外界と遮る炎の壁の中を衝撃が満たす。
身体中全部ぐちゃぐちゃになってしまいそうなくらい激しい振動と痛みが揺さぶって、吐き気に頭痛に目の痛み出血意識の混濁────いくら人間を超えた存在になったとはいえ、人の肉体をベースにしている以上襲いかかってくる症状を抑えることはできない。
焼ける身体の感覚と壊れた側から治し続けることでなんとか形を保って、それで失われていく魔力を考慮することも出来ずに──およそ五分が経過した。
(……息が…………)
鼻も口も肺も何もかも焼け尽くされて、治せば治すほどに痛みが襲ってくる。
苦しさだけが脳を支配して、それでも死なない不死性の狭間で必死に呼吸をしようと踠いてる。
(……見えない)
おそらく温度が高すぎるのか。
治した側から焼けていくのだから、きっと人体では耐えきれない温度なんでしょう。なら魔力で周囲を覆って安全圏を作るしかないのだけれども、それを行うための冷静な判断力がとうに失われていた。
なぜなら、酸素を取り込めていないから。
今生きているのは反射的に魔力が勝手に反応しているに過ぎず、朦朧とした意識で考えられるのは短絡的なことだけだった。
(このまま死ぬんでしょうか)
苦しい。
一つ壁を越えたと思ったのにこの体たらくで情けないことこの上ない。魔祖十二使徒として人々を安心させるにはこの程度では全然足りない。
肺を治して焼けて、喉を治して焼けて、口を治して焼けて、鼻を治せば溶ける。
臨界した環境下において人体が如何に脆弱なのかを実感しながら、それでも魔力を用いた生存だけは諦めなかった。
まだ死んでない。
それならまだ、生きるために足掻かなくちゃ。
(ロアくんは、無事でしょうか)
炎の壁がまだ保たれてるのかどうかすらわからない。
魔力を消費し続けている感覚はあるけれど、それが果たして障壁の維持費なのか肉体の修復に利用している分なのかがさっぱりわからない程度には混濁している。
(お師匠は……)
倒せたのでしょうか。
倒せなかったとしても、手傷くらいは負ったのか。
それを確認する手立てすら用意できない。そんな自分の状況を愚かだと罵りながらも、沸々と湧いてくる疑問に素直に答えていく。
死んでもいいと思った。
お師匠を止められるなら、お師匠を倒せるなら、お師匠を殺せるなら、ここで死んでも構わないと考えてた。
一歩踏み込んだ覚悟で放った一撃は確かに当たったと思うし手応えもある。それの巻き添えとなる形で自分の命がどんどん削られていく現状も納得する。
(…………でもこれじゃあ、お師匠は悲しんでしまう)
自分が育てた娘が、自分を止めるために命を落とす。
そうならないために努力していたことはわかっているから、この結果を招いてしまった自分の弱さを呪った。
(やっぱり、私じゃ……)
死の間際に弱った心が呟くのを止められない。
ああ、やっぱり私じゃだめなのかもしれないんだ。だって私は
だって、私が死にかけてもお師匠を救うことはできないけれど────ロアくんが死にかけたあの時、きっとお師匠は救われたと思っているから。
百年前は届かなかった英雄の死を、自らの命で堰き止めた。
幾度となく夢想した夢だっただろう。エミーリア・A・グランという女性にとって生涯忘れることのできない呪いを解くことができたのは、他ならぬ
(…………悔しいなぁ……)
私の方が、ずっとずっとお師匠のことが好きなのに。
同じくらい大好きな貴方がお師匠のことを救えた事実が、どうしようもないくらいに悔しい。
(…………本当に……)
意識が、朦朧とする。
希薄になっていく己の感情を、休みたいという欲望に委ねた。
◇
『
無言で頷く。
『ん~~……それは別にいいんだけど……』
『……なにか不都合が?』
『いやいや、そういう訳じゃない。何から話せばいいかと思ってさ』
そう言いながらお師匠──エミーリアは苦笑しつつも立ち上がる。
両親を失い、それまでに培ってきた全てを壊した私を迎え入れてくれた恩人。
魔物を討伐するのが間に合わなかったのだと謝りながら、責任をもって育てると引き取られ既に数年。親身に私の事を考えてくれているのはわかるのに、どうしてか距離が互いに詰められないまま経過してしまっていた。
それを歯痒く思いつつも(恐らく)、私が自分から立ち直る事を諦めずに様子を見続けてくれたこの人には感謝しかない。
『……エミーリアさんしか知らないようなことが、聞きたいです』
この頃はまだ名前で呼んでいたんだ。
育ての親ではあるものの、他人という意識の方が強い。家族の枠組みで考えるには少々、若すぎた。
私の我儘を聞いて苦笑しつつ、私が持っていた本を慈しむように見つめる。
『色々あった。出会いも別れも悲劇も喜劇も、世に出回ってる英雄譚には出せないような出来事だってたくさん』
声色は優しい。
でも何処か寂しくて切ない。
今になって思えば、後悔だったんだと思う。もう取り返しのつかない重たい事実を、現実を受け止めた大人の後悔。
『アルスの話は面白いか?』
『…………わかりません』
『そ、そうか……』
面白いとは思ってなかったかもしれない。
ただ、彼の話を聞くと──エミーリアさんが感情豊かに話してくれるのが何故か気になって、それでお願いしてたような気がする。
『面白いかどうかはわかりませんが……』
本音は隠して、エミーリアさんに喜ばれる答えを考える。
『知りたいと思いました』
『…………そっか!』
嬉しそうに私の頭を撫でる手は優しかった。
私は、これが正しかったと理解した。
エミーリアさんは、英雄のことを────アルスという男の話を、誰かに伝えたかったのだと。それが本音だと信じたくなかったとしても、きっとそれが彼女の抱いていた禍根だと。
だから私は興味を抱いた。
私のことを助けてくれたエミーリアさんがここまで夢中になる存在に。
私のことを育ててくれたエミーリアさんがここまで虜になっている人に。
私のことを娘だと言ってくれた、大切な人が求めている羨ましい男の人に。
彼のことを理解すれば、きっといつの日にか────私のことだってそれくらい大切に思ってくれるんじゃないかと、間違った理解を抱いてしまったんだ。
────……!
息が苦しい。
空気を一つ吸い込むだけで焼けたような痛みが喉に奔り、口内からはもうなんの感覚もしない。
────…………いよ!
声が聞こえる。
夢の中に出てくるわけがない声。
「────目を開けなさい! ルーナ・ルッサ!」
目は開かない。
熱でぐちゃぐちゃに焼け爛れた皮膚がくっついて、修復しようにも上手くいかない状態だから。それどころか呼吸器系ないし内臓全部がドロドロに溶けているんだろう。それでもなお命を維持できてるのはきっと、
口を動かして言葉を話そうとして、何も動かない。
身体の感覚が大分失われている。
それどころかあんなにも慣れ親しんだ魔力の感覚すら薄れており──魔力切れを起こしたのだと気がついたのはこの時だった。
(先程の夢は……走馬灯ですか)
そう長くは保たない。
いくら人間を超えたと言っても、魔力あってのものだ。
魔力がなくなり封じられてしまえば、
そして、私の末路はおそらくそれだ。
(…………ルーチェさんがいるということは、私の炎は解けた。極限まで熱された空気がどうなったかは不安ですが、多分どうにかなったのでしょうね)
彼女は氷と水を操る力を有している。
それを全開で振るえば、いくら祝福で後付けされた力だとはいえ空気を冷やす程度のことは造作もないだろう。
「どこから治せば────ああくそっ! 時間も魔力も足りない……!」
悪態付く声色に、いよいよ死が近づいてきたと自覚する。
苦しさと痛みだけが訴える身体が、緩やかに崩れていく。死というのはこういう感覚なのかと、この空虚な感覚を一度味わっているのならそれは自堕落な人間にもなるだろうと少しだけ納得した。
それでもなお英雄としての一歩を踏み出そうと思った彼はやはり、すごい。
(……きっと、君なら成せますよ)
ロア・メグナカルト。
英雄の記憶を持って生まれ、英雄になんてならないと言っておきながら英雄と成ることを選んだ男の子。幼馴染を守るために剣を握りその人生全てを費やしてきた愛の重たすぎる男。
愛だけでは救えない。
だから、それ以外の全てを投げ捨てで強さを掴もうとした。
たった一人の女の子を救うために────なんて、羨ましい話でしょう。
(私が、生まれ直す前に……)
どうか英雄になってほしい。
それこそが、
そう願って意識を委ねようとして──身体を包み込む淡い暖かさを感じ取る。
「────間に合ったか?」
「……アンタ、どうしてこっちに」
魔力に物を言わせて強制的に肉体が修復されていく。凄まじい激痛が身体中を駆け巡るけれど、その側から治されていく上に喉が優先されていないので声は出ない。でも、意識だけはしっかりと痛みを認識していた。
(────っ!! 痛、痛い!)
「敵が期待外れだった。故に、周りの強い奴らに混ざろうと思ってな」
「……まあ……遊撃としては正しいのかしら」
激痛が奔り痛みに喘ぐ私を無視して、二人は会話を続ける。
「メグナカルトとエールライトがいるのだから坩堝内部は必要なし、学園周辺もあの三人が陣取っているから邪魔になる。ベルナールは文句を言いながら一人で十二分に敵を引きつけていたから消去法でこちらを選んだら、ほぼ死にかけの人間がいたという訳だ」
「…………理由は置いておくとして、助かった。私だけじゃ治せなかったもの」
ああ、この声は、彼か。
魔祖十二使徒次期第五席、ヴォルフガング・バルトロメウス。
「人型は?」
「一体だけ殺った。他は俺の元には現れなかったな」
「……どうやったわけ?」
「障壁と風で磨り潰した」
障壁を破るには威力が足りない。
風で削り切るには威力が足りない。
ならその二つを組み合わせて削り続ければ殺せるだろう────普通はその発想には至らないんですが。
ルーチェさんが呆れたようなため息を吐いた。
「化け物ね」
「相手が弱かった。いくら魔力が無尽蔵だったとしても、殺しがメインの奴が現れたところで大した脅威にはならん」
ルーチェさんが舌打ちをした。
「ルーナ・ルッサ。調子はどうだ?」
「…………助か、りました……」
喉はまだでも内臓が修復され、徐々に人間として最低限の形を成していく。
回復魔法が異常なくらい発展しているとはいえ、もうすでに死人と変わらない状態から復活させられるとは思っていなかった。
視界が少しずつ明けていき、私を覗き込むルーチェさんの顔が大きく映った。
「ならよかった。まだ貴女とは闘っていないからな」
「……本気で言ってるの?」
「ああ。俺は世界最強を目指している」
至極真面目なトーンで言い放つ。
世界で一番強い存在。
この男の子は大真面目に、何者よりも強くなることを夢にしている。
「この大陸で一番になり、新大陸を制覇し、この世界の全てを知り尽くした上で最強になる。それが今の俺の夢だ」
だから、と言葉を続けて、バルトロメウスくんは言う。
「まだ死ぬな。俺が貴女を超えるまで」
それがメグナカルトのためでもあると後付けして、彼は空に飛び上がる。
背から乱雑に展開された風魔法が荒々しく羽ばたきながら、あっという間に首都の空を駆けて行った。
「……ここが、ゴールではないと」
起き上がって周りを見てみれば、そこには氷漬けになった住宅街の姿が。ルーチェさんに視線を向けると、僅かに氷が皮膚に滲んでいた。
「色々助けられてしまいましたね」
やはり私では役者不足だった。
ロアくんは元より、ルーチェさんのような友人、バルトロメウスくんのような知り合いくらいの人でさえ、死ぬなと願ってくるのに──あんなに死に急いでいた。
お師匠のためになるなら死ぬことだって構わない。
でも、私が死ぬことはお師匠は酷く悲しむだろう。たとえ私が英雄になれないとしても、お師匠にとってただ一人娘として扱ってきた存在だから。もっとわかりやすく本音を伝えてくれれば楽だったんですけどね。
私の生を諦めなかった友人に一言感謝を告げる。
「ありがとう、ルーチェ。貴女のおかげで私は生き残れた」
「…………驚いた。アンタ、そういう話し方出来たのね」
「喧嘩売ってます? 魔力が無くなっても才能は私の方が上ですから」
「ぶん殴るわよ」
今すぐには変えられないかもしれない。
でも少なくとも、この戦いで死ぬつもりは無くなった。
何者にも変え難い想い人が死ぬまでは、それくらいの心持ちでいいのかもしれない。
お師匠の姿はどこにもない。
あの炎で飲み込むことが出来たのならば、今はそれでいい。
「────……さようなら、エミーリアさん」
私はまだ死ねない。
死にたい理由はあっても、それ以上に死ねない理由が出来たので。
貴女が後世に語り継ごうと生きてきた理由もきっと、そうなのでしょうか。
白く吐き出す吐息が薄く消えていくのを眺めながら、私は一歩師に近づいてしまった気がした。
前話で100話到達していました。
後もう少し続きますので、お付き合いよろしくお願い致します!