【本編完結】英雄転生後世成り上がり   作:恒例行事

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第三話

 しつこいくらいに宣言するが、おれは努力が嫌いである。

 

 敬遠しているとかそういうレベルではなく、死か努力かを選ぶなら三時間程悩んだ末に苦肉の策として努力を選ぶ。

 努力を如何に簡略化出来るのか、どうすれば楽して努力を終わる事が出来るのか、おれの思考の三割程度はそこに割り振られている。もはや意識的に行っている事ではなく、これはおれにとって呼吸をするのと同じだ。

 

 前振りは済んだな。

 

「師匠。おれは楽がしたいから弟子入りしたのであって、決して苦労を重ねまくって最終的に天下に名を轟かせる覇者になりたいわけじゃない」

「何を甘えたことを言っているんだい……いや、君はそういう奴だったな。半年間なんだかんだ言って続けてきてるじゃないか」

 

 そりゃあやるしかないんだからやるだろ。

 誠に遺憾ではあるが、これを三日坊主で済ませるのはよくないと思う。

 今となってはおれだけが明確に知っているかつての英雄の記憶、それがあるから努力しているに過ぎない。強くなる努力はどれだけ重ねても確実性のない本人のセンスによるモノが大きいので、おれや彼は大変苦労しているのだ。

 

「魔法は相変わらずダメだが、剣術と体術はそれなりになってきただろう? 五段階評価で言えばCにはなれるんじゃないか」

「同年代の中でCとか意味無いです。やらないのと同意義です、つまりおれは努力しなくても今と同等の価値を保つことが出来たという証明に他ならない」

「たまにとんでもない事言うよね。そこら辺のぶっ飛び具合、私の知り合いにも居なかったな……」

「じゃあおれが師匠の初めてを奪ったんですね。ヴィンテージ百年くらいですか」

「今日のトレーニングは私も混ざろう。二対一の想定もそろそろ始める頃合いだと思っていたんだ」

「ヒエッ……」

 

 師匠の魔力で生み出された大天才と師匠による連携アタックにより、おれは無惨な姿を晒すことになった。

 

「あ、エイリアスさーん! ロアー!」

「おや、君の大切なお嬢様がやってきたぞ。よく来たねステルラ、このボロ雑巾に用かい?」

「ボロボロ~。水魔法覚えたから流してあげるね!」

「ちょっと待てステルラ。それは拷問の一種」

 

 おれの懸命な命乞いも虚しく、泣きっ面に蜂と言わんばかりにかけられた追い打ちにさしもの鬼畜妖怪ですら同情の意を示した。

 

「エールライト家の教育方針を知りたいですね」

「…………」

「だって、汚れは流さないと駄目でしょ?」

「そうだが、時と場合によるだろ」

「え……?」

「え……?」

 

 これはおれが悪いのか? 

 常識を教えるのは大人の仕事で、おれは子供な筈なんだが。

 

 助けを求めるように師匠に目線を向けても、応えてくれることは無かった。

 

「おのれ社会。こんな社会は間違っている、おれが革命の怒号を鳴らす必要があるな」

「私も手伝うよ!」

「諸悪の根源という自覚を持たないのか。悪の自覚がない無邪気な悪意は時として巨悪に勝るとは真実だったんだな」

 

 まさか七歳になって抱く思いがこんな悲壮なモノになるとは、誰が想像しただろうか。

 

 既に師匠の元に弟子入りして半年、おれが大嫌いな努力をする原因となった時期からおよそ一年が経過していた。

 自分でもここまで続けられるとは思っていなかったが、なんだかんだやると決めたらやれるあたり流石はおれである。褒めるなよ、照れるだろ。

 

「魔法使いてぇ。広域破壊魔法使えればこんな努力しなくて済むのに。どうして神はおれに才能を与えなかったのだろうか、おれはこんなにも才を求めていると言うのに。才能の代わりに能天気になってしまった幼馴染を見ると嘆く心を抑えきれません」

「そうだエイリアスさん! 火属性魔法なんですけど、こんな感じになりました!」

 

 ンボッ!! 

 なんてアホらしい爆発音と共に、ステルラが掲げた掌の先に火球が生まれた。

 ちょっとした岩くらいのサイズなんだが、おれ、これからそんなのポンポン放てる連中と切磋琢磨しなきゃいけないのか? 努力確定じゃん。はー、もう全部投げ出したくなってきたな。

 

「おぉ……相変わらず馬鹿弟子と違って才に溢れているなぁ。複合魔法はまだ危険だが、もう次のステップに移ってもいいかもしれないね」

「クソが。図に乗るなよ、そんな火球切り裂いてやるわ」

 

 おれの記憶にある一撃を掘り起こす。

 それは天にも届いた一撃だった。空を駆ける巨大な龍、溶岩と一体化し周囲を融解させる恐ろしい生命体だった。

 空から隕石と共に降り注ぐ小規模な太陽にも似た攻撃に対し、かつての英雄はその身一つで対処して見せた。今のステルラの火球はそんなヤバい代物では無いが、当社比で匹敵すると思われる。

 

 かつての軌跡をなぞるように、掲げた火球に木刀を当てた。

 

「……ちょうど重すぎると思っていたんだ。おれにはこれくらいがちょうどいいサイズだ」

「どうして木刀で薙ぎ払えると思ったのか不思議なんだけれど……」

 

 火球に突っ込んだ木刀の半ばから先までを失った。

 一年間連れ添った相棒のあまりにも呆気なさすぎる最後に涙を禁じ得ず、衝撃と共にまた新たな敗北を刻んだ。

 

「英雄大戦ではこういう事できる人達が多数いたのでは……」

「そりゃあ持ってる武器に魔力宿ってるからね。ほら、ロアくんなら知ってると思うけど祝福が施された武器ってそういう意味だよ」

「師匠、今すぐおれに祝福を授けてください。鬼畜妖怪の祝福ならおれがこれ以降負ける事はないでしょう」

「君に生涯託すことはないのが今確定したが、これは今となっては免許が必要な部類になる。ステルラはその内出来るようになるかもしれないが、魔法を外でポンポン使うの本当は駄目だからな?」

 

 口を滑らせた事でおれの不幸が確定した。

 悠久なる刻を生きる魔祖・聖なる祝福を持つ偉大なる神官・ヴィンテージ百年の鬼畜妖怪。ネームバリューとしては負けず劣らず、いい勝負が出来るのではないだろうか? 

 

「馬鹿弟子は休んでいる暇はないよ。さっき火球に突っ込んだ剣筋は褒めるが、身体の成長と比例する程度の伸び代では置いてけぼりにされてしまう」

「グラフがとんでもない事になりそうですね」

「現在進行形で異次元を刻んでいる天才が傍に居るからね」

 

 倫理観と共に人の心も置いて来た鬼畜妖怪は再度鎧を生み出し、おれに対して剣を構えさせた。

 

 この日逆鱗を踏み過ぎたのか、おれは回復魔法によりエンドレスリンチを食らう羽目になった。

 

 

 

 

 

 

 ♯ 第三話

 

 おれが努力を始めてからおよそ一年が経過した。

 

 毎日あまりの不快感に顔を顰めながら生きているが、少しずつ芽生える成果がなおさら苛立ちを増幅させる。おれは毎日コツコツ継続する大切さとかを謳われると唾棄したくなる性質を持つので、ズルできるならしたいとその度に思っている。

 

「ハァ~……ア゛ァ゛ッ!! フゥ、ハァ、あ゛あ゛~……!」

「がんばれロア~」

 

 だれの為だと思ってるんだ? 

 

 マメが潰れて出血を繰り返しながら、それでも素振りを続けるおれの不屈の心には自賛せざるを得ない。

 継続は力なりとか言いたくないし、心に刻む言葉は三日坊主である。

 

 自堕落万歳。

 

 それなのに今のおれは情けない。

 堕落と言う言葉からかけ離れた日々を過ごし、追いつけるはずも無い天才へ追いつく為に無理無茶を通す事すら出来ずにひたすら抗っている。

 あ~あ、くそったれ。

 

「おれも魔法使いてぇ……身体強化すればこんな地道な訓練しなくていいし、剣の一撃より魔力で形成した大質量を墜とした方がつよい。おれの経験がそう語っているんだ」

「魔法戦闘したことないくせに何言ってるんだい?」

「おれは天才だからな」

 

 文字通り見なくてもわかるのだ。

 なぜなら記憶のなかに頭おかしい魔法を大量に放つ人が存在するからである。

 

 魔祖とか言われるあの若作りロリババア、控えめに言って頭おかしいだろ。

 湖を一瞬で干上がらせたり、山と見紛う質量の岩を生成するし、電撃を収縮させて光線にしたりする。現代に伝わる魔法のほぼ全てあの人関係から生み出されたモノである。

 

「でも君魔法に関しては素人以下だよ」

「人のやる気を削がないでくれます? 仮にもあなた師ですよね」

「生意気なクソガキを導いている教職者でもある」

「え、定年じゃないんですか」

「やれ」

 

 ア゛ァ゛ー!! 

 

 突如背後から襲い掛かって来た鎧の攻撃が肩に命中し、あまりの痛みに悶絶しながら攻撃に対応する。

 記憶のなかの本物に比べれば未熟すぎる鎧の完成度だが、いまのおれにはそれすらも強敵である。ていうか体格差ある時点でめちゃくちゃ不利なんだが、七歳にしては頑張ってる方だと思うんだよ。

 

「ふーむ、なんだかんだ言いつつ対応できるようになってきたじゃないか」

「うでの痺れが取れないときはどうすれば」

「魔法戦士なら回復すればいいし、そういう祝福を施された装備を身に付けるね」

 

 つまりおれが今治す手立てはない。

 師匠に媚び諂い甘やかしてくれることを祈るしかないのだ。

 

「ロアくんはわからないだろうが、剣を極めた者は魔導を極めた人間を容易く打ち倒す事が出来るんだ。剣一つ身一つで戦争を左右するような猛者だっていたんだぞ」

「かの英雄ですか」

「いや、あの人はどっちかと言えば魔導よりだったよ。すでに祝福を受けた剣に更に重ね掛けを行う繊細さとか、派手さはないが細かな操作が本当に上手だった」

 

 まるで見て来たみたいな言い草だ。

 おれもそれが事実なのは理解できるのだが、どれほど英雄の記憶を覗いても師匠に似ている人物は出てこない。マジで何者なんだろうか、年齢弄りを繰り返しているが否定する事はないのも余計あやしい。本当は隠すつもりないんじゃないか? 

 

「繊細、か……おれにピッタリですね」

「三度自身の胸に問い続けて自責の念に駆られなかったらそう信じてもいいだろう」

 

 おれは繊細か? 

 おれは繊細だ。

 おれは繊細過ぎる。

 

「憂鬱になってきたな」

「センチメンタルと拘れる性格なのは別だ。良かったね、戦闘の時に役に立つよ」

 

 相手を煽るのはいいんだが、おれも煽られるとまあまあ腹を立てるタイプである。

 いやまあ、おれはとても心が広いうえに海よりも深い堪忍袋を兼ね揃えているので論戦最強なんだが、冷静ではない時に言われてしまえばさしものおれとて動揺を隠せない。

 

 棒立ちで佇む鎧の騎士をペシペシしつつ、仕方がないので再度剣を握る。

 

 あぁ、楽したい。

 薬とかで魔力増幅できるならそれで済ませたい。

 投薬で運用されてた禁則兵団とかどうなったのだろうか。かつて存在した、とは明記されているがその実態を書き記した教材は存在しなかった。

 

 ちなみに記憶の中ではたしかに存在する。

 

 英雄が普通に倒して救って、以降は魔祖の元で暮らしたとかなんとか。

 

「いやじゃ~~、おれは楽がしたい。楽がしたい楽がしたい楽がしたい楽がしたい」

「欲が駄々洩れだ……」

「人の本質は欲望だとおれは思うんです」

 

 今のおれの一日を書き記すと、朝起きて素振りを二時間・その後朝食を食べて身支度を整えて村から少し離れた学園まで走って移動に一時間・学園で勉強を大体五時間・帰ってきて師匠の元でひたすら実戦形式で打ち合いを寝るまで。

 

 おいおい、おれの読書時間はどこに消えちまったんだ? 

 

 こんな修行僧みたいな生活してるからこうなるのだ。

 欲望を押さえつけることで解決しようとするのは愚者のやることで、賢者は抑えつけるのではなく解消させるのである。

 

「君が早く強くなれば訓練の時間は減るだろうね」

「それはおれにもっと努力しろと言っていますよね。それはつまり女性に脱げと言うのと同じなんです」

「教育方針を間違えたかな」

 

 相手の嫌がる事をしないというコミュニケーションの基礎を述べただけでこれである。

 

「さて、すまないが今日は早めに切り上げることにする」

「デートですか?」

「似たようなモノだ」

 

 それにしては何時もと恰好が変わらないが。

 こういう時はおしゃれしていくのが女性なんじゃないのか? もしかして長生きしすぎて植物と同じ領域に精神が進歩してしまったのだろうか。

 

「君が何を考えているのか、最近理解できるようになってきたよ」

「以心伝心ってヤツですね。師弟の絆が深まったようで何よりです」

 

 おれはこの後、飛んできた雷に打たれて気絶した。

 気が付いた時には家に居たので、またもや運ばれたのだろう。敗北を重ねすぎて自身のスタンスが揺らぎそうだ。

 

 

 

 

 

 

 後日、師匠が不在の一日。

 

「ねーねー見てロア! 綺麗な石拾ったんだ!」

「へぇ、見せてくれ」

 

 そう言ってステルラが見せて来たのは虹色に輝く石のようなモノである。

 うん、おれが知っている石と大分違うのだが、こんな鉱石あっただろうか。齢七歳のロアには該当する知識はなく、また、英雄の記憶の中にもそんなもの存在しなかった。

 

「危ないからペッしなさい」

「食べないよ!?」

「そうなのか。てっきり非常食として持ってきたのかと思った」

「ロアは時々私をとんでもないくらい馬鹿にするよね」

 

 ステルラお嬢様は一年間で大分変化があった。

 口調はあまり変わってないが、暴れん坊からやんちゃと言い変える事が出来る程度には大人しくなったのだ。それも魔法の修行が本格化したあたりからなので、おれの必死な抵抗は一切意味をなさなかった。自分より上位の人間に教わり始めて大人しくなったのである。

 

 逆に考えればおれが負けすぎて駄目にしたとも言う。

 

「なんか手触りが石じゃないんだが……」

 

 ふーむ、師匠が居れば一瞬で特定できるのだろうが。

 あの人はなんだかんだ優秀なので定期的に首都に呼ばれたりする。なんでこんな田舎に居るのが許されてるんだ? 

 

 そんなどうでもいい事を考えながら、素振りを継続する。

 手のマメが潰れて皮膚が強靭になり過ぎて、すでに元のモヤシっ子の面影はない。本で指を切る事が暫くは無いだろう。

 あれ地味に痛くて不快だったからそれはそれで助かるな。

 

「そのうち質に入れよう。軍資金になる」

「売らないよ? なんで実利を得ようとするのかな」

「ロマンを信じるのはいいが、いつだっておれたちが向き合うのは現実だ」

 

 石ころじゃ腹は膨れないが、腐ったパンは胃に溜まるのだ。

 

 でも腐ったパンは美味しくないし身体を壊す。

 ならば石ころを搔き集めて売った金で美味しい物を食べる方がいいだろう。ああ、なんて合理的なんだ。ちなみにおれは努力したくないからもっと簡単な手段を取りたい。

 

「傷を付けたら価値が下がる。おまえに持たせておくとどうなるかわからんから、おれが責任を持って預かっておこう」

「そう言って売るつもりでしょ! ロアならそういうことするもん!」

「おれの理解度が高くてなによりだ。三日もすれば忘れて肉を食うおまえを想像できる」

「かえせー!」

 

 なお、本気で暴れられると勝ち目がない模様。

 だがおれには現状勝率がある。だからまだ挑んでいるのだ。

 

「フン、こいつがどうなってもいいのかな?」

「ロアは価値が下がるからやらないでしょ」

「…………」

 

 人質(石)作戦失敗。

 その間僅か二秒、おれはステルラに頭脳戦ですら負けるのか? それだけは避けないと一切のアドバンテージを失ってしまう。

 

「こうなったら死なば諸共」

 

 そう言いながら、おれは虹色に輝く石を手の中で握り締めた。

 特に力を籠めたつもりはなかったが、僅かに罅が入る感触がした。

 

 ピシリ──なんて、明確な音が響く。

 

「あ、割っちまった」

「え」

 

 違うんだ。

 おれは割ろうとしていたがそれは本心ではなくふざけている範疇で、別にステルラを悲しませようと策を講じた訳では無い。これは咄嗟のアドリブであり、いじわるしようとかそういう願いからやったおれの本質的な部分では無いのだ。

 

 どう弁解しようか高速で思考を回すおれの手の中で、何かが蠢く感触がする。

 

『──ガ』

 

 なぜか響く低い声。

 人とは少し違う声の揺れ方をした低音が響き、おれは剣を放り投げて咄嗟にステルラを突き飛ばした。

 

 右手に握った小石から何かが溢れてくる感触がある。

 ああ、嫌な予感がする。具体的にはおれの最も忌み嫌う苦痛と後悔が連続で襲ってくる気がするのだ。

 

 掌から決して離れないように。爪が皮膚を貫通するのも厭わず全力で握り締める。

 

 おれのそんな小さな抵抗を一切気にせず、握った石ころはどんどん広がっていく。

 離してしまおうか、なんて弱気な思考が一瞬頭をよぎったその時だった。

 

 おれの肘から先が、吹き飛んだ。

 

 血肉が顔に飛び散る。

 特有の匂いだ。何度も何度も鼻に入った鉄の匂い。

 

 おれはこの匂いが大嫌いだった。

 これは生き物が傷ついた証明だから、おれの事を否定する痛みそのものだからだ。

 嫌いな努力にはいつだって苦痛が伴うのだから、その半身とすら呼べる血液を好きになれるはずも無い。口を切った時の不快感と言ったらもう、それは最悪なんだ。

 

 やがて空に浮くおれの血液が石ころに集まり、形を成していく。

 明らかに質量を無視したその蠢き方に、おれは一つの記憶を思い返していた。

 

 それは英雄の最期の記憶だった。

 

 それは人の悪意の結晶だった。

 

 無尽蔵に沸き続ける悍ましい異形の怪物たち、血肉を追い求める悍ましい化け物。

 どこからか生まれてしまった生命体の失敗作。

 

『──ク』

 

 やがて、石ころは土くれに、土くれは異形に。

 腕が四本・顔が二つ、尻尾が三本の怪物はその数多の瞳をおれに向けて、静かに立ち上がった。

 

『──オ゛ア゛ア゛ア゛ァ!!』

 

 それは万感の叫びだった。

 おれたちに向けられる敵意と殺意、それを掻き消す程の無邪気な喜び。

 死を目前にして、おれは震えあがることしかできない。これ以上の痛みを得ない為に、おれの身体は抵抗を諦めてしまった。

 

 思えば短い一生であった。

 

 英雄の記憶なんてものを保持していても、おれはおれである。

 他人の記憶を持っている事がどれほど苦痛になるか、想像もつかないだろうが、こんなにも不愉快な感覚は無い。おれは努力が嫌いで苦痛を憎み、血反吐を吐くくらいならば地べたに這いつくばる事を選択する精神を持っている。

 それなのにかの英雄はおれと正反対の人間であった。

 

 努力を欠かさず苦痛に耐え忍びやがて救国を成したまごうことなき英雄。

 おれとは正反対で、おれの全てを否定されたような気持ちになった。

 

 誰にも伝えられる筈のない、おれの人生を象徴する感情だ。

 

 まだ動く腕で剣を拾い直して、かつての一撃をなぞる。

 おれは英雄が嫌いだ(・・・)。個人を捨てて誰かの希望の依り代になるなんて御免被る、そんなおれを否定するかつての英雄たちが嫌いだ。人類すべてが光に向かわなくたっていいだろう。弱い人間は弱いままでもいいだろう。

 

 そうだ。 

 おれは努力も英雄も信じる心も、どれも嫌いだ。

 

 本当は寝ていたい。

 本当は頑張りたくない。

 本当は本当は本当は本当は──おれはいつだって楽をしたい。

 

 それを許してくれないこの記憶と世界が、おれは人一倍嫌いなんだよ。

 

 手に持った(つるぎ)が輝きを増す。

 鈍く光る刀身に紋章が浮き、特異性を表していく。

 でもそんな事だってどうでもよかった。いまのおれの内心を占めるのは、ここまで積み上がって来た不平不満を煮詰めて完成した悪感情のみ。この苛立ちと死の恐怖でおかしくなったおれは、勇猛果敢に剣を手に取ってしまった。

 

「──ロア!」

 

 幼馴染の悲鳴にも似た叫びが耳に入る。

 おれの人生はおまえのために頑張ったと胸を張りたいが、それは責任の押し付けになる。おれの人生はおれだけのものだ。誰かに背負わせたりするものじゃない。

 

 異形が、おれが反応する速度の数倍早く腕を振る。

 当たれば死は免れないだろう一撃がやけに遅く見えた。これが死の走馬灯というヤツなのだろうか、一撃で死ねるのならば苦しくはないかもしれない。それはそれでいい終わりだ、なんてどうでもいい他人事のような感情が生まれた。

 

 才能が欲しかった。

 

 こんな訳のわからない状態で殺されるくらいなら、おれは才能を持って生まれたかった。

 英雄の記憶何て必要ない。おれはおれ、ステルラ・エールライトに対抗できる程の才を持って生まれれば全てを解決する事が出来たのに。

 

 才能が欲しい。

 

 おれはいつだって願っている。

 朝起きれば無敵になっていることを祈り、起床と同時に溜息を吐く。そんな毎日が嫌いでうんざりしていても決して変わらない現実と記憶に、無性に苛立ちを募らせた。

 

 才能。

 

 天才は天才と呼ばれる事を嫌うが、そんなプライドどうでもいいと思う。

 なぜならおれは頑張ったのに天才と呼ばれることは無いからだ。どれだけ頑張っても天才と凡人には決定的な差が存在してしまう、そんな残酷な現実。

 生き延びたいと思う感情より、日々を楽に過ごせないくらいなら死にたいと思うのは罪だろうか。

 

 もう少しで異形の腕がおれの頭部を吹き飛ばし、ロア・メグナカルトは死を迎える。

 

 ステルラ・エールライトは生き延びられるだろうか。

 散々独白を連ねて抱いた疑問はそこだった。なぜここで死ぬとか、こんなにも世界は理不尽だとか、そんな憎悪よりも深い場所から生まれて来た願い。

 

 ステルラ・エールライトは生き延びる事が出来るか。

 

 死んで欲しくない。

 

 そうだ。 

 おれはお前だけは死んで欲しくない。

 だから、どれほど苦しくても、どれほど妬ましくても、どれだけ現実を嘆いても、大嫌いな努力を続けた。

 

 昔のおれでは反応する事すら出来ずに死んでいるだろう。

 

 進歩はあった。

 微々たる進歩だが、おれの寿命を数瞬延ばす程度の成果は出ていたのだ。

 

 ……なんの意味もない程度の、僅かな努力の結晶が。

 

 無意識に腕に力が籠る。

 その一振りはヤツの生命を止める為ではなく、おれの命を繋ぎ留める為に動いた。

 身体に染み付いた、あの鎧の騎士の攻撃から身を守る為に養った反応だった。敵の攻撃に合わせておれも攻撃をして、力を受け流すようにいなす。

 

 正直、奇跡に近い反応だ。

 

 おれの頭部を吹き飛ばすはずだった一撃は、おれが間に挟んだ劔が半ばから折れる事でその力を大幅に減少させた。

 風を切って身体が空に浮いた感覚と空と大地が交互に見えるおれの視界から察するに、全身まるごと吹き飛ぶように調整に成功したのだ。だが、だからどうしたという話。

 

 どこまでも吹き飛んでいきそうに思える急激な加速のなかで、痛みが全身を覆いつくす。

 声の一つすら出せない痛みにただ歯を食い縛る事しか選べなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──意味はある」

 

 いつしかおれの視界は急転を止め、ぼやけた意識の中で柔らかな感触が背中を押した。

 

「君が積み重ねた現実の努力は、決して無駄にはならなかった」

 

 その声には聞き覚えがあった。

 ロア・メグナカルトにとっては師匠、かつての英雄にとっては──

 

「こうして私が駆け付ける数瞬を稼いでくれた。それがどれ程の事か、理解できない君ではないだろう?」

 

 いつも身に付けるローブを華麗に脱ぎ、おれの全身を包む。

 じんわりと身体全体に滲むような温かさと共に、これは回復魔法と似た感触だと理解する。

 端正に整った顔を柔らかく微笑みに変えて、一度おれの頭を撫でて異形の怪物へと向き合いながら師匠は告げる。

 

「……またもや、私から奪おうとしたな」

 

 おれからは師匠の顔は見えない。

 だが、どんな感情を抱いているかは、声から理解できた。

 

 魔力探知に疎いおれですら知覚できる程の、圧倒的な魔力。

 師匠が普段から抑え込んでいる力の奔流が流れ出し、異形による絶望の支配をいとも容易く打ち払ってしまった。

 

 美しい魔力。

 おれの本心から抱いた感想だ。

 

 空間が歪むような揺らぎと共に、徐々に魔力が形を成していく。

 

「愛弟子を可愛がってくれた分は礼をする。なに、遠慮はするな──礼儀は尽くさねばいけないからね」

 

 稲妻迸る雷龍が、師匠の傍で咆哮を挙げた。

 

 

 

 

 


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