『なんで……どうしてボクがこんな目に遭ってるの?』
目の前の白いドラゴンから今にも泣き出しそうな声が聞こえる。彼の名はミハイル、ゼロを支えるドラゴンでもあり俺にとっても大切な家族みたいなものだ。
そんな彼が今、目の前で二対の巨人に拘束され動きを封じられている。
「良い子だよエグリゴリ、そのままミハイルを抑えておいて」
『嫌だよ離して!! ゼロ! ボクを助けてよおおおお!!』
エグリゴリ、大きな二体の巨人はトウの使役する魔獣である。ドラゴンのミハイルより遥かに大きな体、そんな巨体に押さえ付けられてはミハイルと言えど動くことはできない。
ミハイルの叫びを聞いてもゼロは首を振るだけだった。
「ダメだ。ここまで放っておいた私も悪いけど、現状を打開するためにはやらなくちゃいけないんだよ」
ゼロの言葉を聞いてミハイルは絶望したように涙を流す。
心が痛い、すぐにトウに拘束を外すように言いたくなるほどだ。だが心を鬼にしろ、ここでやめてしまってはまた振り出しに戻るだけだ。
俺は妹たちを従えるようにミハイルの前に立つ。
『六花……助けて……お願いだから!』
「……許せミハイル。もう止まれないんだ」
『……あぁ……ああああっ!!』
一旦ミハイルに背を向け背後を向くと、得物を構えた妹たちが居る。
「ゼロ、やるぞ?」
「あぁ。いつでも準備は出来ている」
「ワン」
「兄様の指示さえあればいつでも」
「トウ」
「仕方ないけどやるしかないよね」
「スリイ」
「……めんどくさい。でも兄さんがやるなら是非もない」
「フォウ」
「私はいつでも兄様に従うよ。だから任せて兄様!」
「ファイブ」
「気は進みません……ですが、やるしかないでしょう」
……よし、みんな覚悟は出来たようだな。
俺もみんなと同じように得物を構え、そして大きく号令を掛けるように声を張った。
「みな、かかれい!!」
『いやだああああああああああっ!!』
俺の指示に従うように全員がミハイルに飛び掛かった。
さあ始めるとしようか――ミハイルの体を綺麗にするぞ!
「くっさ!! 私が言うのもあれだけど何でこんなになるまで臭いが酷くなるんだ!!」
『ボクは何もしてないよ! ただずっとそのままで居ただけだもん!』
そう、俺たちがやっているのはなんてことはない……ミハイルの体から発せられる臭いがあまりにもキツいので綺麗にしようと計画を立てたのだ。それにしてもこうやってブラシを持ってミハイルに近づいているわけだがしんどいぞ。スリイが通販で選んでくれたマスクが意味を成さないんだが……。
「臭い……臭い臭い臭い! もう帰りたい!!」
「フォウちゃん早すぎるよ! もう少し頑張って!!」
トウとフォウも涙目だ。
俺なんかより遥かに頑丈な体をしている彼女たちがこの有様なのだ。どれだけミハイルの臭いが凄いモノか想像するに難くない。
ゴシゴシと擦ると嫌な色の水が流れ、更に臭いが纏わりついてくる気がする。
『別にいいじゃんこんなことしなくても!! ボクは気にしないから!!』
「私たちが気にするんだ! 君の背中に乗った時思わずゲロ吐きそうになったんだぞ!?」
『吐いてもいいじゃん! ボクはゼロのゲロを被っても気にしないよ?』
「そこは気にしろ!!」
もう自棄になったのかゼロはミハイルの背中に飛び乗り汚れることも恐れずに磨いていく。
『あ、あははははっ! やめてそこ擽ったいよ!!』
「動くんじゃない!」
『あいたっ!?』
ゼロの渾身の拳がミハイルの頭に炸裂した。大人しくなったミハイルの体を俺たちは必死に擦っていく。
「兄様、無理はなさらずに」
「大丈夫だ。まだいける」
ワンが労わるように心配してくれるが、女性に任せて男の俺が先にリタイアは恰好が付かない。ゼロに続くように背中に飛び乗ったトウとフォウに勇ましさを感じつつ、俺は傍に居たファイブに声を掛けた。
「ファイブ、大丈夫か?」
「大丈夫です! まだわたくしはやれますわ!!」
……すんごい涙目なんだけど。
それにしても……俺は改めて妹たちを眺める。俺と妹たちはみんな清掃員のような恰好をしているが、俺はともかくとして絶世の美女と言っても過言ではない妹たちがみんなこんな格好をしているのはかなりレアだ。まあこの臭いが蔓延る空間に普段着る服で近寄りたくはないよな。
「……?」
ふと、黙々とミハイルの体を磨くスリイが目に入った。
周りを一切気にすることなく、ただ目の前のミハイルの体の一部を凝視しながら手を動かしている。俺は少しスリイを見て意外に思っていた。俺が居るからということで参加してくれたわけだが、すぐにめんどくさくなってやめると思っていたのだ。
よし、俺も頑張らないと! そう思って手の動きを再開させたのだが……俺はスリイの口元がモゴモゴと動いていることに気づいた。首を傾げながらも俺はスリイに近づいてみる。スリイは俺の接近に気づくことはなく、ずっと小さな声で喋り続けていた。
「人間と違う悪魔と堕天使の体は構造は似ているが魔力の巡りなどによって強靭となっている。しかし傷が出来れば血が流れるし内臓も傷を負えば人体に多大なるダメージを受ける。それは何回にも及ぶ実験で分かったことでもあるけど、ある意味で当然の結果でもあった。でも、もしも二つの体の強靭さを足した場合はどうなるのか。やはりと言うべきか拒絶反応は起きる。何度やっても適合することはない、分かりやすい反応を見るために意識を残したまま進めるけどやっぱり上手くいかない。上手くいかないし何よりうるさくて実験どころじゃない。でも私は閃いた。そうだ、結合させるのではなく混ぜ合わせるように融合させればいい。実験はある程度上手くいった。合成魔獣――キメラのような中途半端な結果となるが概ね成功とも言える。これを元にアルミサエルと融合させても素晴らしいデータが取れた。次は出来れば天使の体を使いたい、更に望めるならいくら体を傷つけてもすぐに再生する素体なら喜ばしい。どこかに居ないものか居たのなら必ず生け捕りにするそしてもっとデータを……あぁ、臭い」
……うん、あまり気にしないでおこう。
そう思ってスリイから視線を外そうとしたその時、スリイの体は力が抜けたようにふらっと揺れる。俺は思わずスリイの体を抱き留めた。
「兄さん……ごめん、無理」
スリイ、リタイア。
太陽の光が当たらない陰にスリイを横にして、俺は再び作業を再開させた。相変わらずミハイルはくすぐったいからと暴れているが、段々と臭いの方もある程度はマシになっていった。始めた当初は涙目だったみんなも余裕が出来たのか表情に明るさが戻る……これは臭いが薄まったのか、それとも単純に慣れたのかは分からないが、願わくば臭いが軽減されたことを祈ろう。
それから数時間後。
『わああああっ! なんだか生まれ変わった気分!!』
わ~いと楽しそうに空を飛ぶミハイルだった。あれからの激闘の末、ミハイルの体は見違えるほど綺麗になり臭いもなくなった。
「ミハイル! 結界の外に出るなよ!」
『分かってるよ~!』
あぁそうか……結界を張ってるからこうして空を飛んでても騒ぎにならないのか。いやそれは当然のことなんだけどさっきまでの戦いで頭がおかしくなってたのかもしれない。
「……あぁ……臭いが追いかけてくる」
俺の膝を枕にしているスリイは嫌な夢を見ているようだ。悪夢に魘されているような表情を見て俺はスリイの頭を優しく撫でた。暫くすると苦しそうな表情から一転して気持ちよさそうに寝息を立て始めた。
そんなスリイの様子に笑みを浮かべるとゼロが飲み物を持って近づいてきた。
「六花、今日はありがとう」
「どういたしまして。それにしても本当に大変だったな」
「あぁ……まさかここまでとは思わなかった」
背中合わせになるようにゼロが座り体重を掛けてくる。女性ということもあってやっぱり軽い、さっきまで鼻を摘まんでいないと耐えられないくらいの臭いを纏っていたゼロだが、今はもう綺麗にして花の香りが漂ってくる。
「どうした?」
「いや、いい匂いだなって」
こういうことを女性に言うのはあれかもしれないが、本当にいい香りがするんだよな。姉妹のみんながそれぞれどこか花のような香りを纏っている。目を瞑れば傍に香水が置かれていると言われても信じてしまう自信がある。
「自分では分からないけどな。ま、私の匂いくらい慣れているだろう? ベッドの上でいくらでも」
そう言って体勢を変えて俺に抱き着く形になる。
背後から腕を回されることで、ファイブほどではないにせよ抜群の柔らかさが背中に当てられた。ゼロは俺の肩に顎の乗せる形になるので、少し視線を横にずらせばゼロの顔がすぐ傍にある。
「……六花」
ゼロの顔が近づき、そして――。
「ゼロ姉さん」
あと少しでキスをするという時、寝ているはずのスリイの声が響いた。膝で寝ているはずのスリイが目をカッと見開き、近づいていたゼロの唇を人差し指で抑える。
「今兄さんに甘えているのは私、ゼロ姉さんはダメ」
「君がそんなことを言う権利はないと思うけど」
「ある。兄さんの一番は私だから」
「……へぇ?」
その瞬間、空気が軋んだ気がする。
睨み合うゼロとスリイに間に挟まれていることで寿命が縮みそうだ。だけど、そんな俺を助けてくれる女神が現れた。
「あ、ゼロ姉ちゃんとスリイちゃんが兄ちゃんに甘えてる! 私も交ぜて!!」
どーんとトウが抱き着いて来た。
「やっぱり兄ちゃんは温かいなぁ。そう思うよね? ゼロ姉ちゃんにスリイちゃんも」
無邪気な笑顔に思わず二人は毒気を抜かれたのか頷く。トウの登場で二人の間に流れていた不穏な空気は鳴りを潜めた。それから残りの妹たちも合流してのんびりとした時間が過ぎていく。そんな中、スマホが着信を知らせるように震える。
表示された名前を見て俺は珍しいなと思った。
「もしもし――アコールさん?」
『もしもし六花君。元気にしていますか?』
電話をしてきたのはアコールさん、外国にいる父さんと母さんの仕事を手伝ってくれている人だ。よく家に来てくれたこともあるため、俺を含め妹たちもアコールさんとは顔見知りになる。
「元気だよ。いきなりでびっくりしました」
『申し訳ありません。こちらの用がいち段落したので少し声を聞きたいなと思いまして』
両親がどんなことをしているのか詳しくは知らないけど、よくアコールさんは付き合ってくれるなと感謝している。
『本日電話をしたのは声を聞きたいなと思ったこともそうですが、六花君――体の調子はどうですか?』
「体の調子ですか? 特に何もないですけど」
『そうですか。それなら良かったです。妹たちに関してはどうでしょうか、何か悪夢に魘されたりはありませんか?』
えらくピンポイントに聞いてくるな……。
でもそれならあるか、俺はトウの身にあったことを伝える。
『なるほど……』
そこで黙り込んだアコールさんだが、すぐに明るい声で言葉を続けた。
『傍に六花君が居るなら大丈夫でしょう。お兄ちゃんとして、しっかり妹たちを見てあげてください』
「それはもちろんですけど、何か気になることでも?」
『いえ、実はこちらで占いに詳しい方が居られましてね。その方が知り合いの誰かが悪夢をみているかもしれないとそんな占いの結果を出したんです。それで気になったのですよ』
「へぇそんなことが」
『はい。ですから気にしないでください。……あ、はい! 今戻ります! それでは六花君、また電話しますね?』
「あ、分かりました。父さんたちにもよろしく伝えてください」
『承知しました。それでは失礼します』
その言葉を最後に電話は切れた。
「アコールから?」
「あぁ。体調はどうかって」
「ふ~ん」
ゼロは興味を失くしたのかそれ以上は聞いてこなかった。
かくして今週の日曜日はこれで終わることになる……そして、俺は次の日に学校に行った時異常事態とも言える場面に直面するのだった。
「いや本当に居たんだよ夕麻ちゃんは! ほら! スマホにも……あれ?」
「なあイッセー、妄想の中で彼女を作るのは勝手だけどよぉ」
「そうだぜ? 現実を受け入れろって」
「違うんだよ! 確かに居たはずなんだ!!」
学校で兵藤が彼女が居たことを再び口にしているが、クラスの誰もがそれを信じなかった。それは松田と元浜も同じで、兵藤の言葉を妄想としか信じていない。
「……どういうことだ?」
確かに学校で兵藤はスマホに撮影されていた写真を披露していた。その時はみんなが信じたし、何より俺は土曜日に兵藤が女の子と出掛けていたことを知っている……おかしい。それが嘘だったとかそんな反応ではなく、本当にみんな最初から兵藤に彼女は居なかったという反応だ。
「兵藤に彼女って……ねぇ?」
傍に来た藍華も信じていない様子だ。
……これは何かが起きている、俺はそうとしか思えなかったが、何となく厄介ごとの匂いがするので首を突っ込むことはやめておく。俺だけが知っていて他のみんなが忘れている、それを異常と言わずして何と言うのか、とりあえず何も起きないといいんだけどな。
本格的に絡むのはエクスカリバー編と言いましたけど、その時に姉妹の誰かが少し辛い目に遭うことになるのかなと。そこがたぶん一番最初の山場ですね。
DDの方のストーリーを知られている方はあ……ってたぶん勘付くと思いますけど、とある姉妹の子と凄く噛み合わせがいいイベントなんですよね。