「……何してんの?」
リビングに降りた俺の目の前でゼロが腕を組んで立ち、その前にはファイブが土下座をして頭を下げていた。二人を困った顔をしながら眺めていたワンの傍に向かい事情を聞いてみた。
「取っておいたプリンをファイブが勝手に食べてしまったようで、それであのようなことに」
「……あぁ」
何だそんなことかと俺は肩の力を抜いた。ゼロは結構甘い物が好きでよく買ってきている。彼女の性格から勝手に食べでもしたら怒りを買うことは想像に難くないが……実を言うと俺は少し感動していた。俺は二人の傍に近寄り、ゼロの頭を撫でる。
「……何だこの手は」
「いや、感動してるんだよ俺は。ゼロが手を出してないことに」
そう、俺はゼロが手を出していないことに感動したのだ。過去に一度、それはもう大変なことが起きた。あの時はトウとフォウが当事者だったが、まだ俺も彼女たちも小さかった頃にケーキを勝手に食べられたゼロが激怒し、それからトウとフォウが逃げ回るという事件が起きた。
「あの時のことを言ってるのか? もう私はあんなにガキじゃない、すぐに手は出さないよ」
「……ゼロ!!」
バッと抱きしめた。
何度も言うがあの時のことを思い出せるからこそこの感動もひとしおだ。そうだな、ゼロも立派に成長しているんだよな。
「……おっとすまん、思わず嬉しくて抱きしめちゃって」
「いい。おい、離すな」
「はいよ」
離れようとした俺にゼロがそう言ってきたので再び抱きしめる。どこか嬉しそうに頬を緩めたゼロはファイブに再び顔を向けて口を開いた。
「今日は許してやる。今度からは気を付けろよ」
「分かりました……」
ファイブは立ち上がり俺に小さく頭を下げてサッとリビングから出て行った。どうやらよっぽど怖かったんだろうことが窺える。ゼロを抱きしめたままソファに座ると、ワンが俺とゼロの分の紅茶を淹れて持ってきてくれた。
「全く、プリンを食われたくらいで情けない」
「プリンくらいだと? 私がどれだけ楽しみにしていたと思ってるんだ」
「……私に絶対に食べるなと念を押すくらいだからな。分かってるよそれは」
「その通りだ。それに長女として妹には威厳を示しておかないとな」
威厳の示し方の方向性がおかしいんですがそれは……。
ワンが淹れてくれた紅茶を飲み、俺はとりあえず過去に起きたようなことにならなくてよかったなと溜息を零した。
「確かにあれは酷かったですね……ゼロ?」
「……分かってるよ。確かにあれは私もやり過ぎた……ちょっとだけ」
「ちょっとだけ?」
「もう済んだことだからいいだろう!? 私も子供だったんだ!!」
ただの子供はあんな騒ぎ起こさないと思うんだけどな。
俺はゼロの体温を間近に感じつつ、あの時のことを思い返した。
その日、神里家に激震が走った。その騒ぎは些細なすれ違いから起きたのだ。トウとフォウが二人でリビングに居た時、少し小腹が空いたからと冷蔵庫を開けるとそこにケーキが置かれていた。あ、丁度いいじゃんとそんな感覚で二人で分けて食べることにしたのだ。
「美味しかったね」
「うん、誰か買ってきてくれたのかな」
姉妹揃ってスイーツ好きなのものだから、ケーキを食べた後の二人は大変ご満悦だった。しかし、この行動が後の悲劇を生むことになるとは誰も思わなかった。
ケーキを食べてのんびりしていた時、ゼロがリビングに現れた。冷蔵庫を覗いて首を傾げ、机の上に置かれていた皿とフォークを見て固まった。そして――。
「おい、ケーキを食ったのは君たちか?」
その声に二人は特に何も考えずにうんと頷いた。その瞬間、ゼロから放たれる強烈な殺気に二人は腰を抜かす勢いで一歩後退。自分たちが何を仕出かしたかを明確に答えを導き出した。
「ねえトウ姉さん、もしかしてあのケーキ……」
「……私たち、もしかしなくてもやっちゃったかな?」
冷や汗をダラダラと流しながら二人でコソコソと話していると、ゼロが一歩を踏み出した。その一歩は巨人のものかと言わんばかりに重く、二人はひっと恐れるように声を出した。ケーキを食べられたくらいで怒るな、お姉ちゃんなら我慢しろと普通の家庭なら言われる言葉だろう。しかし残念かな、普通の姉妹ではないんだこの子たちは。
一歩ずつ踏み出してくるゼロに命の危険を感じた二人の行動は早かった。フォウが即座に魔法を発動させ転移、トウもそれに引っ付く形で家から姿を消した。消えた二人を見てゼロは憤怒に身を燃やすように一言ボソっと呟く。
「逃がすか」
そこから地獄の鬼ごっこが幕を開けた。
「何あれ、ゼロ姉さま物凄く怖いんだけど!?」
「兄ちゃんは学校だしどうしよう……ワン姉ちゃんは!?」
「ワン姉さまはお料理教室に行ってるから無理!」
「そんなぁ……」
日本の遥か上空、気温が下がり切るほどの高度にトウとフォウの姿があった。フォウが召喚した空を駆ける船に乗り、とりあえずゼロから逃げてほとぼりが冷めるまでここに居ようという魂胆だ。しかし、そんな彼女たちをゼロは逃がしはしない。
何かの羽ばたく音が聞こえる、嫌な予感を感じた二人が視線を向けると……そこにはミハイルに跨り追いかけてくるゼロの姿があった。
「いやああああああああああっ!?」
「悪魔ああああああああああ!!」
お互いに抱きしめ合って好き勝手言う。どうやらよっぽどゼロの形相がヤバかったようだ。
『ねえゼロ、やっぱり話し合うことって大切だと思うんだよボクは。姉妹なんでしょ?』
「うるさい、こいつらはやってはならないことをしたんだ。良く言うだろ? 食べ物の恨みは恐ろしいって」
獰猛そうな笑みを浮かべたゼロは二人を視界に収めて声を荒げる。
「君たち、よくもこんな寒い場所に逃げてくれたな!? おかげで凍死するかと思ったぞ!?」
「それはゼロ姉さまがいけないんでしょう!?」
「そうだよ! そんな薄着してるから寒い……くしゅん!」
「トウ姉さまは人のこと言えないからね!?」
どうやらまだまだ余裕はあるようだ。
ゼロは剣を構えてミハイルの背に立つ。どうやらこのまま乗り込んでくる勢いだ。
「内臓引き摺り出してのた打ち回らせてやるから覚悟しとけ!!」
あかん、これはほんまにやられる――トウとフォウの心が一致した瞬間だった。
やらないとやられる、フォウとトウも構えた。そしてフォウがトウに暫く時間を稼いでほしいと言った。
「了解!」
「任せたよトウ姉さま!」
フォウは跳躍して船のマストを登っていく。ゼロはフォウの背中を見送ったが残っていたトウに斬りかかった。大きな音を立ててぶつかり合う剣と剣、トウは迫り来るゼロの形相にやっぱり怖いと感じながらも力の限り腕を振り抜いた。
ブオンッと大きな音を響かせてゼロの体が吹き飛ぶ。姉妹の中でも強靭な筋力を持つトウだからこそできることだ。空に投げ出されたゼロの体をミハイルが背で受け止めた。
「馬鹿力が……?」
そこでゼロは頭上を見上げた。
そうして響き渡るのはフォウの歌声、その歌に呼応するように船を魔法陣が取り囲む。
「魅せたもうれ、魅せたもうれ」
「第四の歌、古ノ絶盾」
「現人に許されし力、主を護る最強の城」
「汚されし汝の贖罪を、虚空に刻み込まん」
――船が姿を変える
「防御ろ、アルマロス! ってもうどうでもいいからとにかく私たちをゼロ姉さまから守って!!」
姿を変えた船は巨大な城へと姿を変えた。このアルマロスは本当に城にしか見えないがフォウの使役する魔獣である……二度目になるが城にしか見えないが魔獣である。
「何が魔獣だよ……これじゃあ城じゃないか。でもいいだろう、こんなもので遮られるってんなら遮ってみせろ! トウ! フォウ!!」
『……ボクたちは一体何をやっているんだろう』
こうして人知れず日本の遥か上空で、ゼロの駆るミハイルとフォウが召喚したアルマロスによる空中戦が幕を開けるのだった。
「……悪かったよ。姉妹喧嘩にしては本気になりすぎた」
喧嘩って規模じゃないよねあれは……。家に帰ると珍しくワンが怒っていて、ゼロとトウにフォウが土下座してたんだもんなあれはビックリした。
イチゴ大福の時も似たようなものだったけど、あの時はもう少し被害が軽かったから良かった。そんな経験があったからゼロがファイブに手を出さなかったことに感動していたんだ。人間、成長するんだと実感したよ。
「六花、少し私を馬鹿にしすぎだろ」
「あ、声が漏れてた?」
「顔を見れば分かる」
「それは失礼」
「……ったく」
ゼロはそっぽを向いてお菓子に手を伸ばして食べ始めた。
「でもそんな騒ぎだったのによく収まったよな」
「二人を炙り出すためにゼロが頭を打った振りをして記憶喪失を装い、それを本気にしたトウとフォウが泣いてしまったんです」
「……えぇ」
喧嘩はするけど、基本的にみんなゼロのことが大好きだからなぁ……もしかしてそれを利用するなんていうことを。つーっとゼロに視線を向けると気まずそうに顔を逸らしていく。うん、確信犯だわ。
「さ、さ~て私は部屋に戻ろうかな。それじゃあな二人とも」
逃げるようにゼロはリビングを出て行った。
「あれでも私たちの姉ですから。頼りにしている部分はあるんですけどね」
「……だな」
ワンの言う通り、何だかんだみんなゼロのことは頼りにしている。ぶっきらぼうな部分はあるけど、本当に根は優しいから。
「そう言えば兄様、転校生が来たとお聞きしましたが」
「あぁ」
藍華にでも聞いたのだろうか、ワンに言われ俺は頷いた。
最近うちのクラスに転校生が現れた。名前はアーシア・アルジェントと言ってとっても可愛い女の子である。最初は外国人ということもあってみんな緊張していたのだが、彼女の人柄が周りの人を惹き付けるのかすぐに人気者になった。更に驚いたことが日本語が驚くほどに上手で、兵藤と楽しそうに教室でも話をしていた。
「挨拶くらいしかしてないけど良い子だったよ」
「なるほど。藍華からも聞きましたけど珍しいくらいにお人好しでもあるそうですね」
あれはお人好しというか世間知らずな気もするけどな。けどどうして兵藤とあんなに仲が良いのかは分からなかった。本当に兵藤のことを信頼しているみたいで、まるで恋をしているような目だった。藍華はどういう繋がりなのか面白がっていたし、松田と元浜は前の彼女騒ぎの時と同じく血涙を流す勢いだったけど。
「安心しました。兄様に危害を加える者でないのなら安心です」
「心配しすぎじゃない?」
「そんなことはありません。もし兄様に何かあったらと思うと私は何をするか分かりません」
一番自制が利くであろうワンがこれだからな……でもここまで想ってもらえることは素直に嬉しい。リアス先輩たちは悪魔ではあるらしいけど、今のところ俺への接触はないしあまり考えすぎても仕方ないことか。
「……………」
ただ、アルジェントさんと話した時に聞いたあの言葉は一体何だったんだろうか。藍華が親友だからと俺をアルジェントさんに紹介したのだが、あの時彼女は一瞬驚いたように俺を見つめてボソッと呟いた言葉がある。
『……天使様?』
『へ? 六花が天使? ぷぷっ!』
『す、すみません私ったら変なことを言ってしまって!』
あの後ずっと笑っていた藍華は少し鬱陶しかったけど、なんだ? 俺って天使に見えるの? そんな可愛らしい顔してないぞ俺は……。結局笑い続ける藍華を軽く小突いてその話は有耶無耶になった。けど第一印象としてはアルジェントさんは本当に良い子だと思う。藍華も気に入ってたしクラスメイトである以上仲良くしていきたいものだ。
「さて、それでは私は夕飯の用意をしますね。今日は肉じゃがを作ろうかなと」
「お、いいじゃん肉じゃが。言う人が言うにはお嫁さんに一番作ってもらいたい料理らしいよ」
「お嫁さん……お嫁さん……はい! 精一杯作らせていただきます!」
俺も何か手伝おうかと提案したのだが、キッチンは私の戦場ですと追い出されてしまった。ああなったワンは頭が固いから何を言っても無駄だろう。俺は相変わらず咲き続ける白い花の元へ向かった。
「……いつも変わらないな。これからもずっと俺たちを見守ってくれよ」
そう問いかけると、一瞬花が光ったような気がしたが俺は気のせいかとその場から離れる。さてと、夕飯の用意をするワンを見守るとしますか。
家の中に消えて行った六花を一匹の蝙蝠が見つめていた。その蝙蝠は六花の後ろ姿を見届けどこかへと去って行ってしまう。……だが、何かを覗くということはまたそちらに覗かれていることも無いとは限らない。
蝙蝠が消えて行った先をゼロが、彼女の薄紅色の瞳が鋭く見つめていた。