「次はあれに乗りましょう!」
「五月ちゃん、ちょっと待って…」
「やっぱり絶叫系楽しんでるじゃん、五月…」
「流石に歩き回って疲れたわ」
ティーカップやら海賊やら、だいぶ回ると既に日は落ちて暗くなってきた。
日没の後も日中とは別の景観が楽しめるもので、午前中にグロッキーになっていた五月が活発化していた。三玖が言っていたのはこれか。
まだ遊び足りたいらしい五月だったが、そろそろ夕食にすると伝えると文句なく方向転換した。
向かったのは五月が予てから要望が強かったバイキング形式のレストランだ。
食事において豪勢で贅沢の極みというか。待ちに待っていた時間というわけで、五月が目を輝かせてご馳走を堪能していた。
「美味しいものが沢山…感無量ですっ」
「五月まだ食べるの? あれだけポップコーン食べてたのに凄いわね
明日、体重計見て悲鳴上げても知らねーぞー」
「ひやっ!? や、やめてください!」
「ここに来るのは楽しいけど、来る度にこの食費だと上杉さん大変かもね」
「フータローの甲斐性次第…」
「…まあ…心配してくれるのは嬉しいが…
…五月といる時は大抵こんなもんだから、気にするな
いつものことだ」
「…ちょっとそれ、どう意味かなフータロー君」
「う、上杉君、スト、ストップ――
「どうって、五月とはオープンキャンパスとか、家に来た時は外食に誘うことが多いからな
五月五人分に比べたらまだ安い」
今日の出費を頭で計算してみたが…残念ながらこの贅沢を味わっておきながら、五月と飯を食った最大金額の五倍より安かった。
高い贅沢をしたのなら再び金を稼ぐべく働くだけだ。いらぬ気遣いはするなと忠告してパスタを口にする。
「…」
「…」
「…」
「…」
「…」
「…」
…五月が四人から集中砲火の視線を受けて固まっていた。必死にお咎めから逃れようと俯いて耐えていた。
さっきまで幸せそうにご飯を食べていたのに。このままでは温かい食事が冷め切ってしまう。
「ば、バイト代でお返し致します…」
「いや気にするな、学生は学業に集中してろ」
「甘やかすんじゃないの
あんたが働いたお金が湯水の如く消えていくわよ、この子の胃の中に」
「…そのくらい覚悟している
お返しというのなら、おまえが将来面倒看たい奴が現われた時に飯でも奢ってやれよ
ほら、この話はおしまいだ、食べようぜ」
「うぅ…上杉君…絶対に返します、ご飯奢りますから」
「まったく…仕方ないね、ここはお姉さんが妹の肩代わりをしてフータロー君に――」
「おまえの貢ぎ癖は認めてないからな」
「私も料理覚えてご馳走する」
「何年先になるのかしらね、それ」
「私も上杉さんにご恩をお返ししていきます!」
食べることを渋っていた五月は恐る恐るフォークを手に持ってご馳走を口に運ぶ。こいつの食事の手を止めるとろくなことがない。
今日の娯楽を有難く感じてくれるのはい気はしないが、下手に畏まれるのは不本意だ。監護者という他人の立場では過ぎた義理なのかもしれないが、見返りは求めていないんだ。
金の話は途絶え、談笑を交えつつ最後に五つ子たちは可愛らしいデザインをしたデザートを持ってきて堪能していた。
「フータロー君、コーヒー貰ってこようか」
「ああ、サンキュー」
「もうそろそろエレクトリカルパレードよね
えっと…もうそろそろ出る?」
「あ、ここから見れるんだって
テーブル離れても大丈夫なんだってさ」
「なら行って来いよ、俺は残ってるから」
既に窓の外には大通りの道に人だかりが見えている。恐らくパレードを見ようと道の脇に集っているのだろう。
このレストランの敷地内からでも煌びやかなパレードを眺める事ができるようで、俺を置いて二乃、三玖、四葉と五月は外へ出て行った。
少ししてコーヒーを二つ持ってきてくれた一花がテーブルに置いてくれた。妹四人がいないことに周りをきょろきょろと見渡していた。
「コーヒーありがとな
あいつらなら外、パレード見てる
おまえも行ってこいよ」
「へー ここから見ていいんだ、なんかちょっとしたブルジョワ気分
でもいいかな、私もちょっと休憩ー」
一花は椅子に座り、両手を上げて伸びをした。もうじき夢の国も終わりを迎えるのだ、流石に疲れもする。
俺は帰りの運転もあるし、眠気覚ましがてら一花が持ってきてくれたコーヒーを頂く。
屋外から音楽が聞こえる。暗い路地にキラキラと点滅した明かりが横切っていく。静かな店内と違って外は賑やかで、もうじき本日最後の祭典が行われている。
「ねえ、フータロー君」
「ん?」
「今度は二人っきりで来たいって言ったら…ダメかな?」
「…酔狂だな、おまえなら相手を選べるだろ、金もあるし」
「んー? 早とちりしてないかな?
だってランド楽しいし、別に二人っきりで遊びに来たっていいじゃない?
家族の内一だけ誘うと角が立つからさ、フータロー君は調度良いポジに立っているんだよ」
「…五つ子全員ならともかく、そういう話なら来年だな」
「…来年は来年で、受験あるからお断りされそうなんだけど…」
「よくわかってるじゃねえか」
「ちょっとちょっと! 蒸発しちゃうでしょ!
行こうよー! 私全部奢るから!」
「おまえのその必死さが怖い」
「ひどっ!?」
30歳手前の教師に何を期待しているんだか。一花の熱いお誘いを軽くあしらって窓の外を眺める。
二人で来たいと言われ、美人に含まれる一花のような子から誘われるのは悪い気はしないが…現状だと不和しか招きそうにないからお断りした。
五月は勉強に意欲的で、四葉も将来の道に悩んでいる。三玖の件もあるし、二乃は俺と五つ子との噂話を気にかけている。夜遊びなんかしていたら咎められる。
家族全員という一定のラインから飛び出てフライングをかます長女は口惜しそうにコーヒーを飲んでいた。意気地なし、と恨めしそうに睨みつつ。
今日は二乃にも突っ込んだ話を持ちかけた訳だし、長女のこいつにも少し触れてみるか。俺とて無視を決め込める程冷めた人間ではない。相手が大切な教え子なら尚の事。
「物好きというか…男なんぞ引く手数多なおまえが、何で」
「…この後ショーがあって、花火だよね」
「ああ、そうだな…」
「…私たちも同じ
フータロー君さ、花火見たらお母さんを思い出すでしょ」
「…だから何だ」
「…今じゃなくてもいい
いつか、私で上書きできたら…いいかな」
「…」
…フライングどころか、エンディングまで突っ走ろうとしていないか。
しかし俯いた表情はすぐさま一変し、一花はいつも見る…からかい混じりの憎たらしい笑みを浮かべていた。
「…どう? なんか物語の展開を変える、映画のワンシーンぽくなかった? グッとこない?」
「悪女のそれ」
「乙女の精一杯の一歩だよ!?」
「このテーブル見ろ、五月が食った皿が山のように積まれてるぞ」
「しょ、諸民感はあるね…
でもほら、何かあるでしょ?」
「あー 先生と花火見たかったわー
田舎町の祭りとは段違いだからなー おまえらが羨ましいわー」
「あーっ! 今は隣に私がいるから!
ほら隣、こっち来て一緒にパレード見ようよ 思い出作ろー!」
思うようにならない男に女子高生はご立腹なようで、一緒に窓の外の景色を見ようと誘ってくる。
こいつと同年だったら、これほど親身に好意を示されては心揺らぐことだろう。一花が本気になれば恋人など簡単に作れる。
俺が微動だにしない態度に我慢ならなかったようで、一花は席を立って俺の隣に座ってきた。ぐいぐいと押しやられて窓際に詰められた。
男心を弄ぶことに長けている一花のスキンシップはたまに反応に困る。ここまでされては距離を開けようとしても、絆されて許してしまう。
「行くか」
「…へ?」
「奢ろうなんて十年早い
俺が連れて行ってやるクソガキめ」
「…」
「塗り潰せるのなら全力できやがれ
楽しみに待ってるぜ」
「…は、はい…」
「…」
「…なんか私…凄いこと言っちゃった…?」
「今更かよ」
勢い任せで暴発していたことを今になって悟ったらしく、一花は熱くなった顔を手で仰ぎ、俺と椅子一つ分の距離を開けた。
正直、教え子である五つ子に言い寄られて、嬉しくはあれど戸惑いと困惑が勝ることが多い。一花に限らず三玖も同じく。
まだ高校生のこいつらには無限の可能性がある。誰を選び、何を求めるか定まっていない今では…それが本気なのか疑ってしまう。
答えを出すのが今年中なのか、来年なのか…成人した後なのか。その時俺とあの五人はどのような関係にあるのか。
そんな未来を想像して、この時、今以上に苦労が絶えない悪夢の中で…
もしや…五つ子の誰かを選ぶのだろうか。そんな世迷言に答えが行き着いたところで…ガラスに映る男は苦笑いして誤魔化していた。
「上杉、ちゃんと撮ってくれた?」
「ああ、見て確認してくれ」
「ん、ありがとね」
「二乃、後で私たちにも動画送ってください」
パレードが終わり、レストランから移動した俺たちは大勢のゲストと共に夜のショーを見ていた。
五人より背が高いからという理由で俺は二乃に撮影を頼まれ、撮り終えた後にスマホを返すと彼女は満足しているようだった。
閉園時間は22時で、確か花火は20時半からだったか。まだ時間はあるので、もうしばらくこの夢の国の時間を楽しむことにした。
幾つか回り終えたところで、花火の時間となり俺たちは見晴らしの良い場所を探して空を見上げていた。
「…何か意図があるのかそれは」
「特にないって」
「うん、ない…」
「俺に構わず、五人仲良く見てろ」
なぜか前列にいる二乃と四葉、五月から離れて…一花と三玖が俺の両脇を陣取っていた。
またしても二乃からカメラを回してくれと頼まれているのでスマホを構えているのだ。その両腕に寄られると非常に鬱陶しい。二人の背中を押してどいてもらった。
アナウンスが響き、音楽が流れ始める。後ろを振り返ってごねていた二人は姉妹と並んで空を見上げていた。
暗闇の空にお馴染みのメドレーと一緒に光り輝く花火が打ち上げられる。
夏の風物詩のような淡々と情景を眺めるものとは真逆なそれは、亡き恩師と見たものとは異なるもので特別何かを思い出すことはなかった。
「…」
手に持つカメラはそのまま、俺の前で空を見上げる五つ子の背中を見やる。
背後からでは見れない彼女たちの表情は、きっと煌めく空の光が瞳に映っているだろう。その顔を拝めないのが少し残念だった。
ふと、二乃が急に振り向いてきた。俺が五つ子に注視していることに怪訝な顔をして、上を見ろと指を空へ向けていた。
わかってるっての。いいから花火見てろ、と手をおざなりに振って応えると二乃は悪戯好きな小悪魔のように、勝気に笑っていた。
二乃が花火から目を逸らしたあたり、もしかしたら母親と見たものと似て異なるものだという感想は同じなのかもしれない。
「…夏、か…先生」
いつかは五つ子と共に楽しんだこの日を惜しみ、目に映るこの花火を懐かしむ時が来るだろう。
それでも俺の心は、たった一度だけの空を。もう叶わないあの一時を。
夜を照らしては散っていく星空を眺めて、あの8月の空に恋焦がれてしまった。
「一日あっという間でした…まだ遊び足りませんよ」
「おまえの無尽蔵のスタミナに付き合ってたら二日目に突入しちまう」
「あはは、確かにそうかもしれないです…二日目余裕ですっ」
花火が終わり、21時頃となったことでそろそろ帰路につく人たちがゲートへ向かっていた。
俺たちも同じく。閉園時間ギリギリまでいたい気持ちがあるだろうが、また来ることを約束して…最後に土産を買いに向かった。
「らいはお姉ちゃんとお父様はどれが喜ばれるでしょうか、上杉君」
「まあ…菓子でいいんじゃねえか、特に拘りはねえよ」
「そうですか…いつもお世話になっていますので、欲しいものとか窺っておくべきでした」
「あまり上品なものを買われても困るし、かといって大量に買われると…親父がごねそうだ」
「ごねる? なぜです?」
「絶対に行きたがる、良い年した大人が」
「…ふふ
でしたら、次はらいはお姉ちゃんとお父様も一緒に」
「これ以上騒がしくしないでくれ…」
次々と手に持つ品を見せて反応を窺ってくる五月と土産を選ぶ。それとは別に明らかに五月が買う品の物量が多かった。
全部五月の分か、ここぞという時に自分の小遣いを浪費していくのは至極当然の流れだった。車に積める量にしてほしいものだ。
「上杉君、これ見たことありませんっ
新作のようです、これも買いましょう!
うぅ…新作に限らずどれも美味しそうです…こうなると破産を覚悟しなければ」
「お小遣いの前借りはなしだぞ」
「わ、わかってますっ
…うぅ…悩ましいです」
「…つーかおまえ、来週確かケーキ屋のフェアが」
「あぁっ!? そうでした…!
あ…あぁ…ケーキが…」
「元の棚に返しておくんだな」
「う…世知辛いです…
…いえ、過ぎた我侭でした、すっかり上杉君との生活に毒されてしまいました
一年前はお菓子を買うのも憚られる生活だったのに…ごめんなさい」
「…」
…母親との極貧生活と比べて、俺が猛毒だと言われると無性に腹が立つ。贅沢は敵だという認識は俺にも共通しえることだが、何か気に障る発言だった。
五月と同年代の、俺が高校生だったら気が狂っても菓子如きの一万円札も、まして千円札も五百円玉も出すことに苦言を出していただろう。
しかもこいつは今日一日で十分食べまくってたし。食欲旺盛なのは良いが食い物が無料で手に入るわけがなく、何かと金がかかる子だ。
安易に約束を交わした昔の自分を恨みそうだぜ。俺は五月が持つ品を取り上げてレジへ向かった。
「…あっ う、上杉君?」
「…俺の身内の分もあるし」
「あ、ありがとうございます…」
二乃と一花に見られたら甘やかすなと文句を言われそうだ。見られてない今の内に買っちまえばお咎めなしだ。
五月は俺に頭を下げて姉たちと合流した。俺も買い物を済ませて、姉妹に見られないところで五月に買い物袋を手渡しておいた。
一花たち四人も目当ての物を選んでいるところで、四葉と二乃は大きめの人形を抱えていた。昔なら買わなかっただろうに、俺に毒されていたのは末っ子だけではないらしい。
五つ子とある程度店内を回ったところで、俺も棚に陳列する品を手に取った。
好んで散財はしないが、土産ならばそうはいかないのが社会人。
「あんたも買うの? なら一緒に会計済ませちゃいましょ」
「ああ…悪い、少し待ってくれるか
俺も土産買いたいから」
「…土産? え、お姉ちゃんとおじ様の分買ったわよ?」
「いや、職場の…世話になってるしな」
「…ちなみに、誰の?」
「…」
二乃が気を利かせてくれたのは最初だけ。見れば二乃だけでなく姉妹全員が俺のほうを向いて注目していた。
疑問符を浮かべているのは五月と四葉だけ。残りの一花と三玖、二乃はどこか顰め面をしていて嫌な予感がする。
「前田と武田と…一応江場のヤツにも…」
「うんうん、前田先生と武田先生に江場先生ね」
「…あと、竹林にも」
最後の人物を挙げると三玖が硬直しやがった。あからさまな反応…ついでに二乃の機嫌も悪くなった。
やっぱりかー と一花と四葉は苦笑。五月もまた微妙そうな笑みを浮かべていた。
「…おまえら、竹林先生への反応冷たくね」
「…ほんとに付き合ってないんだよね、フータロー君と竹林先生」
「ないっての、おまえらと再会してもうじき一年経とうとしているが
この一年おまえらにほぼ付きっ切りだぞ」
「た、確かにそうなんだけど…」
「…昔の彼女とか…」
「あいつとは小学校以降ろくに会ってない
…高3の頃を除いて
それにあいつと仲良い男は別にいる、俺は単なる同僚だ」
五つ子の反感を緩和しつつ、土産の品を適当に選んで買うことにした。
しかし竹林の奴…五つ子からの印象が悪いな。主に俺のせいなんだろうけれど。
この五人には、俺と竹林が幼馴染みで同じ教師の中で割と仲が良いことは知られている。
自分の保護者となった男が女性関係に溺れて監護義務を怠っていないか不安になる…という心境ならまだ単純なものだった。
やはり…恋だとか恋愛だとかが絡むとろくなことがない。本人たちにその気がなくとも疑われてしまうか。
土産を買い終えて俺たちはゲートまで向かう。もうじき夢の国との時間が終わりとなる。
それぞれが名残惜しみつつ楽しかったと感想を口にする道中、そろそろ約束の時間となり四葉に声をかける。
「四葉、忘れないうちに返すぞ」
「ほえ? あ、リボンッ!」
カチューシャをつけるために外した四葉のリボン。預かっていた物を返すべく本人に手渡した。
四葉は大きな人形を抱えたままで両手が塞がっていた。
四葉は俺が手に持つリボンと、遠くに見える城を見やって…俺の前へ歩んできた。
カチューシャを外して、暗闇を照らす方を横目に近寄ってくる。
「結んでくれますか?」
「…そういう話だったな」
俺も買い物袋を持っていたので、一度地に置いて四葉の髪に指を滑り込ませる。
気軽に頼んできたものだが、男が綺麗にリボンを結んでやれると思うな。半ば試されているんじゃないかと勘ぐってしまう。
「あっ」
「じっとしてろ」
不器用な手つき…とはいかず。意外に思ったのか、四葉は驚きの声を上げ、しおらしく頭を向けていた。
こいつがまだ幼稚園の頃、何度か結んでやったことがあったから…結び方は覚えている。
眼下にて俯いている四葉の表情は俺には分からないが、横を向いて一花たちのほうを見て気にかけているあたり、恐らく恥ずかしがっているのだろう。
きゅっと、やや力を込めて、解けないように結び終えると…四葉は涙目になっていた。
「すまん、痛かったか?」
「いえ…懐かしくて…」
「…」
「上杉さん、結んでくれましたよね…昔」
「ああ」
「…あと、ここでも
お母さんが結んでくれたんです」
「…」
「…また来ましょうねって…約束したんですよ」
四葉だけでなく静かに見守っていた四人もまた、母親との約束を思い出したのだろう。少し寂しげな表情だった。
急いで涙の雫を拭った四葉は、二つの意味で懐かしかったと感涙していた。
亡き母を思い出して、古い過去からだいぶ成長した四葉は笑って誤魔化していた。
涙を捨てて、人形を一度だけ抱きしめてから…四葉は俺へ向かって口を開く。
「上杉さんと来れて良かった」
「そうか」
「いつも…またいつか、迷惑をかけてしまうと思います
でも…私、本音は…
もしも、お母さんと一緒にいたら得られたはずの…
甘ったるいくらいの幸せが欲しいです」
「…ああ、わかった」
いつぞやの、滝から落ちた時の返答か。
おまえが望むのなら叶えてみせよう。リボンごと四葉の頭を撫でると照れくさそうに笑っていた。
「帰るか、明日から勉強再開だ」
「はいっ」
「あはは、最後にそれを言わないでほしかったな」
「うわぁ…夢も希望もないわね」
「フータローらしい」
「楽しんだ分、努力するのは当然ですッ」
また来よう。亡き恩師に代わり、その約束を必ず果たすと誓って俺たちは帰路につく。
夢の国から離れ、通り過ぎていく夜景を横目に車を走らせる。もう深夜となり、五つ子たちは車の中で眠ってしまっていた。
その光景は昔を連想させるもので、俺は一人ハンドルを握って子供たちを家に送り届けた。
見上げると首が疲れそうな、貧乏人には夢の国とそう変わらないマンションの前に着き、運転席から降りて五つ子を起こす。
「着いたぞ、起きてくれ、おまえたち」
「…」
じゅ、熟睡してやがる…後部座席に座る四人は肩を揺すっても起きそうにない。
助手席には人形を抱いたまま眠りこけている四葉がいる。口を半開きにして無防備に寝ていやがる。良い子は寝る時間ってか。
「…眠りのお姫様気取りか」
生憎王子様は不在だ。この世のどこかにはいるのだろうが、ガラスの靴を託していない以上出会えるのは先の話。
こいつに手伝ってもらおう。代役を担ってもらうべく、四葉が抱いた人形を取り上げる。
その人形の口で、寝こけている四葉の唇に突撃してもらった。
「――!!?」
目を開ける直前に人形を離す。寝ている子に口付けは効果があるようだ。
案の定…四葉は目を見開いて飛び起きて、顔を真っ赤にして唇を手で覆って混乱していた。
「お目覚めか、お姫様」
「…う、うぅう…」
何を誤解していたのやら。口をわなわな震わせていた四葉の慌て様は凄まじかった。
だが、キスの相手が人形だと知ると悶えてしまい、弱々しく俺を睨んでいた。起きないおまえが悪い。
「さて…こいつを借りるぞ」
「え、何する気ですか」
「姉妹共通だといいんだけどな」
「…お、お手柔らかにしてあげてください」
「だって起きねーんだもん」
人形が王子役は心底遺憾だったようで、四人は目を覚ましたが滅茶苦茶不機嫌だった。二乃から顔面パンチを食らわされてしまい不憫だった。
「何を勘違いしてるんだか」
「上杉君だから、ありえるんじゃないですか」
「何が」
「…天然キス魔」
「なんのことだか」
「あはは…すっかり目が冴えちゃいました」
夢見る国はまたいつの日か。幸福と娯楽に満ちた日はまた今度。
いつもの日常に戻り、小さく平凡な幸福を手に喜び、必死に掴み取る日々が始まる。
贅沢を知ってしまった今では、あまり気乗りのしない話だが。
ないと思い込んでいたもの。欲しいものが見つかったのなら、その頂を目指して頑張れるのだろう。
「誰にも見られず、評価されず、あんたから離れてその負担を減らそうとしていた
そんな不器用なやり方は…母親譲りなんだろうな
貴方はめったなことには笑う人ではなかったな、四葉も同じなんだ
本当に笑ってくれる時は意外と少なかった
…今は多少、違って見えます」
喧騒などない、眩い太陽に照らされた墓地は不要な言葉を慎ませる。
一度は経験した幸福な過去は、二度は得られない。似たようなものはあっても。
だからそれを惜しむ時、求めるのは同調であり、理解者だ。
あの子たちが思い出を語る場に、貴方がいないことは…やはり物悲しいものだ。
娯楽と貧乏は反発する。娯楽に溺れると金持ちでも貧乏生活にひっくり返る。
逆に娯楽を求めなければ、質素な生活でも大抵生きていける。
そんな生活に希望を見出すとすれば、家族の恩恵が必要だった。
先生、貴方は子供たちに無上の愛情を差し出していた。今でもあの子たちは…昔を惜しみ、戻りたいと縋っている。
贅沢を知ったところで一番に求めているのは、誰かの愛情なのだろうな。
…そういう見方では、一番の贅沢を強請っていると言える。面倒臭いな、五つ子は。
「上杉君」
誰もいないはずの墓前で、声が聞こえた。
その声は墓の方からではなく、背後から。
振り向けば、やはり似ている。歳を重ねれば再び見間違えてしまうかもしれない、恩師の娘が歩み寄ってきた。
「お墓参り、来てくれたのですね」
「ああ」
「…母に代わって、お礼を言わせてください
ありがとうございます、上杉君」
「…ああ
この人は俺にとって、憧れの先生だから
きっと、毎年顔を見せに行く」
「…それでしたら、母も寂しい思いをしませんね」
俺より先に来ていただろうに。姉妹から一人はぐれて、再び母親に会いに来たようだ。
母親に憧れる娘。中野五月は俺の隣で墓前に手を合わせる。
無言が続く。蝉の鳴き声だけが耳に障り、やがて五月は手を下ろした。
「貴方いるとは思いませんでしたので…困りましたね」
「何?」
「…みんなの前では言えない、母に貴方のことをお伝えしようと思っていたのに」
「…」
こっちの台詞だと言ってやりたかったが、それはそれで本人に追及されかねないので押し黙る他なかった。
五月は五人の娘が供えた花とは別の、菊の花弁に手を沿える。
俺も、先生にはまだ伝えきれていない話がある。
一歩後ろに下がり、五月にその場を渡した。
「月命日では何度も訪れているのに
命日となると…やはり寂しく思います」
「…」
「今思えば、もし上杉君がいなかったら私は壊れてた
きっと母親がいない寂しさを埋めるべく、憧れから依存に変わった執念で母を演じていたかもしれないの
…それはいけないことだと分かったのは
お母さんに代わって、私たちを見守ろうとする上杉君を見てしまったから
罪悪感を隠しながら、隠せないと分かっても執着する人
十年も昔の、まだ子供の私との約束を…叶えてくれた人なのにね…」
母への語りに、誰も答えない。
五月は花へ差し伸べた手を下げて立ち上がる。
「その人は私に夢を見させてくれたの
私の手を掴んで、教えてくれました
…お母さんの受け売りなんですね」
母に憧れ目指す娘は思い出を語る。
不出来と意地に苛まされた日々を。それでも成し得た小さな成功を。
過去の俺なら見得からできなかっただろう、その答えを示す五月が…少し羨ましくも、誇らしく思ってしまった。