第一話
かつて、大陸全土を巻き込んだ闘争があった。
北のロバス帝国、南のリベルタ共和国、東のグラン公国、西のミセリコ王国。
その戦は熾烈を極め、軍人・民間人問わず数多の犠牲者が発生した。数えられただけで、当時の総人口のおよそ四割が死滅したのだから、語るまでもないだろう。
戦争は長期に渡って広がり続け、最初は国境での小競り合いから徐々に規模を広げ、大陸中どこを見ても戦火が燃え盛る死の大地と化したのだ。
国は枯れ、民は死に、富は次々と滅びを迎えていく。
誰もかれもが疲弊し、それでもなお覇を唱える地獄がどこまでも続くと思われた──その時。
一人の青年が現れた。
それはまるで流星のようで、崩壊を迎える世界に突如出現した彗星の如き救世主。
内戦の鎮圧、紛争の終焉、その手には聖なる神官から祝福を授かった聖剣を携えて。
共に立ち上がった魔法使い、傭兵、数多の実力者たちと戦い、認め合い、彼は戦場を駆け回った。
それはリベルタ共和国へ勝利を齎すためではない。
人類を一つに纏め上げる為、統一国を建設するため。
もう二度と人類が戦争の悲劇を繰り返さない為に、彼はその身に過ぎた渇望を抱いて立ち上がったのだ。
幾度となく繰り返される戦争。
ありとあらゆる祝福をその身に宿し、彼は戦を次々と終焉に導いていく。
武器を破壊し、魔法を砕き、戦う意思を挫く。
命は奪わず、どれほどの大罪人であってもその命を奪うことは無かった。
常人では考えられない程の速度で大地を駆け巡り、やがてその刃はそれぞれの国の中枢へと至る。
感化された議員が立ち上がり、休戦を訴えた。
民が支持し、青年は英雄として讃えられていく。
英雄は戦争を終わらせた後に、統一国を建設する。
それぞれの国の蟠りと立ち向かい、それでも人の意志を信じ抜いた彼は成したのだ。
二十年もの間続いた戦争を終え、彼はやがて姿を消す。
戦の無くなった世界に英雄は不要だと言わんばかりに、忽然と姿を消したのだ。
大陸中を探し回るも終ぞ見つかることは無く──英雄は、伝説となった。
# 第一話
冬の苛烈な寒波が過ぎ去り、草花が実りを付け始める春。
季節が一巡する頃に、おれは目覚めた。
目覚めたと言っても変な方向性に目覚めた訳じゃ無い。
あー、でもまあ、これはこれで変な方向性と言える。少なくとも普通の人間にはないであろう、自身にだけしかないであろう特別な出来事だ。
今の年齢はおおよそ六歳と言ったところか。
肉体的には全く整合性のとれていない未熟さで、己の能力の低さに絶望する日々が続いている。
どうして己の能力の低さに絶望するのかと言われれば、簡潔に言えば──より完璧な理想像が頭の中に存在するから。より端的に言うならば、『前世の記憶』と呼べる謎の思い出があるからである。
それこそ御伽噺のような出来事だ。
空を翔ける龍を切り裂いた一撃、星を穿つとすら謳われた使い手を殺した感触、山河を埋め尽くす機械兵団を滅殺したときの光景、地の底から溢れ出た闇の軍勢と三日三晩殺し合ったときの疲労感、愛を謳って一生を駆け抜けた親友との雌雄を決した瞬間。
百と数十年前にあった、大陸を統一する英雄の追憶。
始めは何のことか訳が分からなかったが、訳が分からないという事実がおれに補完させた。
「あ、これ前世の記憶か」
理解した瞬間に高熱に魘され死の淵を彷徨ったが、両親の献身的な介護により事なきを得た。
流石に首都まで医者を呼びに行く、なんて無茶を行った父親を止めはしたが。ここド田舎だし、首都まで馬車を利用しても大体一週間は掛かる。
往復で二週間とか普通に手遅れだろ。
なんやかんやで生き延びたのが今から二年前、四歳のころの話だ。
そこからはこれまで通り違和感のない子供を演じつつ、記憶の整理を行って生きている。
伝記に遺された文献を幾つか読み漁って、時々保有する知識量じゃ解読できない部分を記憶を必死に掘り起こして読み解いて、それを更に自身の記憶で補完する。
かつての大戦を纏め上げ、この大陸を統一国と定めた英雄の記憶を。
「ロアくん!! あそぼー!!」
「……おれは常々言っているが、割と忙しいんだ。きみたちの遊びに付き合っていると疲れるし、今日はまだやることがある。あと一時間待ってくれ」
「やだ!!!」
これだから子供は……!
憤りを溜息に籠めて吐き出しつつ、ナチュラルにおれの部屋に入って来た幼馴染に向き合う様に立ち上がる。
「ふー……やれやれ。どうやら“理解”らせないと駄目らしいな」
「鬼ごっこしよ!」
「もう少し話を聞く努力をして欲しいんだが」
「鬼ごっこしよ!!」
「これはあれかな、おれは試されてるのかな」
「鬼ごっこ!!!!」
おのれ、おれは心の中に根付く他人の記憶を漁るので忙しいんだ。
子供の無邪気なエネルギーはこれだから困っちまうよ、本音を言えばベッドで横になりながら気楽に文献を読み漁っていたいのに。
「参加人数は?」
「わたしとロア!」
「1 on 1かよ」
タイマンとは恐れ入った。
おれこと『ロア・メグナカルト』の身体を簡単に表現するならばもやしっ子である。三度の飯より読書が好き、太陽光より人工的に調整された照明を好む体質。
幼馴染こと『ステルラ・エールライト』は元気な活発娘である。三度の飯より運動が好き、読書をする暇があるならとにかく身体を動かしたい典型的アウトドアタイプ。
つまりこれはおれの敗北が確定している出来レース。
如何に英雄の記憶らしきものを保有しているおれとしても現時点では覆す事の出来ない敗北である。
「やだ。おれは負けず嫌いなんだよ、勝てる戦いしかしたくないんだ」
「でもわたしはロアと遊べればそれでいいよ?」
「…………クソがッ!」
おれの負けだ。
これで通算敗北数二千くらいか? 盛ったな、でもまあ正確な数なんてどうでもいいだろ。どうせおれしかカウントしてないし。
手に持っていた文献(父親のツテで手に入れた)を机の引き出しにぶち込んでから、かわいい幼馴染の要望に応える為に準備をする。本当はあまり“全力”を出すのは好きじゃないんだ。何故なら、負けた時に言い訳出来ないから。
かつてのおれ(英雄のこと)は幼い頃から剣術を修め魔法を学び、魔法剣士という器用貧乏を万能へと昇華させ戦場を駆け廻る嵐となったらしい。
いまのおれは幼い頃から堕落を極め魔法は知らず、インドア派という名のごく潰しへと昇華させ家内のリビング・トイレ・自室を往復する無能である。
「いいハンデだぜ。かかってこいよステルラ、おれは負けない」
「じゃあロアが鬼ね!」
「マジかよ」
鬼を押し付け颯爽と走りだしたステルラ。
非常に残念なことに、大変遺憾ながら、あの幼馴染はクソチート才能ウーマンである。
おれが記憶の中にあった身体強化魔法を適当に教えたら初見で発動した怪物。ナチュラルに魔法を使い、両家を困惑させおれを説教へと導いた無邪気な悪。
文献のなかに書いてましたで事なきを得たが、危うく実の両親に怪しまれるところだった。
ちなみにおれは魔法を使えない。
魔法を使うのには魔力が必要なのだが、おれは魔力を生み出す器官がゴミカス程度の出力しかないらしい。
「世の中は誠に不公平である」
ぶつくさ言いながら玄関に向かい、運動用に買ってもらった靴を履く。
靴に魔法発動効果くらい付与してほしい。
それくらいのハンデは必要だろ、もう少しおれを有利にしてほしい。
「あら、遊んでくるの?」
「遺憾ながら鬼を押し付けられたゆえ」
「夕飯までには帰ってくるのよ」
「わかった」
今日は勝てると良いわねぇ、なんて呑気に言う母。
まるでおれが毎回負けてるみたいな言い草だ。失礼だとは思わないのか、すこしは自分の息子の勝ちを信じてくれたっていいだろう。これが噂に聞く児童虐待ってやつか?
と思ったが、記憶の中の英雄の幼少期と比べておれは非常に充実している。
あんな血と汗に塗れて苦痛の中で育ってどうして救国なんて崇高な意識が芽生えたのだろうか。
朝、時間になったら冷水を掛けられて目を覚ます。朝食すら食べずに修行を行い、手の皮がズルズルに剥けるまで素振りを強制。塩を塗り込んで傷口を消毒し、包帯も巻かずに組手。意識を失うまでボコボコに打ちのめされた後に致命傷すら回復させる回復魔法で蘇生に近い治療を行われ、休憩を挟まずに魔法の座学。
やっぱクソだな。
「おれは今生に感謝すらしている。ありがとう母上、父上」
才能が何も無くても、強さなんてものが無くてもいい時代なのだ。
平和は保たれかつての英雄の苦痛は闇に葬られ、輝かしい歴史だけが表に記されている。
救国の英雄に悲劇は必要無いと言わんばかりの徹底的な隠蔽である。
魔法の一つすら満足にあつかえないおれだが、生きて行くのに魔法など無くてもいいのだ。
「それはそれとして、魔法が使えるのはズルくないか?」
生きるのに必要無くても勝つのには必要。
魔法とは即ち、強さ。おれは負けず嫌いで偏屈なプライドを保有しているが、それを支える為の強さは一切存在していない。いわば虎の威を借りてすらいない狐以下の畜生である。
魔力器官は使用すれば使用するほど強くなる。
使えないおれは生涯強くなることは無い。
あまりにも不平等すぎる世の中だ。先程は英雄に比べればマシ等と戯れ言を吐いたが、それは嘘だ。やはり現実はクソ、おれの才能の無さは絶望の二文字ですら有り余る深さをもつ。
英雄の記憶はなーんにも役に立たないし、あんな辛い修行しなきゃ英雄になれないなら成らなくていい。
「楽に強くなりてぇ……」
「おっ、ロア坊じゃんか」
ぶつくさ言いながら歩いていると、件のチートウーマンの父親が話しかけてきた。
「どうもエールライトさん。お宅の娘さんに苛められています」
「まあまあそう嘆くな。俺の娘が才能あるのは認めるが、魔法を一発で使いこなしたのも凄いと思うが、勉強も出来るのが凄いが……凄いな。何で農家の娘に生まれたんだろう」
疑問に抱くな。
自身の子供の才能くらい信じてやれよ。
おれみたいに才能ナシだが明るく励まされてる子供よりマシだ。
「あーあ、才能が欲しい。努力値とか要らないから才能限界値を人類の上限突破するくらい与えて欲しかった」
「ま、今の時代には必要ない才能だよ。少なくとも、俺の世代にすら必要ないからな」
それはそう。
今は百余年続いた平和な時代であり、その平穏は未だ保たれている。
英雄の意志を継ぐ傭兵団、魔の祖が擁する魔導兵団、その他にもかつての英雄が関係を築き上げた多数の勢力が尽力している。
かつての勢力を纏め上げたのは間違いなく英雄であり、それこそが英雄たる所以。
「やっぱり男は強くてなんぼよ! ロア坊も剣術の師くらい探したらどうだ?」
「修行とか絶対無理です。おれは楽して強くなりたいんだ」
「なんて甘えた根性なんだ……」
「平和な情勢に苦痛を伴う強さとか必要ですかね」
「発言に正当性を持たせようと必死だな」
「それでも俺はァッ! (楽して)強くなりたい!」
「英雄譚の名言をそんな風に使うな」
公式に遺されている英雄譚・青年期編にて、自身の努力を嘲笑う様に登場した稀代の大天才に敗れた時の台詞である。
どれだけ現実に打ちのめされようと決して折れない心の強さはその姿を見た者を奮い立たせた、なんて描かれている。その実態は血反吐滲むどころか血肉吹き飛ぶ修練の先に越えられない壁が存在する現実に対し、その絶望感を胸に抱きながら高らかに謳った言葉である。
──どれだけの絶望がこの胸を埋め尽くそうとも、俺の積み重ねた現実は決して無くならない。
そんな想いを抱いて、英雄が絞り出した悲鳴にも似た叫びである。
偉大な男ではあるが、それを基準にして考えられると少々困ってしまう。
人は強い人間に惹かれる、事実ではあるがそれが全てではない。おれのように心の底から適当に自堕落に生きたいと願うのもまた人の本質であると思う。
この記憶が無ければもっと努力していたかもしれないが、この記憶があるからこそ努力の儚さを理解している。
という建前だ。
「それではおれは勝利を求めてくるので」
「おう、まあ程々に相手してやってくれ。アイツも寂しいんだ」
ステルラは才能チートウーマン。
この田舎に居ていい人材かわからない程度には才能に溢れているため、何をやっても人一倍熟してしまう。大人からは英才教育のように蝶よ花よと育てられているが、同年代の子供からは敬遠されがちだ。
持ち前の明るさで気にならないように振舞っているが、精神年齢が成熟した人間でない限り嫉妬心が燃え上がってしまうのも確か。
おれ?
おれはもう嫉妬とかそういう次元通り越したよ。
記憶が芽生えて、『おれ本当は英雄さまなんじゃね?』とか思い込んでた俺を散々に打ちのめした怪物である。
完全上位互換だし、もう嫉妬するもクソもないよね。
ロア・メグナカルトは現状何も成していない人間である。
「任せといてください。おれは置いて行かれても、追いかけるのはやめませんよ」
それが英雄の記憶を持つ人間として、最低限の意地だ。
あんな苛烈に、鮮明に輝きを見せつけられてはどれほどの闇が背後に巣食っていたとしても憧れは抱く。
抱くのは憧れまでだ。
羨望は決して抱かない。
いまだ英雄の記憶を最期まで辿れた事は無いが、その最期は現在不明となっている。
曰く、海の果てを探しに行った。
曰く、闇を祓いに地底に行った。
曰く、救った民衆の凶刃に倒れた。
星の数ほど最期は語られているが、どれもこれも確証があったりなかったりするため不明扱いである。
救国の英雄の最期は悲劇であってはならないが、この記憶を辿る限り──それは惨たらしく残酷な最期を迎えたのだろう。
悲劇で始まり悲劇に終わる。
英雄とはよく言ったものだ。その果ての平和を享受しているおれが言えた義理では無いが、現在の目標はコレである。かつての英雄の人生、それを正しい形で纏めて発表する。たとえそれが悲劇であっても、誰かの人生を歪めていい事にはならない。
発表したら暗殺される可能性も視野にいれるけど。
隠している事実を公表したらそりゃあ隠されるだろうな。
そのためにある程度の立場を手に入れるとか、何かしらの手段は講じなければならない。生憎とおれにチートは一切備わっていないので、現状出来る手段としては役人になって国の重要ポストに就く位である。
なお、そのための勉強もステルラの方が成績がいい。
「誰かステルラを見かけませんでしたか」
「おっ、ロアくんじゃないか。またお嬢様に振り回されてるのかい?」
近所に住む妖怪に話しかける。
妖怪と言っても言葉の綾で、俺が生まれた時から姿が一切変わってないから便宜上妖怪と呼んでいるだけである。
白い髪を腰まで伸ばし、赤い瞳は此方を見透かすように捉えてくる。スタイルは整っているし、一人だけ古風なローブを身に纏っているのもまあ目立つ理由になる。
「お嬢様というのがおれを一方的に打ちのめす悪魔の事を指すならそうです」
「彼女は才能に溢れているからな……私がこれまで見た人間の中で、最も才能に満ち溢れているよ。本人の努力もあるけれどね」
この妖怪お姉さん(以前おばさんと呼んだ際に三時間程正座させられた)、時々年を重ねたアピールしてくるが本質的に物事を良く考えている人だ。
どうしてこんな田舎に居るのかわからないが、役割としては村の医者兼主計兼魔法指導員兼教職員兼土木作業監督者兼畜産主任兼、なんて意味が分からないくらいの肩書を持つ。
あまりにも有能過ぎて嫉妬する気すら浮かばないが、村の人からはよく頼られる村長でもある。
「優秀な人間は周囲を置き去りにしてしまいがちだが、彼女の場合は問題なさそうで安心するよ。君が付いているからな」
「代わりにおれの自尊心が砕け散っているんですが、それはいいんですかね」
「自己修復出来るだろう?」
「限度ってモンがあるんですよね。おれにだって男としてのプライドはあります」
「ヨシ、それなら私が君を立派な魔法剣士に」
「なりません。魔法使えないし、イヤミですか? 終いには泣きますよ」
誠に遺憾である。
ロア・メグナカルトは激怒した。必ずかの邪知暴虐なる年齢不詳魔女を泣かすと決意した。
「今失礼な事を考えなかったか?」
「マサカソンナコト」
ロアは苦痛に弱い人間である。
普通に裏切るし、友を信じて三日三晩走り回る事はない。家に帰ってゆっくりしているだろう。
「それで、お嬢様兼悪魔は何処へ」
「ああ、そうだったな。私の探知魔法によると西地区あたりに居るらしい」
「遠過ぎんだろ……」
我が家は東地区の中央部、ステルラがいるのは西地区の南側。
距離で言えば歩いて一時間くらいの距離である。
「加減しろ!」
「流石に不憫だな……どれ、ここは一発ワタシが送ってやろう」
「おお、その重い腰を上げてくれるんですね」
「大陸の果てを見たいとは、中々良い趣味を持つな」
「大変申し訳ありませんでした」
なんだよ、言葉の綾じゃないか。
齢六歳にキレるとか威厳ゼロだぞ、ゼロ。
「私のテレポートだってタダじゃないんだぞ。まあ? 私は優しいからな、ちゃんと子供には大人の対応をしてやるのさ」
それを言うのが大分子供なんだが、おれは心優しいから黙っておく。
「あ、帰りは頑張って歩いて帰ってくるんだぞ」
「マジで言ってます??」
「男だろう、それくらい気張って見せろ」
「おれは六歳なんだが……」
「安心しろ。普通の六歳はソレを言い訳にしない」
暗に子供らしくないと告げられた所で、視界が光に包まれる。
この年齢不詳の魔女、魔法にエフェクト付与して誤魔化しやがった……!
「この年齢不詳! 魔女! 美人!」
「罵るのか褒めるのかどちらかにしたまえ」
独特の浮遊感と共に、一瞬だけ浮かび上がったかと思えば、次の瞬間には地に足着けてしっかりと立っている。
何度も送ってもらっているが、相変わらず魔法の感覚が独特だ。
こんだけ発達してるなら馬車とかやめて運送業やればいいのにな。絶対儲かるだろ。
「あ、いたいた。ステルラ見っけ」
「あー、またエイリアスさんに送ってもらったでしょ!」
「おれは魔法が使えないから普通にやったら日が暮れても追いつけないんだが……」
気が利く魔女様は、どうやら標的の真後ろに送り込んでくれたらしい。
「ほい、タッチ。チェンジだチェンジ」
「ずるい! 折角ここまで走って来たのに~!」
「いや、ここまで普通は走ってこないからな。街道通っても一時間は掛かるぞ」
のんびり歩いて来たから、陽が傾き始めている。
おれはそろそろ家に向けて歩き始めなければ夕食に間に合わなくなってしまう。母との約束は夕食までには帰宅する事、このままでは遅刻してしまう。
事情があれば許してくれるし、大半が事情があるんだが、それはそれで負けた気がするのでイヤだ。
「ステルラ、おれのこと運んでくれないか?」
「え、一緒に走って帰ろうよ!」
「多分それはおれが置いて行かれるだけだな」
自分を基準にするのをやめたまえ。
おれは典型的もやしっ子、100メートル二十秒の記録を持つ。
自慢じゃないが、ここから時間通り帰るのは不可能に近い。
「まあいいか。魔女に誑かされたって言い訳しよう」
「じゃあ競争しよう競争!」
「おれに一切の勝ちの目が無い事を今説明したと思うんだが……」
なにが楽しいのか、きゃいきゃいと笑いながらステルラが騒ぐ。
負けっぱなしなのは気に食わないが、まあ、コイツが楽しいならそれはそれでいいか。
いつか絶対負かしてやる。
「ハイスピードなのを否定はしないけど、たまには緩やかに行こう」
「でもロアはいつもスロースピードじゃん」
「ステルラが急ぎ過ぎてるだけなんだ。おれが普通だから」
「おっそーい! 遅い遅いおっそ~~い!」
「普通にムカつく。おれに魔力が無くてよかったな、もしも魔法が使えたら八つ裂きにしてるところだ」
ハ~~~。
まあ、お子様にはわからないか、おれの気遣いとか諸々が。
努力はクソだが、こういう目にあっていると定期的に努力はするべきだと思わされる。努力の最低値を地で行くスタンスだが、ごくまれに努力値を振るのも悪くはない。
剣術とかやれる気がしないし魔法は使えないが、このままだとステルラに一生敗北したままである。三日坊主になる未来が見えるが、明日から本気出そう。
「ほらほら、走ろっ!」
「待てステルラ。おれの手を引いたまま走るな、そのままだとおれが宙に浮いたまま──」
おれの命乞いも虚しく、かの暴虐なる悪魔的お嬢様は駆け出した。
無意識に発動した身体強化によって増幅された身体能力を発揮し、おれは連れ去られる体を保ったまま風を切る隼と化したのだ。
家に着いたころには疲労困憊、視界がぐわんぐわんと揺れ動き全身から変な汗が吹き出し続けたおれは翌日高熱で倒れた。
英雄の記憶なんざ持っていても所詮この程度である。
ロア・メグナカルト六歳。勝ちの目が見えなくても挑まなくてはならない勝負がある、そんな理不尽な現実に付き合った結果。
“
これで通算敗北数がまた一つ星を重ねる事となった。
天才に付き合えるのは狂った努力家かそれを越える天才である。
おれはそのどちらでもなく、ただ誰かの記憶を持った凡人で終わる。その事実がなんだか悔しい気もするが、それが現実だから仕方が無い。
「母上、父上……もしおれが死んだら、犯人はステルラだ」
「ご、ごめんねロア。ロアが弱くて女の子に勝てなくて意地っ張りで見栄を良く張ることを忘れてたよ」
「おまえちょっと表出ろ。おれがこの手で引導を渡してやる」
ナチュラルすぎる煽りに、おれの海よりも深い寛大な心でさえ沸点を優に通り越し、臨界点を突破した。
誰が一度も勝ったことのない負け癖のついた万年最下位だ。勝てるってところをたまには見せてやらないから、こういう思い上がりが出来てしまう。
魔法を封印するルールでステルラと即刻鬼ごっこを再開する。
おれは熱で魘されていて体調が万全とは言い難いが、そんな事を無視してでもいまこのチャンスを逃すべきではないと心の奥底から思ったのだ。
「クソ……ッ! 待て、この……!」
「ロア、無理しなくていいよ?」
「クソがッッ!!!」
おれの体感では三年は鬼ごっこをしていた感覚なのだが、その実一時間も経たずに症状が悪化したおれは魔法を解禁したステルラによって自宅に強制収容された。
医者として訪れていた妖怪ババアことエイリアスさんには、「意地を張るのは男らしくて好感が持てるが、それはそれとして休むときはしっかり休め。どこかの誰かみたいに手遅れになるぞ」なんて説教も頂いてしまった。
一度に二度の敗北を味わわされることになるとは……やはりステルラ・エールライトはおれの宿敵である。
「ぐおお……おのれ、つぎはおれが勝つ……」
「まったく。回復魔法も限界があるんだぞ?」
強制的に体力が増やされていく謎の快感と共に、おれは高熱の最中意識を失った。敗北に敗北を重ねた敗北のミルフィーユである。
それは大層苦い味だった。
──そして、高熱で意識が混濁する中、ある夢を見た。
それは英雄の詩だった。
人類同士の争いを終え、かつての仲間たちとも別れを告げ、故郷へと帰還した後の話。語られる事のない英雄の闇。
人の心から産まれた地底の悪が、古の大地より溢れ出る。
ただ一人、共に時を過ごした稀代の天才にして親友と共に駆け抜けた語られない戦。
かつての仲間たちへ言葉を遺し、二人は戦いへと赴いた。
いくら祓えど勢い衰える事が無く、次第に疲弊していく両者。かつて暗黒の力をその刀身に封印したと謳われた魔剣が折れ、聖なる神官が祝福を施した鎧も打ち砕け、王女より授かった伝説の盾も今や鉄くず同然と化した。
それでもなお、両者は諦めない。
人の悪意が無限に生まれるように、奴らは尽きる事が無い。山を越える巨大な怪物、空を埋め尽くす悪意の軍勢、人の形を保った、魔法を扱う異質な敵。
その絶望的な程に明確な戦力差であったが、決して諦めることは無かった。
しかしそれも時間の問題であり、最早二人で止める事が叶わないと理解し、両者はある決断をした。
それは、英雄が作り出した魔法だった。かつての敗北に気付き、自分ではどうにもできない努力の差を乗り越えるための苦肉の策だった。
それは、親友の作り出した奇跡だった。かつての勝利に気付き、自分すらも乗り越える天才を凌駕するために生み出した必然の策だった。
自身を媒体に莫大な魔力を生み出し、その命を捧げる事で対価を得る。
両極端な二人が至った結論は、奇しくも同じであった。
産まれ続ける根源を突き止め、悪意の孔へと二人は駆けた。
それはまさしく天地開闢の一撃だった。それはまさしく天下無双の一撃だった。
二人の英雄がその身を犠牲に撃ち放った一撃により、孔は崩壊を迎える。
しかしその奥底に潜む闇は未だ死なず、百余年続いた平和の地の底で今か今かと機を窺っているだろう。
二人の英雄は死に、悪は生き延びた。
それこそが、誰にも語られる事のない──英雄の最期である。