ハッカクサマ   作:西風 そら

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みやこし

「おやめくだされ。あそこから先は『ハッカクサマ』の禁足地。それでなくとも今時期は山の雪が緩んで危のうございます」

 

 ここへ来る前に立ち寄った下の村の村長は、そう言って弱々しく抵抗した。

 

 村長宅の座敷に上がって刀の文字を見せ、もうすべて見通しているぞと軽く恫喝すると、老翁は簡単に観念し、鬼の存在を白状してくれた。

 まぁ自分の見てくれは、鬼ですらたまに怯(ひる)ませる仁王の如き巨漢だ、無理もない。

 

 村の端、山の麓の禁足地に鎮守の祠(ほこら)があり、そこに納められた鉄箱で、代々、鬼とやり取りをしているという。

 

 村からは蚕糸と文。

 鬼からは紅の反物。

 鬼は夜中にやって来るので、双方が出会う事はほぼない。

 

 反物が贈られるのは女の子の出産祝い、七つ祝い、結納祝い。

 それらは文で知らせるのだが、嘘を書いても鬼は見抜く。

 

 もっとも嘘を書いて試してみようという村長はいなかった。

 謀ろう物ならどんな恐ろしい罰が下るか分からない。

 『ハッカクサマ』は、畏怖すべき絶対的な存在なのだ。

 

(山奥の村にありがちな偏った信仰と思い込みだ……)

 

 村長と問答している間に伝令が走ったのか、村の主だった者が駆け集まり、鬼の命乞いの大合唱が始まった。

 何が悪い、皆助かっている、これまでこれで上手く回して来たのだ、あんたらに迷惑をかけているか? と。

 

 確かにそうなのだろう、彼らにとってはそうなのだ。

 

 だが…………

 

 

 

 

 

「だがお前は人を喰らうのだろう?」

 

 機織りの音が止まった。

 

 

 

 

 ここに来る前日、街の派出所にも立ち寄った。

 報告書に上げていない事があるだろうとカマをかけると、壮年の巡査はヘドモドしながら白状した。

 

 あの日、彼が村から帰る道。

 あの密告女が草陰から飛び出して、襟首を掴んで来た。

 もっと調べろこの腰抜けだのの暴言の挙句、トンでもない事を口走る。

 

「村を挙げて隠蔽してるんだよ、あいつら人間を餌に差し出して鬼の機嫌を取っているんだ」

 

 巡査は女の頭の方を心配したが、女は更にがなり立てた。

 

「夫の従兄弟が犠牲になった。前日まで普通に挨拶していたのに突然居なくなって、最初から居なかった事にされている。皆が私を気狂いだと言う。夫ですら味方してくれない。でもじっとしてはいられない。次は私の息子なのだ。もう鬼に魅いられている。頼む、信じてくれ」

 

 そこまで話して嫌そうに、巡査は肩をすくめた。

「一応村役場に問い合わせてみましたよ。件の『従兄弟』は戸籍簿に影も形もありませんでした。あの女は他所から嫁いだ者だというし、親しい者のいない土地で誰かに構って貰いたかっただけですよ。こんな戯言、どう日報に書けというのです」

 

 言いながらも彼の目は落ち着かず、言葉は空々しかった。

 心からそう思っている訳ではないのだろう。

 

 信じたくないだけなのだ。

 信じると責任が生じてしまう。

 下手につついて蛇を出すと、自分が薮に飛び込まねばならなくなる。

 

 文明開化の波から置いて行かれた因習深い山奥の村。

 そんな厄介なモノに関わって何の益がある物か。

 

 彼は今日の勤めを無事に終え、家族の待つ平和な家に帰って安全に眠りたいだけなのだ。

 

 

(だから・・だから我々が必要なのだ)

 

 つくづく噛み締めながら村に向かい、まずは村長よりも先にその密告女に話を聞きに行こうと思った。

 聞けなかった。

 その女の事は誰も知らず、『居なかった事』にされていた。

 

 

 

 

 

 機織りを止めた鬼が、小さく震えたように見えた。

 次にどう動くのか? 

 刀の柄を握る指に力をこめる。

 

「里の……下の村では、何と聞きましたか?」

 初めて、鬼からこちらの言葉に対する問い掛け。

 

「人間に対しての追求はしない。それは警察の仕事だ。我々の仕事は鬼退治のみ」

 

「そうですか」

 

 鬼が、機織り以外の動きをした。

 傍らの糸切り鋏(はさみ)に手を伸ばしたのだ。

 

「・・!!・・っ」

 

 簡単に叩(はた)き落とされた鋏は土間でクルクルと回った。

 

 鬼の手前に踏み込んで腕を掴み、初めて鬼の顔と対峙する。

 息が止まった。

 

 恐ろしい異形や、姿だけ艶やかに繕った女鬼なら幾らでも見慣れている。

 だがこれは。

 

 沼の底の如く黒々と光無い、魚か鳥のような丸い目。

 耳も鼻も口も、白い粘土に薄く切れ込みを入れただけのような、生き物離れした造型。

 前髪を上げている紅い円櫛(まるぐし)だけがマトモに見えて、それがかえって痛々しい。

 

 醜いとかそういうのとは違う、ただただ背中に冷や水を垂らされるような感触になる。

 

 これは……言っては何だが、鬼の親玉が興味を無くしたというのも……分かる……

 

「こんな小さな糸切り鋏で何が出来るというのです」

 こちらの心情を知ってか知らずか、鬼は多少憤慨した様子で掴まれている腕を振るった。

「端の始末をしようとしただけです。織り上がりましたので」

 

「刃物を持つな!」

 どんな小さな刃(やいば)でも、鬼はこちらに致命傷を与える武器に変える事が出来る。

 

「新田(しんでん)の娘御の急遽決まった結納の日に紅い反物が無いと示しが付かないと、貴方様も村で聞いて来たのでは」

 

「言われはしたが、今の俺には関係ない」

 

「切らないと終えられませぬ。それとも貴方様が切ってくださいますか」

 

「…………」

 

 仕方がなしに、右手で鬼の腕を掴んだまま、左手で土間の鋏を拾った。

 鬼は素直に付いて従う。

 掴んだ腕は、冷えた床から拾った鋏と同じくらい無機質に冷たかった。

 

「何処を切ればよいのだ」

 鋏を構えて織り機の前に戻る。

 

 反物は確かに印の所まで織り上がっていた。

 紅い糸束が水の流れのようにテラテラと光っている。

 

 少しの目眩(めまい)。

 

 ・・・??・・・

 

「ああ、先ほどのお話」

 

 何だ? どの話だ?

 

「私(わたくし)は人を喰らいます」

 

 ・・・意識が途切れた・・・

 

 

 

 

 

 

 




紅い円櫛(まるぐし)は、下の姉様が別れ際に髪に刺してくれた物です




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