外を拒絶するような巨大な白亜の壁が、カルデアのマスターと対面した。
ごきげんよう、ただの人間よ。ここから先は立ち入り禁止だよ。
無言の拒絶をひしひしと感じ取って、立香は独り身震いをした。白壁の聖都よ。なんて冷たい態度なのか。
「ものすごい数の難民が集まっているね。千人近くいるんじゃないか?」
『セイバツの儀ってヤツを待っているんだろう。ちょうどいい、ボクらもこっそりお邪魔しよう』
見上げる視界に豪華なお城。壁越しの視察は夜陰に阻まれた。
ほんとうにここだけ、場違いにきらびやか。夢の国というのは、まったくの当てつけでもないらしい。
オーニソプターを畳もうとしたダ・ヴィンチがしゃがもうとして、中腰から立ち上がった。視線の先の岩陰を見る。
「誰かな?私達を盗み見ているのは?」
「へっへっへ……こいつは上玉だ。砂漠から来たのかい?裕福そうな服を着ていらっしゃる」
トーブを着た行商人風の男たちが、ぞろぞろと歩いてきて少女たちを囲む。
口を開いたのはリーダー格の男だろうか。髭面がにやにやと笑っている。
「聖抜の儀に駆け付けたようだがねぇ。悪いことは言わねぇ。ここで引き返しな」
お値打ちの商品を差し出すような軽さで、脅しのための武器を構えた。男たちを立香は半目で見る。
「もちろん身ぐるみぜーんぶ剥いでから、だけどな?安心しな、相場の一割で買い取ってやる」
「嫌ですけど」
「なるほど、難民狙いの追いはぎ買い取り業者か!私が言うのもなんだが中々に効率的だ!」
というか、まだこんなタフネスを持っている住人もいるのか。聖都の周りも別に安全じゃないんだな。
「しかし弱者を食い物にする商売は私が許さない!立香ちゃん、こらしめてやりたまえ!」
「ダ・ヴィンチちゃんも働くんだよ」
所詮素人の集団である。
盾と杖で殴打!殴打!殴打ッッ!
絵面が大変よくないのである。良い子は真似しないでね!
「つぁ、まいったぁ!降参だ、降参だ!しけた稼ぎで命を獲られちゃかなわねぇ!」
「ずいぶん引き際のいい盗賊だ。言葉のなまりといい、もしかしてムスリム商人?」
「あん?懐かしい名前を言うねぇ奥方。ちょっと前までなら、確かにそんなのもあったがねぇ」
イスラム教徒で商業に従事する人々を、ムスリム商人という。
彼らは海を渡って中国まで広がり、イスラム教の広がりをもたらした。この時代にとっても重要な存在である。
「楽しい欲張り共の集まり!十字軍が相手だろうといい商売をしたもんさ!」
「なのに今は追いはぎなの?」
「そりゃ聖都が出来ちまった後に、獅子王の補佐官殿にあっさり潰されたからなぁ」
なんてことのないように語る内容は、歴史を知る者からしてみれば眉を顰める蛮行だ。
獅子王の補佐官は異教徒の存在を認めていない?王と騎士で、意見の相違があるのか?
「オレは目端がきいたからなぁ。土下座して見逃してもらったのさ。頭をあげたらオレ以外みーんな首をはねられていたのは今でも笑い話だがよ!」
「……そんな。現地の商人を、一方的に殺害したなんて……」
ジェロニモが沸き上がった感情を制御するためにスクワットを始めた。
ちなみにアーサーはずっと聖剣で素振りをしている。管制室ですな。
「お。チャーンス、気が抜けたな騎士の嬢ちゃん!テメェら、逃げろ逃げろ!」
「ヒュー!セルハンのお頭、お先!」
「あ、待ちなさい!もっと詳しい話をだね!?」
既に背を向けて走り出した商人たちを追うように、セルハンと呼ばれた商人が後ずさりして距離をとっていく。
「あばよ、ヘンな嬢ちゃんたち!……だが引き返せってのは本気の忠告だぜ?」
捨てゼリフは真剣な温度。長針に引きずられる気温は寒冷。
「悪いことは言わねぇ。人間でいたかったら、あの城には近づくな」
パンドラの箱でもあるのだろうか。あの囲いの向こうは。
立香の胸をざわざと侵食していく、未知なるものの恐ろしさよ。
「……盗賊集団、撤退しました。追いますか、マスター?」
「いや、その必要はないよ。というか、あんなの捕まえられそうにない」
『そうだね。物騒なコトを言っていたけど、こっちは虎穴に飛び込むしかないんだ』
もしかしたらロンドンのジキルのように、違う年代から混ざってしまった現地人なのかもしれないが。
そこまでは流石にカルデアでも与り知らぬことだろう。
足音を潜ませてこっそりと。行軍はマントで身を包んでから。
少女たちは難民群に紛れこんで、騎士が作った輪のなかに入り込む。まもなく。
――――シーンが切り替わるような速さで、夜が終わった。
「えっ」
突然視界が明るくなって、眩しい!驚きに見開かれた目が燦燦と輝く太陽を見つけた。石造りの門が重々しく開門する音を耳が拾って、みなの視線を釘付けにさせる。聞こえているのにどこか遠い、難民たちの歓声。
聖都から出て来た騎士たちは、いつかのぶち壊された聖抜の時のように、無言で難民たちを囲んでいる。
「ガウェイン卿!円卓の騎士、ガウェイン卿だ!聖抜が始まるぞ!聖都に入れるぞ――!」
『難民受け入れが始まったのかい!?ものすごいサーヴァント反応が感知されたが!?』
「…………最悪だ。有り得ない、こんな事が起こりえるのか」
『……レオナルド?どうした、』
ダ・ヴィンチの絞り出すような声を受け取って、ロマニが困惑した態度のまま聞き返す。
「立香、マシュ。すぐにここから離れるんだ」
「ダ・ヴィンチちゃん?」
「今ならまだ間に合う。何が聖抜だ。文字が違うじゃないか。奴らは――」
固い顔のまま円卓の騎士――ガウェインと距離をとるダ・ヴィンチに困惑したまま、しかし離れるわけにもいかないので引きずられるように後ろに下がる。少女たちを見るものはいない。
「我らが聖都は完全、完璧なる純白の千年王国。この正門を抜けた先には理想の世界が待っています」
「おお……!噂は本当だったんだな!」
「円卓の騎士……なんと神々しい……。異郷の騎士だとしても、あの輝きは本物だ……」
その場に居る誰も彼もが、輝く金色の騎士に目を奪われているからだ。
でも残念。耳心地のいいスピーチは既に終盤。第何度目かの、王の裁定が始まる。
「――――ただ、その前に。我が王から赦しが与えられれば、の話ですが」
正門の上に立つ獅子王の鎧は白金。まるで綺羅を飾るようね。
もちろん皮肉よ?そう言ってのけたメイヴの口を、カルナはそっと塞いだ。
「――最果てに導かれる者は限られている」
そこからの出来事は、まるで映画のように現実味がなかった。
立香の思考と意思を置き去りにして、現実は早足で進んでいく。
「――おい。おまえ、光ってないか――」
「――お母さん、ピカピカだよ?――」
門前に光が満ちる。
反射的に目を瞑って、すぐに眩しくないことに気づいて開けた。
理由の分からない恐怖が立香の胸を満たしている。無意味に周りを見渡しても、疑問に答えてくれる者はいない。
「王は貴方がたの粛清を望まれました。では、――――これより聖罰を始めます」
「―――――」
「え……うそ……でしょう? やめて……やめて、やめて、やめて!お願い、殺さないで、殺さないで……!」
赤い血が飛び散った。
まるでスローモーションのように崩れ落ちていく難民の女性。
一拍の間をおいて、耳を劈いた悲鳴。
でもそんなものなんの意味もない。抵抗は無駄。逃亡は無駄。一太刀で切り捨てられていく命だったもの。
「パニック状態です!騎士たちが、難民の皆さんを……!」
「でも彼らは逃げられない。完全に囲まれている。初めからそのつもりだったんだ、聖都の騎士は」
「……っ、逃げよう……!円陣の一部を崩す!」
「はい!マスター、わたし絶対に負けません……!」
千人は無理でも百人は助けられる。動け、体。流れろ、魔力!
怒りのような、悔しさのような感情が立香の心を燃やした。
ああ――こんな理想があるものか!
「敵性集団、撃破!」
「なんだ、仲間割れか……!?なんでもいい、助かった!」
「みんな、こっちだ――!今なら逃げられるぞ――!」
ほんのわずか、敵の囲みを崩して。難民が逃げていくのを見送った。
重量のある衝撃音を響かせて倒れた騎士たちは、まるでサーヴァントのように消滅していく。
それがなんだか忌々しかった。殺された難民の死体は残るのに、貴方たちは後を濁さない。
『強大な魔力によって作り変えられた、生体兵器のようなものだ。……こんなこと、人の
様子を見に来たオリオンとイアソンとアルジュナが「なあアレ神霊……」「だよな……」「ですよね……」のアイコンタクトをした後、アルジュナが代表してオルガマリーの所へ行った。ちなみに部屋の隅ではパーシヴァルも腕立て伏せを始めた。だから管制室ですな。
「アグラヴェイン様に報告せよ。サーヴァントによる妨害を受けている」
「英霊であれ例外はない。聖罰を受けたものは、何であれ不要である」
蟻のように増えていく粛正騎士たちは怯む様子もない。そんな不要な感情は搭載されていないのだろう。
「もういい、逃げるんだ!このままだと数で押されるぞ!」
「でも……!わたしたちが戦わないと、難民の皆さんが……!」
『別方向でも魔力反応を確認!東の陣です!』
『なに――!?他にも戦いを始めた者がいるぞ!これなら少しは負担が減りそうだ!レオナルド!』
「了解!ギリギリまで踏ん張るとも!」
「貴女は選ばれた。どうぞ、聖都に入られよ」
「やめて、離して!ああ……ルシュド、ルシュド!」
傍からみれば悪漢は騎士の方なのに。狼藉を制止する者はいない。
「目を覚まして、ルシュド!子供を殴るなんて、なんて酷いことを…!」
「ぁ…………………ぁ……」
「連れて行くのならわたしの子も!あの子をひとりにはできない!」
「その子供は選ばれていない。忘れよ。既に貴女の身は貴女のものではない」
神に選ばれるとはそういうことだ。この世界ではそういうことだ。
例外は許されない。親愛は許されない。理想の魂に、人としての自由は許されない。
自らの価値を計れぬものに、聖都に入る資格はない。
「獅子王様に従います!何でもします!ですからどうか、この子と一緒に……!」
訴えかけても握られた手は離されない。
冷たい金属が体を縛り付けて、喉から叫びがほとばしる。
「きちんとわたしが言いつけますから!これからは獅子王様にお祈りを捧げなさい、と!」
「……いや。貴方がたは己が神を捨てはしない。それは幼子でもあってもだ」
故に、命そのものに値する。
「せめて、その信仰と共に眠れ。貴女の息子は、貴方がたの神に選ばれた」
「ああ――――やめて、やめて――――。どうか、その子だけは!」
剣を振るう為に離された腕。飛びつくように子供に抱き着いた女性。
逃げ惑う難民をかき分けて、行く手を阻む騎士たちを殴り飛ばして、駆け付けるマシュ。後を追いかける立香。喧騒の聖地。入り乱れる血と怒号。タッチの差で間に合わぬ悲劇。
「――――――神よ」
粛正騎士ごと打ち砕く曲刀が、それよりも速く振り下ろされた。
「ええ、ええ。わかっておりますとも。この子供は貴方様への信仰をもっております。ならば私が出てこぬわけにはいかぬでしょう。我が神よ――――」
その、持ち主を見て。
マシュも立香も絶句し、思わず立ち止まる。
難民の女性は痛みが来ぬことに不思議そうな顔をして、恐る恐る振り返った。
ただ一人ルシュドと呼ばれていた子供だけが、目を輝かせて言う。
「筆頭のおじさん!」
男――――ザントは答えるように長い袖を一振りして、親子共々消えた。
一瞬というには余りに長い邂逅に、油断してしまったのが運のツキ?
否、彼は初めからこちらを逃がす気などなかった。手に戻ってきた聖剣を携えて、円卓の騎士はやってくる。
『えっザント????夢???? と、とにかく!とりあえず!ここが潮時だ!これ以上、正門に近づいたら戻れなくなる!』
「二人とも、西から逃げるよ!まだ――――」
「それは叶わぬ望みです。貴方がたは、ここで命を終えるのですから」
「――!」
日光が遮られて影ができた。まるで断ち切れぬ未練のように男から伸びている。
「見事な暴動でした。異教徒にもまだ、貴方がたのように“戦う者”がいたのですね。ですが、それもこれまで」
青い目は。
リンクの青とは違う。男の青い瞳は。
朝なのに夜の海のようで。
「聖都の門を乱した罪は万死に値する」
少女たちを庇うように現れた狂王・クー・フーリン〔オルタ〕が、その宣言を他人事のように聞いた。
「円卓の騎士、ガウェイン。この聖罰を任された者として、貴方がたを処断します」