ヤーナム市街から狩人の夢まで(前編)
ヤーナム市街、獣狩りの群衆が多いその場所に客人は確かにいた。
だが、女狩人は一瞬、その客人が誰なのかわからなかった。獣を殺して回っている間は現実世界のことが薄れてしまうからだ。獣狩りの夢を見ている間は、自分が現実では呪術高専の生徒だということも、呪霊を殺して回っていることも何もかも遠い霞の向こうの出来事のように思われてならない。
「――伏黒、甚爾?」
だからそう眼前の人物の名前を呼んだことで、ようやく彼女は現実で自分が呪術師であることを思い出した。
しかし、彼らがなぜここにいるのだろう?
「待ってくれ、『私の夢』だって?」
直前の女狩人の言葉に何か引っかかりを覚えたのだろう。夏油が戸惑いの言葉を口にしているが、それには答えず持参している武器を確認する。巡回の敵が多いこの場所で立ち話をしているわけにもいかないからだ。
今日の夢は本当に、今までにないことばかりだ。
*****
クソみたいな一日が終わり、海外への高跳びの準備を早々に済ませた甚爾にまっていたのは、クソみたいな悪夢だった。
ビクトリア朝の建造物…そこに漂う陰鬱な空気、気の狂った女の笑い声、悲鳴、生き物の燃える匂い、死体の匂い。
それに何より、このむせ返るような血の匂い!
五感全てが訴えかけてくる不快感でうんざりしながら目覚めた伏黒甚爾はうろたえなかった。これまでに『術師殺し』として散々厄介な修羅場を潜り抜けてきたのだ。今のように訳の分からない状況に放り込まれたのも、一度や二度ではない。
道端に転がっていた太りすぎのカラスや犬の攻撃をかいくぐり、溶けた目の化け物からお粗末な武器を奪い――化け物を何匹か片付けてそうして呪霊躁術使いのガキ・夏油傑と元星漿体の少女・天内理子に遭遇して、ようやく甚爾は「なんかいつもと違うな」と違和感を持った。
だから、かち合った女狩人に『ようこそ、
「ゆっくり話をするには、この場所はあまり理想的ではないな。ひとまずこれを」
そう言って女狩人は夏油にはねじくれた形の奇妙なナイフを。甚爾にやたらごつくて細長い狙撃用の銃のようなものを渡してくる。おそらく武器を使い慣れていない夏油には比較的扱いやすい武器を、という彼女の気遣いだろう。
甚爾が渡された『貫通銃』というらしいこの銃は、打つのに少々手間はかかるだろうが、なかなかよさそうな武器だ。甚爾は今日隻腕になったばかりでバランスも変わっているが、ここに来るまでの戦闘でバランスの違いにも対応できるようになっている。
一発試し打ちでもすれば、銃の反動に振り回されることもない。
「ずいぶん古い型の銃だな。ほとんど骨とう品だろ?」
甚爾は余裕綽々で手元の貫通銃をいじくりまわす。
「売ったら10億いくか…?」というつぶやきは聞かなかったことにされたようだ。
女狩人は天内には、少し迷って何も手渡さないことにしたらしい。まあ、正解だろう。
戦い慣れていない彼女に刃物なぞ渡した日にはけがをすることは間違いなし、ましてや銃器は自分で自分を撃って死んでしまいそうだ。
それよりもあいつらが守ってやった方がよっぽど被害が少なく済む。
甚爾が『貫通銃』をいじくりまわしてその性能を確認していると、
「ああ、武器を貸してもらえるのはありがたいね。どうも呪力を封じられているようで…足を引っ張るかもしれない」
と夏油が青ざめた顔で口元に笑みを浮かべた。余裕がないのを無理やり隠そうとして笑っていることがまるわかりだ。それにつられてか、天内も少々顔色が悪い。
当然夏油に余裕がないことには女狩人もとっくの昔に気づいていたようで、慰めるように
「夏油、呪力が感じられないのは当たり前だ。ここは呪力が存在しない世界だからな」
と爆弾を落とした。
夏油傑はぽかんと呆けてしまっているが、甚爾は特に驚きはしない。
いつもならうざいくらいに感じられる呪霊どもの気配が全く感じられないのだ。そういうこともあるだろう。むしろ元から呪力のない甚爾からすれば、見えている化け物にだけ集中していればいいのだから、楽でいいなと思うくらいだ。
「とりあえず安全地帯に案内しよう。この夢に現実の人間が入り込んできたのは私の記憶にある限り初めての経験だ。ここで君らがけがをしたり、ましてや死んだりなどしたら、現実にどんな影響があるかわからない。できる限りの安全策をとっておきたい。慎重に行動してくれ」
女狩人がそう言って三人を見渡す。甚爾に否やはない。
「では行こうか」と女狩人が促して通りへ出る。
大通りは先ほど甚爾が通ってきたときと状況は変わりない。何かの死骸が燃やされていて、その周りに先ほどと同じ溶けた目の化け物が銃やら、槍やら、たいまつやら…お粗末な武器を手にたむろしていた。
ガキどもと合流する前に通っては来たのだが、化け物の数が多すぎて、急ごしらえの槍ではいちいち殺して回る気が起きなかったのだ。
だが今なら、なかなかいい武器が手元にあるし、何より人手がある。試しに早速銃を持ってこちらに背を向けている化け物に一発ぶち込んでみると、その向こうにいたもう一体にも当たったらしい。流石『貫通銃』と名がついているだけはある。
銃撃の音で夏油もようやく我に返ったらしい。
「ちょっと待ってくれ。“呪力の存在しない世界”?じゃ、さっきの怪物はいったい何だったんだ?」
夏油は女狩人に詰め寄っていったが、ちょうど死角から先ほどと同じ溶けた目の化け物が襲いかかってきたのに「うわっ!?」と間抜けな声を上げた。慌てて『慈悲の刃』を振り上げている。
こうして比べてみると、女狩人と夏油とは武器の扱い方の上手さに天と地ほどの差がある。大方、普段は五条のガキと同じく術式に頼りっぱなしでそれ以外がお粗末になっているのだろう。
夏油自身は数回切りつけてすぐに倒せたことに「なんだ、そう強くないな」と拍子抜けして少し調子を取り戻したらしい。
そんな夏油の奮闘をしり目に甚爾はすでに広場にたむろしていた化け物どもを片付け終わっていた。広場の中心で燃やされている何かでかい生き物の死骸は、よくよく見ると何かの獣だったようだ。
「キャンプファイヤーか?」などと言っていると、天内から
「緊張感なさすぎじゃろ…。こんな物騒なキャンプファイヤーいやじゃ」とつっこみが入った。
余裕が戻ってきた面々に(甚爾はずっと余裕だったが)女狩人がからかうように軽い調子で笑いかけた。
「ああ、呪霊で言えば4級程度の強さだ。夏油ならいつものように漫才しながらでも余裕だろう」
「…?私は漫才なんてした覚えが…いや、待て。君、悟と私のやり取りを漫才だと思っていたのか?」
「違うのか?」
「当たり前だろ」
心の底から心外だといわんばかりの表情になる夏油に天内と甚爾はニヤニヤ笑った。
いいぞ、もっとやれ。
ガキ共もどうやら顔色が戻ってきたようだ。
憤然とした顔で「で?」と聞いてくる夏油に女狩人は獣槍で通りの向こうからやってきた敵を
「この街、ヤーナムでは『獣の病』と言われるものが流行っていてね。彼らはその罹患者だ」
「つまり、元は人間というわけか?」こわばった顔になる夏油。
「その通り。だが、気に病む必要はないだろう。一度獣となって理性を失えば、元に戻ることなどできないのだから」
女狩人はそう声をかけたが、夏油の顔を見ると気にしていることがありありと分かる。
それは甚爾にはわからない感覚だった。甚爾は金になるなら呪霊だろうが、呪術師だろうが、一般人だろうが殺してきた。
だから、自分を犠牲にしながら、呪術師や一般人を守ろうとする夏油の感覚は理解できない。
逆に女狩人の感覚の方はこちらに近い。彼女は自分自身のために“狩り”をする。
呪詛師を殺すのとはわけが違うと考えているのだろう。
まだまだケツの青いガキンチョらしい、甘い考えだ。こういうのが“優しい男”だといわれるのだろう。
つくづく生きづらそうなやつだな…。
そんなことを考えながら、甚爾は貫通銃を抱えなおした。
おかしい…狩人の夢まで行くところまでさらっと済ますはずだったのに8000字を超えてしまった(;´・ω・)
ということで、読みやすさを考えて前後編に分けました。
女狩人の装備
仕掛け武器:ノコギリ槍
銃器:ルドウイークの長銃
防具:ヘンリックの狩装束シリーズ
伏黒甚爾の装備:貫通銃
夏油傑の装備:慈悲の刃
天内理子の装備:カチューシャ
閲覧ありがとうございました!