膨大な魔力を持つ、互いに
本来ならば、この坩堝という会場そのものが吹き飛んでもおかしくない余波が発生するハズだった。
「…………あやつら、なんにも考えておらんな」
「ははっ、いいじゃないか。尻拭いはアタシらがすればいい」
魔祖とエミーリア、二人並んで観客席の最前列に佇んでいる。
目の前には軋む魔力障壁、されど罅割れ一つ入らない強固な壁と化したソレが揺らぐ。
すべては平和に競い合う事の出来る環境を作り上げる為に。
いまだ爆煙に包み込まれた会場の中で高まり続ける魔力が二つ。両者ともに全く譲る気のない戦闘の行方を憂う様に魔祖がため息を吐いた。
「愚か者め。
「若者の特権……とは、言い難いな。ルナもそんな気負う必要ないってのに」
背負った者と背負えなかった者、そして背負わせてしまった者と背負わせなかった者。
立場の違いがありながらそれぞれが共通して抱えている感情がある。
「この立場になってわかるよ。育てるって、大変だよなぁ……」
「……否定はせんが、それはそれじゃ。青臭いガキ共に教えなければいけない事もある」
「じゃあ先ずはテリオスくんとしっかり話し合ってもらって」
「うぐっ……」
愉快そうに笑うエミーリアと対称的に、やましい事があるのか顔を逸らす。
何かを話そうとして悩む仕草を見せた後、結局口を閉じた。
「見届けて、そこからだ。口にしないと伝わらないからな」
「…………フン」
腕を組み僅かに口を尖らせ、不服そうな表情を見せる魔祖。
それでも瞳は一切動かさない所から、彼女がどれだけ真剣に試合を見ているかが伺える。魔祖のそんな姿を横目で見ながらエミーリアは薄く笑いながら呟いた。
「…………運命なんて陳腐な言葉、信じるって言ったら驚かれるな」
脳裏に浮かぶのはかつての英雄。
魔法も剣も体術も才能が無いから死ぬほど頑張ったと言っていた、運命や因縁と言った言葉から最も遠い不屈の男。いつだって気丈に振る舞って、弱みなんて全く出そうとしなかったが、二人で旅した頃の思い出は何時までも焼き付いている。
それでいて闘志は剥き出しの愛しい英雄。
懐かしむ様に想起し、時が過ぎてなお雁字搦めになっている自分の現状を再認識した。
『…………輝かしくもなく、煌びやかでもなく、ただひたすらに
そう呟いた、娘とも呼べる自身の後継者。
人を育てるのは、とても難しい。
出来るだけ影響の出ないように、出来るだけ自立できるように、一人の人間として生きられるように育てようと思っていた。魔祖十二使徒という枠組みなんて気にしないでほしかった。
あの戦争であんなにも人を殺したのに、今更育て上げることの難しさを痛感する。
振り切れない自分の甘さ。
そしてそれを受け取ってしまう子供の優しさ。
どうするのが正解なのか、なにが正解だったのか。
「…………ごめんな」
その呟きは、煙を振り払うように放たれた爆炎によって掻き消された。
上空へと身を燃やしながら駆け上がるルーナを追うために、テリオスは背中から光の粒子で形作った翼を展開。
炎の残滓が残る速度で飛翔する相手に対し衝撃を撒き散らしながら空へと飛び立つ。
「……速いですね」
その気配を察知したルーナは、呟きながら周囲に展開した火球を直下へと射出。
大きさだけならば巨大というほどではなく、手のひらで覆える程度のサイズだが──その中に込められた魔力量は尋常ではない。
ルーナ・ルッサは自らを客観的に評価している。
火力だけならば師と同等かそれ以上で、純粋な戦闘能力に関しては足元にも及ばないと判断した。それは戦闘経験の少なさからくる自信の無さでもあるし、わずかに心の内にある劣等感の現れでもある。
故に、相手の実力と地力の差を比べ作戦を選択した。
一方、避けた火球が地上で爆発を巻き起こしたのを視認したテリオスは思考を重ねる。
テリオス・マグナスは冷静に分析を行った。
ルーナ・ルッサの強みはその火力と圧倒的な範囲にある。十二使徒門下であるフレデリックが全力で防御態勢をとっても凌ぐことが出来ない暴力的な出力と広大な範囲、自らの射程の外から放たれた際の脅威は無視できるものではない。
故に、相手の実力と地力を比べ作戦を選択した。
放たれた火球を
距離が開いていたのにも関わらず、道を阻むものは一つもないと言わんばかりの速度で迫る。
妨害としていくつか置いていた炎のトラップをすべて破壊し、避け、剣を振りかぶった。
「────やるね」
「ありがとうございます」
剣は生み出した炎の壁が受け止めた。
魔力量は互角、魔法の質も互角。
紅と光が空で激突する。
一瞬の拮抗、すぐさま離れ孤を描きながら再度ぶつかりあう。
漏れ出す炎と溢れる光、現実離れした光景が描かれる坩堝の上空。既に戦いの領域は『学生同士』という枠組みを超え、『頂点に近しい者たち』の戦いへと変貌していた。
剣を炎で受け止めるルーナに対し、テリオスは呟いた。
「……近接戦闘も出来るとは考えてなかったよ」
「あまり得意ではないので、離れてくれると嬉しいですね」
「それはできない相談────だッ!」
剣から光が溢れ出し、ルーナの手を弾く。
懐を曝け出したままではあるが依然として変わらない無表情、落ち着いた様子で後ろへ下がりながら呟いた。
「────
振り払うように腕を横薙ぎ、その軌道をなぞるように現出した炎が空を焼き払う。
光を包み込む、いや、飲み込むように燃え上がりその勢いは衰えることはなく、魔力障壁がなければ広い範囲を焼き尽くしていただろう。
衰えず、いつまでも対象を燃やし滅ぼさんと蠢く炎だが────僅かに、光が漏れ出る。
一度、二度、三度四度五度。
切り刻むように振るわれた光の剣が炎を打ち砕く。
力を失ったように小さな燃え滓となって落ちていく炎を見送って、テリオスは服を手ではらった。
「……袖口すら燃えませんか」
「かなり焦ったよ。容赦ないね」
「以前の貴方であれば少しは通じた手でしょうが…………やはり、効果は薄いですね」
トーナメント以前のテリオスならば、多彩な種別の魔法を誰よりも高水準で扱うからこそ特有の隙があった。
自分の魔法への自信と言うのだろうか。決して慢心してるわけでもないし驕っているわけでもないが、『その魔法における特別な才を持つ人間』を甘く見ていた節がある。
炎ならばルーナ。
雷ならばステルラ。
風ならばヴォルフガング。
一番弟子、なおかつ二つ名を継ぐような才を持つ人間との戦闘経験の少なさ故の隙。
それが今、完全に消え失せている。
「…………そうだね。前に比べれば、今の僕は更に強くなったと胸を張れる」
「私も、以前に比べれば随分と強くなりました。肉体・魔法的な強さではなく精神的な話ですが」
「彼に出会ったからかな?」
揶揄うように、それでいて僻むような感情が少しだけ混ざった言葉。
言ってから僅かに自らを叱責するような表情を見せてから、テリオスは呟いた。
「…………すまない。忘れてくれ」
「事実ですから構いません。ロアくんに出会ったからこそ、私は今ここにいます」
謝罪に対して断固とした意思を見せながら、ルーナは続ける。
「自分がやられて嫌なことをするな──そんな簡単な事でさえ出来ていなかった私が恥ずかしくて仕方ありません」
「それを言われたら僕は何も言えなくなってしまう。器の大きさを見せられて嫉妬するなんて、子供のすることさ」
苦笑いを浮かべながら、剣を握り直す。
ロアの使う光芒一閃とはまた違う、光の剣。譲り受け、自分なりに使いやすい形に改造した姿。
それもまた自身の思い描く理想図とは違う未来を肯定されているようで、テリオスの心を少しだけ蝕んでいた。
「…………好きなように世界を否定できたなら、どれだけ気楽だったかな」
「少なくとも楽しくはないでしょう。貴方も、私も────誰にとっても」
呼応するように、炎が揺らぎを増していく。
火の粉が飛び、僅かに身を焦がすような熱がじわりじわりと放たれていく。その熱さに堪えた様子もなく、吐き捨てるように呟いた。
「なるようにしかならない現実を、望む世界にしたいから足掻いているんです……!」
かつて失った家族。
目の前で命が失われていくあの虚無感。
胸の内を埋め尽くした悍しい恐怖と、それを理解できていなかった愚かな自分。
そんな自分を育ててくれた、救ってくれた母親代わりの女性。
動かない表情とは裏腹に、激情が燃え盛る感情を魔法に込めてルーナは叫ぶ。
「────
瞬間、溢れ出す爆炎。
ルーナを中心に、僅かに白が混じった炎が爆発する。
全方向への無差別的な攻撃────これこそが、圧倒的な火力を活かす最大の手段だと言わんばかりの大胆さ。
僅かに目を顰めて攻撃を視認したテリオスは、焦ることなく下降する。
ここで接近することはできない。中心、すなわちルーナに近づけば近づくほど温度が上昇していると、その豊富な戦闘経験で判断した。
炎を軽々と振り切って地面へと着地するが、見上げれば上空から押し寄せる波は止まる気配を見せない。
何もかもを飲み込むという意思が溢れ出ていた。
「……圧倒的なまでに、見せつけているよ」
学園唯一の
英雄として相応しい人間になるべく育ての親が話してくれた内容は覚えているし、公式に遺されていた記録もほぼ全てに目を通した。
外見や話し方だけではなく、強さも伴うようにと努力もした。
それでも呼ばれない自分と、今こうして、紅い月と表現するのが相応しい姿を見せるルーナ。
卑下と嫉妬を繰り返す弱さを飲み込んで、テリオスは静かに剣を構える。
押し寄せる炎の津波が更に勢いを増していく。渦のように荒れ狂う災害そのものと呼んでも差し支えないソレを見て、一度深呼吸を挟んだ。
僕にあるもの。
テリオスは心の中で一つ唱える。
戦いとはこれまで積み重ねてきた経験を組み合わせ、練り上げ、放出する場である。
努力するのは大前提。天才だったとしても、見たことのない攻撃を想像することはできない。故に、彼の積み重ねてきた人生の中で────最も難しく、最も強い魔法の組み合わせを土壇場で整理する。
「────
月光の剣に、すべてを破壊する終焉が交わる。
一瞬の合間にいくつもの複雑な工程を積み重ね、これまでに築き上げてきた経験すべてを総動員し荒技を成していく。数世代に渡り一位の座を死守したテリオスと言えど、複合魔法と複合魔法の合成などと言う暴挙に出たのは今回が初めてのことであった。
普通であれば、常人であれば決して成功しない狂気の選択肢。
それでもテリオスは選んだ。
かつての英雄に追い付くためには無茶を通さなければならないと判断して。
「どちらの、
無意識のうちに溢れた血液が脳の異常を表す。
されど気に留めることもなく、むしろ歓喜を浮かべたままテリオスは剣を構え直した。
剣に渦まく魔力に色がつく。
白の閃光に交わる漆黒。対極に位置する筈の二色が陰陽を描き写す。
白日に混ざり合う影が世界の終焉を表すように、日を阻むのは影であると表すように。
口の端から血液が零れ落ちていることにすら気が付かないほどの集中力を保ったまま、その銘を叫ぶ。
「
極限まで絞り切った破壊の極光が解き放たれる。
衝撃で空間が歪み、その輝きは鈍く明るく輝いていた。暗黒の閃光とも呼べる矛盾を孕んだ一撃が炎と衝突し────僅かな拮抗の後、容易に打ち砕き進撃を続ける。
上空を埋め尽くす炎の波が晴れ、空には漆黒の月明かりが満ち渡る。
日の光すら吸い込んでしまうと錯覚するほどの燻んだ光が猛進を続け、第三者から見れば勝敗は明らかな程だった。
全方向へと放出していた炎を操作し、全て身体に収束させる。
一瞬見えた光線と自らの位置を即座に計算し時間を導き出し、両腕を空へと掲げた。
「足りないのなら────もう一つ……!」
激情は変わらず、灼熱の感情を咆哮する。
両腕に
「星火燎原……!」
右頬まで罅割れが広がり炎が噴出する最中、爆炎がルーナの腕を突き破り生み出される。天空まで届いた圧倒的な出力が形を歪め、やがて一つの巨大な火球へと変貌を遂げた。
もはや火球と表現することすら烏滸がましいと思えるほど。
白と紅が混ざりあった鮮やかな恒星を掲げ、ルーナはその名を轟かせる。
「────
魔力障壁を砕きながら落下を開始。
あと一歩で届くと思われた灰混じりの光線は、僅かに拮抗するもその墜落を止めることはない。
テリオスの手に伝わった感触が、抑え切れないと確信を抱かせた。
「────だからこそ!」
この一撃がルーナ・ルッサによる最高の魔法だと直感で理解し、自らを奮い立たせる。
魔力障壁すら破壊する異次元の魔法。
初めのぶつかり合いですら罅一つ入らなかった、現役十二使徒の手によって強化された障壁。それを易々と砕き割る火力。
この壁を乗り越えれば、一つ
「彼が成し遂げたのだから────僕だって、出来る筈だ!」
背中の翼が鈍く色付く。
剣に宿った滅びの月光と同じ色、同じ魔法。
自身の処理許容を明らかに越えた魔法展開に身体が悲鳴を上げる。罅割れを刻み、
半不死身だからこそ使える自爆に等しい。
行っていることがどれだけ愚かか理解しながら、テリオスは想いを馳せる。
無茶を通して勝ち抜いた青年がいる。
魔法がほぼ使えないという欠点を微塵も感じさせない戦いをする青年がいる。
かつての英雄を知る人物に英雄と呼ばれ、授かった祝福を手に戦いを繰り広げる青年がいる。
嫉妬心とはまた一つ違う感情。
どれだけ英雄になることを目指してもなる事は出来ない自分の暗闇に突然現れた、希望の光でもあった。彼が現れたからこそ、諦めかけた自身の心を奮い立たせることができた。
明確な目標が現れたから、テリオス・マグナスは再度前を向けたのだ。
「
ポツリと、荒れ狂う翼とは裏腹に静かな呟き。
「もう二度と、あんな寂しそうな顔は見たくないから」
自身の原点とも言える感情。
他の誰でもいい。
そう言えるのがかつての英雄だと、彼は理解している。
そう言えないからこそ自分が呼ばれないのだと、彼は解釈している。
仕方ないと思ってしまうから、彼は『英雄』と呼ばれないのだと思っている。
「
剣が光り輝き、翼は鈍い輝きを放つ。
自身の奥底にある感情を曝け出し、彼は隠すことをやめた。
ここで勝利し次の戦いを迎えるために、互いの本当の感情をぶつけ合うことを覚悟したのだ。
「僕が成らなきゃ意味がないんだ! そうじゃなきゃ、僕が満たされないから!!」
どこまでも自分のため。
誰かのためにという感情こそあれど、テリオスの本質は────自分が
誰かに押し付けるつもりは毛頭なく、その醜さを飲み込んだ上で。
先程と比べて遜色ないほどに魔力が集められた剣を握りしめ、僅かに歪んだ色をした翼で羽ばたいた。
音を置き去りにした速度────人体では耐えられない極限の世界で、彼は焔月へと目を凝らす。
火力だけならば相手が上だ。
自分にこの障壁を破るほどの力はない。
正面から立ち向かうのは下策、避けろ。これが地上に着弾すれば被害は計り知れないものになるのだから、きっと十二使徒から何らかの干渉がある。
そこを狙うべきだ。
脳裏で囁く『勝利への嗅覚』を全て無視し、握り直した剣を構える。
「
白く、それでいて鈍く。
矛盾する二つの閃光が溢れ出す。
墜ちる月と一筋の光────皮肉なことに、彼が愚かだと思う選択肢こそが。
「────