エフイーターが龍門裏社会のファイトクラブに潜入捜査する話   作:オリスケ

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第10話

 

 ロドスが感染者との激闘を繰り広げている、同時刻。

 戦場と化したクラブ・サボンの裏闘技場があるビルの一角の、更に上。明かりの抑えられた廊下を、ベゼスタが歩いていた。普段は糊を利かせて着こなしている仕立てのいいスーツは土で汚れ、左肩はアーミヤのアーツを受けて焦げ付いている。

 

 

「ヘリの準備は?」

「既に離陸準備を完了しています。怪我の治療は――」

「不要だ。この程度は名誉の負傷だよ」

 

 

 鼻をかんだハンカチには、真っ赤な血が滲む。何があっても快活な笑顔を絶やさなかった筈のベゼスタの鼻は折れて赤く晴れ、額には青筋が浮かび、鬼の如き形相を呈している。

 

 

「ロドス……ロドス・アイランド。実に強く、良い動きをしていたね。嫌いではないが、計画を邪魔し私の機嫌を損ねた事は失策だったな」

 

 

 怒りを隠そうともしない、一歩ごとに地鳴りの起こりそうな足取りを続けながら、ベゼスタの頭の中では既にロドスという組織を潰す算段を付けていた。

 

 

「私の経済力と影響力の前では、新参者の製薬会社一つを解体するなど造作もない事なのだよ。せいぜい、相手が悪かったと思い知り、枕を濡らして泣くがいいさ」

 

 

 今の社会は資本主義だ。金にできない事はなく、その基準においてベゼスタは最強に等しい。

 買収も合併も簡単だ。銀行に口利きし融資を止めてやれば、企業は窒息したも同然になる。難癖を付けて裁判に持ち込んでもいい。金さえあれば勝訴も、どんな金額の賠償だって思いのままだ。

 そうしてロドスを潰した後に、失意のエフイーターを買い付けてやろう。再び居場所を失った没落女優を、一束いくらの奴隷と同じように扱い、媚びた笑顔で靴を舐めるしかできなくなるまで調教する。趣味ではないが、それはそれで心の躍る光景に思えた。その手の届く距離にある卑劣な妄想が、計画が頓挫し敗走したという自分の現状を和らげてくれる。

 

 

「今に見ていろロドス。エフイーターくん。強者に楯突いた罪に、高い授業料を支払わせてやる」

 

 

 ベゼスタは廊下の突き当たりを抜けてビルの外、クラブ・サボン専用のヘリポートに出る。

 既に夜遅く、上空には星が瞬いている。吹き荒ぶビル風は冷たく荒々しく、それが戦いで火照った身体に身震いさせる。ベゼスタは隆とした胸一杯に空気を吸い込み――違和感に気付く。

 

 

「……なぜヘリが動いていない?」

 

 

 返事はない。代わりに夜空に響くのは、しゃんっという鮮やかな金属音。

 ベゼスタが振り返れば、そこには意識を失って倒れ伏す彼の部下と、彼等の代わりに立つ一人の剣士がいた。赤く燃える刀身を腰に佩いた鞘に納刀し、目の覚めるような音を立てる。

 

 

「お初にお目にかかる、ベゼスタ」

 

 

 聞く人間に否応なしに背筋を伸ばさせるような、厳格な気質がありありと見える声色で、少女が声を紡ぐ。

 しかし少女の格好は変わっていた。言ってしまえば、とてつもなく変だった。

 美しいだろうと推察できる彼女の顔面は、面妖なもので覆われていた。

 肌色が見えるのは目と唇のみ。それ以外を包む赤色のレザー生地には、けばけばしい金色の刺繍が掘られている。

 いわゆる、プロレスマスクと呼ばれるそれ。

 生真面目な警官服に赤いプロレスマスクという、出来損ないのハロウィンのような格好をした少女は、目出し帽のようにぽっかり空いた目と口を動かし、言う。

 

 

「クラブの新入り拳闘士、マスク・ド・ドラゴン。僭越ながら一戦手合わせ願いたい」

「……なんだ、そのふざけた格好は?」

 

 

 少女の申し出を、ベゼスタは鼻で笑って棄却した。

 

 

「それで身を隠したつもりか? 馬鹿馬鹿しい、ここは龍門市警の出る幕じゃないぞ」

「これまではそうだった。だがお前はいささかやりすぎた。此度の一連の事件は、龍門の目に余る……いい加減、灸を据えさせてもらおう」

 

 

 ベゼスタの巨躯を前にして尚、少女は冷然と言い放つ。

 ギリと歯を鳴らしたベゼスタが、固く握りしめた拳を振り上げた。

 

 

「ッ貴様ら龍門に指図を受けるほど、私は弱くな――」

 

 

 

 

 

 

 吠え立てる文句が、轟音に掻き消される。

 横合いから差し込まれた拳が、ベゼスタの頬を強烈に打ち抜いていた。

 それは比喩でもなく爆発のような衝撃だった。ベゼスタはビルの屋上を何度も跳ね飛び、倒れ伏す。

 

 

「っ……ご、あ……!?」

 

 

 地面を擦りながらようよう立ち上がったベゼスタは、声にならない呻き声をあげる。真っ赤になった頬がベゼスタの広い顔を更に大きく膨れさせ、コンクリートに砕けた奥歯の破片がパラパラと落ちる。

 一撃のありえない重さに愕然とするベゼスタの背後に、彼女は立ちふさがった。

 月を背景に浮かび上がる、すらりと長い、二メートル近い上背。

 ビル風に吹かれて靡く長髪は、翡翠のような濃い緑。髪をかき分けて額から突き出た一本の捻れた角。

 そしてその顔は――これまたギラギラと悪趣味な、緑色のプロレスマスクで覆われている。

 

 

「マスク・ド・オーガ、推参」

 

 

 ごきり、ごきり、と指の骨を鳴らしながら、冗談みたいなプロレスマスクの戦士は言った。

 

 

「ベゼスタ殿は相当な力自慢と伺っている――前々から、ぜひとも手合わせ願いたいと思っていた所だ」

「ッぬ、うううううん!」

 

 

 立ち上がりざま、ベゼスタが拳を振り抜く。

 しかし彼女は、キャッチボールのような気軽さでベゼスタの拳を掌で受け止めた。

 万力のような力が拳を包む。押し込む事も引くことも敵わない。苦し紛れに放ったベゼスタのもう片方の拳もあっけなく掴まれた。

 両腕を掴まれ、互いの腕を組み合わせていがみ合う。

 さながら鍔迫り合いのようなそれは、しかしそう表現するには余りに――余りに圧倒的で。

 歯を食い縛り顔を真っ赤にしたベゼスタに対し、女性は涼風を浴びるかのごとく、どこまでも飄々としたまま。

 見た目にはしなやかな女性にしか見えない腕が、メリメリと凄まじい力でベゼスタの巨腕を捻っていく。

 

 

「お、おぉぉぉ……!?」

「おや。喧嘩が得意と聞いたのですが、そちらのシマではこの程度で呻き声を漏らすので?」

「ま、待て。待て待て! 私が誰か分かっているのか!? 騒ぎを起こせばタダでは済まな――っへぶぅ!?」

 

 

 戯言を漏らすベゼスタの鼻っ面に、オーガの頭突きが炸裂した。すでにエフイーターに折られていた鼻が更に砕け、蛇口を捻ったような勢いで鼻血が噴出する。

 

 

「っが、お、おごぉぉ……!?」

「安心しろベゼスタ。我々は心得ている。お前に手を出せばただでは済まないこと。一方で、クラブ・サボンで起きた出来事は他言無用なこと」

 

 

 赤いプロレスマスクの少女が、屋上の貯水タンクの上に腰掛けて言う。

 

 

「だから、そう。これは慈善事業だとも。お前の膨れあがった野蛮な闘争心を発散させてやろうというんだ。あくまで純粋な親切心でな」

「な、な、なななな……!?」

 

 

 もはや及び腰になったベゼスタの前に、鬼が立ちはだかる。

 

 

「ご安心ください。命は決して取りません。これはあくまで何の他意もない、貴方の大好きなレセプション(喧嘩)ですとも」

 

 

 月夜を背景に暗い影を落としたプロレスマスクの鬼は、怯える巨漢の大富豪に向けて、ふっとにこやかな笑みを落として見せた。

 

 

「さ、夜はまだまだ長いですよ。思う存分喧嘩しましょう。嫌になるほど……向こう十年は思い出したくもない位に、嫌になるほどね」

 

 

 

 

 

 

 その日龍門郊外に、細く長い甲高い声が響き渡った。

 どんなに雄々しきライオンもしょせん猫科の生き物であることを示すその悲鳴は、幸か不幸か龍門の夜空に高く広がりながらも、誰の耳にも届くことはなかった。

 

 

 

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