用意された飲料水を口に含んで、熱を冷ますようにゆっくりと飲み込む。
よく冷やされた液体が喉を通過し食道を通り胃の中に落ちる。
自分の肉体はよく把握できている。ベスト、とは言い難いが、調子が悪いと言い訳できるほどではなかった。
「不安か?」
共に控え室で待機しているテオドールが揶揄うように言ってくる。
婚約者が負けたというのにいつも通りの調子を崩さない彼は、優雅に足を組み紅茶を楽しんでいる。
「相手が相手だからね。これまでの戦いとは条件が違う」
「
「……そうだね。そして、僕だけが何も継いでいない」
敬愛する魔祖より受け継いだものは魔法くらいで、血も繋がっていない。
「ロア・メグナカルト……」
その答えを君は知っているのか。
人を惹きつけてやまない君ならば、僕の求める答えを持っているのか。
きっとこうやって頼ろうとするから駄目なんだろう。母曰く、かつての英雄はとてつもなく頑固だったそうだ。それはもう面倒臭いくらいに頑固だったと、楽しげに話していた。
僕は頑固だが、それは聞き分けのない愚かさ。
自覚している。彼のような、「一つのことを成し遂げようとする」意思を頑固だったと言っているのだろう。
「……やれやれ。過ぎた憧れは身を滅ぼすぞ?」
「もう、とっくの昔に焦がれてる。手遅れさ」
呆れるようなテオドールの声に、少し意地になって返した。
冷静であれ。いつだって感情豊かに、それでいて自然に、そして柔らかく。僕が目指したのはそこの筈であり、今の状態はとてもではないが褒められたものじゃない。
「…………すまない」
「気にするな」
僕は弱い。
戦いの実力は確かに相応のものだ。
誰にだって胸を張れるくらい実績も積み重ねて、名実ともに世代の最強を名乗っている。七世代に渡る中で最強を名乗れるのは僕だけで、決して隙間世代とは呼ばせないくらいの自負はある。
それとは違う精神の根底の話だ。
「それになテリオス。どんな人間だろうと、弱みを吐き出すタイミングは存在するものだ」
「まあ……それに関しては確かに。彼は弱みを吐き出しまくってるし」
「アイツはアレが本性なだけだ。包み隠さずに全てを曝け出してなおかつ人を惹きつける、そういう人種であるというだけ」
「正に英雄、か」
ハリボテとは違う、本物。
これが彼ならば、役目を譲るのだろうか。自分が座りたい、座らなければならない席に誰かが座ったとしたら────彼は諦めることはあるのか。
「是非とも、確かめさせて貰わないとな」
「その意気だ。まずはその前に強敵が待っているがな」
そのためにも今日勝たなきゃ行けない。
強敵だ。
戯れで十二使徒の人たちに相手してもらったことはあったけれど、本気になったあの人たちにはやはり一歩届かなかった。純粋な戦闘経験と、何よりも命の奪い合いというプレッシャー。
あの人達は、人を殺すのに躊躇いがない。
故に死の淵まで平気で追い込んでくる。
仕方のないことだと思う。
かつての戦争のことを知っていればそう思える。
僕は人間同士の凄惨な殺し合いを見たわけではないけれど、人の尊厳を踏みにじることがどれほど屈辱的なことかは理解している。それを招かないために、あの人達は厳しく現実を押し付けてくるのだ。
「同格相手の戦いなんて随分と久しぶりだからね」
「俺は格下か?」
「油断はできない相手だよ」
至ってなくても強い奴は強い。
その代表格がテオドールという男だった。
しかし今日の相手は至っていてなお強い相手である。
これまでとは違う心持ちが必要だった。
「行ってくる」
「頑張れよ」
#第五話
ルナさんが会場へ向かったので、俺達も観客席に移動することにした。
アルベルトだけはその場に放置である。申し訳ないがな、お前は次の試合に出る人間だから。気にしてないと言った仕草だったが、本当に気にしてないだろう。そういう奴だし。
「あれ、師匠どっか行くんすか」
「うん。ちょっとこの試合はね」
ふーん。
最前列の席にスタスタ歩いて行ってしまったが、空きが多くあるようには見えない。仕方ないから後ろ側に陣取るしかないな。
「あ、ロアくんだ」
「どうもアイリスさん。ご一緒しても?」
「どうぞどうぞ」
周りが都合よく空いているのでその席に座る。
元々避けられ気味なんだろうな。別に斬ったりなんだりを速攻するような人ではないが、確かに狂気はあるので事情を知らない人間からしてみれば恐怖でしかない。
「ねね!」
「なんですか」
ぐいっと顔を寄せて耳元に囁いてくる。
「痛いのも斬るのも嫌いなのに、なんで私には付き合うって言ったの?」
「困ってる人が居たら手を差し伸べるのは普通じゃないですか」
「……それだけ?」
なんか不服そうだな…………
「誰でもいい訳じゃない。俺が、離れて欲しくないと思った人にだけだ」
これはある程度本音である。
俺は自身の性根とそれを見る世間一般からの意見を客観的に理解しているからな。ヒモ男というレッテルはどうにも拭えないし、一度沼に嵌まったとしてもある日突然目を覚ましてしまう事も無いとは言い切れない。
ゆえに、甘えるだけではなく『いなきゃ駄目だ』と思わせる事が大事なんだ。
「……ふ~ん。優しいね、ロアくんは」
「そいつ絶対ロクな事考えてないわよ」
「なんだルーチェ。お前は俺の事を信じてくれないのか」
勿論演技だが、余計な事を言ってきたルーチェには少しだけ悲し気な声色を乗せて話す。
目に見える位動揺してるな。普段の俺ならばもっと淡白に白々しく告げている事だし、その程度の声の差すら聞き分けられる程度には俺の事をよく見ているし聞いている。
「冗談だ。信じてるからな」
「…………最っ低、ホントに」
「やっぱり女の敵かも」
「何故だ。俺ほど女性を思い遣る紳士はいないぞ」
ナチュラルに前の席に座ったステルラは会話に混ざろうとしない。お前さ、もう少し積極的になれよ。
「おい」
「うひゃあっ!?」
無防備な首筋を両手で軽く触る。
一瞬紫電奔ったんだけど、これってそういう事か? う~ん、でもなんか
ルナさんとか師匠とか、そういう枠から外れた人よりは、こう……
なんとなくだよ、なんとなく。
「む~~~~~っ……」
「悪かった。そう睨むな」
肩あたりに手を避けて、まあ、軽く揉むような仕草を見せる。
マッサージくらいはしてやるよ、という意味でやったのだがどうやらステルラはそうは受け取らなかったらしい。
「すけべ」
「変態」
「男の名誉さ」
ルーチェは極寒の視線、ステルラは「~」みたいな口で不満を表してくる、
「あ~あ、師匠はなんだかんだ言って(マッサージとして)触らせてくれるのにな」
「え゛ッ」
ステルラは俺のマッサージを必要としないらしい。
少しだけかつての英雄の好んだやり方を織り交ぜているが、殆ど俺の独学である。あんまり露骨すぎると流石に怪しまれそうだし。
「話はここで終わりだ。わかったか、アイリスさん」
「一応流れは渡すんだね」
「恩と義を忘れたことはない」
椅子に少しだけ深く腰掛けて、観客席の様子を伺う。
師匠がわざわざ前の席に行った理由を考えたのだが────防御要員か?
ぱっと思いつくのはその程度だった。常識的に考えて
寧ろスペシャリストと言っても良いだろう。
ヴォルフガングの一撃で容易に砕けていた魔力障壁が信用できるかと言われれば否と言わざるを得ない。
「凄まじい戦いになりそうだな」
魔祖に育てられた人間として功績を残し続けたテリオスさんと、エミーリアさんに育てられ既に継いでいるルナさん。
このカード以上の戦いは見られない。
「ステルラ、お前はどう見る?」
「うーん…………わかんないかも」
にへらっと困ったように笑いながら、ステルラは答えをぼかした。
…………微妙に引き攣った顔をしてるな。
「まあいい。俺はルナさんに勝ってほしいとは思うが、勝ってほしくないとも思う」
「応援してるんじゃなかったの?」
「応援はしている。だがその後戦うことになると言われれば話は別だ」
ルナさんと戦ったら消し炭になるだろ、常識的に考えて。
それだったらまだ光の剣とぶつかり合うテリオスさんの方がマシ。火は燃え続ければやがて窒息に導かれたり火傷で皮膚が爛れたり腕が炭化したり、地獄の責め苦が待ち受けている。
「ルナさんとは戦いたくないな」
「……まあ、私も遠慮したいわね」
ルーチェは相性最悪だろうな。
氷は溶かされるし水は蒸発するし物理は炎でゴリ押しされたらたまったもんじゃない。
そんな風に予想と所感を語っていると、ルナさんが入場してくる。
緊張は見られない、いつも通りのポーカーフェイス。ただ一つ違う点があるとすれば、俺ですら感知できる程度に魔力が高まっているという事。やる気満々じゃねぇか。
それを見て特に気負った様子もなくテリオスさんが入場する。
『驚いたよ。まだ始まってないのにそんなに浴びせられるとね』
なんて言う割には冷や汗一つ掻いてない。
『それだけ、僕との戦いを楽しみにしていてくれたのかな?』
『はい。私個人、というよりかは────責任と言った方が正しいですが』
『…………ああ、そういう事か』
一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに納得する。
責任、責任ね。魔祖十二使徒第三席の弟子としての責任を指すのなら俺も理解できる。前述したとおりエミーリアさんの後継者として名実ともに認められてはいるが、その実力で言えば未だに懐疑的な面もある。
ようは実績不足。
これから積み上げていく段階ではあるのだが、ルナさん自身が抱える問題があってそれを実行できていなかった。ゆえにそのことに対して自分なりに思う事があった────そういう話。
エミーリアさんは気にしてないと思うがな。
『僕の考えが正しいのなら光栄な事だ。
『…………輝かしくもなく、煌びやかでもなく、ただひたすらに
謳うようにルナさんが話す。
表情に現れない感情が籠った声が、静まり返った会場に響き渡る。
落ち着いた冷静な声とは裏腹にうねりを上げる魔力が、その感情の大きさを如実に表していた。
『そうやって始まった
『受け継いだ人間の覚悟、か』
…………ああ。
ルナさんが一番最初に俺に言った言葉の真意がようやく掴めた。
『英雄』と呼ばれる人間に興味が湧いたのは、自らと同じ立場の人間に出会えたから。その上で昔から話に聞いていた遺恨を残し続けた『英雄』の後継者だから、か。
『失礼な話だけど、羨ましいよ。見ての通り僕は受け継ぐことが出来なかったからね』
右手に光の剣を握って、テリオスさんは吐露する。
『それでもいいのかな、とは思うさ。僕の欲しい席に誰かが座っているのなら、空席ではないのなら。望んだ結果が訪れるのなら…………それでもいいかな、なんて』
『……貴方も大概ですね』
『そう言われると何も言い返せない。そんな僕だからいけないんだろうね』
ザリ、と靴が地面に擦れる音を立ててテリオスさんが体勢を整える。
『────でも。諦められないよな……』
非常に見覚えのある構え。
俺と同じ、そして、かつての英雄と同じ────霞構えで待ち構える。
『如何に愚かでも、実に醜悪でも、成し遂げたい夢がある。それを願うことは、
耳が痛い話だ。
俺はそんな大した奴じゃない。一から何かを築き上げ、自己を確立した人間と比べるな。
誰にも言えない秘密があるからここまでやってこれただけなんだ。かつての英雄の記憶があるから今この場にいられるだけ。
テリオスさんが座りたい席に俺が座っているのは、ただそれだけの理由。
「……過大評価もいいトコだ」
「…………ロア?」
「気にするな、独り言だ」
ステルラに聞かれてしまった。
まあいいか、俺が自嘲するのなんていつものことだし気にも留めないだろう。少しだけ不安そうな表情になってから、やがて視線を俺から外す。
『…………なんだ。似た者同士ですね、私達』
『……そうかな』
『ええ。どうしようもないくらい』
そう言いながら、ルナさんの身体から炎が漏れ出す。
徐々に徐々に、少しずつ背後へと収束していくのに比例して圧力が増していく。
『親不孝者同士、偉大なる目標のために────ぶつかり合いましょう』
『…………はは。確かにその通りだ』
ルナさんの言葉に懐疑的だったテリオスさんも、苦笑と共に納得を示す。
『僕はテリオス。偉大なる魔祖を親に持つ愚か者だ』
『私はルーナ。偉大なる
瞬間、爆炎が巻き上がる。
相対するテリオスさんの剣も輝きを増し、そこに籠められた魔力の高さは異常なほど。会場を包み込もうとしていた爆炎が圧縮に圧縮を重ねられ、ルナさんの手の中に収まる。
鮮烈な輝きを発しながら佇むその球体を、惜しげも無く解き放つ。
『────
『────
閃光と爆発が響き渡り、壮絶な戦いが幕をあげた。