「冬の始めに梅の幹から苔を削ぎ、それその奥にあるカメで、順番に発酵させております」
鬼が指差す土間の暗がりに棚があり、幾十ものカメが積まれている。
一瞬、人の首が並んでいるように見えた。
背筋が凍る。
持参の行灯(あんどん)を掲げて見直すと、平凡な古びたカメ。
何を臆しているのか、自分は。
「十分な紅になるには四十年程掛かります」
聞いてもいないのに鬼はツトツトと続ける。
「鬼にぴったりの仕事だとは思いませぬか。人と違ぅて気長に待てますゆえ」
あくまでも他人事のような声。
誘導に乗ってはならぬと思いつつ、苛立ちからつい言い返してしまった。
「だから何なのだ。さっきから何を勝手に喋っている。お前が人の役に立つ物を生み出せるから見逃せとでも言いたいのか」
鬼はホンの一瞬止まってから、応えた。
「説明して置きたかったのです。鬼が怪しげな妖術で織った布だと触れ回られては、お召しになっている方がお気の毒でございます」
「…………」
「これは私(わたくし)が人だった時代より、我が家で伝え行って来た生業(なりわい)。糸を仕入れ、浸けて晒して浸けて晒して染め上げる。子孫に伝えながら営々と」
むぅ・・
何か超常的な鬼の術で創造しているのだと思っていた。
人が成し得た技術で、人と同じやり方で作っていたのか。
「まぁ鬼ゆえ疲れもせずに、こうして昼も夜も織り続けられるのですが」
喋る間も鬼は機(はた)を動かし続ける。
この杣屋にはカメのある土間と糸干し場、後は狭い板間いっぱいに機織り機。寝間を敷く隙間もない。いや鬼だから睡眠の必要もないのだろうが。
窓はあるが板戸が打ち付けられ、昼間でも陽が入らなさそうだ。
今は自分が持って来たカーバイトの行灯が照らしているが、普段は夜目のきく鬼が、暗闇の中延々と織り機を動かしているのだろう。
下ろした刀を携えたまま、入り口横の縁台に腰掛けた。
この鬼は今は織り上げる事だけを考えていそうだ。
襲って来ないのなら、情報を得られる機会(チャンス)かもしれない。
「鬼の親玉の居場所を知っているか?」
「知りません」
即答。
やはりな。
過去に他の鬼にもこの質問をぶつけた事はあった。
「お前も、答えると罰を受けるのか?」
「本当に知らないのです。一度だけまみえた事があるのですが、私(わたくし)が思ったような姿にならなかったので酷くガッカリして、興味を無くしてしまったようなのです。元より機を織るしか能のない半端者ですし」
「あ……いや」
思っていたのと違う答えに、こちらが戸惑った。
「し、下の村ではお前の機(はた)は重宝されているようだぞ。紅い反物が結納に付くので、この村の娘達は随分と良い縁談に恵まれるようだ。女の子が生まれた時と七つになる時にも贈られるそうだな。お陰でもうずっと娘が人買いにやられる事はなく、村全体が賑々しく豊かだとか」
何を言い繕ってやっているのだ、俺は。
これから斬り捨てる相手に。
鬼はほぅと息を吐いた。
「家族が誰も欠けずに暮らせるのは、とても嬉しい事です」
律としていた声が少し揺らいだ。
「昔、まだ家族でくらしていた時代、染料を皆腐らせてしまった年がありまして、姉様達がいなくなりました。七つの私は無知で無力で何の役にも立てず。上の姉様は嫁ぎ先まで決まっていたのに」
「…………」
「紅い反物を贈る条件の取り決めは、大昔の私の、拙(つたな)い意地の名残です」
機織りの音は途切れずに、小さな杣屋に響き続ける。
正直、ここまで人のような心情を持つ鬼に出逢ったのは初めてだ。
(だが…………)
「思ったような姿にならなかったので興味を無くした」は
柔らかい言い方に変えているだけで、実際はかなりな言葉をぶつけられたようです
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