ヤーナム市街から狩人の夢まで(後編)
ある程度周囲の化け物を狩りつくして緩やかな坂を下っていくと、開けた場所に出た。
白い月が空に浮かんでいるのがよく見える。
だが、きれいな月とは裏腹に、近くには乗り捨てられた馬車と何かにかみ殺されたのだろう傷跡を残した馬の死体が転がっている。ここまで化け物の痕跡が見られることを考えれば、もう生きているまともな人間はほとんどいないと考えていいだろう。
さっきから考えて込んでいた夏油がおもむろに口を開く。
「…以前君が言っていた“毎晩見る悪夢”というのは、ここのことなのか?だから先ほど『私の夢』だと?」
「その通り。私が毎晩見る悪夢の世界がここだ。…伏黒、右に三人いる。うち二人は死んだふりだ」
問答を始めた二人を気にせず、甚爾は「ん」と手を出して弾を催促した。敵にはとっくに気が付いていたが、弾がもうなかったのだ。4度目の弾の催促に女狩人がため息をついて手の中に弾丸を
いったいどういう原理かはわからないが「血が足りなくなる」と言いながら、先ほど突然輸血をし始めていたので自分の血から弾丸を生み出しているらしい。
甚爾は続けざまに銃を撃ってあっという間に化け物を仕留める。
「道中楽なのは助かるのだが、水銀弾をそうバンバン気軽に使われても困る…」と女狩人は文句を言っているが、甚爾が全く聞く耳を持たないのでため息をついて話を戻した。
「ここは一般的な夢とは違う…と私は考えている。私個人の考察でしかないけれどね。
――この世界は現実の世界とは別に確かに存在している。でなければ、一貫性があって、前回・今回・その次と続いていくなんて夢があるはずがない。」
「それは…確かに。ただの夢というにはおかしな話だね。じゃあ仮に、この世界が現実世界とは違う異世界だとしよう。だが、ここが“呪力のない世界”と言い切ることはできないんじゃないか?この世界で君が呪力を認識できない非術師であるだけ…ということもあり得ると思うけど…。」
「そういわれると痛いな。はっきり言い返せない。だが、少なくとも呪霊はいない。目に見えないものによる不可解な出来事は存在するが、『啓蒙』と呼ばれるものを用いれば、だれでもそれを見ることができるようになるし、この武器のように呪力を帯びていない武器でも狩ることができる。
――ああ、この梯子を上ってくれ。ここまでくればもうすぐだから…」
二人の話を小耳にはさみながら、甚爾は目の前の梯子を見上げた。日本の建物じゃないから正確な高さはよくわからないが、大体3階分の高さを上るような梯子だ。
――まあ、これくらいなら行けるだろうと甚爾はひとまず『貫通銃』を女狩人に放り投げて、助走をつけると一気に
下からは、甚爾の身体能力に感心したような声で
「この跳躍力は『聖職者の獣』並みだな。彼ならきっと『教会砲』でも簡単に扱えるだろうし、『ガラシャの拳』でもたいていの獣をワンパンできるだろう。そうなりたいとは思わないが」
という、褒めているのか貶しているのかわからない女狩人の言葉が聞こえてきた。
「あれ、本当に人間なの?」
という天内のドン引いている声まで続いて聞こえてきて、甚爾は天内にはあとで仕返しをすることを決意した。
着地した先は先程とさほど変わりない陰鬱な雰囲気の小道。
だが一つだけ気になるものがあった。道のど真ん中に小さなランタンが立ててある。青白い光をともしているそれは、ちょうど甚爾の膝当たりくらいの高さで、白い気味の悪い小人のようなものが群がっている。
こんな場所にあったらつまずくドジがいそうだなとぼんやりと考えながら、つま先で小人をつつく。うごめいている様子が心なしか嫌がっているように見えた。
ぼんやりと欠伸をしていると次に天内が上がってきた。梯子を上るだけなのに、息も絶え絶えになっている彼女に
「お前体力なさすぎだろ。小学生かよ」と煽って早速復讐を果たした。
天内はゼーゼー言いながら
「あ゛んだがぎがぐがいなの!」と声をあげている。
反応のいい天内に留飲を下げていると、ほどなくして夏油と女狩人も上ってきた。
甚爾は嬉々として二人もからかいにかかる。
「おそかったな。天内先に上らせるとか、下からパンツ見たかったんじゃねえの?」
とニヤニヤしながら甚爾が訪ねれば、天内は今更それに思い至ったのか怒りで顔を赤くした。
「下から梯子を見上げるような無粋な真似はもちろんしない。私は五条ではないからな」
女狩人は真顔で簡単に甚爾のからかいをかわす。夏油もそれに便乗して
「もちろん私もそんなことはしないさ。悟じゃないからね」と胡散臭い笑みでかわそうとしたが、
「いいや。夏油は五条がいたならきっと一緒になって見上げたに違いない。今回は五条がいなかったからしなかっただけの話だな」と突然の裏切りを受けた。
「嘘だろ…君、たまに私が乗ろうとすると背後からさすよね…」
「なんの話だ?」
女狩人はしれっとした顔で、先ほど甚爾が足先でつついていたランタンに近づいた。
「この『灯り』の周りに座ってくれ」
「おい、ここが安全地帯か?道のど真ん中だろ…」と怪訝な顔をすると
「いや、この『灯り』から
「ふーん」と甚爾はどっかりとその場に胡坐をかいて座り込んだが、目はしっかりと開いたままにした。
昼間にしてやられたこともあって、素直に言うことを訊くのもなんだか癪だという気持ちになったのだ。……別に、さっきからかえなかった恨みというわけではない。
女狩人は目を開けたままの甚爾に思うところがないわけでもない様子だったが、特に何も言わないことにしたようだ。まあ自分が気持ち悪くなるわけでもないのでそうなるだろう。
天内はランタンに群がっている小人に気づいてうげ…という顔をした。
心なしかランタンからも少し距離をとって座り込んでいる。
夏油も天内のすぐ隣に片膝をついた。
「それじゃあよろしく」
夏油の言葉を合図に、女狩人がランタンに手を伸ばす。
1秒も経たないうちに変化は起こった。
目を閉じていなかった甚爾はあたりの景色が濃い霧に覆われていくように白んでゆがみ、溶けるように消えていくのを目の当たりにした。足元の地面まで白くなり、荒れた海で船に揺られているかのような不安定な浮遊感を味わう。
突然の浮遊感に天内はとっさに隣にいた夏油の腕をぎゅっとつかんだ。
「うお」という無意識に出た自分の声が耳に届いた頃には、足元に固い地面の感触が戻り、
目の前には別の光景が見えてきた。
丘の上にそびえたつ古びた屋敷、小道の周りに点々とある墓石…。
門扉の辺りに人影を見止めた瞬間に、甚爾はあまりの気持ち悪さでその場に突っ伏した。
*****
『狩人の夢』についた途端、女狩人はひっそりとため息をついた。
肉体的にはさほど疲れなかったが、自由な甚爾と質問したくて仕方がない様子の夏油に精神的な疲れがあったのだ。
顔を青くして片手で顔を覆っている甚爾以外は驚いてその場から立ち上がる。
女狩人にとってはいつものことだから何の感慨もないが、夏油と天内からしたらワープなんて初めての経験だ。きょろきょろしているのをほほえましく思いながら、自分の時はどうだったろうかと思い返そうとしていると
「おかえりなさいませ、狩人様。…そちらが、お客様ですね」
と屋敷の方からゆったりと歩いてくる人形の姿が見えた。彼女は優雅に会釈すると
「はじめまして、お客様。私は人形。この夢で、狩人様のお世話をするものです」
と挨拶をした。
夏油と天内はポカンとした顔で「えっ…人形…えっ?」と人形の顔と球体関節をまじまじと見ている。
「……ほんとうに、本当に呪力のない世界なのか?呪骸でもないのに人形が動いているなんて…」そう言い募る夏油の言葉をさえぎる。
「彼女は呪骸ではない。ここでは人形は動くものなのさ」
「いや、でも…」
「人形は、動くもの。深く考えてはいけない。いいね?」
「アッハイ」
女狩人の勢いに押されて夏油はそれ以上人形について言及することはなかった。
啓蒙的真実は、誰に理解される必要もないものなのだ。
天内はどこか感動した様子で人形の手首を触り、
「ホントに人形だ…」
「もちろんです」
という、なかなかほほえましいやり取りをしている。
「ここは『狩人の夢』。私の拠点だ。ここなら先ほどのような獣も入り込まないし、現在ヤーナムで一番安全な場所だろう。ここで今日の一夜を明かすといい」
そこに、「おい」とようやく気持ち悪さから復活したらしい甚爾が口をはさんでくる。
「ここで過ごすのは別に構わねえが、さっきの話だとおまえはこのクソみたいな夢を毎晩見てんだろ?俺達もそうなるんじゃねえのか?」
「俺はごめんだぞ」と言いながら顔をすがめる甚爾に女狩人は素直に感心した。さっきは興味がなさそうにしていたが、意外としっかり女狩人の話を聞いていたらしい。
「それは…どうだろう。ないとは思うが…なにしろ前例がないものでね」
と言葉を濁した女狩人の様子を見て、人形が代わりに答えた。
「狩人様はこの夢に囚われていますから、毎晩この場所に戻られます。ですがお三方はお客様。ですから、そのようなことにはなりません。今宵、お三方がこの夢へいらっしゃったのは、狩人様の“夢”に直接触れられたからでしょう。お心当たりが、ございませんか?」
そう問いかけてくる人形の言葉に女狩人はなるほどと納得した。
これまでに一度もなかったこと、あるいはしなかったことが今日は確かにあった。
「初めて現実の世界で“死”を夢にしたからか。確かに、私が死んだ場所にいたのはこの三人だけだった。五条がここにいないのも道理だ。――まさか、反転術式にこのような副作用があるとは…」
と頭を抱えた。もちろんそう簡単に現実で死ぬ気はないが、それでも呪霊狩りなどしていれば、死のリスクは避けられない。その度に周りの人間がこの悪夢へ来ることになる。
思い悩んでいる様子の女狩人に、夏油はわざと軽い調子で話しかけた。
「じゃあ、ここはやはり現実世界に影響のある夢、というわけだ。安全地帯に行くという君の判断は、正解だったね。まあ、伏黒甚爾は放っておいても死ななかっただろうけど。
――ありがとう」
そう言って笑う夏油を冷めた目で見た甚爾は面倒そうな顔を隠しもしない。
「んで?こんな辛気臭いとこにいつまでいないといけないんだ?」
そんな甚爾に人形が丁寧に答える。
「おおよそ、一晩と同じ時間。ここで過ごされれば自然と目が覚めるでしょう」
「結構長いな。じゃ、テキトーに過ごさせてもらうぜ」
そういうと、甚爾は屋敷の中に我が物顔で入っていく。
これは止めたところで止まってはくれないだろう。
この短時間でそれを思い知らされた女狩人はため息をついた。
「悪いが、3人をもてなしてやってくれ。デカブツ二人は大丈夫だろうが、天内が危ないものに触らないように見ていてやってほしい」
「おぬし、妾を幼子かなにかと勘違いしとらんか…?」と天内の口にした不満を
「悪いね、行き過ぎたフェミニストなのさ」とかわして、屋敷に入るように促す。
天内が入り口を通り抜けるのを見届ける。
女狩人は人形へ「じゃあ、3人をよろしく」と声をかけた。
「ええ、狩人様。あなたの目覚めが有意なものでありますように…」
現実への目覚めの時間まで、まだ時間はある。聖堂街を探索するくらいの時間ならまだ残っているだろうと『灯り』へ踵を返すが、それに気づいた夏油が階段の途中でこちらに声をかけてきた。
「君はどうするつもりだい?」
「獣狩りに行く」と短く答えた女狩人に
「なら、私もついていこう」と夏油が言い出して、女狩人はひどく驚いた。
先ほど自分で『現実世界に影響のある夢』と言っていたのに、どういう風の吹きまわしだろうか。
「今の呪術を使えない私でも、それほど弱くはないよ。君が私に死んでほしくないように、私も君に死んでほしくはないのさ。それが取り返しのつくものだとしてもね」
夏油の顔に浮かんだ有無を言わさない笑み。この顔をするときは、夜蛾先生でも悟でも止められない。ましてや彼とさほど親交を深めていない女狩人ではどうあがいても無理な話だ。
「私のように血に酔った狩人ならともかく、そうでないものにとっては獣狩りなど愉快なものではないだろうに…なぜ?」
戸惑いの表情になった女狩人に、夏油はさらに言葉を重ねていく。
「少し本音を言えば、今まで私は、君の術式をうらやましく思っていたんだ。夢に出てきたものを安い代償で出せるなんて、便利な術式だなってね。
でも今日この夢へ来て、それが間違いだと分かってきた。償いというわけではないが…君がどんな思いをして術式を使っているのか知っておきたい」
神妙な顔をしている夏油に何となく女狩人は笑い出したいような、泣きたいような、何だか妙な心地になった。そこまで言われてしまっては、自分に止めることはできない。
夏油に向かって無言でうなずきながら女狩人はふと思った。
夏油は本当にやさしい男だ。
だがそれは彼自身にとって苦しみとなるかもしれない。
あの日、旧市街で自分が殺した古狩人デュラのように、夏油のその優しさがいつか彼自身に破滅を呼び込むのではないか、と。
思いの外長くなってしまった別名『ヤーナム市街珍道中』後編です。
ようやく人形ちゃんのところまで帰ってこれました。
このお話で分かるように、夏油さんは何の代償もなしに強力な呪霊を召喚している(ように見える)女狩人にちょっと複雑な感情を抱いていたという…ちょっと重めの設定です。
次回、夏油傑 はじめての獣狩り(IN聖堂街)ということで頑張って書いていきます!
閲覧ありがとうございました!
助言いただきましてタグの追加等行いました。これからもよろしくお願いします。