【本編完結】英雄転生後世成り上がり   作:恒例行事

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第七話

 暗闇は拓けない。

 暗黒は拭えない。

 被った血糊は鼻につく。

 両手に沁みた罪は禊きれない。

 

 エイリアスは夢を見る。

 毎晩ずっと、百年近くずーっと同じ夢を見続けている。

 覚えてすらいない本当の両親との僅かな日常、攫われて■■■の殺戮兵器として改造されたこと、他国の兵士や身動きできない女子供すら手に掛けたこと────そして、魔祖直々に手を下されて死に瀕した事。

 

 絶望と地獄の繰り返しの中で摩耗していく自身の心が死んでいくのを認知しながら、投薬によって強制的に安定させられた精神性が死ぬことを許さない。

 自死という選択肢を塗り潰し、死ぬまで永遠に戦わせる戦争の生み出した業。

 そこから救い上げてくれた英雄の姿。

 

 そして、そんな英雄が没する瞬間。

 

 既に乗り越えた筈の泥沼から抜け出せないまま。

 何時の日にか現れる、死神が眼前に至るその日まで。

 

 ──エイリアスは夢を見続ける。

 

 遠い何処かへ消えた、かつての想い人へと手を伸ばし続ける夢を。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「…………寝てるのか」

 

 何時まで経っても来ないから心配して来てみたが、この女は静かな寝息を立てて寝ているだけだった。

 

 俺と生活していた十年近い期間で一度も寝坊したことは無かったから、少し過剰に考えてしまったのは否めない。

 

 だが、まあ……

 こういう何気ない「大丈夫だろう」が英雄の死を招いた。

 誰も彼もが魔力の揺れを認知できず、全てが過ぎ去った後に事が表面に現出した。

 

 それを考慮すれば早すぎて困る事は何一つとしてない。

 

 いつも俺が悪戯されてばかりだからたまにはやり返すか。

 横向きで瞳を閉じたまま熟睡している師匠の横に座って、とりあえず頬を摘まむ。

 

 柔らかい。

 座する者(ヴァーテクス)として人智を超越した怪物の身でありながら、女性らしい柔らかさと美しさを保っている。魔力である程度補完しているとはいえそれは相応の苦労が伴っているだろう。

 

 俺は女じゃないからな。

 女性が『女性らしさ』を維持する難しさはわからない。

 

 頬を触っても僅かに身動ぎするだけで、目を覚まさない。

 

 さてさて、何をしてやろうか。

 いつも床ドンとか地味な寝起きドッキリを喰らっている訳だが、俺から仕掛けるのはなんだかんだ初めてである。ていうか修業期間中は先に起きれなかった。眠たくて仕方なかったし。体力消耗したまま十年生きてたんだから頑張った方だろ? 

 

「『エイリアス』────…………何か違うな」

 

 某英雄の真似をして名前を呼んでみたが、どうにも違う感覚がする。

 

 やっぱ俺とあの人は他人だわ。

 俺は師匠に対して子供を慈しむような感情は湧いてこないし、美人で綺麗だなくらいしか思い浮かばない。

 

 まあそうだよな。

 俺はこの人の事を『母親』という視点では見ていない。

 

 正直色々複雑なんだ。

 他人の記憶があって、その中ではこの人は幼くて。

 でも俺はロア・メグナカルトという個人の人格を有しているし、アルスという名を持つかつての偉人とは別人だと断言できる。

 

 割り切るのだってタダじゃない。

 

「────…………んん……」

 

 お。

 

 安らかな寝顔ではなく、少し不愉快そうに眉を顰めて師匠は布団に潜り込んだ。夏だってのにそんな暑い状態で寝てて大丈夫なのかとも思うが、師匠の身体は人を超えた存在だ。

 

 俺がやれば脱水症状で体調不良を起こすだろうが、きっと問題ないだろう。

 

 ツンツン頬を突いてみたが起きる気配はない。

 髪も触った。

 寝ていたと言うのに寝汗なんて一つもかいてない艶と質感を維持している。魔法か? 体質だったら世の女性が黙ってないぜ。

 

「…………やめろ……」

 

 …………寝言か。

 夢でも見てるのか知らんが、俺の手を払い除けようとはしない。変わらず撫で続けているが懐かしいような感覚は少しも湧いてこず、俺の胸を占めるのは謎の動悸だった。

 

 冷静に考えて欲しい。

 俺はポーカーフェイスを極め平常心を習得し男女平等を掲げる程度には芯が強く(遺憾ながら)我慢強い方だ。

 

 だが、こう…………

 わかるだろ。

 

 普段上位者の女性が俺に無防備な姿を晒してる事実に動揺してんだよ。

 

 だからと言って変な事をするわけじゃない。

 後々弱みになりそうな事を口にしないのか気になっているだけだ。決して師匠みたいに床ドンしてビックリさせようなんて事は考えてないさ。

 

 俺は計算高い(自称)男。

 変にいやらしい手法でセクハラしたら後から何を言われるかわかったもんじゃない。 

 だから俺が怒られない程度で納めておく必要があるのだな。

 

 すうすう寝息を立てているがその顔は険しい。

 どんな夢を見ているのやら。

 

 俺も悪夢(かつての英雄の記憶)とは付き合いが長いが、慣れなんてしない。

 いつ見ても不愉快だしいつ見ても無力感に襲われる最悪の映像だ。

 

 俺は惰眠を貪るのが趣味なのに、趣味を続けていたら嫌な気分にさせられる最悪のデバフがかかっている。

 

 どうしようもないくらい欲しいモノは手に入らない癖に、要らないものばっか押し付けられてる俺の人生を少しは憐れんではくれないだろうか。

 

「…………ふん」

 

 師匠の布団に潜り込みはしないが、そのまま横に添い寝する。

 子供の頃はよくやってくれたっけな。

 山に入りたての頃は一人の夜が怖くて仕方なくて、眠れない夜が一週間程続いた後に師匠が気が付いて一緒に寝てくれるようになった。

 

 ガサガサ唐突に近くの木々が揺れるのがあんなに怖いなんてな。

 

 そのおかげで先人の築いた文化や文明の素晴らしさを再認識したよ。

 

「起きろよ師匠。俺は早く帰りたいんだ」

 

 実家に居座るのも楽しいが、そろそろ家の手伝いを任されるくらいの立場になってきた。十年離れ離れになってようが少し一緒に暮らせば戦力として見做される。

 俺は客人として招かれるのが好きなのであって、家庭を支える一人の人間として当てにされるのは好きじゃない。

 

 そりゃあ言われれば手伝うさ。

 でもそれとこれとは話が別だろ。

 

 でも父上があんな適当なんだから母上の負担は相当なものだと思うんだが、なんであの人たち仲良いんだろ。仲がいいからこそなのか……? 

 

「………………まだ……もう、少し……」

 

 …………魘されてないのなら、まあ、マシになったんだろう。

 かつての大戦の際、禁則兵団が壊滅して英雄一向に加わった師匠は長い間悪夢を見続けていた。投薬を重ねられていたのに唐突に途切れたのだから中毒症状もあったんだろう。

 

 柔らかくきめ細やかな髪を撫でながら、師匠が目を覚ますように耳元で声を出す。

 

「師匠。早く起きてくれないと俺が困っちまうぞ」

 

 きゅ、と手が動く。

 俺の首を通すように手がするすると伸びて、胸元に顔を寄せた。起きたのか? 癖でやるような行動とは思えないが……

 

 ぼんやりと蕩けるような瞳で俺のことを捉えた後に、師匠はゆっくりと顔を逸らした。美しい銀髪の隙間から覗いた耳は赤くなっているように見えて、師匠らしくもない動揺をしているなと冷静に思った。

 

「……………………お、はよう……ロア……」

「おはようございます、師匠。随分ぐっすり寝ていましたね」

「た、たまにはそういうこともある。……なんでいるんだ?」

「何でって、時間」

 

 俺がそっと時計を指差すと、師匠はやってしまったと言わんばかりに目を見開いた後に「あー……」と一言漏らした。

 いい加減手を退けて欲しいがいい匂いがするし目の保養にもなるから黙っておく。子供の頃から見続けている美しさではあるけれど、見ていて飽きたことは一度もない。

 

「ん〜〜…………すまないね」

「気にするな。珍しいものが見れたからな」

「淑女の寝顔を覗き見るなんてロアらしくないじゃないか」

「そうでもない。アンタが初めてじゃないし」

「…………ほう」

 

 ぐぐぐっと顔を引き寄せられる。

 戦ってる時は何度も何度もこの距離に近づいた事はあるし、今更気恥ずかしく感じるような初心さは持ち合わせていない。

 

「……君は…………」

 

 なんスか。

 俺の頬を触ったまま、師匠は目を逸らさない。

 今更まじまじと見るもんでもないだろうに、至極真剣に俺の顔を観察し続ける。

 

「……すまない、なんでもないんだ」

「なんかある時の誤魔化し方だろ」

「そんな事はないさ。私だって過去を想う時はある」

「俺はかつての英雄とは別人ですからね」

「わかってるよ」

 

 一度目を閉じて、師匠は俺から手を離した。

 少しばかりは口惜しくも感じるが、俺から言い出すことはない。

 

「恥ずかしい女だな、私は……」

 

 どうやら今度は自己嫌悪タイムに突入したらしい。

 

 夢見が悪かった時なんてそんなもんか。

 夢想するのは悪いことじゃないが、それに伴って飛来する虚無感と言ったら酷いものがある。

 魔法の才能があって剣の才能もあって強さも全て兼ね揃えている俺を妄想したことがないわけはなく、ステルラに圧勝する姿や師匠に打ち勝つイメージは数え切れないくらいした。

 

 でも現実は何も変わらない。

 俺が何かを強くイメージしたところで現実には何も反映されない。

 

 頭の中で『本当はイケるんじゃないか』と徐々に妄想が現実に侵蝕していって、挙げ句の果てには大失敗をして自分を卑下する。

 

 気が小さすぎるのも良くないが、気が大きすぎるのも考えものだ。

 

「いいじゃないか。人は何処かしら欠けている部分があるんだから受け入れてしまえばいい」

「…………まあ、その通りさ」

 

 身を起こして、あくまでベッドに腰掛ける形になる。

 師匠は依然として横たわったままだが、仰向けで天井を睨んでいる。

 

「君は、女の敵だな」

「褒め言葉として受け取っておきましょう。人心掌握は得意分野だ」

「女泣かせ。ヒモ。甲斐性しかない男、ヘタレ」

「ンだと百年間男いない癖に図に乗りやがって」

「おや、幼馴染に愛を伝えられない男が何か言ってるね」

 

 マジでぶっ飛ばすぞ…………

 

 言葉にして良いこととしちゃいけない事が世の中には存在する。 

 今回の場合は後者であり、俺の逆鱗を逆撫でどころか引き千切った上に堪忍袋の尾をズタズタに引き裂いた発言だ。

 

「ぐ、ギギギギッ…………」

「どういう感情なんだい? それは……」

 

 見りゃわかんだろ、めちゃくちゃ言葉を選んでるんだよ。

 師匠に軽率に言葉を投げるのは簡単だが、思いの外この人の人生は重たい。そりゃあ戦争に巻き込まれた張本人だし当たり前なんだが、あまり失礼すぎることを言うとトラウマを刺激しかねない。

 

 俺は他人を傷つけたくはない。

 それが後々の禍根になることだってあるんだから、出来る限り敵は作らないでおくべきだと思っている。

 

「フゥ〜〜〜ッ…………妖怪め。気は済んだか」

「…………ああ。情けないことこの上ないけれど」

 

 気にするな。

 誰にでもそう言う時はある。

 寧ろ俺はそっちの方が安心する。欠点がない人間なんて不気味だろ。

 

 かつての英雄だって欠点があったんだ。

 それを表面上に出さないように、極限まで自分のうちに仕舞い込んでいただけで。

 

「さ、気が済んだならそろそろ帰らせてもらうぞ。母上の圧が徐々に強くなってきたからな」

「君はそういう所なんだよね、本当に」

 

 

 

 

 

 

「じゃーねお兄ちゃん。とーなめんと? は応援に行くから」

「うむ。俺がこの憎き天才をボコボコに打ちのめす姿を期待するといい」

「……なんか不安に感じる言葉だなぁ」

 

 なぜだ妹よ。

 兄を信じろ、俺はやると言ったらやる男。

 は〜〜、出来るかな〜本当に。出来ると信じたいし出来るはずなんだけど、ステルラ土壇場で覚醒するタイプだからマジできちぃ〜〜ッ! 

 

 電撃に耐性ある俺が若干有利みたいな所はあるけど別に有利でもないし。

 ステルラと正面切って戦える数分間で俺の集大成を放たないといけないの、普通に辛い。

 

「次会う時は楽しみにしててね。私も雷魔法頑張るから」

「そこまで真似しなくてもいいんだが……」

「雷魔法格好いいじゃん」

 

 しゅっしゅっとシャドーをして気合を表現するスズリだが、その表情は相変わらずの仏頂面である。

 ルナさんの無表情とは違って、なんかこう……やる気がないのが伝わってくるんだよな。あの人はボディランゲージでもなんでも使って表現するタイプの人だからわかりやすいし、なにより感情豊かだ。

 

「ま、無茶はするなよ。俺が言うのもおかしな話だが」

「お兄ちゃんみたいに苦しみたくないから辛くない範囲内で頑張るがゆえ、安心して欲しい」

 

 それでこそ俺の妹だ。

 わしゃわしゃ頭を掻き撫でてやると、むぎゃ〜〜なんて言いながら抵抗してきた。

 ふっ、年上の男に勝てると思うなよ。

 俺は物理だけは鍛えてるからな。

 

「父上も母上も、身体を大事になさって下さい」

「俺は何もしてないから身体を壊しようがないな」

「スズリ、お前はこうなっちゃダメだぞ」

 

 父上は考古学者としてはそこそこ権威ある人間なのにこれである。 

 

「今生の別れじゃないしそんなに畏まらなくてもいいのよ?」

「形式上でもなんでも良いから言いたい言葉は言っておくべきだと俺の心に刻んでありまして」

 

 母上も父上も老いを感じる。

 俺が見ない間にすっかり歳をとってしまったのだから、今のうちに伝えられることは伝えておくべきだと思っている。

 

「それではバシーさん、ヘレナさん。またロアくんをお預かりします」

「はい。よろしくお願いします」

 

 今の立場になってわかることだが。

 子供の頃一人息子を長い間任せるのは親としてどう思うのかと考えていたが──師匠の肩書きや実績がデカすぎるからかなり信頼できる材料になっている。不安に思うこともあるだろうけど、俺の意思も込みでこの道を歩ませてくれた両親には感謝しかない。

 

「また帰ってくる。それまでのお別れだ」

「ああ。頑張って来なさい」

 

 頭は下げない。

 俺たちは家族だからな。

 握手を一回して見送ってもらえればそれでいい。

 

「さ、行こうか」

 

 師匠の後に続く。

 

 夏休みはまだ長い。

 ステルラとの戦いを考えなければいけないのは当然だが、それ以上に今年しかない夏を楽しんでおくべき。友人達との思い出や楽しみはいくらあっても損するもんじゃないからな。

 

 夏休み終了までおよそ三週間、と言ったところか。

 

 ジワジワ蒸し暑くなり始めた空気感が、夏本番を迎えることを苛烈に表していた。

 

 

 

 




大○コソコソ小噺!
師匠がメインヒロインみたいな風潮があるらしいですよ。

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