五等分の園児   作:まんまる小生

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五等分の教え子 合戦デート

 中野三玖が俺の家を訪れることは珍しかった。

 

 他の姉妹が単独で上がり込んでくることはあっても、三玖は一番回数が少なく必ず家族が同伴していた。

 

 不信感を持たれているというわけではなく、元より男の家を訪ねて無防備を曝け出す四人を注意したい。

 

 流行の服をプレゼントしに来たとか、おかずのお裾分けだとか、朝からジョギングだとか、勉強の教えを請いに来たはずが飯を貪ってたり。

 

 独身男性の貴重なプライベート空間が厚かましい五つ子のマイホームと化してる。その点、三玖は至って正常な思考をしていると見れる。 

 

 他人の家で肩身を狭くして、三玖は部屋の中をきょろきょろと見渡している。姉からその落ち着きのなさを窘められていた。

 

 お家デートとは言ったが、果たしてどこまで本気なのやら。俺も柄にもなく気を張っていたら、付随してきた姉二人に肩透かしをくらった。

 

 来てしまったのなら致し方ない。一花と二乃込みでデートを続行するしかなかった。

 

 俺から誘った今回のデート。きっちりもてなすつもりであった今日、さっそく問題が発生した。

 

 

 

「マグカップ足りねえ…」

 

「コップはあるんでしょフータロー、私はお水でもいいよ」

 

「今日の主役を招いておいて水道水を振舞えと?

 やるならそこの無粋な二人だろ」

 

「…フータローってミニマリスト?」

 

「倹約家なだけだ」

 

 

 

 近いうちに諸々の食器を含めて買い揃えるか。住まいが五つ子の家と近くなったことでこういった機会は増えるだろう。最低でも五人分は必要かもしれない。

 

 本日の来客は3人。しがない独り身の社会人には3人の来客は珍しく、温かいコーヒーを提供するのに支障が出ている。

 

 実家は極貧生活を強いられた貧乏な家庭だった。身内を招けば金のかからん水か麦茶を出している。贅沢は求めない貧乏人の性だ。

 

 しかし五つ子相手には質素なものは見せつけられず、お陰でマグカップが不足してしまっていた。

 

 無邪気な子供のように、首を長くしてこちらを覗き見る三玖に呆れられた。続いて空気を読まない二人からも声が上がる。 

 

 

 

「せんせー、フラペチーノを一つお願いしまーす」

 

「私は水でもいいけど水道水はNGで」

 

「…もうこの際、全員抹茶ソーダでいいか」

 

「あ、あるんだ? 抹茶ソーダ…」

 

「おまえ好きだろ? 買っておいたぞ」

 

「フータロー…私の好きなもの用意してくれてたんだ

 …今日来て良かったかも…」

 

「安すぎるよ三玖ー!」

 

「水道水のほうがマシだわ…」

 

 

 

 両手で緩む口元を隠す三玖が愛らしいぜ。水でもいい、なんて気配りのできる子だろうか。

 

 しかし安い女に成り下がるなと一花が説得を持ちかけている。おまえの面倒臭さを移すんじゃない。

 

 せっかく三玖が遊びに来たんだ。好んで飲んでいる抹茶ソーダは買ってあるから出してやろうと考えたが、おまけ二人は相当嫌がっているようで断念した。

 

 難儀して手が止まった俺の様子を見かねて、三玖がキッチンに寄ってきた。

 

 

 

「どうした、適当に済ませるから待っててくれ」

 

「…気になってたことがある」

 

「?」

 

 

 

 見つめる先は棚。至って平凡な家具に何の用があるのやら。三玖はじっと睨めっこしていた。

 

 視線を辿って気づく。そこには一つのマグカップ。まだ棚の中に納まっているそれを注視している。

 

 俺が触れないでいたそれは…全体的に赤い色の、黄色い星が刻まれていた。

 

 一つマグカップが余っているというのに使わなかった…その理由は伏せておきたかった。

 

 三玖は棚の戸を開けて物を手に取る。その目がより険しくなった。

 

 当然、その矛先は俺へスライドしていく。

 

 

 

「…これ、誰のかな?

 フータローもらいはお姉ちゃんもこんな奇抜なデザインの使わないと思う」

 

「…」

 

「私、見覚えがあるんだ…

 いつの間にか家で見かけなくなったなーって引っかかってた」

 

「お察しの通り、五月のだ」

 

「…へぇ 仲いいよね、二人共

 というか…忘れ物とかじゃなくて私物を常備しておくって、カレカノのすることじゃん」

 

「…」

 

「…私よりよっぽど危ない橋渡ってると思うんだけど」

 

「泊まるだけで他には一切何もありません」

 

「泊まった時点でアウトでしょ」

 

 

 

 視線がきっつい。叩き割りそうな程に手に力が篭もっている三玖から証拠品を押収する。

 

 自分は学校で噂が立っているというのに、妹は無償でスリリングな遊びに耽っていると知れば理不尽に思うだろう。流石に三女も不機嫌になる。

 

 あいつが俺の家に寝泊りしていた時期は去年の話。実母が亡くなって数ヶ月後の、高校1年の二学期の頃だ。

 

 五月にも事情があったんだ。口止めされているので、今はただ三玖の冷めた視線を受け流すことしかできなかった。

 

 隠し通す理由もなくなったことだ。赤いマグカップを借りてコーヒーを用意すると三玖が顰め面をしていた。お次は何だ。

 

 

 

「あの、私…コーヒーは飲めない」

 

「なら抹茶ソーダ飲むか?」

 

「もしかして煎茶はない…?」

 

「温かいお茶がいいか? パックのならあるぞ

 マグカップで緑茶ってのは雅さに欠けるな」

 

「湯飲みはないんだ?」

 

「マグカップしかないし急須もねえ」

 

「そっか…残念」

 

「こらこら、それは良くないなーフータロー君 デートに誘ったくせに

 三玖が渋い趣味してること知ってたでしょー?」

 

「やっぱ服は洒落込んでも中身で台無しよね、あんた」

 

「おまえらは黙って待っていられないのかッ」

 

 

 

 ご希望に沿えないことを知られて、お茶菓子を待ってるだけの姉二人から駄目出しが飛んできた。同じ貧困を体験しているくせに口うるさい。

 

 マグカップでも全く問題ないだろうに。何でもかんでも代用したい節約生活は女子高生には通じないようだな。

 

 二人してキッチンに顔を出して抗議してくると思いきや、背後に回りこんできて…俺と三玖の背を押しやがった。

 

 なぜか玄関のほうへ。こいつら家主を追い出す気だ。

 

 

 

「三玖だってこれからフータロー君のお家に遊びに来ることあるだろうし

 ちゃんともてなせるように用意してあげてほしいなー ね?」

 

「湯飲み一つでおおげさな…」

 

「分かってない、分かってないよフータロー君

 こういう一つ一つの気遣いが、相手にいてほしいという歓迎の気持ちを暗に教えてくれるんだよ」

 

「せっかく用意してもらうなら、あんたも一緒に選んできたら?

 上杉は使う習慣ないみたいだし」

 

「わ、私も?」

 

 

 

 お家デート終了のお知らせ。二人の思惑に三玖は顔を強張らせていた。

 

 

 

「そうそう、二人でいってらっしゃーい

 適当にやってるから、私たちのことは気にしないで」

 

「ほら、もたもたしてるとお昼になっちゃうわ、早く済ませてきなさい」

 

「お、おい!」

 

「わっ」

 

 

 

 笑顔満点でぐいぐいと押しやられ、携帯と財布だけ手にして追い出された。五つ子による連携の良さが心底憎たらしいぞ。

 

 三玖までも放り出され、もたれ込んできたその身を支える。抗議の声を上げる前に玄関のドアは閉じられ、鍵も締められた。

 

 俺と三玖はしばし施錠されたドアを虚しく眺めていた。少ししてから、三玖は俺に寄りかかっていることに恥じらいを持って離れた。

 

 

 

「…何かデジャブ」

 

「二度もやられるとは思わなかったぜ」

 

 

 

 去年の夏に、こいつと二乃が五月を連れ戻しに来た日にも似たような場面に遭遇した。

 

 あの時は三玖に抹茶の菓子を作れと助言を貰って閉め出されたんだった。なんというか…身内馬鹿の世話焼きは天井を突き抜けてやがる。

 

 湯飲みはただの辻褄合わせで、単に一緒に買い物してこいってことだろう。要望通りに動くしか我が家を取り戻すことは難しそうだ。

 

 俺の家は以前と変わらずマンションの一室。三玖を連れてエレベーターで下に下りて目当ての店へ向かうとする。

 

 ただ物を買いに行くだけでいいのなら容易い。仮に来訪の機会が増えるのなら、三玖が好みそうな茶器はあっておいて損はないだろう。

 

 しかし一方で…三玖の表情はこれに賛同するものではなさそうだった。

 

 

 

「…」

 

「…おい、三玖」

 

 

 

 歩道を歩いてしばしば。三玖が隣に来ることはなかった。

 

 三玖は俺の後ろからついてくるも…視線を泳がせて明後日のほうへ向いていた。目を合わせようとしない。

 

 つーか物陰を好んで通っているあたり不審者にしか見えん。何を恐れているのやら。

 

 

 

「…徐かなること林の如く、だったか

 今は風の如くが良い策だと思うぞ」

 

「…」

 

「気が進まないなら強制はしねえ

 家で待っていていいぜ」

 

「ち、違う…い、行くよ」

 

「…ならもうちょっと寄ったら?

 何だこの間、心の距離か? 言いたいことがあるなら素直に言ってくれ」

 

「…」

 

 

 

 俺と三玖の間には軽く四人分の間隔が開いている。五つ子が揃っていれば最後列にいる距離だ。

 

 三玖はこの外出に気乗りしないようで、固唾を呑んで…一歩一歩、恐る恐る踏みしめてこちらに寄ってきた。

 

 固すぎる! 肩も顔も強張ってるぞ! コミュ症で競えば天下が取れそうだぜ。お兄さんおまえが高校生生活を謳歌できるか心配です。

 

 家の中では小言も言ってたから大丈夫そうだったのにな。どういう心境の変化なのか…

 

 三玖は俺の隣まで辿り着いて足を止めた。…車道側から反対側。俺と塀に挟まれるように割り込んできた。

 

 

 

「見られたら…大変だから」

 

「あ?」

 

「私たち学校で噂されてるのに、お休みの日に…

 ふ、二人っきりでおでかけしてたら

 恋人…とか、勘違いされちゃうかもしれないでしょ」

 

「…」

 

「…一花と二乃に来て貰った意味がなくなっちゃった」

 

「その為に二人を呼んだのか」

 

 

 

 俺の影に隠れようと身を屈ませている三玖は他人の…同級生の目を恐れている。きつく唇を結んで誰にも見られないことを祈っている。

 

 心中の不安から姉二人に甘えたのではなかったらしい。部外者からの視線の盾代わりに一花と二乃を頼ったようだ。それに頷くあの二人が…容易に想像できる。

 

 止まっていた歩を再開する。三玖とは距離は近づいたが、心の距離は先よりも開いた気がする。

 

 

 

「フータロー…せっかくこっちに来てくれたのに

 教師を辞めさせられたら…私責任取れない…」

 

「おまえな…仮にそうなったとしても、おまえに非はないし

 教え子のおまえに問い詰めると思ってるのか?」

 

「…それだけじゃないから

 だって、フータローが先生をやっているのは

 お母さんを目指してくれた仕事だから…

 なのに、私が壊そうとしてる」

 

「…」

 

「…噂、私だけじゃないのに

 何で…上手くいかないんだろ」

 

 

 

 三玖は衣服を掴んでいた手を、慌てて目元へ沿えた。

 

 靴先で地面を擦る鈍い音を聞いて立ち止まった。

 

 一度だけ、鼻を啜って三玖は詰まっていた息を吐いた。

 

 

 

「三玖? おまえ泣いて――」

 

「…

 初めての、デートなのにさ…ッ」

 

 

 

 最後にごめんなさい、と。声が掠れて消えていった。

 

 三玖は目尻に滲んだ涙を指先で拭っていた。

 

 こうはならなかったはずだと、惨めさに苦しんでいる。この状況は今日一番、避けたかったことだったのかもしれない。

 

 思い返して察した。三玖が家デートを望んだ理由は…これしかないと知っていたからだろう。噂があるのだから、これ以上信憑性を高めるような愚行はできない。

 

 一抹の希望は姉二人の些細な提案で崩れた。家族からの好意を足蹴にできる子ではないんだ、三玖は。

 

 運が悪かっただけだ。自分は悪くない、そう一方的に恨むには培ってきた優しい性格が邪魔をする。家族愛故にできるわけがない。

 

 誰も悪くない、自分だけが悪い。そう思っているのなら報われない。この先も、恐らくは。

 

 

 

「…行くか」

 

「…うん…」

 

 

 

 無責任な言葉で慰めていいはずがない。実務的な言葉しか出なかった。

 

 此度のデート。三玖は楽しみ半分不安があった。

 

 それは両者が危険視すべき脅威であり、俺は浮かれ、三玖の思考は現実的だった。

 

 一度の贅沢で後の人生が破綻するかもしれない。臆病で賢明で、極貧生活を送っていた三玖が選ぶはずのない強行手段だったはずだ。

 

 家族を連れてでも成し遂げたい。そんな我侭と切実な気持ちで今日を迎えた。

 

 だがしかし、それには至らず。

 

 もしかしたらと選んだお気楽さを。結果実らなかった無力な結末を三玖は悔いている。

 

 思い出の子が俯いて暗い顔をしている。そんな悲しむ顔は見たくない。励ましたい。またあの時のように笑ってくれたら。

 

 そんな時、決まって昔は…手を繋いでいた。だがそれも高校生相手には――

 

 

 

「…上杉君」

 

「なんすか」

 

「…手を繋ぎませんか」

 

「…ぇ」

 

 

 

 …あの人も噂…されていなかったわけじゃねえくせに。よく手なんか掴んでこれたな、先生。

 

 やはり敵わない相手だ。俺にはできないことだ。

 

 年上として、保護者として、男として、俺は三玖を励ますべきだ。

 

 俺は言葉を選び、それをやめた。

 

 三玖は大きな勘違いをしている。

 

 俺がなりたかったものは。

 

 確かにあの人の背中に憧れてこの道を選んだ。天職とは間逆でも、この選択は間違ってはいなかったと自負している。

 

 それでも。

 

 いや、やはり。今はこれに尽きる。

 

 目の前で泣きそうなほどにウジウジしている奴が…笑ってくれたら。ただ、それだけでいいと本心は口にはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「迷う…」

 

「…拘りがあるのは良いことだが…一花と二乃が待ってるからな?

 手短に頼むぜ?」

 

「…こう言ったらなんだけど…女の子を急かすなんてデートにあるまじき行為」

 

「とは言っても時間がな」

 

「…戦場から逃げた百姓は基本打ち首、あの二人に情は不要」

 

「ここ戦場かよ」

 

 

 

 三玖との沈痛な徒歩の果て、ショッピングモールに辿り着き、適度な間隔を保って買い物に勤しんでいた。

 

 雑貨が陳列する店内を物色し、目当てのコーナーに行き着いて品を眺めていた…のだが。

 

 三玖の拘りはやたら強い。三度目の色が変わっていて几帳面な奴だと褒めてやりたくなる。

 

 護衛二人がいないお姫様は不安に押し潰されるかと思いきや、目当てが茶器ということで、買い物を楽しんでいるように見えた。俺抜きでソロ活動中である。

 

 うんうん唸りながら眼光を光らせて湯飲みを見比べている。どれも渋いチョイスで本人の好みの傾向が窺い知れる。

 

 俺は微笑ましく見守ることしかできん。六歩ほど離れた距離で。四人分空いた距離から。店員から不審者扱いされないか心配だ。

 

 

 

「…フータロー」

 

「ん?」

 

「これペアだって

 柄も良い…どうかな?」

 

「あ、ああ…って、ごっつくねえか?

 武田菱とは渋いな、流石歴女」

 

「…このざらざらな手触りが日本茶器って感じする…こういうの一個欲しかった」

 

「ああ…だがペアにしなくても単品で良くないか?」

 

「…これは…わ、私とフータローの分

 二つ買うならこっちがお得だよね?」

 

「あ? ああ…」

 

「…」

 

「…いや、俺はいらないぞ?

 金がもったいないし、一つでいいから」

 

「…」

 

 

 

 フータロー鈍すぎ、と三玖が頬を膨らませて無言で訴えているのが分かる。

 

 沈黙に沈黙で返すと、む~っ!と唸り始めた…そのふてぶてしさを他に活かそうぜ。

 

 三玖が手渡してきたのはペアセットの湯飲み。グラスでもマグカップでも…食器類には何でも二つ売りがよくある。

 

 それは夫婦なり親子なり、兄弟姉妹だったり恋人向けだったりする。馴染みのない響きが、十年前の懐かしき子供の横で直面している事が無性にこそばゆい。

 

 隣で一緒に歩くことすら憚っていた奴からペアセットを買わないか誘われている。お得なものを選ぶあたり、買い物上手だと褒めてやるだけで済むのなら良かったのにな。

 

 いらないと言い切っているのに三玖は食い下がってくる。何か言いたいことがあるようで聞くだけ聞いてみよう。

 

 

 

「こ、この前のチケット…遊園地の」

 

「ああ…そういえばあれもペアだったな…忌々しいぜ

 おまえらがいなかったら消費に一年かけていたかもしれん」

 

「僻まないで、そっちじゃなくて

 楽しめたお礼に…買――」

 

 

 

「風太郎」

 

 

 

 三玖の気弱な言葉に耳を傾けていると、ふいに背中に何かが触れてきた。

 

 こ、この声は…

 

 俺を名前で呼ぶ間柄の人間は限られている。

 

 向かいの三玖は俺の背後の存在に気づいた。

 

 その表情がみるみる険しく、警戒していた他人との接触に俯くのだろうと思いきや…俺の傍まで寄って袖を引いてきた。

 

 前と後ろからの容赦ない視線に刺され…渋々振り返る。

 

 目に付いたのは黒い髪。真っ直ぐに見つめ返す瞳。こちらの意に介さずマイペースに手を振って見せる女がいた。

 

 

 

「や、風太郎 奇遇だね」

 

「…竹林か」

 

 

 

 俺に声をかけてきたのは職場の同僚。同じ機に旭高校に転勤してきた同い年の女教師。

 

 こいつ曰く…幼馴染みの仲である、竹林だった。

 

 …どうしてこいつがここにいるの? 嫌な汗が背中に滲んで非常に気まずい。

 

 後ろめたいことは…なくはないが。つい身構えてしまった。どうもこいつは苦手だ。

 

 知られたくないことを知りすぎているんだ、こいつは。五つ子に言いふらさないか気が気じゃない相手だ。

 

 

 

「…おまえも買い物か」

 

「そうなんだよ、引越してすぐに仕事尽くめでしょ

 やっと落ち着いてきたから、足りない物を買い揃えてるところ」

 

「そうか、お互い大変だよなーお疲れさん

 じゃあまた今度な」

 

「風太郎も一人だよね? 一緒に回ろうよ

 荷物持ちしてくれたらご飯奢ってあげるから」

 

「いや、今は――」

 

「竹林先生、こんにちは」

 

 

 

 歓迎してませんという空気を竹林は平然とぶった切ってくる。だからこいつ苦手なんだよ!

 

 竹林の誘いは丁重に断ろうとする直後、背後から袖を引っ張られ体勢が傾く。

 

 俺が間に立っていたせいで竹林からは三玖を認知できなかったようだ。俺の横から間に割り込んだ三玖が竹林に会釈する。

 

 冷静を装っているが…三玖は切羽詰まっていた。

 

 手には汗が滲んでいて、警戒心と居心地の悪さに顔を顰めつつ、俺の傍から離れようとしなかった。

 

 同行者がいることに竹林が驚き、珍しく歯切れの悪い反応が見えた。

 

 

 

「あ…えっと…

 …」

 

「三女の三玖だ」

 

「ご、ごめんなさい三玖さん 名前覚えきれてなくて」

 

「構いません…よくあることだから…五つ子ですし」

 

「風太郎もごめん、ありがとね」

 

「ああ…本人もこう言っているんだ、気にするな

 今のところ誰も覚え切れてないらしいな…」

 

「…フータローはちゃんと分かってくれるから、別にいい」

 

 

 

 まだ勤めて二ヶ月余り。竹林含め教師たちは五つ子の顔と名前の判別に困難を極めているらしい。一年間授業を教えていた教師が新任の俺に相談を持ちかける程だ。

 

 顔は確かにそっくりだが…どことなく雰囲気で察せないものか。三玖は分かりやすくヘッドホンをしているし、本人らが分かりやすいヒントを用意しているのにな。

 

 竹林は挨拶に応えられなかったことに頭を下げている。しかし慣れっこである三玖は気にしていないと諭している。

 

 …のだが、表情が怖い。俺の袖を掴む手が、俺の指にまで回ってきた。

 

 

 

「…ちょっと風太郎、こっち来て」

 

「ぐえぁ」

 

「ふ、フータローっ」

 

 

 

 三玖に掴まれるより先に腕を首に回されて連行された。

 

 竹林は逸早く教え子の異変を察知し俺の襟を掴んで耳打ちしてきた。

 

 

 

「やっぱり怒ってない? 五つ子ちゃんたち気にしてるでしょ、実際」

 

「いや、五つ子ゲームなんて悪趣味な遊びを発明するぐらい開き直ってるぞ」

 

「でも、私睨まれてるとしか…

 あとリボンの…二乃さんからも嫌われてる気がするんだよね…一花さんにはしょっちゅう寝られるし」

 

「知らん、つーか俺の授業も一花は寝てるし、二乃に睨まれる

 真面目に受けているのは残りの三人だけだ…」

 

「あーあー 年上の威厳が微塵もない、風太郎の子でしょ

 ちゃんと見てないと中野先生安心できないでしょうが」

 

「あ、あの人の話を持ち出すなよ…」

 

「うわー 失恋拗らせ男」

 

「ちげーよっ 教師としてあの人と比較したら俺は…

 つーか、おまえも大概だろうが、同い年で独身」

 

「仕方ないなー 風太郎はいつまで経っても子供なんだから

 私があなたの運命の相手を占ってあげよう」

 

「ねえフータロー、一花と二乃が待ってるんでしょ」

 

 

 

 竹林に引き寄せられ、五つ子に内緒のプチ会議が開かれた。それを面白くないと見る三玖から再び袖を引っ張られた。

 

 普段謙虚で物静かな三玖にしては思い切った行動だろう。竹林は意外そうに一瞥し、三玖のあからさまな態度に苦笑した。 

 

 三玖が嫌がっているのは見て分かる…しかしこれは墓穴だ。本人自身が危惧していた事態に陥っている。

 

 噂がどうの囁かれている時にこの態度は確定的だ。一緒に買い物してる時点で俺が語るのは遅過ぎるのだが。

 

 露骨過ぎないか三玖。たまに意欲的になる奴だったのは知っていた。しかし他人がいる場では初めて見る積極さだった。

 

 

 

「…」

 

「…お邪魔虫は退散しようかな」

 

「そ、そんなつもりじゃ…」

 

「ううん、軽率に声をかけた私が悪かったので

 私と風太郎、妙な噂されてるし

 三玖さんは風太郎と買い物楽しんでください」

 

「…は? 噂?

 いや、三玖といたら助長させないか?」

 

 

 

 噂と聞いて、竹林の物言いが矛盾していることに疑問を投げかける。

 

 しかし竹林の方は、これもまた知れっとした顔で返事を返してきた。

 

 

 

「ん? だってほら、噂って…あれだよね?

 私と風太郎の」

 

「…俺とおまえと?」

 

「上杉先生と、竹林先生との

 知らなかった?」

 

「ど、どういうことだ

 噂って俺と三玖のことじゃ――」

 

「ふ、フータロー…私から話すから待って」

 

 

 

 噂と聞いて…真っ先に思い浮かんだのは当然、三玖との件である。

 

 それとは違うものが流布されているから、と竹林はこの場を去ろうとしていたわけで…俺はただ困惑するしかない。

 

 俺の戸惑いに三玖は重い溜め息をついて説明してくれた。

 

 

 

「フータローと竹林先生

 …付き合ってるってもっぱらの噂」

 

「え」

 

「…

 正直、その…

 私よりもそっちのほうが…よく言われてる」

 

「…えーっと…おまえよりも?」

 

「っ!

 あ、あるんだよ? 私もあるんだよっ?

 告白しちゃえとか、応援してるよとか、無責任なことばかりで困ってて

 本当ならすぐに否定したほうがお互いに良いってわかってるし

 でもフータローと竹林先生の噂で、フータローが困ってるのなら

 私との噂で帳消しになるのなら別に囮役も悪くないと思ってるわけで」

 

「………」

 

「…ふ、ふ…フータローまだ誰とも付き合わないって言ってたからっ!

 だから、隠してたのは…そういうのじゃないから…っ!」

 

「影ながら守ってくれてたんだな」

 

 

 

 三玖の説明はこれまで。精一杯の長文説明中、俺の視線に耐え切れずに三玖は顔を赤くして背けた。

 

 

 

「…竹林先生綺麗だから…男子も女子も皆言ってる

 その内私の噂なんてなくなると思う」

 

 

 

 自分との噂よりも注目されているものがある。自分がそれに苛んでいるというのに。

 

 大きなものと小さなもの。比較すれば惨めに思うだろうか。三玖が俺と竹林との噂話を避けたがっているのは明白だった。

 

 …この空気どうしてくれるんだ。竹林を睨むと澄ました顔でかわされた。

 

 

 

「私だけじゃなく武田君も前田君も知ってるよ

 江場ちゃんも」

 

「転勤組、俺以外全員知ってたってことかよ」

 

「風太郎、五つ子ちゃんに過保護なんだよ

 言われてるよ? あの五人を見る目だけ優しいって、でも他は鉄仮面

 そうだよね、三玖さん」

 

「…」

 

「勘違いされるのも仕方ないよね」

 

「…

 そんなんじゃありません…」

 

 

 

 女同士の腹の中の探り合いなの…か? 竹林はからかい混じりに微笑み、三玖は機嫌悪そうに返した。目を逸らした時点で三玖の負けである。

 

 しかし…マジか。三玖だけの話じゃなかったのかよ。

 

 三玖に限らず、残りの五つ子に対しても風評被害が起きているのかと頭を悩ませていたら追加が来てしまった。

 

 …同い年で、同じ時期に転勤してきて、旧知の仲ということで良からぬ誤解を生んでいたそうだ。たまに昼飯も一緒するし、お互い雑務を手伝うことあるし…そりゃ噂されるか。

 

 しかも三玖との、生徒と教師の犯罪紛いの事件よりも認知度が高い噂のようで。生徒から慕われている竹林の人気っぷりが俺を巻き込んでるに違いない。

 

 面倒くさいことこの上ないが良い好機だ。三玖との件を上手く沈静化させるカモフラージュに利用したい。

 

 

 

「変な誤解をされないように私は別のお店行くから

 またね、風太郎、三玖さん」

 

 

 

 手を振って竹林は背中を向けていった。男の邪な策略を察して早々と去るようだ。利口な奴…

 

 …何の為に声をかけてきたのやら。やっぱりよく分からない奴だ、昔から。

 

 三玖がいなかったら荷物持ちに連行されていたかもしれん。こればかりは三玖に感謝したい。

 

 三玖から竹林への警戒心は、その噂とやらに対して疑心があったからだと気づかされた。言及される前にこの場を離れたのは得策だろう。

 

 …でもこいつ、単に妬いているだけだろ。仮にもデート。横槍が入って怒っているようだ。すまん。

 

 

 

「あ、そうだ

 風太郎、今度二人で飲もうよ」

 

「…」

 

「…」

 

「再会を祝して、ね?」

 

「…そのうちな」

 

「………」

 

 

 

 竹林は最後にもう一度振り返って、酒の場への誘いを残していった。

 

 小さくなっていく背を三玖と共に見届ける。

 

 その背は、あの黒い髪は…恩師の後姿を連想させるもので、三玖も静かに見つめていた。

 

 …俺と似て、あの人の存在に感銘を受けて教師を目指したんだ。前田も、武田も、江場もそうらしい。同じ志を持った身として語りたいことはあった。

 

 あいつ…幼馴染みの真田と付き合ってると思っていたんだが…どうなんだ。てっきり結婚してるのかと思っていたんだが…そのへんも今度聞いてみるか。

 

 今は表情が強張っている教え子の機嫌を直さなければならない。

 

 

 

「…フータロー」

 

「何だ、三玖」

 

「…行っちゃ嫌だよ…

 せっかく…やっと再会できたのに」

 

「…勘ぐるな

 しばらくはおまえら優先だ」

 

 

 

 三玖は俺の指を掴んでいた。

 

 ぎゅっと…今までにないほど強く懇願するものだった。忙しなく身を屈めては髪が揺れている

 

 二乃や一花が妹に口酸っぱく忠告していることだ。甘えすぎて束縛はするな、と。そのルールに違反する行為だと三玖は自覚している。

 

 後ろめたくても、募り高まる気持ちを隠さずに掴んできている。純心故に良心が痛まれる。

 

 

 

「不快にさせたのなら悪かった、すまん」

 

「…ううん、いい…もう帰ろうよ」

 

「湯飲みは?」

 

「…もうそんな気分じゃないから」

 

「…」

 

 

 

 気乗りしないから、とデートを中断し早々に帰ることを所望されている。これもう亀裂走ってる…

 

 繋いでいた手は呆気なく切れる。三玖は俺を置いて店から出て、モールの出口へ向かおうとしている。

 

 …年頃の女子の心情など、デリカシー皆無だと日頃言われている俺には難易度が高い相手だ。

 

 所詮は子供騙し。昔よくやっていたことを…高校生相手に通じるのか。返って嫌われかねない行為だ。

 

 離れていく三玖の手を掴み、乱暴ながら…三玖を抱き寄せた。

 

 驚き目を見開く三玖の髪が首筋にかかる。そのヘッドホンの固い感触も、吐息の熱さも、三玖の温かく柔らかい感触も…触れて分かる。つーか全部熱かった。

 

 

 

「ふ、フータロー?」

 

「ちゃんと待っている、おまえが答えを出すまで」

 

「…ほんとに?」

 

「ああ、約束したからな」

 

「…昔みたいに、途中でどこか行ったり」

 

「それを言われると弱るな…

 もうどこにも行かない、おまえが巣立つまでは見守っている」

 

「あ、あり、がとう…」

 

 

 

 公然の前での抱擁はあまりにも恥ずかしい。この場を学校の関係者が見ていたら修羅場になるこの状況。

 

 三玖は身を寄せ合うことに拒否はなく、されるがまま背中に腕を回してきた。慣れない行為にその手はさ迷ってばかりで、少しくすぐたかった。

 

 その姿は昔を思い出させる。根っこの甘えん坊は変わっていないようだった。

 

 もう、甘えられる相手は限られているからな。親がいないなんて、十歳年上である俺も経験していない辛さだ。不安で恐ろしいだろう。甘えることが弱さではないはずだ。

 

 こんな些細なことに心安らぐというのなら…きっとまだ支えが必要ということだ。去るべきではない。

 

 三玖は掴んできた手を離し、一つ息を吐いて俺を見上げてくる。

 

 

 

「竹林先生と楽しんできなよ、大人なんだもん…そういうお付き合いあるんだもんね」

 

「まるでアイツが上司のような言い草だな…行ってもいいのなら行かせてもらうぞ

 …あいつも、恩師の娘であるおまえらには全面的に協力すると言っていたんだ

 無碍にはしたくない」

 

「そう、なんだ…わかった…

 フータローを信じて待ってる」

 

「待つって…

 は? 飲みが終わるまで?」

 

「うん…メールとか貰えると安心する…してほしい

 できれば電話が一番」

 

「…」

 

「…」

 

「わ、わ…わかった…いいだろう、おまえが疑うのなら」

 

「冗談、そこまで弱くないよ」

 

「ほんとかよ…」

 

「ふふ」

 

 

 

 生意気…少し絆されてやったら調子に乗りやがって。俺が嫌がってなかったら訂正しなかっただろ絶対。

 

 現金な子供だぜ。少し男に優しくされたら骨抜きにされるんだろうな。チョロ過ぎてやっぱり憎たらしい。こんなガキに俺は何年も…!

 

 …小憎たらしくても、こうして笑ってくれるだけマシか。

 

 

 

「過度なものは困るが、気負う必要はないからな

 おまえたちには望むように生きていってほしい」

 

「…

 だ、だったら…さっきの」

 

 

 

 三玖が指を向けた先は雑貨店。先程眺めていたペアの湯飲みを指差している。

 

 

 

「買うのは構わないが

 なんかお礼とか言いかけてたっけ?

 もう貰ったぞ、遊園地帰りに大量に」

 

「うん、でもあれは義理というか…」

 

「義理言うな、嬉しかったんだから言うな」

 

「違うっ あれとはもっと違うから

 お礼がしたかった、個人的に」

 

「?」

 

「ペア、二つ欲しいんだ

 私もお金出すから」

 

「二つ? 合計四つになるぞ」

 

「うん

 フータローの家に置く私たちの分と…

 後は、私たちの家に置く…フータローと私の」

 

「…ペアが二つか」

 

「う、うん…」

 

「…贅沢の極みだな…いいんじゃねえの

 おまえの家でも茶を飲む時はそれ使っていいんだな?」

 

「う、うんっ

 美味しいお茶入れてあげる」

 

「ああ、しかし2つか…

 じゃあ俺の家の分は俺が払うから、そっちは頼んでいいんだな?」

 

「うん、それでいいよ

 …やった…っ」

 

 

 

 嬉しそうにしやがって。俺の了承に三玖ははにかんで、小さく拳を握って喜びを露わにしていた。

 

 …その様子だと、以前からやりたかったことなんだろうな。遊園地のお礼という都合の良い理由を機にやっと公言できたんだろう。

 

 家デートで引き篭もっていたらできなかったことだ。案外、姉二人の強行は悪い話ではなかったということだ。打ち首は免除してもらおう。

 

 店に戻り、三玖が選んだ湯飲みのペアを2種。俺の家に置く分は俺が払うとして、三玖はもう一つの品を買うことになった。

 

 お互いに商品の箱を手にレジに並ぶ。ここまでの道中と、そして竹林とでくわしてから、三玖はだいぶ顔色が悪かったのだが…今では上機嫌に頬を染めていた。

 

 …ここで一つ、今更ながら降参の一言を口にする。

 

 

 

「ここまで来ると言い逃れできねえな」

 

「?」

 

「お揃いのを買って、お互いに使おうってんだろ」

 

「うん、使う 一生物にする」

 

「しかも2つ、お互いの家で、相手が来た用に」

 

「うん、フータローのお家行った時は…使いたい…」

 

「…

 手を繋ぐよりも、よほど恋人っぽいだろ

 流石の俺もドキドキしてきたぜ」

 

「えッ あ…」

 

「なんなら、帰る時は手を繋いでみるか?」

 

「――!?」

 

 

 

 手の平を向けると三玖は顔を真っ赤にして慌てだした。

 

 噂が真にならないよう距離を開けていた生徒が、よっぽど大胆なことをしでかしたんだ。

 

 そう三玖をからかうと…唇を震わせて赤面させてしまった。

 

 お陰で割れ物が入った箱が三玖の手から滑り落ちかけて、三玖は悲鳴を上げて抱えなおした。

 

 落とさないようにしっかりと箱を胸に抱く三玖は恨めしそうに俺を見上げている。恥の上塗りの原因が俺にあると訴えてきている。

 

 

 

「はは、おまえもドキドキしたか

 落として割るなよ?」

 

「…こういうドキドキは求めてない

 心臓に悪い…もう…っ」

 

 

 

 顔を真っ赤にして俺を意識してばかりいる姿が、どうも可愛かった。まったく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、おかえりなさい二人共」

 

「勝手にコーヒー頂いたわよ」

 

「ああ…ご自由に」

 

 

 

 買い物袋を手に昼前に帰宅した。そろそろ昼食の準備に取り掛かる頃だった。ちなみに手は繋がなかった、さすがに。

 

 もう既に予想はしていた。家主がいない男の部屋で一花と二乃はのびのびと寛いでいた。二乃なんか俺のベッドに寝転がってスマホを弄っている。

 

 俺の無言の主張に二乃は自身のスカートを抑えて、見るな、と睨み返してきやがった。起きればいいってのに怠けるベストポジションを譲る気はないようだ。

 

 

 

「買えた? って…おやおや

 もしかしてお揃い?」

 

「うん…ペアセット買ってきた

 最初は二人きりが怖かったけど…買えて良かった

 一花と二乃のお陰」

 

「勇気出して良かったでしょ」

 

「そうだね…これから少しずつ勇気出してみる

 フータローともっと仲良くなりたいし…それにね

 フータローもね、私に笑ってくれたんだ」

 

「…」

 

「からかわれてるだけなんだけどね…

 …一花?」

 

「あ、う、うんっ

 それは良かった! 噂だってさ、気にしすぎるほうが返って怪しまれるんだから

 三玖は堂々としてればいいんだよ、相手は仮にも親代わりなんだから」

 

「む、難しい…」

 

 

 

 一花は、頬が緩んでいる三玖を労っていた。さすが長女、フォローが上手い。

 

 意図して買い物を催促した姉は功を奏した妹に優しい目を向けている。

 

 俺が買った湯飲みの箱を開けて棚にしまおう、と一花は催促し、三玖は機嫌良く応えて台所へ向かった。

 

 

 

「…あれ?」

 

「ん? どうしたの?」

 

「…マグカップが増えてる」

 

 

 

 棚を見上げて手を止めた三玖の視線を俺も辿る。

 

 最初は意味が分からなかった。だが…ほんとだ、マグカップが増えてる。見知らぬものが追加されていた。

 

 見て確認できるだけで2つ。そういえば、あいつらコーヒー飲んでたんだっけか。

 

 

 

「あ、フータロー君、これ私と二乃のコップだから置いといてね」

 

 

 

 硬直している三玖の横で長女は悪そびれもなく告げる。

 

 

 

「…」

 

「…」

 

「…なに、どうしたのよ?」

 

 

 

 信じられない内容を耳にした三玖は、ギギギ、と錆びれた人形のようにぎこちなく顔を向ける。事の発端とこの顛末を見せ付けた張本人に。

 

 買って来いと背中を押してくれたはずの姉共は、先に物を揃えていたそうだ。

 

 湯飲み一つで一喜一憂していたのに…熱が冷めていく三玖の目はもう淀んでいた。昼前から疲れてないかこの子…恐るべし初デート。

 

 

 

「…敵は本能寺にあり」

 

「何よ、五月は我が物顔で置いてるじゃない

 あんたは今日買ってもらったんでしょ?

 私たちだけ駄目って不公平でしょうが、四葉だって知ったらヤキモチやいちゃうわよ」

 

「そういうことじゃない

 持ってくるのなら私だってそうしてた、こんなの聞いてない」

 

「三玖は真っ直ぐすぎなんだよ

 もうちょっとこう…あざとく攻めることを覚えよう」

 

「それフータローが嫌がるから…抜け駆け禁止

 そもそも一花と二乃、自分のコップ置く程フータローの家に入り浸るの? 勉強会大して参加しないくせに図々しい」

 

「私はほら、フータロー君に日頃のお礼がてら来ることあるし

 二乃は…ん? 二乃は何が用あった?」

 

「…」

 

「…

 三玖、それは二乃に返しておいてくれ」

 

「わかった、家の棚の一番奥に戻しておく」

 

「ちょっと!? いいから置いときなさいよ!

 余ったおかずとか持ってきてあげてるんだから、それくらい見逃してくれてもいいでしょ!? 器量が小さい男ね!」

 

 

 

 本気で返されかけて二乃はベッドから起き上がり、三玖からコップをぶんどった。

 

 睨み合っていた両者が接近したことで、いつもの姉妹喧嘩が始まりやがった。今回は三玖も引く気がないようで小言の争いが狭いキッチンで勃発しやがった。

 

 騒がしいことこの上ない。昼食の準備をしようと思っていたのに…もうこの際二乃に丸投げしておいた。文句は言われたが知らん。

 

 ベッドに腰かけてテレビでも付けて暇を潰すことにする。すると一花が寄ってきて――

 

 

 

「失礼して、よいしょー!」

 

「…」

 

「たはー」

 

「何なのそのテンション」

 

 

 

 一花が意味不明なかけ声を上げて、俺の背後にダイブして布団に顔を埋めている。、転がるな、埃が舞うから。

 

 異性の寝床に対して女子高生がすることじゃない。淑女としての慎みも家主への配慮も欠如している暴挙を諦観していると、一花はちらちら見返してくる。

 

 俺の冷めた態度に一花の熱も冷めてくれたようだ。

 

 

 

「構ってくれないと寂しい…かな」

 

 

 

 妹のデートに便乗してきた長女が寝転がりながら、俺の腹部に腕を回してきた。

 

 さらに胸元までがっつり掴んで引っ張ってくる。からかうとか男心を弄ぶものではない、ガチで引き摺り込んできている。

 

 じゃれつくな、と倒れそうになった体勢を腕を伸ばして耐える。一花はころころと笑って楽しんでいた。

 

 

 

「急に何だ、暑苦しい」

 

「んー? 別に別に、特別他意とかない、いつものスキンシップ」

 

「気安くしがみついてくるなよ、何なんだいったい」

 

「べっつにー

 待っている間暇だったんだよね」

 

「…」

 

 

 

 妙な態度だった。一花らしくない、強引な手段が目に余る。駄々をこねる子供のように、力任せに抱き寄せられてしまった。

 

 開いた足に挟まれ、背中から抱かれるように密着している。子供の頃にはなかった女らしさを直で教えられる。

 

 問い質してもはぐらかす一花は…少し間を置いて吐露する。

 

 

 

「なんか複雑

 妹に先越されてお姉ちゃんの面目ないなぁ

 相手はフータロー君だし…うん

 もやっとする! どうしようフータロー君!」

 

「…あいつを焚きつけたのはおまえだろうが」

 

「だから尚更なんじゃん…!

 三玖が今日を楽しみにしてたのは知ってたし、楽しんでもらいたくて…でも何か釈然としないのー!

 同じお兄ちゃんのフータロー君なら分かってくれると思ってたのに!

 やるせないよ、お姉さんは」

 

「あー…お疲れなら早く帰って休め、せっかくのオフの日だろ」

 

「うん…もう毎日学校とお仕事頑張って…疲れてるよ…はふ」

 

 

 

 …まさか、その年でもう疲れてる? 過労という言葉が過ぎると胸の内がざわつく。

 

 学校生活と仕事を両立させているんだよな、こいつ。その苦労は俺の高校時代とは比較にならないだろう。

 

 当初は女優の仕事で学業が疎かになるのなら、俺は苦言を申し出ていたつもりでいた…が、順調に夢を叶えそうな今では無作為に咎められる代物ではなくなった。

 

 一花は明瞭し難いものにもがいているようで、唸りながら俺の胸倉を掴んで左右に揺らしてくる。思春期真っ最中の中学生か。やっていることは一人前のくせに。

 

 抵抗せずに揺らされる続け、放置していると一花は大人しくなった。揺らされることはなくなったが、足を大きく開いた一花により一層引き寄せられた。

 

 触れる足の体温が纏わりつき、腕に抱かれ…背中に頭を押し付けられている。

 

 恋人がいちゃついているような光景だ。少なくとも異性の他人にすることじゃない。

 

 

 

「おい、一花…そろそろ」

 

「冷たい」

 

「…」

 

 

 

 …このヤキモチ焼きめ。普段悪知恵を働かせている頭がショートしているらしい。

 

 二乃と三玖は台所で昼食作りの真っ最中で二乃の指南の声が聞こえる。

 

 バレたら何と言われるのやら。デート相手を放ってその姉とこのような背徳的行為に耽っているんだ、非常に困る。

 

 一花はぽつりぽつりと、ゆっくり話した。

 

 …一花の弱っている姿を見ることはめったになかった。

 

 母亡き後、雨に晒されながら頭を下げた子が、やっとだ。

 

 

 

「三玖はずっとフータロー君を覚えてた、私たちは忘れても…慕ってた

 五月ちゃんも…フータロー君との約束を覚えてたんだよ

 優先されるべきなのは二人だよ」

 

「…」

 

「だからって…

 私だって、頑張ってきたつもり

 幾ら昔が幸せだったとしても子供のままじゃいられないよ

 過去の思い出に拘ってたら、誰も助けられなかった…お母さんだって」

 

「ああ…その通りだ」

 

「それに…フータロー君はその為に、最後にちゃんとお別れしてくれたんでしょ?

 私は、フータロー君の気持ちに応えてたよね?」

 

「…」

 

「…

 フータロー君、もうちょっとだけでいいから

 このままでいてよ…」

 

 

 

 縋る言葉を帳消しにしようと、傷ついた己を守るように腕の力が強まっていく。

 

 年相応の抱擁のような印象はなかった。子供が強請り、甘えている。

 

 四葉は以前言っていたな。子供から大人に成長したとしても、寂しい時は甘えたい、抱きしめたい。紛らわしたいんだ、と。

 

 テレビの雑音だけが耳に届く。一花はもう何も言わず、時折身じろいでは、手離さないように腕の輪を解かなかった。

 

 台所からの物音も聞こえない。

 

 静かな一時だった。ほんの少し気まずい空気もあった。

 

 …こんな姿、家族には見せたことなかったんだろうな。

 

 困った長女だ。妹へのお節介は一流でも…自分のことに対しては本当に不器用な奴だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仮にもしも。もしかしたらありえただろう話。

 

 好みも個性もバラバラな五つ子全員が、たった一人の男と結ばれようとしたら…どのような結末を迎えるのだろうか。

 

 兄代わりであり、保護者の立場にあり、十も歳が離れた俺には無縁なものだ。関与できる世界じゃない。

 

 だが、つい考えてしまった。選ばれた者とそうでない者。その価値の落差は嫌になる程知っているから。

 

 

 

「三玖、見てたわよ」

 

「知ってる」

 

「デート中に何してんのよ、マジありえないわー」

 

「…もはやデートの雰囲気一切ないんだが?」

 

「だったら自分から作りなさいよ

 ここが男の見せ所でしょうが、しっかりやんなさい」

 

「…」

 

「…

 い、一花には私から言っておくわ」

 

「頼りにしてるぜ」

 

 

 

 半分おまえらが原因だと睨むと、二乃は×が悪そうな顔をして視線を逸らし…譲歩してくれた。身内の暴発が原因だという自覚はあるんだな…

 

 二乃と三玖が作った昼食を食べ終えて、今は小言が絶えない次女と共に食器洗いに取り組んでいた。洗った皿を二乃が手際よく拭いて棚に戻していく。

 

 二乃からの指摘はごもっともで、三玖は先の一花との一件からぎこちない。あの現場を見られていたのは間違いなかった。

 

 一花の泣き言など二乃も予想しえなかった珍事。急なトラブルには二乃が対処してくれるようだ。

 

 …タイミングが悪かったな。本来なら一花のあのような振る舞い咎められるものじゃなかったはずだ。

 

 あいつは頑張り屋だから、ちゃんと褒めてやらねえと。その担い手は少なくとも、俺でもあった。

 

 

 

「姉は妹を守るものだ

 あいつは忘れたわけじゃないはずだ

 …本音を言ってくれたことを、後悔させたくない」

 

「そうね…

 今日を後悔したら一花…きっと誰にも頼れなくなるわ」

 

 

 

 五つ子たちは各々工夫して、働き詰めの母を支えようと徹してきただろう。

 

 その中でも恐らく…一花の努力は大きかったはずだ。

 

 一際、姉としての責任感が強いんだ。考えたんじゃないか、母が亡くなれば自分が家族を守るんだと。そんな最悪の可能性を抱きながら母親を守ってきた。

 

 …誰かが報われ、誰かが蹴落とされる。選ばれなかった者は泣き言しか叫べない。

 

 

 

「…」

 

「何、こっち見たりして

 早くお皿洗ってちょうだい」

 

「…

 いや…やはり家事を手伝ってくれるのは助かるもんだと有難みを感じてた」

 

「え、気色悪っ」

 

「退くな、水が垂れるだろ

 …飯でも皿拭きでも

 おまえは本当によくやってる、二乃」

 

「…」

 

「家事分担、ほぼおまえがやってるんだから見直したらどうだ

 三玖も上達してきてるんだ、息抜きできる時間を増やしてもいいんじゃないか」

 

「…し、しばらくいいわ…あの子の見習い卒業なんてもっと先の話だし

 息抜きなら…だったら、あんた

 もうちょっと定期的にお菓子作りに協力しなさい、私の息抜きってことで」

 

「菓子作りね…」

 

「…たまにでいいから

 付き合ってくれるなら連絡してほしい」

 

「…」

 

 

 

 所々押しが弱い奴だ。見つめ返すと二乃はさっさと皿を拭いて、こっちには目もくれなかった。

 

 二乃が家事を支えてくれたのは中野家にとって大きすぎる幸福だったはずだ。先生も、申し訳なさと共に嬉しかったはずだ。

 

 遅かれ早かれ、誰かがその役目を負っていたはずだ。二乃がやらなければ三玖も四葉も、五月でも代わりを担っていた。

 

 放り投げず家族を支えてきた二乃は身内馬鹿。これは揺るぎない事実であり、必然だった。

 

 だってそうだろう、こんなにも優しいのだから。

 

 多少毛嫌いされても。やはり、つい声をかけたくなる子だった。

 

 

 

「こっち見てんじゃねー

 私に浮気してないで、あんたはあっちに専念しなさい」

 

「…」

 

 

 

 食事の後、一花は三玖に謝ったらしい。三玖が咎められるはずがなく、キッチンから覗き見られる部屋には気まずい空気が篭もっていた。

 

 冷たい水が指に染みる。今この場で悩んでも答えは出そうにない。空気を切るように声をかけた。

 

 

 

「三玖、午後の予定で何か希望はあるか?」

 

「え? したいことは…特に

 フータローに任せるよ」

 

「だったら…おまえが好きそうな本買ってみたんだ、読むか?」

 

「…ど、どんなの…?」

 

「警戒するな、参考書とかじゃねー

 おまえの好きな歴史に関する著書だ」

 

「詳しく」

 

「…一つは

 難攻不落で有名だった大阪城が建てられた経緯や城に因んだ戦について書かれてたり」

 

「大阪城といったら冬の陣、夏の陣」

 

「…あともう一冊が、現代でも楽しめるように

 夜景が綺麗な城の特選――」

 

「日本三大夜城は高田城、大阪城、高知城

 …ここでさっきの大阪城を絡ませてくるあたり…ふふ

 流石フータロー、わかってるね…」

 

「…読むか?」

 

「読みたい」

 

「もうおまえにやるよ」

 

「! ありがとう、フータロー…

 テスト勉強ばっかりで、こういうの読めてなかったから、凄く嬉しいな」

 

「ねえ、デートの雰囲気は!? さっきお願いしたよね!?

 ただのオタクへの水やりじゃん!」

 

「テストに活かせないあたり、咲かないお花なのね…三玖」

 

「それ言ったら女優業もだぞ」

 

 

 

 さっきまでの鬱蒼とした三玖の顔が煌めいている…しかし二乃が求めていたものとは違ったようで隣で叫んでいた。

 

 一花と並んでベッドに座っている三玖は、洗い物をしている俺を待つ気はないらしい。どこにあるのか教えてほしいと急かしてくる。

 

 俺の机の上にあると教えると、三玖は手早くお目当てのものを手に取ってベッドに座りなおした。

 

 一花も物珍しそうに、三玖が読み始めた本とは別の一冊を手に取る。おまえが半分も読み切ったら上々である。

 

 

 

「午後を全部読書で終わらせる気?」

 

「いや…さすがに飽きるだろ」

 

「止めなきゃ読破するまで張り付いてない…?

 もっとそれっぽいの何かないの?」

 

「それっぽいね…

 いつもと変わり映えしないが勉強教えてやったり、お菓子作りとかするつもりだったんだ

 駄目か?」

 

「駄目でしょ!? 何で私を置いて三玖にお菓子作り…!?

 酷いわ、陰湿な嫌がらせだー! 前回やったのいつだと思ってるのよー!」

 

「競うなよ、悪かった やろうぜ、菓子作り」

 

「はぁ…はぁ…言質は取ったわよ…

 って、今日は三玖を見守るんだったわ

 あんた勉強とか言ってたわね…デートを地獄にするんじゃないわよ

 あんたの部屋って無趣味を極めてるから…

 あ、そうだっ アルバム!」

 

「は?」

 

「あんたのアルバム見てみたかったの

 三玖だって興味あるだろうし、ナイスアイディアじゃない?

 ちょっと失礼するね」

 

「ま、待て! 勝手に漁るな!」

 

 

 

 人の返事を待たずに行きやがった…! おい二乃! まだ洗い物の途中! 皿拭いてくれるんじゃなかったのか!

 

 暴挙でしかない二乃の提案は一花まで賛同してしまった。読書に熱中している三玖を連れ出して俺の部屋を捜索し始めた。

 

 押入れや机の引き出しを開けられて、いとも簡単に二乃は分厚い本を発見した。

 

 

 

「これね、あったわよ二人共

 髪染めてた頃の写真あるかしら

 …って、何してんのあんたたち」

 

「いやぁ…大変けしからんものを見つけちゃいまして」

 

「…まさか、もしかしてそういう本?」

 

「うーん…どっこいどっこい?

 これ」

 

 

 

 一花が指を指して示したものを見た二乃は、おえーっと舌を出して拒絶反応を見せた。

 

 何を示しているのかと思えば、それは三玖が開けたタンスの中。三人が揃ってそれを凝視している。

 

 …やたら長い沈黙が流れていた。

 

 …男の一人部屋を漁って、何に辿り着いたと言うんだ女子高生共。

 

 

 

「誰の下着よ?」

 

「ふ…フータローの…」

 

「誰がタンスを漁れって言ったのかしら?」

 

「二乃が机で、一花がクローゼットだったから…私はタンスかなって…」

 

「誰に許可貰ったの?」

 

「…貰ってない…無断」

 

「誰もあいつの下着なんて興味ないと思うんだけど?」

 

「…」

 

「…思ったんだけどさ、フータロー君もうちに何回も泊まってるんだし

 替えの下着置いといてもいいよね」

 

「上杉ぃーーー!!!」

 

「おまえら横に並べ」

 

 

 

 タンスの中を暴いて人の下着をガン見する三人にゲンコツ制裁する。

 

 頭を抑える二乃は自分まで鉄拳を食らうと思っていなかったらしく抗議していたが、見ていたことに変わりないのであしからず。

 

 三人して俺のベッドに突っ伏して痛みに悶えている。タンスはきっちり閉めておいた。五月ですらマナーを守って泊まっていたというのに姉三人は慎みが欠けていた。

 

 デリカシー皆無な奴らめ。こっちが恥ずかしいぞ。これならアルバムを見られていたほうがまだマシだ。

 

 ぐったりしている三人の横でベッドに座り、アルバムを開く。下着に興味が向くよりこっちを公開したほうがマシだ。

 

 

 

「あ、フータロー、私も見たい」

 

「ああ、いいぞ

 つっても俺が教師になって勤めてからの写真しかないぞ

 ガキの頃のもんは実家にある」

 

「なんだ、じゃあらいはお姉ちゃんに頼まないとね」

 

 

 

 …意地でも俺の幼少期の姿を暴きたいようだな。らいはには後で釘を刺しておこう。

 

 アルバムのページを捲っていき、注視する三人の視線が流れていく。

 

 

 

「…へぇ…これ、あんたの生徒?」

 

「集合写真だね…それと

 …」

 

「…」

 

「…」

 

「…無言かよ、言いたいことあるなら言え」

 

「ううん、そうじゃないって

 良い写真じゃん」

 

 

 

 捲る手を二乃に抑えられ、三人が写真に注目する。

 

 集合写真は行事で撮る事務的なもの。だがそれ以外にもある。

 

 記念に、と生徒だけの写真に引っ張り出されることがあった。そんな出来事を納めたものが並んでいる。

 

 大抵俺が撮ってやることが多かったんだが、物好きな連中もいて…一緒に撮ることもあった。

 

 まだ勤めて4年の若造の教師だ。経験は浅く失敗も多々あった。だが良いこともあった。

 

 

 

「…結婚式に誘われるくらいだもんね

 フータローが良い先生なのが分かるよ、慕われてそう」

 

「…あんたさ、この際聞くけど…

 告られたことある? 生徒から」

 

「ド直球に行くね、二乃…」

 

「…っ

 フータロー、あるの?」

 

「…あるぞ」

 

「ぇ」

 

 

 

 二乃からの突拍子のない質問に、嘘偽りなく答えた。

 

 他言は控えたい思い出だが、偽ってなかったことにする行為は…断られる覚悟で告白してくれた教え子を蔑ろにしてしまうと思った。

 

 

 

「…でしょうね

 この写真見ると、あんたを意識してそうな子いるし」

 

「…」

 

「み、三玖? スマーイル、スマーイル もう過去の子だよ?」

 

「…はぁ…」

 

 

 

 …た、溜め息つかれてしまった。アルバムは地雷だったか。

 

 今聞かなくても良かっただろうに。二乃を見ると彼女も額に汗を垂らして反省していた。恋愛話にはうるさい奴だからな、一番女子高生してるのが二乃である。

 

 ここに来てから踏んだり蹴ったりな三玖だ。姉二人がサポートをしてくれているが、その二人が落とし穴を設置しているようなものだ。

 

 三玖が言っていた。俺がもし誰かと結婚したら結婚式に呼ばれて祝う日がくるかもしれない、と。

 

 彼女の心中は上手く察せないが、良い感情を抱いているとは思えなかった。

 

 上手くいかない、そう嘆いていた三玖は明らかに気落ちしていた。メンタルの弱さがここに来ても仇となっている。

 

 

 

「…ねえフータロー…

 振った子とはもう会ってない?」

 

「この前の結婚式で顔を合わせたが、個々で会うことはもうないだろうな」

 

「…

 告白って、人生の大勝負だと思うんだ

 …生徒でありながら、先生のフータローにちゃんと言えたのなら…凄いと思う」

 

「あ、ああ…そうだな

 俺も分かる、それは

 言わなくても良いことだと諦めるのは簡単だ」

 

「…うん」

 

「…少なからず、言えば相手の思い出として残る

 失敗するとわかっても、理由さえあれば十分だったのかもしれない」

 

「失敗前提の告白だったってこと?」

 

「…」

 

 

 

 返答に困らされた。何かの背を押さないように、急かさないようにしたくても、意識過剰だと自責の念もある。

 

 こちらの焦りに躊躇なく、三玖はさらに問いを投げかけようと身を寄せてきた。

 

 俺にとって触れられたくはない話だ。その意図を汲んでくれた一花が三玖の肩を掴んで止めてくれた。

 

 深く追求されれば…幻滅されかねない。

 

 三玖は狭まっていた距離を開けて、一呼吸置いてから立ち上がった。

 

 

 

「ごめん…ちょっと外で頭冷やす…

 プライベートのことなのに不躾だった、ごめん」

 

「気にするな」

 

「…フータロー

 今日、いっぱい楽しもうね

 思い出作りたいから…これからも」

 

「言われなくてもそのつもりだ」

 

「良かった

 …待ってて」

 

「あ…私も行くよ三玖」

 

 

 

 三玖は俺に断って玄関へ向かっていく。一人にさせるのを見かねて一花も同伴するようだ。

 

 玄関のドアを二人が開けて、閉じられる。静まった部屋に残された俺と二乃は揃って溜め息をついた。

 

 

 

「ごめんなさい、完全にお邪魔虫になってるよね」

 

「気に病むことはない

 だが…内心、胆を冷やした

 無意味な詮索はしないでくれると助かる」

 

「…そんなに告白されたって話が後ろめたいのかしら?

 断ったんでしょ?」

 

「…」

 

「…まだ何か隠してる?」

 

「だから、それをやめろって言っている」

 

「何でよ、やましいことがあるっての?」

 

「…出来た人間じゃねえよ、俺は」

 

 

 

 一度は頭を下げた二乃が、不服そうな顔をして詰め寄ってくる。改める気がないようだな。

 

 暴くなと手を振って追い払うと二乃が一際顔をしかめ、俺の手首を掴んできた。

 

 

 

「怪しい」

 

「あのな…社会人の男の生々しい部分を探ろうとするな」

 

「あんたが挙動不審なだけ、これは一種の恋バナよ恋バナ

 いいから吐いちゃいなさい、スッキリするわよ」

 

「断る」

 

「あー ちょっとは息抜きになるのにー

 ここで私に恩を売っておけば、うまく伏せてあの子に説明してあげるわよ

 どの道三玖から聞かれるもん

 は、話聞けた…?

 って、超キョドりながら聞いてくるんだから」

 

「手助けすると見せかけて脅してんじゃねえよ」

 

「いいから薄情しなさい

 恋愛とか結婚とか興味ありませーん、みたいな態度してたくせに

 見た感じ可愛いじゃない、写真の子…この子でしょ絶対

 断るなんてもったいないじゃん、絶対何かあるでしょ」

 

「…おまえには前言っただろうが」

 

「…?

 え、言ったっけ?」

 

 

 

 こ、こいつ…恋愛が絡むと鬱陶しいこと極まりない。三玖が疎ましく思うのも無理ねーぜ。

 

 身内から浮いた話が上がらない腹いせに俺に突っかかってきてるんだろ。スイッチが入った二乃の強行は凄まじく、両手首を掴まれてしまっている。

 

 言え 言え と急かして、告白を断った理由を求められる。答えを知る俺は、自分の顔が熱くなっているのが分かる。

 

 う…恨むぜ先生…自分の娘をこんなミーハーで野暮な子に育てたことを…

 

 

 

「前にも言ったはずだ」

 

「何のこと?」

 

「…まだ先生が好きだったんだ、断るしかねえだろうが」

 

「あ、あー…」

 

「…」

 

「…

 ごめんなさい」

 

「当分恨む、菓子作りなんておまえが高校卒業するまで延期だ」

 

「ごめんってば!?

 そこまでゾッコンだとは思わなかったの!

 つーか、それだったら普通に会いに来なさいよ! ほんとに! 超歓迎してあげたのに!」

 

「それはもう言わない約束だろ…」

 

 

 

 謝ってきても開き直って批難を飛ばす二乃にぐうの音も出ない。今でも胸に突き刺さる言葉だからやめてほしい。

 

 この話はこれで終いだ。質疑応答の時間を切り上げてベッドから立ち上がる。アルバムもしまっておかなくては。

 

 …終わったと思っていたのだが…二乃のしつこい上目遣いがちらついていた。

 

 

 

「でも…ねえ、この子可愛いじゃない?

 魔が差したりしなかったの?」

 

「…魔?」

 

「魔」

 

「…」

 

「…」

 

 

 

 この場で絶賛魔が差しているのは二乃のほうだ。こいつ、懲りてねえ。

 

 しつこい奴には再び制裁が必要だ。空気を読めない訳ではないくせに諦め切れないのなら強制終了せざるをえない。

 

 俺の考えをすぐさま感じ取った二乃がビクつきながら続行する。ほんと懲りない奴。

 

 

 

「その…ほら、若いって意味では一番適した時期…じゃない…?

 告白したからには…ある程度覚悟してたと思うし」

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

「あ、あんた…これ聞いたら怒るんでしょうけど」

 

「ああ

 恐らく確実に怒るけれど、先生に言ってみなさい?」

 

「…え、えーと

 その…ほら、あんたも男なんだし

 欲に溺れて獣になっ――」

 

「はい怒りまーす」

 

「ぃギャッーーーー!?

 襲われる! 襲われてるー!! 一花ァーッ!!」

 

 

 

 いらん事ばかり喋りだす悪い子の頭をグリグリと責める。指の関節を押し付けると二乃は悲鳴を上げて悶えた。

 

 今回ばかりはきつめにやらせてもらうぜ。体罰などしてこないと余裕ぶってる生徒ほど憎たらしく見えるんだよ、教師は。

 

 ベッドの上で俺から逃れようとしている二乃に馬乗りになる。端から見れば暴力行為、DVのそれである。

 

 二乃は悲鳴を上げてはいるが…本気で逃げようとはしていない。

 

 所詮おふざけ。俺の腕に手をかけているが掴むだけで振り解こうとはしていない。この程度では再発しそうだな…

 

 手を止めた頃にはもうお互いに肩で息をして、全身から汗が滲んでいた。

 

 うつ伏せになっている二乃が身を捻ってこちらを見つめてくる。

 

 

 

「はぁ…んくっ…はぁ…えほっ

 何よ…まったく…

 ないって、言い切れるの…かしら?」

 

「はぁ?」

 

「…いるんだからね」

 

「何が」

 

「…うちの学校に

 十も離れた男と付き合ってるの、ガチで」

 

「…」

 

「あんたが私たちを意識してることぐらい、知ってるんだから

 ないことは、ないんじゃないかしら…?」

 

「…クソガキ」

 

 

 

 それを知ったところで、俺の答えを知ったところで何か得をするのか、こいつは。

 

 押し倒されているってのに。ここまで顔も体も近いってのに二乃は挑発してきた。

 

 顔から火を噴きそうな程熱く、真っ赤にして震えているくせに。

 

 今は二乃の顔は見たくなかった。組み伏せていた体勢から起き上がり、火照った体を冷まそうと深く息を吐いた。

 

 …深呼吸したところで、俺と二乃以外にも人の気配があることを察した。

 

 

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

「…やば」

 

 

 

 三玖と一花が戻っていた。思いっきり見られていた。

 

 二乃も遅れて二人の存在に気づき、急ぎ布団に包まって現実逃避していた。

 

 先程まで三玖は一花に対して気が晴れないような、気落ちした雰囲気であったが…二乃相手には違うようで。

 

 

 

「…二乃まで…

 今日は私とフータローとのデートなんだけど…?」

 

 

 

 わなわなと震えてご立腹な様子だった。俺も二乃も弁明できるほど頭が回っていない。

 

 

 

「…とりあえず…

 交代する? 頭冷やしに」

 

「…すみませんでした」

 

 

 

 頭を冷やしてこい、と一花が玄関へ指を指す。

 

 思うようにならないことばかりだろう、お互いに。現状俺に非が偏っているが許してほしい…

 

 その後、三玖からの許しを貰うまで二乃と反省会をし続けることになった。

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