤務態度を改めれば噂は止められると思ったのだが…三玖は頷きはしなかった。
身内贔屓は控える方針だ。三玖には安静にするようベッドに寝てもらい、帰りは姉妹の内誰か付き添う様頼むことにする。
身内を可愛がるのは致し方ないことだろう。俺が管理できていないだけであって、五つ子が悪いわけではなく。
仕事に追われ、昇降口に付き靴を取り出した頃にはもう日は落ちて、夜の20時を過ぎていた。
「フータロー、お疲れ様」
「三玖…? こんな時間まで何をしていたんだ」
「…もやもやするから…話がしたくて
待ってた、一緒に帰ろ?」
「…
あの話の後で、か」
「うん」
「…転勤したのは早計だったか」
「そんなこと、言わないでほしい」
玄関口で三玖は薄暗い夜空の下でただ待っていた。帰る時間も分からない教師を待ち続けていたのか。
包帯と絆創膏は取れたようで、昼に受けた四葉からの顔面直撃の被害は見当たらない。
いつもは主張が控えめな三玖にとっては大胆な行動だ。俺が靴を履き替えて外に出ると、一歩後ろに並んでついてきた。
「フータローがここに来てくれたの、嬉しかったから」
「…そうか」
「…でも、あれから想像していたものと違うことばかり」
「ん?」
「噂なんて気にしてないんだよ…でも
嫌なのは…フータローが親しげに他の女生徒に教えてるのを見る時」
ぽつぽつと語る三玖の表情は、後ろにいられては見えやしない。だが声は耳に響く程澄んでいた。
以前、三玖は言っていた。
腫れ物を見るような目、傷つけられることは慣れていると。
胸の内を語る言葉に偽りはないだろう。だから、一つ気になった。
「それはあの時の問いの答えと捉えていいのか?」
「え!?
ち、違う…!
ま、まだ…わからない」
「…」
「でも、これは同じ
フータローが…誰かと結婚して、結婚式に呼ばれちゃって…私は祝福しなくちゃって
そんな将来を考えた時の不安と同じものが…最近胸にいっぱいくる」
「三玖、考えすぎだろ」
「うん…考えすぎ、意識過剰
だから…フータローに迷惑かけるくらいなら…捨てたいっ
でも…わからない、そんな方法
ごめんなさい、フータロー」
己の気持ちすらコントロールできない不甲斐なさと、その結果巻き込んでしまったことに対しての後悔と懺悔の言葉だった。
振り向きはしなかった。足音は後ろから聞こえる。三玖は悩みながらも足を止めていない。
今更停滞することはより一層迷惑を被るから。自覚はしていても…もう本人の手に負えないものに変貌しているようだ。
…似ているな。俺も昔は、あの人を好きになりたくない、不要なものだと切り捨てたがっていた。
だが実際、できなかったがな。だから本音で語ろうとはせず、中途半端なまま別れた。
…
それなのに、俺が悩んでいるってのに。
あの人は俺の手を掴んできやがったな。恥ずかしがっているのわかってたくせに。
「あー くそ」
「ふ、フータロー?」
「三玖」
「な、なに…?」
「なら叶えてやる
おまえが想像していたこと、期待していたことを一つずつ」
「…」
「おまえより十も歳が上で、おまえの教師だぜ
頼ってみろ」
足音が止まった。
振り向けば三玖は俯いていた。
が、自然と悪い気はしなかった。
三玖の唇から吐息が漏れる。時間はかかるだろうが…きっと教えてくれる。
「一緒に、帰るの…放課後」
「ああ…じゃあ、一緒に帰るか
家まで送ってやる」
「あ、歩いて…」
「…」
「ふ、二人並んで
教師と生徒とか関係なく、お友達みたいに
お話もして…お店に寄ったり、公園を散歩したり…それで
………え?」
期待を込めて続け様に願いを込める三玖は理解したようだ。せっかく素直になってくれて嬉しいのだが…
俺たちが向かった先、学校の駐車場には教師の車などが並んでいる。
三玖が気づいたその視線の先には…俺のバイクがある。
俺の通勤手段である。女子高生はバイクは好まないようです。
「…」
「…あー その…三玖?
すまん、歩いて帰るのは…明日でいいか?」
「…」
「明日は早めに仕事終わらせる!
つーかバイクもいいもんだぞ? 二乃は気に入っているようだし
こっちで行こうぜ」
「二乃と私の好み真逆」
「それは知っているが…」
赤裸々に頼み込んだ結果、不便だと言って断ればそりゃあ不機嫌にもなる。
三玖は覇気を失った目で俺のバイクを諦観している。乙女は漫画にあるようなワンシーンを期待していたようだ。
「くっ…なら…わかった
いいだろう、お望み通りゆっくり歩いて一緒に帰ろうじゃねえか
この際店だろうが公園だろうが全部連れていってやる」
「…」
「…それなら…いいか?」
「…
ふふっ」
「…」
ぷぷぷ、となぜか吹き出して笑われた。
両手で目元を隠す三玖の表情は、薄暗いこともあって見えなかった。
「ほんと、違うことばっかり」
「…」
「仕方ない…じゃあ、今日は乗せてもらおうかな
でも明日は歩いて帰ろうね」
「…朝が辛い…」
「帰る時は退屈させないから」
「…とっとと帰るか
ほら、ヘルメット」
「うん…っ」
一転、気が強いのか弱いのか…よくわからない奴だ。
願いが叶うのなら、近づけるのなら、手が届くのなら真っ直ぐに向かってくる。
それは弱さだ。手を伸ばしても届かなかった痛みから覚えた、保守的な、卑屈な考えから生まれた手段だ。
しかし…影の中で笑う三玖の姿は、ほんの少し懐かしさがあった。
名を呼ばれ、俺の手を掴んで見上げてくる子。我侭で生意気が過ぎる子だったな。
手に掴んだものを胸いっぱいに抱きしめて笑ってくれる子だった。
その笑顔が好きで、柄にもなく求めていた。求めてしまう。
誰だって叶うのなら真っ直ぐに求めてしまうだろう。あの時の満ち足りた喜びをもう一度、と。
「しっかり捕まってろよ」
「う、うん…」
その日の帰り道。暗い夜道を照らすライトとやや耳につくエンジン音の中で、背中から抱きつく三玖といっぱい話した。
違っていたはずなのに三玖は…「叶った…」と俺の背に頭を寄せて答えてくれた。
小さな約束に、はにかむ三玖の顔が拝めなかったのが…少しもったいなかった。
貧乏人にとって娯楽ほど贅沢で無駄なものはなかった…そんな高校時代を俺は過ごしてきた。
社会人になり仮にも保護者の立場に立つと、その枷は甲斐性のなさに指を差されているような…そんな後ろめたさを抱くようになってきた。
五つ子が高校2年に進級し、徐々に夏の暑さが見え始める6月の頃。
一学期の中間テストを終えて、部活動や委員会活動が再開される放課後に、俺は五つ子を職員室に呼び出した。
テスト期間を終えた後はテストの採点や、滞っていた授業の為にプリントを作ったり等仕事が増える。俺の仕事机の上にもテスト用紙の束が積まれている。
そのような多忙故に、しばらくは学校以外で五つ子と顔を合わせるのが難しくなる。
こっちは仕事に必死であるのだが…言い訳でしかない。少なくとも昔から親父は二の句など言わなかった…潔さは誠実さと思い遣るを誇張してくれるはずだ。
思い遣りや気持ちは、形にしなければならない。贈り物なり、態度や言動でそれを表現する。
人の目が付く職員室であるが、この際開き直って直接渡すことにした。手に持つ数枚の紙を。
青春を謳歌する女子高生相手には野暮だとしても、少しは年上らしいことがしたいのである。
「遊園地のチケット…ですか?」
「それも6枚も
わお、フータロー君太っ腹」
「へー テスト明けに遊びに行こうってことかしら
案外気が利くじゃない」
「まさか上杉さんがこのようなサプライズを…
ししし、上杉さんにはいつもお世話になりっぱなしですね」
「気にするな、ただの貰い物だ」
「貰い物…? お友達から貰ったの?」
世にも珍しい五つ子に見せたのは遊園地のフリーパス。それが六枚。
手で摘まんだものを披露すると五つ子の反応は良さげだった。
今回の中間テスト、五つ子はアルバイトや部活等に励みながらも日々の積み重ねを欠かさなかった。
その努力が報われ、現状俺の科目に限るがテストの点数もだいぶ上がっていた。
テスト明けで本人たちの気もだいぶ晴れやかなものになっているだろう。気分転換に週末の予定を考えているのなら利用してほしかった。
遊園地にでも遊んで来いと褒美を渡すと、三玖からは疑問の声が上がった。
らしくない振る舞いだと五つ子の目が批難の物に変わりつつある。俺から誘うことは極めて皆無だったからな…これまで。
…説明してやろうじゃねえか。教師の俺とて誰かに愚痴ぐらい言いたくなる。
「こいつは先週、結婚式に参席した時の催しの景品だ」
「け…結婚式…ッ!?」
出だし早々、説明する俺へと向けていた五つ子の視線が横に流れる。
急に奇声を上げた三玖に。驚き狼狽えるその表情から察してしまう候補は少なくない。
「…あの…三玖、そこまで驚きますか?
上杉くんも良いお歳です、ご友人の結婚式など珍しくないでしょう」
「いつの間に結婚式なんて行ってたのよあんた…
にしたって一つの景品にチケット6枚なんて、豪勢なパーティーね
いいなー 私も行ってみたいなー」
「…2枚セットだ」
「?
あれ? でもこれ6枚あるじゃん
あ、フータロー君が私たちの為に追加で買ってきたとか?」
「2枚1組のチケットを、3回当ててきた」
勝手に仕掛けて暴発した三玖は放置しておき、姉二人は俺に質問を投げかける。
俺の回答の意外さに五つ子が驚きつつ、勘ぐるような目で俺とチケットを交互に見やる。
結婚式の催しで開かれたビンゴゲーム。先にビンゴした者から景品のくじを引けるイベントに会場は盛り上がった。
幸せのお裾分けだとかで、温泉や遊園地などの独り身には利用しづらくお節介極まりないチケットが並んでいた。
その中で俺は3回連続同じ物を当ててきました。奇妙なことが起きるものだな…
このチケット、数日経っても忌々しさが残る。
教え子の結婚式だから素直に祝ってやろうと思っていたのに、卒業しても違わず生意気な奴らだ。
要領を得られず不思議がる五つ子に説明してやる…視界の隅にいる三玖の顔がさっきから渋いものになっているが見なかったことにする。
「1セット目は
好きな人を誘ってください、結婚式は呼んでくださいね、と激励を受けて頂戴した」
「す、好きな人…結婚式…」
「あんた、もう耳塞いでたら?」
「うんうん、カップル向けだよね、こういうのって
上杉さんも取っておけばいいのに」
「…耳触りの良い話は最初の1回目だけだった
同じものを2度も当てた時は…
デートが楽しめたら二回目もありだ、二回目は帰りにホテルに誘う用だ…と煽られた」
「…」
「三玖、しっかり!」
「露骨過ぎるわ!」
隠すのが下手な奴。何を想像しているのか、放心している三女の肩を姉二人が揺すって起こしている。
デートでホテルと聞けばラブホテルと連想するだろう。そこで何をするのか想像した女子高生の反応は様々だった。
少し言葉を選んだ方が良さそうだ。というか軽くセクハラだったか? 過大表現ではなく、どの発言で訴えられるのか教師は常に危険と隣り合わせだ。
先週は俺が性格に難ありの堅物だと知っている生徒たちが、俺にもやっと婚期が来るのかとはやし立てていた。非常に失礼である。
しかしあの目は、この人2回分も消化し切れるのか?という哀れみと。
これ以上は無理だろ、という危険を察したものだった。その点は賢いと思う、不服ながら。
結婚式だというのに重苦しい空気の中、ガラガラと景品の玉を転がしたことを鮮明に記憶している。もう途中から帰りたかった。
もうやめてあげてください。そんな新郎新婦の祈りの下で、俺は引き当ててしまった。
「…
で、その…肝心の3回目はどうだったの?」
「あぁ…その時は
先生、2人までは振られても安心ですね! って
式場のど真ん中で、もはや振られる前提で貰ってきた」
「な、な、なんてことを言ってくれるんですかぁ!?
上杉君はお母さんの為に…!」
「フ、フータロー君…あまりにも惨い」
「パートナーと幸せになれる人もいれば、上手くいかない人もいるものね…」
「大丈夫ですよ上杉さん! いざという時は私が3回でも十回でもお供しますからね!」
「わ、私も…暇なら行ける…」
事の経緯を暴露すると五人から可哀想なものを見るような目を向けられた。一人は本気で怒っているようで宥めなければならなかった。
いくら楽しめたとしても遊園地を3回もデートスポットにするのはくどいだけだ。実用性は薄い景品に俺の教え子は同情していた。
年下にプライドをおちょくられ、虚しい結婚式の会場から6枚のチケットを頂いて帰宅したのだ…会場は始終賑やかだったがな…
後に電話で主催者二人が謝ってきたのだ。…新婦からご両親へのメッセージを告げて、涙ぐましい時間の後だったんだ。ご家族が笑っていたのは良かったんじゃないか。
かつての教え子たちの成人した姿も見れたしな。後悔のない一日だった…腹は立つがな!
愚痴はここまでにして、肝心のチケットを五つ子に向ける。
「俺が持っていても3人も誘う相手いねーし、3回も行きたくない」
「でしょうね、散々な目にあったみたいだし」
「でもいいのかな…上杉さんのだし
その…あれですよね? まったく使い道がないわけじゃ」
「うん…フータローが取ってきたんだから…
嬉しいけど、フータローが使うべきだよ、もったいない」
「おまえたちが使い切ってくれると俺にとって都合が良い
俺がいつまでも持ってると面倒だからな」
「どうしてですか? 期限まだまだ先ですよね?」
四葉の言う通り、チケットの有効期限は来年まで有効である。急ぎ使う必要はないだろう。
だが、それなら他人の目がある今日この場で手渡しはしない。身内贔屓しているとあらぬ噂が立つ。
手放そうと、俺が急かしている理由は別にある。
ふと、俺の携帯が震える。確認するとメールを受信していた。
相手は…俺の教え子。あの結婚式場にいた女である。
「…女ね」
「女の人ですね」
「…」
二乃と五月が俺の背後に回って画面を盗み見していやがった。
いぶかしむ目と肩にかかる二人の長髪を振り払う。喧しくなる前に俺から話してしまおう。
「相手がいないのなら一緒に行ってやるって、タダで遊ぼうと集ってくる奴がいるから面倒
だからとっとと使ってく――」
「わかった、今度の土日に行く
フータローは躊躇いなく断っていい」
「あんたのさっきまでの躊躇いはどこに行ったのよっ!?
行けばいいじゃん、誘ってくれてるんだからデート楽しんできなさいよ
あんたを誘ってくれる貴重な人じゃない」
「―」
「ひっ!?」
二乃のありがた迷惑なお気遣いは三玖の睨みで早々に黙らされた。
見知らぬ他人の手に渡るのなら自分で使い切ると言い張る三玖の押しは異様に強く、姉妹は呆れて宥めていた。
「二乃、二乃
それ以上は私、三玖に何されても助けてあげられないよ」
「ひ、必死すぎるわこの子…絶対噂されるから自重しなさいよ」
「そ、そういうのじゃない…
フータローには…もっと良い人いるから
焦ってデートなんてする必要ない」
「三玖、会ってすらないのにどこを見て評価したの」
「なんかチャラそう、ギャルはフータローには合わない」
「メール一つで!?」
「四葉、今は口を閉ざすのが賢明ですよ」
三玖に両手で手を握られて、処分に困っていたチケットを受け取ってもらった。熱意が凄くて姉妹が困惑しているけどな。
普段ドライでクールな三玖が、とある教師相手には一変することから…禁断の恋をしているのでは。そんな噂が立っている。
二乃が危惧しているように少しは隠したほうが絶対に良いのだが…本人曰く、できないらしい。女子高生の悩みは海のように青く深いもののようだ。
それに、たまに押しが強くなるんだよな。分かりづらい奴だと常々思う…チケットを使ってもらえるだけ文句はないが。
姉妹がまだ茶化して、家族愛だと偽造できる内はまだいい。困った三女からペースを奪うとする。
「あまりこういった娯楽で遊べなかっただろ
楽しんできなさい」
俺の言葉に姦しかった五人はどこか気恥ずかしそうにしていた。世話を妬くとしおらしくなる子たちだった。
偶然の産物であり、ただの貰い物に過ぎないが。勉強尽くしで俺の小言が絶えない毎日だったんだ、息抜きに使って欲しい。
それに加えて、この五人には一つ頼みたいことがあった。
年上らしいことをしてやりたい相手はもう一人いる。
「六人まで行けるのなら…フータローも一緒に行こうよ」
「いや、もし六人目に当てがいないのなら…らいはを誘ってやってくれないか?」
「らいはお姉ちゃん、ですか?」
俺の妹であり、こいつらの姉貴分…亡き母親に代わり、同じ女性としての良き相談相手でもあるらいはを誘ってほしい。
たまに五つ子の家で寝泊りをしているとも聞く、仲は良好であり、五つ子から拒否の声はなかった。
しかし、意外だと思われているのか。腑に落ちないといった様子だった。
こいつらの前で妹の世話を妬くことはなかったからな。
五つ子にとって年上で保護者のような立場にある俺たちの兄妹としての関係は不明瞭だったかもしれない。
頼りになる姉代わりだ。世話してもらっている身では、逆にらいはが世話を焼かれている姿は想像できないか。
らいははもう自立しているし、兄らしいことは殆どしてやれていない。もう成人してしまってはその機会も減っていく。
今度はこっちが逆に気恥ずかしい思いをさせられる。
だが、頼み事をするのなら、向かい合わなければ。
「うちはおまえらに似て貧乏だったんだ
あいつもそう行けてないだろうからな
差し支えなければ、らいはにも良い思い出を作ってあげてほしい」
「…やっぱお兄さんなんだね、フータロー君」
「そういうこと…
なら…らいはお姉ちゃん誘いましょ
みんなもそれでいいわね」
妹の世話を妬く姉二人が先立って賛同してくれた。続いて残る三人も頷いてくれた。
教師であり兄貴分である身でありながら、生徒に頼ってしまう己が不甲斐ない。ただ頭が下がる思いだった。
歳を重ねると、身内ともそう会えなくなる。出来るうちに感謝の気持ちを向けるべきだったと後悔もあったんだ。
それを汲んでくれる子供たちには感謝しかなかった。
「悪いな」
「あんたが謝ることじゃないわよ
私たちだって遊べるのなら、らいはお姉ちゃんと行きたいし
お願いされてやるもんじゃないわ」
「そ、そうか…」
「そうよ、そんな他人行儀な関係じゃないでしょうが」
「…なら…その、ありがとな」
「…」
つい人の顔を窺うような態度を取っていたようだ。見くびるなと二乃に睨まれた。
過保護過ぎただろうか、らいはもこの五人が相手なら喜んで一緒するはずだ。
求められる言葉が違うのなら、正直に礼の言葉を述べた。
だというのに、なんとも生温い空気になっていて戸惑った。
「…何だよ」
返事はなく。五人にじっと見つめられていた。
驚きの目から…目を細めて、ふっと笑っていた。
…やはり、俺にはデートなどお似合いではないようだ。
こんな年下の生暖かい視線だけで、無性に恥ずかしく、つい目を逸らしてしまったのだから。