するはずのない気配を自分のすぐ右横から感じて、五条悟は一瞬思考が停止した。
ほんの一秒前まで感じなかった気配。
それにわずかに集中を乱されて、伏黒甚爾の左腕と脇腹をえぐるコースだった術式『茈』は悟の想定していた軌道をわずかにそれて左腕を消し飛ばすだけの結果になった。
五条悟にできた明確な隙。
だが、そのチャンスに伏黒甚爾も動くことはなかった。
先ほどの『茈』で敗北を確信していたこともあったが、それ以上に度肝を抜かれたからだ。
なんたって――五条の近くに現れた人物は、少し前に甚爾が胸を貫いて確かに殺したはずの女だったからである。
五条悟が復活した場合とはわけが違う。
五条の場合は死亡を確認しなかったが、女狩人の場合は彼女が完全に事切れて死体になっていたことを確かに甚爾はその優れた五感――視覚と聴覚で確認したのだ。確かに彼女の鼓動は完全に止まっていた。
そして甚爾に負けず劣らず、悟も驚愕していた。
直前まで全く気が付かなかったのに戦闘の最中にいきなりすぐそばに気配が現れたこともだが、死んだと聞かされた同級生が生きていたのだ。驚かずにはいられない。
高揚していた気分が冷や水をかけられたかのように一瞬で冷めていく。
甚爾のあの言葉はこちらを動揺させようとするための嘘だったのかという考えが一瞬頭をよぎったが、甚爾のいっそ無様ともいえる驚き様をみてそれはないなとその考えを捨て去った。
その場は先ほどの戦闘と打って変わって奇妙な沈黙があたりを支配した。
そしてその沈黙を打ち破る衝撃が二人を襲った。
「悟、無事か!?」
戦場に夏油傑が飛び込んできた。夏油傑を甚爾は殺していないから、追いついてきたって驚きはしない。家入硝子から歩ける程度に回復してもらったのだろうと理解できる。
だが問題はその夏油傑の後ろから出てきた人物だった。
「五条!――生きてる!」
今しがた甚爾が死体を報酬と引き換えに盤星教『時の器の会』に引き渡してきたはずの星漿体がぴんぴんして歩いてきたのである。
これにはさすがの甚爾も開いた口がふさがらなかった。
一方で天内もまた、自分の目の前で刺されて死んでいたはずの女狩人が立っているのを見て、驚きと困惑でいっぱいいっぱいになってしまったようだ。最初に「生きてる!」と叫んだっきり、これは夢ではないのかと立ち尽くしていた。
唯一夏油のみが甚爾を見て臨戦態勢を何とかとったが、「これは…どうすればいいんだ…?」という戸惑いが透けて見える顔をしている。
あたりに微妙な空気が漂う。
「てめぇ、何しやがった…?」
甚爾が地を這うような声で狩人を睨みつけながら問いかけるが、彼女はそれには答えずに
「質問に答える前に、確認することがある」
と甚爾をまっすぐに見据えた。
「術師殺し・伏黒甚爾。あなたは今しがた、殺した『天内理子』の遺体を盤星教『時の器の会』に引き渡し、すでに報酬を手にしている。…これは間違っていないか?」
甚爾はしばらく答えずに女狩人を睨んでいたが、全く動じていないのを見てこのままでは話が進まないことが分かったのだろう。不承不承といった様子で「ああ」と投げやりな返事を返した。
「では依頼を達成して報酬を手に入れた以上、天内理子の命を狙う理由はあなたにはもうないわけだ」
「あー…、まあ、そりゃその通りだな」
甚爾は頭をかきながら、気まずげに身じろいで答えた。
先ほどは自分を曲げてまで五条悟と戦い、敗北してしまったが、本来の自分ならば報酬も何もない状態で戦おうだなんてつゆほども思わない。
もちろん、星漿体が『時の器の会』の連中に生存を知られるようなことになれば、術師殺しとしての信用を守るために殺すことになるだろうが、いくら高専の連中でもそんな間抜けな真似はさすがにしないだろう。
「なら、『時の器の会』にあなたが引き渡した遺体を取り返したとしても、何の問題もない?」
「そいつはお前たちの勝手だろ?依頼達成後の死体なんざどうなろうが興味ないな。…つーか、結局何が言いたいんだよ?」
回りくどい言い方しやがって!早く本題に入れよ。という気持ちを言外に込めて答えれば、彼女はようやく頷いて、
「なら私は、天内理子の遺体を『時の器の会』から取り返しに行きます。――説明はそのあとで」
「「はぁ~?」」
五条と甚爾が全く同時に声をあげる。顔もほとんど同じ、納得がいっていないという不満顔だ。かぶってしまったことに眉をしかめる様子まで同じなのだから、まだ安心できる状況でも何でもないのにもかかわらず、夏油は危うく噴き出しそうになった。
「おい、先に説明していけばいいだろうがよ。なんで俺がここにいるクソガキどもと一緒にここでいい子に『待て』なんざしなきゃなんねぇんだよ」
「別にここで待つ必要はないが…」
「あ゛ぁ!?そりゃ、こっちのセリフだ!こっちだっておっさんと一緒なんざ、反吐が出るね!」
言いかけた彼女の言葉をさえぎって五条が甚爾にかみつく。五条はいつか夏油にやったように、オエーッと吐く真似までして甚爾に睨みつけられている。今にも殺し合いを始めそうな二人を前にしても、彼女の顔色は全く変わっていない。
実は仮面だといわれたほうがいっそ納得がいくような鉄面皮である。
「…先に説明をすることは、できない。あの遺体は、私が術式で作り出したものだから長くはもたない。このままでは『時の器の会』の信徒たちの目の前で突然遺体が消えうせる事態になるだろう。そうなってしまえば伏黒甚爾、『時の器の会』があなたに偽物の遺体をつかまされたととらえてもおかしくはない。あなたの『術師殺し』としての信用とこれからの評判にもかかわってくるのでは?」
「ぐ…」
甚爾は痛いところを突かれたという顔で黙り込む。
もちろん、この場でもう一度本物の天内理子を殺して死体を持って行ってもいいのだが、そんなことをしてもどちらにせよ信用を失うことに変わりはないのだ。
「そして、五条。天内が生きていることが『時の器の会』に大々的にばれると困るのは、こちらも同じこと。ここで伏黒甚爾が手を引いたとしてもまた星漿体として、天内が同化しなければならなくなってしまう。…それでは、天内が逃げることが今よりもずっと難しくなってしまうのでは?」
「俺、正論嫌いなんだけど…」
そう言いながらも、五条の声は弱弱しい。まあ、天内の命運がかかっているのだから、さすがの五条もいつも通りとはいかないのだろう。しぶしぶ引き下がった。
「もちろん伏黒甚爾、あなたはこのままここで帰ってしまってもいい。でもそれでは納得がいかないと思う。このまま高専へ彼らとともに戻って
『縛り』を持ち掛けられている。
その事実に甚爾はイヤーな顔をしたが、このままここで何も聞かずにもやもやしたまま帰ることは死に損なった甚爾にとってはとてもできることではない。
もう甚爾はやけくそだった。
「…高専に入ったとたんに拘束とかねえだろな?」
苦し紛れにそう聞くと
「夜蛾先生に話はもう通してある。何ならちょっとした傷の手当くらいはサービスでしてくれるかもな」
という返事が返ってきて、甚爾と悟の戦いに割って入る前からこの結果を見越していたことが分かった甚爾は脱力した。
「ね?…あなたにとっても、悪い話ではないだろう?」
そう言ってほほ笑む女狩人の顔は悪魔もかくやと言わんばかりのもので、反論を封じるその笑みに流石の二人も白旗を上げたのだった。
『悪い話ではないでしょう』が使えてとても満足。
五条も甚爾も、こんなに理詰めで攻められると「うるせ~!!」ですべてをぶち壊しにかかりそうな気もしますが、ここは疲れていたということで一つ…(;´・ω・)
防具・銃器・仕掛け武器は変更なし。
秘儀:古い狩人の遺骨
使用することで初期狩人が用いた業「加速」を使うことができるようになる。
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