「ああ、お客様を見つけたのですね」
坂の上から聞こえてきたその声に、女狩人は素振りの手を止めておやと片眉を上げた。
声をかけてもいないのに、人形が喋ることは珍しい。喋るとしても墓石の前で祈りをささげているときくらいでたいていは坂の上でじっと立っているか、居眠りをしているかなのだが。
ここで常人なら「人形が喋るわけがない」というのだろうが、女狩人にとっては啓蒙を得た時点で人形とは喋るものなのだ。
このようなこと、
女狩人は考えたが、
だが、悪夢から解放されるために夢を徹底的に解き明かしていこうと決めていた彼女は、仕掛け武器の素振りはやめにして人形に話を聞こうと坂を上った。
人形の前にはひどく不気味な小人――使者がいて、色あせた紙を高々と差し出している。
女狩人はますます珍しいなと驚く。
使者が人形に手記を見せるなんてことはいままでになかった気がする。
「何かあった?」
「ああ、狩人様。お客様がいらっしゃったようです。これを…」
人形がそういって手渡してきた手記を見下ろす。
『ヤーナム市街、そこに客人がいる。 だから君、急ぎたまえよ。』
そう書かれていた手記を眺めて、彼女はしばし考え込んだ。数か月前にようやく聖堂街の門を開いてもうそろそろ探索も終わりだろうと考えていたし、今日は武器強化の確認の後に残りの探索を終えるつもりだったが…。
「なすべきことをなさなければ、この悪夢からは目覚められない…か」
そう呟くと、女狩人は灯りに近寄る。
おそらくこの手記からしてあまり時間がたちすぎてしまうとその客人とやらが死んでしまうかもしれない。
それならば、ちょっとした血の意思稼ぎもかねてヤーナム市街へ足を延ばすのもいいだろう。
時間はまだたっぷりとあるのだから。
それこそ、永遠と錯覚するほどに。
*****
長く、とても濃い一日だった。
星漿体護衛の任務を終えた傑はいつもの何倍も疲れ切っていた。任務での肉体的な疲労もだが、むしろその後の精神的な疲労が原因である。いつもなら本でも読んでゆっくりするところだが、今日はその気力もない。
すっかり疲れ切った傑は寮の自室で早々に眠りについた
「――…?」
何とも言えない居心地の悪さから、傑は目を覚ました。
寝ぼけた目に飛び込んできたのは、いつもの見慣れたシミのある天井ではなく、レンガで作られた壁。
一瞬呆けていた傑が立ち上がると、そこはどうやら屋外。細い路地の一角のようだ。
普段街で見るような建物とは全く雰囲気が違う、ヨーロッパの観光地にでもありそうな古めかしいレンガ造りの建物で周りを囲まれている。といっても、空気は観光地と呼ぶには陰鬱で、実はここで魔女狩りが昔行われていましたとか言われたら納得してしまいそうである。
どうやら自分は、壁に寄りかかって座る形で眠っていたらしい。
しかも、何やら窮屈だと思ったら、きっちり高専の制服をきて、髪もいつものような髪型に結ばれている。
おかしい。
確かに疲れてはいたが、衣服については寝る前に脱ぎ散らかした覚えがあるのに。
「どこだ、ここ…。………夢かな?」
あまりの疲労からリアルな夢でも見ているのだろうか?それにしてもあまりにリアルが過ぎる気がするが…。
まだ、覚醒しきっていない目で辺りをぐるりと見渡す。
先端のとがった柵、奇妙な石像、重厚なつくりの扉、突き出た白い足、脇に放置された荷物…。
傑はぎょっとして、一度素通りさせてしまった視線を戻して二度見した。
近くの建物の勝手口と思われる場所。一段上がっているその扉には、短い階段が据え付けられているのだが、その向こうからローファーを履いた白い足だけが見えている。
まさか死体か?と考えながら恐る恐る勝手口をのぞき込んでみると、そこには
「え、理子ちゃん?」
丸まるような体制の理子ちゃんがそこに横たわっていた。
気絶しているのかと思ったが、よく観察してみるとスピスピといびきをかいて、よだれまで垂らしている。むにゃむにゃと言葉にならない寝言を言っている彼女のあまりに間抜けな寝姿に、傑は無意識のうちに入っていた肩の力が抜けていくのを感じた。
理子ちゃんをゆすぶって起こしにかかる。
「ほあ……?なに、くろい?……あれ?夏油?」
何回かゆすぶってようやく目を覚ました理子ちゃんはまだ眠気が取れないのだろう。寝癖をつけたまま、辺りをきょろきょろ見回して「夢?」と先ほどの傑と同じようなことを言い出したので、耳たぶをつかんで軽く引っ張った。
「あいたたた!ちょっと!やめてよ!」
「これで目が覚めただろう?」
そう言ってにっこりとわざとらしく笑ってやると、彼女は耳をさすりながら恨めしそうな顔で傑を睨みつけてきた。
「それにしても、わざわざ引っ張らなくても…」
理子ちゃんはふくれっ面でぶつぶつと文句を言っているが、
「これで夢じゃないとはっきりわかっただろう?…何かの呪霊の影響かもしれないよ」
というしぶしぶ納得したらしい。むっつりと口を引き結んで、それ以上は何も言わなかった。
寝癖に気づいた理子ちゃんが何とか直そうと奮闘している間に、夏油は表通りの様子をうかがってみることにした。
通りは見たところだいぶ散らかっている。
傑は今までに海外へ行ったことはなかったが、これが普通の散らかり方ではないとすぐに分かった。ニュースでクーデターとかテロの映像を見たことがあるが、そんな争いがあった跡の映像とこの通りの様子はどこか似通った感じがある。通りの右のほうが何となく明るいような気がするが、のぞき込むのはやめた。
それよりも手前のほうに一つに人影があることに気が付いたからだ。
くたびれて汚れ切った帽子(それも、シルクハットのようなもの)をかぶり、こちらに背を向けて突っ立っている。背格好はいささか変わっているが、普通の人間のように見える。呪力も感じない。
ただ奇妙なことに、その人物は右手に火のついたたいまつを掲げていた。
傑は眉をひそめる。
通りにはカンテラも下げてあるところを見ると、火以外の灯りもない原始時代のような場所ではないだろうことはよくわかる。なのになぜ、たいまつなんか持っているのだろう?
不審に思った傑はひとまず直接声をかけるのはやめて、手持ちの呪霊で様子を見ようと呪霊を
「(…術式が使えない!?)」
自分の中にある呪力を感じることはできるのだが、それを表に出すことが全く出来ない。
何か、呪力を封じられるような術式か呪具でも使われたのだろうか?一気に冷や汗がふき出してくる。これでは非術師と変わらない。何か呪力での攻撃を受けたときに対処ができない。
内心パニックに陥っていると、いつに間にか隣で同じように通りをうかがっていた理子ちゃんが
「夏油!あいつ、こっちに来そう!」
とささやき声で呼びかけてきた。
慌てて頭を引っ込めて彼女の腕をつかみ、路地のへこんだところにへばりついて息を殺す。
こちらに気が付いたのだろうか?呪術が使えないこんな状態では、些細なことが命取りになる。
その人物は、たいまつを掲げながら路地の入口辺りを見回している。別にこちらに気づいて寄ってきたわけではないらしい。影から様子をうかがっていると、たいまつを掲げる角度が変わってその顔がはっきりと見えた。理子ちゃんが横で息をのんだのが分かった。
「(なんだ、こいつは!?)」
その姿はホラー映画で見るような、狼男そのものだ。顔まで毛におおわれて、でも人間の面影も残しているところが大変気味が悪い。時折獣がうなるようなうめき声を漏らしている。ただ、その眼はゾンビのように白濁としていて、到底理性を感じられない。傑は女狩人が以前呼び出していたあの四足歩行の獣を何となく思い返していた。
怪物はとうとう路地の中にゆっくりとした動きで入ってきた。
まずい。このままでは見つかるのも時間の問題だ。
傑は体術もある程度は鍛えていて、自信があった。だが、呪術を使えないこの状態で理子ちゃんを守りながらあの怪物を倒せるだろうか?呪霊や呪詛師であればその呪力である程度実力を測ることができるが、相手は未知の怪物だ。体術が通用するかも、分からない。
だが、やるしかない。
額から汗が流れるのを感じながら、傑は拳を握りしめて覚悟を決めた。
しかしその覚悟は、怪物が背後から何かに貫かれ、あえなく倒れ伏したことで霧散した。
「あ゛あ゛~!めんどくせえ!なんで夢の中でまで疲れなきゃなんねえんだか」
そういうセリフとともに現れたのは昼間に出会い、そして二度と会いたくないと考えていた伏黒甚爾だった。
「お前…」
「あん?…何かと思ったら、高専のガキじゃねえか。なんでお前が
甚爾はそうぼやきながら、怪物を貫いた武器を地面に放り出した。ガランという耳障りな音。
急ごしらえの槍といった様子のその武器は、先ほどの攻撃でもう使い物にならなくなっている。
「それはこちらのセリフだ」と傑は顔をしかめた。
何が悲しくて二度と会いたくなかった男の夢を見ないといけないのか。夜蛾に説教される夢の方が百万倍ましだった。
傑と甚爾は互いの出方をうかがってしばし沈黙した。
だが、二人の間の緊張は、通りの方から聞こえてきたまた違う足音によって破られた。通りの左側から新手の怪物がやってきたらしい。
甚爾は呻いて、
「まだいんのか!こいつらウジかなんかかよ」と文句を吐き捨てる。
この様子だと、今目の前に死んでいる怪物と同じようなものと何度も遭遇していたらしい。
「おいガキ。呪霊出してとっとと何とかしろ」
「そうしたいところなんだけどね。あいにく呪力を封じられているようでね。術式を使えないんだ」
「まじかよ…。使えねーな」
甚爾のその言葉にムッとした理子ちゃんが
「む、使えないとはなんじゃ、その言い草は!」と甚爾にかみついたが
「足手まといは黙ってな」の一言であしらわれた。
まあ、片腕を失っているとはいえ、甚爾は天与呪縛のフィジカルギフテットゴリラだ。素手でもなんとかできるだろう。…面倒がって二人を置いて逃げることも考えられるが…。
路地の入口を横切ろうとした人影に向かって甚爾が容赦なく殴り掛かる。
先ほどの怪物ならなすすべなく倒されたのだろうが、人影はその場から飛びのいて甚爾の腕から逃れた。
甚爾が油断なく向き直るとそこにいたのは、
「――伏黒、甚爾?」
呆けた顔の女狩人だった。
すぐに後ろの自分たちにも気づいて「夏油に、天内まで?」とひどく驚いている。ここまで驚いている顔は初めて見た気がする。
彼女の服は何かの返り血で真っ赤に染まり、血と油でテラテラと光っている。特に手袋の辺りは血がしたたり落ちているほどなので、彼女が『内臓攻撃』と呼ぶ攻撃をしてきたことが一目で分かる。彼女もあの怪物を殺してきたのだろうか?
「そうか…それで使者たちが…なるほど」
と何か合点がいったのか頷いている。
その様子を見て「お前、何か知ってんのか」と甚爾が問いかけた。
「もちろん知っている。ようこそ、
あまり長居はしない方がいいだろう。――目覚めたいのならば」
評価・感想ありがとうございます!とても励みになります(*^^*)
何分初めての投稿なので至らないところもあるかと思いますが、これからもよろしくお願いします!
とりあえず0巻の辺りまでのお話は大まかな構想があるので定期的に更新できるように頑張ります。
今回から少しブラボ編になります。
このお話のブラボ世界と呪術世界がどういう関係なのかここから少しずつ出していけたら…と思っています。
女狩人の装備
仕掛け武器:ノコギリ槍
銃器:ルドウイークの長銃
防具:ヘンリックの狩装束シリーズ