さとりと陽馬が関わり始めたのは、ほんの些細な切っ掛けである。この前の些細な会話から、二人はジムでよく会うようになる。
そして今日の場合、ランニングは二十分程走れば脂肪が燃焼するとか、時速480キロで走れる麟が凄いとか、その程度の世間話をするだけであった。
そして今、二人はダンベルを持って上げ下げするダンベルショルダープレスを行っていた。男性は50回、女性は30回までが目安である。
麟はこの日、鳥獣鬼人のライブがあり、ジムのトレーナーを休んでいる。彼女がトレーナーを勤める期間は後一週間だ。麟はトレーナーとしての才能も発揮しており、就任してから一週間で良い体を得た人達も多い。
代わりに二人のトレーニングを見ているのは、ジュダである。ジュダは剣術の指南役としてだけでなく、このジムでトレーナーを務めている。彼女の指導は厳しいが、しっかりとした教え方である為に人気は麟に次いで高い。
ジュダ「流石ださとり。地霊殿の主であって、そのウェイトを難なくこなせるとはな。30回までが女の目安だが、伸ばすか?」
さとり「えぇっ……!まだ、行けます!」
さとりは両手で持つダンベルの上げ下げを加速させる。ダンベルを肩の上で持ち、下げる時は肘を90度に保つ必要がある。
すると、隣で見ていた陽馬もショルダープレスを速め始める。
ジュダ「むっ?やるではないか」
さとり「っ!負け、ません!」
さとりも負けじと上げ下げを速め始める。両者は一歩も譲らず、時に抜いたり抜かされたりを繰り返す二人の競い合いに、ジュダは感心する。
ジュダ「良いぞォ!」
そして、お互いに50回まで到達し、ダンベルを元の位置に戻して立ち上がる。
さとり「やりますね……ハァ……肩が痛いです………」
ジュダ「だがよく鍛えているな。護るべき者達が居るから、だったな?」
さとり「ええっ。妹が麟に恋をしたので、そんなこいしを護る為に強くなろうと決めましたから。それに、地霊殿のお空やお燐、そして待っているペット達も、私とブルトンの力で護れるようになりたいので」
ジュダ「ブルトンの力は危険だ。使いこなすには、お前が強くならねばな」
さとり「はい。あっ、陽馬さん。勝負、面白かったですよ。陽馬さんも頑張っておられるんですね。またやりましょうね」
さとりは他のマシンに向かう。そんなさとりの様子を、陽馬は殺意の籠もった目で見つめていた。先程のさとりの言葉は特に陽馬に対して侮辱するような意味は込められておらず、寧ろ褒めていると言っていい。となれば、陽馬は何故さとりに殺意を向けているのか。それは、陽馬がさとりを超えるべき相手と見た上で、自分の体を鍛えるのに邪魔な存在である為だ。
陽馬は自転車マシンに乗ろうとしたが、ある事を聞こうとしてある盛り上がった筋肉を持つジムの客を指導するジュダに問い掛ける。
陽馬「トレーナーさん。この自転車マシンはどれだけの時間を掛ければ良いですか?」
ジュダ「むっ?ああっ、すまんな。プレミアム会員の客が優先なんだ。終わったらお前の指導を行おう」
陽馬「ッ!!」
陽馬は、ジュダが指導するジムの客に殺意を向ける。自分の指導をしてもらうトレーナーを取ったと、客に対して逆恨みしているのである。
陽馬(プレミアム会員、か)
陽馬は壁に貼られているポスターを見た。『30日につき30万円』、『徹底的な個人指導』と大きく表示された文字に加えて、太った女性がスタイリッシュな姿になる絵が描かれている。
陽馬(そうだな………やろう)
その時であった。
???『さあ、このまま貴男の求める美しい筋肉を手に入れましょう』
その何者かの囁きに対して、陽馬自身が気が付かないままであった。それが、陽馬の体も心も徐々に乗っ取り始めていく。
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ジュダ「さあ、追い込め!筋肉に語り掛けろ!」
この日、ある所から金を取り出した陽馬は、徐々に狂い始めていく。陽馬自身は正気だが、正気のまま狂い始めていく。
美しい筋肉を求める。貪欲に。強欲に。
家で食べる食事も、軈て炭水化物や脂質を多く含んだ物は食べないようになる。
ジュダ「ほら!走れ!後三十分だ!」
陽馬はランニングマシンで、ジュダの指導を受ける。
その翌日は、懸垂マシンで懸垂を続ける。
デューク「ご利用ありがとうございます。此方のスーパープロテインは、食べた後に運動すればさらなる筋肉を得られますぞ」
陽馬「ありがとうございます」
デューク「しかし、貴男に憑いた神の言葉には、くれぐれもご注意を。あまり耳を傾けすぎないようにお願い致します」
陽馬「っ?」
陽馬は何のことか分からないまま、デュークの大店でプロテインを購入した。
陽馬に見えて無いが、彼の体から現れた翼を持つ半透明の男が、陽馬を更に狂わせていく。
それから、陽馬はより一層トレーニングに打ち込んだ。
劇団員の仕事をしつつ、トレーニングに更に打ち込むようになる。
軈てそれは、彼女の明菜の自宅でも度を超えた陽馬の奇行が垣間見る。
家の中の壁や天井に、何時の間にか作られている無数の出っ張りを手足を使ってしがみつく陽馬。
明菜「………何やってるの?」
陽馬「ボルダリングだよ。全身を鍛えるのに効果的だよ」
明菜「………いや、違うよ!私が今話してるのは、金庫のお金や祖父の形見の事よ!私に黙って持ち出したでしょ!?返して!!」
陽馬「給料が入ったら返すよ。それに、祖父の形見って置いておくだけ邪魔だから売ったよ」
明菜「嘘………何で?どうしてそんな事を………金庫の番号どうやって知ったの?」
明菜は涙を流し始める。陽馬は明菜の涙に対してつまらなそうにしており、ボルダリングを続けている。
陽馬「誕生日だろ?父親の」
その瞬間、明菜の中で何かが切れる。
明菜「もう貴男と一緒に居られないわ!!今すぐこの家から出て行って!!番所に突き出すわ!!」
しかし、陽馬は態度を崩さない。明菜を泣かせ、人の家を改造したというのに、反省の色も見られない。
陽馬「フフッ。それ、本気で言ってる?」
明菜「屑野郎!!此処から出てけぇ!!!」
陽馬「……分かったよ」
陽馬はそう言った後、窓を開けてある場所に飛び乗った。其処にもセメントで作ったボルダリング用の出っ張りが出来上がっていた。
明菜「へっ?其処、他の人の家だよ?」
そして、明菜は窓から眺めた光景に絶句する。
明菜の家を含めた周囲の家に、無数の出っ張りが出来上がっていた。他者の家にもボルダリング用の出っ張りを、陽馬は作っていたのだ。
明菜「あり得ない………陽馬、どうしちゃったのよ!?」
その瞬間、外へ出た筈の陽馬の姿が、何時の間にか消えた。
明菜「彼奴、何処に―――」
その瞬間、明菜の首に天井から伸びてきた腕が迫った――。
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そのトレッドミルは2台。速度は自動で上がっていき、最高速度は200キロまでならば自由設定が可能である。
そして、さとりはトレッドミルを利用していた。現在の速度は14キロだ。到達すべき最高速度を40キロに指定している。
さとり「負けませんからね?」
さとりは隣のトレッドミルを利用する陽馬にそう言った。
現在二人は、麟の監督の元である勝負をしていた。トレッドミルの背後には、プールがあった。後ろへ吹き飛ばされる対策として、深いプールに落ちるよう場所を変えたのだ。そうしたのには、前回で陽馬がトレッドミルから落ちてしまう事故が起きた為、対策としてプールに移したのだ。前回は柔らかいマットを敷いたとはいえ、流石に危なかった。そのため、こうしてプールに移したのである。
二人の勝負は簡単だ。それぞれが指定した最高速度に到達するまで走り続けて、最高速度に到達した瞬間にそれぞれの装着にある緊急停止ボタンのあるリモコンのボタンを押す。そういう勝負だ。最高速度に到達するまでにリモコンに触れたら負け。そういうルールで競っていた。
さとり「麟。万が一の時はお願いね?」
麟「二人共、危険と判断したらすぐに止めるからね?」
陽馬「…………」
麟「そういえば、プレミアム会員のお客さん二週間も来てないんだよ。どうしたんだろう?」
麟が担当するプレミアム会員のお客さん。実はジュダが代わりに指導しており、本来は麟の担当であった。しかし、二週間も連絡もなく来てない為、何があったのか気になる麟である。
ジュダ「お前達は知らないか?麟も探してるのだが、行方が分からんのだ」
鈴仙「それが、家に向かったんですけど見つからないんですよ。ご両親も、行方が解らなくて困ってるらしいんです」
霊夢「気になるわね……私も調べてみるわ」
奥の施設で、ジュダが霊夢や鈴仙に相談していた。その様子を陽馬が見た。その時、麟は陽馬から何かを感じていた。
麟(何だろう?陽馬さん、何か様子が変。でも、このクリアで汚れが無さそうな気配………でも、神奈子さんや諏訪子さんより強い気配がする…………でも、だからこそ、嫌な感じがする……………)
さとり「ルールは前回と同じでいいですか?勿論、40キロ以下でリモコンに触れたら負けですよ」
陽馬「ッ!!」
陽馬はさとりを睨む。その目は本気でさとりを敵視しており、さとりはその目の圧力に少し苦笑いを浮かべる。
さとり「ちょっと……それは少し怖いですよぉ……貴男って執念深いんですか?」
さとりは何か話題を反らそうと考える。その時、陽馬が劇団員をやってる事を思い出した。
さとり「そ、そういえば陽馬さんって、劇団員で演劇やってるんですよね?近い内に、陽馬さんが主役の演劇があると聞きましたよ?」
麟「そうなんだ。僕も見てみたいかも。最近、陽馬さん体付きいいですよね〜」
しかし、陽馬は二人の言葉に対して耳を傾けない。
陽馬「さとりさん、走る事に集中したほうが良い。麟さんも、真面目に審判をしてください」
さとり「えっ?ええっ、それは構わないのだけれど」
麟「陽馬さん?」
陽馬「俺は勝負を受けた。既に始まっています」
現在、時速24キロまで加速している。
陽馬「この前のようにはならない。徹底的にやっつけてやるからな!古明地さとり!!」
陽馬がさとりを再度睨む。そんな陽馬の眼光に一瞬涙目になりつつも、さとりは彼を見た。その瞬間、さとりと麟は思わずドキッとして顔を赤くする。
上着を脱いで顕になった橋本陽馬の肉体に、惚れてしまったからであった。美しく整い、しかし盛り上がった上で脇腹Ⅱ出来た前鋸筋の出来具合にも、惚れ惚れとしてしまった。