【本編完結】英雄転生後世成り上がり   作:恒例行事

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第六話

 ────叫びが轟く。

 

 勝利の宣誓。

 ただ一人の為にどこまでも愚直に努力を繰り返し、自身の信条を曲げプライドを投げ捨ててでも食らいついた男の咆哮。

 

 魔力障壁を揺るがす程の歓声と共に、決着の合図が鳴り響く。

 勝者はロア・メグナカルト。英雄の記憶を持ちながら英雄の才を持たずに生まれてきてしまった青年が、時代の覇者として君臨していた圧倒的強者に勝利した。

 

 嫉妬や羨望する者はいても、この瞬間だけは────誰もが賞賛を惜しまない。

 

 その中でも、特にロアやテリオスと親しき仲を持つ人物達が抱く感情は筆舌にしがたい。

 

 母親であり魔祖十二使徒でもあるロカと共に観戦していたヴォルフガングは、目を輝かせて喜んだ。

 

『とか言っておいて負ける気はないんだろう?』

『当たり前だろ。そもそも俺は勝てる勝負しかやらないからな』

『ハッハッハ! そういう所が実にメグナカルトらしい』

 

 かつて、ロアはそう語った。

 超越者に敗北した自分を食事に誘いに来た時、不貞腐れた様に言葉を吐きだすので聞いたのだ。

 

 あの人(テリオス)は強い。

 俺が手も足も出なかった強者を相手に、魔法が殆ど使用できないというハンデを背負いながら最後の最後まで諦めずに勝利を掴んだ。英雄と呼ばれる事を否定しながら英雄として相応しい在り方を見せつけて、男の意地すら貫き通す。口から発する言葉とは裏腹に情熱的で苛烈な男の勝利を祝いつつ、必ず再戦してもらおうと誓った。

 

 アルベルトは彼の本当の感情に気が付き、心の底から笑った。

 

他人の模倣で(・・・・・・)、俺が負けるわけないだろうがッッ!!』

 

 英雄と呼ばれる事を否定していた癖に、本当は誰よりも英雄と呼ばれたがっている。

 模倣で負けるわけが無い(・・・・・・・・・・・)────その言葉の真意を、彼は正確に理解した。英雄について詳しいのは前から理解していたが、ロアが英雄という存在にどんな感情を抱いているのかを想像し、あまりにも遠回りな告白に笑いながら、茶化すように手を叩き勝利への祝福を送った。

 

 エミーリアはその姿に、かつての英雄を見てしまった。

 

『星縋、閃光────!』

 

 紫電を纏い刹那の剣技を放つ、閃光の瞬き。

 彼が純粋な願いを込めて描いた軌跡を同一視しないようにと考えていた筈なのに、彼女の目にはかつての想い人が剣を振る姿が。その事実が自分達大人のエゴを下の世代に押し付けているようで。甘さや後悔、ありとあらゆる感情が混ざり合って複雑な気持ちを抱きつつも、大人として惜しみない賞賛を送った。

 

 アイリス・アクラシアは、目まぐるしく露わになる努力の証に身震いした。

 

『良いじゃないですか。俺には絢爛(・・)に見えますよ』

 

 あの時の称賛は間違いなく本音だった。

 私の剣を受け止めて、この世界でただ一人剣を極めている君。

 

 真っ直ぐな一刀流、防御型の自由な二刀流、そして貫き押し通すための剛剣。ありとあらゆる剣技を納めているのではないかと錯覚するほどに多彩で経験を積んだその引き出しの多さ、そしてそれを適切なタイミングで惜しみなく曝け出す胆力。一体どれだけ戦い続ければこんな風になれる(壊れる)のか。

 

「………………あはっ」

 

 その修練の凄惨さと異常さを正確に認識し、剣戟(逢引き)をして貰おうと笑みを深めた。

 

 ルーナ・ルッサは、彼の嘆きを受け止めた。

 

『歳を重ねれば割り切れるようになりますよ。きっとね』

 

 一人寿命で逝くことを寂しいと言っていた彼は、決して乗り越えている訳では無かった。人間を越えられない、寿命を延ばせない、私達座する者(ヴァーテクス)を置いて逝く事実を受け止めて諦めただけだった。怖いに決まっている。恐ろしいに決まっている。嫌に、決まっている。なのにそれを悟らせないように本音を隠していた。置いていかれる私達に、悲しみを遺さないように、少しでも気遣って。

 

「…………本当に……」

 

 ロアくんは、優しいですね。

 唇を噛み締めて、自身の積み重なった後悔を胸中に抱いたまま、ルーナは拍手を送った。

 

 ルーチェ・エンハンブレは、自身と似た境遇でありながら背負った全てを成し遂げるロアに嫉妬した。

 

『お前はいいヤツだからな』

 

 どこか掴みづらい印象を漂わせつつ、その実とんでもない正直者。

 弱音を吐く事を悪いと考えておらず、周囲の人間に感情をストレートに伝える愚かな男。誰にでも好きだと言い放ち、自分が好きだと言われても動揺すらしない性格の悪い男。そして、本当は心に決めた女がいるのに手あたり次第気に入った人間を懐に取り込もうとする人たらし。トラウマになった要因とすら言える女が育つ理由になった因縁のある男。

 

「……………………ふん」

 

 告白じみた決意表明を聞かされる身にもなれ。

 好きな男が堂々と本命宣言をする残酷さを、少しは想像しなさい。不貞腐れつつも、あいつならば絶対に捨てないだろうという確信を抱いているからこそ、口を軽く歪めて微笑みながら言う。

 

「…………次は、負けないわよ」

 

 今は私を見てなくてもいい。

 幼馴染に夢中でも構わない。絶対に、何度だって振り向かせてやる────決意を胸に、一先ずは激闘を制したことに対し祝福を投げた。

 

 ステルラ・エールライトは、大好きな男の子が答えてくれたことに歓喜していた。

 

『やがて星光に並び立つその刹那に、駆け上がってやるのさ!』

 

 私は何処までも駆け抜ける星光だと謳った。

 彼は星光を追い続け並び立つまで駆け上がると謳った。以前とは違い、ステルラ・エールライトが座する者(ヴァーテクス)に至って隔絶した差が生まれてしまったのにも関わらず、それでも勝てると吠えたのだ。その意味を、重たさを、大事さを、寸分違わぬ正確な意味で受け取ったステルラは頬を赤らめ僅かに恥ずかしがりながらも、満面の笑みと共に勝利を賞賛した。

 

「────やったぁ! 師匠、ロアが、ロアが勝ちましたよ!!」

 

 きっと誰よりもロアのことを理解しているだろう師に声を投げかけるも、反応がない。

 いつものように平静を装い皮肉げな言葉を言ってくるだろうと予想していたステルラは戸惑い、隣の席に座る師に視線を移す。

 

「…………師匠?」

 

 呆然と口を開いて、頬を僅かに赤く染めながら、瞳が揺れている。

 照れ隠し同然の言動をとっている所は見たことがあった。生意気なことを言ってきたロアに対して紫電を放ち暴力で黙らせてきたことも多々あった。

 

 だが。

 こうして表情に現れる程動揺したことは、無かった。

 

 ステルラの視線が自身に向いていることにすら気が付かないほど、エイリアスは自身の感情が制御できなくなっていたのだから。

 

「……ぁ………の、馬鹿弟子……」

 

 眉を顰めて口を緩ませ、困り顔で嬉しそうに笑う。

 足を組んで膝に肘をつき、前屈みになりながら片手で口元を隠した。

 

 彼女は誰よりもロア・メグナカルトを知っている。

 彼が大嫌いな努力を続ける理由がたった一人の幼馴染を孤独にさせないためだと。彼が英雄と呼ばれる事を嫌がるのは『自分では見合っていない』と思っていることも。彼が師である自分に将来的な死を伝えてくるのも、本当は誰よりも誰よりも苦痛を嫌う彼が誰かに共有することで不安を少しでも和らげようとしていることも。

 

「……………………全く」

 

 そして────よくも自分を愛してる、なんて言ってくれたこと。

 坩堝にいる全ての人間の耳に入るのに、なんて恥ずかしいことを言ってくれたんだと。

 

 無論家族愛だとは理解している。

 自分は子供の頃から世話をしているのに、そんな対象に恋愛感情を抱いていい筈もない。いくら自分の精神が未熟で気持ちの悪い女だとしても、ロアが愛を伝えてくれたとしても、そこだけは履き違えてはいけない一線だと思っている。

 

 エイリアスは、誰かの一番になったことはない。

 かつての英雄も自分ではない誰かを見ていたのはわかった。まるで子供を相手にするような仕草だったし、事実、女性としては全く見られていなかっただろう。

 

 ロアにとっての一番はステルラだ。

 それをよくわかっているからこそ、エイリアスは距離を取ろうとしていた。

 自分なんかが入り込む必要はないし、彼ら彼女らの邪魔をしてはいけないと心の底から思っていたから。もう、自分が必要とされる時代ではないのだと。

 

 ……でも。

 それでも。

 

 大戦で全てを失って天涯孤独となった自分を、受け継いでくれた。

 自分の憧れ(英雄)でもなくて、自分の道標(星光)でもなくて、授けた紫電(唯一の繋がり)を最後の切り札として扱ってくれた。

 

 彼女にとって、それが何よりも嬉しかった。

 まだ居ていいのだと。まだ居なくては困るのだと、ロアに甘えられているようで。ロアに必要とされているようで、誰かに求められているようで。

 

「────…………ありがとう、ロア」

 

 帽子を掴み深く被って、周りから見られないようにする。

 嗚咽も出ないように極限まで気を配って、どうしようもない程にごちゃ混ぜになった感情を受け入れる。

 

 かつての英雄が使ってくれた、同じ紫電。

 ただの雷魔法ではなくて、私が発展させた魔法を象徴として使ってくれた。

 

「……私は……十分に、幸せだよ…………」

 

 そう呟くエイリアスを、ステルラは苦笑と共に目を逸らした。

 

「全くもう、ロアはたらし(・・・)なんだから……」

「同感ね。あんなに趣味の悪い男はそういないわよ」

「同感です。あんなに残酷で心優しい人はいないですよ」

「たらしなのは否定できないかなぁ……あ〜あ、早く私と斬り合ってくれないかな〜」

 

 一人だけ目的が違うが、概ねロアへの評価は似たようなものだった。

 思うことは同じだと視線を合わせため息を吐き、魔祖の魔法によって治療と運搬を同時に行われている二人を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 医務室に運んだ二人を治療した後に、魔祖はゆっくりと椅子に腰掛けた。

 

 この部屋にはまだ誰も入れておらず、意識を失っている二人と魔祖一人だけ。

 どれだけ感情を撒き散らしても、どれだけ熟考を重ねてもなんの問題もない閉鎖空間だった。

 

「…………“英雄“、か……」

 

 これも自分の愚かさが招いた事だと自嘲しながら、因縁深い名を呟いた。

 

「アルス。お前は、こうなりたくなかったのだろう」

 

 永遠になどなりたくない。

 なぜ座する者(ヴァーテクス)にならないのかと聞いた時、彼は笑って応えた。

 本当の自分は矮小で小賢しい存在で、社会を支えるために日々労働に費やす歯車と何一つ変わらないのだと。超常の存在ではなく、何処にでもいる一般人。そんな歯車のような生き方にこそ、憧れていると応えた。

 

 永遠になど、なりたくない。

 人は定命の存在である。命ある限り死が訪れるのだから、僕は受け入れるよと。それは嫌だとみっともなく喚く自分に対して困ったように苦笑して、頭を撫でた。

 

「儂は…………何を、間違えたのだろうな」

 

 ため息を吐いて、後悔を滲ませながら呟く。

 

 魔祖────マギア・マグナスは、間違いだらけの人生を刻んできた。

 生を受けた時は既に忘却した。両親と呼べる存在は未だ未発達の文化形態だった世界で集団の長を名乗っており、今の水準から考えれば底辺レベルの教育を受けた。

 

 ただ決定的なまでに他者と違ったのは、魔法の才覚。

 異常なまでに優れていた彼女の感覚は瞬く間に技術を開拓し、魔法という存在に魅入られた。魔力に愛され魔力を愛し、魔法に祝福された(呪われた)存在だったのだ。

 

 得体の知れない力を持っているとわかってもなお、両親は彼女の扱いを変えなかった。一人娘として長にするのではなく、意思を尊重した。魔法という力を極めたいというマギアの純粋な願いを。

 

 気がつけば己は歳をいくら重ねても成長しなくなり、両親が他界する頃ですら子供のような容姿だった。

 その歪さは周囲に気味悪がられたがマギアにとってはどうでも良かった。自分が探り見つけた魔法が他の人間に使われていることを見てもなお、どうでも良かった。

 

 極限までに他人に対する興味がなかった。

 彼女の中にあったのはただ一つ────魔法という存在の研究だけだったから。

 

 複数の家族が集まって構成されていた集団は、マギアが戯れに見せた魔法という『武器』を手に行動範囲を広げ、自然や他の人類を制圧し屈服させることで領地を拡大。

 

 やがて『国』と呼ばれる程に大きくなり────支配が、始まった。

 

 マギアはそれでも興味を持たなかった。

 魔法は自分が探求したいからしている。その副産物を利用したいのなら好きにしろ、ただし邪魔はするな。どんなことに使われようとも、どうでもよかった。

 

 だが、周りの人間はそうは思わなかった。

 

 権力を持った人物達が魔法の真価を理解すればするほど、彼女の脅威を明確に理解する。

 この世界中の誰もが逆らったところで、彼女に抵抗できる者は居ない。自分達が築き上げたこの『国』すらも、マギア一人に勝てないのだと。

 

 だからといって排除できるはずもなく。

 彼ら彼女らに出来ることはマギア・マグナスという魔導開祖の機嫌を損ねないことだけであり、また、価値観が凡庸な者達の気配りがマギアにとって目障りだと思われるようになるのも時間の問題だった。

 

「儂は……お前を失っても、何も変われなかった」

 

 人間社会から離れて一人自然に包まれた場所で暮らす。

 食事も睡眠も必要なくて、必要なのは魔道研究の道具のみ。それも独学で用意できるのだから、彼女の世界は彼女一人で完結してしまった。

 

 侵入してきた者は何もしなければ放置する。

 何か余計なことをしてきた者は、なんの慈悲もなく殺す。

 そうやって魔祖は価値観を形成し、幾星霜の時を過ごす事となったのだ。

 

「…………お前が命を賭けてまで求めた女は、こんなにも愚かだった」

 

 かつての英雄は、そんな彼女を求めた。

 世界を平和にするために。誰も涙を流さない世界を作りたいから。魔法という超常の力を身体に刻み込んでなお俗物であろうとする怪物に、マギアは多少なりとも興味を抱いた。

 

 短い期間ではあったが共に戦争に参加し、時に仲間を増やし、時に言葉で訴えて。

 マギアの知らない人間の善性を見せつけられて、彼女は少しずつ変わっていったのだ。価値観を変え、人間社会という存在に興味はなくとも、己が興味を持った男が大切だと思うのなら────自分も大切に思えるように努力しよう、と。

 

 尊大で傲慢だった少女は、遅すぎる人格形成を迎えた。

 

「……………………儂は」

 

 後悔ばかりの人生。

 マギアは生まれるのが早すぎて、そしてまた、出会うのも遅すぎた。

 もっと早く出会えていればきっと違った形を迎えられたかも知れない。英雄に出会うより先に価値観を変えるような何かに出会えていれば、こんなにも引き摺ることにならなかったのかも知れない。

 

「どうすれば、良かったのだ」

 

 誰も導いてくれなかった。

 魔祖として名を挙げてしまった彼女を導く存在は、どこにもいなかった。誰よりも歳を重ねているだけの少女は、先の見えない暗闇を一人で歩き続けることしかできなかった。

 

「……母さん」

「……目を覚ましたか、馬鹿者め」

 

 いつの間にか時間が経っていたのか、テリオスが起き上がる。

 

「お前の負けだ。小僧が勝って、お前が負けた」

「そうみたいだね。折角順位戦全勝だったのに、勿体ないなぁ」

 

 少しだけ残念そうに笑うテリオスに、マギアは苛立ちを覚えた。

 

「やめろ」

「え?」

 

 困った顔をするテリオスに、苛立ちを覚えた。

 

彼奴(・・)の真似をするのを、やめろ」

 

 これまで言うことが出来なかった一言。

 マギアが心の奥底に溜め込んでいた言葉を受けて、テリオスは真面目な顔つきへと変わる。

 

「嫌だ」

「……やめろ、と言った」

「嫌だね。やめるつもりはないよ」

 

 舌打ちをしながらマギアは立ち上がる。

 背丈で言えば子供と言えるのだが、その身から放つ圧力は尋常ではない。

 その圧を正面から受け止めて、僅かに冷や汗をかきつつもテリオスは目を逸らさなかった。

 

「僕はこれでも色々背負ってる。使命や酔狂で名乗ってるわけじゃなくて、僕がやるべきだと思ってるからやってるんだ。誰が止めてきてもやめないよ」

「儂が英雄と認めた小僧に敗れたのにか?」

 

 言葉を口にしながら、どの口がと自嘲した。

 自分が愚かで甘いからこそ息子はその道に足を踏み入れたのに、何を苛立ってるのだと。何もかもが自分達が原因の癖に周囲に当たり散らすように言う自分を唾棄しながら、不愉快さを隠そうともせずに続けた。

 

 しかし。

 それでもテリオスは折れない。

 英雄と認められなくてもその意思の硬さは筋金入りだ。英雄と呼ばれる少年が認めるくらいには、頑固。

 

「ああ。絶対やめない」

 

 一度負けたからなんだ。

 英雄と呼ばれる少年との直接対決で負けたからなんだ。その敗北は現時点での差を表しただけであり、人生を賭けて英雄を目指すことを諦めさせる道具ではない。

 

 まるで何処かで見た強い瞳を見たマギアは一瞬怯み、目を逸らす。

 

「…………ならば、もうよい。好きにするがいい」

 

 そして諦める。

 以前もそうだった。

 迂遠な言い回しで伝えようとして、うまく伝わらずに失敗する。

 

 本当に自分は愚かだ。 

 

 魔祖の胸中を支配するのはその感情だった。

 拾ったのは気まぐれだったのに、気が付けば愛おしい存在になっていた大切な息子。戦争を終わらせ平和を無気力に築き上げたマギアに、その意味を教えてくれた大切な息子。

 

 英雄なんて追うな。

 追わないでくれ。

 お前はお前だ、それ以上何が要る。

 

 その言葉が喉元まで出かかって、それを吐き出せない自身の弱さが醜く写った。

 

「────待ってくれないか」

 

 話を終わらせ立ち去ろうとするマギアをテリオスが引き止める。

 

「前もそうだった。母さんは一方的にやめろと言うだけで、その理由を決して教えてくれなかった」

「……言う必要もないからだが」

「そんな事はないさ。言葉は案外、口にしないと伝わらないんだ」

 

 英雄を模倣した笑顔──ではなくて。

 テリオス・マグナスとして、話を続けた。

 

()は、母さんに泣いて欲しくない」

 

 知っている。

 自分のために英雄に成ろうとしているのだと、マギアは理解している。

 だからこそ止めたかった。自分なんかのために人生を使わず、テリオスはテリオスの人生を歩んで欲しかったから。

 

「『英雄』。彼こそが、母さんを泣かせる人であり、母さんを喜ばせられる唯一の人だ」

 

 そう見られている事自体恥ずべきことで、隠すべき事。

 大人として、子を育てる親として、あまりにも愚かなことをした。

 

「だから俺は、どうしても諦められなかった」

 

 違う。

 諦めろ。

 お前はお前のままでいい。順調に大きくなって、幸せな家庭を築いてくれれば良かった。魔法なんてモノに手を出す必要もなくて、こんなに苦しい永遠を味合わなくてもいいのだと。

 

「どれだけ否定されても、どれだけ無駄な行為だと言われても────それで母さんが喜ぶなら……」

「喜ぶわけがあるか!!」

 

 エミーリアに揶揄される程度には言葉足らずだったと自覚のあるマギアは、声を荒げて遮った。

 

 これを言ってしまったらどうなるのだろうか。

 下手なこと言って将来に影響を与えたくない、子供には人生を好きに謳歌してほしい。だから出来る限り不干渉を貫いて過ごしてきたが、ついにそれではやり過ごせない段階まで来てしまった。

 

 口にする恐怖を抑え込んで、感じたこともない動悸が喧しいと思考の中で文句を言いながら、叫んだ。 

 

「…………子供に、気遣われて。人生を賭ける理由が、儂が泣くからと言われて。嬉しい訳が、ないだろう!」

 

 そんな事考える必要はないのに。

 親の事なんか考えなくていい。自分の人生なんだから、自分が生きたいように生きるべきだ。人生を賭けて他人に成り代わろうなんて──それこそまるで、かつての英雄(・・・・・・)のようで。

 

 無惨に最期を迎えた、彼の後を追いかけているように見えた。

 

「お前は英雄にはなれん」

 

 これまでの努力の否定。

 なんでも覚えるからと調子に乗って教え続けた自分が招いた最悪の言葉。

 

 それでも、言わなければいけないと悟って──言葉を続けた。

 

「お前は、アルスにはなれん。

 お前は、お前だ。テリオス・マグナスという一人の人間だ!」

 

 言ってしまった。

 血が繋がっていないとはいえ、大事に育てた息子の人生を、否定してしまった。

 それがどれだけ重たいのか、わからないマギアではない。百年の間に人生経験をそれなりに積んだ彼女は人の痛みを知った。

 

 言葉に掛かる責任というものをわかっている。

 

「無駄な気を遣うな! お前はお前らしく生きていればいい! 他の目など気にするな、儂のことなど気にするな! 親は親、子は子だ!」

 

 嫌われないように気を付ける事なんて、初めてだった。

 大戦時代に出会った者達は自身の人格を知っているが故に器の広い人間か、始めから己の性格に期待などしていない実力主義者のみであったから。誰かに気を遣う事も無く、誰かに嫌われたくない等と思う事なんて、初めてだった。

 

「お前は────……好きな様に生きてくれれば、儂はそれで……」

 

 言葉は、続かなかった。

 流石にこれだけ騒いだ影響で目を覚ましたロアは、なんとなく自分が出てきていい場面ではないような気がして、都合がいいと二度寝した。

 

「…………それが、母さんの本音?」

 

 テリオスは静かに呟いた。

 落ち着いた冷静な声で、焦りや動揺は見られない。

 そう言われることは予想していたと言わんばかりの自信すら感じられるような声色だった。

 

「……やっと、言ってくれたね」

 

 今更無責任だ、と罵られると思っていたマギアは思わず顔を上げた。

 

「正直、そんな所じゃないかとは思ってたんだ。『もう、魔法を覚えるのをやめろ』────いくら何でも遠回しすぎるんじゃないかってさ」

「ぐ…………」

「しかも俺の事なんて見向きもしないでロア(・・)の事を英雄なんて名付けるし。酷い当てつけだって、正直泣きたかったよ」

「ぐぎっ…………」

 

 文句を言う口とは裏腹にテリオスは苦笑を浮かべているのだが、マギアは顔を逸らしているのでそれを見ることができない。

 自分でも思ってるような事をぐさぐさ言われ続けているので自責の念が押し寄せて来た。

 

「…………長かったなぁ」

 

 ふぅ、と一息吐いて。

 憑き物が落ちたように、晴れた笑顔を浮かべながら言った。

 

「もっと早く、聞きたかったな……」

 

 自分が考えているより、ずっと自分の事を想ってくれていて。

 自分が英雄の代わりになる必要なんて最初から無かったのだと、歩んで来た道が間違っていたという事を再認識して、テリオスは目を瞑る。

 

 わかっていた。

 ロア・メグナカルトが現れた時点でわかっていたんだ。

 

 ()が英雄になろうとどれだけ尽力しても振り向いてくれなかったのは、俺に諦めさせたかったからで。

 

 母さんが見てくれなかったんじゃない。

 僕が、俺が、思い込みで突っ走っていただけなんだ。わかっていた筈なのに、自分の努力が無駄だったと認めたくないから──正面から見ている振りをしていた。

 

「……………………うん」

 

 間違いは、認めた。

 ならばやることはひとつだけ。

 自分が悪かったのだと、謝ることだ。

 

「これまで迷惑をかけて、ごめんなさい」

「…………は?」

 

 敬愛する母親へと、頭を下げる。

 

「遠回りではあったけど、ずっと俺に言葉は伝えてくれていた。それを読み取れなかったのは偏に、俺の力不足が原因だ」

 

 もっと信じることが出来ていれば。

 もっと言葉をまっすぐ伝えられていれば。

 もしもの可能性を考えればキリがないくらいに、後悔は積み重なった。

 

「母さんにとっての俺の価値が、わからなかった。よく面倒を見てくれていたのはわかってるし、不自由ない生活をさせてくれた。俺がここまで強くなれたのも環境が良かったのもある」

 

 でも、それが愛情なのかはわからなかった。

 なぜなら立場があったから。魔祖というネームバリューの高さは子供ながらに漠然と理解していたし、とんでもなく偉い人に拾われたと恐れ慄いた時すらあった。

 

 そしてもう一つ。

 

「母さんは、かつての英雄の話ばかりするんだ」

「……………………すまん」

「責めてるわけじゃないんだ、謝らないでくれよ。……ただ、さ」

 

 俺を見る目と違いすぎて、そこに違和感があった。

 

「好きなのか嫌いなのか、興味があるのかないのか。ただ一つだけ断言できたのは、母さんが英雄が亡くなった事実を悼んでいるということだけ」

 

 だから俺は目指した。

 感情の読みにくい母親が唯一わかりやすくなるのが『かつての英雄』に関する話題の時のみ。

 

 ならばなるしかない。

 そうなればきっと、俺のことを見てくれるって(・・・・・・・・・・・・)

 

「幸い魔法の才能はあったからね。気がついたらこんな所にいたよ」

「…………儂は」

 

 戯けるように自嘲するテリオスに対して、マギアが言葉を発する。

 

「儂は、お前に嫌われたくなかった」

「……………………え?」

 

 息子は全てを吐き出してくれた。

 本当ならば先に親が言い出すべきであろう話し合いの場を、子供に作ってもらった。

 

 それだけお膳立てされて言い出せなければ────きっと生涯、悔やむことになる。

 

 その情けなさを噛み締めて、マギアは続ける。

 

「人に嫌われたくないなどと考えたのは初めてだ。言動に気を配ったのも初めてだ。他人の健康を気にして世話をするなど、初めてのことだらけで…………」

 

 不甲斐ない。

 こんなにも頼りがいのない親はいないだろう、とマギアは思った。 

 魔導の祖なんて呼ばれて畏敬を抱かれた所で、傍若無人な振る舞いを貫いていたところで、その実息子一人を満足に育てることすらできない。

 

 育児の難しさに驚愕し、魔法とは違って正解が必ずしも正しいとは限らない理不尽を学び、生まれて初めて嫌われたくないと思うほどに愛情を抱いた。

 

「……………………テリオス(・・・・)が楽しく生きてくれるだけで、それで良かった」

 

 既に友人と呼べるエミーリアやエイリアスは別枠だ。

 嫌われるとか嫌われないとかそういう関係性は通り越して、もはや腐れ縁とすら表現出来るほどの仲の良さである。互いに変に遠慮せずにズカズカ失礼な物言いをしても罅が入らないような強固な関係。

 

 だが、テリオスは違った。

 マギアは親でテリオスは息子。そこには敬意や愛情が含まれており、ただ対等の友人と接するのとは訳が違った。

 

「…………なんだよ、それ……」

 

 最初から此方が伝えていれば良かった話。

 怒られても仕方ない。殴られても仕方ない。……嫌われても、仕方ない。

 

 マギアは次に続く言葉に怯えながら、テリオスの反応を伺った。

 

「……………………本当にさぁ」

 

 ふぅ、とため息を吐いて。

 

「もっと早く聞きたかったよ、それ」

「……すまない」

「俺が母さんを嫌いになる訳ないだろ」

「すまな…………はっ?」

 

 ふんっ、と鼻息荒く一度吐き出してから腕を組んで仁王立ちする。

 

「見くびるなよ。人生賭けてでも成り代わって見てほしいと思うめんどくさい息子が、母親がそっぽ向いた程度で嫌いになる訳ないだろ!」

「い、威張る事ではないだろうが!」

「い〜〜や、威張るね。勘違いされないように盛大に威張る。俺は母さんのためにとは言っていたが、結論真正面から見て欲しかっただけ。でも母さんは母さんなりに俺のことを見ていたけど、俺は気がつかなかった。互いに気が付かなかったから俺たちは擦れ違ったんだ」

 

 そんな風になるくらいならば、恥はいくらでも貼り付けてもいい。

 後悔するくらいならば口に出す。

 

 それもこれも全部、対戦相手に教えられたことで。

 

 つくづく敵わなかったと、テリオスは苦笑した。

 

「……まだ、間に合うだろ?」

「…………フン。時間だけはあるな」

「それは良かった。俺も、時間は沢山あるからね」

 

 間違った努力を続けた。

 けれども、積み重ねた努力は決して嘘をつかなかった。

 

 いつかの試合で()が吐き捨てたように。

 

「……………………努力は決して嘘を吐かない、か……」

 

 ならば、君にとっての努力は。

 君の努力が真の目的を達成する瞬間は、一体どうなるのか。

 

 敗北したばかりであるというのにテリオスは晴れやかな気持ちだった。

 

 先に退出していくマギアの後を追うように歩みを進めて、彼女が先に部屋を出てから振り返った。

 

「ロア・メグナカルト」

 

 話し合いの最中もわずかに気配は感じていたし、途中から起きているのにも気がついていた。

 聞かせてしまった事は申し訳ないけれど、それはそれとして言わなければならないことがあるとテリオスは思った。

 

「おめでとう。今は(・・)、君が『英雄』だ」

「…………諦める気は?」

「無いさ」

 

 起き上がって目線を交わす。

 相変わらず気怠げに見えるが、奥底に隠された闘志は並外れている。

 

「『かつての英雄』にはなれない。その役割は俺じゃない。ならば────俺は()として、『英雄』になればいい」

「……勘弁してくれ」

「そう言うなよ。結構楽しみにしてるんだぜ?」

 

 ひらひら手を振りながら、テリオスは身を翻した。

 

 今は英雄じゃなくていい。

 彼が英雄と呼ばれることに異論は一切ない。

 彼こそが本当の意味で英雄と呼ばれることに、納得している。

 

 ──だが、それはそれとして。

 

 負けたままでいられるかと言われればノーだ。

 ロア・メグナカルトが意地を貫き通したのと同じように、テリオス・マグナスにも意地がある。

 

 英雄になりたいとか誰かのためとかそんな言い訳を積み重ねたものじゃなく、もっと純粋で純然たる渇望。

 

「────男として。負けっぱなしじゃいられないのさ」

 

 捨て台詞のように吐き捨ててそのまま部屋を出る。

 

 まだやる仕事があると言って消えていった母を見送ってから、控え室に置いていた荷物を手にして坩堝から出る。

 

 夕暮れを背景に校門で待ち構えていた友人達に声をかけた。

 

「いや、随分と待たせたね」

「気にするな。それぞれ敗北した者同士傷の舐め合いをしていたところだ」

「一緒にするな戯けが」

 

 巻き込むように恍けて遊ぶテオドールと、それに巻き込まれて不機嫌そうな表情で罵倒をするソフィア。

 

 いつもと何一つ変わらない光景。

 きっとかつての英雄が守りたかったのは、こういうものなのだろうと。普遍的で、平和的で、不変的なものであって欲しいと願った日常────きっとそうなのだろうと、テリオスは思った。

 

「…………おい、何を見ている」

「え? あー、いやいや。仲が良いなと思ってさ」

 

 今更すぎる。

 

 後悔先に立たずとはよく言ったものだ。

 もっと早く身近なものに目を向けて、気が付けていれば────何か変わったかもしれないのに。

 

 そんな悔いを飲み込んでから、空を見た。

 時間はある。間違った道を進み続けて、時間は沢山作ることができた。

 

 だから大丈夫。

 俺の人生は、まだまだここからだ。

 

 

 

 

 


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