ジョゼと虎と魚たち~光の海へ~   作:空想病

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後編

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 出立の日がやって来た。

 

「忘れもんないか?」

「うん。大丈夫」

 

 最低限の荷物を抱える恒夫。彼の荷物の大部分は、すでにメキシコへ輸送済み。恒夫に先んじて、ジョゼは玄関で車椅子に体を預けた。

 

「ほな、行こか」

 

 諭吉に最後の挨拶と称して盛大にモフモフしていった恒夫を連れて、ジョゼは車椅子を操作する。

 最寄り駅で電車に乗り込むべくホームで待機していると、ポケットから振動が伝わってきた。

 

「うわぁっ! ……びっくりするなぁ、もう」

 

 ジョゼは慣れない感覚に辟易(へきえき)しつつ、そこに収まっている携帯端末を取り出した。

 恒夫と花菜(かな)のすすめで──あのクリスマスの日に、急にいなくなったジョゼの身を一番に案じて、再会した時には涙を浮かべて抱き締めてくれた友人・岸本花菜に、『ジョゼはいい加減、連絡手段を持ち歩いて!』と半ば強行、半ば懇願される形で──二人に付き添われながら購入した携帯(スマホ)に、連絡が入った。

 

「花菜ちゃん、空港に向こうとるって」

「こっちのラインにも来たよ」

 

 恒夫の携帯の画面には、ダイビングショップの三人──隼人、舞、店長からのメッセージが届いている。バイトはやめて久しいが、恒夫との別れを惜しむ気持ちは、ジョゼと同じだった。

 ジョゼは少し考えてから(たず)ねる。

 

「……恒夫のおかあちゃん、やっぱりあかんかったん?」

「ああ。うん。腰がな。でもまぁ、俺も子供じゃないし」

 

 恒夫の母は体の不調で関西には来られないらしいことは、以前から聞いていた。

 

「そっか……」

「……挨拶、しておきたかった?」

「べ! べべべっべつっべつに!」

 

 正鵠(せいこく)を射られ、手を振ってあたふたするジョゼ。

 そんな恋人の様子に、恒夫はたまらずふきだしていた。

 

「心配しなくても大丈夫。母さんには一応、ジョゼのこと伝えてあるし。で、『帰ってきたら、彼女さんと一緒にこっちへいらっしゃい』って。ほら」

 

 そう言って、恒夫が見せてくれたのは、母親とのやりとりに使っているグループライン。

 なにやらジョゼは緊張がほぐれたような、いや将来の課題が増えてしまった事実に、心中をかき乱される。

 

「ありがとな、ジョゼ」

「? な、なにがや?」

「心配してくれて、ありがとう」

 

 恒夫の笑みに胸を突かれた。

 携帯を握りしめて、ジョゼは己自身に呼びかける。

 落ち着け。

 落ち着かんと。

 いま、この程度で、乱れていては、いられない。

 ジョゼは恒夫に気付かれないように、深呼吸をひとつ吐く。

 そうして、ホームに電車がはいってくるアナウンスが、鳴り響く。

 

 

 

 

 

 

「恒夫さんッ! 本当に! ほんとうにお世話になりました!」

 

 電車を乗り継ぎ、空港に着いたジョゼと恒夫は、チェックインを早々に済ませ、見送りにやって来た四人と合流した。

 搭乗までの時間を構内にあるカフェで過ごし、手荷物検査場への誘導が進められた途端──舞がいきなり泣き始めたのだ。

 二ノ宮舞は、一時ながらジョゼと恋敵として対峙した仲であり、本当に恒夫のことを心の底から思っていた。ジョゼとは対照的な、活動的なスタイル。すらりと伸びた手足は長く、特にショートパンツからのぞく健康的な太腿は、過日のジョゼを大いに責めさいなんでくれたものだが、それもいまや昔のこと。

 彼女は、恒夫との別離をこれでもかと惜しみ、いよいよその時が来たということを実感して、感情の防波堤(ぼうはてい)が決壊してしまったようだった。

 その証拠に、東北(なま)りな声音(こわね)が次々と零れ落ちていく。

 

「す、ずいません。う、ウジウジ泣く女は、嫌いなのに、えぅ」

「舞、ありがとう。こっちこそ世話になった」

「ぅぅぅ、どうか! どうかメキシコでも、お、お元気でッ!」

「うん。舞も、元気で」

「ッ、はいっ! ありがとうございます!」

 

 滂沱の涙を流してすすり泣く舞の肩を誰かが叩いた。

 同じ職場に勤めていた親友にして相棒(バディ)、松浦隼人が、同僚の後輩女子をいさめる。

 

「は~、やれやれ。せっかくの恒夫のイギリス留学を『涙の別れになんてしません。絶対笑顔で見送りますから!』っていうてたんは、どこのどなたやったけな~?」

「う~! だって!」

「イギリスじゃなくて、メキシコだよ。まったく」

「え~、そうやったっけ~? 魔法学校に留学するんとちゃうんかったか~?」

「どこのユ〇バーサルスタ〇オだよ、それ」

 

 隼人の微妙なボケに対し、恒夫は慣れたようにツッコミを入れる。

 二人は拳を何度か突き合わせ、ついで肩を組んで、ひそめた声で会話する。

 

「ジョゼ子ちゃんのことは心配すな。俺と舞、あと花菜さんで、きっちりフォローいれたる」

「──おう。助かる」

 

 後顧の憂いなしと言わんばかりに笑みを深めた恒夫。

 ついで隼人は、今回の出立で気になっていたことを皆の前で口にする。

 

「にしても、恒夫~。おまえ何も、窓際の席にせんでもよかったんとちゃうか? 高いとこアカンのやろ?」

 

 そう恒夫の持っているチケットを指さす隼人。

 隼人の疑問は、当然ジョゼも胸中に懐いたものであった。

 観覧車に乗るのすら苦手な恒夫のことは、当然友人である隼人は知っていたし、舞も恋するうちに知りえた。

 飛行機の窓際の席など、高所からの眺望が嫌でも目に付く位置取りを選ぶなど、ありえないと思った。それこそ、飛行機内の中心あたりであれば、いくらか高所を飛んでいるという気も紛れるだろうに。

 それに対し、恒夫は苦笑する。

 

「いいだろ、別に」

「……ほ~ん? べ・つ・に、か~? な~んか隠しとるな、こいつ!」

 

 ぶっきらぼうに告げる友人に、隼人は真相を確かめるべくヘッドロックをかます。

 しかし、隼人のはしゃぎ声で「吐け吐け、吐かんかい」と言われても、恒夫は口を割ろうとはしない。

 舞や店長が割って入って止めに入ろうかという喧騒の外側にいた花菜は、ジョゼの表情を見て首を傾げた。

 

「どないしたん、ジョゼ? 恒夫くんが窓際の席とった理由、何か知ってるん?」

「ふふふ。──秘密や」

「あ~、二人だけの?」

 

 花菜は納得の笑みを浮かべた。

 人差し指を口元にあてるジョゼの姿にあてられ、花菜は眼鏡の奥に飛び込む視界が煌めいてさえ見えた。

 

「こらこら、二人とも! そのへんにしとき! 鈴川くん、そろそろ検査場いかんと、乗り遅れでもしたら大変や」

「あ、でも……」

 

 店長の常識的な指摘に、隼人を恒夫の首からひっぺがした舞が振り返る。

 恒夫とジョゼ、二人の別れは、未だ済んでいないと案じて。

 

「大丈夫や」

 

 そんな舞の心遣いに頷きつつ、ジョゼは車椅子を前へ進めて恒夫の傍へ。

 

「元気でな、管理人」

「うん。ジョゼの方こそ」

 

 二人はどちらからともなく両手を伸ばし、その場で互いの身体を抱き締めた。

 舞が真っ赤になって口元を覆い、隼人が口笛を吹いて(はや)す。花菜と店長は静かに見守るだけ。

 互いの息遣いや脈動を共有すること、十秒ほど。

 二人は同時に体を離した。

 

「行ってくる」

「行ってこい──管理人」

 

 恒夫はバッグを背負い直して、検査場の列に向かった。

 ジョゼたち五人に手を振って、恒夫は建物の奥に進んでいく。

 

「……ねぇ、ほんとによかったの? せっかくの別れ際が、あんな、短くて?」

 

 再度、涙を溢れさせている舞にたずねられる。

 

「かまへん」

 

 手を振る恒夫を見送る時まで笑顔をたやさなかったジョゼは、まるで自分に言い聞かせるように告げた。

 

「さ。時間までカフェで暇つぶそか」

「時間?」

「管理人の飛行機が飛ぶ時間までや」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いよいよ、恒夫の搭乗した飛行機が離陸するときが来た。

 恒夫は窓際の席に座って、心を落ち着け続ける。

 時折、真っ青な顔を浮かべる恒夫を心配した客室乗務員さんに声をかけられたりもしたが、正直不安しかない。

『Attention please』──機内アナウンスが流れた。

 実家から関西への進学までは陸路ですませていた恒夫にとっては、高校の修学旅行以来のフライト。

 恒夫は窓の外を見る。

 機体がゆっくりと滑走路へと移動していき、エンジン音が否が応でも鼓膜を突き刺す。

 恒夫は窓の外を探す。

 管制塔や倉庫、地上を走る整備車両には目もくれず、彼女が待っているそこを見つけようと視線を走らせる。

 搭乗員のアナウンスが離陸を告げる。

 恒夫は不安のあまりシートベルトを掴んだ。

 落ち着くよう自らに言い聞かせる。荒い呼吸を必死に整える。

 思い出せ。

 ジョゼとの“約束”を思い出せ。

 

 ──大丈夫や。

 ──アタイがちゃんと、見送ったる。

 ──不安になったら、窓からアタイを探し。

 ──あの雪の日、アタイを見つけた恒夫なら、きっとできる……だから。

 

 吐き気をこらえ、痛む鼓動と鼓膜を無視して、彼女を求める。そして──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恒夫ッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛行機の見送場で、ジョゼは隼人や舞、花菜や店長と共に、メキシコ行きの巨大な飛行機が浮かび上がって飛び立っていくのを、見送った。

 

「いや~、ジョゼ子ちゃんがあんな大声だすとは、驚いたわ~」

「び、びっくりしたぁ」

 

 隼人と舞に、なんと言われようと構わない。

 

「──大丈夫、ジョゼ?」

 

 あらん限りの力と声量を絞り出したジョゼ。肩で息する友人の背中に、花菜は手を落とした。

 

「──うん。大丈夫や」

 

 フェンスも砕けよとばかりに叫び呼んだ、ひとつの名前。

 あの日、あの事故の日に。

 曇天の下で、冷たい雨が降り注ぐ中、幾度呼んでも返ってこなかった呼びかけが思い出される。

 

 ──飛行機の中で(つねお)は、応えてくれただろうか。

 

 あの事故を思い出す。

 あの時、ジョゼのなかには絶望しかなかった。

 恒夫を傷つけた自分に、恒夫を救いにも行けない自分に、ぶざまに地べたをもがくしかなかった自分の無力さに、泣き続け、呼び続けた。

 

 けれど。

 今は、違う。

 空は海のように青く澄んでいる。

 

「きっと、大丈夫や」

 

 彼は生きている。

 生きて夢を叶いにいける。

 

 人魚(ジョゼ)を救ってくれた青年(つねお)は、光の海に向かって飛び立った。

 

 恒夫を乗せた飛行機は、晴れ晴れとした蒼穹の海を突き進む。

 空の色をした海の中を、心の翼を纏った青年が進んでいく。

 

 

 さびしさなのか、よろこびなのか、よくわからない涙があふれて、ジョゼの笑みを濡らしていく。

 

 

 ──大丈夫。

 恒夫は大丈夫。

 アタイも大丈夫。

 

 

 だって、こんなにも、幸せだから。

 ──ずっと、ずっと、幸せだから。

 

 

 離れていても大丈夫。たとえどんなに離れようとも、彼は絶対、ジョゼのもとに帰ってくる。

 

 

 さびしくなったら電話する。心細い時は彼を想う。そんな当たり前の事実が、ただ、嬉しい。

 

 

 ジョゼはキラキラと輝く宝石のような──彼への想いを胸に、青い青い海の底で、彼を待つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桜の雨が降り注ぐ季節がやって来た。

 小癪(こしゃく)にも「驚かせようと思って」、ジョゼに何も告げず春休みに日本へ帰ってきた恒夫に、ジョゼは言葉を詰まらせた。

「恒夫のくせに生意気や」──そういってポカポカと殴りつけてやってもくすぐったそうで、ジョゼもまた表情を緩めて笑い出すしかない。

 スケッチブックに桜の花びらが舞い落ちる。

 二人は桜並木の下で、それまでの分を取り戻すかのように、寄り添った。

 ジョゼは(たず)ねた。

 

 

 

 

 

「なぁ、管理人」

「どうした?」

「出発の日にな、見送場にいるアタイ、ちゃんと見えた?」

「……」

「アタイの声、ちゃんと、届いた?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恒夫はジョゼの耳元で、彼女が知りたがっていた答えを教えてあげた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・終・

 

 

 

 




恒夫の答えが知りたい人は、ジョゼ虎のエンドロールをご覧ください。

ジョゼ虎のおかげで、また書くことができました。

本当に、本当に、ありがとうございます──
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