エフイーターが龍門裏社会のファイトクラブに潜入捜査する話   作:オリスケ

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第4話

 会場に赴くと、大歓声が待っていた。ステージを円形に囲むように作られた観客席は、三六〇度どこを見ても満席だ。派手な入場曲と共に登場したエフイーターは、ステージをぐるりと見回して、元気いっぱいに客席に手を振り、近づいてきたカメラにキメポーズを取る。

 自分の顔が綺麗に映るアングルまで把握した上の、魅力を一〇〇%引き出せるポーズだ。潜入任務だしこの辺は適当でもいいのだが、元映画俳優としてのプライドが許さない。それに、テレビの向こうでドクターやアーミヤが見ていると思うと考えると、とびきりの笑顔を送りたいという気持ちが湧くのは自然の事だ。

 そんな風にたっぷりのファンサービスを送りながら、エフイーターがリングに入場する。

 リングには既に今回の対戦相手であるサルカズが立っていた。実戦を経験したが故の、無駄なく細く引き締まった身体。奮い立つ闘志を示すように、黒く細長い尻尾がせわしなく揺れている。爛々とした目は瞳孔が狭く、ボルテージを引き上げるために薬物を使用したらしい事が窺えた。

 実力、知名度、経験人数ともに上位。クラブ・サボンでも実力派の悪役(ヒール)だ。彼はエフイーターを見るや否や、長い舌を突き出し、中指を立てて挑発する。

 

 

「よぉルーキー! 存分にカメラに笑顔を見せとけよ、その綺麗な顔は、今日このリングの上で、俺にずたずたにされてオサラバするんだからな!」

 

 

 サルカズの下素な挑発に、観客の歓声が呼応する。

 エフイーターはそれに肩を竦める。サルカズに背を向け、彼ではなく会場の観客に向けて言う。

 

 

「会場のみんな、ツイートの準備をよろしく! とびきり笑顔のアタシとべっこべこに凹んだアイツの顔のツーショットを、ネットの海に一生残してやるからなー!」

 

 

 サルカズ以上の歓声がエフイーターに帰ってくる。振り返ればサルカズは、挑発を無視された怒りと、観客まで巻き込んだパフォーマンスで返された羞恥でプルプル震えている。

 

 

「上等だ……そんなにメディアが好きかよクソパンダ。だったらテメエのその柔らけえ腹に、デカデカと*龍門スラング*って刻んでやる」

「うっっっっわぁ……棄権していい? アンタみたいな人、不快すぎて殴りたくもないんだけど」

 

 

 残念ながら、その願いは叶わない。駆動音がして、頭上から金網が降りて、閉じ込められる。金網の中にはエフイーターと、血の気に餓えたサルカズ二人きり。

 

 

「シシシッ。俺の足を舐めて許しを請えば棄権してもいいぜ、メスパンダぁ!」

「黙ってなよ、すぐにアタシの拳を咥えさせてやるからさぁ!」

 

 

 リングの対面で二人の拳闘志が向かい合う。歓声とリズムもバラバラな手拍子がリングを埋め尽くす。

 極限まで高められたボルテージは、甲高いゴングの音によって爆発する。

 

 

「シャアアアア!」

「イーーーヤァァ!」

 

 

 獣のような咆哮。凜とした掛け声。数千の観客の歓声が重なる轟音。今宵の命懸けの戦いが始まる。

 

 

 番組として放映する都合か、クラブ・サボンの戦いはプロレス式が採用されている。

 拳闘志には大きく分けて、善人(ヒーロー)と悪役(ヒール)に属するキャラクターが振り分けられる。マイクパフォーマンスで相手や会場を挑発し、盛り上げ、それから戦う。

 あるのはその役割だけで、台本や予定調和はない。どちらが勝つかは、本気の戦いだけが決める。

 これがプロレスの場合は、パフォーマンスを重視するため時に攻撃を敢えて受けたり、危険な道具を用いたりする。

 クラブ・サボンにおいてその必要はない。

 敢えて危険にする必要なんて、微塵もないからだ。

 

「ヒャア!」

「ッ――!?」

 

 

 鋭く震われた横薙ぎのパンチを、上体を逸らして避ける。ヴンッと空気の薙ぐ音がして、眼球のすぐ傍を固い拳が抜けていく。

 早く振り絞られたコンパクトな一撃。引いたら追撃を喰らう。一瞬でそう断じたエフイーターが、上体を逸らした格好から放てる攻撃――大振りの蹴り上げをサルカズの顎に仕掛ける。

 鮮やかな曲線を描くキックを、サルカズは横っ飛びで回避。にやりと笑った彼が駆け寄り、仕返しとばかりに足を大きく振りかぶる。

 一本残った足、もしくはバランスを崩して倒れた顔面を狙う、サッカーボールキック。当然ながらあらゆる格闘技において反則技だ。同時にクラブ・サボンにおいて、もっとも観客が盛り上がる技でもある。

 立ち止まっても、無理に避けようとして姿勢を崩しても無事ではすまない。

 だからエフイーターは、そのまま上体を仰け反らせ、地面に手を着いた。

 ダンッとリングを鳴らし、大きく鮮やかなバック宙。サルカズの蹴りが空を切る。

 いきなりの曲芸に、観客が驚き、次の瞬間興奮の歓声を上げる。エフイーターはコーナー端までバック宙で後退し、得意気な笑みをカメラに収める。

 姿勢を低く屈めたサルカズが、歯の隙間からシュウ、と蛇の威嚇に似た音を立てた。

 

 

「こんな時までパフォーマンスか、余裕じゃねえかよ」

「なに、もうアタシを煽る余裕まで無くしちゃった?」

「コッチはとっくに、テメエをいたぶるモードに切り替えてんだよ!」

 

 

 サルカズの額にビキと青あざが浮き、突進をしかけてくる。

 弾丸のようなアッパーを避け、今度はエフイーターが仕掛けた。至近距離にあるサルカズの顎目がけ、肘を繰り出す。

 拳よりも早く固い一撃。サルカズはその軌道を捉え、腕で受けようとする。しかしその判断は誤りだ。

 骨と骨が打ち合う直前に、エフイーターの肘がビタリと止まった。予想外の動きに、サルカズが一瞬目を丸くする。

 その硬直した一瞬に、エフイーターは固めた腕をほどき、狙おうとした反対の頸に鋭いチョップを放った。頸動脈を打つ確かな手応え。サルカズが呻いて仰け反り、歓声が上がる。

 先手を打ち込んだエフイーターは、功夫の構えで息を吐き、指先を曲げて挑発する。

 

 

「棄権したくなったらいつでも言ってよ。アタシは弱い奴をいたぶる趣味はないからね」

「っの、メス豚がぁ!」

「ウルサスだっつーの」

 

 

 再び飛びかかってきた獣のようなサルカズを、全く動じずにエフイーターが迎え撃つ。

 クラブ・サボンの戦闘は、基本的に短い。防具も無しに放たれる拳や蹴りは凶器そのもので、一撃受ければ容易く優位を取られ、打ち所が悪ければそれで死ぬ事さえある。

 そして、一度優位を取られればそこでお終いなのだ。動きを止めれば、馬乗りに飛びかかられ、四肢を封じられる。そこからはもう戦いではなく、一方的なリンチだ。相手の気の済むまで、固く握った拳を顔面に打ち込まれる事になる。クラブ・サボンの"事故"のほとんどが、このリンチに歯止めが無いことが原因だった。

 決着が付いたにも関わらず続く、一方的な暴力。肉を穿つ拳に、リングに舞い散る血飛沫。

 何の冗談か格闘ゲームから引っ張って「フェイタリティ」なんて呼ばれる時間は――最悪な事に、観客の大半が最も待ち望んでいるものだった。

 

「ッ――シャラアアアァ!」

 

 

 一際甲高い声を上げて、サルカズが腕を振るった。

 横向きの雑な大振り。腕で受けて鼻を狙える――その判断に、一瞬、強烈な後悔の念が走る。

 その理由に思い至る前に、サルカズの腕がエフイーターの腕を打つ。

 

 

「ッいっづ!?」

 

 

 瞬間、火で炙られるような痛みが腕に走った。

 腹を蹴飛ばしてサルカズを遠ざけ腕に視線をやれば――彼女の腕には真っ赤な一文字線が走り、肌に浮いた汗に鮮血を滲ませていた。

 愕然として見れば、サルカズの腕は、黒い金属質な結晶がまばらな鱗のように付着していた。彼の周囲には、腕の金属と同じ色の黒々とした奔流が起こっていた。

 アーツ奔流。それも洗練されている。ルール無用のクラブ・サボンにおいてはもちろんその使用は制限されていない。

 アーツ片がまばらに浮いたサルカズの腕は、さながら釘バットか、目の粗い鋸か。エフイーターの血の滴る腕を翳すと、観客がにわかに色めき立つ。

 

 

「奴等が求めるモンが何か分かるだろう――さて、どこから挽肉にされたい?」

「ッほんっと、趣味悪いねアンタ!」

 

 

 明らかに喜色めいたサルカズが、残酷な腕を構えて近づく。鉱石の浮いた腕は刃物と何も変わらず、窄んだ瞳孔にはエフイーターの柔らかな肉を割く感触を夢想した喜悦に滲んでいる。

 案外天職かもな、なんて言ったドクターの言葉を思い出し、エフイーターは鼻で笑った。

 ドクターの言葉は的外れではない。最初は彼女も、暴れられて人気になれて、自分に合っていると思っていた。

 しかし戦いを重ねる毎に、それ以上の不快感が積もっていく。自分に向けられる薄暗い欲望が鼻に付く。

 最初は無視すればいいと思っていた。負けずに屈しなければ上手くやれるとも思えた。しかしやはりそれも誤りだ。無敗のまま勝ち続けるエフイーターの対戦相手はますます強く、容赦がなくなっていく。

 三回前からは、明らかに負け=死になる相手が現れた。今回はいよいよ凶悪なアーツまで使ってくる。

 みんな闘争を求めている。格好良くてかわいくて愛嬌たっぷりなエフイーターちゃんが、強い男に組み伏され無惨に壊れていくのが見たいのだ。

 それは端的に言って――*龍門スラング*って感じだ。

 

 

「さあ大好きな観客にファンサービスしてやれよ、血を見せろやクソアマァ!」

 

 

 サルカズが吠え立て、アーツ鉱の浮いた腕を振り上げる。

 その鼻っ面で、ぱぁんと乾いた音が爆ぜた。

 仰け反ったサルカズは蹈鞴を踏む。その鼻は歪に曲がり、だらだらと鼻血を溢し始めていた。

 彼は何が起こったか分からず、目を丸くする。

 いや、何をされたかは明白だ。

 殴られたのだ。見えないほど早い拳によって。

 

 

「……熱く昂ぶれるようなステゴロだったら、まだやる気だって出るのにさ」

 

 

 エフイーターの雰囲気は一変していた。

 構えが明らかに違う。これまでのラフで派手な、見栄えの良さを意識して敢えて崩した構えではない。ただただ愚直で効率性を極めた、一縷の隙もない、極地にほど近い功夫。

 そこに笑顔はもうなく、細められた目は氷のように冷たく透き通っていた。

 見据えるのはカメラではなく、倒すべき相手の打ち所と、その先に待つ勝利のみ。

 肌を振るわせる大歓声さえ遠のくほどの本気の戦慄が、サルカズを包む。

 

 

「もういーや。こんなに欲望剥き出しの膳立てされちゃ、こっちだって愛想尽かすっつーの。ごっこ遊びをやる価値すらないのなら、さっさと終わらせるに限る」

「ッ――お、r――」

 

 

 緊張に耐えかねたサルカズが勢いのままに一歩踏み出そうとした。その掛け声さえ出すことは叶わない。

 

 

「ハイーヤッ!」

 

 

 繰り出されたエフイーターの拳が、サルカズの鼻を再び穿っていた。銃声のようにさえ聞こえる破裂音が鳴り、サルカズの頭を後方に飛ばす。

 サルカズは、彼女がいつ間合いを詰めたのかさえ分からない。まるで瞬間移動だ。極限まで研ぎ澄まされた功夫の動きは、アーツによる暴力に頼り切っていた男の脳の処理容量を越えていた。

 

 

「っの――」

 

 

 身を起こし様に振るおうとした腕。その無防備な肩に拳が打たれる。

 音は軽いのに、骨まで響く凄まじい衝撃。呻く顔面にまた拳。逃げようとほんの少し身動ぎすれば、それすら読み切った次の拳が脇腹を強かに打つ。

 

 

「ハッ、ハイ! ヤ、ハァッ!」

 

 

 呼気と動きを完全に融合させた発頸。それを立て続けに、雨のように降り注がせ、エフイーターの拳がサルカズを滅多打ちにする。

 アーツの浮いた腕は振るう隙さえなく、宙を浮いてばかり。サルカズは抵抗できず仰け反る他にない。

 ガシャンという音が鳴り、冷たい金網の感触を背中に感じるまで、サルカズは自分がリング際に追いやられている事に全く気付けなかった。そしてそれが、勝負を終わらせる決定的な隙になる。

 

 

「な――」

「イーーーーーーヤァァァァッ!!」

 

 

 最後まで何が起きているか分からない、その目を丸くしたサルカズの顔面に、エフイーターのトドメの正拳突きが突き刺さった。

 全身を振り絞り完璧に気を乗せた渾身の正拳突きは、男の顔面ど真ん中を深々と抉り、金網にめり込ませる。

 一撃が産んだ衝撃は箱形の巨大な金網全体に伝播し、ズズゥン――と地鳴りのような振動を産む。

 千人以上が集まる暴力塗れのクラブ・サボンに、本来有り得ないはずの静寂が広がる。うっかり映画のチャプターを飛ばしてしまったような、目の前の光景が急に切り替わり、理解できなくなったが故の困惑に包まれる。

 しかし、事実として勝負は終わりだった。顔面を深々と抉っていたエフイーターの拳が解かれる。

 しんと静まり返った観衆の前で、金網に背中をめり込ませていたサルカズの身体が、ずるりと落ちてリングに倒れる。

 数秒、沈黙。

 会場のどこかで、いち早く放心から戻ってきた観客が声を漏らす。

 

 

 ――ぉ――おおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉ!!

 

 

 次の瞬間巻き起こる、まさしく目の覚めるような大歓声。

 

 

『き、き、決まったーーーー!? アーツを解放したグラスクラッシュがものの数秒でダウン!? なんだ今のラッシュは!? なんの魔法を使ったんだカンフー・パンダ!?』

 

 

 ようやく自分の職分を思い出した実況がそう叫ぶ。観客は拳を突き出し、彼女のためのコールを大声で謳う。

 

 

(はー終わった終わった、今日は一際ヤな奴だったな。早いとこレユニオンのディープ・ドープって奴を見つけてロドスに戻りたいや)

 

 

 頭の後ろで手を組んで、大歓声で誰にも聞こえない独り言を呟きながら、金網が上がるのを待つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おろ?」

 

 

 やがて彼女は、異常に気付いた。

 いつまで経っても金網が上がらない。既にゴングは鳴り、勝負は誰が見ても分かるほど完全に決着がついている。普通は金網が上がり次第レフェリーが駆け付け、敗者の搬送をし、場合によって勝者のインタビュータイムに入る。それなのにエフイーターは、まだリングの中に閉じ込められたままだ。

 

 

「どしたの? ねえ、早く出してよー」

 

 

 気取らない調子で声を挙げるも、それに応える人はいない。

 リング周りに付いていたスタッフは、皆唖然としてリングを見つめている。

 おぉ――という、観客のどよめき。

 不安と困惑が交じったような空気にエフイーターは振り返り、眼前の光景に、驚愕の声を上げた。

 

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