エフイーターが龍門裏社会のファイトクラブに潜入捜査する話   作:オリスケ

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第5話

 おぉ――という観客のどよめきに、意識を現実に引き戻される。

 不安と困惑が交じったような空気に、エフイーターは振り返り、眼前の光景に驚愕の声を上げた。

 

 

「な……?」

 

 

 リングに倒れていたサルカズが動いていた。彼はエフイーターの目の前で、操り人形が糸を引っ張られるような不気味な挙動で、上体を持ち上げている。

 

 

「オイオイ……やめなよ、寝ときなって。アタシはもうやり合う気分じゃないんだよ」

 

 

 エフイーターの乾いた笑み。その唇の端が無意識に引きつる。彼女の理性的な部分が、激しく警戒信号を鳴らす。

 持ちうる技を活かした渾身の突きを顔面に見舞ったのだ。確実に意識を奪った。エフイーターはその感触を絶対に間違えない。だからこそ、目の前で起きているのは明らかな異常事態だった。全身をガクガクと痙攣させながら立ち上がるサルカズの様子は、到底マトモとは思えない。

 

 

「ォ――ォ、ァ、アガアアアアアアアアアア!!」

 

 

 身構えるエフイーターの前で、サルカズは白目を剥いたまま、牙を剥き出しに吼えた。

 予期せぬリベンジマッチの予感に色めき立った観衆の期待は、すぐにそれ以上の恐怖に塗り潰される事になる。

 次の瞬間、彼の身体から放たれる、想像を絶する勢いの、洪水とでも表現するべき黒いアーツ奔流。

 先ほど腕に鱗のように纏わせていた黒い鉱石は肥大化し、彼の皮膚を裂き肉を抉り、本来の肉体の形すら変貌させ、矢鱈目鱈に突き出てくる。アーツ奔流は彼の周囲の宙空にも結晶を発生させ、残忍な棘を持つ大小様々な鉱石がリングを漂いだす。

 

 

「これはアーツ? 嘘だろ、自分で操るアーツで、自分までぶっ壊すなんて……!」

「ガアア、アァ、ガギャアアアアア!」

 

 

 サルカズはひっきりなしに絶叫を続けている。

 そもそもの話、エフイーターの渾身の一撃を与えた以上、気絶してなければおかしいのだ。既に正気ではなく、肉体を変形させながら鉱石を産み出す様子は、さながら鉱石に魂を支配されているような悍ましさだった。

 

 

「ッオイ、コイツは一体何の冗談だ! 早く止めろ、死んじまうぞ!」

 

 

 エフイーターが怒鳴りつけても、スタッフは動転して右往左往するばかり。

 そしてサルカズは、一度その身をぐっと屈め、まさしく悪魔の如き咆哮を上げて、アーツの奔流と共に、周囲に産み出した鉱石を四方八方に撒き散らした。

 鋭利な黒色の鉱石が吹雪のように降り注ぐ。遮るもののないリング上で避けられる訳がない。腕で顔を覆い小さくした、その全身に鉱石が突き立てられる。

 腕を、足を襲う鋭い痛み。細かな鉱石の礫がエフイーターの銀髪を引き千切ってリングに散らす。柔肌を切り裂き、肉を抉られる感覚に神経が炙られる。

 

 

「ぐう――ああぁ!?」

 

 

 運悪くガードの隙間を塗って飛び込んだ親指ほどの大きさの鉱石が、エフイーターの脇腹を深々と抉り抜いた。ぞぶっという不気味な音が体内で響く。激痛に悲鳴が喉をついて飛びだしてくる。

 響く悲鳴はエフイーターのものだけではない。放出された鉱石はリングを包む金網を粉々に引き裂き、観客席に降り注ぐ。今まで無関係を装い高みの見物を決め込んでいた観客席が、一転本気の悲鳴に包まれる。

 鉱石の雨で砕けた観客席の破片と血飛沫が舞い、鉄骨のちぎれた天井のライトが落下して、甲高い音を響かせてガラスを撒き散らす。

 ものの数秒で、クラブ・サボンは別種の地獄へと変貌した。飛来した鉱石や砕けた破片に貫かれ、機材の崩落に巻き込まれ、濃い血の臭いが一気に漂いだす。

 悲鳴を上げて出口に殺到する観客達。それに触発されたように、全身に鉱石を噴出させたサルカズが狂気に染まった咆哮を上げる。

 閉じ込めるための金網はすでにあちこち引きちぎれてた。正気を失ったサルカズが、餓えて血肉を求める獣さながらに、観客目がけ走り出した。

 

 

「行かせるかぁ!!」

 

 

 その横っ面に、エフイーターの渾身の飛び膝蹴りが突き刺さる。サルカズがリングを吹き飛び、鉱石の割れる耳障りな音を立てる。

 

 

「ん、ぎぃ……!」

 

 

 飛び膝蹴りを見舞ったエフイーターが蹲る。頬から突き出た鉱石が、接触の際に彼女の臑を深く切り裂いたのだ。溢れ出てくる真っ赤な鮮血。猛烈な痛みを、歯を食い縛って黙殺する。

 涙を堪えて視線を上げれば、サルカズは敵意をこちらに向けていた。マトモに立つ事さえ辞めて、トカゲのような四つん這いでこちらを睨め付ける。身体からは再現なく鉱石が沸き立ち、メキメキと音を立てて彼の身体から突き出てくる。

 エフイーターを睨む目は塗り潰されたように真っ白だった。白内障のようだが、原因はそれよりもっとおぞましいものだ。戦う前の彼の窄んだ瞳孔やタガの外れたような態度を思い出し、一つの結論に辿り着く。

 クラブ・サボンの裏に隠れ潜む、薬剤調合師ディープ・ドープ。その悪意の片鱗が今、彼女の前に現れているのだ。

 

 

「確かにムカつく観客達だったけど、手当たり次第に痛めつけるのもどうかしてるぞ――一体何を企んでるんだ、レユニオン!」

「シャアアアアアアアアアアアアア!」

 

 

 意味を持たない絶叫を張りあげ、サルカズが突進してくる。

 全身余すところなく鋭い鉱石で覆われた突進に、徒手空拳では対応のしようがない。エフイーターは抉られ痛む膝に必死に力を籠めて回避する。

 受け身も取らず金網に激突したサルカズは、続けざまに咆哮し左腕を振り払った。肩から引っこ抜けるような力任せの振り払いで、ひび割れていた鉱石が砕け、弾丸となってエフイーターに降り注ぐ。

 避けられるものではない。辛うじて顔面に迫る軌道を見たエフイーターは、腕で顔を庇う。幸いにも肉を破られる事はなかったが、固い鉱石で骨を打たれる痛烈な衝撃が走る。

 

 

「い、づぅぅ……! こんなの、徒手空拳でどうしろって言うんだ」

 

 

 思わず涙が滲む痛み。しかし、弱音を吐いている暇さえもなかった。

 サルカズが再び身を屈めると、アーツの奔流が一層激しく渦巻きだし、鉱石が凄まじい勢いで精製され周囲を漂い始める。

 もう一度、あの全方位攻撃を行う気だ。会場にはまだ大多数の観客が残っている。恐慌状態の彼等を鉱石の雨が襲えば、今度はどれだけの被害が出るか分かったものではない。

 破れた金網の向こうから助けの手は伸びてこない。

 止められるのは、リングに立つ自分だけだ。

 

 

「ォォォオォォォオオオオォォォ――!」

「ッええい、根性の見せ時だぞアタシ! やるしかない!」

 

 

 迷っている時間はなかった。エフイーターは歯を食い縛り、それ以上に強く拳を握る。

 今この場にあるのは、自分の身体一つきり。

 血だらけ傷だらけの身体を奮い立たせ、エフイーターは姿勢を低く、重心を落とす。

 何千回と繰り返してきた武の形をなぞって、目を閉じる。

 深く、深く、息を吸う。より力を籠めるために、覚悟を決めるために。

 

 

「ふぅぅぅぅ……」

 

 

 否応なしに、呼吸が震える。

 どれだけ鍛えていても、場数を踏んでいても、一人のヒトの身体だ。限界はある。骨は石より固くはならないし、女の子の柔らかさがなくなったりしない。

 傷つけられれば血が出る。斬られれば痛い。

 痛いのは、いつだって、めちゃくちゃ怖い。

 びっしりと針が並んだ剣山を、全力で殴るのと同じだ。そんなの、普通なら考えるだけで卒倒しそうになる。

 けれど――それでも。

 自分の身一つで、悲劇を止める事ができるなら。

 この場で立ち向かえるのが、自分一人であるならば。

 例え何百回この状況を繰り返したって。

 自分は絶対に、握りしめた拳を振り抜いてみせる!

 

 

「ッ――ハァァァァ!!」

 

 

 渾身の掛け声と共に、全身を奮い立たせる。

 大地を揺るがす踏み込み。全身を巡る血の流れを完璧に捉え、掴み、自在に流す。

 魂に籠めるのは勇気と根性。エフイーターの鍛え抜いた精神は、傷ついた痛みと恐怖を一時的にシャットダウンさせる。

 己の持つ気の力。命のエネルギー。極め抜いた功夫はそれらを一縷も無駄にしない。

 故にその拳には、彼女の全てが乗せられる。

 一撃は彼女自身、彼女の正義の志そのものになって。

 針山を殴りつける恐怖に打ち克つ。

 人を害さんとする悪を打ち破る!

 

 

「イイィィィィィィィィィヤァァァッ!!」

 

 

 全身全霊を以て振り抜かれた拳は、理性を失い獣と化したサルカズの顎を過たず打ち抜いた。顎からも突き出していた無数の鉱石が甲高い音を立てて砕け散り、エフイーターの拳に突き刺さる。

 鉱石の割れ、その奥の骨が砕け、意識を刈り取る轟音。

 サルカズの身体が大きく宙を舞う。肥大化したアーツの鉱石は、端の方から、水に浸した角砂糖のようにボロボロと崩れていく。

 ガシャンと耳障りな音を奏でながら大地に倒れ伏した時には、サルカズの鉱石は、彼の意識ごと完全に刈り取られていた。真っ白に染まったサルカズの瞳孔は、今度こそ完全に何も映そうとしていない。

 

 

「……はぁ、はぁ……!」

 

 

 ギリギリと音が鳴るほど食い縛った歯の隙間から、浅く早い呼吸が漏れる。

 振り上げたままの拳の先端は鉱石が無数に突き刺さって血だらけで、エフイーターのしなやかな肌に幾本もの真っ赤な筋を垂らしている。ずきずき、じんじん、焼けるような痛みが後から後から押し寄せて、やがて意識を保てないほど強い痛みの奔流になる。

 周囲はまだ、恐怖と混乱による喧噪が続いている。負傷者が痛みを訴え、無事な人は我先にと逃げだし、建物のあちこちで崩壊が起きている。

 人の暴力を見て享楽に浸るような奴等がたむろするこのクラブでは、どうやら誰も、ただ一人立ち向かった自分の正義の拳を見ることはなかったらしい。

 

 

「……だとしたら、中々いいオチじゃないか」

 

 

 ふっと満足げに微笑んだ言葉を最後に、エフイーターは身を倒れさせ、とうに霞んでいた目を閉じ、その意識を完全に手放した。

 

 

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