星のささやきも聞こえない半夜。秘密の雲を浮かべるには最適だ。
「……待て」
引き留めたのは百貌のハサン。勇み立ち上がった少女たちは止まる。
「……
「ううむ。挟み撃ちになるのは避けるべきだ。ここは二手に分かれるとしよう」
『――――出番か?』
ぬるりと声が届く。闇夜のマントを纏い、水を得た魚は笑う。
「この声は…!カルデアの……百貌のハサン!」
『私が陽動をしよう。ついでに馬もいるな?』
「助かる!お願いね!」
「……一周回って呆れてきたな。お前達の組織の層の厚さはなんだ?」
「むしろ“これ”頼りです」
『これ一本でやらせてもらってます』
みんな!いつもありがとうな!
「まあいい。行くぞ。まずは城壁を飛び越え、地下牢の入り口を探す」
「え?この壁を飛び越えるの?音もなしで?そんなの、あたし無理なんだけど……」
「案ずるな、三蔵。拙者が抱えていこう」
「ト~~タ~~!ほんっとうに頼もしい弟子ね!」
「先輩はわたしが。しっかり掴まってくださいね」
「うんっ」
月が侵入者を見ていた。月光が影を伸ばしていく。
空を駆け、地を走り、天の目も届かぬ下へ。深く深く潜っていく。
「すごいわ、こんなにあっさり地下牢に入れるなんて!」
「砦の作りなぞ、どこも似たようなものだ。この程度、ハサンに掛かれば初歩の初歩」
「でもすごいわ!みんな頼りになるわね!お師匠として誇らしいわ!」
「待て。お前私のことも弟子だと思っているのか?」
なんか勝手に師匠面してるぞこの僧……。と呟きつつも、百貌のハサンは注意深く周囲を観察した。
淀んでいる。こもっている。風の通りが悪いのだろう。造りと経年劣化を見るに、古くからあったものを使っていたと推測できる。
埃を被った檻の向こうから、こちらを見つめるのは生きた人間の眼差し――ではない。もはや重力など忘れた、哀れな亡霊の群れ。
『死霊系の敵正反応、多数確認!できるだけ静かに、砦の兵士にバレないように応戦してくれ!』
「なに、怨霊?ならあたしの出番ね!まっかせて、立香!」
藤太の後ろにいた三蔵が意気揚々と杖を構えた。しゃらん。
「
しゃらん。
まるで彼女そのものが清涼剤のようだ。立香とそう変わらない――何なら立香よりも小さいだろう背中から、大いなる威厳を感じる。
「さあ、みんなあたしに叩きつけなさい!どんな未練を残そうとも、まとめて成仏させてあげる!」
沈んでいた空気が晴れていく。冷たい水を霧吹きでかけられたような目覚め。悪霊たちは慄いて、法師の前で右往左往。
〇災厄ハンター オルタ大丈夫?
〇オルタ 別に自分は仏敵属性を持っているわけではない
〇災厄ハンター そうか どっちかっていうと魔性とかか
〇オルタ あ?
抜き足差し足忍び足。通路に置かれた篝火が、他人事みたいに燃えている。
「想像以上に広く、複雑な作りですね……。もう砦の敷地以上は歩いている筈ですが……」
「ふん。陰湿な作りの地下牢だ。入ってきた者から捕らえる気だろう」
今更、この程度の暗闇に怯える事は無い。
立香は素早くあたりを見回した。
怯える事は無いけれど。砦の地下にある牢獄は、こんなにも静かなものなのか?
「ここは既に地下三階。あまり深いと、脱出に手間取るのだが……」
「えっ…、階段も坂道もなかったのにですか!?」
「道そのものがはじめから傾いているんだ。面倒だな……」
ふつりと会話が途切れて、立香がまた、ぽんと投げ込んだ。
「そういえば、アグラヴェインって誰?」
『そうか、立香ちゃんはアグラヴェインをあまり知らなかったんだね。華々しい伝説を持つ他の騎士たちと比べると見劣りするけど…』
「…アグラヴェイン卿は、アーサー王の腹心とも言える人物です」
円卓の騎士、と言われてすぐに名が出てくるのはやはり、ランスロットやガウェイン。パーシヴァルだろう。
はたまた、創作のモチーフになりやすいモードレッドか。あるいはマーリンかもしれない。
「アーサー王の姉であり、生涯にわたってアーサー王を呪い、疎んだモルガンの息子のひとりです」
「ほう……。アーサー王の敵の息子……つまり、スパイとして送り込まれた獅子身中の虫だったと?」
「……はい。系譜だけを見れば。アーサー王に叛逆したモードレッド卿の
『同時にアーサー王に忠誠を誓ったガウェイン卿の
妖妃モルガンの息子は、円卓の席を半分ほど埋めている。
ガウェイン、アグラヴェイン、ガレス、ガヘレス、モードレット。
円卓とブリテンを語るのに、モルガンを無視するのは難しいだろう。
「ですが、知っての通りガウェイン卿はアーサー王に恭順を示していましたし、モードレッド卿がモルガンの元に居たのは幼少期だけです。もしかしたら……、妖妃モルガンが息子として接していたのは、アグラヴェイン卿だけだったのかもしれません」
「アグラヴェイン側がどう思っていたのかはともかく――ね」
きっと肩を竦めているのだろう。あるいは、片目をつぶっているのかもしれない。
そんなダ・ヴィンチの声色を聞きながら、立香は頷きを相槌とした。
「アグラヴェイン卿は冷静な人物で、キャメロットではアーサー王に次いで国政を担っていた文官です。それでも騎士の大半は彼を嫌っていたでしょう。いつ裏切るとも分からないモルガンの手の者、と」
「優秀な文官がどれほど変えの利かない存在なのか、分かっていたのならなおさら有能だ。彼はきちんと肝所を握っていたんだね」
けれど、その最後は――――。血潮と呪いにまみれている。
『アーサー王の妻ギネヴィア。そのギネヴィアと関係を持ったランスロット。二人の不貞を告発したのはアグラヴェインだ。彼はギネヴィアを不浄の女と罵り、ランスロットはその怒りでアグラヴェインを斬り殺してしまう』
「それは……」
『そして、それをきっかけに円卓の崩壊は始まった』
ランスロットは王妃ギネヴィアを攫い、キャメロットから自国であるフランスに戻った。
アーサー王はローマ遠征を成功させたものの、その帰国時にモードレッドの叛乱にあい、カムランの丘でその生涯を終える。
『うん。そういった視点で言うと、アグラヴェインはモルガンの目論見通り、アーサー王を謀殺したことになる』
「そうですね……。最小の発言で、最大の効果を出したと言えます」
「えっと……でも……。浮気は良くないよね……?当時のブリテンでは違ったの……?」
『流石に推奨されるようなことはなかっただろう。マスター、お前も悪い男には気を付けるんだぞ』
答えたのは通信越しの英霊。酒瓶片手のスカサハである。
『お主に相応しい男となると、せめて私よりも強くなければ……』
「いません」
『待って。一生結婚できないわよ』
「そうですね。せめてわたしよりも先輩を守れる人でないと……」
「それなら……」
『落ち着いて立香?マシュはサーヴァントを投げ飛ばせるのよ?マシュより強い生身の男なんてそうそう居ないわよ???』
「心配性だねぇ」
しみじみとまとめるダ・ヴィンチであった。
「トータ。疲れた~…背中に乗っけなさい」
「またそれか……。あまり怠けると太るぞ?」
「ふーとーりーまーせーんー!お師匠が困ってるんだから聞きなさいー!」
みーみー騒ぎ出した三蔵を背負いながら、藤太はのっしのっしと進んでいく。
「三蔵ちゃん。飴あげるからがんばって」
「もごもご…」
「どっちが年上か分からんな」
隠れ道を潜って、重い扉を開いて。
『みんな、悪い知らせだ!地上で大規模な動体反応がある!百貌のハサンが敵と交戦しだしたんだ!ということは――』
「アグラヴェインが到着したのか……!急ぐぞ!」
予想通りの転。演者達は走り出す。
「フォウ――」
「……床にこびりついた血の跡、壁にかけられたいくつもの器具……」
血の。
血のニオイが。
まだ慣れない。まだ慣れない。
「これは……ただの牢屋ではありません。奥の壁には…鎖に繋がれた、少女?」
立香は無意識に鼻を押さえて、異臭が錯覚であることに気づいた。
血痕を見て思い出してしまったようだ。なんとなくそのまま、袖で顔をぬぐった。マシュが見ている、視線の先を追いかける。
「…………………だれ?……………まだ、諦めてないの……?」
ぽつり。
小さな声。
「何をされようと、私は何も話さない。だから……早く、首を落として」
気丈な声。折れない花。
「互いに時間の無駄でしょう……?毒も痛みも、私を殺せないのだから」
「……いや、その必要はない。よくここまで耐えた、静謐」
「……あなたは……西の村、の?」
まだここで咲いている。閉ざしていた、瞳が仮面の下でひらいて。
「助けに来たよ」
「……助け……私、に?」
『意識がはっきりしていないようだね。サーヴァントを捕らえ、ここまで消耗させるとは……』
プラムのような甘い髪が目を引く少女に、ロマニが痛ましそうな顔をする。
『円卓の、いやアグラヴェインの技術だろうな。けど、いくらハサンだからってこんな子供に……』
「いや、たとえ年若い暗殺者であろうと、“山の翁”の名を冠したからには一流の暗殺者。子供、大人は関係ない。それは静謐への侮辱だ、魔術師」
『う……ごめんなさい。そうだよね、頭目になった以上、もう一人前だよね……』
〇奏者のお兄さん ヤバ(笑) 闇の神殿みたい(笑)
〇災厄ハンター おいたわしやハイラル王族……
〇騎士 ほんとにそういう文脈になるから……やめな……
「……待って。待ちなさい。私に近寄らないで。貴方たちは、本当に山の民なのですか……?」
「いえ、わたしたちは異邦人です。ですが、貴女を助けに来たのは事実です。呪腕のハサンさん。百貌のハサンさんと協力して、ここまで侵入してきました」
「ああ。事実だ。故に警戒はするな。吐息を漏らすなよ。――すまんが立香。枷を外してやってくれ。あの鎖はどうもサーヴァントに対して良くない」
「もちろん、任せて!」
少女の褐色肌に食い込んだ、黒い鎖を剥がしていく。
差し出した手は、見えていなかったように躱されて。静謐のハサンが解き放たれた。
「あっ」
足が縺れる。
華奢な身体が崩れて。
「……っ!?」
「わ……」
絡み合って、倒れた二人。
重なった影。ぐるりと変わる視界。映るのは天井と、紫。
『ん?何の音だい?』
「静謐のハサンさんがふらついてしまって、そこを先輩が間一髪で抱き留めました」
「でも支えきれなくて倒れちゃったね。おーい二人とも、大丈夫かい」
硬直した少女たちの上に、投げかけられる言の葉。さらさら重なって積もる。
『むっ!新たなロマンスの予感……!――じゃなくて、これはいけないな。うん、これはいけない』
『気ぶるな。せっかくの肴だぞ』
『なんでもう一升瓶がなくなりそうなの?管制室にニオイが充満してるんだけど?』
師匠はずっと飲み続けていたらしい。のんきか?
「……駄目。もう、この人は立ち上がれません」
「?」
「私の修得した
彼女の体は毒の体。肌も、粘膜も、体液の一滴に至るまで猛毒そのもの。
遙か東の伝説に在る“毒の娘”を模して、作り上げられた毒の塊。
「普通の接触では即死はせずとも、今のは、その……。……唇……………が……」
「はい?」
「……ごめんなさい。もう、この人は死にます。立ち上がることはできません。ごめん、なさい……」
〇影姫 死ぬのか?
〇ウルフ マ?
「助けに来てくれたのに、私、また、殺してしまった……」
「たしかにちょっと痺れるけど、生きてるよ」
「っ!?」
曇っていた顔が驚愕に染まり――はく、と唇が動いた。
「うそ、起き上がって……。え……何、が……どうして……?」
「はい。先輩には対毒スキル(仮)があるんです。ですので心配は無用ですよ、ハサンさん」
『ああ。何せロンドンの魔霧でも大丈夫だったんだ。もうこれは疑いようがない』
驚きに目を見開く静謐のハサンの頬が、紅を引いたようにわずかに高揚して。
『立香ちゃんには対不浄の加護がある。おそらくマシュの盾の効果だろう。契約者を病から守る、というね』
「あの……。本当に大丈夫……なんですか。貴方は……私に、触れても……?」
「先輩も、それにわたしもおそらく問題ありません。宝具級の神秘なら多少の影響はあるでしょうが」
瑞々しいグレープのような瞳が、潤んだように見えた。
「そう……ですか……」
「……?」
「…………」
吐息は毒を含んで、されど誰も殺さず。
『それより早く地上に出るんだ。いくら自身の分身を出せるといっても、百貌のハサン1人じゃ荷が重い。すぐに合流して、休めるところまで移動しよう』
「それは性急というものだ。休息ならここでとっていけばいい」
代わりに撒かれる敵意の種。
重い、重い声が部屋に響いた。誰も逃がさぬと男は言う。監房の主人は己と言う。
「こんにちは諸君。そして、ようこそ、私の尋問室へ」
雷を砕いて埋め込んだような、苛烈な瞳をもって。
「盗人だろうと遠方からの客には違いない。歓迎するよ、遙かな