彼の
ななみちゃんと別れ、京都校に帰って来てからこっそりとポケットから取り出したそれは、メモだった。
あの大量のねずみに群がられた際、どさくさに紛れてポケットに紙が一枚増えていたのに、彼を殺してから気づいた。
服がボロボロで焦っていたのは、もちろん借り物だからというのも大きな要因だが、ボロボロになったおかげでポケットからうっかりこの紙が零れ落ちてしまわないかを心配していたのだ。
メモには「美術準備室」とだけあった。
見たことのない筆跡だが――そもそも人の筆跡を語れるほど筆跡に詳しくない。
ただ、メモに鼻を近づけてすん、と嗅いだ時に、覚えのある香りがした。
それは例えるなら
だから来た。一人で。
見渡しても、気配を探っても、誰もいない。
とりあえず座って待つか、何が起きるかも知らないし、いつまで待てばいいのかも見当がつかないが、このメモが一枚あるだけで寂しさは薄れる。
小さく丸まりながら、メモを握りしめる。
「お兄ちゃん、兄者ぁ……」
ここに2人がいるんじゃないかという幻想を抱いた。
呪術高専京都校に侵入すれば、未登録の呪力が確認された瞬間アラートが鳴るのだから、そんなことはあり得ないとわかってはいたのだが、しかし。
会いたいよ~と泣き言を言いそうになったその時だ。
「感傷に浸っているところ悪いガ」
「ぎゃあ!」
突然の声だ。しかも聞き覚えがある機械音声。
「うおおメカ丸!? アルティメットの!?」
「アルティメット以外のメカ丸がいるのカ」
「知らねえけどいるなら会いてえな、って違くて。どこにいるんだ、見当たらんけど」
「窓際に積まれた机の裏ダ」
確かにこの声はそのあたりからする。
問題は人ひとり隠れられそうな隙間すら見当たらないということだ。
言われたとおりに机の裏をのぞき込むと、そこには見覚えのある缶バッチに似た機械がはっつけられていた。
「メカ丸、お前指名手配とかされてねえの? 俺とこんな風に話してたら見つかるんじゃね?」
「問題なイ。呪術高専内で呪力を使用した場合は見つかるだろうが、そうではないからナ」
「なるほど……つまり……どういうことだってばよ?」
「これはただの小型スピーカーであって呪術は無関係ダ」
「ほほう?」
「呪術界ハ、呪術以外のセキュリティに甘い部分が多いのでナ」
「やば。かっけえ」
つまり純粋なる近代技術。かがくのちからってスゲー。
この小型スピーカーの設置がいつ行われていたのかについては不明だが、こういった状況をメカ丸が想定し対処したということには間違いない。
メカ丸に離反者の疑いをかけられる前に設置していたのなら先見の明がありすぎるし、疑いをかけられた後に設置した場合なら追っ手を搔い潜る手際が良すぎる。
どちらにしろ褒めるところしかないね。よっ、アルティメット!
「んで俺に何の用? あ、とりあえず生きててよかったな! てっきり死んだと思ってたぜ」
「お前に生死の心配をされる筋合いはないガ」
そんな薄情な~。俺たちなかよぴっぴじゃんかよ~。
「三輪も心配してたぜ」
「……そうカ」
「お前俺より先に三輪にコンタクト取れよ、ツンデレかぁ~?」
「時間がない。本題に入るぞ」
「ふぁ!?」
突然の流暢な返事はメカ丸ではない――俺がずっと聞きたかった声だ。
「お兄ちゃん!?」
「私もいるよ」
「兄者ア!」
ドキンちゃんみてえに割り込んできた兄者! 流石お色気枠!
おっといけねえ、興奮しすぎて大声を出してしまった。密談なのだから声を潜めなければならない。
にしても壊相兄者が元気そうでよかった、にーちゃん&釘崎とバトルした後以来なので、ずっと心配していたのだ。
もちろん壊相兄者が元気にしていることくらいは血でわかっていたが――最後に俺がぐるぐる回してぶっ飛ばしてしまったので怒っていないか心配だった。たぶん大丈夫っぽい。
脹相お兄ちゃんが話を続ける。
「俺たちはこいつと一時的に手を組んだ」
「ま~じで? メカ丸のことロクでもないって言ってたのに?」
「状況が変わった」
お前そんなこと言ってたのカ、というメカ丸の小言をBGMに話を続ける。
「てかこのメモ持ってきた呪詛師殺しちゃったよ、仲間だった?」
「知らん。近くにいたから利用した」
「なんだ捨て駒か~。縛りで?」
「ああ」
そもそも、お兄ちゃんたちの残穢があれほどまでに広範囲に残っていたのに違和感があったのだ。
なにがしかとバトルしたのであればそこに呪力の跡が残っているのは当然だが、それだけにしては道しるべのように点々と続いていたので、俺はななみちゃんと一緒にそれを追いながらヘンゼルとグレーテルを想起していた。
おそらくななみちゃんも多少は思い描いていただろう、この先にいる
俺はその先にお兄ちゃんたちがいないことは知っていたが、じゃあ逆に何がいるんだろうと不思議だったのだ。
結果いたのは、よくわからない野良呪詛師だったので余計に混乱した。
とりあえずお仕事ということもあって殺してしまったが、お兄ちゃん的に問題がないのならよかった。
野良呪詛師とお兄ちゃんたちはなんらかの縛りを結んで、野良呪詛師が俺にメモを届けるようにしたのだろう。
ただのメッセンジャーだ。俺が監視付きでなければねずみの郵便屋さんを使わずにすんなり済んだのだろう。ご愁傷さまだ。
でもあの呪詛師には結構明確に殺意があったので、俺のことは殺すつもりだったらしい。手紙を届けた後全力で逃げていれば生きていられたかもしれないのに。
しかしななみちゃんにバレないように俺にメモを届けるためには、攻撃が必要だったもんなあ。逃げに転ずるのが遅すぎ、それか俺になら勝てると思ってなめすぎ。どちらにせよ、弱いのが悪い。
「まひっ……あっちとは縁を切ったってこと?」
「祓い損ねた」
返事は言葉からにじむ明確な殺意で十分だった。
つまり堪忍袋の緒が切れちゃったってことですね、しかたねえよアイツむかつくもん。
「血塗を取り戻すのに役立つかと思ったが、邪魔でしかなかった。俺の判断ミスだ、すまない」
「なんのこっちゃわからんけどお兄ちゃんは悪くないぜ!」
悪いのはあのきっしょい呪霊だ、100%な!
「それに血塗、お前は望んでそこにいるんだろう。お前の力なら、その場から離脱する機会は幾度となくあったはずだ」
いやなかったですけど……お兄ちゃんが俺の力を過信している気がしてならない。
呪術師いっぱいいる場所から脱走できるほどの力ないでちゅ……バブだから……。
しかし、わざわざ訂正はしなかった。
お兄ちゃんの認識は正しい。俺は望んで呪術高専にいる。脱出する能力があったとしても、脱出はしなかっただろう。
なにしろ五条悟からゲームの支給があったので……今はゲームが手元にないからうっかり脱出してしまうかもしれない。
「俺たち兄弟にとって、呪霊側が思い描く世界のほうが都合がいいと判断した。だが、お前が呪術師との共存を望むのなら、俺たちもそうしよう」
「まっ……みゃっ……」
俺の口からは声にならない奇声しか出てこなかった。
「お、おにいちゃあん……!」
ようやく絞り出したのは、鳴き声に近いものだった。
俺はなんだか安心してきて、するすると説明できた。
「呪術師はそりゃ性格悪いやつもいっぱいいるけど、でも全員がヤなやつじゃなくて、一緒にいるとたのしいやつもいっぱいいるし、俺、ともだちもできたんだぜ。だから俺、呪術師のみんなと殺し合いしたくねえんだよぉ……」
「血塗の幸せが私の幸せだよ」
「あにじゃあ……!」
壊相兄者からも同意を得られたので、俺は嬉し涙を流した。
ずび、と鼻水をすすりながら報告する。
「俺、呪術師になったんだぜ! 俺がなれるってことはお兄ちゃんたちもなれるってことだろ。そしたらいっしょにいられるよな!?」
「ああ」
「でも俺の後ろ盾になってくれる力とやる気があるのは五条悟だけで、その五条悟がハロウィンでいなくなったら無理なんだよ。だから夏油たちの計画は止めてえの。わかってくれるか?」
「ああ。俺たちも協力しよう」
やった。……やった!
「10月31日に奴らが渋谷で事を起こす。その場で合流しよう。五条悟封印の阻止でもって、呪術師どもに俺たちの有用性を示す」
勝った! 第三部完!
渋谷事変においてお兄ちゃんたちが味方になるのならこれほど心強いことはない。
やる気がないとはいえ五条悟に攻撃して脹相お兄ちゃんが後々ピンチになったりしたらどうしようとか、壊相兄者も参戦するならつよつよな呪術師と当たっちゃってピンチになったらどうしようとか、いろいろ考えていたがいい方向に転がりそうだ。
「めちゃめちゃ楽しみになってきた、えへへ。お兄ちゃんと兄者が高専に来たらともだちみんな紹介するな! にーちゃんのことも!」
「何?」
途端、声が冷え冷えとした。
「
俺はスンッと表情を失った。
とんでもねえ失言をしたことに気づいたからだ。
「誰だそれは」
俺は脹相お兄ちゃんに虎杖悠仁という概念をどう説明すればいいんだ……?
前世の兄ですという紹介をするにはまず俺の前世から話さなければならないということ……?
「そ、そう、実は俺、虎杖悠仁っていうにーちゃんがいてさ……」
「いない」
「いやいるんd」
「いない」
いるんだけど……!
いるんだけどさあ……!
二の句が継げねえんだよ……圧が強すぎて……!
「お前を誑かした男の名前は、虎杖悠仁というんだな」
「いわないんだけど……!」
いわないんだけどさあ……!
俺は誰にも誑かされてないんだけど……! 誑かそうとしてくる真人っていう変態呪霊ならいるけど……!
あとは五条悟が誑かしてくるなら致し方ないかなって方針だけど……!
「そろそろ時間ダ」
「わかった。では血塗」
なんかもう会話終了みたいな雰囲気なんだけどさあ……!
ちょっと待ってもらってもいいですか……!? あの、言い訳とか説明とかしたいんですけど……!
なんでメカ丸は全スルーなわけ……!? お前にも渋谷での計画とかあるんじゃねえのか……!?
「お前は何も心配しなくていい」
心配しかねえんだけど……!
心配しかねえんだけどさあ……!
通話が切れたみたいで小型スピーカーはうんともすんとも言わなくなっちゃったし……!
ちょっともうどうしていいかわからないですね……!
にーちゃんごめん……!
もしかしたら急遽そちらに特級呪霊が向かうかもしれないです……!
お兄ちゃんたちと渋谷で待ち合わせが決まってハピネスチャージ♡した血塗ちゃん