少し遡って・・・・・・
その日の午後、柱合会議の解散後。
産屋敷邸の裏木戸を出た所で、頭上の松の枝から声が降って来た。
「何だあの三文芝居は」
「…………」
「どこのエセ宗教の教祖様かと思ったぞ。甘露寺がドン引きして怯えてしまったではないか。どうしてくれる」
ネチネチした声の合間に、ゴロゴロと爬虫類の吐息も聞こえる。
「言ってくれるな。お館様にも大根だと失笑を買った所なのだ。だがお主が察して、変に突っ込まないで放って置いてくれたから助かったぞ」
「やはり貴方とお館様で仕組んだ絵図であったか。ああやって煽れば、稀血の直情馬鹿が暴走して勝手に実証してくれる事まで折り込み済みで。イヤらしいねぇ、ああイヤだイヤだ」
「…………」
「誉めているのだよ、俺は」
「仕組んだとか言ってくれるな。お館様からあらかじめ、絶対にあの子供を庇わぬようにと釘を刺されていただけだ。確かに終わってみれば、甘やかすのはあの子供にとって良くない事だったようだな」
「まぁ俺は冨岡をイビれて楽しかったから、その点だけは礼を言わせて貰う。ではな」
去りかける声に、引き留めるように問いかける。
「正直な所、お主はどうなのだ? 部隊内に鬼を見逃している事を許せるのか?」
「許せる訳がないだろう」
声は低く即答した。
「目の前の獲物をとりあえず我慢出来る鬼くらいワンサといる。今日あすこに居た者でも、おおむねの者が納得出来ていないと思うぞ」
苛立たしげに松の葉をむしる音がした。
「それで『子供を甘やかさないエセ教祖様』は、今日のアレをどう見ているのだ?」
「……お館様のお考えの深い所は分からぬが……」
頭上の人物がこちらをじっと注視している。
「今日の事は、お館様の頼みだからと従うのではなく、我々一人一人に、これからじっくり考えて結論を出して欲しい問題なのではないだろうか」
「何をだ、まさか鬼と手を取れとか言うのではないだろうな」
頭上の声が荒ぶる。
「深い所は分からぬと言っただろう」
「…………」
「甘露寺のように今まで鬼と深く関わった事のない者は、答えへの道筋は短いだろう。肝心なのは、お主のように……」
ここから先は彼の鬼門だ。
だからこそ、今言い切ってしまわねばならない。
「鬼の闇を嫌と言うほど知っている者。鬼が『血を使わずとも人を侵蝕する』という事を知っている者。そういう者こそが、それを踏まえて尚『変化』する事が必要になって来たのではないか。多分、それを乗り越えないと我々は……」
バキンと枝が砕ける音がして、頭上の気配は消えた。
(……肝心の所は伝えられたからいいか)
岩柱邸の座敷。
障子ごしのうららかな陽射し。
少年の木刀稽古の音が聞こえる。
ささくれた背表紙の、古い、他愛もない、一介の記録。
何故(なにゆえ)この書物を読み返してみる気になったのか。
――善良な鬼と悪い鬼の区別もつかぬなら――
あの子供の幼い声で叫ばれた文言が妙に心に残ったからだ。
確かに、人の性質に善悪があるのと同じに、鬼にも善悪はあるのかもしれない。
だがたとえ、『善良な鬼』なる者が存在しても、我々はその事に安心してはならない。
実はそちらの方が厄介なのだ。
残念ながら、鬼は善良でも、人を惑わせ闇に転がり落とす。
それだけ鬼の能力は、蠱惑的で軽便だという事。
(だからこそ、これからの我々は、より厳しく己を律し、自分の在り様(ありよう)を常に見つめ続けねばならない。けして鬼の力だけに阿(おもね)きらぬよう)
その事を、あの梅に埋もれた廃村が、律しきれなかった為後悔しか残せなかった情けない己を、正直に手記に残した岩柱殿が、遠い年月を越えて教えてくれた。
~ おしまい ~
ここのつ
とお
さいごまでお読み頂きありがとうございました
読者様と、素晴らしき原作者様に感謝です
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