明日を憂いた風神のため息が、硬質化したような雲だった。
見上げる空に安寧はなく。来客を出迎える片時雨。ホワイトハウスは異界化していた。
廊下に響く複数の足音が反響して、反響して、不気味さを増幅させていく。
玉座を背に立つ狂王よ。君の目に、映る世界は醜いか?
「――――よう」
「……クー・フーリン」
「女王メイヴ……!」
「ちょっと、そこのデミ・サーヴァント。人の名前を気安く呼ぶものではなくてよ?」
苛立ちと嘲笑をかき混ぜて、女王は不快そうに鞭を撫でた。
「気分が悪いから、殺して構わないかしら」
「……!」
ドロドロの蜂蜜の目に囚われて、マシュがかすかに身を固くする。
今までに浴びてきたどんな殺意よりも、軽くて洒脱で生々しかった。
その視線を遮るように前に出る、ナイチンゲールの華奢な背中よ。
「退きなさい。あなたの邪悪は病ではなく、生まれついてのもの。健康優良児そのものです。邪悪ではありますが」
「は?」
「退け、メイヴ。そいつはオレに用があるらしい」
ぽかんと口をあけた女王など見向きもせず、その後ろに佇む狂王を検分する。
女の目に狂いはなく、しかし狂気に近い凄みがあった。
「クーちゃんをどうする気?」
「どうするもこうするも。私は看護師です。看護師としての役割を全うするだけ」
「は?クーちゃんに?看護師として?」
「治療する、ということです」
今まで身の回りに居なかったタイプだわ。メイヴは表情を引きつらせた。
いや居たかもしれないけど。それでもこの状況で、戦士でもあるまいに。世界うんぬんよりも己の職務を語る人間は、異質に分類していいだろう。
他者の視線や時代の規則など、彼女の足を止めるに足らん。鋼の意思を持つ信念の女。それは己の享楽を第一とする女王には理解できないものであり、しかし誇りをもって女王足らんとする女にとっては、一種の感服をもたらすものだった。
「……単純な理屈だな。だから、オレもおまえを敵として殺害する。看護師であろうが、誰であろうが敵は敵。そら、単純だ」
「どうぞご自由に。私は貴方を治療し、貴方は私を殺害する。矛盾ですが、我々の在り方としては妥当です。では戦う前に一言」
聞く必要はない。この戦いにルールなどない。一歩踏み出せば鞭が届く。
それでも女王が口を閉ざしたのは、その女の纏う気迫を眼前に突き付けられたからであり。
診察室の椅子に座る患者の気分に、一瞬でもなってしまったからであった。
「あなたは病気です。自刃するか、敗北することをお勧めします」
「オレも大概だが、おまえも静かに狂っているな?言っていることが無茶苦茶だな?」
自分よりおかしい存在がいると途端に冷静になるのは、生き物が持つ脳みその自然な働きである。
「――愉悦を抱けない」
「……あ?」
「いえ、違いますか。愉悦を抱けないのではなく、
「…………」
管制室にいる各時代の王たちが、呆れたり苦い顔をしたり沈黙を保ったりした。
「自らを檻に閉じ込め、代わりに“王”という
「見てきたような口ぶりだな。なんだ。おまえ、前世で縁とかあったか?」
「いいえ、見てきた訳ではありません。何故なら、生前の私自身がそういう在り方でしたから」
〇バードマスター ああ…
〇海の男 ふーむ
「己の人間らしさを全て投げ捨て、私はただ目的のために邁進した。そのために代償も必要としたけれど、そんなものは私には必要ない。私はただ、純粋な治療機械であればよかった」
立香は思い出す。
月光の差す夜に、二人きりで話したことを。
狂っていなければ耐えられない。と断言した。優しい淑女のことを。
「無論、それは歪んだ生き方であることも否めません。生前、寝床で執念を燃やし続けたあの頃と何も」
それでも。
自ら光の弓矢をとった女傑のように。守護者に乗り移って戦った王女のように。その女は美しかった。
姿かたちではなく生き様が。死んでもなお、燃え盛る魂が。
「治療されるという希望。
挫けることのない未来への意思こそが、世界を変革してみせた信念だ。
勇者ではなく、英雄と呼ばれるにふさわしい。苦悩する誰かの為に戦う天使。
「――問いましょう、蛮族の王。この支配に必要性はあるのですか?」
「さてな」
「無いでしょう。それは重度の火傷に等しい所業。だから――貴方は私と違う」
「私の血は夢のために熱く滾る。貴方の血は野望のために冷えて濁る。それは病です。私に治療させなさい。クー・フーリン」
その言葉はたしかにクー・フーリンに届き、そして跳ね返された。
交わる視線が火花のように弾け、すぐに冷たく凍えていく。
「私は、死んでも、貴方を治療しなければならない」
「……話はそれで終わりか?あんまりにも突拍子のない言葉なんで、つい聞き入っちまった」
王がおもむろに口を開く様は、獲物を見つけてゆうらりと立ち上がる、肉食獣によく似ていた。
「病。病。病気か。なるほど。言い得て妙だ。オレは呪いや傷には慣れていたが――――。病気ってヤツには罹った事はてんでなかった。目から鱗とはこの事だ。鉄の女。となると、このどうしようもない倦怠感は病気ってヤツなんだろうな」
「……ッ」
メイヴが思わず零した動揺を、立香は不思議な気分で見ていた。
どうして彼女はあんなに
「この体を癒し、この血を清らかにすれば正気とやらに戻るのかもしれん。――だが、それはあり得ない。アンタはよーくご存じだと思うがね。そら、世の中には決して治らない、不治の病ってもんがあるんだろう?」
「――ッ!!」
しかして戦士は冠を抱き、王であることを選んだ。
冷静に、冷徹に、邪悪な王であることを。
国家を成立させるための機構として、敵対するものを殺戮する武器として。
しかしそれは女王のためではなく、利己的で自分本位な己の意思。まったくもって英雄など、矛盾だらけの存在である。
「――――ええ。そう。そうよ。そうでなくっちゃ。私の王様。私の王様……!何者にも指図されず、誰にも従わず、ただ一人、世界の玉座に君臨して……!」
そうして時に愛を飛び越える、ただ一つの恋は。悪辣な女王にだって献身を選ばせるのだ。
『なんだ!?この……、これは………!!』
「ドクター!?どうしました!?」
『嘘でしょ……』
耳を劈く警報は、異常事態を知らせるために踊り。
騒然としだした管制室で、職員たちは慌てだす。
状況を把握してオルガマリーは絶句した。画面を見る体が震えている。
「あははははは!あははははは!――私の名前を知っていて?」
女は笑った。
貴方を勝たせるためならば、火の海にだって飛び込める!
「我が名はメイヴ!女王メイヴ!私の伝説に刻まれた最高傑作をご存じかしら!」
その名は『
『英霊がこんな恐ろしい構想を練れるものなのか!?いや、術式として可能なのか!?女王メイヴ……!これはソロモンですら試そうとしない試みだぞ!?』
「いったい何が…?こちらは何の異常も――」
「北部戦線……!」
女王メイヴの秘密の刃。
気づいたナイチンゲールが声をあげて、被さるようにロマニが言った。
『そう!そこについさっき、二十八体の魔神柱が確認された……!』
「…………え?」
『
聖杯を所有している以上理論的には可能だ。可能だが―――――。
「有り得るのか、それは……!?」
「…それだけ強いのでしょう。彼女の願いは、これまでの誰にも負けぬほどに。あの男のためならば。如何なる犠牲をも許容し、自分自身をも擲って」
〇小さきもの 愛か
〇小さき爺 恋かもな
〇Silver bow あ、戻ってきた
ひび割れた体で凛と立つ、女は最後まで女王だった。
「――逝くのか」
「ええ、逝くわ。……クーちゃん。私、うまくできた……?」
「――――嗚呼。そうだな。おまえさんにしては、よくやった。女王として自分の国を守る。やればできる女だよ、おまえは」
「……うれしい。私、その一言が聞きたかったの」
ほろりと崩れた果実のように、柔くて、甘くて。
心が満たされる。
魔力のワインよりも身体を喜ばし、乙女を蕩かす男の言葉。
「それだけ、それだけで救われたの。私の願いは、叶った」
ほほ笑む貴婦人は麗しく。無垢で透明な少女の笑み。
この瞬間、この世界で、彼女は誰よりも報われていた。
「やっと、貴方は、私のものに――なってくれた」
轟音。
「――――――――――――――ぇ」
崩落。
熱。
『なに…………り■…………■■■………■……』
ぶつぶつと途切れる通信が、意識の遠くで聞こえる。
「せんぱ――――――――」
ただの投槍がこんなにも重い。
マシュは正確に盾を構えて、立香もろとも吹き飛んだ。
テクスチャを下から引きはがす魔力の渦。ごちゃ混ぜの乱気流。砂嵐ごしに映像を見つめる職員たちが、めいめいに息をのんだ。
雨が止む。